結城友奈は勇者である〜冴えない大学生の話〜番外編4
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番外編〜開かれた世界〜前編

 

 

 

世の中には不吉の前触れと呼ばれるものがいくつもある。

自分の身に起こったことを例に挙げると、今朝の目覚めが妙に悪かったこともそうと言えるし、出がけに新調したばかりの靴の紐がいきなりブチっと切れたのもそう言える。

昼時に公園のベンチで軽食を食べていた時に、いきなり近くに飛んできたカラスに睨まれたことも、カラスを追い払った後すぐ目の前を黒猫が横切ったこともそう言えるだろう。

猫好きな俺としては黒猫は別に不吉とは思わないけど、世間一般ではそれも不吉の前触れの一つとされている。

 

そんな不吉な前触れが一日に何度も身に起こったとなれば、いったい俺にはこれからどんな最悪な出来事が待ち受けているのだろうか。

田舎の年寄りほど迷信深くない俺は、寄ってきた黒猫を撫で繰り回しながら軽い気持ちでそんなことを考えていた。

だけどそう、それは……きっとこのことだったんだ。

 

 

 

 

 

午後、外回りから帰ってきた俺は、いつものように自分のデスクで書類と格闘していた。

そろそろ4時を過ぎる頃合い。

今のペースなら今日は定時上がりできそうかと、そんなことを考えていた矢先の事。

 

「うぉっ!?」

 

突如として、大きな地震が起こった。

 

「くっ! みんな、デスクの下に入って待機!」

 

部長の一声で、部署の全員は一斉に自分のデスクの下に隠れた。

うちの会社でも避難訓練は何度かやってたし、これまでにも大きな地震はあったから、皆もすでに慣れた動きだ。

しかし。

 

「お、おいおい。今回の揺れ、結構デカくないか?」

 

今回の地震は規模が違ったようだ。

それこそ俺が大学生の時や、去年に起きた災害時に匹敵する、いやもしかしたらそれ以上にすら感じられる規模だった。

そのどちらも大きな地震に続き、どこかで何らかの自然災害が起こり、県内外で大パニックになったものだ。

 

「(また、あの時みたいなことになるのかよ)」

 

そう思っていると、揺れはゆっくりと収まっていった。

 

「……収まった、のか?」

 

余震が危惧されるが、とりあえず一難は去ったとみていいのだろうか。

恐る恐るデスクの下から顔を出す。

 

「お、おい、なんだあれ!?」

 

すると、どこからか慌てたような声が上がった。

起き上がって顔を向けると、窓際に席のある部長が外を見ているのに気づいた。

それにつられて周りの同僚たちも、一体何があったのかと窓際に寄っていく。

俺もそれに倣う。

 

「先輩、どうかしたんですか? あの地震ですし、なんか事故でも?」

 

先に来ていたらしい、外を見ていた先輩に声をかけてみる。

しかし先輩は俺の方に目を向けることはなく、ただ外をじっと見つめていた。

 

「……事故? ……いや、そんな生易しいもんじゃない……はは、俺は、夢でも見てんのか?」

 

「はい?」

 

まるで信じられないものを見たように、乾いた笑いを漏らしながら、震える声で言葉を吐き出す先輩に首を傾げる。

あれだけの大地震だし、どこぞで脆い建物が崩れでもしたのだろうか。

 

「……いいから、桐生も外を見てみろ」

 

「は、はぁ」

 

そう言われ、少し人だかりになって見にくい中、その隙間から何とか外に目を向ける。

 

「……は?」

 

一瞬、自分の目が信じられなくなった。

目をこすり再度見直すが、そこに映っていたものに変わりはない。

 

「こ、これって……」

 

「世界の終わりなんてのがあるなら、これがそうなのか? もう、どうリアクションしたらいいかわかんねぇな」

 

「……世界の終わり、かぁ」

 

後ろから聞こえてくる先輩の言葉に、確かにそうかもしれないと思った。

そろそろ薄暗くなってくる時間とはいえ、外はいつにも増して薄暗い。

しかもただ薄暗いのではなく異様におどろおどろしく、恐怖心を掻き立てられるように感じられる暗さ。

そして建物の陰になって見えないが、神樹様の壁があるだろう方向に見慣れないものがあった。

それはまるで燃えているかのように赤黒く、とてつもなく巨大な物体。

それがゆっくりと、こちらに迫ってきているのが見えた。

 

「と、とにかく非常事態だ! 皆、急いで避難を!」

 

周りが慌てる中、部長が急いで皆に指示を出す。

しかし本当の意味で極限の状況下の時、人とは冷静な判断が中々できないものらしい。

 

「避難って、いったいどこへ!?」

 

「ち、近くの公園だっけ? 緊急避難場所って」

 

「落ち着け! 避難訓練を思い出すんだ!」

 

誰もがパニックになり、部長が指示を出してもその通りに動くことができなかった。

そんな中で一人、周りとは違う動きを見せた人がいた。

 

「……家族が心配だ、俺は家に帰るぞ!」

 

そう言うと、その人は一目散に部屋から飛び出していった。

確か、部署でも古参の人だっただろうか。

温厚でいつも朗らかな笑顔を浮かべてるような人だったが、そんな人が今までに見たことがないくらい焦った表情で出ていってしまった。

その事で一瞬、場が静まりかえる。

だけどそれも長くは続かなかった。

 

「……お、俺も!」

 

「私も! まだ小さい娘が家にいるの!」

 

「俺も帰るぞ!」

 

「お、おい、お前ら!?」

 

最初の一人を皮切りに一人、また一人と部長が止めるのも聞かずに部屋から走り去っていった。

他の部署でも似たような事が起こってるのか、通路の方では結構な騒ぎが聞こえてくる。

開け放たれたドアの向こうでは、ちょっとした人の波が見えた。

 

「……ちっくしょう、皆勝手しやがって!」

 

そしてついには、何とか場を収めようとしていた部長まで部屋から出て行ってしまった。

少しして周りが静かになった時、そこに残っていたのは俺と先輩の二人だけだった。

 

「……お前はどうするんだ? 桐生」

 

「……そう、ですねぇ」

 

先輩の問いかけに少し考える。

 

「一応、緊急避難場所にでも行ってみます?」

 

「まぁ、普通ならそれが正しいんだろうけど……あの様子じゃあ、誰も行ってなさそうだなぁ」

 

「ですよねぇ。皆、帰っちゃったっぽいですし」

 

予想だけど、多分部長も緊急避難場所には行ってないだろう。

確か嫁さんがいるという話しだったし、皆に感化されて部長も嫁さんの所に向かっていてもおかしくない。

遠くに見える謎の物体を呆然と眺めながら、隣で同じようにしている先輩に尋ねる。

 

「どうしましょう?」

 

「ほんと、どうしようなぁ」

 

ポリポリと頭を掻きながら、困った様子でそう言葉がかえってきた。

先輩はまだ声は若干震えているけど、見た感じでは皆ほど慌ててる様には見えない。

 

「……先輩は、あんまりパニクってない感じですよね。なんか冷静、みたいな?」

 

「あぁ? いや、そんなことないぞ。ただ……頭がついてってないだけだよ」

 

「……そう、ですよね」

 

実際、俺もそんな感じだし。

案外俺と先輩は、似た者同士なのかもしれない。

 

「このまま残ってても、なぁ。実家……は遠いし、とりあえずアパートに帰るか。俺も、家で待ってる奴がいるしな」

 

「あー、確かにそれは帰った方がいいですね」

 

「ははは、まぁ、猫なんだけどな」

 

「猫だって立派な家族ですよ」

 

「……だな」

 

そう言って、先輩はゆっくりとした足取りで出口に向かう。

しかし何を思ったのかその歩みは途中で止まり、少しだけこちらを振り返ってくる。

 

「……正直こんなの、この先どうなるかなんて、まるで予想もつかんけど……また、な?」

 

「えぇ。お互い無事でしたら、また」

 

そう言うと、今度こそ先輩は部屋を出ていった。

俺以外誰もいなくなった部屋に、先輩の遠ざかる足音だけが小さく響いていた。

 

 

 

 

 

 

部長の椅子を借りて座り、俺はさっきまでと変わらず窓際で外をボーっと眺めていた。

俺も家に帰ろうかとも思ったけど実家は遠いし、先輩のようにアパートでペットを飼ってるわけでもない。

だからここに残っているのは、ただ何となくでしかなかった。

 

「……あー、まだ繋がんないか。こりゃあ、駄目そうだな」

 

先ほどから何度か家族や知り合いに連絡を入れようとしてるのだが、一向に繋がる気配がなかった。

多分、この異常事態に皆が同時に電話してるのだろう。

確か前の災害の時も、こんな感じだったか。

あの時はまだ若干繋がることはあったのだが、今回はかつてない、それこそ神世紀始まって以来の異常事態だろうし、こうなるのも仕方ないのかもしれない。

電話をかけるのを諦めてスマホをポケットに仕舞い、改めて外をボーっと眺めるというなんの得にもならない作業を再開する。

 

「……あいつなのかな、銀ちゃん達がお役目で相手にしてたのって」

 

燃えているのか全体が赤黒く光り、おびただしい煙を放ちながら迫ってくる巨大な物体を見ながら、俺はかつて三好から聞いた話を思い出していた。

銀ちゃん達は勇者として、命がけのお役目を神樹様から与えられていたという、そんな話。

その内容は機密ということで詳しく話してはもらえなかったが、勇者というくらいだから何かと戦っていたのだろう。

そう思ってはいたけど……。

 

「まさか、あんなのと戦ってたなんてな。そりゃあ、命がいくつあっても足りないわ」

 

銀ちゃんの代わりに自分を勇者に選べばよかったのに、子供なんかより大人で力もある俺の方がまだ役に立てるだろう。

かつて銀ちゃんの告別式の会場で、神樹様にそんな憤りを覚えたことがあった。

だけど、その考えは改める必要がある。

 

「……見ただけでわかることってあるもんだな。ありゃぁ、無理だわ。大人だ子供だなんて関係なくて、そもそも人間がどうこうできる次元を越えてるだろ……むしろ、よく園子ちゃん達は無事だったよなぁ」

 

それもこれも勇者の力というやつのおかげなのだろうか。

正直、仮に俺が勇者に選ばれてどれだけ強くなれたとしても、あれとまともに戦えるとは到底思えないけど。

 

「……ん?」

 

ふと体に違和感を感じた。

不思議に思い視線を下げてみると、なにやらスーツの胸元に変な模様が不気味に輝いているのに気づいた。

なんだこれはとスーツの襟をまくってみると、どうやらその模様はスーツの下、シャツの方にも浮かんでいた。

シャツのボタンを外し胸元をはだけると、なんとその模様は俺の体に直接浮かんでいるものらしい。

試しにこすったり、掻いてみたりするが、その模様は変わらずそこに浮かび続けている。

 

「……気味悪いったらねぇな。これもあれのせいなんだろうなぁ」

 

まるで親の仇を見るように、空に浮かぶ物体を睨みつける。

実際、このままいけばあれは間違いなく親の、いや親だけでなく俺を含めて、四国に住む人達全員の仇になるだろうから、この例えも間違いではないだろう。

それがわかっていても、俺にはどうすることもできないのが悔しかった。

だけど何より悔しいのが……。

 

「あーあー、こんなことなら一回くらい墓参りしとくんだったなぁ」

 

それに尽きる。

そう、実をいうと俺は、これまで一度も銀ちゃんの墓参りに行っていないのだ。

まぁ、銀ちゃんの墓が普通の人では入れない、大赦が管理している場所にあるからというのもあるが。

そこはとても神聖な場所らしく、家族や同じ勇者以外だと中々許可は下りないそうだ。

聞くところによると許可をもらうためにも、事前に色々と厳しい審査があるらしい。

 

だけど俺は銀ちゃんとの付き合いから、大学時代に大赦から内密に調査をされていた。

そのおかげとは言いたくないが、俺の経歴や人となりはすでに大赦に把握されており、申請すれば審査をすっ飛ばしてあっさりと許可も下りるだろうと言われた。

それを言ったのが俺を調査した当人であり、大赦でも高い地位を約束されていた三好なのだから間違いないのだろう。

そこで見たものを他言しないこと、必要以上の詮索をしないこと、そして大赦の関係者―――これは三好か安芸先輩になるだろう―――が同行することが条件らしいが。

だけど、それでも俺は一度も墓参りには行かなかった。

 

その理由は人によってはちっぽけで、くだらないものだろう。

それでも俺にとっては、とても大きく大切な理由だった。

銀ちゃんのために泣いてくれる人はたくさんいるが、皆泣いてばかりでは銀ちゃんも心配でちゃんと成仏できないかもしれない。

だからせめて俺くらいは銀ちゃんの死に涙せず、安心させて見送ってやろう。

あの日、告別式の会場でそう決意したのだ。

 

銀ちゃんの墓前に立てば、きっと俺は泣いてしまうだろう。

銀ちゃんが死んだことを再確認させられ、銀ちゃんとの思い出が想起され、きっと涙が止まらなくなってしまうだろう。

だから今まで墓参りに行かなかったのだ。

手前勝手な理由ではあるけど、それでもこれが俺なりの銀ちゃんの見送り方だと思ってのことだ……もっともそんな決意も、とっくに意味のないものになってしまったけど。

園子ちゃんと会った日の夜、銀ちゃんとの思い出の浜辺で、俺はその決意を無意味にしてしまったのだから。

 

すでに墓参りに行かない理由なんてない、行こうと思えばいつだって行けたはずだ。

それなのに行かなかったのは、単に俺が少し臆病になってしまったからだ。

自分勝手な決意でずっと墓参りに行かなかった俺が、今更どんな顔をして会いにいけばいいのかと、そんな考えが頭に浮かんでくる。

銀ちゃんに負い目を感じ、臆病になって、尻込みして……結局最後には、「もう少し心の整理がついたらにしよう」と先延ばしにしてきた。

 

「……で、ウジウジ先延ばしにしてきた結果がこれか。はぁ、時間なんていくらでもあるって思ってたのに、まさかこんな形で無くなっちまうなんてなぁ」

 

どうしてそんな風に思い込んでいたのだろう。

当時まだ小学生だった銀ちゃんでさえ、突然俺の前からいなくなってしまう理不尽な世界だというのに。

 

「……死ねば、また銀ちゃんに会えるのかな」

 

ふと、そんな考えが浮かんでくる。

死後の世界があるかなんてわからないけど、神樹様だっているのだし可能性はありそうだ。

 

「死んで銀ちゃんに会えたら、またあの頃みたいに一緒に……そう考えれば、死ぬのもそう悪くはないか」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

―――そんな簡単に諦めるなよ!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……は?」

 

それは瞬きをした、まさに一瞬の間の出来事だった。

気が付けば、周りの景色が変わっていた。

キョロキョロと辺りを見回せば、そこは見覚えのある場所だった。

 

「……ここは、イネス?」

 

かつてまだ大学生の頃に住んでいた、大橋市にあるショッピングモール、イネス。

俺はそのイネスの前に置かれている、いくつかあるベンチの一つに座っていた。

ここは良い感じに木陰になっていて、暑い夏の日差しを遮ってくれることもあり、銀ちゃんとの待ち合わせによく使っていた場所だ。

しかし俺はさっきまで仕事場にいたはず。

これはいったいどういうことだと、首を傾げる。

 

「……あー、そういえば漫画のエンディングで、こんな展開あったなぁ」

 

それは死んでしまった人達が、死んだ後に感動の再開を果たすというもの。

その漫画では、その人達にとって最も思い出のある場所、姿で再開する展開だった。

見れば俺の服装もさっきまで着ていたスーツではなく、大学時代によく着ていた安物のTシャツとジーンズに変わっている。

ということはやはり、俺は気付かないうちに死んでしまったのだろうか。

 

「んー、死ぬなら楽に死にたかったから別にいいんだけど……案外あっけないもんだなぁ」

 

「だーかーらー! 簡単に諦めるなって! この馬鹿兄ちゃん!」

 

「いたっ!? ……って、え?」

 

突然、頭にガツンと衝撃が走った。

そして俺の耳に、そんな怒ったような声が聞こえてくる。

まさかと恐る恐る、声のした方に顔を向ける。

 

「……銀……ちゃん……?」

 

そこにいたのは「あたし怒ってるんだぞ?」と言いたげに、腕を組んでムスッと頬を膨らませている銀ちゃんだった。

俺と同じく、かつて一緒に遊んだ時に着ていた半袖に短パンといった、夏の男の子が着そうなイメージの服装をしている。

 

「銀ちゃんまでここにいるってことは……やっぱり俺、死んだ「死んでないっての!」 あいたっ!?」

 

俺の言葉を遮り、銀ちゃんはジャンプして思いっきり頭をはたいてきた。

本気じゃないんだろうけど、地味に痛い。

というか。

 

「……死んでないの? 俺……じゃあ、どうして銀ちゃんがここに……あ、もしかして夢?」

 

「夢、かぁ。うーん、夢みたいなもの、なのかなぁ?」

 

眉間にしわを寄せながら、銀ちゃんはうーんと首を傾げる。

 

「……あ、漫画好きな兄ちゃんなら、夢と現実の狭間、みたいな感じの説明で……わかる?」

 

「あー、まぁ、なんとなくは?」

 

「そっか。じゃぁ、それで!」

 

「いや、それでって……」

 

「いやぁ、正直、あたしにも詳しくはわかってないんだ……感覚的には須美の時と似た感じだけど、須美は巫女としての資質があったし、というかそもそも状況が状況だったしなぁ……」

 

どうやら銀ちゃんにも、これがどういう状況なのかよくわかっていないらしい。

後半は須美ちゃんがどうのこうのと、ぼそぼそと小さく言ってて聞き取れないし。

それにしても。

 

「……これは夢みたいなもので、だけど現実でもある……ってことは、今、目の前にいる銀ちゃんは……」

 

「ん? あぁ、もちろんあたしだよ! 正真正銘、本物の三ノ輪銀様だ!」

 

「……本物……銀ちゃんが……」

 

ドンッ、とその小さな胸を叩いて自己主張する。

そんな少し大げさな行動、話してるだけで伝わる気持ちいいくらいの陽気で活発な性格は、まさしくあの頃の銀ちゃんそのもので……。

 

「……神樹様がくれた一時の奇跡、なのかな? それとも兄ちゃんにも、須美みたいに巫女、じゃなくて神官としての力があった? ……まぁ、なんにしろ都合がいいから何でもいいんだけど、って、に、兄ちゃん!?」

 

何かぼそぼそ言っていた銀ちゃんは、俺のとった行動で驚きの声を上げた。

俺は銀ちゃんの背に両手を回し、自分の方に引き寄せるようにして抱きしめていた。

この声、この抱き心地、この香り、そのどれもがとても懐かしい。

今俺が抱きしめているこの少女は、まぎれもない俺の可愛い妹分、三ノ輪銀なんだ。

それを再認識した時、俺の目から自然と涙がこぼれて来た。

 

「ぅ……ひっく……」

 

「……兄ちゃん」

 

少し戸惑った様子だった銀ちゃんは、しかし少しの抵抗をすることもなく。

その小さな手を俺の背中に回して、優しく抱き返してきた。

 

「……銀、ちゃん……ッ……俺……銀ちゃんに、また……会えて……ッ!」

 

「うん。あたしも、また兄ちゃんに会えてうれしいよ。それと、ごめんね。また約束破って、すっごい遅刻しちゃった。今までずっと待たせちゃって、ほんとごめんね」

 

ごめん、ごめんねと。

そう言いながら銀ちゃんは泣き続ける俺の背を、まるで小さな子供をあやすように優しく撫で続けた。

 

 

 

 

 

 

 

「……えー、そのー……大変、お見苦しい所を見せました」

 

「いえいえ、お構いなく」

 

暫くしてようやく涙が収まった俺は、気恥ずかしさで銀ちゃんの顔をまともに見られずにいた。

銀ちゃんは俺の隣に座り、微笑ましそうに俺を見ている。

 

「いやぁ、なんだか新鮮な感じだったなぁ。あたしが兄ちゃんに、こんなことする日が来るなんて」

 

「……その原因が何を言うか」

 

「だからごめんってばぁ」

 

どこか子供扱いされてるように感じるのが気にくわなくて、むすっとしながらそっぽを向く。

……自分でやってて、流石にこれは子供っぽいな。

 

「でも、本当にうれしかったよ? あたしのために、こんなに泣いてくれて。大事にされてるんだなぁって、実感するもん……まぁ、あの告別式の時は、流石に申し訳なくて仕方なかったけどね」

 

「告別式って……銀ちゃんもしかして、あの俺の醜態を見てたんか!?」

 

「まぁ、死んでもこんな感じで意識はあったし?」

 

「……お、おぅ」

 

ということは、俺の恥ずかしいあれやそれも……。

やめよう、考えただけで恐ろしい。

 

「兄ちゃんがあたしのことを思って、色々してくれてたのも知ってるよ。まぁ、お墓参りくらいは普通にして欲しかったけどね」

 

「……その件につきましては、ほんと申し開きのしようもございません」

 

「うん、今度からは変な意地張らないで、ちゃんとしてね? あと別に泣くのも我慢しなくていいんだよ? 男の人でも、泣きたい時は泣いたっていいんだから。全然恥ずかしくないよ?」

 

「……はい」

 

我慢は体に毒だぞーといいながら、俺の頭をなでなでする銀ちゃん。

なんだか立場が逆になってる気がして、ちょっと癪だ。

 

「本当はあたしがもっと兄ちゃんを慰めたり、労わってあげたいけど、もうできないしね。だから後は園子に期待かな。園子も結構気が利くし、言えば色々相談に乗ってくれるよ」

 

「いや、流石に中学生に弱音なんて吐けないから。今回は、その、あれだ。衝動的な……あれなんだよ」

 

「あれってなんだよぉ」

 

あれはあれだ。

大人にも色々あるんだよ。

 

「というか、そもそも園子ちゃんは確かにメル友ではあるけどさ。流石に大の大人が弱音はいたり、困った時に頼ろうとするなんて迷惑だろう?」

 

「……はぁ」

 

そういう俺に、銀ちゃんは呆れたように深くため息を吐いた。

 

「な、なんだよ、その反応」

 

「んーん、べっつにー? まぁ、園子の方も、まだそこまで意識してないっぽいし。今後どうなるかは、神樹様のみぞ知るってやつなのかな。はぁ、見ててじれったくなってくるなぁ!」

 

「どういうこと?」

 

「兄ちゃんも兄ちゃんだけど、園子も園子ってことだよ」

 

「……意味が解らん」

 

「……まぁ、兄ちゃんだからなぁ」

 

そう口にしながら、銀ちゃんは小さくため息を吐いた。

すると、あっと何かを思い出したような顔で俺を見てくる。

 

「結構脱線しちゃったから、本題に入るけど。本当はさ、真っ直ぐ皆の所に行くつもりだったんだよ? 今のあたしでも、きっと役に立てることはある。だから少しでも皆の力になろうって……なのに兄ちゃんったら、簡単に生きるのを諦めようとしてるんだもん。な−にが、「死ねば、また銀ちゃんに会えるのかな?」だよ! 見てらんないったらないよ!」

 

「そ、それは悪かった、のか?」

 

「まぁ、それだけあたしのことを思ってくれてるのは嬉しかったけどさ。でも諦める理由にあたしを使うのは、ちょーっとどうかと思うなぁ」

 

「……はい、マジすんませんでした」

 

ふかぶかーと頭を下げた。

 

「……はぁ。兄ちゃんはさ、あたしが神樹様から、お役目を受けてたってのは知ってるよね?」

 

「え? あ、あぁ、勇者ってのに選ばれてたんだよな。前に三好、大赦にいる友達から聞いたけど」

 

「うん。で、なんだけど」

 

そう言うと、銀ちゃんは真剣な表情でどこか遠くの方を見つめる。

俺には何の変哲もない普通の街並みに見えるけど、銀ちゃんには何か違うものが見えているのだろうか。

 

「実は今も戦ってる人達がいるんだ」

 

「戦ってる……また、勇者が? もしかして園子ちゃんとか、東郷ちゃんのことか?」

 

「うん、他にも何人かいるけどね。それに勇者以外にも、今のこの状況を何とかしようって頑張ってる人達は大勢いる」

 

それは俺が知ってる子なのか、はたまた知らない子なのか。

心当たりがあるとすれば園子ちゃんや東郷ちゃんが入ってるという、勇者部の子達がそうなのかもしれない。

勇者以外と言われれば、もう予想もつかないけど、やっぱりみんな銀ちゃんと同じくらいの子供達なのだろうな。

 

「確かに今、すっごくヤバい状況には違いないけど。それでも皆、まだ諦めないで戦ってるんだから! 兄ちゃんも、そんな簡単に諦めちゃだめだよ!」

 

「……いやぁ、諦めるなって言うけどなぁ。勇者として戦うこともできない、大赦の神官でもない、どこにでもいるただの冴えない一般人だぞ? そんな俺に何ができるってんだよ」

 

「できることなら、ちゃんとあるよ。皆を応援してあげて!」

 

「応援?」

 

「天の神なんかに負けるなって、人間として生きることを諦めるなって!」

 

「……天の、神? 人間として生きることを? ……すまん。正直、理解が追い付かないっていうか。銀ちゃんの言ってることが、今一よくわからないんだが」

 

多分、“天の神”というのはあの巨大な物体と関係してるのだろうけど、“人間として生きることを”というあたりがどうにもピンとこなかった。

さっきから俺に言ってる、生きるのを諦めるなというのともニュアンスが違う気がするし。

首をひねる俺に、それでも銀ちゃんは言葉を続ける。

 

「本当はちゃんと説明してあげたいけど、色々複雑な事情過ぎてうまく説明できる自信がないし、そもそも時間もあんまりないし……だけどさ、兄ちゃんだってまだ死にたくないでしょ?」

 

「それは、そうだけど」

 

「だったら! こんな所で諦めないでよ! 兄ちゃんにも、まだできることはあるんだから!」

 

「それが応援すること?」

 

「うん!」

 

「……えー」

 

納得いかない気分になり、ポリポリと頭を掻く。

 

「それに何の意味があるんだよ。そもそも応援なんてしても、あんなの相手に……」

 

「兄ちゃんが応援してくれたら、あたしのやる気がモリモリになる!」

 

「……モリモリ?」

 

「モリモリ! 勇者は何より根性が大事だからね! 兄ちゃんの応援でやる気がモリモリになったあたしの根性パワー、しっかり皆に届けてくるぜ!」

 

フフンッとドヤ顔浮かべながら、グッと力こぶを作る銀ちゃん。

全然作れてないけど。

 

「あたしも皆も、精一杯頑張るから。だから兄ちゃんも、最後まで諦めないでよ。ほら、漫画にもあるでしょ? 諦めたらそこで試合終了だよって」

 

「銀ちゃん……」

 

「それにもしかしたらさ、諦めないで頑張ってるあたし達を見て、神樹様も力を貸してくれるかもしれないじゃん!」

 

「って、最後の最後は神頼みかよ!?」

 

そんなことを自信満々に言う銀ちゃんに、なんか肩の力が抜けてしまった。

まぁ、これまでずっと人を、四国を守ってくれてたんだ。

こんな絶望的な状況でも、もしかしたら何かしらご加護があったりするかもしれない。

 

「……はぁ、わかったよ。そこまで言うなら、俺も諦めないで応援しておくよ。というか、それ以外にできることなんてないしな」

 

「それでこそだよ! 諦めがよすぎる兄ちゃんなんて、そんなの兄ちゃんじゃないもんね!」

 

銀ちゃんの中で、俺はいったいどういう存在なんだろうか。

 

「……それじゃ、あたしもそろそろ行くね。遅刻の常習犯だったけど、今回だけは絶対間に合わせてみせるから」

 

「あぁ。まぁ、程々に……って言っても聞かないだろうからな。だから……」

 

俺は銀ちゃんの小さな背中をパンッと力強く叩く。

そしてこう言った。

 

「頑張ってこい!」

 

「うん! ……でも、少し強くたたきすぎ。これはお返しだ!」

 

「え、ちょ、まて! 俺はただ、喝をいれてやっただけ、いってぇ!?」

 

「あはははは、兄ちゃん痛がり過ぎ!」

 

俺がやったのと同じように、俺の背中を思い切り叩いてきた。

地味に、というかかなり痛くて若干涙目になった。

そんな俺を見て可笑しそうに腹を抱えて笑う。

そしてひとしきり笑うと、銀ちゃんはスゥっと姿を消していった。

その消える間際。

 

「忘れないで、あたしはいつでも兄ちゃんを見守ってるから。声が聞こえなくても、姿が見えなくても。いつでもそばで、頑張る兄ちゃんを応援してる。だから何があっても諦めないで、精一杯生きて!」

 

そう言い残し、銀ちゃんは消えていった。

本来幽霊とかホラー物が苦手な俺だけど、普通にどつかれたりしたせいで幽霊っぽくないから全然怖く感じなかったな。

相手が銀ちゃんだからというのもあるかもしれないけど。

とにかく。

 

「……ああ、俺も頑張ってみるよ。だから銀ちゃんも頑張れ。園子ちゃんも、東郷ちゃんも、他の皆も」

 

こんな状況で俺には何もできることなんてないと諦めていたけど、こんな俺にもまだできることがあると銀ちゃんが言ってくれた。

それならやるしかないだろう。

きっと銀ちゃんが届けてくれると信じ、俺は精一杯、心の底から皆を応援する。

 

 

 

 

 

「……って、あれ?」

 

それはさっきと同じ、瞬きをした一瞬の間の出来事だった。

周りの景色がまた変わっていたのだ。

俺は楽な私服から堅苦しいスーツに戻り、周りは懐かしいイネスから会社の一室に戻っていた。

しかもそれだけじゃない。

 

「……空が……青い」

 

あのまるで世界の終わりといった雰囲気を醸し出していた暗い空も、壁の外から来ていた赤黒い巨大な物体もどこにもなくなっていた。

それに。

 

「……模様も消えてる」

 

自分の胸元を見てみると、あの不気味に輝いていた模様もいつの間にか消えていた。

周りに人がいないこと以外、本当にいつもと何も変わってないように見える。

うたた寝して悪い夢と良い夢をダブルで見ていたのではないか、そんな気分だった。

 

 

 

 

 

それから少しして、俺は知ることになる。

あれは夢でも何でもなく、まぎれもない現実だったのだということを。

-2ページ-

(あとがき)

大満開の章を見て、また書きたくなり書いてしまいました。

ある意味、話し的にはこっちの方が最終話みたいなものなのかな?

すでに大学生ではなく社会人で、もうタイトル詐欺みたいになってますけど。

 

前編となってるけど、まだ後編はかけてないです。

終着点は頭にあるんですけど、そこまでもっていくのにどう進めるかが滅茶苦茶悩んでいます。

この話も大満開の章最終話を見てすぐ書き始めたのですけど、書いたり消したりを繰り返し、いつの間にかこんなに時間かかっちゃって……。

最悪、後編書けなくてもこの話で終ってもいいかなとか思いながら、一話完結風の書き方にしてますが、一応後編も書くつもりではいますので前編とつけてあります。

……大満開の章の最終話みたく、数年越しにならないといいなぁ(不安)

 

 

説明
これは勇者達の頑張り物語、ではなく勇者達が頑張ってる時の一般人の物語です。
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