1870年(明治3年)3月24日は人力車の日だ。2004年に日本橋に人力車営業を復活させた くるま屋日本橋が、3月24日を【人力車発祥の日(日本橋人力車の日)】として日本記念日協会に登録したという。 初めて人力車という物を発明して、営業許可を取り 日本橋で人力車の営業を開始した日を記念日にしているという。人力車は西洋の馬車をモデルにして、元福岡県藩士ら3人が馬を人に置き換えて考案したそうだ。すぐに人気が出て様々な会社が人力車の営業を行うようになり、約2年後の明治5年には東京都内だけでも1万1,000台以上の人力車が稼働していたらしい。そして当時 人力車は新たな日本の代名詞的存在になり、当時の外国人から・ハラキリ・ゲイシャ・リキシャと、呼ばれるほどの知名度があったそうだ。人力車には乗客が一人乗りのものや二人乗りのものなどがあるが、一人乗りのものが圧倒的に多く普及したそうだ。また車夫は通常1人だが、特に急ぎの場合などは2人以上で引いたり、押したり、交代要員の車夫が併走したりすることもあったという。明治5年(1872)4月の料金だが、東京府は人力車の運賃を1里(4km)につき6銭2厘と定めている。(当時の1銭は、現在の200円となるらしい。) |