ラブライブ! 〜音ノ木坂の用務員さん〜 第7話
[全2ページ]
-1ページ-

 

 

太陽がだいぶ沈み、もう少しすれば見えなくなるだろう時間帯。

薄暗い廊下に薄らと差すオレンジ色の光が少し寂し気で、しかしどこか幻想的な雰囲気すら感じさせる。

人によっては気味が悪くて嫌だという人もいるかもしれないけど、俺としてはこういうセンチメンタルな感情を刺激するような情景は嫌いではない。

これこそが日本人特有の風情を楽しむ美意識、一種の侘び寂びというやつなのだろうか。

けど、今の俺にはそんな感情に酔えるような心の余裕はなかった。

 

「はぁっ……はっ……どこ、だ……ッ!」

 

俺は夕焼け色の絨毯になっている廊下を、息を乱しながら走っている。

目的の人を見つけるために、その人の辿るだろう道筋を予想してただ走る。

そして廊下の突き当たりを曲がり、少し先を歩く人の後ろ姿を見て、俺はその場で立ち止まった。

 

「はぁ、はぁ……み、見つけましたよ、片桐先生!」

 

「ん? なんだ、松岡じゃないの。息が荒いけど……だめじゃないか、廊下を走ったら」

 

振り返るその人は片桐静香先生、この音ノ木坂の教員である。

片桐先生は俺を見ると、少し呆れたような表情で注意してくる。

その原因を作ったのは誰かと言いたいが、今は呼吸を整えるのに専念することにした。

 

「……はぁ……すみませんね、少し急いでいまして」

 

「それでも、早歩きくらいにしときなよ。それなら、まだ誤魔化しはできるでしょ。で? 見つけたって言ってたし、私に何か用なの?」

 

「……白々しいですね。本当に心当たり、無いんですか?」

 

「ふむ? んー……さぁって、なんかあったかしらねぇ?」

 

首を傾げ、さも本当にわからないとでも言いたげな彼女を見て、ふつふつとイライラが込み上げてくる。

感情のまま口を開きそうになるのをぐっと堪え、俺は真正面から片桐先生を睨み付ける。

 

なんでこんな状況になっているのか。

それは少し前にさかのぼる。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「あ、暑ぃ〜」

 

うだるような暑さの中、夏バテ気味の俺は少しダレていた。

俺が音ノ木坂に勤めてからすでに半月が過ぎている。

まだまだ新米の域を出ない俺だが、弦二郎さんに指導を受けつつ今日も用務員の仕事を頑張っている。

それにしても、今日はいつにもまして日差しが強かった。

昼間など帽子をかぶって直射日光は避けていたのだが、地面からの照り返しもあり、目がチカチカして地味に辛かった。

放課後になれば多少はマシになるんじゃないかと思っていたが、今度は昼間に温められた空気が俺を苦しめる。

俺はジワッと湧き出る汗を拭いつつ、花壇の手入れを続ける。

この学校は都会にあるにしては珍しく、至る所に草木が植えられている。

校門近くにはちょっとした桜並木があるし、グラウンドも人工芝じゃなく立派な天然芝だ。

今、俺が手入れをしているところ以外にもいくつか花壇があったりするし、この学校を囲むように植えられている木々は、場所によってはちょっとした林と言えるほどの所もあるくらいである。

まったく、本当に手入れのし甲斐があるというものだ。

というか学内での細々とした作業よりも、この至る所に植えられている草木の手入れに大幅に時間をかけている気がする。

以前の仕事でも外に出ることはあったけど、どちらかと言えば机仕事が多くて体が鈍ってしまいがちだった。

それがここに勤めて色々と雑務をこなしていくうちに、少し体が引き締まってきたのではないかと思う今日この頃。

正直、筋肉痛がきつい。

 

「あ、直樹さーん!」

 

「んー?」

 

中々抜けない雑草に苦戦していると、唐突に後ろから声がかけられた。

振り返ってみると高坂さんに園田さん、そしてことりちゃんという2年生の仲良し三人組がこちらに歩いてきていた。

練習用の服に着替えていることから、今まで練習していたのだろう。

 

「あぁ、君たちか。今は休憩中? こんな暑いのに、練習大変だなぁ」

 

「はい! 今日も結構ハードだけど、次のライブの為だもん! 頑張らないとだよね!」

 

「そうだね〜」

 

「何事も日々の積み重ねがものを言いますからね。一日一日、大切に使っていかなくてはなりません」

 

「うん!」

 

そう頷く高坂さんは練習で疲れているはずだろうに、夏の太陽にも負けないくらい元気いっぱいだ。

「今、私は燃えている!」と言うかのように、こちらにまでその熱気が伝わってきそうなほどにやる気が見て取れる。

 

「やる気満々だな。俺なんて少しバテ気味だってのに……これが若さか」

 

「あははっ! その言い方、なんだかおじさんみたいですよ!」

 

「……おじさんじゃないですよーだ」

 

こちとらまだ30にもなっていないのに、おじさんみたいなんて言われたくない。

地味にグサッときた気はするけれど大丈夫、まだ俺はおじさんではない……おじさんではないはずだ。

 

「そういえば直樹お兄さん、今日は練習を見に来れるの?」

 

「え? あぁ……今日、ねぇ」

 

(どうしよっかなぁ)

 

“μ’sを応援し隊”というファンクラブに入ったこともあり、数日前に見学ついでに飲み物の差し入れを持っていったことがあった。

とはいえ俺も仕事があるし、見学してたのは本当に少しの間だけだけど。

その時、屋上から出る間際に「また来てくださいね!」と高坂さんに言われている。

練習中に俺みたいなやつがいて、気が散るんじゃないかと思ったのだけど。

 

『そんなことありません! 誰かに見てもらった方が気合が入りますし、私達にとっても良い練習になりますから!』

 

と言われてしまった。

それからというもの、毎日ではないが暇を見つけて練習を見学に行っている。

拒まれるならまだしも、一応歓迎はされてるみたいだから行かない理由はない。

俺としても少し暑さで頭がボーっとしてきてて、丁度気分転換しようかと考えていたところだったし。

 

「……そうだな。そろそろきりもいいし、もう少ししたら見学に行こうかな」

 

「ほんとですか? やったー!」

 

「そ、そんなオーバーな」

 

ぐっと拳をつき上げる感じで喜びを表現する高坂さん。

見学に行く程度でこんなに喜ぶなんて、どれだけ安上がりな子なのだろうか。

まぁ、悪い気はしないけど。

 

(……あれ? そういえば)

 

「なぁ、思ったんだけどさ。普段は、顧問の先生は見学に来ないのか?」

 

俺はふと気になった疑問を口にする。

毎度、といってもそこまで頻繁にではないけど、俺が見学している間に一度も顧問の先生らしい人を見かけたことはなかった。

教師の数もそこまで多いわけじゃないし、もしかしたら他の部活と掛け持ちでもしていて忙しいのかもしれないけど。

 

「……え、何言ってるんですか?」

 

もしくは俺がいない時に入れ違いで来てたりするのだろうか、そう考えていたら不思議そうな表情で高坂さんが見ていた。

そしてそれは高坂さんだけでなく、園田さんやことりちゃんも同じだった。

 

(な、なんだ? 俺、なんか変なこと言ったか?)

 

どうしてそんな顔で見られるのか、俺にはまったく心当たりがなかった。

そんな俺に高坂さんが口にしたのは、予想外の言葉だった。

 

「直樹さんが顧問じゃないですか」

 

「……え?」

 

一瞬、思考が停止してしまった。

そのせいで聞き間違いをしたのだろう、何か高坂さんがおかしなことを言っていた気がする。

 

「……ご、ごめん、よく聞き取れなかった。悪いけど、もう一度言ってくれないかな? 今、なんて?」

 

「えっと、だから……直樹さんが、私たちの顧問じゃないですか」

 

「……ぅえッ!?」

 

思わず変な声が出てしまった。

3人に変な目で見られているような気がするが、今はそれどころではない。

 

(顧問、顧問だって? ……え、俺が? ……いや、誰の? ……え、彼女達の?)

 

「……ちょ、ちょっと待って? 俺が君たちの顧問? いやいや、それはないだろ!?」

 

「だ、だって、直樹さんが顧問になってくれたって……ねぇ? 海未ちゃん、ことりちゃん」

 

「えぇ、私もそのように伺っていますが」

 

「うん、ことりもだよ?」

 

「え、えぇ? いや、そんなはず……だって、俺……」

 

俺、何も聞いていないのだけど。

わけが分からない状況に頭を悩ませるも、元々ボーっとしていた頭では考えがまとまらない。

考えれば考えるほど混乱してくる。

もしかして、小鳩さんがそう手配したのだろうか。

いや、それならそれで小鳩さんが俺に知らせないのはおかしいし。

確かにうっかりは小鳩さんにもあったけど、それでも大切なことは少し遅れてもしっかりと連絡はくれる人だ。

いや、もしかして俺がただ単に聞き逃していたっていう線も……。

 

「あ、そうだ! 俺の前の顧問はどうしたんだ? ていうか、そんな話し誰に聞いたんだよ?」

 

彼女たちが活動をしていたのは俺が来るよりも前からの事で、部として活動しているからにはちゃんとした顧問がいたはず。

俺と入れ替わりに誰かが辞めたなんて話は聞いてないし、その人はまだ音ノ木坂にいるはずだ。

 

「私たちは絵里から聞きましたが。それで絵里は、直接片桐先生から伝えられたと。あぁ、前に顧問をしてくださっていたのが、片桐先生です」

 

そうか、片桐先生か。

園田さんが教えてくれたことに、一つ頷いて納得し……って。

 

「片桐先生? ……誰だっけ」

 

「誰って……同じ職員の松岡さんが、なぜ知らないんですか?」

 

「あ、いや! えっと……最初に顔合わせした時に自己紹介はしたけど、それ以来あんまり話してない先生だっているし? は、ははは……」

 

園田さんにジトーッと見られて、つい言い訳をしてしまう。

弁解すると、一応音ノ木坂にいる教職員の顔は覚えているのだ。

その顔と名前が、いまいち一致しないだけで。

物覚えはそこまで悪い方でもないと思うけど、さっき言ったように初の顔合わせ以来あまり話しをしてない先生は何人かいるわけで。

あまり話さないと、どうにもその人の名前を思い出すのが難しくなってくる。

 

(片桐先生……片桐先生かぁ……んー、聞き覚えはあるんだけどなぁ)

 

それは最初に自己紹介した時のことではなく、つい最近、そんな名前を聞いたような気がするのだ。

 

(……そういえば、三宅さん達が勧誘したっていう先生の名前が、確か片桐先生だっけ?)

 

数日前、三宅さん達ファンクラブの勧誘を受けた際、彼女たちがその名前を口にしていたような気がする。

少し話題に出ただけで何となくしか覚えておらず、確信が持てないのがもどかしいけど。

 

「直樹お兄さん、片桐先生は現国の先生だよ。特徴的なところっていうと……黒い艶のある髪で、ショートカットにしてて……あと、大体はグレーの上着に黒くて長いスカートを着てるかな? 全体的に暗い色合いで揃えてる感じだね。

でも、地味とかそういうのじゃなくてね、キリッとした雰囲気が出ててすっごく似合ってるの。ボーイッシュっていうか、クールっていうか、そんな感じの美人な先生だよ」

 

「あれはキリッとしてるのでしょうか? 私には、少し気怠そうにしてるようにも見えますけど」

 

「んー。でも、それがまたかっこいいって、クラスの子も言ってたよ?」

 

「……ショートヘアの女の人で、全体的に暗い系の服を着てる先生かぁ」

 

ボーイッシュなのかクールビューティーかよくわからないが、とりあえず美形な人なのだろうと予想する。

ことりちゃんが教えてくれた特徴から、自分の中の記憶に当てはめていく。

女性の先生は何人かいるが、そういう特徴のある人ならば思い出すのもそう難しくはない。

 

「……あっ」

 

思った通り、結構あっさりと思い出すことが出来た。

それは俺にとって、少しだけ印象に残る出来事もあったからだろう。

 

「あの人か!」

 

その印象に残る事というのは、あの日、屋上で初めて彼女たちと出会った少し前の事だ。

屋上の点検に行く途中で、俺は一人の女性に会った。

その人が今ことりちゃんの言っていた特徴と合っていたように思う。

出会い頭に首を傾けたくなるようなことを言っていて、もしかして新米である俺に激励でもしに来てくれたのかと思っていたが……。

 

『そっかそっか。うん、あんただったら任せられそうだな』

 

『え?』

 

『大変だろうけど、しっかりやりなってこと。それじゃ、これから頑張りなよ』

 

今、思い返すと、あの時の彼女の言動は少しおかしかったように思う。

 

「「あんただったら任せられる」って、「大変だけど、しっかりやりな」って、こういうことかよ!?」

 

いきなりやってきて、何の説明もせずに勝手に顧問を押し付けただろうあの人の顔が、脳裏に鮮明に浮かんできた。

確かに、ことりちゃんの言うようにクール系の美人教師なのだろう。

生徒たちに人気があるというのも、わからなくもない。

俺だって彼女と会って話した時、少しも見惚れなかったといえば嘘になるし。

だけどあの時の話しの裏で、こういう意図があったことを知った今となっては、俺の中での片桐先生への印象は一変していた。

 

「ごめんっ! 俺、ちょっと確認してくるから!」

 

「え?」

 

「な、直樹お兄さん?」

 

「直樹さん!」

 

彼女たちの声に振り返ることなく、俺は事の元凶を探しに走り出した

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

そして、今に至るというわけだ。

放課後で職員室にいるのかと思い向かっていたら、その途中で会うことができた。

生徒達は部活に行っているのか、もう下校したのか、周りには俺達以外には誰もいない。

そんな静かな廊下で、俺は片桐先生と向かい合っていた。

 

「それで、何か用? これから明日の授業の準備しないといけないから、できれば早く済ませて欲しいんだけど」

 

「彼女たちの、μ’sのことです」

 

「……ん? みゅーず?」

 

なにそれ? とでも言いたげに、眉をひそめて首を傾げる姿はとても演技には見えず、本当にわからないのだと理解する。

彼女はついこの間まで、自分が顧問をしていた部のこともわからないのだろうか。

 

「……アイドル研究部のことですよ」

 

「あぁ、そのことか。どう? あの子達、まだ諦めないで頑張ってるの?」

 

「えぇ、今日も一生懸命練習に励んでますよ」

 

「そっか、こんな暑いのにご苦労なことだねぇ。いやはや、若い子は元気が有り余ってて羨ましい限りだよ」

 

そんなさっきの俺と似た感想を言って、フッと笑みを零す。

こっちの気も知らないで、ずいぶんと余裕そうというか平然としている。

片桐先生のそんな態度に、相手がいかに美人だろうと関係なく内心イラっとしてくる。

 

「……俺の知らないうちに、彼女達の顧問にしてくれたそうですね? さっき偶然知ったんですが、本当にびっくりしましたよ。せめて一言くらい、俺に何か言ってくれてもいいんじゃないですかねぇ?」

 

だから俺は、少し棘を込めた口調で尋ねる。

さぁ、片桐先生はどう対応するのか? そう身構えていると、彼女はキョトンとした表情を浮かべていた。

 

「……え?」

 

「……え?」

 

これには少し予想外。

片桐先生の素の反応に、俺も思わず素で返してしまった。

 

「い、いや、「え?」って……えっと、片桐先生? 片桐先生は俺の事、彼女達の顧問にしたんですよね?」

 

「あぁ、うん。したけど?」

 

「……俺に何の断りもなく、ですよね?」

 

「え? いや……あの時、あたしは松岡に頼んだだろ?」

 

このなんとも言えない空気の中、何とか疑問を投げかける俺に片桐先生は不思議そうに返してくる。

 

「あの、時?」

 

しかし片桐先生が言う「あの時」がいつの事か、俺には思い当たらなかった。

これは本格的に俺が忘れていただけなのか? そう考え込むのに対し、片桐先生は腕を抱えてこめかみを指でトントンと叩きながら、思い出すように言葉を絞り出していく。

 

「えーっと……ほら、あの時だよ、あの時。松岡がここに来て、少ししたくらいだっけか?  話したろ? 廊下ですれ違った時にさ」

 

「廊下ですれ違った時? ……って、あの時のこと!?」

 

そもそも片桐先生と話したことなんて、片手で数えられるくらいしかない。

そして廊下ですれ違った時という条件で言えば、今のところあの一回だけ。

 

「そ、それって、俺が屋上の点検に行く時の事、ですよね?」

 

「あ〜、どうだろうな。確か屋上に行く途中の階段の所で話した覚えはあるけど、どこに行くかなんて聞いてないしなぁ」

 

後ろ頭を掻きながら難しい顔を浮かべて言う片桐先生だが、それだけで俺には十分だった。

記憶違いでなければ、話した場所は屋上に行く階段の所だったと俺も記憶している。

しかし、それならばなおさら疑問だ。

 

「えっと、ですね。さっきも言いましたけど、顧問の話なんて全く聞いてないんですけど」

 

「……話してなかったっけ? あたし」

 

「話してません」

 

少し日にちは経ってるけど、あの時のことは色々と疑問に感じていたこともありよく覚えていた。

そう断言する俺に、「あっちゃぁ」と片桐先生はどこか気まずそうだ。

 

「あぁ〜、それは、なんというか……すまん?」

 

「いえ、すまんって言われましても……」

 

眉をハの字にして困ったように謝ってくる片桐先生に、俺も何と言っていいのかわからなくなって言い淀んでしまう。

今まであった片桐先生へ向ける苛立ちも、なんだか萎えてしまっていた。

まさか、ただの伝え忘れだったなんて……。

 

「そもそも話ですけど、なんで俺に顧問を任せようだなんて思ったんですか?」

 

「いやだって、理事長の昔からの知り合いなんだろ? 松岡が音ノ木に来る前に一緒に飲みに行くことがあったんだけど、その時に松岡のことは聞いてたんだよ。

で、理事長の知り合いだっていうなら、その娘のことも当然知ってると思ったわけだ」

 

「ことりちゃんのことですか?」

 

「そうそう。小さい頃からの知り合いだっていうなら、あたしよりは気心も知れてるだろうしね」

 

その言い分は、まぁ、納得できるところも多少はある。

教師だと緊張もするだろうし、小さい頃から知っている人がそばで見てた方が安心することもあるだろう。

これはあくまでことりちゃん限定の話ではあるけど、ことりちゃんの知り合いということで周囲もある程度は気を許しやすくなる。

実際、まだ皆とそれほど話したわけではないのだけど、すでに気安く接してくれる子は何人かいるし。

とはいえ、それだけではどうしても理由としては弱く俺には感じられた。

いくら気心が知れていたとしても、俺は勤めて一ヶ月も経ってない新米用務員。

今の仕事を覚えるので精一杯で、入って間もなく部活の顧問を任せられても十分にこなせないのは目に見えているだろうに。

今までだって、顧問らしいことなんて見学に行ったくらいしかしてない。

それでも問題なく部の活動が出来てるのだったら、それこそ別に片桐先生が続けていても問題なかったはずだ。

 

「なんで彼女たちの顧問を辞めようと思ったんです?」

 

「……あぁ〜、別に? うん、大した理由はないんだけど」

 

「人に押し付けておいて、理由がないわけないでしょ?」

 

視線を彷徨わせながら言う片桐先生は、大した理由がないという割にはなんだか怪しく見える。

少し考えて、何か適当な理由を探してる感じもするし。

流石にそんな理由では納得できなかった俺は、ジッと見つめて話の続きを催促する。

少なくとも、俺には聞く権利はあると思う。

 

「……まぁ、なんていうか……しいていうなら……面倒になった?」

 

「……面倒?」

 

その視線を避けるように明後日の方を向くと、言い辛そうにまた口を開く。

 

「あー、うん。面倒。もともとさ、教師だって公務員でそこそこ給料良いからやってるのよね、あたしって。

知ってる? 部活の顧問って余所じゃ知らないけど、ここじゃ基本ボランティアみたいなもんなの。顧問やってるからって、特別手当とか出るわけでもないしね」

 

それじゃ、なんか損した気分じゃない? と、相変わらず明後日の方を向きながら言ってくる。

片桐先生とは長い付き合いでもないし、どういう性格の人なのかもわからないから、言っていることが本当か嘘か今一わからない。

……それでも、俺はその本当か嘘かわからない言葉を聞いて、なぜか少しだけカチンと来てしまった。

 

「別に顧問を辞める必要は、なかったんじゃないですか? 今までだって、たいして仕事らしい仕事なんてなかったでしょうに。それとも、彼女たちが何か問題でも起こしたとか?」

 

心情が表に出てしまったのか、少しだけぶっきらぼうな口調になってしまった気がする。

だけど、片桐先生にそれを気にした様子はなかったので、このくらいのことは気にしない人なのだろう。

なら、それ幸いと今は横に置いておく。

重要なのはそっちではないのだから。

俺は知らないうちに顧問を押し付けられていた訳だけど、今の今まで顧問だからと言って何かを頼まれたことはなかった。

いや、頼まれはしたけど、それだって最初に会った時に屋上で言われた、時々練習を見に来てほしいという些細なものだ。

それに今まで見てきた限りでは、彼女たちが面倒事を起こすような子達ではないと思うし。

……まぁ、だから今日まで自分が顧問になっていたと知るのが遅れたのだろうけど。

 

「問題を起こしたとか、起こしてないとかじゃないのよねぇ。なんていうか、それ以前の問題? 言ったでしょ、顧問なんて所詮ボランティア。だけど、もしあの子達に何かあったら、もしくは何かしたら、問題を問われるのは大抵顧問の役目……正直さ、割に合わなくない?」

 

「そ、それは……いや、それでも! 彼女たちは、音ノ木坂を廃校にしないために頑張ってるんですよ? あなただって、この学校が廃校になるのは嫌じゃないんですか?」

 

一瞬口籠ってしまったが、俺は咄嗟に口を開いて言葉を絞り出す。

自分でもよくわからないけど、なんだか片桐先生の言ってることを認めたくなくて、少しだけムキになってる気がする。

だけど、片桐先生の反応は淡泊なものだった。

 

「はぁ、そうなんだよねぇ。廃校、廃校かぁ。もうしばらくしたら、次の仕事探しもしないとなぁ」

 

「つ、次のって……片桐先生は、頑張ってる彼女達を応援しようとは思わないんですか?」

 

「……別に。頑張っても上手くいくかはわからないけどさ、好きにすればいいよ。頑張りたければ好きに頑張ればいいし、応援したければ好きに応援すればいい。だけどそれは、あくまで個人の勝手だろ? 他人にも、そうしろって押し付けるのは違うんじゃない?」

 

「ッ……そう、ですか」

 

その突き放すような物言いに、カァっと頭に血が上ってまた咄嗟に口が開く。

だけど、その開いた口からは言葉が出てこなかった。

きっと俺の中で、少しでも片桐先生の言葉に「確かに」と思っているところもあったからだろう。

 

(……前に俺も、似たようなこと考えてたじゃないか。仮に俺が高校の時、音ノ木坂みたいな状況になっても、自分の時間を削ってまで何かしようとは思えないって。

片桐先生みたいな考えの人だって、そりゃいるさ。そんなのわかってる……わかってるけど……)

 

わかってはいても、納得できない俺がいた……いや、納得できないというよりも、納得したくないが今の心情的には正しいのかもしれない。

それがまたどうしてなのかよくわからなくて、心がモヤモヤと雲が掛かったような暗い気持ちになっていく。

俺が何も言えずに黙っているのを少しだけ横目で見て、再び視線をそらして片桐先生は話を切り上げる。

 

「もう話は終わり? それなら、あたしは行くから。やることやって、さっさと帰りたいしね」

 

俺は去っていく片桐先生の後ろ姿を、ただ見つめることしかできなかった。

もっと他に何か言いたいことはあったはずなのに、しかしこれ以上何を言えばいいのか俺にもわからなくなってしまった。

何もできない自分の無力さが、どうしようもなく悔しい。

その時、離れていく片桐先生の後ろ姿が止まった。

 

「……あのさ、押し付けたあたしが言うのもなんだけど。もし顧問が嫌だってんなら、好きな時に辞めちゃっていいからね? 探せば、掛け持ちでも顧問やってくれるっていう人もいるだろうし。

思えばさ、あんたまだ来たばっかりだもんね。いろいろ忙しい時期に、面倒掛けて悪かったわ……まぁ、言いたいことはそれだけ。それじゃぁね」

 

そう背中を向けたまま言うと、ひらひらと手を振って歩いて行った。

 

「……はぁ」

 

片桐先生の姿が見えなくなり、俺は一つ息を吐く。

一人になったからだろうか、少しだけ気持ちが落ち着いた気がする。

 

「……なんだか、よくわかんない人だったな」

 

知らないうちに顧問の仕事を押し付けてきたと思えば、うっかり伝え忘れていただけだったり。

自分勝手できついことを言う人かと思えば、最後に俺を気遣うようなところを見せたり。

本当によくわからない人だった。

この短い会話の中でいろいろな感情を抱いたけど、最終的に俺が片桐先生に抱いたのは少なくとも好感情ではなく、かといって悪感情とも言い切れない曖昧なもの。

それでもあえて言うならば……苦手、これが今のところ一番合ってるかもしれない。

 

「直樹さん」

 

「ッ!? 高坂さん、ことりちゃんたちも」

 

とりあえず仕事に戻ろうか、そう思っていた矢先に後ろから声を掛けられて振り返る。

そこには、どこか不安そうにこちらを見ていることりちゃん達がいた。

気付かなかったけど、俺が駆け出した後を追ってきていたのかもしれない。

……とすると。

 

(……さっきの話、聞いてたのか)

 

「あの、さっきのは」

 

「顧問、辞めちゃうんですか?」

 

「い、いや、それは……」

 

そこから先を言葉にできず、俺は口ごもってしまう。

 

(……どうすればいいんだろう)

 

元々顧問なんて俺にとっても想定外のことで、今までもこれからも普通に用務員として勤めるつもりだった。

その用務員でさえなりたてで、まだ覚えることが多い新米の身。

彼女達も顧問がいなくなると困るだろうけど、用務員と顧問の両立だなんて今の俺にとっては二足の草鞋もいい所だろう。

そもそもの話、俺は顧問が何をするのかも知らない訳で、できれば断りたいところ……なのだけど、どうにも断り難い空気だ。

別に俺は何も悪くはないはずなのに、ことりちゃん達の暗い表情を見てると、なんだか俺が悪いことをしたような不思議な気持ちになってくる。

 

(……なんか、前にもこんなことあったな)

 

今はそんなこと考えてる時じゃないはずなのに、俺の中に浮かんできたこの妙な既視感に思考がつい逸れてしまう。

何時の事だっただろうか、そう考えて視線をさまよわせていると、ことりちゃんと目が合ったところで止まった。

 

「……ぁ」

 

その時、この既視感がどこから来るものなのかが分かった。

 

(そっか、あの時か)

 

それは俺が大学生の時、ことりちゃんの家庭教師を小鳩さんに任せられてやっていた時のことだ。

その時はまだことりちゃんも余所余所しくて、今みたいに親しく接してはくれなかったのを覚えている。

その日、俺はことりちゃんの家庭教師役のために小鳩さんの家に行って、いつものようにインターホンを鳴らした。

いつもなら少ししたらドアが開いて、恐る恐るといった様子でことりちゃんが出迎えてくれるのだけど、その日は中々ことりちゃんは出てこなかった。

何かやっていて遅れてるのだろうかと思い、少し待っていたのだけど……1分、2分と時間が過ぎてもまだ出てこない。

3分を過ぎた時には、流石にことりちゃんに何かあったんじゃないかという不安もよぎった。

これは一度、小鳩さんに連絡を入れた方がいいだろうか、そう考えていると“ガチャリ”という音とともにゆっくりとドアが開いた。

ようやくことりちゃんが出てきたのだ……その瞳に大粒の涙を浮かべながら。

ことりちゃんは不安と悲しみが入り混じったような表情をしていて、見ているこっちが落ち着かなくなってしまう程だった。

今の彼女たちが、あの日のことりちゃんが重なって見えてしまったのだ。

そしてあの日と同じ感情を彼女たちに抱いてしまっている。

俺が悪いことをしたわけじゃない、だけどなんか俺が悪いことをしたかのような居心地の悪さ。

これも一種のトラウマというやつなのかもしれない。

 

(……あぁ、もうっ!)

 

「と、とりあえずだ。とりあえずは、今まで通りってことで!」

 

「「「え?」」」

 

彼女たちの視線に耐えられず、そっぽを向きながらそう言う。

 

「俺はさ、まだ用務員の仕事も始めたばかりで……みっともない話だけど、自分のことで精一杯なのが正直なところだよ。だから今まで通り、時間があれば見学に行くってことで……とりあえず今は、それで勘弁してくれ」

 

「直樹さん、それってつまり!」

 

「……はぁ。知らないうちに顧問にされてたとはいえ、簡単に投げ出すなんてできないよ。君らの顧問、俺でよかったらやらせてくれ」

 

結局、あの時と同じく彼女達の悲しそうな表情を見て、見ない振りは出来なかったというだけの話。

自分の仕事もまだおぼつかないのに、少し無責任だと思わなくもないけれど。

まぁ、碌に見学にも行かなかったらしい片桐先生でも勤まっていたのだし、何とかなるだろう。

そう信じたい。

 

(それに、こんなに喜んでもらえてるんだもんな。俺の選んだことが間違いだったなんて思いたくないよ)

 

3人の様子を見てそう思う。

俺の言葉を聞いて、うっすらと涙を浮かべながら喜んでいる高坂さん。

思わず抱きついたのか、抱きついてきた高坂さんの頭を困ったような、しかし優しい笑みを浮かべてそっと撫でている園田さん。

そして、そんな二人を一歩引いた位置で見ていて、高坂さんと同じようにうっすらと涙を浮かべながら微笑んでいることりちゃん。

彼女達の喜んでるところ見てると、断らなくてよかったと思える。

 

(……そうか。だから俺はさっき)

 

3人を見ながら、さっき片桐先生の言葉でカチンときた理由を理解した

まぁ、理解したと言っても大した理由ではなかったのだけど。

 

(俺、いつの間にか皆のこと……うん、かなり気に入ってたんだな)

 

思えばあの時、屋上で皆に会った時からかもしれない。

そして練習を見学していくにつれて、皆と関わっていくにつれて、少しずつ皆のことを気に入っていったのだ。

あの苛立ちも結局のところ、自分が気に入っているものを蔑ろにされたように思えて、腹を立てていただけ。

その理由に思い至り、我ながら子供みたいだと思うけど、不思議と悪い気分ではなかった。

 

(……ファン、かぁ。きっと、これがファンの心境なのかもなぁ)

 

この時、俺は初めて「皆のファンになったんだ」と、僅かながらも自覚を持つことが出来た。

 

 

 

◇◇◇◇◇

 

 

 

「と、そんなわけだ」

 

「あ、あの先生は……っ! 時々いい加減なところはあると思ってたけど、まさか本人の了承を取り忘れていただなんて」

 

いつもの屋上の練習場所。

そこに行くと俺達以外の全員がすでに揃っていた。

そこで先ほどの話をみんなに打ち明けると、片桐先生から直接話を聞いたという絢瀬さんが頭を抱えて溜息を吐いた。

 

(……というか、絢瀬さんも絢瀬さんで、なんで俺に確認に来なかったんだろう。生徒会長だっていうし、多分絢瀬さんが書類の変更とかしたんだろうけど)

 

聞いた段階で確認に来てくれれば、こんなに時間が経ってからの発覚にはならなかっただろうに。

まぁ、流石に本人の確認も取らずに顧問が替わったなんて、普通は思わないだろうけど。

しかも伝えた相手が教師ならなおさらか。

 

「でも顧問辞めた理由って、本当にそれだけなんかなぁ? ……いや、まぁ、片桐先生やし、あり得ないとまでは言えないけど」

 

東條さんが頬に軽く指を当てて首を傾げ、疑問を口にする。

そこであり得ないと言い切れないところが、ある意味で片桐先生がどういう人物なのかというのを物語っている気がした。

 

(まぁ、俺もそれには同意だけど)

 

内心頷く。

それは片桐先生の人物像に関してもそうだけど、今は辞めた理由についてだ。

さっきの片桐先生の様子を思い出すと、他にも何かしら理由があるのではと思える節はあった。

俺が理由を聞いた時に少し言いよどんでいたり、何か適当な理由を考えるような間があったり……。

気にはなるけど、仮に別の理由があったとしても、さっき教えてくれなかったのに今更聞いて教えてくれるとは思えないから今は置いておくけど。

 

「と、そういうわけでだ。改めて、顧問としてこれからよろしく頼むよ」

 

「といっても、私たちは元々そのつもりでいたし。なんか今更だけど」

 

どこかツンとした態度で西木野さんが言う。

ほんと、今更なことだな。

今回の事だって結局、大人の都合で彼女達に迷惑かけてるだけだし。

これで万が一俺が「顧問なんてやらない」なんて言ってたら、皆はどうなっていたのだろうか。

新しい顧問を見つけるのも大変だろうし、最悪顧問不在で活動も自粛させられる可能性だってあっただろう。

まぁ、それはあくまでifの話だ。

何はともあれ俺はアイドル研究部の顧問になったし、皆も素直に受け入れてくれた。

とりあえず、今はそれで良しとしておこう。

 

(……にしても、顧問の仕事かぁ。自分の仕事優先とは言ったけど、皆の方も気にかけないわけにはいかないし)

 

明日からまた忙しくなりそうだけど、なんとかやってみるしかないだろう。

彼女達の顧問として、そしていちファンとして、少しでも支えてあげられればいいのだけど。

 

 

-2ページ-

(あとがき)

主人公、顧問になる。

大人で男性なので、μ'sと同じスクールアイドルとかはできませんが、何らかの関りは持たせたいなぁと思った時に一番最初に思い浮かんだのが顧問だったんですね。

ちなみに別作品で主人公を顧問にしたときも、同じ理由だったりします。

普通、顧問って簡単にやめたりなったりできるのかは、私にもわかりませんが。

だけど昔、私が大学生のころの話なのですが、とあるサークルにはいっていたんですね。

その時の顧問は片桐先生と同じく、全然サークルに顔を出さない人でした。

多分メンバーの何人かは、その顧問の名前も知らなかったんじゃないですかね。

で、サークルの更新申請にサインをもらいに久しぶりに会いに行ったんですが、するといつもいる場所にいないではありませんか。

不思議に思って他の人に聞いたところ、その顧問は少し前に転勤してもういないということでした。

ほんと、寝耳に水な話でしたね。

そのあとは新しい顧問を探すために、もうてんやわんや。

ガチでサークル存続の危機でした(汗

とまぁ、そんなマジでかーと思うような事がリアルであり、創作だしこういうこともあり得るかなぁと思いながら書きました。

 

さて、最後にうちのオリジナルキャラクター、片桐静香の紹介をして終了します。

 

○片桐静香

現国教師。女性。30歳。オリジナルキャラクター。

見た目はスロウスタートの榎並 清瀬(えなみ きよせ)をイメージしている。

黒髪のショートカット、グレーの上着にロングスカートといった暗い系の服装を主に着ている。

元アイドル研究部の顧問だったが、勝手に直樹に押し付けて辞めた人。

ただ、しっかりと伝えるのを忘れていただけで、別に悪気があったわけではない。

結構いい加減で、面倒臭がりな性格。

周りを避けているわけではないが、どこか一線引いている所がある。

しかし生徒への対応は真摯なようで、授業は意外としっかりこなし、面倒臭がりながらも勉学以外のことでも生徒たちからの相談にのったりしていることもある。

クールで整った見た目に、面倒臭がりながらも真摯に生徒に接していることろに、密かに憧れている生徒もいたりする。

 

 

 

スロウスタートの榎並先生をイメージしたのは、丁度その時に見てたからというだけのもの。

うちのオリジナルキャラクター、名前も含めてそこまで大層な理由とか考えて作ってはないですね。

ちなみにスクフェスの方に音ノ木坂の新しい名前持ち教師っぽい人が3人ほどいますが、この作品を書いていた当時は私まだスクフェスに手を付けていなかったんですよね。

きっとスクフェスを先にやっていれば、私の中のイメージ的に今の片桐先生の立ち位置にいたのは笹原京子だったと思います。

なお、スクフェス教師陣に関しては、今後出てくるかどうかは不明。

説明
第7話です
総閲覧数 閲覧ユーザー 支援
697 697 0
タグ
ラブライブ! 無印 オリ主 オリ設定 オリジナル登場人物 

ネメシスさんの作品一覧

PC版
MY メニュー
ログイン
ログインするとコレクションと支援ができます。


携帯アクセス解析
(c)2018 - tinamini.com