世界大戦異聞録 「とりとめなきこと2」
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 宗継は昭和26年1月4日附で中佐に昇進し、これで作戦参謀として他の参謀連と階級的に並んだ。

 軍隊は徹底した階級社会であり、少佐が中佐に指示を出すと露骨に嫌味な態度をとる者も居るのが現実だ。流石に参謀連にそのような者は居なかったが、それよりも上の階級の指揮官クラスになると「少佐の立てた作戦に従えるか」と言う者も居るのだ。

 戦艦『壱岐』は1月4日附けで連合艦隊へ編入され、連合艦隊司令長官直率となった。

 これは将来、天皇陛下の御召艦としてハワイ王国へ訪問する艦として利用される予定があるからだ。

 

「欧州情勢は依然予断を許さない状況であり、国際的にみても我が国を取り巻く状況は不安定である。今後敵性国家の跳梁も懸念されることから、海洋国家たる我が国の尖兵たる帝国海軍将兵諸氏に於いては、これまで以上の研鑽と精勤を願うものである」

 戦艦『紀伊』で行われた連合艦隊司令長官、山本・五十鈴大将の年始の挨拶は要約するとこのようなものであった。                                     

 敵性国家とは、言わずもがな、米国である。

 大災厄から復興しつつある彼の国は、海軍力の増強にも着手しており、昨年半ばから戦艦、空母といった主力大型艦から駆逐艦に至るまでの新造艦を続々と就役させつつある。これらが完熟訓練を終え、戦列に並ぶのは今年の半ば頃と見られており、丁度その時期に天皇陛下のハワイ王国への訪問が予定されているのである。

 ハワイ奪還を狙う米国にとり、日本はハワイと同盟を結ぶ敵性国家であり、米海軍が行動を起こせば否応なく日本も戦火に曝される。

(そうなれば、如何にして戦うか―――一時は弱体化した米海軍は着々と戦力を増強しつつあり、今は帝国海軍が有利な状況だが、直ぐに追いつかれる。こちらが有利なのは兵士の練度であろう。米国は艦艇を多数建造できるだろうが、それを操る乗組員は早々育成できるものではない。どんなに高性能な艦であっても、それを操る兵士の練度が低ければ、艦の性能を十分に引き出すことは出来ないのだからな)

 宗継はそう胸中で呟いた。

(しかしそれも時間の問題だろう。兵の練度が一定程度に上がるのに半年とみた場合、陛下のハワイ訪問時には、艦をうまく操ることができるレベルに達している。そうなると問題は兵力差だが、果たして―――)

 作戦参謀として、どのような戦術を採るべきか。宗継の思考はそれに向かって加速していく。

(作戦計画を早めに練り上げ、訓練と演習をみっちりと行う。どのような状況でも負けない戦をしてみせる)

 宗継は誓いを新たに、連合艦隊司令長官の訓示に意識を集中した。

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 海軍軍楽隊が勇壮な国歌を吹奏している中、鋼鉄で出来た巨艦がゆっくりとドックから外海へと滑りだした。

 基準排水量が4万トンを超えるそれは、アメリカ海軍史上最大の戦艦であるサウスダコク級に属する4番艦である。

 ワシントン州知事の娘によって「ケンタッキー」と発表された戦艦は、大勢の観衆の見守る中、タグボートに曳かれ、係留ドックヘゆっくりと進んでゆく。これから約1年をかけて艤装され軍艦として竣工する予定だ。

「遅い。遅すぎるな」

 その様子を海軍関係者が集う観覧席に座って眺めながら、太平洋艦隊司令長官、ハズバンド・エトワール・キンメル大将は呟いた。

「『大災厄』からの復興を優先した結果だ」

 その隣で、やはり不満げに洩らしたのは、海軍作戦部長、アーリス・エリザベス・キング大将である。

「本来なら5番艦『イリノイ』と同時に起工される計画だったが、議会が予算を承認せず、翌年にようやく予算申請が通ったのだ」

「政治家は何も分かっていない。軍艦は竣工したらすぐに戦闘に参加できるものではない。半年ほどは慣熟訓練に費やす必要があり、訓練未了で出撃した場合戦果不十分で終わるか、最悪の場合は喪失する可能性もある」

「あれに乗る乗員の確保は出来ているのか?」

 キンメル大将の声にキング大将は渋面をつくった。

「7割は新たに徴募した新兵だ。中枢となる下士官は定数を割り込んでいる。士官にしても、実戦を経験していない者が多い」

「それは・・・、なかなか厳しいな」

「訓練計画は君に一任するが・・・・『例の日』まで間に合いそうか?」

「日程的には厳しい。が、やるしかあるまい。情報部が日本が新たに戦艦を1隻建造したと報告してきた。既に慣熟訓練にはいっているとか」

「『キイ』クラスか? それともそれを上回る戦艦か?」

「そこまでは情報部も掴んではいない。 あと気になるのは新たに2隻の空母が戦列に加えられたという情報だ」

「戦艦の数では互角だが‥・空母の数では日本が上回る、か」

「空母など補助戦力に過ぎん。結局のところ海戦を制するのは戦艦の火力だ」

 筋金入りの大艦巨砲主義者のキンメル大将は嘲笑ともとれる笑みを浮かべた。

「日本は戦艦の数を揃えられない穴埋めを、空母などという補助艦艇で行っているだけにすぎん」

 その点では、キング大将も同じであった。

「問題は雷撃機の存在だが・・・。航空魚雷といえど軽視しては痛い目をみるかもしれん」

「その為の対空火器だ。ジャップの二流機なぞ、弾幕で叩き落としてくれる」

「頼もしいな」

 キング大将はキンメル大将の肩を軽く叩くと、公用車へと歩き出した。

(欧州戦争では空母戦は生起しなかったが・・・しかし太平洋ではどうなるか)

 そう思うと、キング大将は一抹の不安を拭い去る事が出来なかった。

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 『壱岐』は連合艦隊に編入後、猛訓練の日々をおくっていた。

 『壱岐』の最大の武器は大和型以降に採用された世界最大の艦載砲である46センチ砲、ではなく帝国海軍軍艦に初めて採用されたガスタービンエンジンである。

 その応答性の高さから、停泊状態から戦闘状態への速やかな移行が可能となっている。これはハワイ軍港停泊中に奇襲を受ける事を前提とした装備である。

 軍令部第五課が入手した情報によると、今年初めに米海軍は新たに1隻の戦艦を就役させ、戦力の拡充に邁進しているとのこと。この戦力はハワイ再占領に使われる公算大とのことであった。

 ハワイ王国独立記念行事は内外に喧伝されている事から、米軍の動きは想定しやすいのではあるが、果たしてどのタイミングで仕掛けてくるのかまでは分からない。だから即応できるよう訓練を積む。

 各兵装に電力を供給するディーゼルエンジンは休みなく動作しているので、無線やレーダー、対空火器は常に使用出来る状態だが、航行用のエンジンは停泊中は停止している。この状況から速やかに全力戦闘態勢に移行する。

 ハワイ王国最大の軍港である真珠湾は、湾口が狭溢であり、そこを封鎖されれば一方的に攻撃を受け、なぶり殺しにされる。米海軍の動きを察知し次第外海へと移動し、航行の自由を確保しなければ勝機も見いだせないのだ。

 

「友軍より入電。敵味方不明機多数、真珠湾よりの方位240度、50浬」

 戦闘艦橋の高声令達器より通信室からの報告が響く。

「敵味方不明機、方位240度、50浬。 電測確認急げ。対空戦闘準備、機関全速前進、舫いを解け!」

 『壱岐』が制式に軍艦籍に入ると共に艤装員長であった松田大佐が初代艦長として辞令を受けた。

 艦長は大音声で矢継ぎ早に命令を出す。航空戦は1分1秒を争うのだ。

「航海、舫いを解け! 手を使うな、斧で切断せよ!」

「錨揚げ!」

「機関長、エンジン始動、全力だ!」

「対空戦闘用意! 敵は右舷側から来るぞ!」

 艦長の命令を受け、航海長や砲術長といった各責任者が己の職分を全うしようと命令を出す。

「電測より艦長、敵味方不明機、本艦よりの方位90度、45浬」

 無線室から連絡が入る。

「機関室より艦長、エンジン最大出力発揮可能」

「砲術長より艦長、右舷機関砲、両用砲、砲側要員配置完了、射撃準備よし」

 刻々と上がってくる報告に松田艦長は頷きながら、

「両舷前進微速。桟橋より離れろ。 電測員と見張員は上空警戒を厳とせよ」

「両舷前進びそーく!」

 艦長の命令を受け、航海長が操舵長へと下令する。操舵長は桟橋に艦体を接触させないよう、慎重に舵輪を回す。艦底部からは、高速回転に伴う独特な機械音が響いてくる。停止していたエンジンが1分少々で駆動を始めたのだ。

 『壱岐』が桟橋から十分離れたと見た艦長は、電測に確認をする。

「敵味方不明機、本艦よりの方位80度、40浬」

「航海、面舵。本艦進路120度。左砲戦準備」

「面舵。本艦進路120度とします」

「左砲戦、了解」

 航海長と砲術長が命令を復唱し、各部へ命令を伝達する。

「電測より艦長。敵味方不明機、本艦よりの方位280度、30浬」

「敵味方不明機、米軍機と認む。 本艦よりの方位280度、30浬。高度三〇!」

 防空指揮所より見張員の報告が入る。

「進路そのまま。両舷前進全速。 砲術長、発砲の時宜は任せる」

「両舷前進全速、宜候」

「対空射撃、随時行います」

 各所に命令が伝達され、『壱岐』は戦闘準備を整えていく。先ほどまで停泊中であったのが信じられない程だ。既に速力は20ノットを超えているだろう。

 不意に艦後方から砲声が轟いた。長10センチ連装速射砲が砲撃を開始したのだ。主砲の砲撃音に比べると、ささやかともいえる音であるが、連続すると腹に堪える。各砲門が2秒から3秒という間隔で射撃を行っている。完全自動化を達成した速射砲は、その名の通り従来の高角砲とは比べ物にならない速射性能を有している。重量13キログラムの対空砲弾が音速の3倍以上の初速で発射される。

 その時には『壱岐』は時速30ノットに増速している。停泊状態からおよそ5分というのは従来の蒸気機関では為しえない速さだ。

「砲撃止め」

 松田艦長が下令すると、砲術長から「砲撃止め、宜候」と返答があり、速射砲の速射音が聞こえなくなった。

「副長、どうか?」

 松田艦長が問うと、ストップウォッチを見ていた副長吉川・秋穂中佐が難しい顔をして報告する。

「敵機発見から、20分45秒です。 ・・・まだまだですね」

「訓練開始当初が30分であったから、10分まで短縮できたのだが・・・、副長は厳しいな」

 松田が苦笑すると、普段は母性溢れる副長の顔は引き締まったままで、

「この艦の機関が最大出力に達するのは始動から10分です。それを考えると内務科が錨揚げを迅速に行えば、15分程度まで時間を短縮できるはずです」

「とは言っても、それは理論値だろう。どちらかと云えば対空砲火の精度を上げる方がこれからの課題だと考えるが」

「そうですね。戦艦は航空爆弾では致命傷を受ける確率は小さいですが、攻撃機の魚雷は脅威です。対空砲火の正確度を上げても、全機撃墜は難しいと考えますから、最終的には操艦で躱す必要が生じます。雷撃を受けた時に艦が停まっていては、よい標的です」

「それで、15分か」

「はい。現在の電探の探知距離を50浬とした場合、敵航空機の巡航速度を時速300キロとして1分間に5キロ、50浬を詰めるのに18分の計算です。 15分としたのは速射砲は近距離用の兵器ではないこと、機銃の撃ち方を始めて効果的な弾幕を張るのに2分程度かかるとの計算です。迎撃時間が2分乃至3分では敵機を撃ち落とす数にも限界が生じます。わたしが15分としたのは、最低限の条件です。これ以上かかるのであれば、操艦による回避運動に頼るしかないということになります」

「・・・やはり本艦のみでは攻撃阻止は難しい、か」

「現状20分でも30ノットの速力が出せます。敵としては雷撃を成功させるのは難しいでしょうが、例えば両舷攻撃をされた場合には、本艦の最大戦速でも全てを回避するのは難しいかと」

「当面は副長の言う15分を目指して訓練をすすめよう。なに、実戦ともなれば友軍機の支援を受けることも可能であろう。戦は我々だけで行うものではない」

「そう願いたいものです。 GFではどのように?」

 教練に参加している宗継に、副長が意見を求めた。

「現在、作戦計画を作成中ですのであまり詳しく話すことはできませんが・・・。想定戦域には艦載電探よりも高性能な陸上設置型の電探もあり、より遠距離から敵機接近を探知できます。また友軍の航空基地もある事から航空支援も受けることが可能だと判断しています。ですので『壱岐』単独で戦う可能性は少ないと考えます。ただ、敵が真っ先に狙うのは・・・」

「この『壱岐』、ということかな」

 松田艦長の言葉に宗継は頷いた。

「敵は全軍の士気を挫くこと、また日本の象徴を叩くことに意識を集中するでしょう」

「そうなると、やはり責任重大だな」

「艦長にはご負担をかけます」

 宗継が頭を下げると、松田大佐は呵々と笑った。

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 昭和26年の初春は戦艦『壱岐』の訓練に参加したり、連日の作戦会議に追われたりと多忙な日々を送っていた宗継だったが、その日は休日であった。

 衣替えの時期でもあり、気候的には過ごしやすい。

「今年は花見をしなかったなあ」

 久し振りに朝遅くに起床した宗継は、窓外の景色を見ながら呟いた。官舎の庭の桜の本は既に花を散らし、青々とした若葉を茂らせている。

「まあ仕方がないか」

 年末に行われるハワイ王国独立記念日に参加する為の段取りを連日検討していたのだ。

 ハワイ王国は米国から独立した後、国としての基盤を整えてきた。現実的な問題として米国の再侵攻の危機があり、海軍の強化を行ってきた。又、日本と同盟を結ぶと共に技術交流を活発にし、特に軍事技術では日本で開発された最新式のものを採用している。

 そのような場所へ出向くものであるから、想定される危機的状況に対応する為、海軍として出来る事を数年前から準備してきた。式典には天皇陛下も参加される為、万が一があってはならないのだ。

 ある程度の指針が定まった為、今日は久し振りの休暇となったのだ。

(と言ってもやることがない・・・。いや、部屋の片づけでも・・・。 うーん)

 宗継は頭を悩ませる。およそ1年が過ぎようとしているが、未だに宗継の住処は女子官舎に間借りの状態だ。連合艦隊附となったからには長丁場になるのは必須なので、その内男子用の官舎か何処かに引っ越しできるものだと思っていたのだが、1年経とうというのに、移籍のいの字も聞かない。

 何度か上司に掛け合ってみたのだが、暖簾に腕押しの状況が続いていた。常識的に考えれば女性の中に男が一人同居する現状は異常なので、異動直後なら入居できる場所の手配が間に合わない、という事もあるだろうが、1年ともなると話が違う。

(一体、上は何を考えているのだ。 いや、一介の中佐ごときの事など気を回す程ではない、ということか?)

 上の方針ならば従うしかないのだが、どうにも居心地が悪い。”嫌い”というワケではないのだが、休みともなると・・・・

「中佐、お時間があるのなら一緒に昼食などどうでしょうか」

 とか

「中佐、わたしと一緒に街へ買い出しに行きましょう」

 とか

「中佐、今晩は・・・、その、お時間、あります、か?」

 等々、女性入居者からのお誘いがあり、休日といえども心休まらない。

「貴様、中佐と最初に約束を交わしたのはわたしだぞ」

「あらあ? そんな事聞いていませんよ。 ちゃんと中佐のお返事を聞いたのかしら?」

「それを言うのなら、私が最初にお誘いしたのですけれど」

 などと、あまり聞いていて気持ちのよいものでもない会話までもが聞こえてくる。それなりに防音には気を遣った建築物なのだろうが、軍人の声はうるさい戦場でもよく通るよう訓練されているので、あまり防音効果は期待できない。

 終いには居た堪れなくなって、こっそり官舎を抜け出した。

 

 呉の街は活気に溢れていた。

 日本有数の造船所があり、地方からの出稼ぎも多かった。人々が行き交い、色々な地方の言葉が聞けるのも、この街の特色であった。

 宗継は特に用事もなく、ぶらりと商店街を冷かしていたが、それも2時間もすると飽きてきた。かと言って官舎に戻る気も起らず、日の高い内では、座敷遊びに興じる事も憚られた。なにより手持ちが心許ない。

 そんなこんなでふらふらと歩いていると、気づいた時には呉航空団のある航空基地の前に居た。

 これは職業病だな、などと苦笑しつつ宗継はその航空基地を見ていた。

(海軍を目指したのも、飛行機に乗りたかったからだしなあ)

 と若かりし頃の事を思い出す。元は絵葉書に描かれた軍艦に乗るのが夢だったのだが、宗継が士官学校に入学した時には既に男は前線に出ることは原則禁止となっており、当然戦闘艦の乗員になることは無理だった。

 軍艦に乗れなければ、どうしようか―――と考えていたある日、学校上空を飛ぶ航空機を見て、「アレに乗りたい」と、航空科を専攻すると決めた。

 士官学校卒業後は航空学校へと進み、戦闘機搭乗員資格を取得することが出来たが、ここでも前線に男は出さないという方針で、戦闘機に乗って敵戦闘機を撃墜する、という夢が消えた。ならば後方で連絡機を飛ばす、という事も考えたが、連絡任務も危険が大きい、としてその道も閉ざされた。

 その後は主に事務方の仕事を進めながら、艦隊戦の勉強をすすめ、海軍大学校を卒業後は横須賀鎮守府で参謀職を歩んでいた。

 日中戦争後期では参謀本部附となり、海軍の作戦計画の作成を手伝ったり、時には指導も行った。戦争終結後は復興計画と海軍再編成にも携わった。

 これまでが後方勤務であり、連合艦隊という実戦部隊に配属されたのは初めてであったのだ。

 

 そのような想いに耽っていたのは時間にして、30秒程であったが、歩哨に誰何されてしまう。

 嘘を言う理由もない。一般人を装って平謝りをして立ち去る事も出来たのだ。

「連合艦隊司令部作戦参謀、秋月・宗継海軍中佐」

 そう答えると、歩哨の海曹は敬礼し、

「失礼致しました。本日は視察でありましょうか!」

 盛大な勘違いをしているようだが、ここは渡りに船と便乗させてもらうことにする。なに、なにか問題があっても処分は自分一人が受ければよい。

「そうである。入所する」

「はっ」

 立哨は気を付けの姿勢をすると、宗継を黙って通してくれた。

(まあ、海軍戦略に航空戦も含まれるから、これは一種の『視察』、或いは『勉強』とでも言っておけばよいだろう。ハワイに派遣する可能性もあるのだから)

 事が大きくなれば立哨も叱責の対象になってしまうだろうが、そこは勘弁してもらおう。

 

 正門を潜ると、警護と受付を兼ねた建物が目に入る。およそ1個分隊程度が常駐しているようだ。受付の名簿に記帳を終えると、難なく基地内へ入る事が出来た。

 向かって右側には将兵たちが学んだり休憩する為の建築物が並んでおり、左側は開けている。そこは強化コンクリートで舗装された滑走路が数本、建設されていた。

 単発のプロペラ機であれば1500メートル級の滑走路でよかったのだが、主流になりつつあるジェット機ともなると、3000メートル級の滑走路が必要になる。拡張された滑走路群が何本も並んでいる光景は壮大なものだった。

 滑走路の所々には引き込み用の支線が繋がっており、それが格納庫へと伸びている。格納庫の大きさもプロペラ機の頃よりも拡張されているようだ。

 前部シャッターが開いて中の様子が伺える格納庫もある。整備員が機体の整備を行っているのが見えた。機体後部の点検扉が開かれ、ジェットエンジンが見えている。

 これまで帝国陸海軍が使用してきた空冷レシプロエンジンとはまったく形状が違う。前後に伸びた筒のような形をしており、その外側を配管類が覆っている、といった状態だ。前方の空気取入口から空気を取入れ、前段のコンプレッサーで圧縮し、燃料を吹き付け爆発的燃焼を起こす。そのエネルギーを後方へと噴出させる事で推力を得る。また、その時に発生する余剰エネルギーを利用してタービンを回し、そのタービンに直結しているコンプレッサーを駆動し、圧縮空気を取り入れる――という一連の動作を繰り返すのがジェットエンジンの基本動作であったと思う。

 宗継が搭乗員資格を取得した当時はレシプロエンジンの時代であった為、ジェットエンジンを見る機会はほとんどない。興味深げに眺めていたら、背後から誰何された。

 搭乗員だからだろうか、よく通る声であった。

「貴様、ここで何をしている」

 女性らしさの柔らかさであるが、芯の通った声であった。

 宗継は振り返りながら、敬礼をしつつ名乗る。

「失礼、わたしは連合艦隊附作戦参謀の秋月中佐です」

「連合艦隊の人間が何の用だ」

 そう言ったのは3人組の一人であった。 3人の中では一番背が高く、顔にも覇気がある。気の強い性格のようだ。

「中尉、相手は中佐ですよ・・・」

 右隣にいた女性兵上がおずおずと話しかける。

「そんな事はかんけーねーんだよ、なんで艦隊の人間、それも男がここに居るのかって訊いてるんだよ!」

 まったく物怖じせず、中尉と呼ばれた士官がこちらを睨め付ける。

「気に障ったなら謝罪します。今度の作戦のために、航空機の下見をしに来たのですが。ええと・・・」

「菅野だ。菅野・直(すなお)中尉だ。第二四空『新選組』の菅野とは、オレの事だ」

「菅野中尉ですか・・・」

 宗継は記憶を辿る。今次作戦を立案するにあたって、主要となる人物の経歴に一通り目を通したが、その中に思い当たる名があった。

(菅野・直中尉。第二四航空隊第一中隊第二小隊長。直情的な性格であるが、戦闘機乗りとしての腕は評価に値する・・・だったか。新型艦戦「烈風改」への習熟も早く、第一線での活躍が期待できる、か)

「おい、何を急に黙りこくってる。こっちを中尉とみて、舐めてやがるのか――」

 菅野が宗継の胸倉を掴まんとした時、

「そこまでだ、中尉。中佐に失礼だろう」

 二人の間に割って入るように、落ち着いた声が響いた。

「戦隊長」

「坂井教官?!」

 菅野、宗継が驚きの声をあげるが、更に驚いたのは菅野の方たった。

「教官、だと?」

「立派になったな、秋月生徒。まさか貴様が連合艦隊の参謀になるとは思わなかった」

 身長は頭一つ宗継よりも低いが、均整のとれた体つきに日本美人を代表するかのような美貌をもつ士官が柔和な笑みを見せた。全体的にスマートながら、胸の大きさはGに耐えられる強靭な飛行服でも隠し通せない程に立派である。

「教官もご壮健そうで何よりです。対ソ戦では撃墜記録を更新中だと風の噂に聞きました。いつ本土に?」

「2日前にな。海軍の作戦が一段落ついたので、次の作戦の準備に入るとかで帰還命令がきた。どうやら上は休ませてはくれんらしい」

 そう苦笑したのは、海軍航空を代表する敏腕搭乗員、坂井・美恵中尉である。

 日中戦争で実戦デビューを果たし、海軍による渡洋爆撃任務に従事しながら撃墜記録を伸ばし、日中戦争が終わった時には30機を超える敵機を撃墜したエースパイロットとなっていた。

 その後のロシア東方帝国支援の為にソ連空軍とも激戦を繰り広げ、撃墜記録を更新。ソ進軍パイロットからは『死神』と恐れられる存在となった。

 そんな坂井が内地に戻されたのは、次のハワイ作戦の為だ。

「その、何と言いますか・・・・」

「貴様は連合艦隊の作戦参謀だったな。次の作戦には、貴様も一枚噛んでいるのか?」

「守秘義務がありますので、お話しできませんが、概ねその通りだとしか申せません。ただ、今次作戦には教官の腕を十分に発揮して頂くことになるやもしれません」

「次の相手はアメリカさんか?」

「・・・・・」

 宗継が沈黙をもって応えると、坂井は不敵な笑みを浮かべ、

「教え子のたっての頼みとあれば、不満を言うわけにはいかんな。まあ、わたし程度でどの程度出来るかは分からんが、全力を発揮できるよう努めようじやないか」

 そう言いながら、宗継の肩をぽんぽんと叩いた。

「ありがとうございます」

 宗継は頭を下げた。

「ところで坂井さん」

 話が一段落ついたところを見計らって、菅野が二人の間に割って入った。

「何だ、菅野中尉」

「秋月中佐は中尉のことを『教官』と呼んでいるようですが、一体どういうご関係ですか」

 菅野は冷たい視線を宗継に投げかけながら、坂井に質問する。

「ああ、それは彼が横須賀の練習航空隊の航空学校に在籍していた時に、丁度わたしが教官として赴任していたのだよ。中佐は実に優秀な生徒だった」

「こいつが航空学校に? と、いうことは・・・」

「そう。中佐は搭乗員資格を持っているのだよ。それも戦闘機搭乗員だ」

 坂井の言葉を聞いて、菅野は驚愕した。

「搭乗員、それも戦闘機ですって?! こんな、男がッ」

「確かに中佐は男性では珍しい戦闘機搭乗員だ。だが腕の方はわたしが保障しよう。彼は同期生の中ではトップクラスでね。敗けず知らずだったよ。教官ですら彼に負けた者もいる」

「坂井教官にはついぞ勝てませんでしたけど」

 宗継が苦笑すると、

「当然だ。教官として生徒の後塵を拝することほど不名誉なことはないからね。まあ、教え子がそこまで強くなるのは嬉しいものだが。君が実戦を経験すれば、ひょっとするとわたしを追い抜くかもしれぬな」

「実戦には出してもらえませんでした」

 宗継にとって、それは悔しいものであった。航空学生になるには倍率30倍もの狭き門を潜り抜けねばならず、更に戦闘機搭乗員の適正有りと認められるのはその内のほんの一握りの者なのだ。

 そんな戦闘機乗りになれたのに、宗継は『男である』という理由で前線に出してもらえなかった。

「・・・・認めない」

 それは、地の底から響くような、重く低い声だった。

「え?」

「お前のような『男』が、戦闘機乗りであるなんて認めない!」

 菅野にとって『男』が航空機搭乗員であるのが許せないのだろう。最前線で戦うのは女であり、男は後方の安全な場所で勤務している脆弱な存在だと思っていた。そんな『男』が航空機の花形である戦闘機乗りである事が腹立たしいのだ。

「認めるも認めないも、中佐には搭乗員許可証がある。それは動かし難い事実だ、中尉」

「男だからと、情けをかけられたのでは?」

 尚も菅野は食い下がる。 どうしても認めたくないようだ。

「では、どうしたら貴官は認めるのだね」

 坂井はため息をつきながら言うと、

「勝負をしましょう。わたしに勝てば認めます」

「無茶を言うもんじやない、菅野中尉。勝負と言うが、一体どうするつもりだね」

 坂井の言葉を受け、菅野はにやりと笑った。

「『模擬空戦訓練』でどうですか。 これならば通常の業務に含まれます。なに、飛び立ってしまえば後はどうとでもなりますよ」

「訓練の搭乗割は決まっている。それを変更するには飛行長の承諾が必要だ。外部の人間を易々と入れることなど出来ないだろう」

 坂井はさも呆れた、とでも言うように答えた。

「飛行長が同意されればよろしいので?」

「飛行長が許可するとは思えんが・・・」

 二人の会話を聞きつつ、(これは大変なことになったな)と宗継は思っていた。同時に楽しみだ、という気持ちも抱いていた。元々飛行機乗りを目指していたのだ。もう一度飛行機を操縦してみたいという欲求は抑え難い。

「わたしが飛行長へお願いします」

 菅野が勢い込んで言うのを坂井がなんとか宥めようとしている。

「これは一体、何の騒ぎだ」

 よく通る声が響いたのは、そんな時であった。

「飛行長」

 坂井をはじめとする搭乗員たちが敬礼で迎えた人物は、身長は160センチ程でよく日焼けした健康的な女性であった。彼女は眼前の将兵をゆっくりと見渡すと、

「見ない顔があるようだが」

 大きいが不快にならない声音で問いただす。

「連合艦隊附けの秋月であります」

 宗継が一歩前へ出て最敬礼をすると、飛行長と呼ばれた士官が答礼をする。

「当航空団で飛行長を拝命している中津少佐です。 しかし、連合艦隊の参謀がどのような用件で当航空隊へ?」

 怪訝そうな表情でそう言う。呉航空団は独立した組織であり、連合艦隊司令部と云えど直接命令する権限はない。部外者が一体何を――と言いたいのであろう。

「次期作戦の参考になれば、と思い見学させていただこうと思ったのですが――ご迷惑でしたか」

「連合艦隊には空母も編入されている、と思いましたが。陸上機を運用する必要でもあるのですか」

 呉航空団の主力は水上機である。近年は陸上機の運用の必要性から、艦上機の陸上運用もされている。これらの航空機は基本的に陸上基地から離発着する為、海上機動は考慮されていない。連合艦隊に属する陸上基地航空隊には第一一航空艦隊と二年前に新編された第一二航空艦隊がある。中津中佐が疑問に思うことは、陸上機の視察ならば連合艦隊所属のこれらの基地航空隊を見ればよいのであって、管轄の違う呉航空団に秋月中佐が訪れたことにあった。

(なんか面倒なことになったなあ)

 と宗継は思う。宗継としては軽い気持ちで見学したかっただけなのだが、どうやらそれが越権行為となってしまっているようだ。もう少し思慮すればよかったのだが、それも後の祭りだ。

「それは軍機に関わることなのでお答えはしかねますが、概ねそのように思っていただいて結構です。実は一一航艦は内地では九州に展開しているのはご存知かと思いますが、このご時世です。出張もままなりません。それで失礼かと思ったのですが、貴航空団を参考にさせていただこうと考えた次第です」

「・・・ふむ。当航空団を一一航艦の代わりに、ですか」

「はい。 ・・・気分を害されたのであれば、謝罪します」

 宗継が頭を下げようとしたが、中津少佐はそれを制した。

「いえ、気になさらずに。連合艦隊の参謀が視察に来たとあれば、それは光栄なことでしょう」

 彼女は柔和に微笑を浮かべそう言うと、後方を振り向き、

「そう言うことだ。秋月中佐については皆、協力するように」

 と断言した。 これは宗継にとっては良い方へ転んだ感じだがそれを快く思わない者もいた。

「協力、と仰いますが具体的には・・・、そうですねえ。模擬空戦などすれば参謀も我々の事をよく理解できるのではないでしょうか」

 言葉は伺いの形をとりながら、目が嘲笑の色を湛える菅野中尉が発言した。

「模擬空戦? しかし秋月中佐は・・・・」

「秋月中佐は戦闘機搭乗員資格をお持ちのようです」

 菅野の言葉を受け、中津少佐が驚きの表情をすると、坂井中尉が頷いた。

「秋月中佐に飛行技能を教えたのはわたしです。中佐の腕については当官が保証します」

「これは・・・驚いた。 まさか、男性が航空機搭乗資格を取得とは」

 本当に驚いたといった顔をする飛行長に、宗継は苦笑しながら応えた。

「空に興味がありまして。海軍に奉職したのですが、艦艇勤務に制限がありますから、ならば空ならどうか、と思ったのです」

「・・・まあ、男性軍人は基本的に前線勤務は禁止されていますからね。 しかし、それは航空でも同じでしょう。中佐の連合艦隊勤務も異例、とは思いますが・・・」

「ですので、是非中佐どのの腕を見てみたいと思いましてッ」

 菅野中尉が勢い込んで言う。

 飛行長は幾分逡巡したようだが、やはり好奇心には勝てなかったようだ。

「秋月中佐はジェット機の操縦許可証は持っておられないのですね?」

「ええ。わたしが航空学校にいた頃はまだジェット機は実用化されていませんでしたから。九〇式艦戦が現役だった頃です」

「飛行長、零式中間練習機なら、いつでも飛べますよ」

 いよいよ菅野中尉が鼻息荒く中津少佐に詰め寄る。

「しかし搭乗割のない人間を飛ばす訳には・・・。それに秋月中佐もご迷惑だろう」

 飛行長の言葉に、宗継にも高揚感のようなものが胸に湧き起ってきた。 ―――もう一度飛行機に乗ってみたい。あの大空を思う存分飛んでみたいという気持ちが抑え難くなってくる。なので、

「わたしなら大丈夫です。航空隊の技量を勉強させていただければ、今後の参考になると思います」

 との台詞が口をついて出ていた。

「飛行長、秋月中佐もあのようにおっしゃっています。是非自分と手合わせを願いたいであります」

 我が意を得たりと菅野中尉がまくしたてる。その勢いに押される格好で、飛行長は許可を出してしまう。

「悪いな」

 菅野中尉は元々の実演相手であった飛曹へ詫びをする。悪態の一つでも喰らうかと思っていたのだが、その飛曹は口元に笑みを浮かべていた。

「構いませんよ。あの中佐がどれ程の腕をもっているのか、わたしも興味があります。本当に男が戦闘機に乗れるのかどうか、この目で見てみたいですよ。中尉、絶対に勝ってくださいよ。男なんかに負けないでください」

「ああ。それだけは約束する」

 菅野中尉は不敵な笑みを浮かべた。

 

 格納庫で宗継はこれから搭乗する航空機を見ていた。

 ―――零式艦上戦闘機。

 登場当時は傑作戦闘機と謳われた機体である。他国の艦上機に先駆けて20ミリ機関砲を搭載し、徹底した空力設計によって、1000馬力に満たないエンジンであるにも係らず500キロメートルを超える最高時速と1000キロメートルを超える航続距離を実現した。

 高速力よりも格闘戦に重点をおいた設計で、横方向の戦闘では当時最強と言っても差支えのない戦闘機であった。反面、軽量化を徹底したために防弾板や防火設備が搭載されず、打たれ弱い機体でもあった。列強のパイロットに「スポーツとして乗るのは楽しいが、これで戦闘をするのは遠慮したい」と評されたとも聞く。

 世界の趨勢が大馬力のエンジンを搭載し、高速力で一撃を加えて離脱する戦闘方法に移行していき、零戦の格闘性能を活かす戦いが難しくなった処で、この機は旧式化を早めた。

 そこで次世代の戦闘機として、零戦を造った三菱重工が送り出しだのが四式戦闘機「烈風」と「烈風」の動力をピストンエンジンからジェットエンジンに換装した「烈風改」である。中小型の航空母艦には「烈風」が、大型の正規空母には「烈風改」の配備が進み、零戦は第一線から退き、練習機となっている。

 零戦はそこそこの速度と素直な操縦性を評価され、中等練習機として好評だという。

「自分が乗っていたのは複葉機だったのになあ」

 そんな感想がロから零れた。単葉の航空機を操縦するのは初めてであるが、同じレシプロ機。操縦系統に大きな差があるとは思えない。実際、操縦席を覗いた限りでは、九〇式と大差はなかった。

「これならいけそうだ」

 宗継はほっと一息つくと、機体回りを目視点検し、異常のないことを確認する。それから機付けの整備員に合図を送るとコクピットに乗り込んだ。

 零式艦戦は、エンジン始動用のセルモーターが装備されているようだ。九〇式艦戦のように手動でエナーシャを回す必要がないのは、とても便利だと云えるだろう。

 スタータのスイッチを入れると、低く重い駆動音が聞こえてきたかと思うと、ゆっくりとプロペラが回り始めた。やがてきゅるきゅると高音が鳴り始め、数秒後エンジンが爆音をあげながら始動した。

 中島製・栄エンジンが爆音をあげ、プロペラが高速回転し機体が震えた。 宗継は回転計や油温計など一通りの点検を素早く済ませ、異常がないことを確認する。栄エンジンに使用されている潤滑油は温度が低いと粘度が高く、このまま飛行するとエンジンが焼けつくので、じっくりと暖機運転をする必要がある。その間に宗継は各部の操作を試す。操縦桿を操作しフットバーを踏込み、昇降舵や方向舵の動作を確認し、スロットルの操作でエンジンの回転数の増減具合を確認する。一通りの操作をしてみると、九〇式艦戦と操作方法に大きな違いはないようだ。あとは実際に飛んで、舵の利き具合や飛行特性を体に覚え込ませれば操縦に不安はなくなるだろう。菅野中尉からは演習前30分は飛行訓練の時間をもらっている。

 そうしている内に濃かった排気煙が薄く陽炎のようになる。エンジンが十分温まり、潤滑油も廻ったのか、エンジン音も軽やかに感じる。

 宗継が「輪留めはらえ」の合図を送ると、整備員が車輪止めを外してくれた。

 スロットルを微妙に開きながら操縦悍を操作し、格納庫からエプロンヘ出た。操縦席から首を廻らすと、滑走路には既に菅野中尉搭乗の零式艦戦が待機しているのが見えた。機上無線機から呼び出し音が響き、宗継はレシーバーに直結している通話スイッチを入れた。

「零式はどうですか、中佐」

 菅野中尉からであった。

「なかなかいい機体だ。今から飛べるのが待ち遠しいよ」

「そうですか。それではお先に」

 菅野中尉はそこで通話を終えると、滑走を始めた。菅野機は危なげなく飛び立っていった。

「さて。それでは行くか」

 宗継は菅野機が十分高度をとったのを確認すると、ブレーキから足を離しスロットルをゆっくりと開いた。

 零戦がするすると滑走を開始し、宗継がエンジンの調子を確かめるようにスロットルを全開にした。エンジンの回転数が跳ね上がり、プロペラの風切り音が大きくなる。零戦の滑走速度がみるみる上がり、尾部が滑走路から離れた。宗継は操縦悍を目一杯手前に引くと機首が上向き、主翼下の前輪が滑走路から離れ、零戦が飛行を始めた。

「ふうん。危なげなく飛び立つんだな」

 滑走路上空を遊弋しながら、秋月機の離陸を眺めていた菅野中尉はそう呟いた。

「まあ、そうでなければ面白くない」

 菅野中尉は口の端を歪めると、一足先に演習空域へと零戦を操縦する。

 

 宗継は胸の高鳴りを抑えるのに必死だった。なにせ10年以上も飛行機を操縦していなかったのである。空を飛べた喜びは一入であった。

 まずはスロットルを徐々に開き、速度を試す。速度計の針が時計回りに振れていく。九〇式では最高時速は290キロを少し上回る程だったが、零戦はあっさりとその速度を超えた。そこから先は宗継にとって未知の領域だ。千切れ雲がぐんぐん後方へとすっ飛んで行く。

「これが500キロ超えか・・・!」

 高揚感とも恐怖心とも、どちらにもとれる感情がわいてくる。体が感じる加速度も九〇式とは比べ物にならない。

 よし。と気合を入れ操縦悍を右に倒す。機体が急激に右に横転を開始する。その速度は恐怖を感じるほどだ。すぐにフットバーを右に入れると、緩横転になる。その動きは九〇式では実現できないほどの機敏さだった。 ふっと腹に力を込めると操縦悍を左に倒した。機体が急激に転回し景色が180度左に変わる。格闘戦に強いと謳われただけあって、動きは俊敏であった。これは気を付けないと機体が過度に横転し揚力を失って墜落する危険があった。

「曲芸飛行をする位の気持ちでないと、上手く操れないな」

 宗継はそう呟くと、操縦悍を目一杯手前に引きつけた。機首が上向き、機体が上昇を開始した。軽く引っ張られる感覚と共にぐんぐんと高度が上がってゆく。流石に一線機とまではいかないが、それでも九〇式に比べれば雲泥の差だ。その感触を掴むと、今度は操縦悍を押す。視界がくるりと回転し、地上が目に入る。

 速度計の針の動きが急激になり、あっという間に時速600キロを超える。エンジン音に風切り音が混じり、独特の音階を奏で始める。

 ぼんやりとした地上の景色が次第にはっきりとしてくる。高度計の針と眼下の光景とを睨みながら引き起こしのタイミングを計る。 高度計の針が1500を指した時、宗継は操縦悍を目一杯手前に引いた。

 エンジンが唸りをあげ、機首が持ち上がる。先ほどまで眼前へと追っていた地上から地平に移り、あれよと言う間に空が正面にくる。重力加速度により体が座席に押し付けられ、操縦悍を支えるのにも苦労する。

 それがふっと和らぐと、機体はほぼ水平に戻っている。宗継が操縦桿を引く腕の力を弱めると、機体はそのまま直進を始めた。

「よく動くな。なるほど、これならばこの格闘戦性能を惜しむのも頷けるな」

 新型艦戦が速度重視で小回りが利かなくなったことに嘆く声も、納得できる気がした。

「さて・・・そろそろ本番だぞ。 菅野中尉が手ぐすね引いて待っているだろうな」

 宗継は地上局と交信し、現在位置と演習空域の位置を問い合せ、その空域へと向けて飛行を開始した。

 高度を5000にとり、およそ10分程飛行した頃、指定空域に達した。宗継はゆるく円を描くように操縦し計器を確認する。

「航法が間違っていなければ、ここだと思うのだが・・・」

 菅野中尉機が見当たらないので、一抹の不安が胸をよぎる。教官から叩き込まれた航法を間違いなく実施できたと思うが、見当違いの場所を飛んでいる可能性も否定できない。なにせ十数年ぶりの飛行だ。

 宗継は機体を傾かせ、下方を確認する。演習場であれば建物なりテントなりが確認できると思ったからである。実際には高度がありすぎてよく確認できなかったが、山を切り開いたと思しき平野が広がっている。それが、広大な海軍試験場の証であると、宗継は判断した。

「だとすると、此処が演習場所で間違いないはずだが・・・」

 宗継が呟いたとき、レシーバーに聞き覚えのある声が響いた。

「中佐、慣らし運転は終わりましたか?」

「菅野中尉。こちらの準備は十分です」

 宗継は首を後方へと捻じ曲げ、機体の後ろ上方を確認した。すると太陽を背に、自機の上方100メートル程の所に零式艦戦を認めることができた。

「では、中佐がわたしの上位に移動してください」

「中尉が劣位になるのか」

「ご不満ですか?」

「いや、ここはその好意に甘えよう」

 言うと宗継は操縦桿を手前に引き、上昇に移った。零戦は軽やかに動き、程なく菅野中尉機の上方へ遷移した。それを合図とするように地上局からの通信が入った。

「演習場上空の搭乗員へ、これより模擬空戦の許可を与える。開始は一四〇〇とする」

「秋月機了解」

「菅野機了解」

 宗継は航空時計を見る。現時刻は一三五五。あと5分で模擬空戦開始だ。宗継は操縦悍に設けられた銃把に指を掛け、軽く引いた。両翼2丁の20ミリ機関砲が重い連射音を響かせながら模擬弾を発射した。

 元々零戦の機銃発射は操縦悍に押し釦式で装備されていたが、引き金式の方が操作がし易いこと、爆弾やロケット弾は釦式の方が直感的に分かり易いとの事で、三二型から採用された方式だ。以降の日本機の標準様式となっている。

 試射が成功すると、いよいよ本番だ。演習といえども実戦さながらの空中戦となるだろう。

 航空時計の針が14時を指した時、地上局から「開始!」の号令が届いた。

 その瞬間、菅野機は急降下を開始した。上方をとられている菅野中尉としては一気に秋月機を引き離すことにしたのだろう。

「一歩、出遅れた」

 宗継は口中で呟いた。菅野機が上昇をかけるか、直進で回避しようとすれば、優位である宗継に勝機はあった。だが急降下された場合追いつくのは性能の同じ機体では困難である。それよりは緩降下しつつ菅野機が上昇に移る頃合いを見計らって攻撃をかけるのがよいだろう。

 操縦悍を緩やかに押し込むと、機首が下がり降下を始めた。そのままスロットルを開き、宗継は加速を始めた。

 

「莫迦じゃない・・・か」

 菅野はバックミラー越しに秋月機を見ながら不敵に笑う。このバックミラーも三二型から採用された装備である。秋月機は追ってはこない。秋月機はみるみる小さくなってゆく。それでも完全に見失わないのは、緩降下によって追いかけて来ているのだ。恐らくはこちらが上昇をかけたところを見計らって攻撃をしかけてくるつもりなのだろう。

「ならば」

 菅野はスロットルを一杯に開き、操縦悍を思い切り手前に引いた。機首が上向き、零戦が上昇を開始した。

 エンジンが唸りをあげ、体が座席に押し付けられる。

「きた!」

 宗継は小さく叫んだ。菅野機も永遠に下降を続けられない。墜落を避けるのならば、上昇するしかない。だが上昇に転じれば速度も落ちるし、上面や下面等無防備な部分を晒してしまう。生粋の搭乗員ではない宗継にとっては、菅野機を攻撃できるまたとない機会だ。

 宗継は菅野機の未来位置を狙って速度をあげた。菅野機は上面をこちらに晒している。訓練弾とはいえ、操縦席に撃ちこめば怪我をさせてしまう恐れがあるため、操縦席のやや後ろ、本体燃料タンクのある場所に照準を定めるよう、機体を制御する。

 

 「・・・・ッ」

 菅野は歯を食いしばりながら、体を圧する重力加速度に耐えつつ、首をねじり秋月機を視界に入れていた。

 劣位からの逆転は幾つかのパターンがあるが、秋月機は慎重だった。深追いを避け、有利な状況を待っている。そして速度が落ち、投影面積が最大となる現在が、もっとも危険な状態だ。案の定秋月機は距離を詰めてきた。射撃の機会を狙っている。

「させ・・・るかあ!」

 機首がほぼ垂直の状態になった時、気合を入れると同時に菅野は右フットバーを蹴り、操縦悍を右に倒した。機体は垂直の状態から右に90度回転した。

 

「なに?!」

 宗継は疑問の声をあげた。上昇していた菅野機が目の前から掻き消えたのだ。数瞬後には機銃の引き金を引くつもりだった。

(まさか、本の葉落とし?)

 噂に聞く高等技術だ。これが出来るのは、よほど腕のたつ搭乗員に限られると聞く。この機動によりオーバーシュートした自機は、背後に回り込まれた敵機に攻撃されてしまう。

 背筋に寒気を感じながら、宗継は操縦悍を左に倒し、左フットバーを踏み込んだ。左翼が地上側に傾き、機体が横転した。その瞬間見えない何かが右翼端を通過したのが分かった。

 模擬弾に曳光弾は用意されていない。これは演習といえども、曳光弾が命中すれば場合によっては機体に重大な損傷を負わせかねないからだ。模擬戦には訓練弾が使用されるが、総て無航跡のペイント弾である。

 訓練弾といえども、至近を通過すれば圧を感じる。宗継は辛くも菅野機の銃撃を回避したのだ。だがこの機動によって、秋月機は高度を下げた。依然不利な体勢であるのは変わらない。

 

「わたしの攻撃を避けた・・・だと」

 菅野は一瞬、思考が停止した。完璧な機動と銃撃のタイミングだった。菅野機は秋月機の死角に素早く遷移し、最適な間合いから銃撃したのだ。

 確実に”撃墜”しか手ごたえがあった。

「まさか本の葉落としを知っていたとはな」

 あの回避は、そうとしか思えない。予め後方から攻撃を受けることを想定していなければ、出来ない芸当なのだ。

「”お遊び”程度だったが、これは本気でやる必要がありそうね」

 下降を続ける秋月機を睨みながら、菅野は獰猛な笑みを浮かべる。今度は秋月機が劣位だ。

「逃がしはしない」

 

「くっ・・・・そ!」

 宗継は機体を水平に戻しながら、スロットルを一杯に開いた。機体は加速されるが、菅野機を振り払うことは出来ない。それどころか何度か銃撃を受け、間一髪のところで回避している。 しかし、このままでは、

「振り切れない。いずれ命中してしまう」

 機体性能が同じならば、勝敗は搭乗員の腕の差で決まる。更に宗継にとって悪いのは、菅野機に対して劣位であり、追撃を受けているから有効な反撃が出来ないことだ。機体を不規則に左右に振って射線をずらすことにより、命中弾を回避しているが、いつまでも回避し続けることは不可能だ。

 ここで右なり左なり旋回をして相手の懐に潜り込めればよいのだが、菅野はそれを許さないだろう。

 なんとかして菅野機の背後につくか、横合いからつっかけたい。

「・・・やってみるか?」

 至近弾が風防を震わせるなか、宗継はバックミラーを睨みながら呟いた。

 

「しぶといな」

 菅野の素直な感想だ。既に4連射を加えているが、前をゆく秋月機に命中弾を得ていない。

 こちらが優位なのだから、降下速度を加味して秋月機に接近し射撃が可能な状況なのだ。

 もどかしい限りだ。秋月中佐とは、これ程の手練れであるのか、と感嘆してしまいそうだ――菅野の性格的に受け入れがたいものだが――

「噂は、本当だということかな?」

 模擬空戦前に秋月中佐を知る同僚から聞いた話を反芻する。

 嘗て航空科を志望した秋月少尉(当時)は、海軍航空学校へ入学する。操縦技術は当時の同期生達より一歩抜きんでており、同期はもとより教官でさえ模擬空戦で破った事があるという。一飛行学生が教官から勝ちを得ることが可能なのか―――当時の秋月少尉の存在の異質さ、強さが誇張して伝わっているのではないか、と菅野は考えていた。 しかしこの有利な条件で未だ撃墜判定がとれないのは、噂は本当であったということだろうか?

「次は、決める」

 菅野はまなじりを決して操縦桿を握る。秋月機の次の動作を予測、今度こそ命中弾を得るぞと照準器に機影を捉えるよう、機体を操る。

 

 宗継は反撃の機会を伺っていた。

 背後からチリチリとした殺気が伝わってくる。バックミラー越しで見る菅野機が大きさを増している。それは、彼女の操る零戦が接近していることの表れだ。

「次が最後だろう」

 宗継はそう直感した。何より菅野機が接近しているのが物語っている。上方から重力を利用しての加速だ。

 機体を不規則に左右に振っても、菅野機が視界から外れることはない。明らかにこちらの癖を読んでいるのだ。恐らく10秒以内に菅野機は機銃を発射し、それが命中するだろう。

 宗継ははやる心を抑えながら、その時を待つ。菅野が発砲する直前でなければ、効果は薄いであろうから。

 バックミラーに映る菅野機が横幅一杯になり、翼が見切れた。衝突を避けるのならば、これが目一杯近づいた距離だと理解した。

「ここだ・・・・!」

 宗継は降着装置のレバーを「着陸」側へと倒した。

 

「消えた・・・だと?」

 菅野は驚愕に目を見開いた。

 確実に機銃弾を命中させる為、間合いを詰めた。菅野にとっては必中の距離である。これで終わりだ――その意を込め、機銃の引き金を引こうとした瞬間、秋月機が視界から消えたのだ。

「何処に――」

 菅野は素早く左右に視線を走らせた。こちらの想定を超える速さで左右へと滑空したのでは――と、思った時右翼が赤く染まった。

「?」

 絶句した。一体何か起こったのか理解できなかった。いや、自分が撃たれたのは分かる。何故自分が撃たれたのか分からなかったのだ。

 バックミラーを見ると、そこに秋月機の姿をみとめた。あの状態からどうやって自機の後ろをとったのかよく分からないが、自分が負けたのは理解した。

「演習止め。 勝者は秋月機と認む」

 耳につけたレシーバーから、裁定官の無機質な声が聞こえた。

 

 滑走路から駐機場へと機体をもっていき、エンジンを止め風防を開いて身を乗り出す。すぐ右横には、同じくエンジンを停止したばかりの秋月機があった。それを認めたあと、菅野は自機の右翼を見た。空戦時には真っ赤に染まったように見えたが、実際は大人の掌程の染みが3つ付いているのみだ。

「やられたのか、わたしは・・・・」

 菅野にはそれが未だに信じられない。

「中尉!」

 取り巻きの一人が菅野機の傍まで走ってきた。菅野同様、気の強そうな娘である。

「ああ、三重野か。 ・・・わたしは、どうして負けた?」

 終始優位であったにも係らず、負けた。戦闘機乗りとしては日本一、とまでは言わないが坂井中尉を除けば、呉航空団でも一、二位の腕前であると自負している。何が何だか分からず、気が変になってしまいそうだった。

 三重野一等飛行兵曹は、顔を輦めながら零戦の着陸脚を蹴る。彼女の突然の行動に度肝を抜かれた菅野は、何事かと下方を覗き見る。

「あいつは、着陸脚を出して減速したんですよ」

「・・・・! なるほど。空気抵抗を増大させて減速し、わたしの後ろにまわったのか」

 分かってみれば単純なものだ。 しかしそれを成すには、適切な時機が欠かせない。遅ければ機銃弾に捉えられ、早ければ回避等の対応をとられて反撃されてしまう。

「噂は本当だったということ、か」

 溜息が出た。後悔というよりも充実感が強い。終わってみれば30分と経っていないが、濃厚な時間であったのは事実だ。

 

 そうこうしている内に、宗継らの周囲に人が集まってきた。

 地上へ降り立った菅野の周りに人垣ができる。どれもが異口同音で菅野の健闘を讃える内容で、宗継としては勝ってはいるか、肩身の狭い思いをしていた。

「見事な戦いであったな、中佐。まさかうちのエースを破るとは思わなかったよ」

 坂井が笑顔で宗継に話しかけてきた。

「教官。 まあ、あれは運が良かったというべきでしょう」

「運が良かったなどと言われますと、わたしの立つ瀬がないんですけどね」

 いつの間にか菅野が後ろに立っていた。

「菅野中尉」

 菅野の宗継への視線は、当初の険しいものだけではなく、柔らかいものが混じっているようだった。 どうやら、多少は認めてもらえたようである。

「ジェツト機である『烈風改』には、敵機との相対速度を減殺するべく起倒式のエアブレーキが装備されています。中佐が行った着陸脚を出すのは、その効果を再現したものでしょう。参りました。まさかプロペラ機でソレをやられるとは」

 菅野が苦笑しながら言う。ただ、そこには嫌味のような感情は含まれていないようだ。

「先程教官に言ったように運が良かった。わたしが撃墜されてもおかしくはなかった」

「秋月中佐の腕前の勝利、ですよ。正直に申しますと勝負はもっと早くつくものと思ってました。中佐の技術は坂井先輩に匹敵するのでは?」

「それは誉め過ぎです。学生時代、わたしは一度として教官には勝てなかった」

 宗継が恐縮して言うと、

「当然だ。教官が生徒に負けるなど、あってはならないからな」

 坂井は胸を反らしながら呵呵と大笑する。

「菅野中尉、わたしの言った通りだろう? 彼はヤる男だよ」

「そうですね。秋月中佐、非礼を詫びます」

 菅野が頭を下げる。

「いえ、無理を言って視察をさせて頂いたのはわたしの方ですし、貴重な体験もさせてもらいました。海軍航空隊の士気と練度は大陸で戦っている陸軍に劣るものではなく、必ず次期作戦に於いて期待以上の戦果をあげ得るものと確信いたします」

 宗継が声を張ると、周囲にいた搭乗員達も威儀を正した。その様子を見た坂井は笑みを浮かべながら敬礼し、

「海軍航空隊は必ずやご期待に応えると約束します」

 と言った。宗継は答礼し破顔する。

「もし坂井教官が出てくれたら、鬼に金棒なのですが」

「それは願ってもない事だ。 まあ、どのような編制になるかは上が決める事だからな」

 坂井は片目を瞑ってみせた。

「その時はわたしが出ますよ。相手がソ連だろうとアメリカだろうと、全て撃墜してやります」

 菅野も笑顔で言う。

「その時はよろしくお願いします」

 宗継は頭を下げた。

(実に頼もしい。この分ならば陛下を御守りするに不安はない)

 胸中で呟いたあと、宗継は呉航空基地を後にしたのだった。

-5ページ-

 官舎に到着したのは完全に日が没した頃となった。

 電燈に照らされた建物を見た途端、どっと疲れがでた。

 それもそのはずで、十数年ぶりに航空機を操縦したのだ。体のあちこちの筋肉が悲鳴をあげている。

「これは明日は大変だな」

 まず間違いなく筋肉痛に襲われる。軍人として日頃の鍛錬は怠っていないが、航空戦では普段鍛えていない場所にも負荷がかかる。

「腹も空いた。これは飯食って風呂入ってもう寝よう」

 明日は業務もあるのだ。ゆっくり休みたかった。

 門を潜ると、ひんやりとした冷気を感じた。

「?!」

 昼間の模擬空中戦に勝るとも劣らない殺気と緊張に襲われ、宗継は背筋に嫌な汗が流れるのを感じた。

「お帰りなさいませ、あ・き・づ・き・ちゅ・う・さ!」

 錆びた歯車が回るような音がたつのではないかと思うくらいにぎこちなく声のした方を向くと、そこに里見一曹が立っていた。

「あ、ああ。出迎えに感謝するよ、里見一曹」

 微笑んでいるが、目が座っている里見一曹を見てしまい、宗継はようやく声を絞りたした。その迫力たるや、菅野中尉を凌ぐ。

「今日はどちらへ行かれていたのですか」

 柔らかい言葉だが、毒がたっぷりと含まれているような声音で里見一曹が問うてくる。

「ああ、うん。 市内を散策していたんだよ」

 とてもではないが、航空基地に立ち寄り、あまつさえ模擬空戦を行ったなどとは言えなかった。

「わたしは中佐の従卒です。そのわたしに一言もなく、外出されたと?」

「いや、今日は休日であるし、休日まで一曹に付き合ってくれなどとは言えないよ」

 宗継はなんとかとりなそうと言葉を続けるが、里見一曹の顔は険しくなってゆくばかりだ。

「中佐は、わたしに仕事の遂行をするな、と仰るのですか」

「そんなことはない。 休日くらいは君も休めばよいと言ったのだ。わたしだって子供じゃないんだし、全てを君に頼るのも・・・悪いと思ってな」

「身の回りのお世話だけでなく、中佐の身の安全を守るのも、わたしの職分だと心得ています。今日一日、わたしがどんなに心配したか、中佐はお分かりにならないのですね!」

「ああ・・・、その。その件に関しては謝罪する。君には心配をかけてしまったようだ」

 宗継は頭を下げるが、里見一曹の気持ちが収まる気配はない。

「とにかくっ 何かあればわたしに命令を下さい。絶対ですよ?!」

 頬を ぷう と膨らませ左手を腰にあて、右人差し指を立てて怒る里見一曹は、どこか可愛げに見える。まるでいう事をきかない問題児を諭す学級委員長のような風情だ。

 そう思うと、なんだかおかしな気分になって、宗継は思わず笑ってしまった。

「もう! 何がそんなにおかしいんですか!?」

 詰め寄る里見一曹に、

「いや、一曹は真面目な学級委員長だと思ったら、おかしくってね」

「な、何を言い出すんですか! 中佐、わたしはふざけてこんな事を言っているわけではないんですよ! だいたい・・・」

「ああ、ああ。 分かった、分かったよ」

 宗継は両掌を胸元に挙げ降参の意を表しながら、とにかく玄関口から逃げ出したいとばかりに歩き始めた。現に4、5人の女性がこちらの遣り取りを興味深そうに観察しているのだから、恥ずかしいことこのうえない。

 なんとかスリッパを履いた後、食堂への道すがら、里見一曹の説教のような小言が続いた。

 

―――私室で布団をかぶりながら、宗継はその情景を思い出し、口端を上げた。

「里見一曹も変わったな」

 出会った頃は口数も少なく、嫌われているのかと思ったが、最近では素直に気持ちをぶつけてくれるようになった。それだけ、二人の距離が縮んだということだろう。娘、とまではいかないが歳の離れた妹のように感じる時もある。それも、兄に負けまいと必死に背伸びをしている頑張り屋だ。

 ふと、里見一曹は自分の事をどのように思っているのか気になった。 ・・・・が、それは職務には関係ないし、そのように思うことは彼女を貶めているようで気が引けた。

「さて・・・! 明日からはより具体的な作戦案の立案をするぞ」

 海軍航空隊の力量は確かなものだ。それを踏まえて作戦の骨子を組み上げていかなければ。

 そのような事を考えていたが、やがて宗継は眠りに落ちていった。

 

 昼間の激しい活動の影響か、それは深い深い眠りであった。

 

つづく

説明
 アメリカ合衆国は「大災厄」からの復興を遂げ、着々と戦力を増強していた。
 一方、久し振りの休暇で宗継は気まぐれに呉航空団航空基地に寄ってみた。
 しかし男である宗継は団員から拒絶され・・・・
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