式姫漫録 其ノ弐 葛の葉
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「うー寒……」

買い物を終え、白い吐息を漏らしながら帰路を歩く。

背負い籠には凧や独楽などの玩具に餅や酒瓶など式姫達に頼まれた物がどっさり入っている。

一人で担ぐのに無理のない重さを見極め、ギリギリまで詰め込んである。

年中金策に苦しむ程に家計は常に火の車状態だが、初売りという事もあって財布の紐は普段より緩かった。

誰も連れておらず一人で来たのにはちゃんとした理由がある。

鈴鹿御前や狗賓ならともかく、式姫の誰かを連れてくるとあれもこれもと無駄遣いが増えるからだ。

こんな時こそ斉天大聖を連れてくれば良かったかもしれない。

とはいえあいつの事だ、今が好機とばかりにどこかで店を開いている可能性が高いだろう。

得意の口上で客を寄せ集めている光景を想像し、俺は苦笑した。

この寒さの中、そこまで入れ込む程の熱気は正直言って羨ましい。

頭上には煌々と太陽が輝いているが、お世辞にも暖かいとは言えない気温。

時折頬を撫でる寒風は容赦がない。

真冬の買い物というのは、それ程に億劫なのである。真夏でも同じ事が言えるが。

こういう日こそ炬燵に引きこもり、お茶と蜜柑を美味しくいただきながらぼーっと過ごしたいものだが、その役目は猫又や閻魔あたりで埋まっている。

そこに一刻も早く混ざりたいという気持ちだけが俺の背中を支えてくれていた。

自分用の酒でも買えたなら、もう少し元気が出るんだがな……。

 

帰宅して早々、酒瓶を手に葛の葉の部屋へと向かう。

「葛の葉ー、買ってきてやったぞー」

嫌味を隠さない口調で部屋の主に呼びかける。

数秒後には不機嫌な顔をした葛の葉が――出てくるかと思いきや、出てこない。

「……?」

気になって障子を開いたが、部屋はもぬけの殻だった。

厠にでも行っているのだろうか。

「全く、人を遣っておいてどこに行ったんだよ」

愚痴を漏らしながら障子を閉めると、俺は一旦台所へ引き返して荷物の仕分けを始めた。

「ほれ、新品の凧だ」

「わーい、ご主人様ありがとう!」

「もう壊すんじゃないぞー。えーっと羽子板と羽は誰だったかな」

「はーい」

「狗賓さん、これ予備の餅」

「ありがとうございます。あら、きな粉がありませんね」

「あっ……すいません忘れました」

「オガミはん、この酒瓶もらってええかな?」

「あー、それ他の人の分なんで駄目です」

「そうなんや。ウチも一緒に行きたかったわぁ」

「あは、あはは……」

彼女らの肝臓は酒屋と違って年中無休なのだ。

というかあんたら付喪神は正月からぎょーさん呑んどるやないかい。

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仕分けが終わると、再度葛の葉の部屋へ。

しかし二度訪れても部屋の主は姿を見せないままだった。

「むう……」

適当な式姫を捕まえて訊いてみると、どうも庭の方にいるらしい。

この寒い中、一体外で何をしているのだろうという疑問を浮かべながらそちらの

方へ足を運んでみると、

「遅かったわね、オガミ」

のんびりと足湯を楽しんでいる葛の葉の姿を見て、俺の疑問は解消された。

遡る事ひと月ほど前のある日、遠征から帰ってみると庭に温泉が湧いていた。

これだけ聞かされると大抵の人は首を横にかしげるのだが、事実なのでそうとしか言いようがない。

掘り当てた織姫に事情を訊いてみたが、

「慈愛の力よ」

とさも当然のように言われた。慈愛って何だろう。

考えれば考える程頭が痛くなりそうなので、俺はそれ以上考えるのを止めた。

ともかく、冬の寒い時季に熱い温泉が湧いて喜ばない者はいない。

斉天大聖が入浴料を徴収しようとしたり、おゆきが凍らせてスケートリンクにしようとした事もあったが(流石に狭すぎる)

とりあえず現在の露天風呂という形に落ち着いた。

それに合わせて簡単な脱衣場も隣に造られたのだが、やはり外気の影響を受けやすい為か、特に冷え込みの厳しい日は利用者もほとんどいない。

大きさ的には大体人間基準の体格で三、四人が定員となる程の小ぢんまりとした温泉である。

湧き出した当初はくじ引きによる抽選で入浴順を決める程の人気だったが、最近はそこまで混み合う事はない。

なお、屋敷の外から見えない場所にあるとはいえ、もしも覗こうとする不届き者を発見した場合は

温かさとは真逆の暗く冷たい井戸の中に放り込んで良しという特約が全会一致で可決された。

ちなみに俺は一度も入った事はない。周囲が殺風景すぎて落ち着かないからだ。

「……何やってるんだ?」

「見ての通り、足湯よ」

いや確かに見りゃ分かるけども。

ほんのりと赤みの差した顔。汗をかいて張り付いた肌襦袢。

そして日常ではまず見ることの叶わない太ももが晒されている。

見た目より湯の温度が高いのか、それとも慈愛の効能か。

本当は浸かろうとしたけれどあまりにも熱かったので足湯に切り替えた、という所だろうか。

呆けたように見惚れていた俺は、はっと我に返ると、

「これ、お酒買ってきたぞ」

と酒瓶を差し出す。

それまでは上機嫌だった葛の葉の顔が、途端に険しくなった。

「酒瓶だけ持ってこられても困るわよ。徳利と猪口は?」

「えっ、あっ、そうだな……」

「早く持って来なさい」

慌てて屋敷へと引き返した。

頼まれた物を用意し、お遣いはこれで終わりかと思われたのだが……。

「ちょっと待ちなさい」

「今度は何だよ」

「せっかくだから浸っていったらどう?」

「何だって?」

一瞬、何かの聞き間違いかと思った。葛の葉にしては珍しい提案である。

「お酒も継いで欲しいしね」

……あぁはいはい、そういう事ね。

葛の葉と向かい合う形になり、くるぶしまで湯に浸す。

足の先から下半身へとじんわりした熱が駆け巡り、気持ち良い。

「…………」

葛の葉が無言で猪口を差し出すと、それに合わせて酒を注ぐ。

足が触れ合う程の距離だったが、特に話す事が思い浮かばない俺は透き通った湯船の底を見つめていた。

微妙に気まずいと言えば気まずいのだが、もう少し浸っていたいという気もある。

葛の葉の方も酒を呑む以外に口を開く事はなく、時折目を瞑って何やら考えている様子。

また唐突に無茶を言い出すんじゃないだろうな。

足湯にまで付き合わされるこっちの身にもなってくれ、と心の中で愚痴る。

そういえば、前にも確かこんな事があったような気がする。

自分は美味そうに酒を味わっているのに、何故こちらには一口もくれないんだ。

「ん?」

ふと顔を上げると、目を瞑った葛の葉の首がだらりと垂れている。

嫌な予感を感じ取った俺は、徳利を置いて慌てて駆け寄った。

「おい、こんな所で寝るな」

肩を掴んで何度か軽く揺すってみると、薄く目を開いた葛の葉が小声で囁く。

「……部屋まで運んで」

「運んでって、お前なぁ」

どこまで甘えれば気が済むんだ。喉元まで出かかった言葉をギリギリで抑える。

しかし、酩酊状態の葛の葉をこんな所に放っていくわけにもいかない。

やれやれ、これは貸しにしておこう。そうすりゃ一度位は無茶な我儘を突っぱねる口実になる。

「じゃあ、運んでやるから背中にしっかり掴まってくれ」

ずしっ、ぎゅううう。

「ぐえっ!?」

いやしっかり掴まれとは言ったけどもそこ首が締まる締まる締まる。

俺は目を白黒させながら、足を滑らせないように一歩ずつ踏み出した。

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温泉の効能についてはよく知らないが、足湯で体力が回復したおかげでなんとか葛の葉を運び布団に横たえられた。

流石に服を替えてやる事は出来ないので、代わりに毛布を掛けてやった。

これなら湯冷めする事はないだろう。

今は落ち着いて寝息を立てている。

「ふーっ……」

早鐘のように鳴っていたこちらの心臓も、ようやく落ち着いてきた。

背中の葛の葉が重かったわけではなく、こう、色々と……理性が揺さぶられた。詳細は省かせて頂く。

「全く、世話のかかる狐だよ」

悪態をつきながらも、俺はその頭を優しく撫でるのだった。

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