きれいなもの、ひとつふたつ
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 きれいなものが好きだ。

 アズールは、もうずいぶん前からそのことを自覚していた。きれいなもの、とりわけきらきらと日の光に輝くようなものが好きだ。どれだけ明るくても晴天の地上にかなわない、いつもほんのりと影のかかったような海の中でも輝くような。

 それは日中、水面からさし込めるゆらりと揺れる光の筋であり、大人の人魚たちが身に着けていた、海の中でも腐食しない宝飾品であり、口には出さないがウツボの二人の爛々と輝く金の瞳であった。

 だから、そう。目を奪われたのは今にして考えれば全く当たり前のことだった。

 

 

 運動系はサバナクローの独壇場だろうと早々に候補から外した。芸術系も然り。自分自身にとっての美しさを追及するとなれば、ポムフィオーレに勝てるとは到底考えられないからだ。

 さて、そうなってくると候補は絞られてくる。部活一覧を眺めながら、候補から外れた名前の上に線を引いた。一覧に残った名前が片手で数えられる数になったころ、アズールはようやっと立ち上がった。外廊下の、傾いた日の差す中を悠然と歩いていく。

 地上の学校に通うにあたって練習した二本の足の使い方は、未だに完璧とは言い難かった。走ったり、早歩きをしたりすれば、十度に一度は足が絡まる。

 結局颯爽と歩くのは諦め、何とか優雅に見えるような振る舞いを練習した。付け焼刃ながらそれらしく見えていることを確認し、そうしてようやく自分の欠点が覆い隠せるような気がした。

 ボードゲーム部、というのはどうして中々いい選択じゃないか、と自賛する。戦略的に振舞うのは得意中の得意だ。それが現実世界か、ゲームの盤上かの違いでしかない。それに、アズールはどうやらその部活に所属しているらしい人間にも興味があった。

 部室になっているらしい教室の戸をふたつノックした。がたん、ばしゃん、と何かの落ちる音。ひい、と引きつった声。慌てて戸を引けば、硝子で出来たチェスセットが床に散らばっていた。

 きれいだ、と思った。もうほとんど反射だ。

 黒いのと白いのと、そのどちらもが半透明に光の加減できらきらと、欠けた様子もなく床に散らばっている。

 

「お手伝いします」

「ひえ、あ」

 

 一瞬、駒に奪われた意識を慌てて取り戻して、すぐにしゃがみ込んだ。善意ではない。小さくとも恩を売っておきたかったし、手伝いもしない愛想のない一年生よりは、すぐに動ける後輩の方が後々重用されるだろうという打算だ。

 いくつかを拾い集めて、傍らにしゃがみ込んでいる、恐らくこのチェスセットをひっくり返したであろう本人に渡そうとした。ぶるぶると震えた、奇妙にしろい手のひら。そこでようやくアズールは、相手の顔をまだ一度も見ていないことに気が付いた。

 わざとらしいほど心配そうに眉を下げて、顔を上げる。

 

「大丈夫でした、か……」

 

 アズールは正しく、言葉通りに目を奪われた。

 きれいなものが好きだ。

 それは日中、水面からさし込めるゆらりと揺れる光の筋であり、大人の人魚たちが身に着けていた、海の中でも腐食しない宝飾品であり、口には出さないがウツボの二人の爛々と輝く金の瞳であった。

 その人はどれとも違っていた。

 ゆらん、と揺らめく炎のような髪は、今まで見てきたなにとも例えられない青。その長い髪の隙間から見える瞳は鉱物のような硬質なクロムイエロー。そのどちらもが、日の光にきらきらと揺らめいている。

 

「え、とあの、」

「っ、すみません、不躾にじろじろと」

「あっい、いや、全然、はい、あの、うん、大丈夫。ありがとうございます。あの、手汗ひどいから机に置いてもらって」

 

 震える白い指先が机を指し示すのに従って、机の上のチェス盤に駒をセットする。きれいだ、と思ったのは容姿ばかりで、この男のどもりようはひどいものだった。多分、対人や会話が苦手なのだろう。ボードゲーム部というからには多少頭が回るのかもしれないが、アウトプットがお粗末すぎる。

 

「ありがとね、ほんと、あの、ええと、それで」

「入部希望です」

「えっ、あっ」

「アズール・アーシェングロット。一年。オクタヴィネル寮です」

 

 でもまあ、先輩だろうしな。

 差し出したアズールの手と顔を交互に見比べて、十秒の沈黙ののち、何かに追い立てられるようにして目の前の男は小さく手を握り返した。

 

「先輩のお名前をお伺いしても?」

 

 営業用、とこれも練習ののち身に着けた笑顔を向けるとひい、と悲鳴を上げられた。解せない。眉を顰めたくなるのを抑え込んで、そのままたっぷり三十秒は待った。

 

「イ、イデア・シュラウド。二年。腕章見ればわかるっていうか、こんなんだから予想ついてると思うけど、イグニハイド寮」

「……あなたが」

「ヘァ」

「ああいえ、よろしくお願いします」

 

 にっこりともう一度営業用の笑顔を貼り付け直しながらも、アズールは心底混乱していた。

 イデア・シュラウド。工学に強いといわれるイグニハイドの中にあって燦然と輝く、紛うことなき天才。あんまりにも予想と違う人が出てくるものだから、許されるのならアズールは、嘘だろ、と声を荒げてしまいたかった。

 

 

「そういう時期が僕にだってあったんですよ。はいチェックメイト」

「オン」

「何ですかその声?大体やる気あります?こんな隙だらけの手打ちやがって」

「う、うちやがって……綺麗な顔して……。いや、でもさあ要約すればアナタには失望しましたっていう内容をとうとうと目の前で語られて、まともに戦略練れると思う?」

「僕はできますが」

「アズール氏のメンタルと一緒にしないで。ウルツァイト窒化ホウ素より硬いじゃん絶対」

「なんですそれ」

「いまんとこ世界一硬い物質」

 

 ぐい、と眉根が寄る。イデアの前でまるで表情を取り繕えなくなったのがいつ頃だったか、もう思い出せない。

 

「そんなに硬くありませんよ」

「まァたまたご謙遜を」

「硬かったらオーバーブロットなんてしません」

「なんでそうやって言及しづらいこと言うかな」

 

 これ以上メンタル面に言及してほしくないからに他ならない。ふう、とわざとらしくため息を吐けば、気遣わし気な視線が寄越された。対人恐怖症の気があるイデアなりには、可愛げのないようであるアズールという後輩を気にかけているらしい。

 

「リプレイは?」

「しなくていいでしょ。拙者今日ほんとにダメダメだったし……ほんとに……ぐう……」

「泣かないでくださいイデアさん」

「アズール氏……」

「罰ゲームが待っているのに泣かれては進行に差し障りがあります。時間は有限なんですよ?」

「敬意って知ってる?」

「概念は」

 

 がいねん……と呟いたきり動かなくなってしまったイデアのことは放置して、アズールはさて何を頼もうか、と考えを巡らせた。

 勝った方が負けた方になにかひとつ、頼みごとをする権利を獲得できる。そういう取り決めをしたわけでもないのに、当たり前のようにルールはできあがっていた。全てを書面におこして確認し、相手の同意を取り付けなければ気の済まないアズールらしからぬ、暗黙の了解というやつだ。

 

「なんかまたラウンジの改装手伝ってとか、そういう?」

「いや実は今何も頼みたいことが無いというか、頼みたいことはあるんですがこの場で持ち出すには少々重たいものばかりというか」

「怖。無理しなくても……ねっ、全然、拙者的にはオッケーみたいな」

「しかし権利を行使しないのは主義に反しますし」

「あっはい」

 

 うん、と腕を組み、上体を後ろに反らした。ばきばきと背骨が音を立てるのを聞いて、そういえば最近は随分と机にかじりついていたな、と思い出す。運動が圧倒的に足りていない。毎日の積み重ねが大事なことはアズール自身よく知っているが、なにせ時間が無かった。

 

「デスクワークを……」

「うん?拙者そういうの手伝うのはちょっと……経営とかさっぱりですし」

「いえ、なにかこう、もっと効率化できないかと」

「そっちならマア」

「でもせっかくなら別のことがいいですね」

「いや先輩こき使う気満々じゃん。なんで?そんな暇そうに見える?」

 

 部屋にいたところでゲームに割く時間が四割、研究に割く時間が四割、残りの二割で課題と睡眠というような生活をしているのはアズールも知るところだ。暇、ではないだろうが、頼めば時間を作ることもできるというのは、大体一年ほどの付き合いの中で充分に理解していた。

 頼みごとを決めかねて、じい、と対面にある姿を眺める。青い毛先がゆらゆらと、内側からも冷たく光っている。

 

「かみ……」

「え?紙?」

「髪の毛を」

「……触るの?今?なに、なんで?エ?拙者ちょっとよくわかんない……僕の理解できる言語で喋って……」

「今喋ってるの共通言語ですよ。動物言語が良ければそっちに切り替えますが……猫?鳥?魚が良ければそちらでも」

「いやわかんないから。わかんないっていうかわかるけど、そうではなく」

 

 わたわたと手を動かすイデアの髪の先が、ぽふ、ぽふと小さく明滅する。一方、アズールも実のところ、随分混乱はしていた。だって、もっとギリギリ限界まで搾り取れるような案を考えている最中だったのだ。それが、ぼんやりとイデアの姿を眺めているうち、いつの間にか口から零れだしていた。普段の自分ならばそんなことはしないのに。

 

「で、」

「ハアイ」

「触らせていただけるんですか?」

 

 けれど人間、開き直りが肝心だ。人魚だけれども。

 にっこりと、きっと今のイデアには心底胡散臭く見えているのだろう笑顔を貼り付けて問いかければ、どもりにどもったのち、こっくりと首を縦に振ってくれた。

 

「では」

 

 無性に乾いた喉に、なけなしの唾液を飲み込んで湿り気を足す。ここで無様にも声が裏返ろうものなら、アズールは向こう三週間は部活に顔も出せないだろうと覚悟した。

 失礼して、と差し込んだ手に感じるほのかな温かみ。人の体温とは違う熱に、ああやっぱり炎なのか、と無意識に詰めていたらしい息を吐いた。

 

「あの、熱くない?」

「ええ」

 

 指を通すたびにふわふわと、髪の房ごと手をすり抜けていく。その筋の一本一本が独立しているわけではない、奇妙な手触り。もしあの赤々と燃える炎を触ることができたのなら、同じようにこんな手触りをしているのだろう。

 アズールは、そのまましばらく無心で髪に触れていた。イデアは、ひとつも声を上げることなく、目の前に差し出されたつむじに視線を落としていた。

 

「あ、の」

「はい?」

 

 どのくらいの時間触れていたのか、おずおずと上げられた声に、焦って顔を上げた。イデアの顔は、アズールが予想しているよりずっと近くにあった。ばちん、と音がなるほどしっかりと、かみ合う視線。出会った時よりずっと柔らかい光を宿すようになったクロムイエローが、くわんと見開かれる。

 

「ちっ……」

「ち?」

「ちっ、かい、近い!アズール氏近いよ!いくらなんでも、せ、拙者とアズール氏が仲良くても近い!パーソナルスペースってご存知?!」

「ぐむ」

 

 大きな手のひらで頭をわしづかみにされ、そのままぐいと離された。アズール自身も近さに驚いたのは事実だが、それにしたって雑ではないか。どうせ照れ隠しだろう、と目線を持ち上げてみれば、いつもどこか影を背負っている白皙は、真っ赤に染め上がっていた。

 

「おやまあ……」

「オヤマアじゃないんですよ。パーソナルスペースわかる?わかんないか……わかんないよな……アズール氏基本的に人との距離近いもんな……」

「わかりますよそれくらい、僕人魚ですけど」

「そうではなく」

「嫌なんですか?」

 

 ぐう、と獣の唸り声じみた声を上げて、イデアは黙りこんでしまった。いい人だ。この場限りであっても、嫌だと言い切ってしまえばいいのに、それができない。いいひと、という言葉の中には、アズールにとって扱いやすくていい人、という意味も勿論含まれている。

 不満げに細められた目の、まつ毛まで青いのを確認して、アズールはからりと笑った。

 

「ならいいじゃないですか、好きなんですよ」

「え?」

「あ?」

 

 沈黙。

 しまったな。眉をひそめて、内心で舌打ちをする。ころりと口から転がり出た言葉は、アズールの紛れもない本心だったからだ。

 好きなんですよ、何が?と自問して、イデアさんがじゃないんですか、と自答する。そう、好きだ。理由も切っ掛けもさっぱり分からないけれど、とにかくアズールはイデアに、恋情というものを抱いていた。

 

「え、とアズール氏……」

「今ちょっと口開かないでもらえます?」

「理不尽」

「本当に黙って」

「んん」

 

 それにしたって迂闊な発言など、海でも陸でも、ここ最近は数えるほどしかしていなかったから、どう対処していいものかもわからない。

 友情ですよとごまかすには、ちょっと本性を知られ過ぎている。あなたの髪が、なんて気障ったらしいことこの上ない。考えただけで鳥肌が立った。そもそも黙って、なんて言ってしまった時点で、ごまかしが通用するとは思えない。

 

「イデアさん」

 

 だからアズールは、開き直ることにした。

 

「ヒャイ」

「僕、あなたのことが好きなようです」

「ホア……」

「ただまあ、とりあえずこの件一旦保留にしておいていただいてもよろしいですか?」

「エッ」

「えっ」

 

 ぽふん、と一際大きく、イデアの髪が燃え盛った。

 

「なに、え、なんで、保留?ビジネスか?」

「いや違いますけど」

「じゃあなに、なん、なんで」

「いやだっていきなり言われても困るでしょう」

「そりゃまあ……そっすね……はい……ごめんね……」

「いいんですよ」

 

 嘘だ。本当は少しだけ、僕もだよ、と返してくれないかと期待していた。同時に、そんな奇跡が起こり得ないことも理解していた。そもそもイデアは根っからのヘテロであるようだし、アズール自身もそういった意味でのアプローチはしていなかったのだから。

 

「ほら、告白してからが勝負、みたいなところあるじゃないですか」

「ちょっとどこの世界の常識かわかんないけど、あるんですか?そんな常識が……」

「あるんじゃないですか?」

「アズール氏やっぱりメンタルウルツァイト窒化ホウ素じゃん」

「は?」

「ごめんて」

 

 そこそこに傷付いてますよ、なんて言ってしまえばイデアはそれこそ過剰なまでに気を使うだろう。だから、アズールは慈悲の心を総動員してため息ひとつで許してやることにした。

 それにそろそろこの話題を切り上げないと、部活の終了の時間はもうすぐそこまで迫っている。

 

「さて、こういう時はどういえばいいんでしたかね」

「はい?知らんよ拙者、リア充じゃないし……」

「あ、思い出しました」

 

 ぽん、とわざとらしく手を打ち付け、そのままイデアの前に差し出した。差し出したアズールの手と顔を交互に見比べる動作が、入部当初とあまりに変わりなさ過ぎて笑ってしまう。

 

「お友達からお願いします」

「いやすでにお友達では?!」

 

 まあいいけどね!と叫ぶようにして握られた手は、低体温気味の彼にしてはひどく温かかった。

 

説明
※2020/05/26にPixivへ投稿した作品をTINAMIへ移行したものです

先輩の前で油断してぽろっと本音出たらおもしろいよねという話。
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