唐柿に付いた虫 40
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 右腕に一瞬だが急な重みが掛かる。

「ごめんね、貴女の望みを邪魔しちゃって」

 よろけそうになった男の体が、心地よい柔らかさに支えられた。

 自分の心臓を貫く筈の刃が、自分を支えてくれた人が差し出した、華奢な手に止められていた。

「でも、この人は死なせない」

 その声。

 眼前の敵の声と全く同じ響きのそれが、すぐ傍らから聞こえ、男は慌てて視線を向けた。

「お前は?!」

 そこに在り得ない顔を見出し、男は慌てて飛び退ろうとした。

 だが、大地を蹴ろうとした足に常の半分も力が入らない。

 僅かな距離を飛び、着地しようとした足が萎え、男は地に膝を付いた。

 何だ、これは。

 あの怪我で血を流し過ぎた故の貧血か……だがそれにしてもこれは。

 それだけではない、あの敵に対応するべく集中させていた力がごっそり無くなっている。

 なんだ……これは一体。

 冷や汗を拭いながら、何とか顔を上げ、男は驚愕に息を飲んだ。

 同じ姿、同じ顔。

 双子と見まごう二人が対峙していた。

「ごめんねー、お兄さん、悪いなーとは思ったけど、勝手に力と血を貰っちゃったよー」

 右の掌を鋭利な刃に貫かれているというのに、その声には何の揺らぎも無く。

「俺の力と血だと、まさか……その声は?」

 その声の大きさや響きは体躯の大きさのせいか随分異なる、だがその声音や抑揚には確かに覚えがあった、だが、まさか、そんな。

 最前まで、縁側で杯を交わしていた。

 さっきまで、俺の手の中に居た……そして今は居ない。

「白まんじゅう」

 お前……なのか?

 男の言葉に、彼女はふふっと小さく笑った。

 そっか……判るんだ。

 何か、嬉しいな。

「そう、私は貴方の呑み友達の白まんじゅうだよー」

 普通なら信じられないその言葉、だが男は自分の心にそれがすとんと落ちるのを感じていた。

 俺は先に聞いていた白まんじゅうの声音を覚えていたからこそ、榎の旦那を引き連れて侵入してきた彼女の声を聞いた時、どこか聞き覚えがあると感じたのか。

 とはいえ、眼前の女神の如き美女と、唐柿にへばりついていた白まんじゅうの姿を同じ存在というのは、やはり俄かには信じられないという思いもある。

(確かに、ただの饅頭じゃねぇとは思っていたが、まさかこれ程の大物とは)

 

「……真祖……様」

 

 小さな、掠れたような声に、二人の顔がそちらに向く。

 多少の感情の揺らぎは見せもしたが、確かな自信と力に満ちていた、圧倒的な存在として彼の前に立った、あの女帝の声では無い。

 まるでそう、寄る辺を喪った、怯える子供のような声。

 手の震えが押さえられないのか、カタカタと握った剣が揺れ、その度に、刺し貫かれた手から血が流れる。

 深い緑の目が、静かに目の前の彼女を見つめた。

 責めるでも無い、だが、赦しを与えるでも無い。

 ただ、彼女の答えを待っていた。

 手にした剣を引くのか、それとも私を貫くのか。

 主従では無い、意志ある対等の存在として、その答えを。

「貴女は、どうしたいの?」

「私は……」

 

「真祖様!」

 

 その時、大声が上がった。

 物陰から飛び出して来た、榎の旦那が上げた声。

 その声の真っ直ぐな様子に、男は少し驚いた。

 計算高い強かな商人の声では無い、ただ信じた者の為に、思いの全てを乗せて上げられた声。

「あんたは……」

 そんな声で、他人を呼ぶ事ができる人だったのか。

 ただの俗物では無いとは思っていたが、これは……。

 

 

「違う……私は」

 あのお方がそこに居るというのに、その名で私を呼ぶな。

 偽物の私が、今更、その名を名乗る事なんて。

「貴女は真祖様です」

 違うのよ。

 私は、ただ、あの方に取って代わろうとした……愚かな。

「違いませぬ」

 貴女様は、そう、望み続けたのでしょう?

 そこに手が届きかけているのでしょう?

 私などが想像も付かぬほどの年月、貴女様はその何かを追い求め生きて来た。

 もう少しではありませぬか。

 貴女様がどうありたいのか、何になりたいのか。

 それだけが。

「真祖様」

 

 ああ。

 

 何という罪深い言葉を軽率に吐き散らす。

 人とは、何と傲慢な。

 あのお方に逆らう事の恐怖と愚かさすら知らぬ。

 知らぬが故の蛮勇、小児の戯言。

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 細剣が引かれる。

「真祖様……」

 主が剣を引いた姿を見て、榎の旦那が悲痛な声を上げる。

 血が滴る細剣が、鞘に納まる。

 どれ程の相手かは知らないが……今ここで、諦めてしまうのですか。

 剣が抜けると同時に、真祖の手のひらの傷が瞬時に塞がる。

 彼女はその手に残った血を軽く振って落としながら、眼前の顔をまじまじと見やった。

「私の顔ってー、そういう顔なの?」

「左様でございますね、私の記憶を元に忠実に再現致しました」

 ふーん、と言いながら、自分と同じ顔をしげしげと眺めてから、男の方に顔を向けた。

「どう、お兄さん、似てるー?」

「そうだな、目の色が違う以外は見分けが付かん」

 なるほどー、と言いながら、真祖はけらけらと笑った。

「私達って鏡や水に映らないから、自分の顔なんて肖像画描かせる位しか知る由も無かったけど……なんか面白いねー」

「真祖様が面白がって下さるなら、私の道化た振舞も多少は報われます」

 そう寂しそうに笑う顔を見て、真祖は緑の目を僅かに伏せた。

「……私は、貴女の顔を見たかったんだけどな」

「私の元の顔はもう、どうにもなりません」

 変化の術を重ねに重ね、それを固着させてきた、既に自分の意思でも解く事は不可能。

 私の立場同様……もう、戻れない。

「そっか、可愛かったのに勿体ない、ドラちゃんも残念がるんじゃないかな」

「身に余るお言葉です」

「とはいえ、それも貴女が選んだ事……か」

「はい」

 二人が笑みを交わす。

 王と反逆者。

 その間にどれ程の感情のやり取りがあるのか、第三者たる男には理解の及ばない物。

 だが、男の目には、不思議な程に二人の間に怒りも憎悪も何も見えない……ただ、本当に仲睦まじい姉妹が常の会話を交わしているだけのように、それは穏やかな物で。

 深緑の瞳と、真紅の魔眼が見つめ合う。

 長い、長い時間を共にしてきた。

 貴女様の眷属となり、あの城で重用され、私は身に過ぎた、とても幸せな時間を過ごす事ができました。

 あの時間が幸せ過ぎたから、私は狂ってしまったのかもしれません。

 不思議な程に、今、自分の心が穏やかに澄んでいくのを感じる。

 あの日、棺、宝冠、宝剣、そして時の果てへの鍵を奪い、あの城を逃亡した時から、ずっと心が休まる事は無かった。

 力を回復する事が出来ぬまま、私を追い、最も彼女たちの力の源たる地より懸絶した、荒海に囲まれたこの日の本の地に至った貴女様を、首尾よく封じたあの日も、濁りきった、自分の行く末が見えない不安しか無かった。

 それが今……この絶望的な状況下にあって、不思議と晴れた。

「それにしても、式姫の庭の主の血と力をその血肉と替え、それだけのお力を瞬時に回復されるとは流石でございますね」

「私の力というよりー、お兄さんの血が持ってる力がものすごかったって事だけどねー」

 この人に生きていてほしい、そう願った時、彼女は、覚えずあの血を口にしていた。

 飲んではいけないと思っては居たのだが……緊急の事ではあるにせよ、それは仕方ない事だったのだろうか。

「なるほど、あの可愛らしい御霊の容れ物は、『あの土』より生成なさったのでございますか?」

「ええ」

「成程……その術は見事極まる物ではございますが」

 言葉を切り、上げた真紅の魔眼に光が凝る。

「貴女様の魂と、式姫の庭の力を納める器としては」

 あの強大無比な魔神の体とは、比較にもならぬ、所詮は間に合わせの器。

「お姿は取り戻されたとしても、少々心もとない……」

「そうだねー」

 穏やかな微笑みを交わしていた、その二人の間に火花が散った。

 次いで高い音が響く。

 男には何が起きたか、一瞬判らなかった。

 繰り出された細剣と、刃の如く長く伸びた爪が絡み合う。

「……諦めきれませぬ」

 私はやはり、貴女様その物になりたい。

 いや、違う。

 そもそもの始まりは憧れだった、だが、私には今、貴女様その物にならねばならぬ理由がある。

 貴女様に成り代わりたいというそれが、憧れだの、夢想の段階だったなら、私はまだ諦められた。

 夢破れた時、貴女様の手でこの身を滅ぼされても良かった。

 だけど……今は退けない。

 噛み合せた剣と爪が絡んだ所を支点として、二人の剣技が変幻に舞う。

 複雑に手首を返しつつ、細身の剣と刃の如き爪が相手の体を狙って繰り出される、体の位置を変え、空いた手足が隙あらば相手を捉えようと牽制の動きを見せる。

 身をすり合わせる程のつばぜり合いが続いた後、僅かに間合いを離したと見るや、瞬息の間もなく踏み込みからの刺突が互いの体を掠める。

 男が力の入らぬ足で後退り、縁側の柱にもたれかかりながら、二人の戦いを見やる。

 殆ど目で捉えられないが、大きく、どう体が動き、何をしているかはおぼろげながら判る。

 刀の戦いとは違う、武器が違えば、体術も間合いも微妙に異なる。

(これが吸血姫が使う剣技の、達人同士の戦いか)

 甲高い音が、この虚ろな空間に響く。

 暫しの打ち合いの後、僅かに広く二人が距離を取る。

「随分実戦で磨いたみたいねー」

「恐縮です」

 真祖が上げた手の先に延びていた爪の一つが、半ばから折れていた。

 それを眼前に翳しながら、真祖がため息を漏らす。

「ねぇ……真祖が二人居ちゃおかしいのかな?」

「……はい」

 そう言いながら、ひたりとこちらに向けた目を見て、真祖は小さく微笑んだ。

 その目から完全に迷いが消えていた。

 不安げに揺れていた、最前までの、私の手元からはぐれた子の目では無い。

 明確な意思の下、自身の生を選択した一個の存在。

 貴女は、今、ちゃんと答えを出したんだね。

 その答えを抱いたからこそ、私の前に、対等の相手として、ちゃんと立てた。

 愛しき我が眷属よ。

「そっか」

 すっと構えた手刀の先で、折れていた爪が瞬時に再生する。

「それじゃ、私を倒すしかないね」

説明
式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。
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コメント
OPAMさん ありがとうございます、式姫や真祖たちのような超越者と人の関わりが、両者にどう変化をもたらすか、というのも大きな作品のテーマではありますので、その辺が出ていたら嬉しいですね。(野良)
交わす言葉や立ち居振る舞いは穏やかなのに戦いでは凄まじい剣技をふるう不死者同士の達観したような諦観しているような態度、それに対して激しい感情を見せた榎の旦那。人間と無限の時間を生きてきた者の対比がそれぞれの存在を際立たせていて見事です。(OPAM)
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式姫 式姫の庭 唐柿に付いた虫 真祖 

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