ベートーベンの命日は 1827年3月26日だ。ベートーヴェンは20代後半から難聴が悪化し40代では完全に聴力を失っていたという。肝硬変のためウィーンの自宅で56歳のときになくなったそうだ。 普段、僕らは0?から120?で、20Hzから20,000Hzの音に囲まれて生活しているそうだ。音程として認識できるのは30Hzから4,000Hz程度で、ピアノは人間の可聴領域に合わせて設計されているていう。難聴になることを想像してみる。生活の中からだんだん音が減ってゆき、少しずつ静かになっていく。最後はピアノの音域が残り、それも高音と低音から消えてゆき、やがて静寂に包まれるのだろう。 ベートーベンが難聴になった原因は色々と云われているみたいだが、解剖の記録から近年では、頭蓋骨の厚さが正常の2倍ほどあり、耳から音の信号を脳に伝える聴神経は、変形した骨に圧迫されて萎縮し、腎臓にはカルシウムがたまってできる石灰化が見られることから、骨パジェット病があったと考える説が有力らしい。骨パジェット病は骨の新陳代謝のバランスが乱れることで起こる疾患であり、長期にわたって進行していくそうだ。この病気は頭や手足などさまざまな場所で骨が変形していくという。晩年のベートーベンに見られた精神症状や腹痛、関節痛、不整脈などの症状を、骨パジェット病による高カルシウム血症や、痛風が原因だとすると説明がつくそうだ。直接の死因となった肝硬変の原因となる酒を大量に飲んでいたのは、痛みをまぎらわす為だったのかも知れない。リウマチと同様に長期にわたって骨が変形していく痛みは四六時中辛いと聞く。1800年代にモルヒネがポピュラーだったら、きっとベートーベンは麻薬中毒になっていただろう。第九は酒を飲みながら作曲したのかもしれない。叔父の大工は酒をのみながら仕事をしていた。モルヒネがあれば酒に頼らずにもう少し長生きできて、交響曲第十が完成していたのかも知れない。他の作曲家に多大な影響を与え、日本人がなぜか年末に歌う合唱と組み合わせた変態的な第九と対になる曲だ。薬でハイになった頭で作曲するとどんな名曲が生まれていたのか想像もつかない。 |