五音堕天使との関連付け
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た‐サタン

ち‐ルシファー

つ‐カマエル

て‐ラグエル

と‐マラク・ターウース

 

サタンとルシファーが絡(から)み合って、立(たち)に成る。立つとは、崇高(すうこう)な目的の為にあえて、体を使って、意志を示すという意味合いである。クニノトコタチノカミ等、立を使う神もいるのだから、その崇高さゆえに、言葉とは何と、素晴らしいものなのか。という事を再認識させられる。

サタンはルシファーと同じくされる為に、立とは、一体の者が神の様に立ち上がる事を表している。

 

カマエルとラグエルが絡み合って、つてに成る。つてとは、人の収益に繋(つな)がる繋がりの事であり、カマエルという「神を見る者」、ラグエルという「神の友人」、それの何となれなれしい事か?神に対して、親近感でも覚えているかの様な、その振(ふ)る舞(ま)い。たまらなく怖気(おぞけ)がする。

何と言う悪。何と言うミスマッチか?

神はお前等を友人とはされない。神はそう簡単に見られる方ではない。ハニエルもそうだが、全くもって神に近しい者は、七大天使の一人にでもされなければ、神を見る事等、到底(とうてい)出来はしないだろう。

つてとは、そんな振る舞いの様であり、あたかも、仲がいい。神に対してのつてであると言えるだろう。

そんな神はつて以外で、動かれる事はないだろう。神こそ、つてによって、動かれる方であるから。

神に信頼を置かれる者にこそ、その者のつてを頼るべきだろう。例えば、大本教、例えば、「日月神示(ひふみふで)」。この様なつては過去になかった事であり、今から始まる三千世界の大洗濯も過去になかった事と言われている。

すなわち、つては伝わりながらも、幻想に左右されず、まさしく、神のつてがつてとして、ラグエルの様な偽聖者。カマエルの様な偽証人。それらを排除(はいじょ)しつつ、つてを求めるのが常道(じょうどう)というものだろう。

 

マラク・ターウースは、ヤズィーディー教、ゾロアスター教の分派とされる教えの地上の支配者とされる天使である。

戸すなわち、開け閉めする扉は、まさしく、空間を支配する存在と言えよう。和式の戸は扉の事なので、戸を支配する空気の雰囲気(ふんいき)をマラク・ターウース、翼を持つ空気の支配者と呼べよう。

現実的には、マラク・ターウースは地上の支配者等ではないが、言霊(ことたま)的に、戸と重ね合わせる事が出来る。

立、つて、戸と三つの単語が合わさり、立が最初の支配者として空気を支配している。その次につてという神への切符(きっぷ)も空気を支配していると言えよう。最終的には、戸が空気の支配者の頂点と言えよう。

すなわち、マラク・ターウースとされるサタン、サタンは地上を任せられていると自称している。すなわち、俗世を支配する天使として、マラク・ターウースと同一視されるのである。

しかしながら、場を動かすという意味で、サタンもルシファーもカマエルもラグエルもマラク・ターウースも善性を取り出す事が出来た。サタンやルシファーが善性が少なく、カマエルやラグエルには割りとあった。マラク・ターウースは空気の支配者、孔雀天使であり、孔雀の模様を目としても顔としても視る事が出来る為、多数の人間がいる場の支配者として最大限、戸にて、場を支配する言霊として、善性があったのだ。

サタンやルシファーに善性は少なく、カマエルやラグエルには少々、マラク・ターウースには多量にあった。

という様に、サタンと同一視されるにせよ。一応は天使なのだから、使われる者なのである。天使を疑似的に使う事が出来ないものはしもべに対しても、手慣れた様子で接する事が出来ない。すなわち、奴隷制はないにせよ、下の者に向かってあれこれ指示出来ない者は主人たる風格を持ち合わせず、いつまで経っても、下の者のままである。

ガブリエルは上という言霊を持ち合わせるが、上に上がる為には、天使を使わなくてはならない。もちろん、直接使う訳ではなく、言霊として使う方法としてだが。

説明
堕天使もまた、美しいものだろう。言霊(ことたま)に表せる程である。
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聖書 クルアーン  天使 

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