唐柿に付いた虫 17
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 夕闇にひらひらと、小虫を求めて蝙蝠が舞う。

 一瞬そう見えてしまうような光景……だがそれは。

「この距離を隔てて、あの巨大さか」

 呻くような鞍馬の声に、戦乙女が硬い顔で頷く。

 怖気づくわけではないが、予想より強大な敵である事はこの位置からでも判る。

 そして、巨大なそれが、彼女たちより若干先に戦場に到達しそうな様も。

「急ぎましょう、私が奴を引き付けます、軍師殿は兵たちの避難を」

「そうしてくれるか、ありがたい」

 正直、山から兵を逃がすのが一番面倒だと思っていたので、戦乙女の申し出は渡りに船であった。

 戦をやっている以上、多少の犠牲は仕方ないとは思うが、あまり多人数の犠牲が出ては、領主殿を焚き付けた身からすると若干寝覚めが悪いし、何より売りつけた恩が安物になってしまう。

「しかし、妖は女性の姿と聞いておりましたが、あれはどう見ても大蝙蝠」

 彼女や鞍馬の背に負うた鳥の翼とは違う、巨大な皮の翼が、どこかまがまがしい影絵となって空に踊る。

「化ける程器用な奴には見えないな、つまるところ別の奴が居るという事だろうな、今回そいつまで出て来るかは知らないが、気にはしないとね」

 ぞっとしない話だ、そう忌々しそうに鞍馬が呟く。

 あの山では、領主殿の軍も盗賊も、まだ接近する脅威を知らぬげに戦に励んでいる。

 盗賊の館前の最後の防柵にも、領主の兵が多数押し寄せ、失陥間近。

 片方は目前の勝利に、もう片方は逃走手段を断たれた状況での……死に物狂いの抗戦の最中。

「ええ全く、領主殿の軍も真面目な……もう少し手を抜いて下の方で競り合っていればいい物を」

 あの館の手前まで兵が至らねば、恐らく化け物は出てこなかったろう、鞍馬としては、確かにあの位置までは攻め寄せては欲しかったが、あんな人数で掛かられていては、逃がす方からすれば大変な話である。

 ただでさえ、勝利に沸き、勢いに乗る軍隊を制止し、後退させるのは至難の業だというに。

「こういう時、この国では、過ぎたるは猶及ばざるが如し、と言うのでしたか?」

 自分のしょうもない愚痴に、至って真面目な顔と返答を返されて、鞍馬が一瞬微苦笑を浮かべる。

「唐の国が一番知的に元気だった時代の孔子という御仁の言葉だね。 その言葉を用いるのが正しいかと言えば、ちょっと違うとは思うが、私の気分的には間違いない」

 何事もほどほどは難しい、彼女は口の中でつぶつぶと呪を唱えた。

 普段は、彼女たち天狗が住まう山に分け入ろうとする木こりなどに警告を与える為の術。

 これでよし、鞍馬はすうと息を吸ってから口を開いた。

「人間ども、戦を止めい!」

 全山をしわがれた大声が揺るがす。

 常の鞍馬の涼やかな声では無い、威厳と、そして若干の恐怖すら感じさせる荒ぶる山神を感じさせる男の声。

 もっと言えば、人が天狗と言って連想する、赤ら顔で鼻高の妖怪の口から出るにふさわしい声というべきか。

 その声に驚き、戦の手を止めた兵や盗賊の姿を一瞥してから、珍しく面白がるような目で鞍馬に向け、戦乙女は一つ頷いた。

 彼女のような戦の達者にしてみると、人を理屈抜きで動かすには、このような虚喝(きょかつ、ハッタリ)が必要である事は良く判るのだろう。

 だが、あの声を発しているのが、このような美女であるという、舞台の裏側を目にした時、若干のおかしみがあるのは仕方ない。

「軍師殿、では私はあちらに」

 それには特に答えず、よろしくというような目を向けて来た鞍馬に一つ頷き返し、戦乙女は更に速度を上げて鞍馬の傍を離れた。

 いまこの状況を想定していた訳では無かろうが、主が差し向けてくれた助力が彼女なのは大いに助かる。

 その力は勿論戦力として心強いが、何よりあの神々しいまでの外見が、この場面では非常に有用となろう。

 それを最大限活用すべく、鞍馬は静まり返った山に、再び天狗声を放った。

「南の空を見よ!汝らに大いなる危機が迫り居るぞ!」

 その声に導かれるように真っ赤な空を見上げた兵、そして盗賊の顔も、一様にそれを見出し、それが意味する物を悟り、恐怖の色を帯びる様が、鞍馬の鋭い目にははっきり見えた。

 差し渡し四間(7.2mちょっと)は有ろうかという、大きく翼を広げた蝙蝠の影、夜闇から千切れたような姿が、赤い残照を遮り、山に濃い影を落とした。

 ぐんぐんと迫る、その羽ばたきが強い風となって、兵たちを打ち倒す。

 そして、それは唯一の山道を逃げ下ろうとしていた兵達を、すれ違いざまに足の一撃で大きく薙ぎ払った。

 数名が瞬時に体をひしゃげさせ、あるいは引きちぎられ絶命し、周囲に居た者たちも、勢いよく飛び散った人体や武具の破片を叩きつけられてその場に倒れ伏す。

 そのまま勢いを殺さず、それは一旦空に舞い上がり、再び兵たちを襲うべく降下を始めた。

 獣としての狩ではない、自分の強みを知悉した存在が、対象を殺すために最も効率良いと計算した動き。

 浮足立ち恐慌に陥った兵の悲鳴で、山がざわめく。

 あの大蝙蝠……味方だろう盗賊団も纏めて攻撃するつもりか。

 どういう思惑かは軽々に判断は出来ないが、見殺しにもできない、鞍馬は更に声を上げた。

「だが狼狽えるな!そなたらを助けんと式姫が来ておる」

 北の空見よ、あれに。

 光り輝く純白の翼と銀の甲冑が、燃えるような光に包まれ、矢のように空を引き裂き闇に迫る。

 何と絵になる式姫だろう……。

 人だけでは無い、大蝙蝠もまた自らに迫る脅威を察知したか、地上への襲撃を中止し、戦乙女に対応すべく、そのまま空に舞い上がった。

 地上からは、しかとは戦乙女の姿は見えまいが、こちらに迫る光輝く姿に対応すべく、自分達の襲撃を一旦止め、そちらに向かおうとしている巨大な闇の姿は判る。

 鞍馬の目に、一部ではあるが、明らかに彼らの恐慌が収まっていく様が見える。

 これなら、ある程度は整然と撤退させられそうだ。

「今よりこの山は妖と式姫の戦場となる、人は去れい!」

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 ぎりっ。

 それが歯軋りの音だと気が付くまでに、暫しかかった。

 自分では無い……ではまさか。

 恐る恐る、榎の旦那が向けた目が、常に余裕綽々といった様子を崩す事の無かった真祖が、純粋な怒りの表情を浮かべているのを見た。

 この方の下僕になって数十年経つが、初めて見る表情。

 冷静というより、全ての感情に飽いたかのような超越者の姿しか見せなかった主が……。

 それはつまり、彼女と同格、もしくはそれに迫る存在たちの故か。

 式姫。

 何が起きているか確認したい、だが迂闊な事は口走れない、こうなれば台風と一緒だ、なるべく身を小さくして、主の怒りが収まるのを待つしかない。

(真祖様、一体何が……)

 

(式姫……どういう事)

 式姫相手であれ、むざと後れを取る闇風ではない、兵を避難させてくれているのも、真祖にしてみればむしろ好都合とも言える。 それより真祖の気にかかるのは、彼女たちの登場が狙いすましたかのような物であった事。

 式姫は基本的には人の争いには関わらない存在である、盗賊団と領主の軍の争いに介入しに来た筈はない。

 彼女が闇風を動かした、まさにその機を逃さず、式姫は出現したのだ。

 これが偶然彼女たちが近所を見回っている時に起きた、真祖にとっては不幸な偶然の産物だ、などと思えるほど、彼女はお目出度い頭はしていない。

「してやられた……という事なの?」

 彼女たちが介入する機を、手ぐすね引いて待っていた所に妖を放った、間抜けの役回り。

 それは、彼女にとっては不愉快な想像だが、領主が普段の慎重さをかなぐり捨てたかのように早い再侵攻に踏み切ったのは、式姫が介入するという確約を得ての事だったとすれば、ここまでの流れが納得できる。

 あちらの状況は何となく理解できた、では、奴らはどこまで知っている。

 結局、疑惑はそこに至る。

 あちらの状況だけ見れば、真祖の立てた筋書きとは異なったにせよ、話の流れとしては不自然な所は無い。

 領主は人に提示できるだけの確証は無いにせよ、妖怪の出現をあの庭の男と式姫に訴え、彼女らは妖怪が出現したら、その相手だけは引き受ける、という条件付きであの領主に協力した、そんな所だろう。

 そこまでなら、あの盗賊団や妖怪の話と、榎の旦那、ひいては自分に繋がる糸は無い筈。

 だが、まるで釘でも刺すかのように、式姫の庭の主が、この場所に来て、彼女に繋がる数少ない糸である唐柿の事を口にし、あまつさえ、その件に自分も一枚噛ませろと直々に申し出た事は、本当に偶然なのか。

 判らない、どこまでが偶然で、どこからが必然なのだ。

 一体、何が正解なのか。

 悩みに沈みそうになる、だが、真祖は小さく頭を振って、その思考の迷路に嵌りそうな自分を追い出した。

 こういう時は、相手の思惑を考えるより、自分が出来る事の中で、絶対必要な事だけを行い、後は最小限の動きで相手の動きをやり過ごすしかない。

 意図した形では無いが、あの山から領主の軍を追い払うという目的は、一時的にでも達成はされた。

 後は、闇風が式姫達を排除、もしくは追い払えさえしてくれれば。

 それからややあって、真祖は底冷えのする目を上げ、目の前で震えて平伏している男に目を向け、気だるげな声を発した。

「式姫が出たのよ、あの山に」

「何と……では、私めはいかが致しましょう?」

 賢しらに無駄口を挟んだり、揣摩臆測を巡らすより先に、式姫と真祖が対峙する事態では自分の判断は役に立たないと、いち早く把握した上で、躊躇わず真祖の指示を仰ぐ判断力は、この男が真祖の下僕を長い間続けてこられた一つの証明である。

 出来の良い家畜でも愛でるように、真祖は若干その眼光を和らげた。

 ふっとため息をついて、真祖は闇の中で何を見るのか虚空を睨んだ。

「こちらが勝てばよし、もし戦況不利になっても、式姫はあの山から引き剥がすようにしてみるから、『棺』の回収は手配して。 ただ、最悪の場合だけど式姫が勝利して、回収部隊が身柄を押さえられるのは危険過ぎるね」

「それは……」

 あれの回収に関しては、信用できないその辺のごろつきを雇って、という訳にはいかない、どうしてもこの家で召し使っている彼の長年の腹心達を動かさざるを得ない。

 榎の旦那の顔を見て、真祖は頷いた。

「ええ、貴方が今懸念したように、この家と盗賊団を結び付けられるのはまだ困るよね、だから、式姫が勝利しちゃった時はとにかく逃げて欲しいんだけど」

「しかし、真祖様にとって、あの棺は……」

 懸念を口にする男に、真祖は低いため息で答えた。

「最悪の中で、まだまともな方に賭ける必要がある時もあるものよ……いかに式姫でも、この国の存在なら、あの棺を館から見つけ出し、あれが何であるか、すぐに理解できるとは思えないわ」

 ならば、ほとぼりが冷めた後に、隙を見て回収する事も適う筈。

 真祖の言葉に、彼は僅かに考えを巡らすような目つきをしてから、慎重に口を開いた。

「かしこまりました、では回収部隊を準備し、早急に出立させるよう手配いたします」

 一礼して動き出そうとする男に、真祖は制止するように手を上げた。

「その人員の中に、混乱する現場の中でそれらの状況を判断できるのは居る?」

「今の所、例の法を把握しておりますのが手前と儀助だけですので、あやつが居ればとは思いますが、何でしたら私めが」

 その言葉に真祖は軽く頭を振った。

「あれなら大丈夫だと思うよ、それよりあなたはこの家に居てね」

 頭領は、あんまり本拠を動く物じゃないよね。

「畏まりました、それと、いずれに転ぶにせよこの屋敷も危のうございます、真祖様の次のお住いの準備も急がせます」

「そちらは任せる、良きように」

 その言葉に深く一礼してから、階段を昇って行く男の背を見送った真祖は小さく肩を竦めた。

 そう、その辺は人に任せて、貴方はここに居なさいな。

「ちょっとお願いする事が出来ちゃうかもしれないし……ね」

 低い呟きが、誰も聞く事無く、闇の中に沈んだ。

説明
式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。

使えそうなイラストが無かったので、暫く絵なしかもです……
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コメント
OPAMさん ありがとうございます、今回は割とあざといかなぁと思うくらい、あえて対照的なビジュアル勝負になってますので、絵として光景が浮かんだとしたら作者冥利です。(野良)
夜が近い夕空を背景にした戦闘いいですね。挿し絵が無いのは残念ですが、終盤の戦闘だけに印象的な場面が多く、読んでいて絵がいくつも浮かびました。(実際に描いてみたいと思うくらいに)凶悪な闇の蝙蝠と光り輝く純白の翼と銀の甲冑の戦乙女の対峙する場面は闇と光の対比もあって特に美しい・・・。(OPAM)
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式姫 式姫の庭 唐柿に付いた虫 鞍馬 戦乙女 真祖 

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