真・恋姫無双〜魏・外史伝〜 再編集完全版 最終章 |
男に名は無かった。
創った少女は名前を付けようとしたが、男は拒否したのだ。
特に深い理由などなく、単純に不要と考えたからだ。
男は、伏羲、女渦、祝融の三人を管理する存在だった。
自身の役割を知り、それを実行する。ただそれだけの装置に名前など不要だと。
少女は感情を、心を理解したいと望んだ。
少女の願いを知った時、男は自身が生まれた理由を見出す。
もしも、少女が心を持ったのであれば、彼女はどんな顔をするだろうか。
表情一つ変えない顔が笑ったら、一体どんなに素敵だろうか。
少女の儚い願いを叶えるために、男は全てを壊し、支配する事を選んだ。
第三十一章〜誰かが紡ぐ物語〜
最終局面、並行外史管理機構の中枢部。
地平線が存在しない、全方位が白に尽くされた空間。
白を纏う北郷一刀と黒を纏う男。
同じ顔を持つ二人の男が壮絶な攻防を展開していた。
「はぁあああッ!!!」
鋭い刃を模した影を無限に出現させ、一刀を狙って乱射する男。
一刀は足を使わず、空間を縦横無尽に飛びまわり、影を回避していく。
さらに何の前触れもなく出現する黒色の斬撃が全方位から襲い掛かるも、事前に察知していたかのように躱していく。
向こうの景色が見える程に極めて薄い羽衣が一刀の動きに合わせて靡く。
羽衣には体の輪郭を暈す効果があり、動いている間は一刀の位置を分かり難くさせていた。
さらに、一刀が通過した場所に複数の武器が配置され、男に向かって飛んでいく。
武器の種類は剣、槍、戟、と多種多様。
しかも、いずれも恋姫達が使っていた得物と同一であった。
黒い影と恋姫の得物が幾度も激突し、形のみを象った影は跡形もなく霧散した。
何ら前兆もなく、男はその姿を消した。
次に姿を現したのは一刀の眼前であり、両刃剣を一刀に振り下ろした。
一刀が咄嗟に手の中に出現させたのは、先の一戦で回収していた鳳凰の武器。
それは鉄杭を撃つ、拳銃に似た、片手に収まる代物。
男の攻撃を横にすり抜けるように躱し、振り返り様に引き金を引く。
火薬が爆ぜる爆音とともに銃口より発射される三本の鉄杭。
「ぐぅッ!」
その全てが背中、右肩に命中し、男は攻撃直後の体勢を崩し、下へと落下する。
一刀の目に炎が宿ると身体より青白く発光、手に持つ武器も共に輝くと、周囲に秋蘭、紫苑、祭の得物である弓が出現。
引き金を引くと、炎を纏った鉄杭と共に弓より放たれた矢が飛ぶ。
そして、三本の矢が鉄杭に吸い付くように融合。一つになると、巨大な炎の龍となって男を飲み込んでいく。
飲み込まれた男は為す術もなく、まるで溺れるように龍の体内でもがいていた。
一刀の両手を出現したのは沙和の双剣・二天。
柄を持つ手に力を込めると、片刃剣の刀身に青白い炎が宿る。
「ふッ、はぁッ、はぁあああッ!!!」
二本の剣を振ると刀身より、刃と化した炎が飛んでいく。
炎の龍に炎の刃が触れた瞬間、大爆発を起こした。
「・・・が、ぁ、ぁあッ!」
龍の拘束より解放された男は苦悶の表情。身体を青い炎で焼かれ、片膝を折った。
「あああああああああッ!!!」
男は開いた右手で足元を叩く。瞬間、一刀の周囲に影が出現。
華琳達、恋姫達の姿を模した影。
無表情のまま次々と一刀に襲い掛かる恋姫達の影。
先程は為す術もなく一方的に屠られた。しかし、今度はそうならない。
一刀は襲い掛かる影の姿、恋姫に合わせて武器を選択。
春蘭であれば、愛紗の青龍偃月刀を空間に出現させ、春蘭の放った一撃を受け止め、斬り裂く。
雪蓮であれば、春蘭の七星餓狼を出現させ、渾身の一撃で雪蓮の攻撃もろとも叩き伏せる。
愛紗であれば、明命の魂切を出現。愛紗の一撃を躱し、背後に回ったと同時に首を刎ねる。
恋姫達の影を冷静に、そして容赦くなく、対処していく一刀。
さらに華琳の絶を空間に出現させると、絶はその場で巨大化、丸形鋸のように高速回転させ、周囲の影を一掃する。
そのまま男に目掛けて投げ飛ばすと、巨大化した絶は二つ、三つ、四つ・・・六つに分裂した。
「舐めるなぁーーーッ!!」
男は両腕に力を込める。そして両腕を前に伸ばすと、掌より黒い炎が放たれる。
両手から放たれた炎が重なり、巨大な炎の龍となり、分裂した絶を一瞬で消滅させ、更に一刀を飲み込む。
今度は男放った龍が一刀に襲い掛かったのだ。
しかし、飲み込まれた瞬間、炎の龍は爆散して消滅してしまった。
「何、馬鹿な!?」
男は何もしていない。自身の意思に反した現象にただ驚くしかなかった。
『ご無事ですか、一刀殿』『全く、何を油断しているの!』
その姿はこの場にいる誰にも見えていないし、その声も聞こえない。
二人の少女が、羽衣が一刀に寄り添い、彼に降りかかる障害から守っていた。
稟と桂花の存在に気付いているのか、一刀は微笑む。
それは、自分は一人で戦っていない。皆と一緒に戦っているんだ、とそう確信した笑みだった。
「華琳!」
彼女の真名を叫ぶ。瞬間、一刀の眼前に再び絶が出現する。
絶を手に取ると、男に向かって飛んでいく。
男は撃墜せんと、周囲の空間より再び無数の影の刃を出現させ、広範囲に放つ。
対して一刀は影の合間を縫うように軌道を変えて男へと近づいていく。
躱しきれない影に対しては恋姫達の得物を出現させ、影と相殺させる。
「はぁッ!!」
ガッゴォオ―――ッ!!!
空間に響き渡る金属音と衝撃。
男の両手に片刃の剣。元々一つだった両刃剣が縦に分裂し、二本の片刃剣に変化したのだ。
絶の一撃を左手に持った片刃剣で受け止めると、右手に持った片刃剣で反撃に移った。
一刀は絶の柄の先端で男の攻撃を受け止めると、また攻撃を行う。
「ふんッ!」
「はぁッ!!」
「せいッ!!!」
二人は攻撃をしては防御しての攻防を展開していく。
相手が得物を振れば、自身の得物で受け止め、時に躱して自身の攻撃へと繋げる。
相手から距離を取り、向こうが出てきたところに合わせて反撃する。
互いの攻撃が衝突、弾かれてもすかさず攻撃に転じる。
その最中、男は二本の剣の柄頭を結合させると、柄が延び、双刃の槍へと変化する。
双刃槍を振り回し、男は攻勢を強める。
変化した攻撃に対応できず、一刀は防戦一方となるが、その表情に焦りはなかった。
「霞!」
霞の真名を叫ぶと同時に、男の動きが止まる。
「がぁ、・・・な、何ィ!?」
視線を下ろせば男の胸から刃が飛び出し、後ろを振り返れば、背部より貫く霞の飛龍偃月刀がそこにあった。
『今や、一刀ぉっ!!』
男が一刀から視線を外した瞬間、一刀は再び鳳凰の武器の引き金を引き、男に鉄杭を撃った。
「ぐォオオオ―――ッ!!」
鉄杭が男の体に触れた瞬間に爆発。その衝撃で男は後方へと吹き飛ばされる。
「季衣!流琉!」
一刀の両手にまたも別の武器が現れる。
左手には季衣の岩打武反魔、右手には流琉の伝磁葉々。
二つの重量武器を振りかぶり、男に向かって豪快に投げ放った。
「くぅ!」
男は前面に黒い障壁を発生させ、二つの衝撃を防いだ。
『流琉、行くよ!』
『やろう。季衣!』
『『はぁああああああ―――っっ!!!』』
岩打武反魔と伝磁葉々に青白い炎が宿った瞬間、障壁は飴細工のように呆気なく破壊された。
「馬鹿な・・・ぐぁあああッ!?」
男は為す術もなく、二つの重量武器の一撃を喰らい、その身体を抉られる。
だが、抉れた部分は一瞬で再生し、男は空間に槍を出現させる。
男は槍を手にすると、一刀に目掛けて投擲した。
「真桜!」
一刀の手には真桜の螺旋槍。そして、飛んでくる槍を正面に捉え、突きを放った。
『行くでぇ、隊長ぉっ!!!』
高音の機械音がうねりを上げると、螺旋が槍の切っ先から破壊した。
一刀は螺旋槍と共に男に向かって飛ぶ。
対して、男も双刃槍を持ち、一刀との間合いを一瞬で詰める。
「はぁッ!」
直線的な軌道を描いていた螺旋は躱され、男が放った斬撃が螺旋槍を破壊する。
武器を失った一刀の首を狙い、男は横薙ぎの斬撃を繰り出す。
「凪!」
男の斬撃を左腕の手甲で受け止める。
そこから一歩、男の懐へと入り込み、一刀は右拳を男の鳩尾に叩き込んだ。
瞬間、右拳に炎が宿る。
『ここです!隊長っ!!!』
右拳に込められていた気が爆発。
「がはぁッ!!!」
男の身体はその衝撃で宙に舞い上がる。
「沙和!」
次に沙和の二天を手に取ると、落ちてくる男に合わせて二つの斬撃を重ねた。
『やっちゃえ、隊長ーっ!!!』
斬撃をまともに受け、男はまたも後方へと吹き飛ばされる。
しかし、吹き飛ばされながらも、男は体勢を整え受け身を取った。
連続の攻撃をまともに受け、男は血反吐を吐き、両肩で呼吸しながらも次の攻撃へと移る。
「き、きえ・・・、消え、ろォオオオオオオーーーッッッ!!!」
必死に吐き出した言葉と共に両手より黒い炎を発現させる。
天地上下、あらゆる箇所より炎が噴出。天より炎を纏う隕石群が降り、地より炎の柱が上がる。
『大丈夫ですよ。お兄さんは、風達が守りますから』
男の渾身の技。
全方位から襲い掛かる黒い炎を浴びる一刀だったが、
まるで意思があるかのように、羽衣が黒い炎から一刀を守っていた。
「春蘭!秋蘭!」
右手には春蘭の七星餓狼、左手には秋蘭の餓狼爪。
七星餓狼は炎に包み込まれると一本の矢に変化し、餓狼爪の弦に掛けて力の限りに引く。
『やれ、北郷!!』
一刀は矢を放った。
矢は空間を引き裂くように、炎を放射状に拡散。黒い炎を掻き消していく。
『はぁあああああああああっっっ!!!』
矢が青白い炎に包まれる。炎は春蘭の姿に変わり、振り上げた七星餓狼を男に振り下ろした。
ザシュゥウウウ―――ッ!!!
「・・・ッ!」
男の身体は炎の斬撃で引き裂かれ、その衝撃は男の背中を越して突き抜けていく。
男は限界に達していた。両膝を折り、その場に跪いた。
「これで終わりだ。外史喰らい!!」
握り締めた一刀の右拳に炎が宿る。これまでの青白いものではなく、赤く燃え盛る炎。
一歩、右足を前に出し、一歩、左足を前に出す。
ゆっくりと歩む一刀。炎の残像で輪郭がぼやける。そして、一気に駆け抜ける。
『一刀ぉっっっ!!!』
一刀の右拳は男の顔を捉える。
「うおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!」
一刀の叫びに呼応して拳がめり込み、男の顔の形が変形していく。
「ぐ、ぉおおお・・・まだ、まだだ!
・・・僕は!・・・僕はぁ!!・・・ぁ、あああああああああ・・・!!!」
一刀の渾身の一撃。
勝敗は決した。
―――今、思い出したことがある。
昔、じいちゃんが言っていたことだ。
あの頃は、まだ小さかったから意味が分からなかったけど。
『お前もいずれ、儂のように外史を開くことになるだろう。自分の意思とは関係なくな。
その時までに儂が少しでも鍛えておかないとな』
あぁそうか。じいちゃんは最初から分かっていたんだ。
俺と同じように、じいちゃんも突端として外史を開いていたから。
どうして今頃になってじいちゃんを思い出すようになったのか、その理由が分かった。
きっとこの思い出は、正確には俺のものじゃないだろうし、ただの設定に過ぎないのだろう。
だけど、それでも・・・。
ありがとう、じいちゃん。・・・そして、さよなら。
「まだ、まだ・・・だ。僕には、まだ・・・やらなくちゃ、ならないんだ」
「いいえ、もう良いの」
その声で男はようやく少女の存在に気付く。
そして、今の自分の状況、これからの顛末も把握した。
「・・・、あぁそうか。僕はもうお役御免なのか」
「・・・・・・ごめん、なさい」
震える唇。
何かを堪えて、振り絞った言葉。それとともに少女の頬を一筋の涙が流れ落ちた。
泣いている少女の言葉に、男は理解できなかった。
「何故、君が謝る?」
「だって、私のせいで・・・あなたは」
それは後悔。
自分の浅はかな願いから生み出し、その結果、取り返しのつかない状況になった。
その責任は自分にあるはずなのに、その全てを男に押し付けてしまった。
それがどうしようもなく、情けなく、悲しく、許せなかった。
だが、男は首を横に振った。
「いや、君は何も悪くないよ。これは俺がこれまでしてきた結果。俺が負けたってだけの話さ」
「どうして・・・、あなたは私のために!」
「君のために生まれた僕が君のためになる事をするのは当然じゃないか。
まぁ・・・、この結果に不満がないと言えば嘘になるのだけれど」
「・・・・・・」
少女は泣いた。
男のために、ただ泣くしかなかった。
そんな少女を見て、男は困ったような顔をする。
「あぁ・・・、参ったな」
僕が君にそんな顔をさせているなんて。
君が心を知りたいと願ったから、それを叶えようとした。
沢山の外史の情報を集めて、それでもまだ足りないから、感情の情報を集める事を思い付いた。
感情を集めれば、心を理解できるかもしれない。
そう思ったから、末端の三人に指示を出した。
だけど、感情を集めていた僕達が君より先に個性が、心が生まれたのは皮肉な話だった。
心をもった僕達は、いつしか本来の役割から逸脱して、心のままに動くようになっていた。
―――あぁ、そうか。今の今まで忘れていた。
だけど、思い出した。
僕は・・・、君に・・・笑って欲しかったんだ。
「はぁ・・・はぁ・・・」
男に勝った一刀。
全てを出し尽くし、肩で息をしていた。
そんな彼の元へ、今までどこに隠れていたのか、貂蝉と于吉が歩み寄っていった。
「お疲れ様、一刀ちゃん♪」
「・・・貂蝉」
「まさか、本当に成し遂げてしますとは。もっとも、それも主人公補正があってのことですがね」
「もう、于吉ちゃんったらぁ〜。そこは素直に褒めてあげればいいのに。ねぇ」
「元よりこういう性格なのです」
漫才をする貂蝉と于吉。
そんな二人のやりとりを見て、一刀はようやく安心感を得る事が出来た。
安心した一刀はふと、ある事を、次にすべき事を思い出した。
「・・・。それよりも、これからどうしたらいい?」
「もちろん、並行外史を元に戻すのよ」
そう、それこそが真の目的。
多大な犠牲を払い、外史喰らいの中枢部に到達し、外史喰らいによって改変された並行外史をあるべき形へと戻す。
外史喰らいの男を倒す事は、飽くまでも目的を達するための一過程にすぎなかったのだ。
これは、華琳も承諾した内容、計画であった。
天文学的な確率とも言える、一刀の覚醒。
戦いに賭けを持ち込まないはずの彼女がこの計画に乗ったのは、
藁にもすがる思いだったのか、それとも成功する確信があったのか・・・、その真意は分からない。
一刀も左慈との決着から泰山に辿り着くまでの間に于吉から計画の全容を聞いていたが、ふと一つ疑問が浮かぶ。
「だけど、削除された外史を復活させることが、本当に出来るのか?」
その疑問を耳にした途端、何か都合が悪いかのように于吉は眼鏡を掛け直した。
「・・・あなたは一つ勘違いしているようですが、これからやろうとしているのは『初期化』です」
「初期化、だって?」
その単語に一抹の不安を感じる一刀。
そんな彼を余所に、于吉は淡々と話を続けた。
「この並行外史を最初の状態に戻す、という事です。
多岐に枝分かれした外史たちが存在しない、根幹となる本家の外史のみの状態に再構築するのです」
「そんな・・・!?」
「大丈夫よ。あなたのいた外史はちゃんと戻るから、安心して頂戴」
「いや、だけど、初期化するってことは・・・」
貂蝉が間髪入れずにフォローを入れるも、一刀にとってそういう問題ではない。
自分がいた外史は消されずちゃんと残るのだろう。しかし、初期化された事で最初の状態に戻ってしまうのではないか。
「察しが良いですね。
・・・えぇ、あなたが今考えている通りです。あなたがこれまで経験して、築き上げたものは全て無かったことになります」
「ちょっと待て!それじゃあ、華琳達との記憶も・・・、全て無かったことになるのかよ!」
「仕方がありません。今の現状を修正するには、全ての情報をリセットする以外に方法はないのです」
「そんなの駄目だ!」
「それならば、最初から外史喰らいの好きにさせておけば良かったのですよ」
「く、くそぉ!そんなのって・・・」
「・・・いいえ、まだ諦めるのはまだ早いかもしれないわ」
どうする事も出来ないのか。諦めかけたその時、貂蝉が一刀にとっての希望を提案した。
「ん?それはどういう意味ですか、貂蝉?」
「削除されたと言っても、まだ『ごみ箱』に入っている状態みたい。
もし、ここから復帰させることが出来たのなら、これまでの情報を引き継いた状態で外史を復活させられるかもしれないわ」
「そうなのか。それなら!」
「もっとも、パソコンのそれとは勝手が違うから、そう簡単な話ではないけれど・・・。
今の一刀ちゃんなら、創造の力を持ったあなたならばきっと出来るはずよ」
今の自分であれば・・・、その言葉の真意は一刀には分からなかった。
しかし、まだ可能性が、希望があるというのであれば、手離したくはなかった。
「分かった。やってみる」
一刀が二つ返事で同意すると、目の前に巨大な画面と端末状のものが出現する。
そして、一刀は迷う事なく、端末へと手を伸ばした。
端末はキーボードのようなキーは存在せず、一刀の手を認識した瞬間、端末から光が発せられた。
「ふッ、ふぅ・・・、ぐぁッ!」
口から苦悶の声が漏れる一刀。
端末が光り出した瞬間、一刀の中へと大量の情報が流れ込んでいった。
脳に大きな負荷が掛かる。まるで二日酔いに似た感覚、吐き気とめまいで気を失いそうになった。
「しっかりして、一刀ちゃん!
ここが踏ん張りどころ、ここであなたがしくじれば、曹操ちゃん達の犠牲が無駄になるわぁ!」
「ぐ、ぅううう!わ、・・・分かって、いる!!」
朦朧とする意識の中で、何とか言葉を返す一刀。
唇を噛み締め、気を保とうと試みる。
「ぐ、ぐぐ・・・、ぐぅ!」
噛んだ唇から血が流れ落ちる。
一刀の身体に流れ込む情報はとどまる事なく、加速的に増加していく。
全身を電流が駆け巡り、血管は浮き上がり、髪が逆立つ。
「涼州での一件。祝融によって暴走した盤古をあのままにしておいた場合、
外史に致命的なバグが生じ、並行外史そのものが破綻していたかもしれません。
しかし、あなたはその事象を無かった事にした。・・・つまり、改変したのですよ」
「いくら外史の突端であるあなたでも、無双玉の力を取り込んだだけでは決してそんな事は出来ない。
でも、あなたはやってのけた。・・・つまりあの時、あなたはすでに創造の力を持っていたのよ」
「奇しくも『あの外史』の北郷一刀と同等、それ以上の力を持つ。そんなあなたを外史喰らいは恐れたのでしょう。
故に、別の外史に転移したあなたをこの外史に戻した、確実に自分の手で殺すために」
「・・・彼も分かっていたのね」
「恐らく、この外史を調べた時に。
主人公と言えど、物語のプロット通りに動く、登場人物の一人に過ぎない。
にも関わらず、彼はプロットを覆し、その結末を大きく変えてしまった」
「な〜るほど。その時の活躍が理由なのね。
外史(ものがたり)を変えたことで、辻褄を合わせるために一刀ちゃんに創造の力の一端が付加された。
ご主人様が無双玉を託したのは、この力が発現するための切っ掛けに過ぎなかったのね」
「しかし、そうなると・・・あれは一体?あれもまたプロットに組み込まれた登場人物であるはず」
二人の会話は、一刀には届いていない。
状況は依然と変わりはない。
端末に触れていた指先が発火し、じりじりと燃え、指が焦げていく。
感覚はすでに無く、痛みも感じない。一刀は限界に達していた。
「こ、ここまで・・・か」
諦めかけた瞬間、指先に触れるものを感じた。
全ての感覚がすでに無くなっていたはずだが、それに触れた事で一刀は我を取り戻した。
一刀は直感的に理解した。全ての感覚を指先に集中させる。
膨大な情報の中から求めるものに手を伸ばす。
流れに逆らい、身も心も削られながらも、少しずつ近づいていく。
「ぐぅ・・・ウォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――ッッッ!!!」
それは全身全霊の魂の叫び。
最後の力を振り絞り、手を伸ばし、それを手に取った。
少女は見上げていた。
夜空に浮かぶ無数の想いの残滓が瞳に映り込む。
つい先程までは、意味もなくそうしていた。
しかし、今は違う。
少女は待っていた。
「もしかして君が、外史喰らいの本体・・・?」
その声と共に姿を現したのは一刀だった。
「はい、お待ちしておりました」
少女は星見を止め、一刀と対面する。
「初めまして、っていうのは少し・・・違うのかな?」
「そうですね。あなたとは面識がない、という点を除けば」
並行外史管理機構を作ったのは、南華老仙、もとい北郷一刀である。
北郷一刀が複数人存在するため、少しややこしい状況である。
それが少し可笑しく、一刀は力なく笑った。
対して、少女は唇をきゅっとさせて少し俯く。
聞くべきか、否か、を迷う様に。
だが、少女に迷いはすでに無く、覚悟を決めて口を開いた。
「・・・覚悟は、出来ています」
「え?」
少女の言葉に面食らう一刀。
「私は与えれた役割から逸脱し、並行外史だけではなく、正史にまで害を為そうとしました。
どれだけ謝っても許される事ではないと理解しています」
「・・・・・・・・・」
「全ての責任は、私にあります。
だから、私を削除してください。システムの全権はあなたに譲渡しま―――」
「え、え・・・?ちょ、ちょっと待ってくれ!話が飛躍しすぎだって!」
「・・・はい?」
一刀の言葉に面食らう少女。
「責任とか、削除とか、譲渡するとか。俺は別にそんな話をするために来たわけじゃないって」
「え・・・?え?では、あなたは何故ここに」
「何故っていうか・・・気付いたらここにいたっていうか。・・・俺にもよく分からないんだけど」
「えぇ・・・」
「いや、そんな目で見られても」
二人の間に何とも言えない微妙な空気が流れる。
何となく、自分のせいなんだろうな、と一刀はバツが悪く頭を掻いた。
「まぁ・・・そうだな。強いて理由を挙げるなら、ありがとうって感じ?」
「ありがとう?一体何の話を」
「あの時、君が手を貸してくれなければ、華琳達との記憶を取り戻せなかったから」
一刀の説明で、少女はようやくありがとうの意味を理解する。
一刀が諦めかけた瞬間、膨大な情報量の中から彼が探していたモノを見つけ、教えたのは少女だった。
「罪滅ぼし、などと言うにはおこがましいですが・・・」
「いやだから、罪滅ぼしとかそういうのは良いんだって。
いや・・・、君の言いたいことは何となく分かるよ。きっと、裁いて欲しいんだって」
「分かっているのならどうして」
「悪いけど、俺にはそうする義務も権利もないよ。それが出来るのは、きっとあの偏屈で卑屈な俺なんだと思う」
「ですが、あなたはあの人と同じ・・・」
「同じ、じゃないよ」
「え?」
「確かに、俺もあいつも北郷一刀。君からすれば同一人物なんだろうさ。
・・・けど、あいつと俺は同姓同名なだけの別人であって、俺にあいつの代わりは出来ない。
現に、あいつが一体何をしたかったのか知らないからね」
「それは屁理屈なのでは?」
「そうかもしれない。だけど、あいつは君にそんなことを望んでいたわけではないと思う。それは俺にも分かるんだ」
「そうなのでしょうか?」
「あいつは偏屈で卑屈だけど、自分が招いた失敗を他の誰かに、俺以外に押し付ける程、根が腐ってはいなかったよ。
それに・・・俺もそんなことを望まないしね」
「・・・ですが、それでは私が・・・」
少女は裁かれる覚悟を決めていた。
誰かに裁かれる事で自分の罪を清算しようとした。そして、その誰かは他ならぬ創造主の手で。
だが、目の前にいる創造主は自分を裁かないと、望んでいないと言う。
気持ちの置き所を見失い、困り果てた少女を見て、一刀は一考した。
「俺としては、君にはこのまま並行外史の管理を頼みたい」
「でも、私には・・・」
「本当に反省していて、裁かれる覚悟がある、そんな君だからこそこの役目を頼みたいんだ。
生まれ変わったこの外史がこれから先、どんな風に広がっていくのか見守っていて欲しい。
・・・というか、外史を管理するなんて、『ただ』の北郷一刀には荷が重すぎる」
「・・・あなたも気が付いているはずです。現在、並行外史は衰退の一途を辿っていることを」
「それは・・・・」
それは一刀自身も薄々理解していた事だった。少女は話を続ける。
「あなたは並行外史を初期化しました。人の想念で満たされているならば、外史はすぐに再生されるでしょう。
ですが、急激に外史が増加した影響で人の想念が失われつつあります。そこに初期化した事が加われば、それが加速するのは明白だと思われます」
「・・・結局、あいつが言った通りになるわけか」
「はい。残念ながら彼の考えは正しい。そう遠くない未来、この並行外史は世界から認知されなくなるでしょう」
「そして忘却という死を迎える、と?」
「・・・・・・」
目の前の少女は何も答えず沈黙する。だが、その沈黙は肯定を意味しているのは明白だった。
自分達がしてきたことは全て無意味に帰する、と。
それはまるで死の宣告にも似た、あまりにも残酷なものだった。
「生憎、俺はその辺りのことはよく分からない。君達がそうだと言うなら、きっとそうなんだろうな。
だけど・・・」
「?」
「人の想いってさ、そう簡単に消えるものじゃないよ。
例え忘れられても、いつの日かまた思い出してくれるかもしれない。
たった一人でも覚えていてくれたら、その想いを次へ繋いでくれるかもしれない。
だから、俺はその可能性に賭けてみたいんだ」
「その可能性が限りなく『0』だとしても?」
「0でないなら十分さ。そもそも俺達は限りない0の中から生まれたんだから」
それは奇跡が起きる事を期待するとは違う。一刀は小数点以下の可能性に勝機を見出だしていたのだ。
故に、彼の顔に迷いや恐れはなかった。
そして、物語の登場人物に過ぎない自分に出来ないこと、それを少女に託そうとしているのだ。
この並行外史の行く末を見守り、見届ける事を。
「・・・・・・」
少女はまたも口を塞ぎ、沈黙する。その沈黙は不安、迷いのそれであろう。
自分にそんな資格があるのか、また今回のような過ちを犯さないか、と。
それは正しい反応だ。だからこそ、そんな少女を正しく導く存在が必要だ。
「大丈夫、君の力になってくれるかもな奴に心当たりがあるんだ」
「は?いや、まだやるとは・・・」
「まぁ、そいつ等もあいつに負けず劣らず、面倒くさいんだが・・・けど頼りにはなる」
「いや、だか―――」
「・・・大丈夫だよ」
「え」
「君なら大丈夫、きっとね」
一刀は笑った。満面の笑みを少女に見せる。
一体何を根拠に大丈夫だと言うのか、少女には不可解であった。
しかし、そんな彼が見せた笑顔を見た瞬間、少女の胸につかえていた何かがすっと無くなっていた。
「・・・はい!」
それはきっと反射的に答えたものだった。
だが、少女に後悔はなかっただろう
何故なら、少女が初めて笑顔を見せたのだから。
「待ってくれ、左慈!」
先を行く左慈に、一刀はようやく追いつくと、左慈もようやく歩みを止めた。
「本当にしつこい奴だ。そんなに俺に殺されたいのか?」
「そうじゃない。・・・これからお前はどうするんだ」
「さぁな。
『お前を殺す』・・・それで俺は理由を取り戻そうとしたが、俺が眠っている間に全てが片付いてしまっていた」
「それは・・・ぐッ!?」
一刀が何かを言おうとした矢先、左慈に胸倉を掴まれた。
「俺はまたしても外史を『否定』する事が出来なかった!貴様は、また俺から存在意義を奪ったんだ!!」
「・・・済まない」
「済まないだと?まさか、それだけの言葉で全てを精算できると思っているのか!」
左慈は胸倉から手を離し、そのまま一刀を突き放した。
「俺は・・・貴様が嫌いだ!
俺の邪魔ばかりして、一方で貴様は一人女共に囲まれて、都合の良い外史の中で悠々とのぼせやがって。
何だ、この茶番!?どうして俺がお前の、正史の人間共の下らない欲のためにこんな惨めな思いをしなくてはいけない!!
それが俺の存在意義なのか?運命だと言うのか?どうなんだ、北郷!!」
己の怒りを一刀に突き付ける左慈。
そんな左慈の凄みに一刀は怖気ていた。だが、それはいけないと分かっていた。
このままでは結局、何も変わらない。だからこそ、一刀は口を開き、言葉を紡いだ。
「すまん、俺にも分からない」
「ふん、だろうな。貴様に俺の事など分かるはずもないのだからな」
一刀の謝罪を左慈は吐いて捨てたが、一刀は必死に言葉を続けた。
「確かに、俺はお前の事を全て知っているわけじゃない。・・・でも、これだけは分かる」
「何だと?」
「存在意義とか、運命とか、最初は誰かから押し付けられたものだろうさ。お前はそれに従うしかなかったのかもしれない。
・・・でも、今は違う。今のお前はそんなものに縛られていない、本当の意味で自由だ。
だったらお前は、お前の望む生き方を選ぶことが出来るはずだ!」
「出来るはずだと?ふざけた事を抜かすな!俺が今更、どのような生き方をすればいいというのだッ!!」
「それを決めるのがお前自身だろうッ!!」
「・・・ッ!?」
声を荒げ、怒鳴る一刀に左慈は思わず息をのみ込む。
さすがの左慈も一刀が怒りを露わにして反論してくるとは予想できなかった。
「自分がどうするかを決めることが出来るのは他の誰でも無い、自分だけじゃないのかッ!?
少なくとも、俺はそうしてきた!誰かに与えられたものだとしても、自分の意思で選んできた!!
だから、お前も自分で決めろ、お前の理由も。俺に出来たことがお前に出来ないわけがないだろ?
・・・それで、俺を殺す事がそうだって言い張るのなら、俺は何も言わない」
「貴様・・・」
気付けば、左慈の怒りや憎しみは和らぎ、とげのない表情になっていた。
「・・・左慈、お前に頼みたいことがある」
一刀は左慈に改まった態度で新たな話を始める。
「あの娘は自分の役目を全うしようと並行外史の管理を続けている。でも、まだあの娘は不安で迷っているんだ。
干吉にも話したが、お前にもあの娘の力になって欲しい。あの娘には正しく導いてくれる誰かが必要なんだ」
「・・・それは、俺に命令しているのか?」
「最初に言っただろ、頼みたいって。だからどうするかはお前が決めてくれ」
一刀は左慈の返答を待つ。そんな一刀の顔を見て、黙って考える左慈。
「・・・ちッ」
そして嫌そうな顔で舌打ちをする。
「やはり・・・、俺は貴様が嫌いだ。そんな顔で俺を見やがって。
俺がどうするか、最初から分かっていた、みたいな顔をしやがって」
悪態をつく左慈。そして、左慈は一刀に背を向けた。
「・・・まぁ、いいだろう。俺もこれからどうするか。それが定まるまでの間は、それに乗るのも一興だろう」
「ありがとう、左慈」
「勘違いするな。飽くまで暇潰しの一環だ。貴様のためではない」
結局、それから最後まで顔を合わせる事もなく、左慈は一刀と別れていった。
―――二人は言うなれば、光と闇。
北郷一刀の裏側に左慈元放が存在し、左慈元放の裏側に北郷一刀が存在する。
この関係が変わる事はきっとないだろう。
だからこそ、この二人の間に生じた溝が埋まる事も決してないのだろう。
一刀が外史を肯定し、左慈が外史を否定し続ける限り。
しかし、それでも一刀は信じている。その関係が、いつか変わる事を。
泰山での一戦で見事な勝利を収めてから、半年が過ぎようとしていた。
そう、外史を改変した事によって、あの戦いは勝利したという結末に上書きされた。
―――上書きされた結末から半年が過ぎた世界、蜀領のとある山間の場所。
「久しぶりだな・・・、ここを通るのも」
森の獣道といっても差し支えない程の道。
近くを流れる川の水が入った桶と道中で摘んできた花を抱えて姜維は一人歩いていた。
その道を歩いていけば、かつての自分の生まれ故郷が見えてくる。
人里からかなり離れた山間に、かつて存在していた小さな村。そこがこの少年の故郷だった。
今はその面影は無く、あるのはわずかに残る燃えた家の残骸とその中央に立てられた村人達の墓標のみ。
「・・・・・・」
姜維は木で出来た墓へ一つ一つ丁寧に水をかけ、花を添え、線香を上げる。
「喜んでくれるかな?」
そう言って、自分の妹の墓に妹が好きだった花で作った花冠を添えた。
「さて・・・と」
一通り墓の手入れも済み、姜維は墓場全体を見渡せる場所へと移動する。
「あ・・・」
その際、姜維は意外な人物に出くわす。
桃香、愛紗、鈴々。愛紗の手には溢れんばかりの花束が、鈴々の手には水の入った桶が握られていた。
桃香は何も言わず、無言のまま姜維に頭を下げると、姜維もそれに合わせて頭を下げた。
墓標に添えられた線香の煙が天高く昇っていく中、四人は墓場の前で一緒に眼前で両手を合わせ黙祷した。
「正直、あんたがここに来るとは思いもしなかった」
黙祷を終え、墓地から少し離れた場所。先に口を開いたのは姜維だった。
「そうだね。私もあなたのことを、この村のことを知らなかったら・・・来ることは無かったと思うよ」
「・・・だろうな」
桃香の言葉を、冷たくあしらう姜維。
正和党の反乱が収まった後のあの日、和解が出来たとはいえ、やはりこの話題になるとどうしても悪態をついてしまう。
「あの戦いの原因は、確かに私にもあった。私がちゃんとしていれば、戦いが起こる事は無かったはずだから。
皆を笑顔にするためにと言っていた私が、皆から笑顔を奪ってしまった。・・・そしてここは、私が犯した過ちの場所。
自分の罪を忘れないように私は来たの」
「蜀の王としてか?」
「・・・・・・」
急に黙り込む桃香。
気まずいと言うよりも、少し困った表情を浮かべている。
それを見て、姜維はある事を思い出し、顔をそらし頭を掻いた。
「・・・そうだった、もうあんたは王様じゃないんだよな?」
「うん。だから、蜀の王じゃなくて、一人の人間として、になるのかな。きっと」
桃香がそう言うと、姜維は頭を掻くのを止め、事の詳細を語り始める。
「国に住む人間の中から代表を選び、その代表が集まって、話し合って国を営む。
突然そんなことを言い出して、その後にあんたは王様を辞めると言って、本当に辞めるものだから蜀内は大混乱。
まったく無責任が過ぎるよ、あんたは」
「あっははは・・・、相変わらず厳しいなぁ〜」
全くの正論に、桃香はただ苦笑いで誤魔化すしかなかった。
「けど、確かにそういう風にもとれちゃうよね」
「桃香様・・・」
横にいた愛紗が桃香を案じて声を掛ける。
「だけどね、姜維君。
少し言い訳っぽいかもだけど。実はこれ、私が入蜀した頃からずっと考えていたんだ」
「・・・そうなのか?」
「うん」
「桃香様、それは私も初耳です」
姜維だけではなく、愛紗も知らなかった事実。
桃香はこれまで誰にも相談せず、自分の中だけに留めていたのだ。
そう、現代で言う民主主義国家の成立を宣言した蜀の王、劉玄徳。
更に王を辞任するなどと言うものだから、姜維の言う通り蜀内は大混乱に陥った。
辞めないでくれと懇願する者達、
誰が代表を務めるのだ、そもそもどう決めるのだと言い争う者達。
誰も彼もが変化する事に恐れ、いまだ混乱の渦中にいた。
「今まで誰にも言っていないだもん、当たり前だよ」
「最初から気づいていたんだな、自分が無能だって・・・」
「姜維」
言葉が過ぎると言わんばかりに愛紗は姜維を睨みつける。
だがすぐに桃香に制止され、大人しく身を引いた。
「もちろん。この国をまとめられたのは愛紗ちゃんや鈴々ちゃん、朱里ちゃん達がいたからこそ。
私だけじゃ絶対に無理だったよ。・・・私は何も出来ないから」
「桃香様!そのように御自分を卑下してはなりません。
あなたがどれだけ国を想い、民を想っていたのか、それは私達はよく知っております。
そんなあなただからこそ、我々はあなたと共にここまでついて来たのです」
「そうなのだ!愛紗の言うとおりなのだ、お姉ちゃん!」
「うん、二人ともありがとう。でも、この国は私のせいでまた混乱している。
今はまだまだかもしれないけど、いつか国の皆がみんなの幸せについて考えて、国がもっと良くなるように。
・・・私はもう皆の王様じゃなくなったけど、私のやるべきことがなくなったわけじゃない。
一人の人間として、劉玄徳はこの国、この大陸の平和のために戦い続ける。この想いはこれからも変わらないから!」
「・・・よく恥ずかしげもなく言えるよな、あんた」
「もう!茶化さないでよ、姜維くーん!!」
今まで重かった空気は軽くなり、彼女達の間に笑い声が上がる。
その時、何かを思い出した桃香が口を開いた。
「・・・そう言えば姜維君。噂で聞いたんだけど、正和党を脱退したって本当なの?」
「な、あ、あんたって人は・・・いきなりそんな話を挟んでくるとか!」
「やっぱり、本当だったんだね」
「・・・・・・」
姜維は否定しなかった。故にその噂は事実であると確信する桃香達。
彼女達の視線に沈黙を貫く事は容易ではなく、姜維は観念して白状する。
「・・・正和党は、俺にとって大切な場所だ。だけど、俺はいつの間にかあそこを逃げ場所にしていたんだ。
怒りとか、憎しみとか、そんな自分の感情を正当化する・・・言い訳を求めていたんだと思うんだ」
「姜維君・・・」
自分の心の傷に塩を擦り込むかのように心の内を吐露する姜維に、もういいよと言葉を掛けようとした桃香。
しかし、それは姜維によって止められる。俯いていた顔を上げ、晴天の青空を見上げる。そして一息つけた姜維は言葉を続けた。
「廖化さん達には、本当に数え切れないくらいお世話になったし恩もある。
だからこそ、正和党を逃げ場所にも、言い訳にもしたくなかった。そのために俺は出ていくって決めたんだ。
これからはちゃんと前を向いて歩いていけるようにって・・・」
「まさか、そのために学校に通い始めたのか?」
今度は愛紗が質問する。
少し前、愛紗は姜維が学校に通い、勉強している事を朱里や雛里から聞いていたのだ。
「あぁ。結局、俺は何も知らないんだと思って。そのためにも、まずは勉強してみようかなって。
・・・と言っても、まだ始めたばかりだから、何すれば良いのかも分からないんけど。・・・でも、頑張ってみるさ」
少し頼りない声。だが、そう言った彼の瞳に淀みはなく、澄んだものであった。
「ふむ、何かを始めるための下積みと言う事か。
大した志だな。・・・どこぞの誰かにも見習ってもらいたいものだなぁ〜」
そう言いながら、愛紗は横目に鈴々を見る。それに気付いた鈴々は頭の上に?を浮かべる。
「んにゃぁ?誰かって・・・璃々のことか?」
「お・ま・え・の事を言っておるのだっ!お前の事をっ!!」
別段、とぼけたわけでなく、ただ普通に答えた鈴々に指をさして自覚を促す義姉。
そんな二人の姿を見て、桃香と姜維は笑う。
二人にもはや迷いも恐れも無く、例え進む道は違えども、それでも行き着く先はきっと一緒であると確信するのであった。
―――場所は変わり、呉の建業。
先の戦いで負った傷がようやく癒えた建業の街並み。
避難していた民達も次第に戻り始め、少しずつであれ街にかつての活気が戻りつつあった。
そんな街の中央には人々の憩いの場なる広場がある。
旅商人や旅芸人の商い場所、待ち合わせ場所として利用される、人々の行き交いが最も多い場所。
そこには誰の目に入るようそびえ立つ一体の銅像。
どれだけの血に濡れようとも、最後までこの国を守った英雄の姿を模した銅像が凛然と立っていた。
そして、王宮内。
「穏、先の開墾事業の進行の具合はどうなっている?」
「作業面では、一応は進んでいますが、人手不足のせいで予定より遅れ気味になっています」
「どれ程遅れているのかしら?」
「え〜とですね、現時点までの予定の、半分の過程までしか進んでいませんねぇ」
「それは良くは無いわね。どうしたものかしら」
「不足分を城の兵士達で補うべきでは無いでしょうか?」
「すでにこちらからも兵を出している。これ以上の出兵は、国の防衛に支障をきたしてしまうわ」
「では、現地からもう一度、働き手を調達するという事で?」
「・・・この開墾の有意性を民達にも浸透させる必要があるでしょう。穏、もう一度、改めて働き手の募集の手配を」
「了解ですぅ〜」
ここでは、国内での進められている事業に関する報告会が取り行われていた。
それ自体は決して珍しい光景ではないのだが、だからこそ目立つのである。
王座に座っているはずの雪蓮、その横で補佐する冥琳の姿はなく、その王座には妹の蓮華が座り、会議の進行を担っていた。
数刻後。
会議が終わり、蓮華は思春、穏を引き連れ、王宮から少し離れた廊下を歩いていた。
「全く、こんな置手紙だけを残して姿をくらませるなんて。
それで姉様だけならまだしも、冥琳まで連れて行ってしまうのだから、なおのこと性質が悪い。
そのせいで、こちらは二人分の仕事をこなさなくてはいけないのだから・・・」
――― 旅に出ます 探さないで下さい
雪蓮
追伸 冥琳も持って行きますので、冥琳も探さないでね ―――
蓮華は手紙を読み終えた後、身勝手な姉に対して怒りを通り越し、ただただ呆れるばかりであった。
「しかし蓮華様。雪蓮様は何故に城を飛び出してしまったのでしょうか?」
「単に面倒の押し付け・・・、とういう風にも取れるのだけれど」
思春の当然の疑問に対して、蓮華は呆れ顔でそう答え、溜息をつく。
「は、はぁ・・・」
身も蓋もない蓮華の返答に、思春は困惑はしつつも一応の納得を得る。
「まぁそれは良いのだけれど・・・、いいえ良くはないのだけれど。それ以上に気掛かりなのは、道中で何かあった場合よ」
「大丈夫ですよ〜、蓮華様。
冥琳様も一緒なのですから、もしもことのがあっても何とかなると思いますよぉ」
「だからこそ余計に心配なの!」
「で、ですよねぇ〜。雪蓮様が何とかした後って、ぜぇ〜ったいろくな事しかないですもんねぇ」
「改めて言葉にされると、少し頭が痛くなってきたわ」
「薬、持ってきましょうか?」
そんなしょうもない会話をしながら、蓮華はふとある事を思い出した。
「二人とも、『あれ』は見つかったかしら?」
「え〜っと、あれというのは『あれ』のことでしょうか?」
蓮華の言った『あれ』。それは朱染めの剣士が身に着けていた白い学生服ともう一つの南海覇王。
城の宝物庫に厳重に保管されていたはずの二つがいつの間に無くなっていたのだ。
現場をくまなく調査したが、盗まれた痕跡はなく、まるで霞となって消えてしまったのだ。
「いえ、部下達にも探させておりますが、発見出来たという報告は届いておりません」
「私の方も同じく〜」
「・・・そう」
落胆するわけではなく、蓮華はただ「あぁ、やはり」と一人で納得していた。
元より、あの二つはこの外史に存在しないはずももの。故に、無くなった理由を見つけるのは容易であった。
「きっと、本来の持ち主の元へ戻っていったのでしょうね」
そう呟き、蓮華は彼の最後の姿を思い出す。
その後姿を通して彼は一体どんな想いを抱いて戦い、どんな結末を迎えたのかを想像していた。
全てを終えたことで、彼はこことは違う、別の世界で自分ではない自分と生きているのかもしれない。
だが、それも所詮は憶測でしか過ぎず、明確な答えが出るはずもない。
結局、蓮華に分かることは、自分が彼のを想っていたという事だけだった。
「と言っても、片想いで見事にふられちゃったけどねぇ〜♪」
「「ですよね〜」」
「えぇ、そうね」
何処からともなく現れた小蓮と、明命、亜莎。三人の言葉に思わず乗せられる。
だが、そんな蓮華もすぐに我に返り、三人の姿を捉える。
「・・・って、何を言わせるの、あなた達は!!」
先程まで憂いに帯びていた顔は一瞬にして怒り狂った鬼の形相へと変わり、三人に拳を振り上げる。
小蓮達はきゃー、きゃーと叫びながら蓮華から逃げ回った。
「まったく、あの娘達は・・・!」
振り上げた拳を下ろし、呆れ顔になる蓮華。
そんな彼女の元に、今度は慌てた様子の一人の兵士が駆け付ける。
「恐れながら申し上げます!」
一礼すると兵士は火急の報せを伝え始めた。
「開墾の拠点にしておりました邑が賊に襲われ、占拠されたとの報告が!」
先程までの緩んだ表情から一変、険しくなる蓮華達。
「邑の状況は不明、難を逃れた住民が先程城へ参った次第です」
「あらぁ〜、それはそれは・・・」
「それは間違いなく、賊の類なのか?」
「は、はい・・・えー、そのことなのですが」
「・・・?」
「実は、先の住民から一つ気になる事が」
「何だ?」
蓮華は兵士に尋ねる。
だが、言い淀む兵士に何か嫌な予感がして、尋ねたことを今更ながら後悔していた。
「邑を襲った賊なのですが・・・、その首領と思われる者が自らを『袁術』と名乗っていたそうです」
袁術と言う名を聞いて、途端三人は揃って嫌そうな顔になる。
「また、袁術ちゃんですか〜」
「全く、ようやく平和になったと思った途端これだ」
「悩みの種は詰んでもきりがない。けれど、それは問題ではないわ。
民達の暮らしを脅かすのであれば、やるべき事は決まっているのだから。済まないが、その住民に十分な食事を与えるように」
蓮華に言われ、兵士はその場で一礼するとその場を離れた。
「以前はまんまと逃げられてしまったけれど、今度こそ捕えてみせるわよ。穏、思春、出撃の準備を!」
「了解しました〜」
「お供致します、蓮華様」
「あぁ、頼りにするぞ」
この国を、この国の民達の笑顔を守るために蓮華は戦い続ける。
それが、この国を命を賭して守ってくれたあの青年の、もう一人の北郷一刀に応える事なのだと蓮華は確信していた。
―――???
「・・・さま、・・・うえさまぁ・・・、・・・ちちうえさまぁ・・・」
「・・・・・・ん、・・・んぅう」
誰かの声が聞こえてくる、朦朧とする意識の中、ゆっくりと閉じていた瞼を開く。
「孫登・・・?」
瞼を開けると、そこには自分の娘が心配そうな顔で下から覗き込んでいた。
辺りを見渡すと、自分は大きな木陰の下で腰を降ろして休んでいた。
「気がついたようね、一刀」
別の方向から聞き覚えのある声が聞こえる。
近くの川の水で濡らした手拭を手にこちらに駆け寄ってくる蓮華が見えた。
「蓮華・・・、俺はどうしたんだ?」
一刀は蓮華に尋ねる。
「まだ寝ぼけているの?姉様達のお墓参りに行く途中で、あなたは急に倒れたのよ」
蓮華は手拭で一刀の額の汗を拭いながら説明する。
「そうか・・・」
一刀はそれだけを言って、娘の頭を優しく撫で始める。
孫登はくすぐったそうに、だが嬉しそうにされるがままになる。
「最近、徹夜が続いていたから無理が祟ったのね。あれだけ注意したのに・・・」
「父上さま?おからだ、だいじょうぶですか?」
孫登に尋ねられ、一刀はそんな娘に微笑みかける。
「心配するな・・・、ただ少し夢を見ていただけだ」
「ゆめ?」
「うん・・・、何だったかな。たしか、俺が皆のために悪い奴をやっつける、そんな感じの・・・」
「それはまた随分と自分に都合の良い夢だことで」
蓮華は少し呆れた顔で言うと、一刀は困ったように苦笑いする。
「仕方ないだろ、夢なんだからさ・・・さて、と」
一刀は腰を上げ、ゆっくりと立ち上がる。
「大丈夫?もう少し休んでいた方がいいのではないかしら」
「いや、もう大丈夫だ。それに、雪蓮達をいつまでも待たせるわけにはいかないよ」
「そうね。早く行かないと、姉様も待ちくたびれてしまうものね」
「〜♪」
孫登は一刀と蓮華の間に入り込み、二人の手を楽しそうに握る。
二人は自分達の娘の手を握り返し、親子は歩き出していく。
一刀は見ていた夢を思い出そうとしていたが、もう覚えていなかった。
そもそも何故思い出そうとしているのか、それすらも理解できていなかった。
ただ、とても大事な何かだったような、そんな気がして。
「いや、もういいんだ」
一刀は考えるのを止める。
そうして、蓮華と孫登に目をやる。
自分にとって大事なものはここにある。それで十分なはずなのだから。
―――場所は変わり、涼州・馬騰の墓前。
馬騰の墓は街外れの森の中にあった。
連合の元盟主の墓にしては並の大きさの墓石。
その墓に向かって手を合わせていた翠、蒲公英。
「・・・あれから二年か」
乱世が終結してから涼州へ踏み入る事を避け続け、再びここへ戻って来るのに二年を要した。
亡き母を前にして、翠はようやくその事実を受け入れる事が出来たのだ。
「姉さま・・・」
「分かっているさ」
そうして、二人は墓に背を向け、その場を離れるのであった。
「蒲公英、軍の編成はどうなっているんだ?」
「騎馬隊は鶸と蒼に任せている。久しぶりだからか、気合いが入っていたよ」
「そっか。あいつらにもずいぶん苦労をかけちまったのにな」
「まーたそんなことを言って。やっと姉妹全員が集まれたんだよ。姉さまが戻ってきてくれて嬉しいんだよ、二人は」
「あぁ・・・、分かってるよ」
「あと、歩兵団の方は凪達がまとめてくれているよ」
「あいつらに任せておけば問題はないな。急いで戻るぞ!」
現在、翠達は涼州へ再度侵攻してきた五胡の勢力を討伐するため、戦の準備をしていた。
蜀より馬一族が、魏より凪、真桜、沙和が派遣され、軍の総大将として翠が任命されたのであった。
馬騰の墓参りを終え、翠と蒲公英は軍の駐屯地へ戻るため馬を走らせた。
その道中、蒲公英は不意にある事を思い出し、翠と会話をするため横に並んだ。
「そういえばさ。前に渡した叔母様の遺言書は、もう読んだの?」
「え?あぁ、まぁ・・・読んだ、と言えば読んだけど〜・・・」
「・・・なんか歯切れが悪いけど、何が書いてあったの?」
「・・・何も」
「え?」
「だから、何も書いてなかったんだよ。封の中に入っていたのは、ただの白紙だったんだ」
「えぇ、どういうこと?」
「あたしだって知らないさ。
炙り出しのような仕掛けでもあるかなって、朱里達にも調べてもらったけど、何の変哲のない、だたの紙切れだってさ。
・・・まったく、馬鹿なあたしに遺す言葉は無いってことかよ・・・」
「・・・・・・」
翠のぼやきを流しながら、蒲公英は考える。
何も書かれていなかった、白紙の遺言書。
もしかしたら、馬騰はあえて何も書かなかったのではないだろうか。
自分が言葉に遺せば、翠はその言葉に愚直に従い、囚われてしまうのではないか、と。
馬騰の娘としてではなく、涼州の人間としてではなく。
一人の人間として、その心が何ものにも縛られることなく、自由に生きて欲しい。
そんな一人の母親として切な願いが、その白紙に込められているのではないだろうか。
「ま、考えても仕方がないか」
「ん、何か言ったか?」
「ううん、何も」
蒲公英は翠に教えない。
何故ならば、その答えは誰かに諭されるものではなく、翠自身で導かなくてはいかないはずなのだから。
「ま、白紙だろうと関係はないんだ」
「え?」
「あたしは母様とは違う。どこまでいっても、あたしはあたし。
自分のこれからを決めるのは結局、あたしなんだよ。これまでだってそうだったし、これからも絶対にそうなんだ。
だから、死んだ母様の言葉に頼ってちゃ駄目なんだ。これからの時代は、生きているあたし達で切り開いていかないと」
「・・・へぇ〜」
「な、何だよ。あたしの顔に、何かついてんのかよ?」
「べっつにぃ♪・・・ただ、姉さまも大人になったんだなぁって思っただけ」
「ちぇ、からかうなよ。あたしが母様の足元にも及ばないのは自覚してるっての」
「あ、もしかして照れてるの〜♪」
「うるさいなぁ。そんなんじゃないって」
「はは♪それじゃあ叔母様の足元に少しでも届くように、まずは結婚して身を固めてみたら?
子供が出来れば、姉さまにもちょっとは貫禄が出るんじゃない」
「け、けけ、け、けっこぉん・・・っ!?いくら何でも早すぎるだろう!?」
「いやいや、姉さまは黙っていれば美人なんだから相手の人なんてすぐに見つかるでしょ」
「なんか妙に引っかかる言い方はやめろ!」
「あっはははは♪」
どれだけ怒ろうが、顔を赤面させ、声を上擦らせ、明らかに動揺する翠の有様に、蒲公英は笑わずにいられなかった。
しかし、蒲公英はこの後、思わぬ反撃を喰らう事となる。
「くそ・・・けど、そういうお前はどうなんだよ」
「え、たんぽぽが何?」
「とぼけるな。あたしが気づいていないと本気で思っているのか?
・・・最近、姜維とはどうなんだよ」
それは一瞬の静寂。
蒲公英は翠の質問の意図を瞬時に汲めなかった。
だが理解した途端、先程までとは打って変わって頬を赤らめ、動揺を始める。
「は・・・・・・、はぁ〜〜〜っ!?
いったい何の話をしてるの!たんぽぽ、別にあいつとは何でもないんですけど!!」
蒲公英のこの反応。
そっち方面に疎いであろう翠でも察しがつくのは容易であった。
翠はにやりと笑うと、すかさず次の一手を打つ。
「ふーん、何でもないねぇ。なら、どうして何でもない奴からの手紙がいつも届くんだ?」
「ふぇっ!?ど、・・・どうしてそれを!」
「え、本当だったのか」
「え」
途端、真顔になる蒲公英。
「いや、前に酔った星から聞いた話だったからずっと半信半疑だったが、その様子だと本当なんだな」
「・・・・・・・・・」
蒲公英は言葉を失う。
翠に鎌を掛けられ、まんまとしてやれた事に恥ずかしさと悔しさが込み上げていく。
「ま、あれこれ口を出す気はないけど、まぁ悪くはないんじゃないか。ははは!」
翠は馬の腹を軽く蹴る。馬の速度は少し上がり、蒲公英より先を駆けていった。
「ちょ、何を見てそんなこと言って!?
と言うか、手紙じゃないし!中身はちびっ子たちが描いた絵だし!あいつは全然関係ないし!
っていうか逃げるなぁーーー!!待てぇー姉さまぁーーーっ!!!」
言い訳がましい言葉を捲し立てながら蒲公英は翠を追いかける。
広大な涼州の大地を騎馬が二匹、各々の主を背負って駆け抜ける。
間もなく大きな戦が始まるというのに、肝心の主達は戦とは何ら関係ないことばかり話している。
まるで緊張感がない彼女達に呆れつつ、不思議と頼もしくも思っていたように見えたのは決して気のせいではないだろう。
―――場所は変わり、魏の洛陽・王宮内。
「華琳様!・・・華琳様!」
石畳の廊下、慌てた様子で華琳の姿を求める桂花。
「あ・・・、春蘭!秋蘭!」
そして、角の向こうから現れた春蘭と秋蘭を呼び止める。
「ん・・・何だ、桂花か」
「何をそんなに慌てているのだ?」
「あなた達、華琳様を見なかったかしら?
例の案件がまとまったから、急ぎ報告しようとずっと探しているのだけれど・・・」
桂花が二人に尋ねたのは正解であった。二人は華琳のいる場所に心当たりがあるのだから。
「華琳様なら出掛けておるぞ」
「出掛け?一体どこに・・・」
「あぁ、そうか。最近何かとお忙しかったが、ようやく会いに行かれたのだな」
「・・・何の話をしているの?」
話が見えてこない桂花。
華琳が外出したのであれば仕方の無い事だが、気がかりな事があった。
ここに来る前、桂花は季衣と流琉に出くわしていた。
護衛役の二人が城内に残っており、凪達は涼州に派遣中。春蘭と秋蘭は目の前にいる。
城内の兵士や侍女達も行方を知らなかったとなると、華琳は一人で外出した可能性が高い。
いくら世の中が平和になったからと言って、護衛も付けず、一人で外出するとは不用心にも程がある。
そうまでして一人で行かなくてはいかない場所とは。
「・・・あ。もしかして」
桂花はようやく華琳が向かった先を理解した。
「・・・・・・」
街の郊外にある森の中、木々の隙間から日の光が差し込む場所に華琳の姿があった。
彼女の眼前には小さな石の墓。
言われなければ気づかない、みずぼらしいそれに向かって黙祷を捧げていた。
この石の墓、実はある人物の墓である。
その人物の名は喬玄。
華琳達にとって恩師ともいうべき存在。
派手な事を嫌う性分のため、このような寂しい墓となっていた。
そして、今日は喬玄の命日であった。
「・・・喬玄様」
黙祷を終え、墓に話しかける華琳。
「私はこれまで悔いのない生き方をしてきたと、そう信じていました。
ですが、あの動乱の後、私は・・・私を疑うようになりました。本当に悔いは無いのか、無かったのかと」
墓に話しかけたところで返答など返って来るはずも無い。
それを重々に承知していながらも、華琳は話を続ける。
「・・・以前、ここに連れてきたあの男を覚えていらっしゃいますか。
一刀が私の前から消えた時、私は後悔しました。
分かっていたはずなのに、それが天命なのだと分かっていた、はずなのに・・・。
いいえ。本当は、何一つ分かっていなかった。
もし、あの男が存在する、その意味を理解していたのであれば、あんな過ちを犯すことは無かったのかもしれない」
華琳は己の愚かさが歯痒く、奥歯を噛み締める。
「けれど、・・・それがあったからこそ、私達はまた出会うことが出来ました」
華琳の握られた手がわずかに震える。
「・・・いいえ、違う。まったく違う。そうではない・・・!それはただの結果に過ぎないじゃない!!」
それは亡き恩師への現状報告などではなかった。
これは華琳の内面、心の吐露であった。
「これまでずっと、あの男は都合の良い存在でしかなかった。
この私が、曹孟徳として、覇王として振る舞うための・・・都合の良い、言い訳だった!
一刀がいなければ、己の信念を貫くことすら出来なかったという事実から・・・、
自分が救い難いほどに醜悪で愚かであるという事実から・・・、私はずっと目を背けていた!
何が、曹孟徳だ!覇王だ!己と向き合う気概すらない小娘風情が・・・何を思い上がっていた!何を勘違いしていた!!
そんな・・・、そんなただの小娘が『会いたい』と思ってしまうなんて、恥知らずも良いところなのに!!」
それは痛みを伴うものだった。
あまりの激痛に心が悲鳴を上げた。それでも吐き出さなくてはいけなかった。
何故ならば。
「・・・それでも、あの男に会いたくて心焦がれているのです、喬玄様」
これが、少女の本当の気持ちであるのだから。
「さぞかし、幻滅されたことでしょう?・・・私自身も驚いているのです。
それほどまでに、あの男は・・・北郷一刀は、私の中で大きな存在になっていたのです」
こんな無様な姿を、他の誰にも見せる事はこの少女には出来なかった。
恐らく、かつての恩師の前であるからこそ、全てを吐き出す事が出来たのだろう。
「・・・もうじき、一刀がこの世界に戻って来ます。その時、私はどんな顔をして会えば良いのでしょうか?」
少女は珍しく弱音を吐いていた。
すでに答えは出ているにも関わらず、それが正しいのか分からず、不安で堪らなかった。
だからこそ、誰かに肯定して欲しかったのだ。その答えは正しいのだと。
「・・・?」
その時、差し込む光が一瞬強くなったような気がした。
空を見上げるも、生い茂った木々の葉によって空が隠れてしまいよく見えない。
しかし、それでも木々の葉の隙間から見つける。
「・・・あれは」
喬玄の墓に一礼すると、急ぎ、森の出口へと向かう。
森を出ると、道端で待機させていた愛馬、絶影にまたがり、もう一度空を見上げる。
快晴の青空を横切る一筋の光、流星であった。
古来より、日の上りし時、星が流れる事は即ち、縁起の悪い事として伝えられている。
以前ならば、少女もその程度のものと気にも留めなかっただろう。
だが、今の彼女には違う。あの流星にはもう一つ、別の意味も含まれていた。
「はぁっ!」
少女は絶影を走らせる、流星の落ちる先へと。
先程までの迷いはそこに無く、ただ流星の後を追いかけて行くのであった。
数刻後、何も無い広大な大地の真ん中に一筋の流星が落ちる。
妙な事に、そこには流星が落ちた痕跡は一切無く、まして流星すら存在しなかった。
流星が落ちた場所から少し離れた場所に一人の人間、少年がいた。
彼は自分が何処にいるのか分かっていない。
だが、その足取りに迷いは無く、ただ真っ直ぐに歩いていた。
太陽の光を照り返す、白い学生服を身に着けて。
そんな彼の目に飛び込んできたのは、地平線の向こうから現れた影。
その正体は、流れ落ちた星の後を追いかけるため、必死に愛馬を走らせる覇王と呼ばれる少女。
少年は走る。少女は馳せる。
二人の予感が確信に変わる距離まで近づいた時、少女は愛馬から降りる。
今度は自分の足で少年の元へと駆け出す。少年も少女の元へ走る。
息が上がり、苦しくなる。しかし、そんなものは二人にとって大したことではない。
そして、二人が接触するまであと数歩のところで、少女は少年の胸の中へと飛び込んだ。
少年は両手を広げ、少女を受け止める。
二人は力一杯に抱き締め合う、もう二度と離れまいと言わんばかりに。
「・・・だだいま、華琳」
「おかえりなさい・・・、一刀」
―――とある人間の想念から生まれた物語は、これにて終幕。
―――この外史の終端からまた新たな突端が生まれるかどうか。
―――それは、あなた次第なのかもしれない。
真・恋姫無双 魏・外史伝 〜完〜
―――蛇足。
「何を見ている」
「あぁ、左慈。大した事ではありませんよ、今のところは」
「・・・聞かせろ」
「・・・では、これを見てください」
「許子将・・・」
「彼の、魏の外史の登場人物の一人です」
「こいつがどうした?」
「今回の騒動で色々と分かった事がありましたが、同時に新たな疑問が生まれました。
本来、外史はプロットに従い、物語は進んでいきます。それは登場人物にも同様なことが言えます。
しかし・・・この外史を調べてみると、プロットに改変された形跡あるようです」
「なんだと、どういうことだ?」
「それはまだ分かりません。ですが、少なくとも意図的なものであるのは明白です」
「改竄された部分は・・・定軍山の戦いと赤壁の戦いか?」
「特に重要なのは定軍山の戦いでしょう。
この戦いが改変された結果、プロットは本来とは異なるものへと変貌したのです。
赤壁の戦いの結末は、この改変に伴う副次的な産物に過ぎません」
「それと許子将がどう関係するんだ?」
「この許子将。物語の序盤に一度のみ登場する脇役。そんな脇役が北郷一刀にフラグを建てるのです」
「伏線という奴だな。だが、そんなものはよくある手法だろう」
「・・・ここからはあくまで私の憶測ですが、外史改変の元凶は許子将なのではないかと思うのです」
「こいつが?」
「この伏線は、北郷一刀が歴史上の戦いに介入し、改変することで回収されるものです。
許子将がプロットを改変した際、内容に齟齬が生じないよう辻褄を合わせるためにフラグを建てたのではないでしょうか?
北郷一刀は三国志に関する知識があり、それを利用して結末を変えた、としてしまえば物語としては違和感はありませんからね」
「確かに筋は通ってはいるが・・・。
おい、待て。なら、北郷が消失したのは?まさか、それも許子将が狙ってやった事だと」
「・・・・・・」
「呉、蜀の外史も正史と異なる結末を迎えているが北郷は消失していない。
魏の外史でのみそんな結末になっているのは偶々だとでも言うつもりか、于吉?」
「・・・もし、そうだとしたら。許子将は今回の騒動すらも予見していた?北郷一刀消失はそのための布石だったと?」
「奴は一体・・・何者なんだ?」
次の外史へ続く―――
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こんにちわ、アンドレカンドレです。 再編集完全版にて自分の二次創作を再構築することを 開始してから14年の月日が経過。 ようやく自分の中にあったものをここに返すことが来たような気がします。 それでは、真・恋姫無双〜魏・外史伝〜 再編集完全版 最終章 「誰かが紡ぐ物語」をどうぞ!! |
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