はじまりはじまり
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はじまりはじまり

 

「おお、真那人これなんだ?」

「お雑煮だよ」

「おぞうに」

 たどたどしく繰り返した流くんの声は妙に幼くて、きりりと上がった目は丸く見開かれている。

 その年まで生きて、沖縄からも出たことがあるというのに、見たことも聞いたこともないというような反応をするのだから不思議なものだ。

「そこにお餅入れるんだよ」

「ほおお」

「何個入れる?」

「三つ」

「よく食べるね」

「泳いできたからな」

 ああ、と声を上げて時計を見る。時刻は朝の七時だ。新年早々、まだ暗く冷たいだろう海へ泳ぎに行くのだから、世界最速の男は何から何まで規格外だ。

「寒くなかった?」

「寒かったな!」

「だろうねえ」

「まあ日中は流石にもうちょっと水温上がるだろ」

 言外に、そのころに波に乗りにいけばいいと言われているような気がする。実際そう言っているのだろう。ふつふつと沸騰の兆しを見せ始めた鍋をかき混ぜながら、ぼんやりと今日の予定を反芻する。

「二人はまだ寝てんのか」

「昼くらいまでは起きてこないんじゃない?昨日遅くまで盛り上がってたし」

「ああ」

 そういえば、と思い出すように右斜め上を見上げた流くんは、すぐにぐしゃりと髪をかき混ぜた。

「じゃあ初詣は昼過ぎか」

「多分ね。混むと思うから、今日は海行けないかな」

 残念だけど、と付け加えた俺を、流くんが妙に心配そうにのぞき込んだ。

「大丈夫なのか」

「何が」

「海、足りなくならないか?」

「あ、そっち」

「そっちてどっちだ」

 てっきり俺が波に乗りに行けないのを悔しがっているんじゃないかと、そういう意味かと思ったら、どうやら違ったようだ。本格的に眉をひそめはじめた流くんは、しっかりとヘッドの顔をしている。

「大丈夫」

「だって神社市街地だぞ」

「……塩水あれば、大丈夫」

「並んでて駄目そうなら、すぐ海行けよ」

 市街地と言ったって、どうせ少し出れば海なのだ。素直に頷いた俺に、流くんが満足そうに頷いた。二つばかりとはいえ年下なのに、こうして話していると全くどちらが年上だか分かったものじゃない。沖縄支部のヘッドをしているから、というだけではなく、そういえば弟がいたなと思い出すのはこんな時だ。

「はい流くんこれ運んで」

「お?おお」

「熱いから気を付けてね」

 手渡したどんぶりを、流くんがすたすたと食事用のテーブルへと運んでいく。本来ならお椀によそった方が見栄えもいいのだけれど、どう頑張っても三個の餅をお椀に収められなかったのだ。

「真那人、箸これだったか」

「こっちかな」

「むむ」

「ふふ」

 持ち上げられた箸を見て、隣から別のものを抜き出す。それぞれに塗りの違うのを選んであるはずなのに、未だにどれが誰のものか覚えられていないのはこの家の中では流くんだけだ。別段それを煩わしいと思うこともない。俺を含めて、他の三人が覚えていれば事足りるからだ。

「流くん」

「んあ?」

「はいポーズ」

「ん」

 どんぶりを抱えたまま器用にピースサインを決めた流くんと、同じ画面に収まるように何枚かの写真を撮る。この家の住人は皆それぞれ写真を撮られることに慣れているから、ポーズにも迷いがなくていい。

「はいありがと。食べてていいよ」

「いただきます!」

 ぱあん、と盛大に音を立てて手のひらを合わせるのをバックに、俺は適当に何枚か、お雑煮の写真を撮る。どんぶりだとどうしても見栄えがよろしくなくて、やっぱり最初は綺麗によそればよかったかもしれない。

「早く食わないと冷めるぞ?」

「ん、そうだね」

 俺がいただきます、と手を合わせて一口目を口に運ぶところまでをぼんやりと眺めて、それから再び流くんもお雑煮を食べだした。写真を選ぶのも、SNSにアップするのも食べ終わってからの予定だ。

「真那人はマメだなあ」

「そう?」

「わんはそういうの全然だめだからな」

「うーん流くんそれ以前の問題かもしれないよ」

 わはは、と快活に笑う流くんに、笑い事じゃないんだよなあとはとても言えない。言う気にもならない。三日に一度はメッセージアプリのトークルームから退出し、文字を打てば誤字ばかりという状況にもそろそろ慣れてきた。海外や他支部に行く度に送られてくる、間違いだらけで原型をとどめいていない文章の正解を探すのも、一種のイベントめいてきたところすらある。

「あ、真那人」

「ん?」

「言い忘れてた。今年もよろしくな」

 今、今か。太陽のような笑顔に、申し訳ないけれど誤魔化されてはあげられない。初詣の話もして、お雑煮も食べて、今更その言葉が出てくるなんてちょっと考えもしなかった。俺はといえば、口に入れた餅を咀嚼するのに忙しく、大きく頷くのが精一杯だった。締まらない年始だ。でも、それも俺たちらしいかと思ってしまうのは、ちょっとこのゆるい空気に毒されすぎているのかもしれない。

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その日のこと

 

「牡蠣か」

「牡蠣ですよ」

「土手鍋」

「土手鍋ですよ。ほら教授向こう行ってください。影になって上手く味噌が塗れないんです」

「む」

 ずい、と細長い体をキッチンからリビングへと押しやって、改めて土鍋に味噌を塗る。指先が汚れるのを忌避して使い捨てのビニール手袋をしてしまったがために、手元が滑って上手く塗ることができないでいた。

「眩くん」

「だからなんですか」

「手伝おうか」

「大変ありがたいのですがお断りします」

 覗き込んできた目の中に、好奇心がらんらんと輝いているのが見える。本当に興味のあることにしか手を出さない人だ。こうして苦戦している様を見て、好物が早く食べたいがために手伝いを申し出たのだろうが、生憎と今日ばかりは手伝ってもらうわけにもいかない。

「眩くん」

「だから、座っててください。今日の主役に手伝わせるわけにいかないんですよ」

「主役?」

 はて、と首を傾げる姿にすっかり呆れかえってしまう。どうせこんな事だろうとは思っていたが、それにしたって少しは覚えているものじゃないんだろうか。

「今日誕生日でしょう」

「……ああ」

 ようやく合点がいった、というように教授は目をほんの軽く見開いて、そうして納得したのかしていないのか、とにかくふらりとリビングの方へと姿を消した。

「……まあとにかく、いなくなったことですし」

 キッチンに並べた具材を眺める。味噌を塗って、出汁を注いで、具材を並べれば完璧だ。牡蠣の下処理だって抜かりなくすませてある。

 手を抜くことはしたくなかった。それは自分自身の性格からくるものでもあるし、そもそも相手は広島支部のヘッドだ。盛大に、とはいかなくても丁寧には祝いたい。

「よし」

 手を抜くことはしたくない、とはいえ汚れるのは問題外だ。ビニールの手袋をはめ直し、俺は再度鍋のふちに味噌を塗る作業に取り掛かった。

 

 

 カセットコンロの上で、土鍋はぐつぐつと煮えている。部屋がすこしだけひんやりとしているのは、換気のために窓を開けているからだ。そのおかげで、鍋からもうもうと立ち上る湯気が良く見え、食欲をそそられる

「眩くん」

「はい」

「天外くんたちは」

「……もう来るはずなんですが、」

 事前に連絡していた時間はとうに過ぎていた。もっとも、二人とも規則的な時間に始まり、終わるような仕事をしているわけではないのは重々承知しているから、多少の遅れは計算の内ではある。メッセージアプリで送られてきた内容によれば、あと少しで着く、とのことだったが、一体あと少しがどのくらいなのか見当もつかない。

「食べますか。煮えすぎても硬くなってしまいますし」

「ああ」

 お玉を取ろう、と腰を浮かせたそのときだった。ばたん、と唐突に扉の開く音がしたのは。

「りっちゃん!くらむん!」

「天ちゃんちょっと、ちょっとまって」

 玄関の方から白い人影がびよんと飛びだす。それについてくる溺さんの、心底弱り切ったような顔。

「おや、ようやく来たね」

「というかなんで玄関開けられたんです?」

「合鍵……」

「合鍵?!」

 聞いていませんよ、と非難を込めて教授を睨む。けれど、当の本人はと言えば鍋の方に思考のリソースを奪われているようで、俺や、天外さんや溺さんには全く目もくれない。

「りっちゃんりっちゃん」

「ああ、天外くん。仕事は終わったのか」

「うん!あのねりっちゃん、お誕生日おめでとうございます」

「おめでとうございます……」

 利狂さんの隣に立った天外さんが、深々と頭を下げる。それに倣って溺さんも。普段からエキセントリックな言動の多い天外さんが、ごく一般的な祝いの言葉を口にしていることに少しばかり驚いた。

「わたしの席どこ?ここ?こっち?」

「そこは僕だしそっちは教授が座っているでしょう。天外さんはこちらですよ」

「五右衛門……」

「今は鍋です」

「肉球は……」

「入ってません」

 久々の外出だからか、顔色の悪い溺さんの背を押し席に着かせる。ごえもん、とうわごとのように呟くのをスルーして、自分もさっさと席に着く。

「僕からの祝いの言葉がまだでしたね。利教さん、お誕生日おめでとうございます。今後ともよろしくお願いします」

「くらむんかたーい」

「新年会じゃないんだから」

「眩くん、主役は何もしてはいけないのなら、私の分をよそってくれ」

「同時に喋らないでください」

 差し出された椀を受け取って、具材と出汁が均等になるようによそる。やんやと騒がせている二人には、自分でよそってもらうことにしよう。

「はいどうぞ」

「ああ、ありがとう」

 椀を受け取った教授が、ふと遠い目をする。一瞬のことだ。すぐに湯気にかき消されて、いつも通りの何を考えているのか分からない、あの顔に戻ってしまった。

「何か心配事でも?」

「いや……大丈夫だ」

 軽いけれど、しっかりとした否定だった。だから、俺はそれ以上は踏み込まない。誕生日という特別な日に、そんな野暮なことはしたくなかった。

「天外さんも、溺さんも、自分で食べる分は自分でよそってくださいね」

「はいはーい!」

「くらむんお母さんみたい」

「溺さん」

「ふへへ」

 自分の椀に鍋をよそって、椅子に座り直す。次々お玉に伸びる腕を眺めて、味噌味の汁を一口すする。我ながらいい出来だ。牡蠣を口に運んだ教授も珍しく顔を緩ませていて、それだけでも奮闘した甲斐があったと、穏やかな気持ちで箸を手に取った。

 

おまけ

 

「あれ、天ちゃん親指……」

 溺さんのその一言に、ひたりと時間は止まった。

 四対の目が天外さんの手へ向かい視線を送る。息を呑んだのは誰だったか、本来あるべき場所に親指は無かった。

「どこに落としてきたんです?!」

「さあ〜?」

「え、えっと、ここに来るまでにはあったよね」

「そうだっけ?」

 あったんですか、と確認するように溺さんに視線を送る。確かにあった、と珍しくも目線を合わせた溺さんが、深々と頷いた。だとすれば、無くしたのはこの家に入ってからということになる。

 ふ、と視線が動いたのは同時だった。食卓の真ん中で湯気を立てる鍋。想像したくはない。想像したくはないが、各々が取り分けた時に、天外さんの親指が混入していないという保証はない。

「くらむん、わたしの親指食べちゃった!」

「食べてません!」

「ど、どうしよう、天ちゃんの親指入っちゃってたら、」

「いい出汁が出そうだな」

「教授はちょっと黙っててくれませんか?!」

 ざわざわと背筋の辺りを不快な感覚が這う。まさか親指を食べてはいないだろうが、混入していたとしても大事件だ。

「とにかく、鍋の火は一旦消してこの部屋の中を探しましょう。入ってきたときにでも落ちてしまったのかもしれません」

「む、」

「教授も、今は天外さんの親指を探すのが優先です」

「りっちゃんごめんね〜?」

 慎重に椅子を引いて、板張りの床を注視する。椅子の足で親指をひいてしまったら、それこそ大事件だ。

 いい年をした大人が四人、床に這いつくばって親指を探す。状況だけを考えれば奇妙なことこの上ない。おまけに、一人は誕生日の当日なのだ。俺の中の完璧主義者の部分が、少しだけ苛立つのが分かる。

「……折角の誕生日にこんなことになってしまって」

「君のせいではないだろう。それに、私は案外楽しんでいるよ」

 騒がしいのは嫌いではない、と締めくくった教授が笑う気配がする。珍しいことだ。それだけのことで、苛立ちはすとんと収まってしまった。

「なら、いいんです」

 向こうの方で、溺さんと天外さんの会話が聞こえる。自分の指が無くなったというのに、随分と楽し気な声だ。もう少し真面目に探してくれ、と思うのに、不快感は湧かない。

 

 結局天外さんの指は、延々と探し続け、本当に鍋の中に落としてしまったんじゃないかという絶望感の中、彼自身の靴の中から見つかった。勢いよく入ってきたときに落としてしまったのだろう、という結論に達し、食事会は騒がしく再開された。

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信仰の効能

 

 鏡を見る。映っているのは、いつもと変わらない自分の顔だった。

 なにがそんなにいいのだろうと思う。朝一の洗顔で濡れた顔を拭いながら、ぼんやりと考える。何がそんなに彼の心をとらえたのだろう。珍しい髪色か、はたまたそれぞれに色の違う瞳か。

 きっとそれじゃあないのだろうな、と湿ったタオルを洗濯機に放り込む。仕事柄、人の心の動きには詳しい方だ。崇拝の生み方も。けれどあれほどの、狂信とも言うべき感情の生みだし方は知らない。

 なにがそんなにいいのだろう。ぼんやりと鏡の前に立ち尽くす俺の耳に、ぱたぱたと軽い足音が届いた。信乃が起きてきたのだ。食事の準備をしなければ、と踵を返し、そこで俺の思考も途切れた。

 

 

「隆景」

「はいっ」

「そんなにかしこまらないでいい」

「はい……」

 しょんぼりと肩を落とした姿は、まるで飼い犬のようだ。隆景が犬。きっと育ちが良く、手入れの行き届いた犬だろう。血統書もついているに違いない。うん、と頷いた俺をどう解釈したのか、とにかく隆景はきっちりと背筋を伸ばし、俺の斜め後ろに収まった。

「隣でもいいぞ」

「いえ」

 ここで充分です、と続く言葉は随分と潜めた声音だった。それもそうだ。今いるのは舞台袖で、客席にはすでに大勢の人々が入っている予定なのだから。

 急遽入った講演の機会をみすみす逃す手は無かったが、付き添いの一人もいないのはどうだという話になったのだ。敦豪も信乃もプライベートで予定を入れており、付き添いは当然の様に隆景が立候補した。ほぼほぼ満員とはいえ、後方には席の空きもある。座っていればいい、という俺の言葉を無視して、こうして舞台袖に控えている。

「本当に良かったのか?」

「この場所の方がコウ様のお言葉をより近くで聞けますので」

「そういうことか」

「はい」

 会場の灯りが落ちるのが見えた。一瞬置いて、じわじわと壇上だけが明るく光る。いくつか進行のための言葉があり、合図があり次第出ていくという流れだ。

 袖の中は当然の様に薄暗い。だから、悪戯心が湧いた。後ろにいる隆景を、少しくらい眺めてみたところで気が付かれないのではないかという。

 そろり、と視線を後ろに移動させる。革のつま先、辿って埃の一つ、ほつれの一つもない上質な布地の三つ揃え。形も色も違えど、そういえば目にするときはいつだって上質なものを身に着けているのは、前職の影響か、それとも俺の前に立つという事実そのものがそうさせているのか。

「あ、の、コウ様」

「なんだ」

「その、どこかおかしい所でも……」

 は、と目線を上げると、隆景は殆ど泣きそうになっていた。まずい、と思うもつかの間、すぐに目線がそらされる。前に組まれた手は羞恥か緊張か大きく震えていて、その光景に俺は心底申し訳ない気持ちになった。

「すまない。おかしい所はないんだ。いつもいい服を着ているなと思って、つい」

「は、」

「この暗い中なら分からないだろうと思って、本当にすまない。無礼が過ぎた」

「い、いえ。そういったことであればどうぞ、隅々までご覧に」

「そうしたいのは山々だが、もうすぐ私の出番だからな」

 それに、これ以上俺の視線を向けていると、隆景の方が緊張で死んでしまいそうだ、とは口には出せなかった。泣きそうだった顔はいつの間にか嬉しそうにきらきらと輝いていて、そうして俺の言葉でぐっと表情が引き締まる。年上の、成人して随分と経つ男相手の表現ではないかもしれないが、そういう表情の豊かなところは素直に可愛らしい。

 そろそろ、と会場スタッフからの声を受けて、一歩前に出る。隆景はその場で立ち止まり、じっと俺の背中に視線を向けている。

「行ってくる」

 小さく呟いた声に深い礼が返されたのを視界の端にとらえて、俺は奇妙なほど明るく見える舞台に向かって、ゆっくりと一歩を踏み出した。

 

 *

 

 鏡を見る。映っているのは、いつもと変わらない自分の顔だった。

 なにがそんなにいいのだろうと思う。朝一の洗顔で濡れた顔を拭いながら、ぼんやりと考える。何がそんなに彼の心をとらえたのだろう。珍しい髪色か、はたまたそれぞれに色の違う瞳か。

 きっとそのどれもであって、どれでもないのだろうな、と思う。確信ではない。本人に聞いたわけでもない。ただ、俺がそう考えているというだけの話だ。

 あの崇拝を込めた視線が向けられるとき、美しく整えられた姿が隣にあるとき、こちらの背筋も伸びるような気がする。敦豪や信乃が隣にいるのとは違う、一種の緊張感とも呼ぶべきもの。そんな話を本人にすれば、恐縮してしまってどうしようもないのだろうが。

 寝癖のついた髪をそっと撫でる。今日は福岡支部での会議の日だ。年の割に幼いと言われがちな容姿に、さてどうしたら威厳というものがでるのだろうか。

 寝起きのぼんやりとした頭で試行錯誤を繰り返し、いつまでたってもリビングに顔を見せないのを不審に思った信乃に声をかけられたのは、その十分後の事だった。

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ずるいひと

 

 目の前の男には全部ばれているのだろうな、と思う時がある。

「兄さん、何頼む?」

「眩のおすすめにしてくれ!」

「……ええと、じゃあ」

 なんでもかんでも見通せてしまうんじゃないか、というほど透き通った色の目に見つめられて、どこか居心地の悪い思いでメニューの頁を捲る。わくわくと覗き込む顔。多分、自覚はないのだろうけれど随分と距離が近い。

「これと、それからこれを。お酒は?」

「一番強いのどれだ?」

「これ……じゃないかな。あんまり飲みすぎないでよ」

「はは、そう言うんなら気を付ける」

 朗らかに笑った顔を、そういえば今日初めて真正面から見るのだということに気が付く。肩に入っていた力がほう、と抜けて、それから俺はいくつかのメニューを指さしてオーダーを済ませた。

「眩とこうして食事すんのも久しぶりだなあ。あ、酒飲むのは初めてだな?」

「確かにそう、だね」

「あの眩がなあ……酒を……」

「……その言い方はどうかと思うよ」

 久しぶりに会った親戚のようなことを言い出した兄に、思わず苦笑を漏らしてしまう。

 確かに二人して、面と向かって酒を飲むのは初めてだ。飲みすぎないように、なんて言ってしまったけれど、むしろ自分こそが気を付けるべきだろう。飲みすぎて本人を前にして劣等感のかたまりのような愚痴をぶつけてしまった、なんてことになってしまったら、本格的に合わせる顔がない。

「お待たせしましたー」

「ありがとうございます。適当なところに置いてください」

「おお……牡蠣……」

「そんなに感動しなくても、広島来るたび食べてるでしょ?」

 二人掛けの、大して広くもないテーブルの上に次々と並べられる料理に、兄は目を輝かせる。

「いや、最近は合宿やら大会やら続いてたし、当たると怖いからなあ。控えてた」

「ああ」

 アスリートらしい、尤もな理由だ。ほんの一瞬見え隠れしたストイックな表情に、胸のどこかがちりと焦げつく。気のせいだ、と断ずるには明瞭すぎる感覚。自分は自分のできることを、と思いはするものの、やはりどこか嫉妬めいたものを感じてしまうのだ。

「眩のそれなんだ?」

「これ?レモンサワー」

「レモンサワー」

 オウム返しにした兄が、きょとん、と目を見開く。レモンも広島の名産のひとつだ。酒の種類としても、そう珍しいものでもない。

「もっと強いの頼むかと……」

「俺はそこまでお酒強くないから。兄さんは?」

「芋のロック」

「……兄さんは、強いんだね」

「いつも泡盛飲んでるからなあ」

 にかりと掲げたグラスの中には、透明な酒が注がれている。動きに合わせて氷がかろん、と涼しげな音をたてて、特徴的なあの香りが鼻先を掠めた様だった。

「そんじゃあまあ、乾杯でもするか!かんぱーい!」

「え、あ、ああ、かんぱーい」

 かちゃ、と勢いの割に控えめな音を立てて、グラスの縁が合わさった。反射的に少しだけ下げた飲み口は、兄のグラスより下に当たった。

「うまいなあ!」

 そのままぐいと酒を飲み込んで、今日幾度目かの笑顔を見せる。俺も手にしたグラスを口につけて、飲み込みすぎないようにちびりと口に含んだ。酸味と、炭酸の刺激が下の上で跳ね回るその瞬間は、何度体験しても心地いいものだ。

「こっちも食べてよ。牡蠣、我慢してたんでしょ」

「おお!悪いなあ」

 手に取った箸を持ち直して、いただきます、と手を合わせる。豪快そうな言動に反して、箸の使い方は随分と丁寧だ。殻ごと持ち上げて、箸で少しだけ寄せるようにして口へ運ぶ。どことなく育ちの良さの現れる、上品な所作だ。その一部始終を観察している俺自身に気が付いたのか、たまたまか、兄は飲み込むなり優しく笑いかけてきた。

「やっぱり眩に任せると間違いないなあ」

「……そんなことないよ」

 今日だって、随分とリサーチを重ねたのだ。兄に幻滅してほしくない、できることなら、流石だと褒めてほしい。その希望通りに行ったのに、称賛をうまく受け取ることのできない自分が悲しくなる。

「いいや、広島は何度も来てるが、ここは中々うまいぞ!」

「ならよかった」

「ほら、眩も食え。今日はわんが払うから、酒ももっと飲んでいいぞ」

「いやそれは」

 俺だって払うよ、と言いかけて、つよい視線で制される。

「たまには兄貴面させてくれたっていいだろ」

「……じゃあ、お言葉に、甘えて」

 渋々、というのを隠さずに答えた俺に、うん、と頷く満足そうな顔。そういえば昔から、俺の世話を焼くたびにこういう表情をしていた気がする。懐かしく思い出される情景は、随分とあたたかだ。

「酒飲んで、うまいもん食って、そうしたらちょっとはその眉間のしわも取れるだろ」

「え、寄ってた?」

「寄ってた。まあわんに言いづらい事なんか山ほどあるだろうから無理に聞こうとも思わないけどな、あんまり背負いこむのもよくないぞ」

 ふ、とエメラルド色の瞳がそらされる。気遣いの上手い人だ。だからこそ、あの沖縄支部のヘッドを務められるのだろう。悔しい反面、ほっとするのも確かだ。根掘り葉掘り聞かれるのは苦手だから、何も聞きません、と表明されるのはかえって安心する。

「……兄さん、いろいろ狡いなあ」

「なんのことだか」

 しらばっくれた表情の、その悪戯っぽいこと。やっぱり何もかも全部ばれているんじゃないか、と少しばかり拗ねた気持ちになって、俺はレモンサワーをぐいと大きく呷った。

 

 

説明
※2020/01/27にPixivへ投稿した作品をTINAMIへ移行したものです

目次↓
・はじまりはじまり(流さん+真那人くん)
・その日のこと(利狂さん誕生日)
・信仰の効能(コウ様+隆景)
・ずるいひと(流さん+眩くん)
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