笑って、私の女王様
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 硬い人だ。そして、それが美しい人だ。

 ルークはヴィル・シェーンハイトという生き物のことを、ずっとそう思っている。

 美しいものが好きなルークが、ナイトレイブンカレッジの入学式でヴィルに目を留めたのは当然のことだった。あちらを見てもこちらを見ても興味をひく生き物ばかりの鏡の間で、ひときわ輝いていたのがヴィルだった。テレビは見ない。ソーシャルネットワークサービスもしない。だから彼が芸能を仕事にしているというのも、後から知ったことだった。

 

「毒の君」

「アンタ、その呼び方どうにかならないの?」

「ならないね。だって君に一番似合うだろう」

「……まあ、悪い気はしないわね」

 

 毒を一番うまく作ることのできる者が寮長を務めるこの寮で、ルークが毒の君、と呼ぶのは寮長ではなくヴィルひとりきりだ。いずれはその地位に就くと決めているヴィルにとっては、悪い呼び名ではない。

 

「ところでヴィル、もしかして眠れていないのかい」

「なぜ?」

「クマが少し。肌も荒れているようだ」

 

 すう、と血の気の下がるような思いがした。

 ヴィルは、隣を歩いていたルークの顔を反射的に振り返って、まじまじとその表情を見る。そこにはからかいも侮蔑もなく、ただ当たり前のことを指摘しただけというような、自然な笑みが浮かんでいるだけだった。寮の窓から差し込む光に照らされた金糸が、首が傾けられたのにつられてさらさらと輝く。

 

「わかるの」

「わかるさ。観察は得意分野だ」

 

 完璧な角度で上がった口角は自慢げですらなく、それが余計にヴィルの動揺を誘った。たしかに朝、鏡を覗きこむや顔をしかめた程度には、今日のコンディションは悪かった。もっとも、誰が見ても気が付くような不調ではないし、普段通りに見えるようにメイクだって丁寧に施してきたはずだ。それを見破る観察眼。隣の男が急に得体の知れない生き物のように見えてきて、ヴィルは背筋を泡立たせた。

 

「ちょっと、仕事との兼ね合いで。……いえ、そんなのは言い訳に過ぎないわ。怠けたの」

「自分に厳しいのだね。今日は眠れそうかい?」

「ええ」

「ならよかった」

 

 二人は再び並んで歩きだす。入学早々、すっかり当たり前になった光景だ。それを遠巻きに眺める同級生がいることには、勿論ふたりとも気が付いている。

 ルークは気が付かれないように、そっとヴィルの横顔を盗み見た。硬く、つめたい美貌だ。うっすらと残る幼さすら、それを引き立たせるためのスパイスにしかならない。いずれはそれも抜け、浮世離れした美しい生き物になるだろう。

 硬い人だ。それが、美しい人だ。柔らかさはない。彼自身が、不要なものだとそぎ落としていったからだ。硬いばかりの生き物が、果たしてどこまで折れず曲がらず生きていけるのか、ルークはそれが気がかりで、けれど興味があった。

 

「ルーク」

「なんだい毒の君」

「アタシが寮長になった暁には、アンタを副寮長に指名するわ」

「光栄だ!」

 

 ぱ、と上がった声の華やかさに、視線が集まる。良くも悪くも、耳目を集めやすい二人だ。

 

「だから寝癖ぐらいしっかりなおしなさい。スキンケアもすること。アタシの隣に立つんだから、中途半端じゃ困るのよ」

「ウイ」

「……本当にわかってる?」

 

 教室に着いたら寝癖はなおしてあげるわ、とヴィルが言う。そこに捨てきれない柔らかさを感じて、ルークは勝手に胸を撫でおろした。いくら興味があったからといって、無残に折れて砕けていくのを見たいと願っているわけではないのだ。

 けれど、ヴィルは折れても曲がっても砕けても、その断面すら美しいだろうし、何度だって立ち上がるだろう。もしそんなことが起きたとしたら、立ち上がるための手伝いぐらいは精一杯務めさせていただこう。

そう決めて前を向いたルークの顔を、ヴィルは一度も見なかった。後ろ髪のぴょこりと跳ねたのに気を取られて、やっぱり寝癖のなおし方から指導しなくてはいけないかしら、とそればかりを考えていた。

 

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「あらルークお帰りなさい」

「……やあ、ヴィル、ただいま」

 

 笑顔が今日も麗しい。ページをつまむ指先の先端までもが美しい。称賛する言葉はいくつもあるはずなのに、ルークは自室の扉を開いたそのままの体勢で、なんとか挨拶を吐き出した。

 す、と切れ長の瞳が動く。獲物を狙う時の俊敏さは欠片もなく、ただのろのろと、現場を確認する。ベッドメイクは完璧だし、埃のひとつも落ちていない。鏡は今日も、曇りひとつ無く磨き上げられている。異常があるのは招き入れたわけでもないのに座っているヴィルと、膝の上で開かれているアルバムだけだ。

 

「どうしたの?早く入ればいいじゃない。アンタの部屋なんだから遠慮する必要なんてないわ」

「そう……そうだね……うん……何故ここにいるのか聞いても?」

「だってアルバム見せてって正面から頼んでも拒否するでしょう」

 

 だからといって不法侵入は如何なものか。ルークはそれを非難する権利を持たない。時と場合によってはそれが一番いい手段になり得ることを、経験則から知っているからだ。

 実際、ヴィルにアルバムを見せてほしいと正面から頼まれたとして、ルークは丁寧に断っただろう。常日頃からデリカシーがないだの空気が読めないだのと言われているルークでも、見せていいものと悪いものの区別ぐらいは付く。

 

「君が見る必要のあるものとは思えないのだけれど」

「アタシが見る必要があるかどうかはアタシが決めることよ」

「その通りだね」

 

 ふうん、と興味があるのかないのか、判別のつかない息を漏らしたヴィルの、細く、長い指先がページをめくる。収められているのはどれも、ネージュ・リュバンシェその人の写真ばかりだ。

 

「何故見たいのか聞いても?」

「質問ばっかりね。見たいからよ。知りたいから。アンタがなんでアタシじゃなくて、ネージュのファンなのか」

「……まるで私が君のファンではないような言い草じゃないか」

「ファンではないでしょうよ」

 

 矢よりも鋭い言葉が、再び開こうとしていたルークの口を閉ざした。そのことを持ち出されると、何も言えなくなってしまう。

 

「別に責めてるんじゃないのよ。だからそんな情けない顔しないの」

「ウイ」

「あと部屋の中では帽子を取って」

「その通りだ」

 

 羽飾りの揺れる帽子を外し、フックにかける。鏡を覗きこんで幾分か乱れた髪を手櫛でなおす、その間も、ヴィルの視線はじっとアルバムに向けられたままだ。気まずい。勝手に気まずくなっているだけなのはわかっているのだが、ルークは妙に胃が重たいような気がしてきた。

 ネージュのファンであることを恥じている訳ではない。ヴィルが、もうそれを心底から気にするような精神状態ではないこともわかっている。それでも、条件反射的に身構えてしまうのだ。かつては意図的に伏せていた情報だから、いきなり真っ向から向き合われると、どうしていいか分からなくなってしまう。

 

「ねえルーク」

「なんだい毒の君」

「こうやって見ると本当に腹立つ顔してるわね、ネージュ・リュバンシェって」

「見ない方がいいんじゃないかい……?」

「そうね」

 

 透き通ったアメジストが、静かに上げられた。そこになんの淀みも陰りもないことを確認して、安心してしまう。ヴィルにはいつだって、強く、硬く輝いていて欲しいのだ。

 

「そうかもね」

「……どうぞ、気のすむまで見ておくれ。流石に傷つけたりするのは許せないけれど」

「アンタの大切なものを勝手に損なうようなことするわけないでしょ」

 ばかね、と笑う。その顔は妙に晴れやかで、腹立たし気だ。

「ところでいつからネージュのファンなの?」

「言わなきゃ駄目かい?」

「言いなさい」

「では長くなりそうだから紅茶でも入れようか」

「……アタシ聞いちゃいけない事聞いたかしら」

 

 ルークが茶器を取り出すのを、苦い顔で見つめる。膝に乗せたアルバムの重さの分、彼のネージュに対する感情も重いのだということを、この後数時間かけてしっかりと理解させられることを、ヴィルはまだ知らない。

 

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 上下左右、どこに目をやっても煌びやかで、ルークはその絢爛な光の渦に圧倒されるような思いだった。

 しっとりとした光沢の深い赤が大理石の床を覆い、頭上にはシャンデリア。足りない光源は魔法石を入れたランタンをいくつも浮かべることで補っていた。絵に描いたようなパーティ会場だ。木々の間から差す陽光や、枯草や砂に覆われた大地に慣れ親しんだルークにとっては、到底馴染みのない光景だった。

 ナイトレイブンカレッジを卒業してから数年、徐々に写真家としての仕事を貰えるようになっていたが、今日ここにいるのは、その仕事のためではない。そもそもルークの専門は動物や風景だ。今日は、ただのルーク・ハントとして、お招きを受けたわけである。

 ふ、と詰まったような息を吐いて、壁に寄りかかる。ひんやりとした石造りのそれは、上がった体温を吸収してすぐに温くなっていく。どんな状況でも、そう簡単に動揺したりはしない、と思い込んでいたが、どうやらそれは間違いだったらしい。

 ざわ、と周囲の人々が沸き立つ。波のように大きくなり、小さくなり、けれど途切れることなく聞こえる声の中に、ルークはここに自分を招いた張本人の名前を聞き取った。

 

「なんだ、ちゃんと来たのね」

「勿論。君のお誘いとあらばどこへでも」

 

 よく言うわ、と鼻で笑ったヴィル・シェーンハイトは、目を見張るほどに美しかった。学生時代よりさらに洗練された容姿、言葉遣い。それに何より、彼の内側からあふれ出す自信が、ヴィルの事をより一層輝かせていた。

 

「何度も誘ったのに、ようやく一回目よ。口先だけならなんとでも言えるわ」

「……ヴィル、ああ麗しの毒の君。それについては本当に申し訳なく思っているよ。先の言葉に嘘はないけれど、私にも仕事というものがあってね」

「はいはい。新進気鋭の写真家さんはいつ声をかけても辺境の地にいるものね」

「今回ばかりは参加出来てよかったと、本当に、心から思っているよ」

 

 紫に彩られた艶やかな唇が、満足げに弧を描く。かつての寮服を思わせる、青みの強い紫だ。ヴィルに世界一似合う色だと、ルークは今でもそう思っている。

 

「今のご気分は?」

「最ッ高」

「ははは」

「アンタちゃんと授賞式見てくれたんでしょうね」

「勿論。君の素晴らしく切れ味のいいスピーチまで、一言一句」

 

 ヴィルとネージュが、数年前から男女の垣根の無くなった主演俳優賞にそろってノミネートされたのは、ここ最近で一番のニュースだった。ルークがそれを見た時、果たしてどちらを応援するべきか、頭を抱えたのもいい思い出だ。

 

「ネージュじゃなくてがっかりしたでしょう」

「……ヴィル、君という人は、時々心底意地が悪くなるね」

「あらそう?」

「せめてその笑顔はね、隠すべきだと思うよ」

 

 ますます深くなる笑みを見て、けれどルークは嫌な気持ちにはならなかった。ネージュが受賞を逃したのが残念でないとは言えないが、それはヴィルの受賞を喜ばない理由にはならない。むしろ、自分がなにかしらの賞を受けたわけでもないのに、誇らしいような気分になるのだった。

 

「あらためて、受賞おめでとう。ヴィル」

「ありがとう。……ねえ、ルーク。ひとつお願いがあるの」

「なんでもどうぞ?」

「アタシの写真を撮ってくれない?」

「……人は、専門ではないのだけれど」

「いいのよ」

 

 ふ、と鋭いアメジストが緩む。

 

「アンタに撮ってほしいの」

 

 ルークはそっと、魔法石のバングルをつけた腕を振った。途端、金色の光が集まりカメラを形作っていく。写真を撮るつもりは無かったのだが、商売道具が手元にないのも落ち着かないので、魔法で収納していたのだ。

 いくつかの微調整を行い、ゆっくりとカメラを構える。それだけでパーティの喧騒は遠くなり、まるで世界にたった二人しか存在しないかのような錯覚をもたらした。

 

「笑って、ヴィル。私の女王様。一番の友人」

「っふ、なによそれ」

 

 シャッターを切るその瞬間、レンズ越しのヴィルが、照れくさそうに笑み崩れた。

説明
※2021/02/28にPixivへ投稿した作品をTINAMIへ移行したものです

5章を読んでどうしてもこの二人の着地点を見つけたかったので書きました。
・一年時と卒業後の二人の捏造があります。
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ツイステッドワンダーランド ヴィル・シェーンハイト ルーク・ハント 

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