自殺的指向(デカダンス) |
1.まず自殺的指向(デカダンス)とは、自分ではなく、敵や異性なども関係なくツイてその人を知的ストーカーする事である。
デカダンスの入り方として、一例としてキリスト教徒の例を挙げよう。
それはつまり、「隣人を自分の様に愛する」、これを実行すれば自分が自分として退廃し(デカダンス)、相手にツク事でデカダンスする事になる。
その仕組みとして、不可逆的無意識の向きというものが挙げられる。人間には個人的無意識と集合的無意識がある事が知られているが、その間に不可逆的無意識というものがあり、不可逆な無意識という意味であって、一方的という意味である。
不可逆的無意識を相手に向かせるとデカダンスに陥り、相手の無意識を一方的に侵略する事が出来るのである。
その本質として空である。すべて空なるもの、人間や動物と言ったものは入り込む事でツク事が出来る。つまり、本質的には、体は空っぽのものである事を理解する事で、デカダンスしたり、あるいは自虐行為しない様に抗したり出来る訳である。
まず、この空という概念を理解しなければ、「デカダンス」も意義を見出せない。
はっきり言おう。この私の哲学をしないものは、デカダンスに遅れを取る事になる。
それはつまり、「デカダンスさせてもらえない事態」が起こり得る。いや、デカダンスさせないという事を滝口哲学を学んだ者がしていけば、やがて、彼らは「哲学を学んでいる、こいつはいけない」と判断し、自然に離れて行く事になる。
そうしないならば、まあ、デカダンスというものをデカダンスの元にいる彼の周りに言い広めてやれ。そして、デカダンスどころかこの世に居づらくしてやれ。
そもそも、法的権利がある訳でもないのに、不法に体に干渉している時点で彼らに非があるのだ。
むしろ、居づらくなった彼らが堂々と居座っているならば、そういう人間性つまり、まあはっきり言って、良心というものや理性というものが彼らに欠如しているのだというお披露目になる。
その彼らの様子を見て、つまりは、こいつらは人類から変態してしまった人、非人類なのだと気づくであろうよ。
社会というものがある以上、こういうモノが体を侵略して来る事は考えられる事である。
まず、知る。
その次に、それに従わない様にする。
後はデカダンスの源を特定する。
その程度の事が出来、それ以外は余計な事なのだと、この個人哲学者である私、滝口は言える。
説明 | ||
少しデカダンスが流行って来た様なので、社会問題になる前に投稿しておく。 現実的な問題であるのを前提していただきたい。 |
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