【ファントム】世にも悲しい男の物語【無頼】 |
【世にも悲しい男の物語】
デブリーフィングも終わったので報告書を提出した者からシャワーを使う。今日の様な、比較として平和かつ短時間で終わった時は詳細もたかが知れているから定型文と少しで終わる。だから慣れた者はだいたい早く書き上げてシャワーに向かう。定型文「しか」書かない者は突き返されて書き直す羽目にもなるが、特に大きな問題がある訳でもないなら違う意味で何を書けというのかと頭を抱えているのは蛇足。
そんな、毎日の様に繰り返される光景に慣れてきた為か内心に少々の呆れを隠したつもりになった辰巳はだいぶ書き慣れた報告書を早々に提出、同じくらい素早くシャワーに向かう。幾ら先任だろうが同僚だろうが野郎どもと裸の付き合いはあまりしたくない。綺麗で可愛い女の子ならともかく周囲が体格のいい男ばかりとかもう。眼を保護するより見栄え重視のサングラスをブリーフィングテーブルに置き、いつもなら真っ先にシャワーに飛び込む様な男が今は複数の書類を広げていると気付いた。普段はだいたい外さないティアドロップ型のサングラスを珍しく外し、小学生が使う様な緑色の被膜の鉛筆の尻で頭を?いている。
これだけ見ていたら綺麗だし切れ者なんだよなあ……中身はかなり厳しいしキツイし、コンピュータとか言われてるし。軽く遊ぶ相手なら綺麗か可愛いかで頭が少しゆるいくらいがいいんだが、これはこれで。と、初対面時にうっかり思って甘く見たせいで盛大にヤキを入れられた事を思い出してしまってぞくっとした。
「栗原2尉、今日は書類が先ですか?」
反応なし。知っているつもりだったが大した集中力だ。
いつもなら早々に、その速度を考えれば素晴らしいほど丁寧な文字で埋められた書類を提出し、まさに飛び込む様にシャワーを使う男。実は苛烈でタフなナビゲーター。それが今日はいまだに書類に齧りつく様に何かを書き続けている。一瞬始末書でもまとめて片付けているのか? と思ってしまったし、実際のところこの男の始末書の生産力は彼の能力に比例するほどに高い。これはもちろん皮肉だ。
利き手の鉛筆は紙を滑り、反対の今までは関数電卓を叩いていた手は不意にぱん、ぱんと胸元を何だか探っている。ああ、と思った。
「煙草喫いますか?」
今度は、ん、と聞こえた。返事があるとは思わなかった。ただ視線を紙から動かさないだけで探り当てた様で、上着の内ポケットから、どこでもよく売られている青い箱が引き出された。慣れた手付きが1本を取り、咥え、使い込まれてる事は判るガスライターが火を点ける。この匂いの好き嫌いが趣味を分けるとは思っている。
ふわ、と煙を吐き出し、すぐ灰皿に置かれた。ひと吸いだけの煙草は鉛筆の動く音に隠れる様にちりちりと燃えていく。
集中力凄いな? くらい思ったが、そこでやめた。こんな時に変にちょっかいを出したらどうなるかは弁えているつもりだ。実際に痛い目を見たのだし。だから昼食を求めて離れようとするのと入れ違いに、ナビゲーターの相棒がシャワーから戻ってきた事もさして気にしなかった。出入りの多い部屋だし。
「おーい! 栗、計画書終わった? メシ行こうぜ飯! まだA定残ってたぞ」
大きくってよく通る声が待機所に響く。自分と同じだけ疲労しているはずの男、それなのにこの態度。さすが本人の目の前で平然とゴリラ呼ばわりされているだけの事はある。
ナビゲーターはここで鉛筆を動かす手を止めた。
「あー、まだ食えそう? 腹は減ってるけどシャワーも使いたいし、どうすんべ」
「大将に二つ確保頼んでるけど早く行かんと取られるぞ。向こうの片付けの時間もあるだろし」
言いながらずかずか大股で入ってくる先任パイロット。まるで自分とナビゲーターしかいない様な態度と動作、無視される様で何だか面白くない。だがだからといって絡まれるのもかったるいから何も言わない。
ナビゲーターはあー、とかうん、とか言いながらサングラスをかけつつ電卓の電源を切る。
「あれ? 俺の喫いさし知らん? 火ぃ消さなきゃと思ったのに」
「えーっと……」
あれ、と指差す辰巳は見ていた。大股で入ってきた男、彼は物凄く自然な動作でひと喫いだけで放置されていた他人の煙草を咥えたのを。何なんだこの男は! 火が点いて明らかに誰かが喫った煙草を勝手に口に運ぶなと! 本当にそれ他人が喫った煙草なんだぞ!
勝手に喫われた当人は、あー、と明らかに呆れる声を発した。
「神さん、それ俺が喫ってたやつよ?」
「判ってるけど。え、駄目だった? もう喫わんと思ったからもらったんだけど」
なんでだよ! と思ってしまったのは辰巳だけ。
「自分だって持ってんでしょうが。なんで何も訊かずに勝手に喫うかな?」
そうだそうだ! と思ってしまうのも辰巳だけ。
他の全員はもう何とも思わない。慣れてしまっているから。
「いや持ってんだけど、もう要らんかったのかな? と」
実際に胸ポケットから出てくる白い箱。新しい1本を交換して咥え、オイルライターで点火。すーっと一度喫った分をナビゲーターの唇に突っ込んだ。
目の前の光景に辰巳はフリーズした。自分は何を見ているんだ?
「それで許してくれや。昼飯も奢るし」
「そこまでしなくっていいよ、煙草1本だし。それよりか」
ナビゲーターはそれでも煙草を喫いながら笑った。あの辰巳を震え上がらせる綺麗な笑顔で。コンピュータ? いや違う、なんて言えばいいんだ?
この男には確かもう一つ綽名があったはず。それと同じものを何かの映画で観た気がする。こう、凍った蒼い城の玉座にいる少し年嵩だけど綺麗な女。
「お、上がった? イイ感じ?」
「任せなさい。今日のイメージでだいぶ更新できた」
先程まで書き込んでいた紙をひらつかせて笑う。
「神さんが大好きなキッツイやつのフルコースよ。日付を合わせて実弾演習もつけるから頑張ったんさい」
居合わせた者、そしてたまたまシャワーから帰ってきた数人がざわついた。明らかに真っ青になった先任もいる。それを見たからか違うのか、ナビゲーターは実に爽やかに笑った。
その表情に遂に思い出した。氷の女王! あれだ!
「大丈夫。事故率は上がらない様に組んでるから」
「そこじゃないですって。神田さんでもキツイ様なのを俺らにもやらせようっていうのがちょっと……」
最近結婚したという一人が幾らか怯える様に返した。
「いや全体的にスキル上げなきゃそれこそ事故は増えるよ。その為には全員底上げしておかなきゃ」
ちら、と見られた。
見られたと自覚して辰巳はぞくっとした。
「……イビリですかい」
「まさか! 親切心だよ」
笑顔が返ってきた。
「ぬるま湯でヨシヨシされてたって人間は成長せんよ。これは大事な大事な仲間に対する親愛の感情だって」
嘘だ! と思った。これは必死で口に出さない様に耐えた。許される失言と許されない失言くらいは判断できる。
だが一人は口に出した。勇者だ、と思った。
「栗さーん! 俺らは普通! 普通なんで! そこのゴリラと同じと思うなー!」
「え、ゴリラだって産まれた瞬間からゴリラだった訳じゃないでしょ? 大丈夫! 俺がそこまでひどいプランを組む訳がないじゃないか」
けらけら笑われた。
笑われても本性を垣間見たあとでは怖い。
そもそも外面で騙された自分も悪いと思うが、このナビゲーターは「ゴリラの大好きなキッツイやつ」に追従して居眠りしつつ平然と笑って帰る男だぞ? つまりこの男もそれなりのゴリラなのでは? 見た目に騙されて感覚おかしくなってないか? 色々考えてしまうが本当は他の誰かの胸倉にしがみついて確認を求めたい。けれどそんな事をしたら間違いなく自分に攻撃が来る。しかもナビゲーターはそれを絶対に攻撃してるなんて思っていない。
そして「そこのゴリラ」呼ばわりされた男は煙草を灰皿にねじ込み、紙を数枚眺めて言った。
「え? こんくらい普通だろ? キツイはキツイけど大したこたねーぞ?」
ほら、と見せる。
回覧し、一様に蒼褪めた男たちは「違う!」と異口同音に叫んだ。普段は飄々とマイペースを貫く狸ですら叫んでいた。あ、これはツッコんでいいんだ? と思った時には遅かった。
ナビゲーターは辰巳を見て笑っていた。
「ほら見な。新人はこんくらい平気っぽいよ?」
全員の視線が辰巳に集中した。葬式で棺を見やるそれに似ていると思えるのは気のせいという事にしたい。
ゴリラもとい神田も自分を見ている。いやいやいやいや、と思った時には完全に遅かった。
「さすが辰巳。あんだけの大口叩けるんだ、お前は本当は出来る奴だと思ってたよ」
脳内で色々なものが繋がって、やばい、と思った。これはイビリか? 常時ナビゲーターと組んでいる男からの報復か?
察したのか神田は笑った。無邪気と表現できそうな笑顔だった。
「だいじょーぶ! お前ならやれる!」
ぽん、と肩を叩かれた。あ、これは訂正、悪意はない。本当に期待とか賞賛とか、そういった正の感情で言っている。いやそれはそれで待ってくれ! としか言えない。複数の意味でこんなゴリラと同類と思われたくない!
だが言う前に肩を抱かれた。親友にそうするのと同じ動作だった。
「な! 大丈夫! 実弾演習もあるし楽しくやろうぜ!」
それを楽しくやれるのはお前だけだー! と辰巳も含む全員が思ってた。
その光景を見てナビゲーターはただ薄く笑っている。
「神さん、俺A定いいや。辰巳も昼まだだろ? 二人で先行って打ち合わせがてら親睦を深めておいで。俺やっぱシャワー入ってから行くわ。頭冷えてアラが見つかったらすぐ埋めたいし」
辰巳は察した。本当の本当に初日のいわば失敗をカバーしようとしているだけだと。いやいやいやいや!(二度目)
「い、やその、プラン組み手伝います栗原2尉! あ、俺も計画下敷きあるんで添削お願いします!」
機嫌がよさそうだったゴリラの視線が険しくなった。
「何だよそれ。この状況でぼっちになれと? 俺、二つとも食っちまうぞ?」
そっちかよ! と言ってやりたい。5歳児か!
「どうぞどうぞ! 俺もまじで成長したいんで! 頑張ります!」
「本当に? 口だけだったら俺、さすがに怒るよ?」
サングラスに光が反射して眼の表情は見えないがそれ以外は笑んでいる。
あーこの笑顔! 綺麗だな! 綺麗なだけに怖いな! なんて口には出せない。というか今までが怒ってないとか本当に嘘だろ! 人を緊急事態であんな風に平然と突き放したくせに!
「あー、どうぞお手柔らかに! お願いします!」
「……判った。俺、シャワー使ってくるからそのあとな」
棚の備品のタオルを拾いながら行ってしまう。その横顔がね! こうね!
何と言ったか、「恐怖と笑いは紙一重」とはよく聞くが実は紙一重というより共存の気がする。綺麗だし怖いし笑うと実は可愛いし、でもそこが普通に怖い。上手く言えないが綺麗すぎて怖いとかでもないのだが。
コンピュータで氷の女王。そこだけだったら人間性のない怪物か? とも思えてしまうけれど、本人は笑うし泣くし表情も結構変わる。それで甘く見て距離を読み間違えたらヤキを入れられるし何なんだ! 幾らか呆然と見送ってしまう形になる辰巳に「おーい」と声をかけられた。
「頑張れよ」
誰かが言った。誰の声か思い出せない程度には混乱した脳の出した解答は「がんばります」で、自分でも驚くほど棒読みだった。
「あーあ、可哀想に」
別の誰かが憐みを隠さずに言った。失礼な、と思ったが唇はぱくぱく動くだけで返せる言葉は出なかった。
危険な男に魅入られた事だけは理解してしまった。だからこれはなんと言うかを思い出した。
畏怖だ。
そして崇拝だ。
(やばいやばいやばいやばい! これは本気でやばい!)
何かで読むか聞くかした記憶がある。これは依存に簡単に繋がる感情、ここで間違えたら本当に離れられなくなる。この男しか視界に入らなくなる。
(いや、俺は違う! あれは先任で、コンピュータで)
氷の女王。凍てついた心で冬を支配した魔女。それにこんな優男にと舐めた気持ちで、「自分の意志で」近寄ってしまった。この感情を取り除いてくれる自分だけのゲルダはどこだ!
今まで敵と認識したものは全て制圧してきた。暴力だろうが技術だろうが勝てばこちらのものだ。それが。
うわー! と転げながら叫びたかったが耐えた。耐えた自分は偉いと思った。初っ端を誤って綺麗な棘を自分で深々と刺してしまった自分を深く深く呪うしか出来ない辰巳は棒立ちのまま泣きたくって仕方がなかった。
説明 | ||
私は空自のノリは判りません(先に言っておく) あと昭和50年代辺りが舞台のはずだけど空気感に自信はありません(これも言っておく) ノリと勢いのみ+オチが弱い神栗コンビ+辰巳のたぶん日常話。 腐ってはいない(と思いたい)けどしれっと煙草をシェアする神栗がいるのでそこだけ注意。 だってふつーに抱き合ったり同棲(言うな)してるんだもん神栗。腐の線引きがまじで判らん。 |
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