トランスポーター
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【 トランスポーター 】

 

 

 ――個人行商の時代は終わりを迎える!

 ――物資の大量輸送による新たな流通で、すべての都市に豊かさを!

 それが帝国貨物陸上運送部時代から変わらないの標語だった。

 そう、鉄道の貨物コンテナのプラットホームにはいつも彼らが立っていた。

 その中の一人、カート=シーリアスは軍服のような制服の上着を肩にかけ、シャツに汗が染みているのも気にしない様子で、荷役の作業をじっと見つめていた。短い黒髪に制帽をしっかりとかぶり、漆黒の双眸が荷役の男たち行動一つ一つを捉えていた。

 鉄道の貨物コンテナに運び入れる木枠の巨大なカゴ。大きな車輪を取り付けることが出来、小型のレールの上を走る。それはそのままカーゴと呼ばれ、そのカーゴに引出しの様に組み合わせられる箱をボックスと呼ばれていた。カーゴは主に大きい荷物を単独で積む。あるいはボックスをいくつも積み込む。ボックスは小型のローラーの上を転がして移動し、やがてカーゴにはめこまれる。

 貨物コンテナの中は大抵この二つで占められている。カーゴやボックスの中身、積荷の中身に関しては荷役は触れることは無い。荷札に書かれた情報以上、知る由も無ければ知ったところで意味は無い。

 赤い荷札のカーゴが貨物コンテナの前に到着するなり、カートは大声をあげた。

「それは誤着の荷物だ! 一番端に寄せといてくれ!」

 誤着、仕分けの時点で行き先が間違われ、異なる届け先に行った荷物のことだ。普通の取り扱いとは違うという意味合いが強かった。

「了解だ、若旦那!」

 荷役の中年の男が要領を得たとばかりに大きな声で返事がする。

「順調のようだな」

 荷役に指示するカートに声をかける老齢の車掌がいた。名をホワイト=オーグリーといった。

 頭髪と髭は真っ白だが、眼光は鋭く、背筋がぴんと伸びている。

 カートは振り向き、さっと敬礼をする。眉の上あたりで、帽子のツバを少し持ち上げるような、右手をかざす帝国式敬礼だ。

「旧帝国式か。私の前以外ではしない方がいいな」

 といいつつ、オーグリー・キャプテンは旧帝国式敬礼で返した。

「俺は新政府が嫌いです」

「なるほど。それは結構なことだ。私も嫌いだ。年寄りと病人は早々に引退をしろとうるさいからな」

 片目だけ視力が下がってしまったらしく、片メガネがトレードマークとなっていた。時々、片メガネをいじり、調整する。

「……目の具合はいかがですか」

「悪くは無い。良くもないがな。それより、今回も定刻通り出発できそうかな」

「はい、搬入工程は最終段階に入りました。遅れはありません」

「結構。厄介な荷物は積んだかね?」

「……先ほど」

 思わずカートは言葉を詰まらせた。

「わかりません。なぜあのような荷物が我々のところへ?」

 率直な質問が生真面目な眼差しとともにキャプテンを貫いた。

「気になるか。簡単に言ってしまえば、煙たがられている証拠だ」

 カートの肩を叩きながら、親しげな口調だった。

「目的地に届ければよし、もしも露見してしまえば社内の帝国シンパを一掃して新政府に鞍替えするつもりだろう」

「俺は帝国のシンパではないつもりです。新政府なんてもってのほかですが」

「旧帝国式の敬礼を続けることは、それだけでにとっては厄介者に見えるだろう。なにしろ帝国陸運の創設者はだからな。帝国シンパがいくらでもいる。社名は変わろうと、分社しようとを示す青服、青帽を変えようが紋章は変わらないだろう?」

 キャプテンは笑っていたが、カートは笑えなかった。

 輸送管理官の制帽の正面には帝国陸運時代から変わらない紋章が縫い付けられている。

 役割と精神は変わらないといったところだろうか。

「そんなところだろう。がある限り、いつかは赤帽に変わるだろうがな。だからといって、我々の仕事が変わることは無い」

 カートには赤帽をかぶって喜ぶ女の顔がカートの脳裏をよぎった。

 遊び半分で買ってやって、似合うなどおだてたのがそもそもまずかったのだ。

「……俺は……依頼主の荷物を、確実に届け先に運ぶことです」

「……それでいい。お前は生粋の輸送管理官だな。さて」

 搬入の作業工程は、と視線を向けなおすと、どうやら順調であるようだ。貨物コンテナには荷物が移動しないようにつっかえ棒がそこら中にさしこまれる。作業は終わりに近い。あとは荷物を動かすためのレールとローラーを片せばよいだけだ。いわば道具の後片づけで出発には支障は無い。

「若旦那! 作業終了だ」

 汗と日に焼けた中年の顔が楽しそうに報告する。

「確かに荷物は受け取った。いつも素早い作業で助かる」

「旦那の段取りがうまいんだ、俺達だって助かってる。早く終われば早く飲みに行けるしな!」

 日は傾いてきているが、まだ日暮れ前であることにカートは苦笑する。

「これ、少ないがみんなで分けてくれ」

 厚ぼったい上着のポケットから紙幣を取り出して、無造作に男に握らせる。

「こりゃどうも……へへ、たまには旦那も一緒にどうです?」

「馬鹿いえ、俺はこれから出発だよ」

 上気分の男を見送っていると、がしゃんと大きな金属音が響いてきた。鉄道の車両と車両を繋ぐ音だ。

「相変わらずだな……荷役たちに人気があるわけだ」

「俺にはこれしかありませんから」

 カートは柱に架けられた埃だらけの時計を見る。そして、上着のポケットから懐中時計を探し出し、その時計と照らし合わせた。時刻にズレはない。

 出発の時刻が迫っていた。

「途中、ベルクの駅に停車して休息を取る。故郷だろう、会える時に会っといた方がいい」

 カートの表情に影が落ちる。

「俺は輸送管理官ですから、荷物からは離れません」

 旧帝国式敬礼をしながら、答える。

「真面目だな」

 機関室から噴き出す蒸気の音が連続して聞こえるようになってくる。

 制服の上着を翻し、カートは機関室を見上げる。

「生粋の輸送管理官、か。俺がこんなだから、アイツは――」

 まるで返事をするように汽笛がこだました。

 

 

 帝都を出発して半刻。

 郊外の工場群の屋根が夕陽をまぶしく反射させている。汽笛の音に振り向く労働者たちは帽子を振っていた。彼らのつくったものが鉄道によって地方都市へ輸送される。そこからまた地方へ地方へ、中央で進んだ技術ある工業製品が浸透していくのである。それで生活水準があがるとされ、自分たちの労働は社会貢献だと満足する労働者もいた。それが鉄道を見送る労働者だ。また、その多くは農村出身の出稼ぎの貧しい男たちだった。

 たまたま車両連結部で帽子を振る労働者たちの姿が目に入り、カートは敬礼をして、彼らの見送りに応えた。もちろん、旧帝国式敬礼である。

 輸送管理官の義務だろうとカートは思う。

 労働者の姿が見えなくなって、カートは輸送管理官向けの寝台車から、たまたま隣の車両である自分の担当する三号車コンテナに飛び移る。ふきすさぶ風で車両から落ちてしまうと大事故に繋がるが、そんなことを怖がっているようではこの仕事は出来ないし、そんなことをしでかす輸送管理官はろくでなしの証拠だった。

 鍵を取り出し、コンテナの扉を開けようとして、手が止まった。

 制服の上着のボタンを全部留める。襟も直す。コンテナの扉の汚いガラス窓に覗き込み、自身の顔を映す。

 ――おかしなところはないか。

 しかし、また手が止まった。

「馬鹿馬鹿しい」

 そう自身に言い聞かせて、鍵を鍵穴に差し込む。鈍い音がして扉が開く。

 中は暑い。男たちの汗が染み付いており、やけにじめじめする。立っているだけで汗が出そうだった。

 大きなカーゴが鉄道の振動で小さく揺れる中、指示どおりに車内の端に置かれたボックスを見つける。辿り着くまでにいくつかのカーゴを自力で動かし、赤い荷札が貼ってあるボックスまで辿り着く。

 けっこうの重さのカーゴを自力だけで移動させたせいで汗が吹き出る。無意識のうちに上着の袖で汗を拭っていた。

 ――荷役時代を思い出すな。

 昔――といってもそれほど前ではないが、カートは荷役だった。その才気と真面目さを買われての出世である。夢がかなったと、そう一緒に喜んでくれた横顔を思い出す。

 ――いい加減にしろ、あいつはもう変わったんだ。

 自分自身に叱咤し、ようやく辿り着いた赤い荷札のついたボックスのフタに手を掛ける。

 フタにも鍵が掛けれているが、マスターキーで開ける。フタを開け、その中の麻袋をゆっくりと起こす。結ばれた紐を解いて、麻袋の口を広げる。

 ぶはっ!

 おおげさな呼吸音とともに豊かな青い髪が流れた。

 顔をぶるぶると震わせ、愛くるしい眼がぱっちり開かれた。

 だが、やがてカートの姿を捉えると鬼の形相に変わる。

「おっそいっ!」

 怒気を含んだ高い声が響く。

「あっついっ! もう、サイテー!」

 何も言わずカートは彼女を麻袋から出すが、彼女の口は止まらなかった。

「ホント、サイテー。汗まみれになっちゃったじゃない。なにがちょっとガマンよ、これだったら普通に……」

 カートは上着からハンカチを取り出すと、彼女の額と頬の汗を拭き取った。

 彼女は当たり前のその行為を受ける。

「待たせて悪かったな。俺の荷物に着替えが入っているはずだ、皇女様」

「全然尊敬の気持ちなんか無いくせに」

「ああ、そのとおりだ。皇室は崩壊して、今のあなたは荷物なんだからな、メリーベル嬢」

 メリーはカートの言葉を無視して、ハンカチをその手から奪い、乱暴にカートの顔を拭いた。

「私の服に汗を垂らさないでよね!」

 カートの汗を拭いた女性はこれが二人目だった。

 

 

 輸送管理官用の寝台車は個室と複室がある。個室は一人に一部屋用意されている待遇の良い部屋だ。複室は一部屋をカーテンで区切って二人で使うためのものだ。ベッドが二個あり、なおかつ二つに区切っているのだから狭い。とはいえ、旅客鉄道用の寝台車は二段ベッドが基本であるため、それを考えれば輸送管理官の寝台車は豪勢といえた。

 カートはいつも複室だが、今回ばかりは任務の特殊さもあいまって、個室が与えられた。

 機関室である先頭車両は二両目に燃料車両があるのであわせて一号車と言うが、車掌とカートの寝台車を挟んだ三号車にカートのコンテナ車両があるのも任務を円滑に遂行するためだった。寝台車は個室で、担当車両は隣。羨ましがる同僚にはたまたまだと説明するにも、あからさまな上からのひいきに見えなくもない。

 そしてさらに、厄介な荷物がある。

「水が温いわ、もっと冷たいのをちょうだい。なんなら、あっついのでもいいわ」

 体を拭くから水を寄越せ、でもその水が温くてイヤだという。

「無いものは無い。次の駅に着くまでガマンしてくれ」

 こうしてつっぱねると明らかに機嫌が悪くなる。唇を突き出して、子供の様に拗ねる。

 温い水でも使わずにいられず、タオルを濡らして体を拭いたのだろう。汗と埃にまみれていた肌が艶を取り戻し、着替えたフリル付の白いブラウスも相まって少女らしい愛らしさを誇っていた。

 香水もふったようで、さわやかな香りがカートの鼻をくすぐる。

「で、私の部屋はどこ? まさかあんたと一緒ってことはないわよね」

「俺がごめんだよ。この隣の部屋だ。誰も使ってない」

「そうねー、厄介な荷物はさっさと出て行くわ。汗臭い部屋にこれ以上いるつもりはないもの」

 鼻をつまんで、扉を叩きつけるように閉めて、部屋をうつる。

 カートはため息をついて、制服の上着を壁に掛け、業務日誌を書くために椅子を引いた。ゴトンといやな音がして、水が撒き散らされた。水桶を倒してしまったらしい。体を拭いたタオルも干すことも無く、桶に入れっぱなしでそれが絨毯の上に横たわっていた。

 カートはもう一度ため息をつく。

 柑橘系の香水の残り香がかすかに鼻をくすぐって、ますますイライラした。

 

 五号車は必ず食堂車と決まっていた。

 これは帝国陸運時代に統一されたことで今はどの鉄道会社も引き継いでいる。

 貨物コンテナの外部通路を伝わって五号車まで辿り着くと、そこはカートと同じ輸送管理官たちの溜まり場だった。食堂車といってもなんのことはない、パンと菓子と飲み物を配給する程度の休憩所だ。

 移動中の空いた時間は食堂車で雑談やカードゲームなどをして過ごすのが常で、今日もやはりカートの同僚たちはテーブルの上でくだらない話で盛り上がっていた。

 カートはそういった連中が嫌悪感をあらわにする。パンを買うだけ買って自室でかじるのがいつものことだった。

 だから、パンと、車両移動用のお茶の入った水筒であるティーボトルや携帯マグカップを持ち出しても誰も文句もなければ、違和感だと思うはずがなかった。だが、その日に限って、食堂車を取り仕切る中年の女性オーシャン=パステル、通称パステルおばさんはカートの注文にケチをつけた。

「今日はサンドイッチかい? なんだか女の子みたいじゃないか。“男は黙ってパンをかじれ”じゃなかったかい? サンドイッチは女子供の食べるもの、なんだろ」

 挟むのはやといった肉類に適当なソースをかけるのが通とされていた。いつものカートは肉類はおろか、固いパンだけをかじっている硬派で、とサンドイッチは女の食べるもの、という言葉は実際カート自身のものだった。

 それが今日に限って注文してしまったのだから、厄介な荷物のこともあって、思わずパステルを睨んでしまった。

「なんだい、怖い顔して。思い当たるフシでもあるのかい? 女の子のために、とか」

 車両移動用のバスケットにマグカップを二つ入れようとして、カートは手が止まる。

 パステルさんがふと後ろを向いた瞬間にマグカップを二つとって、バスケットにそっと入れる。

「あたしゃこれでも勘がいいんだよ」

 ウインクと一緒に紙で包まれたサンドイッチとティーボトルが渡される。

「パステルさん、なにを言ってるんだ」

「密入車って結構な罪になるんだろ?」

 今度はひそひそ声だ。

「ああ、しかも政治的な逃亡に利用した場合、かなりの重罪だ」

「新政府は旧帝国派を粛清したがってる、しかもキャプテンは旧帝国軍からの天下りだろう? 材料は揃ってるじゃないか。で、誰を匿ってるんだい?」

 好奇心丸出しの笑顔がカートに迫る。

 ――乗務員に内偵がいるかもしれない。

 帝国時代から内偵調査は盛んなのだ。それは政府が変わろうとスパイ活動は盛んだった。

「俺がそんなことするようにみえるか?」

 あくまで笑いながら立ち去ろうとするカートだが、またもや、パステルの言葉にひっかかった。

「ベルク駅で臨検あるらしいわよ」

 カートは思わず振り向いてしまった。

 軍、憲兵組織からの臨時検査、それは今カートにとってもっとも恐れていることである。誰かが密告するか、憲兵組織が事前に情報をつかんでいるかでない限り、臨検はありえない。もっとも、臨検があるという予測は出来てもキャプテンすらいつどこでという情報を知ることは不可能だ。知ってしまえば臨検という奇襲が出来なくなるので当たり前である。

 それをこのパステルおばさんは近々停車予定の駅であるらしいことを言い切った。

 痛いところを突かれただけにカートの反応も見事だった。

「ほら、やっぱり何か隠してるのね」

 おばさんはチャーミングに微笑んだ。

「……あいつがベルクの市民憲兵に勤めてる」

「ああ、彼女。元気にしてる?」

「……別れたよ」

 おばさんは驚いていた。苦しい逃げ方だった。

 

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 日はとっくに沈んでいた。延々と続く農園を薄闇が支配し、その中を突っ切る汽車は遠慮なく汽笛の音を轟かせる。

 二号寝台車の三番個室、メリーのあてがわれた部屋にふと小さな明かりが灯った。

 カートは明かりを灯して、またしても香りに気がつく。

 婦人の宿泊用に用意された芳香機を探し出したのだろう。うっすらと甘い花の香りが部屋中に広がっていた。メリーはベッドですやすやと寝息を立てていた。顔を覗きこんでみると、うっすらと涙の筋が残っていた。

 それを見て、起こそうと伸ばした手をひっこめた。カートは少しだけ悩んで窓際のテーブル席に腰をおろし、乱暴に折りたたまれた新聞を広げる。今朝から慌ただしいこともあって、目を通すのがこんな時間になってしまった。

 一面には新政府を率いる議長と名乗る男の力強い姿と演説文が載せられている。

 帝国主義の批判と革命政府の所信表明といったところだろう。カートはこの男が大嫌いだった。

 ――こいつがいなければ、あいつはあんなふうにならなかった。

 不機嫌な顔で窓を少し開け、空気を入れ替えた。

 ――いや、俺のせいか。俺が家に帰らなかったせいなのか……。

 レールを走る車輪のリズミカルな音が盛大に聞こえてくる。併せて汽笛の音がすれば、メリーはぱちりと目を覚ますのだった。

 目をこすりながら、カートの存在に気づき、顔を拭いて、カートと同じように窓際の席に座った。

「ちょっとぉ、勝手に入ってこないでくれる?」

 早々につっかかってくるメリーを相手にしようともせず、カートはバスケットの中からカップとサンドイッチの包みをメリーの前に置いた。

「朝から食べてないよな? 味はまあ、それなりだが」

 ティーボトルからお茶をカップに注ぎ、包みからサンドイッチを出してやる。

 そこには不思議そうにカートを見つめるメリーの瞳があった。

「……あ、ありがとう。気が利くのね」

 お礼をたどたどしく言って、メリーはサンドイッチにかじりついた。

 カートはその様子を見て満足し、自身のお茶をいれて、また新聞に目を通した。

 黙々と食事を続けるメリーはなにかに気づいて、ふと手が止まる。

「なんで私が食べてないって知ってるの?」

 メリーの疑問にカートは新聞を折りたたんで答えた。

「なんとなく、な。駅長や支店長は既得権益にうるさいくせにそういうところは気が利かないんだ。段取りを組むことでいっぱいいっぱいで、誰も皇女殿下のランチなんか気にしてなかった。そんなところだ」

「私、あの男好きじゃないわ」

 汚いものを吐き捨てるように言う。

「それは俺も同じだ。でも業績は立派なんだ。会社的には評価できる。人の上に立つ人間はそういうところが評価されるだろ」

「どうかしら」

「別に皮肉でもなんでもない。それと、仮にこう考えられないか? ランチすら出さない協力者って」

「彼も私のことは好きじゃなかった、しかたなくやっていたってこと?」

「ああ。新政府に告発するには度胸がないし、真面目に後ろ盾にするつもりもなるつもりもない」

「も堕ちたものねぇ……あいつら散々ご機嫌伺いに来たくせに。いざとなってもこれだもん」

 怒っているというより、言葉尻は下がり調子だった。

「時代の流れだ、悲しいか?」

「どっちかっていうと、人の心の変わりようが悲しいわね」

 物憂げな表情で窓から空を眺める。暮れるのが早く、もう漆黒である。山間に入ったらしく、民家の明かりすら見えない。釣られてカートも景色を見ていた。希望なんてどこにもないような暗さである。美しい夕日が沈み、やがて深淵の闇が来る。前者で大自然の感動を味わえるとすれば、後者は絶望か。

 ――人の心の変わりようが悲しい……

 ふと、カートの心にひっかかった。

 真っ暗な夜空に快活な少女の姿が浮かび上がる。はにかみ、可愛らしく微笑む姿が、しばらくすると鋭い視線を直立不動の姿勢で投げつけてくるようになる。そして、彼女の後ろに見える男たち……。

 移ろう人の心。

 カートは思わず新聞を強く握った。だが、メリーの言葉ですぐに我に返る。

「あなたはどうなの。私のことが嫌い? 憎い? 贅沢をしてきたなんて滅んでしまえばいいと思っている?」

「……複雑だな。なんとも言えん」

 だが、

「ただ一ついえることは、厄介な荷物だろうとなんだろうと、俺は預かった荷物は確実に目的地まで届ける。これだけは間違いは無い」

 その宣言に、メリーはカートを見返した。

 なにか、を見たような、そんな表情で。

「ふうん。真面目だね。真面目なは好きよ。あなた名前は?」

「カートだ。カート=シーリアス」

「カートね。覚えたわ。私のことはメリーって呼んで。名前で呼ぶことを許したんだから、今度荷物とか呼んだらはったおすわよ……ところで、」

 サンドイッチが一切れ残っていた。

「あんたは食べたの?」

「……俺は次の駅で食べるさ」

「次の駅ってどれくらい先?」

「もう少しだ」

「ほら、口あけて」

「おい、やめろ!」

 残った一切れを強引にカートの口につっこませる。

 しかたなく、カートはそれを噛み砕く。

「これでおあいこでしょ。同じ釜の飯を食ったって言葉どおり、私とあなたは協力者よ!」

 独りで意気込むメリーにカートは思い切りため息をついた。

 

 コンコンとノックする音が響いた。

「今行く」

 そう返事したカートはあっという顔をした。

 この部屋は誰も使っていないことになっているのだ。

 しまったと悔いても遅かった。

 扉を少し開けると、パステルがそこにいた。

「なんだ、パステルさんか、どうしたんだ?」

 大きなバスケットを肩から掛けていた。生地や刺繍からしてエプロンが入っていた。

 そして、そのバスケットの奥底から、布がかぶさったなにかを取り出してカートに突きつけた。

「手を上げて、カート。残念ながら私はスパイよ」

 ぎょっとしながらも、布切れに包まれたなにかを注視し、念のため、手を上げる。

「冗談だろ、パステルさん」

「ええ、冗談よ」

 ぱっと布切れをとってなにもないところを見せる。ふぅとカートはため息をつく。

「あなたやっぱりだめねぇ。ウソつけない性格はそういう仕事向かないわ。それで、どんなコなの? 私に協力できることってきっとあるでしょう?」

 二手先を読んだような発言にカートは顔を覆う。好奇心というのは怖い。

「わかった。パステルさんのいうことは認めよう。だけど、パステルさんがスパイじゃないって証拠が欲しい」

 無理な話だった。そんなものがあるはずがない。

「難しいこというわね。でも、食堂車にいると面白い情報聞けるのよ」

「……例えば?」

「そうねえ、ベルク駅で本当に市民憲兵の臨検があるとか」

「やっぱり本当なのか……」

「ええ、確かよ。……この耳で聞いたもの、もちろん帝都の出発前にね」

 ありそうな話だった。情報が筒抜けなのだ。この場合、どちらにも筒抜けなのだから、マヌケな話だった。

 そして、ベルクの市民憲兵――。

 “この仕事はとても重要で誇りある仕事なの、だからあなたに手伝って欲しい”

 整った唇がカートの耳元でささやいた一言。

 色仕掛けなんて縁も無かったはずの女が積極的にその手をつかってくる。

 そんな過去を思い出し、

「人の心の変わりようが悲しい、か」

 ふとメリーの言葉をつぶやく。

「どう? 少しは信用してくれたかしら? ちなみにキャプテンには承認済みよ、次のビッグウェスト駅で一人女の子を雇うからって」

 そのためのエプロンか、と納得してカートは降参した。

「入ってくれ、紹介する」

「楽しみだわ、お姫様なんでしょう? うふふ」

 きょとんと窓際に座るメリーを見て、カートは今さら彼女がロイヤルブルーだということを思い出した。

 

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 真夜中のビッグウエスト駅では燃料の補充と運転手の交代、各職員の食事として停車した。

 停車中にメリーは素早く食堂車に移った。クリーム色のエプロンをして黒髪のカツラをかぶり、三角巾をすれば年頃のお手伝いさんとしか見えなかった。

「よく決心したわねぇ、奉仕する方よ」

 いつも奉仕される側だった少女は苦笑する。

「部屋の片隅で怯えているよりはマシだわ」

「花嫁修業にはちょうどいいんじゃないかしら、お姫様」

 花婿にカートを奨めるパステルおばさんに、メリーはさすがにコメントに困った。

「余計なお世話よ、もう。わたしにだって……」

「なにか言ったかしら?」

「なんでもないわよ! で、なにすればいいの!」

 食堂車は食後のお茶をする輸送管理官の溜まり場である。だが、そこには珍しくカートの姿があった。駅で食事をして、戻ってきて以来、カートはずっと食堂車にいた。

「ほら、見て。口にはしてないけど、あなたのことが心配みたいね。カートなんて普段は食堂車に寄り付かないのに……そうだわ、練習がてらに彼にお茶を出してみて」

「はあ?」

 思わずメリーは素っ頓狂な声を出してしまった。

 端っこのソファーにじっと座っているカート。

「コーヒーでもいかが? カート」

 気味が悪いほどのとびっきりの微笑えみでカートの顔色を窺う。

「あ、ああ、もらう。悪いな」

「いえいえ、お世話になっていますからね、カート」

「ああ、そうだな――」

 毒気のこもったメリーの言葉はカートに伝わらなかったらしく、彼はずっと考え事をしているようだった。

「どうしたの?」

「考え事だ」

「見れば分かるわよ」

「ほら、他のやつが待ってるぞ」

 輸送管理官の同僚が手を上げてメリーを催促した。久しぶりの若い女の子の乗車で少しざわめき立っているようだった。

「俺、貴族の末裔でミハイルっていうんだ、キミは?」

 貴族の名家分布図が頭に叩き込まれているメリーには、彼から家の名前を聞かされても呆れるだけである。メリーはうんざりしながら微笑みを返す。

 思わずカートを見たが、彼は一向に自分の世界から出てくるつもりはないようだった。

「ねえ、パステルおばさん。私、カートになにか言ったかしら?」

「さあ? どうかしらねえ、あのコは悩みだすと誰にも相談しないからねえ。別れた彼女のことで思い出してるんじゃないかしら。次の駅のベルクってところは彼の故郷だから」

「彼女? 恋人いたの? へえ」

 なるほど、となにか腑に落ちたように納得し、メリーはそれ以来その話はおろか、ほとんど口を利かなかった。

 

 

 夜も更け、黙々と人気の無い食堂車をモップ掃除して、さすがにクタクタのメリーは椅子に腰掛けた。

「あ〜、疲れた。やっぱり営業スマイルはくたびれるわ……」

 ぐったりとテーブルに体を投げ出していた。

「お疲れ様。助かったわ。正直、私もそろそろ年ね、疲れちゃうのよ。若い子がお手伝いしてくれると本当に助かるわ。でもさすがね、一つ一つの仕草が上品で」

 お茶を差し出しながら、一気にまくしたてる。

 メリーに比べて疲れてそうにも見えなかった。

「何にも出来ないプリンセスだなんて呼ばれるのは癪なだけよ」

「そう。立派なお姫様ね。なにか食べる?」

「いい」

 なんだか馬鹿にされているようで、少しふくれっつらだった。

 お茶を飲みながら一息ついていると、やがてカートがやってきた。

「荷物はパステルさんの部屋に持ち込むか?」

 同性の相手の方が安心だろうというカートの提案だった。

「さっきの部屋じゃダメなの? どうせ今夜だけなんだからいちいち移動することもないんじゃない?」

「そうね。私の部屋は複室で同室は空いてるけど、隣の部屋は他の輸送管理官たちがいるわ。寝ているとしたら物音を立てて移動することはいろいろとよくないわよね?」

「それもそうだな」

 結局、元の部屋に戻ることにして、おやすみの挨拶をする。

 明日の朝に次の駅ベルクに到着する。束の間の休息である。

 

「ちょっと、わたしの話に付き合ってくれない?」

 髪を払いながら、少し照れたようにメリーは言った。

 自室に篭もろうとしたカートはドアノブを回す手を止めた。

「最近ね……独りで暗いところにいると……涙が止まらなくなるのよ……」

 なるほど、わかったようにカートはつぶやき、そっとメリーの頭を撫でる。

「怖いのか」

 小さく俯く。

「誰もいなくなっちゃたから、わたしの周り……」

 これが……

「これが、最後の夜かもしれないし……」

 明日に臨検があるという。それが事実で、もし捕まってしまうことになったら、身柄はどうなることか悪い方に考えてしまえば震え上がる毎日だ。メリー曰く、同じロイヤルブルーで陸軍元帥だった皇太子は日の当たらない牢獄に監禁されているという。

「生きている保証なんてないし」

「……わかった。気持ちが落ち着くまでなんでも話してくれ」

 メリーは少しだけ、嬉しそうに微笑んだ。

「私にはロイヤルガードのリュミエールという男がいつも付き添ってくれたわ。私、彼にいつも言ってたのよ、鉄道に乗って遠いところへ行ってみたいって。あいつはいつも私のわがままにつきあって、周りから怒られてた。でも、なにかあると必ず体を張って私を守ってくれるの」

「なんだ、のろけ話か」

「いいから最後まで聞きなさいよ」

「わかった。それで、そのナイトはいまどこにいるんだ?」

「さあ? ロイヤルガード制が解体されてクビになったって聞いたけど……」

 あまりにもあっさりとその後の話をする。その表情は冷たかった。

「会ってないのか?」

 こくりと頷く。

「革命軍のせいでロイヤルガード制度解体は皇族直属奴隷の解放とか言われてたけど、実際はロイヤルガードを吸収して皇族の情報を掴みたかっただけなのよ。あいつら適当な口実つけて利用してるだけ。打倒皇室だって、権力が欲しいだけの口実に過ぎないわ。それで、リュミエールはわたしについての情報提供求められたみたいなんだけど……適当に喋ればよかったのに、だんまりをきめとおして左遷よ、馬鹿でしょ」

 手振りを交えて、いかにも腹立たしいとばかりにメリーは語る。

「なるほどな……」

 少し真面目にカートは同意した。だが、俺と同じタイプだ……とは流石に口に出来なかった。

「まあ、そこが良いところでもあるんだけどね……」

「……そいつのこと、好きなのか?」

「……あえてノーコメント。認めると、つらくなるし」

 力無く笑っていた。

「そうか。俺もわからないでもない」

 少し影を落としていたメリーの表情が突然変化する。

 好奇心に満ち溢れ、目を輝かせる。

「あらー、どういう意味かしら?」

「いいだろ、俺のことなんて」

「ダメよ、私は色々話したじゃない。協力関係にあるんだから、あなたのことも知らないと」

 もっともらしいことを言い張り、つめるよ。罠だった。そのことに気づいてからでは遅かったのだ。

「いつ協力関係になった」

 カートはいつの間にか圧倒されていた。

「いいから話しなさいよ、どうせ別れた恋人のことでウジウジ悩んでいるんでしょ」

 カートは少し赤くなった。

「どこで聞いたんだ、そんなこと」

「役得よ、役得」

「まったく」

「で、どうなのよ」

「……あいつは、ローズはベルクの市民憲兵だ。俺が出張に行ってる間に、あの男に言いくるめられて革命大好き人間になっちまったんだよ……これで満足か」

「そ、そう……あの男って?」

「今議会を支配してるなんとかっていう議長だ」 

 すぐにピンと来たようだ。

「ああ、あのハゲオヤジ。叔父様たちに惨めな思いをさせてるサイテーの男ね」

「貴族出身の癖に労働者を知ったかぶりやがって、聞くたびに反吐が出るな」

「なんでも地下活動時代は強盗して活動資金つくったいうじゃない、それでよくもあんな口叩けるわね」

「そうだ。帝国の貨物輸送車に因縁つけて襲ったんだ、ふざけてやがる」

 二人は共通の敵を見つけ、散々悪口をつぶやいていた。

「あの男さえ、いなかったら……」

 変なところで気が合い、夜が更けてなおお喋りは続いた。カートの手にいつの間にか握られた酒瓶が少しなくなっていき、全部なくなる頃にはメリーはベッドの上で転がっており、カートは椅子の上でぐったりしていた。

 そして、朝になった。

 

 

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 朝もやに蒸気を混じらせ、列車はベルク駅に滑り込み、ブレーキ音をとどろかせ、停車。

 待ち構えていたように赤い制帽白いシャツ、揃いのピンバッジをつけたベルク地方市民憲兵団が列車に取り付いた。

 片メガネの度の修正をしていたキャプテンの目でも、先頭に立っていたのが女だということはわかった。

「分隊長のローズ=ホーリックスです。すべての民に代わり、我々がこの貨物を臨検させていただきます。まずは乗員をここに集めてください」

 腕を直立不動に上げる、新式の敬礼。

「言いがかりではないのかね?」

「善良な市民からの通報です。私たちはそれに応じたに過ぎません」

「お手やわらかに頼むよ」

 キャプテン=オーグリーの余裕にローズは不機嫌さをあらわにした。だが、カートの姿を見て、少女のような明るさで微笑んでいた。カートは制帽のつばを下ろして見ないようにしていた。

 ステップを降りてきたメリーはローズの姿を見て、なにやら感心していた。あれが――カートの元恋人。顔立ちは美しい。どうみてもカートより年上で、自立心が態度にあふれていた。

 だが、その後ろによって来る金髪の男の存在に思わず一段踏み外した。

 ずっこける一歩寸前で手すりにつかまるも、すぐに視線は金髪に向かった。

「ローズさん、乗員十二名このとおりです。名前を読み上げましょうか?」

 金髪の青年、独りだけ赤帽を被っていないが制服だけは変わっていた。ロイヤルガードのものではなく、ローズや彼女に従う男たちと同じ、市民憲兵のそれに。

 ローズはリュミエールの言葉にうなずき、リュミエールはキャプテンにうながした。

「ではまず、運転手アーサー=フェイム、スウェイン=ルーラー……続いて輸送管理官カート=シーリアス、ミハイル=グリーリー……食堂車配膳係オーシャン=パステル、メリー=トゥルーズ、最後に車掌ホワイト=オーグリーだ。以上十二名です。問題ありますかな」

「紹介ご苦労である。これより同志による面通しを行う。リュミエール、よろしく頼む」

 金髪の青年は気難しい顔をして、頷いた。

 一列に並んだ乗務員を端から順に顔を検分していく。

 亡命皇女の面通しには元ロイヤルガードの彼以上の適役はいなかった。普通に考えれば間違えるはずがないのである。

 キャプテンとは知己のようで、お久しぶりですなどと会話を交わしていた。

「おぬしがこんなところにいるとはな」

「左遷ですよ」

 リュミエールは笑って言う。

 次にカートの前に立った。

「英断に感謝します」

 小声でそう言っていた。

 カートはなにも言わなかった。

 緊張する他の輸送管理官の前は笑顔で通り過ぎる。

 パステルの前を通り過ぎる。

 そして、リュミエールは立ち止まった。

 列の一番端に立ち、肩を震わせていたメリーの前で。

 じっと彼女を見つめる。

 メリーは視線を逸らして俯いていた。

「どうして、震えているのですか」

 リュミエールの手がメリーの肩に触れた。

 それでも、メリーは顔を上げなかった。

「怖いのです、こういうの、初めてですから……」

「大丈夫です、落ち着いてください」

 発音が美しく、優しい声音だった。

「こういう時代ですので、毎日苦難があるかもしれません。でも、気を強く持って生きてください。私はいつだってあなたの味方です」

 馬鹿ね……声にならない言葉で返事をしながら、定型句を口にしていた。

「……ありがとう……ございます、騎士様」

「どうした、その娘になにかあるのか」

 ローズの言葉に、リュミエールは当たり前の様に宣言する。

「問題ありません。我々の存在に怯えていたので敵ではないことに気づいてもらったのです」

 その高らかな宣言に、メリーは驚き、リュミエールの背中を見つめるが、視線が帰ってくることは無かった。

「では次に積荷を調べさせてもらう」

 二号寝台車はリュミエール。三号貨物はワタシ、四号タンク、五号食堂車は……とローズはテキパキと指示を与える。

 三号貨物、つまりはカートの荷物はローズが調べる。カートはキャプテンに向かって肩をすくめてみせた。

「各乗務員は食堂車にて待機。なお、出入り口には我々の監視を置く」

 続けて、ローズは得意げに指示をする。

 

「メリー、お茶を淹れてくれないか」

「わたしを小間使いみたいに使うの、あんたが初めてよ!」

 カートの要請にむすっとしながらも、メリーはキッチンへ向かった。

 ひょっこりと食堂車に顔を出したのは、ローズだった。

 当たり前の様にカートの隣に座った。

「あんまりくっつくな。取調べ相手と癒着してどうするつもりだ」

 辟易するカートをよそに、ローズは寄り添って手帳をめくる。

「これからいくつか質問させてもらうわ」

「何でも聞いてくれ……」

「一つ目、今回のカーゴの数は」

「八だ。ボックスは十五と誤着が一つ」

 手帳の数字と見比べながら、ローズはうなずく。

「二つ目、正規乗務員以外の怪しい人物をみませんでしたか?」

 いちいち楽しそうにくすりと笑う。

「知らないな。この列車に乗っているのはすべてキャプテンの認可を受けたものしかいない」

「三つ目、今夜の帰りは何時ですかっ」

「今夜はファイナリア泊まりだ。その次の日はトゥルーズ地方経由で帝都に戻る。そこから先は未定だ」

「帝都ではありません、行政都市アーリィ・レッドです。もう皇帝の都という名はふさわしくありません」

「そうだったか。忘れてたよ」

「四つ目、自宅に戻るのは、いつになりますかぁ」

 だんだん言葉が甘くなってくる。

「……会社に聞いてくれ」

「聞いたわ。出発の時間に間に合えば、帰宅は自由だって。本部発表よ。でも、あなたの自宅はいつからか寝台車になってしまったのね」

「そうかもしれないな、それは本当に職務の質問なのか」

「当たり前でしょう」

 ローズは快活に笑った。

「それでは、最後の質問です」

 お茶を運んだメリーは黙って二人の前にカップを置いた。ローズは礼を言わず口につけて、次の言葉をひねり出そうとしていた。

「ワタシの、今の仕事、あなたに譲ったら、あなたは……帰ってきますか」

 カートはお茶を一気にあおって、立ち上がった。

「カート! あなたはワタシの仕事が気にいらないんでしょ、だからやめる。その代わり、あなたが革命の戦士として目覚めてくれるなら、わたしはそれで……」

「何度も言わせるな。俺は輸送管理官のカート=シーリアスだ。それ以上でもそれ以下でもない」

「それを宝の持ち腐れってなんでわからないの! きゃぁっ」

 怒鳴り声はすぐに悲鳴に変わった。思い切って立ち上がった際に、メリーがティーボトルのお茶を引っ掛けてしまったのだ。

「もう、どうしてくれるの!」

 制服のズボンのふともものあたりがぐっしょり濡れていた。あわててパステルが間に入り、必死に頭を下げる。

「ごめんなさい、このコまだ新入りのもので」

「ああ、さっき怯えていたコ! 手間ばっかり掛けてくれるわね!」

 怒気をはらんだ声に反するように、メリーはちょこんとしか頭を下げなかった。

 カートのことでぴりぴりしていたローズを激怒させるには充分だった。

「なによ、その目つきは。生意気。プライド高い貴族が市民を馬鹿にした目だわ。ワタシたちは市民を代表する組織なのよ。失礼しましたくらい言いなさいよ、ほら」

 引き裂くような手で、ローズがメリーの頭に触れる寸前、カートの手が伸びた。

「やめろ、大人気ない」

「やだ、このコに味方するのね。どうして? どうしてワタシの言うことを少しも聞いてくれないの。ワタシはあなたのためなら、なんでもできるのに……」

「行こう、着替えるんだろ」

「待って、このコの謝罪がまだよ」

「あとで俺が叱っておく」

「ワタシのために?」

「ああ、そうだよ」

 釣られた返事にもかかわらず、逆に機嫌をよくしたローズは部下に着替えを用意させるように言いつけて、自分も出て行った。

 そして、束の間の静けさが訪れた。

 カートは黙って椅子に座った。

「……怒ってないの?」

「いや、感謝している……」

 カートは仏頂面であった。

「素直ね……でも、そうは見えないけど?」

「追い払えたのはいい。でも解決にはならない」

「どうするつもり? まだ好きなんでしょ?」

「自分の問題を解決してからにしてはどうだ」

「……」

 メリーはだんまりをきめこむも、すぐにその表情が緊張した。

 リュミエールがやってきたからだ。すっとその場から離れ、キッチンへ向かった。

「カートさん、寝台車の検査はすべて終了しました。異常がなかったことを報告します」

「わざわざありがとう。これで安心して眠れる」

 カートは冗談めかして笑う。

 リュミエールも釣られて笑いながら、小声で続けた。

「姫様に伝えてください。香水の瓶と芳香機は置きっぱなしにするなって」

 リュミエールの発言に驚くよりもさも当然とばかりに、カートは不満を口にした。

「俺の言うことなんて聞きゃしない」

「いや、割と気にいられていますよ、カートさん。あなたが思っている以上に」

「光栄だね。こんな短期間にそんなことがわかるなんてな」

「わかりますよ。それこそ、手にとるように」

 リュミエールはそれを喜んでいるようだった。

「話はしないのか」

「自分の言葉は伝えたつもりです」

「勝手な言い分だな」

「お互い様ですよ、ローズさんに譲るつもりはないでしょう?」

「立場が違うさ」

 だが、会話を横切るように、手が伸びた。

「どうぞ、お茶です。自分勝手なお二人さん」

 メリーがお茶を注いだカップを置く。カートとリュミエールの分。

「ありがとうございます」

 リュミエールの言葉にメリーはぷいと横をむいて去っていく。

「いいのか?」

「お茶を出されるのは初めてです……感慨深いな。いつも僕が出していた」

 リュミエールはメリーに向かって笑顔で手を振っても、じっとリュミエールを見ていたメリーがまた横を向いた。

「これでいいんですよ、お互いのためにも」

 じっくりとお茶を味わうリュミエールだが、不機嫌な顔をしだしたカートを見て、一気にカップをあおった。誰が現われたのか、すぐに見当がついたようだった。

「ローズ分隊長、貨物および寝台車の検査はすべて終了し、異常はみあたりません」

「まだ調べたりないわ、どこかに隠しているかもしれない」

 部下からの報告を受けて、露骨に悔しそうな表情を見せる。

「異常が無いのなら、定時に出発したいのだが、協力してもらえないかな。我々が立ち往生しては次の列車がこの駅に辿り着けなくなる。市民のためというのなら、ルールは守ってもらいたいな」

 キャプテンが片メガネを外し、磨きながらそう言った。静かだが、その裏にこめている言葉にローズは唇を噛んで、部下に撤収を宣言する。

 キャプテンが異常ナシの書類を受領し、それを掲げ、運転手に合図をする。運転手ははりきって、汽笛をならした。出発なのだ。

 食堂車に集まった乗務員にキャプテンは告げた。

「諸君、我々はこれより旧帝国領を抜け、ファイナリア共和国ファイナリアシティへ向かい、すべての荷物の引渡しを行う。我々の無実を証明してくれたベルクの市民憲兵に敬意を表しつつ、定刻通り出発する。この町を抜ければ国境である。ご苦労であった」

 キャプテンは自ら良くないといった旧帝国式敬礼を行った。

 輸送管理官は全員で旧帝国式敬礼で続く。

 メリーも彼らにならった。

「もう、大丈夫だ」

 カートはメリーのかつらを外すと、鮮やかな青い髪があらわになった。同時に涙があふれ、不思議と涙が止まらなかった。そして、そんなメリーに最初にハンカチを渡したのは、やはりカートだった。

「なによ、出来レースじゃない……」

「そうでもないさ」

 そう言って、車両の外へ向かう。

「どこ、行くの……」

「アイサツだよ、別れのな……来るか」

「イヤよ、わたしはまだあきらめない」

 

 蒸気と汽笛が響き、列車は移動を開始した。

 もくもくとたちこめる蒸気の中、それを追いかける女の姿があった。

 あおられる風に赤い帽子とピンバッジのついたジャケットを吹き飛ばされそうになるのを必死にこらえ、一人の男の名前を叫ぶ。だが、その者は一向に姿を現さない。

 そして、車両が次々と女の目の前を通過していった。目的の人物が乗っている車両はあっという間に過ぎ去り、女は崩れ落ちた。

 だが、最後の一両の貨物列車に男の姿があった。帝国式敬礼で佇んでいた。

 女は顔を上げることなく、その姿に気づかず、傍らに立つ金髪の青年だけが帝国式敬礼で返事をした。

 

 

 

説明
鉄道貨物輸送を生業とする「輸送管理官(トランスポーター)」。
カートはその職業に誇りをもっていた。帝国政府が倒れ、世の中が
変わろうとしているとき、カートは厄介な荷物と巡りあう。
時代背景と恋人たちを描く近代ファンタジー。

http://misticblue.selfish.be/tp/tp_top.html
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コメント
華詩さん>お返事遅くなってゴメンナサイ。困難な旅になりそうです、ええ。書く方も^^;(みすてー)
色々な思いが錯綜する列車。どんな旅が彼らにまっているんでしょうか。楽しみです。(華詩)
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小説 ファンタジー 列車 亡命 皇女 ツンデレ 近代 

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