1st Anniversary, My Sweet Butler!
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土曜の朝九時、街は未だ少しのんびりとした雰囲気を纏っている。早いもので八月ももうすぐ終わる、時折吹き抜けるビル風も少しだけ涼やかになり、近付く秋の予感を孕んでいた。

とある執事喫茶の入口には【CLOSED】の札が掛かり、ドアと窓の内側のロールカーテンは未だ下りたままだ。開店前の床掃除を終えてバックヤードに戻った真吾は、今度はショウケースの拭き掃除をする為のウエスを持って戻ってくる。出勤するなり私服のままでテキパキと働く彼に、ゆかりは丁寧に水気を拭いたグラスたちを棚に仕舞いながら声を掛けた。

「そういえば真吾くん、ここでバイト始めてからもう一年経つんだね」

「え!そうでしたっけ……あ、言われてみたら去年の夏休みが終わってすぐ、とかだった気がします」

突然の言葉に最初はキョトンとしていた真吾も厨房口の横のカレンダーを見て漸く思い出したのか、ポンと手を打って此処へやって来た一年前のあの日へと思いを馳せる。突然アルバイトを持ち掛けられ快諾はしたものの、着慣れぬ衣裳とやったこともない優雅な給仕を求められる執事≠やってくれと言われたものだから、最初は酷く戸惑った。だが師匠である京や頼りになる紅丸、ゆかりやテリーにも優しくフォローしてもらって何とか一年続けてこられた。

「もうすっかり安心して任せられるよ、頼もしい執事さん」

「えっへへ……最初は本当に皆さんにご迷惑ばかり掛けてた気がするので、そう言ってもらえると有難いッス」

チームのマネージャーでありながら店の厨房で働くゆかりにも、接遇の練習に付き合って貰ったりと随分助けられた。そんな彼女に仕事を任せられると言って貰えるのは嬉しい。真吾は照れ笑いをしつつケースのガラスを丁寧に拭き上げた。

慣れない接客と給仕、幾つも失敗したし怒られたことも数知れず。それでも続けて来られたのはこのバイトが楽しいと思えるようになったからだ。KOFを見てくれているファン、そうでなくても執事として働く自分たちを気に入って通ってくれる人々、店を訪れる様々な客へ執事として接してみて、真吾は改めて自分は本当に恵まれているのだなと感じより一層精進せねばと決意する。このバイトもまた、彼にとっては貴重な『修行』の一環に違いなかった。

「おい、無駄口を叩く暇があるならどちらでもいいから此方を手伝え、メニューの差し替えが終わっていない」

不意にフロアから不機嫌な声が聞こえてきた。真吾と同様、未だ私服姿で腕まくりをして佇んでいたのは庵だ。どうやら昨日の遅番の面々が、ディナーメニューからランチメニューに差し替えておくのを忘れていたらしい。丁度ケースの掃除が終わった真吾が、元気良く手を挙げてフロアへと向かう。

「あ、おれやります!じゃあマネージャーさん」

「うん、お願い」

ゆかりは真吾からウエスを受け取ると、小さく手を振って見送る。庵の元へ向かう真吾の後ろ姿には、まるで子犬の尻尾がぶんぶんと振れているように見えて微笑ましかった。

 

今日のランチ営業のシフトは庵と真吾の二人体制だ。ティータイムからは京と紅丸が加わり、ディナーにはランチからのふたりと入れ替わりでテリーとビリーがやってきてくれる。土曜の昼時なのでランチにはもう少し人が欲しいところだったが、K'とマキシマは『野暮用』があり休みたい旨の連絡があって、他の面々も早くからは来られないというから仕方がない。何せ皆本業は格闘家だ、アルバイトを優先させるわけにもいかないし店のオーナーもその辺りは理解をしてくれていた。

ともあれ今日はふたりで第一の繁忙を乗り切って貰わねばならない、メニューの差し替えを終えて戻ってきた庵と真吾にゆかりは手短に今日のメニューや紅茶の銘柄などの説明をした。ふたりとももう慣れたもので、気になる点は確認しつつきちんと把握しているようだった。

さて、あと四十分もすれば開店だ。一度厨房へ行きシェフに諸々を確認してから戻ってきたゆかりは、ふたりきりになるや否や少々近過ぎる程の顔の距離で紅茶のラインナップを確認しているご両人へ、一体どう声を掛けたものかと一瞬戸惑いつつもわざとらしくせき払いをした。

「え〜……こほんっ!八神さ〜ん、真吾く〜ん」

「あっ、あっハイ!!何でしょう!!」

慌てて振り返った真吾と何だか恨めしそうな顔をしてゆかりに視線を投げてくる庵、何とも言えないリアクションを返されて苦笑したゆかりはフロアへと出ていき「お邪魔をするつもりはなかったんですけど」と一言添えてふたりをバックヤードへと促す。

「あとの準備は私がやりますから、どうぞ控室で支度してきてください。真吾くんもお掃除ありがとうね」

「あ……い、いえ!それじゃあお願いしますっ」

ぺこりとお辞儀をした真吾は、ちらりと庵の表情を窺う。庵は溜息を吐いたと思うと、いきなり真吾の手を取ってそのままバックヤードへと引っ張っていってしまった。あの庵があんなに子供っぽい仕草をするなんて、とゆかりは目を丸くした後これはちょっと珍しいものを見たぞ、ほくそ笑むのだった。

 

***

 

ぱたん、と控室のドアが閉まれば今度こそ本当にふたりきりだ。真吾はフロアからずっと自分の手首を掴んだままでいる庵に目配せをすると、その手はゆっくりと離れていく。少々強引だったかと心配する素振りをみせ指先で手首に触れてきた庵に、真吾は首を振って「大丈夫です」と告げた。

そのまま奥に据え付けられた衣裳棚を開けてハンガーラックから各々の執事服を取り出すと、ひとかどの格闘家兼ベーシストと駆け出しの格闘家兼高校生から華麗なる執事に変身≠始める。最初は着るのにもあれこれと気を遣った執事衣裳だが今では制服を着るのと同じくらい自然に着ることが出来るようになったように思う。シャツのボタンを留めながら、真吾は背後で同じように着替えを進める庵へ話し掛けた。

「でも、珍しいッスね八神さんがこんなに早く来るの」

「別に、気が向いただけだ」

ぶっきらぼうな答えではあったが、その奥には温かなものが流れていることを真吾は知っている。

真吾がこのバイトを続けている理由はもう一つあって、それがこの八神庵の存在だった。知っているのはあの道場に出入りする人間くらいで公にこそしていないが、何せふたりは互いを好き合った上で交際しているのだ。ふたりで一緒に働けて、庵の眩いばかりの執事姿を間近で見られるこのアルバイトはいつしか真吾にとって特別なことのひとつになっていた。先にこの執事喫茶で働いていた庵も、面倒で煩わしいことばかりだと思っていた矢先に真吾がやってきたので、テーブルを回ってはくるくると表情を変える落ち着きの無い彼を眺めていられるのならば悪くはないと思うようになっていた。

「おい」

「はい、何でしょう?」

ベストのボタンを留めてシャツの袖を整えたところで、一足先に支度を終えていた庵が姿見の前から真吾を呼び付ける。素直に応じて振り返り、誘う視線に促されるまま庵の傍まで行くと、庵は何をするでもなく真吾の手を取って弄び始めた。白手袋のさらさらとした手触りがくすぐったいのか、小さく肩が跳ねる真吾を笑った庵は、何の気無しに先刻彼がゆかりと話したのと同じことを呟く。

「一年経ったのか」

「はい、そうみたいです。色々覚えながらで必死だったので……あっという間って感じですねぇ」

空いている片手で恥ずかしそうに頬を掻いて答える真吾は、続け様に目の前の愛しい人へも謝辞を述べる。

「八神さんにもたくさん助けてもらったし、感謝してます、これからもよろしくお願いします!」

素朴な礼と共に齎された花の咲くような笑顔に、庵は一瞬胸が詰まるような感覚に陥る。よもや自分にこんなにも屈託の無い笑顔をくれる人間が他に居るだろうか、自分は矢張り幸せな人間なのだろうと自惚れて、庵はその幸せへのささやかな返礼をすべく何処からか小さな箱を取り出して真吾に差し出した。

「受け取れ」

「え?」

「いいから、受け取らないか」

「あ、はいっ」

キョトンとする真吾を急かすように箱を揺らすと、彼は慌ててそれを受け取りまんじりと見つめている。見つめた後でこれは一体、と言いたげに庵を見るものだから、庵は少々呆れて箱を指先で示してやった。

「開けてみろ」

言われるがままにベルベットの手触りの滑らかな小箱を開ければ、中には深い藍色の布に包まれた銀色の懐中時計が鎮座していた。わあ、と思わず零れた吐息の後で恐る恐る手に取ってしげしげと眺め、美しい紋様が細工された蓋を開ければ時刻もぴったり合っている。小さく聞こえる針の音が心地良い、暫く惚けたように掌の上で時計を眺めていた真吾だったが、はたと我に返って庵の方に向き直った。

「すげえ綺麗……えっ、えっまさかコレ、おれに!?」

「他に誰が居るんだ」

驚きを隠せずおろおろと時計を持て余す真吾に、呆れつつも愛しさを抑えられない笑みが浮かぶ。庵は戸惑う真吾の掌に自らの手を重ねぎゅっと時計を握らせたら、頬に触れそうな唇でもって甘く囁いた。

「一年、それなりにやって見せた褒美だ」

「あ、ありがとうございます!!すっげー、嬉しいッス……」

じんわりと噛み締めるように礼を述べて、掌の中の時計を胸元で握り締める。まさか庵まで自分が働き始めた日のことを覚えていてくれただなんて思わず、真吾は手の中で時計が温かくなっていくのを感じて吐息する。一年の時を執事として一緒に過ごしたことを記念して時を刻むものを贈ってくれるだなんて、彼らしくて洒落ているなと胸がときめいた。そういえば今日、いつもなら開店ギリギリにやってくる庵がやたらと早く店に来ていたのはこれが理由だったのだろうか。ドキドキと鼓動が高鳴るに任せて、真吾は庵に問うてみた。

「もしかしてですけど、おれにこれを渡すために、今日こんなに早く……?」

「喧しい」

そうは言いつつも顔は少し照れくさそうにそっぽを向いているから、きっと当たっているのだろうと勝手に思い込むことにする。真吾は改めて銀色の時計を眺め、今度は解りやすく浮かれながらそれをかざしてくるりと回ってみせたりなんかして彼らしく喜びを全身で表現して見せた。

「紅茶の蒸らし時間とかこれで見たらカッコいいッスよね〜、へへっ、大切にします!」

いつだって素直に感情を表現してくれる真吾は、庵にとって愛しさと共に目が眩むような光ですらあった。そんな光に触れてもいいのかと躊躇したこともある、けれど結局はこうして絆されてしまったのだから仕方が無い。意を決して光に触れたなら、それは離れ難い程温かく心地良いものだったのだ。

庵はポケットから折り畳まれた何かを取り出す。ポケットチーフにしては小さなそれを真吾の前に差し出すと、真吾は時計を手にしたままで庵の手を覗き込んできた。空色の生地に青い糸で細やかな刺繍もしてあるそれは、どうやらリボンタイのようだ。庵は手慰みに弄るみたいにしてそれを広げると、真吾の首へ捕まえるが如くくるりと引っ掛けた。

「知り合いの店で仕立てた、今使っているものは随分草臥れてきただろう」

「これも、おれにくれるんスか?」

「解っているなら、いちいち聞くんじゃあない」

洒落た恋人は次々に思いもよらない贈り物を寄越すから、真吾は喜びつつも少し困ってしまった。彼が自分を大切に想ってくれていることはそれは勿論嬉しいことだ。しかしこんなに貰うばかりでいいのだろうか、自分は彼に何かしてあげたことがあるだろうか。真吾は暫し視線を落として黙り込む。すると庵は妙なところで生真面目な真吾を笑いながら項垂れる頭を優しく撫でてやる。

今は対等である必要は無い。彼がいつか此方に肩を並べられるくらいに成長したなら、その時何かを思い切り強請ってやろうと思っているのだからしたたかなのは此方だと庵は思う。実のところ八割くらいは愛しい彼をただただ甘やかしたいだけということは、心の奥底へ秘密事として仕舞っておくとして。

姿見の前に真吾を立たせた庵は、後ろから手を回して彼の首へと空色のタイを結んでやる。

「重荷に思うなら、これは貴様を縛り付けておく縄だとでも思え」

「そんな……」

「それが嫌なら、素直に浮かれておけばいい。元より、貴様に喜んで欲しくて贈ったんだ」

糊の効いたシャツの襟をくるりと通して、白手袋の指先が滑らかに動く。自分の首に彼の指先が絡んでいるようで妙な緊張を覚えるが、真吾はそれにすらときめきを覚える程度には彼のことが好きだった。耳や頬に庵の長い前髪が触れてくすぐったい。こうして身体を預けてしまえる程、今では互いを信頼しているのだとも思えて、真吾の唇からは震える吐息が漏れていた。

タイは綺麗に結ばれて、白いシャツとライトグレーのベストに彩りを添えた。燕尾服を羽織ればまた更に華やかになるだろう。真吾は結び目を愛おしそうに撫でて目を細めては、振り返って庵を見つめて笑顔をくれる。その頬は季節外れの桜色に染まっていた。

「ありがとうございます……嬉しいですっ」

「何よりだ」

結んだリボンの端を指先で持ち、傅くように膝を落として口づけを落とす。一体何のまじないかと問い掛ける前に、庵は真吾の唇にもそっと触れる口づけを寄越した。温かく優しい口づけは、ふたりのこころをより近付けてくれる。

「時計も、タイも、どっちも一生大切にします!へへっ」

ロッカーに戻った真吾はいそいそと燕尾服を羽織ってまた姿見の前までやってくる。胸元に飾られた彼の師と揃いのラペルピンだけがいつも癪に障るのだが、これもまた彼のひたむきさの一部と思えば許してしまう。とことんまで恋人に甘いのは自覚済みだ、庵は袖や背の皺などを整えてやると仕上げとばかりに真吾の頬にキスをする。真吾もお返しに庵の頬にキスをくれた。顔を見合わせれば、互いに愛しい恋人の何とも照れくさそうな顔がある。無意識に手を取り合っていたらしくて、白手袋同士が擦れ合う音がしていたから真吾はそれが何だか可笑しくてくすくすと笑った。

ふと壁の時計をみるとあっという間に開店十分前だ。身支度に時間を割き過ぎではないかとも思うが、ゆかりが何も言ってこないことを思えば、もしかしたら色々と気を回されていたのかもしれない。少し気まずいが有難いことだ、庵は真吾の背を軽く叩いて促す。

「……行くか」

「はいっ!きっと忙しいですけど、頑張りましょうね!!」

ドアの前で一度立ち止まりまた軽く触れ合うキスをしてから、仲睦まじいふたりの執事はフロアへ出ていく。心臓に近いジャケットの内ポケットで鼓動と共に時を刻む銀時計と、首に恭しく飾られ口づけで誓い立てたリボンは、まっすぐな執事を凛々しく奮い立たせてくれるようだった。

 

開店と同時に、何時の間にかずらりと並んでいた客が順番に入ってくる。

ブルーシルバーの燕尾服を纏った子犬のような執事と、ダークグレーの燕尾服を翻す深紅の髪の艶やかな執事。ふたりが並び立って出迎えると黄色い声がきゃあ、と上がった。

「お帰りなさいませ、お嬢様」

「お席までご案内します!どうぞこちらへ!」

ふたりの執事の秘密が作った甘いひと時は、フロアの雰囲気までどこか甘くしてしまう。今日も大変繁盛しそうだと、ゆかりは厨房から微笑みながらその働きぶりを見つめていた。

説明
G庵真、執事真吾が8/27で実装1周年なので書きました。八神さんが大甘のイチャラブです。
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