英国のリチャード・トレビシック は高圧蒸気機関を開発して、世界初の軌道上を走る蒸気機関車を製作し、1804年2月21日にウェールズのマーサー・ティドビルにあるペナダレン製鉄所で初走行させた。 その後、時を経て彼の孫2人は明治の日本に招かれ、鉄道技術の指導に当たった。兄のリチャード・フランシス・トレビシックは、1895年(明治28年)に初の日本国産蒸気機関車となった逓信省鉄道庁(後の国鉄)860形蒸気機関車の製作を指導している。弟のフランシス・ヘンリー・トレビシックは横川?軽井沢間でアプト式機関車を成功させた。(アプト式とは、スイスのカール・ロマン・アプトが発明した急勾配を上るための鉄道システム(ラック式鉄道)の一種で、1869年頃からスイス・アメリカから世界中に広まり、現在はスイスの観光鉄道が有名になっている。日本でアプト式列車に乗ることができるのは、大井川鉄道の"南アルプスあぷとライン"だけだ。アプト式機関車には「ピニオンギア」という坂道専用の歯車が付いていて、線路の真ん中に敷設された「ラックレール」という歯形レールを噛み合わせて坂道を上り下りする仕組みだ。) 兄のリチャードは日本最初の国産機関車となった860形の設計や技術指導の功績がみとめられ、明治政府より勲四等瑞宝章があたえられ、退職後は年金も支給されたそうだ。弟のヘンリーは日本人と結婚していて、その孫の奥野太郎さんはトレビシック氏の研究家だ。 |