唐柿に付いた虫 52
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 自分が口にしている愚かな繰り言が、彼の決意を鈍らせ、困惑させるだけの言葉だと。

 この差し迫った状況下で、口にするべき言葉では無いと。

 私は良く知っているはずなのに。

「……やっぱり、だめ」

 私のこの小さな心は、衝動的に掴んでしまった、彼の着物の裾を、どうしても離せなかった。

「気持ちは嬉しいんだけど……な」

 彼が小さい子にするように、私に視線を合わせようと、しゃがんで私の顔をじっと見る。

「俺が正しいと思えたのは、この選択だけだったんだ」

 受け入れちゃ、貰えないか?

 男には何となく判った、目の前の真祖も、この白まんじゅうも、偽らざる彼女の心なのだ。

 彼の魂と決意を見て、その式姫となる事を選んだ心と、彼の呑み友達の心。

「そうだね、わたしもね、正しいとは思う」

 闇の王たる真祖の心と、そして彼は、この状況下で選びうる正しい判断を下している。

 でもね、それが……その正しさが、私は。

「……だから、いやなの」

 その残酷な正しさを知った上で、白まんじゅうの想いは、この人を、世界や戦いの正しさの前に、従わせたくなかった。

 どの道死ぬなら、より正しい方を……そんな選択をさせたくなかった。

「そうか」

 白まんじゅうの言葉も……その小さな心から発せられた言葉もまた、正しい。

 俺がしたのはただ、戦の刹那の中で最善と信じた道を選択しただけ。

「どうしたら、良いと思う?」

 猶予は無い。

 だけど、この恐らく最後になるだろう、彼女との対話を経ねば、彼女は多分俺の命の全ては受け止められず……敗北するだろう。

 これは必要な事。

 だが、俺は……そして君は、どうすれば良い、どう決断すれば納得できる。

「……ごめんね、貴方は正しい選択をしたのにね」

 それを揺るがすような事をして、本当にごめんね。

 でも、だからこそ。

 白まんじゅうは、握っていた男の裾を離して顔を上げた。

「貴方の心の中にいる、大事な人たちと、もう一度だけ話してほしいの」

「俺の中の?」

「そう……式姫達や、貴方が大事に思う人から貰った心の欠片たちと」

 共に戦い。

 互いを一個の存在として認め合い。

 式姫と主としての絆を結んだ。

 そして、あの庭で一緒の時間を過ごし、互いの生の軌跡を交わした、あの存在たちと。

「……それは、したつもりだ」

 死にも通じるこの決断が皆を裏切る事にならないか……それを問いながら皆を思い出し、その上で俺は決断を。

 その俺の顔を見ながら、白まんじゅうはふるふると小さな頭を振った。

「今、私としているように、話をした?」

 ともに戦う、戦士としての彼女達では無い……日々を過ごし、穏やかな時を共有した、大事な友人としての彼女達と。

 今なら判る。

 私の小さな心は、その為に、貴方をひき止めたのだと。

「それは……」

 皆の顔を思えば、過ごした時間を振り返ってしまった時……俺の決意はどうなるんだ。

 それでも揺るがぬ程に……強いのか?

 悩む俺を暫して見ていた白まんじゅうが、その短い足でぽてぽてと歩き出し、先に立つ真祖と並び、彼女と同じように俺に向けて手を伸ばした。

「その結果を、私は受け入れる」

 俺は……どちらの手を取る?

 どちらの正しさを良しとするのだ。

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「みっちゃんには御しきれなかったか」

 こういう神器の扱いは不慣れだし仕方ないかな。

 とはいえ、困ったわねぇ。

 時無き虚空に、時の道を細く刻み付けながら飛ぶ円盤を見ながら、彼女は憂わし気に小さく呟いた。

 あれの片割れは、今、吸血姫の女王の力によって時の門を開きかけた所で、何かが起きてそれを中断させられてしまっている。

 それは、力の場としては、かなり不安定な状態。

 その状態を安定させる為にか、それは常よりも強い力で対になる円盤を引いた、それが建御雷の予想を超えた力になって、彼女の一瞬の隙があったにせよ、その制御を振り切ってしまった。

「私があの円盤に下手な干渉すると、完全に異界の神様を敵にまわしちゃうしねぇ」

 それは流石に避けたい……。

「困ったわねぇ」

 最前と同じことを呟きながら、彼女は額に落ちかかる銀髪を軽く払った。

 あの時の神器たる円盤が刻んでいく、細い時の道が、時なき虚無に呑まれるように、徐々に細くなる。

「みっちゃんと、あのお兄さんは、気が付いてくれるかしら……」

 今ならまだ、望みはあると。

 もし気が付けねば……本当にお終い。

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 戦士としてではない、式姫達と……か。

 普通過ぎて困るんです、と本当に困った顔で相談に来た古刀の式姫。

 美味しい果物が出来たッス、そう言って西瓜丸ごと一個を豪快にその場で割って、顔中種だらけにしながら、俺と一緒に心底楽しそうに食べた元気な式姫。

 その彼女の顔を拭きながら小言を言ってた、優しく大いなる山神の式姫。

 俺のへぼ碁に付き合いながら、さりげなく歴史や世界の事を語ってくれた、師匠とも言える式姫。

 酒杯と、とりとめのない話をゆるゆると交わしながら、何という事の無い時間を共有しあった呑み友達の式姫達。

 綺麗な声で、都のはやり歌を聞かせてくれた、ちょっと気位が高い式姫。

 出された大量の課題を手伝ってくれと、俺の部屋に書物を抱えて転がり込んできた少女。

 一緒に庭の整備をし、あれこれと置く物を考えたり、手入れの知恵を出し合った。

 畑を耕し、大変な思いをしながら、丹精した末の収穫を皆で楽しんだ。

 折々の景色を愛でつつ、時期の物を野山から収穫し、簡単な祭りと共に、日ごろの労苦を労いあった。

 そして、その全てを始める機会をくれた。

 俺を信じてくれた、軍神建御雷よ。

 最後まで諦めずに歩き続けると、君と約束した。

 ……そうだな、俺が取るべき道は。

 

 男が歩み出す。

 彼は、白まんじゅうに歩み寄り、地に膝を付いて、彼女と視線を合わせ、その手を伸ばした。

 それを、彼女はどこか悲し気な目で見つめていた。

「ありがとうな」

 彼が伸ばした手は、彼女の手を取らなかった。

 代わりに、彼女をその掌に優しく乗せ、大事そうに抱えた。

「俺は、やっぱり君に生きててほしいよ」

 心が静かに定まっているのを感じる。

 式姫は、大いなる神霊の顕現。

 伝承に語られる名刀、山神、神獣、鬼神、神使、天狗、大妖怪達。

 だが、同時に、小さく弱き人に寄り添う事を選んでくれた存在。

 それを、思い出した。

 この真祖も同じ、大いなる存在だが、同時に俺に力を貸してくれると決めてくれた。

「そっか……」

「ああ」

 男は、どこか晴れやかな顔で、彼女の顔を見ていた。

「俺は、今、この生に心から満足してる、失いたくない」

 それが、はっきり判った。

 ゆっくり身を起こし、俺を信じてくれた夜闇の王に顔を向ける。

「だから、俺は最後まで戦う」

 傷ついたその手を、真祖の蒼白な手に伸ばす。

「君に俺の命を預ける」

 大いなる存在に対して、この命を捧げるのではない。

「俺も君たちと一緒に戦わせてくれ」

「……ええ、そうね」

 その命を貰うのではない……魂と共に私が預かり。

「共に戦いましょう」

 貴方の命と魂を預かり、代わりに私の小さな心を、貴方に預ける。

 二度と返せないかもしれないけど……ずっと預かるわ。

「……ありがとう」

 そして、すまない。

 男は、彼女の優しく小さな心を抱えながら、差し出されたその手を取った。

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 真祖様の左足が再生した。

 彼女の背後に立つ、式姫の庭の主がした事か。

 両の足で大地を踏み、真祖様がこちらを見た。

 その目から、つ、と光が溢れる。

 見間違い?

 原初の闇よりこの世界に君臨してきた、最強の王のお一人たるあのお方が。

 涙。

 気が遠くなるほどの年月、あのお方に仕えて来た私も……そして恐らく吸血姫すらも見た事が無い。

 その頬をゆっくりと伝い、この虚ろな世界に切り取られた月光を弾き。

「……さよなら」

 私の愛した人たち。

 囁くような、小さな声。

 その、微かに動いた頤から、雫が落ちた。

 あの方の右手が上がる。

 あくまで、私の心臓を狙い、それが真っ直ぐに突き出される。

 あの方の本当に最後の一撃。

 本来なら、貴女様が望まれるなら、我が心臓の如きは、自ら捧げねばならぬ身ではありますが。

 お許しを。

 あの方の右手が、私の肩甲骨の辺りを刺し通す。

 そして私の突き出した細剣は。

「見事」

 あの方の不滅の心臓を、確かに貫いた。

説明
式姫の庭の二次創作小説になります。

「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。
我ながらクドいなと思う部分ですが、有る意味ここが一番書きたかったのです。
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コメント
OPAMさん ありがとうございます、この辺の葛藤を書きたかったってのがあったので、そう仰って頂けると書き手として救われます。 謎の甘党さんは、別シリーズの仕込みかねてのちょいとだけ顔出しですw(野良)
頭や理屈で理解していても感情がそれを受け入れられないジレンマが伝わってきてクドくは感じなかったです。「貴方の命と魂を預かり、代わりに私の小さな心を、貴方に預ける。二度と返せないかもしれないけど……ずっと預かるわ。」このかっこいいセリフが輝くのもここまでの展開のあとだからこそだと思います。そして「謎の甘党」タグが気になる・・・。(OPAM)
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式姫 式姫の庭 唐柿に付いた虫 真祖 白まんじゅう 謎の甘党 

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