Vertical Sky 第1話 |
「オマエなんかもぉしらねえ! 勝手にしやがれ!」
白昼の大通りに、大声が響きわたった。
道行く人々が何事かと視線を向ける先には、対峙する二人の男。
双方共に二十歳前後の若者である。基本的に血気盛んな気性が特徴的なガルドの男達であるにしても、そこに込められた怒気は尋常なものではない。
捨て台詞のような怒声を吐いたのは、青い短髪の若者。そこそこの上背にそこそこの体格、身に付けている衣服や装飾品もそこそこという、大して特筆する程の特徴もなさそうな、至って平凡な格好である。
着ているシャツもズボンも、ガルドのごく一般的な普段着だが、ただ一つ違うのはその左腰に護身用なのだろう、ショートソードを提げていることであろうか。更に腰に括り付けるようにしてダガーも所持している。武器を所持している時点でごく普通の一般人とは違うことが分かるが、その二本の剣はかなり人目を引くだろう。
爽やかなアイスブルーの双眸は今にも燃え上がらんばかりの怒りに満ちている。
その若者の怒りを一身に受けている相手の青年は、対して驚く程に冷静な、いや冷淡ともいえる表情で、目の前で怒る若者をじっと見据えている。
驚きの表情で二人の様子を盗み見ていたギャラリーのほとんどは、その青年の容貌に一瞬呆気にとられ、次にはほうと溜息をついて見惚れることとなった。
青年の少し襟足の伸びた頭髪はまるで透き通っているかのように見事な白銀色をしており、それ自体が発光しているかと錯覚する程。怒る若者を見る目は今は若干半眼になっているものの、紫水晶を埋め込んだかのような不思議な色合いを湛えている。すらりと通った鼻筋と、見た目にもふっくらとしたやや小ぶりな唇。それぞれの顔のパーツがこれでもかというほど整っていて、正に美青年と表現するに相応しい。
身につける衣服は青髪の若者とそう変わらない誂えなのだが、纏う身は驚く程華奢で、肌も白い。明らかな男装だから男と分かるものの、そうでなければ女性と見紛ってもおかしくなかった。
ただ、こちらも若者と同様、左腰にやや細身のショートソードを提げている。ということはこの二人は同業者なのだろう。
大通りに響きわたる程大きな声の若者と、見た者を魅了させる程の容姿を持つ青年ーーそんな目立つ二人組は、今絶賛喧嘩中であるらしかった。とはいえ、怒っているのは青髪の若者の方だけで、一方の銀髪の青年は傍から見ても分かる程冷めきっている訳だが。
「いいか! ホントにもう知らねえからな! オマエとはホントもうコンビ解消だからな! 分かったかこの野郎!」
「はいはい分かった分かった。とりあえずハタ迷惑だから黙れ」
「何だよその言い方はぁ!?」
びしっと指を突きつけて一人ヒートアップしている相手を心底うんざりしたような顔で見返し、青年はひらひらと手を振る。
軽くあしらわれたと分かって、若者の怒りは頂点を超えたようだった。
「じゃあな! もうオマエとは口聞かねえから!」
「だったら黙って行けばいいのに」
ついにくるりと背を向け、背後からボソリと洩らされたツッコミを聞こえない振りをして、スタスタとその場を去ろうと歩き出す。
騒ぎは終わったかとばかりに周りのギャラリーが再び動き始めたその時。
「よぉ綺麗な兄ちゃん、往来で随分盛り上がってたなあ」
程良くドスの効いた声が、取り残された銀髪の青年にかけられた。
また一騒動ありかと通行人が再び足を止めてそちらに注目すると、恐らく初めから狙っていたのだろう、明らかに柄の良くないチンピラ風の男が二人、青年に近寄って来るところだった。男二人は青年を半包囲するように立ち、行く手を塞いでいる。
ギャラリーたちに再び緊張が走った。このまま放置していればあの美しい青年の行く末は目に見えている。しかし誰一人男たちを止めようとする者はいない。
此処ガルドはお世辞にも治安が良いとはいえない街だ。柄の悪い男たちが幅を効かせ、喧嘩や犯罪などが絶えない。今の青年が直面しているような、何の罪も落ち度もない人間に絡むことなど、普通に日々起こり得ることである。ましてや今青年に絡んでいる男二人は体格も屈強で、一般人が一人や二人止めに入ったところで返り討ちに遭うのがオチであった。
「カレシとケンカ別れかい? 何なら景気付けに俺たちと遊ばねえか?」
ーーぴし。
下卑た男の笑い声に混じって、何かがひび割れるような音がしたーーと錯覚しかねない表情を浮かべて、青年がその男を見据えた瞬間。
ーーごす、と鈍い音を立てて、男の締まりなく笑った顔面に拳がめり込んだ。
顔を押さえて声もなくその場にうずくまる男に、青年はその端正な顔にあからさまな侮蔑の表情を浮かべて視線を落とす。
まさしく「見下す」といった具合だ。
「ふざけんな。誰が誰のカレシだ」
男達に勝るとも劣らないドスの効いた声が整った唇から流れて来て、ギャラリー達はぎょっとする。
見た目からは想像もつかない反応に唖然としていたもう一人の男は、暫くして我に返ると、
「なーー何しやがる、この野郎!」
ようやく強気なチンピラの常套句を吐いて青年に襲いかかった。
男の手が青年の胸倉を掴むまで後ほんの僅か数瞬という時。
「だから何やってんだオマエはあああっ!?」
焦ったような怒鳴り声と共に割り込んだ若者が、男を蹴り飛ばした。
完全に青年に気を取られていたチンピラ男は為すすべもなく吹っ飛び、傍のゴミ箱に頭から突っ込む。
乱入して来た若者ーー先程青年を置いて行った筈の青髪の若者は、顔面を押さえたまま未だにのたうち回っている男を一瞥すると、青年の腕を掴み、あっと言う間に走り去って行く。
後には倒れたチンピラ二人と、呆然と佇むギャラリーたちが残されたが、誰一人としてチンピラを助け起こそうとする者はおらず、そそくさとその場を立ち去るのであった。
「全く、ちょっと目ぇ離すとすぐコレだオマエは!」
何故かぷりぷりと怒りながら、若者は青年の腕を掴んだまま、ずんずんと通りを歩く。
青年はむっとして、若者の手をふりほどいた。
「別に助けを求めた訳でもねえのに何勝手に怒ってんだお前。ていうか何で戻って来てんの?」
助けて貰ったにも関わらずそんな言葉を吐き捨て、青年は若者には目もくれず一人で歩き出す。
今度は若者がむっとする番だった。
「オマエな! 助けてやったのに何だよその態度はあ! あのままじゃオマエどんな目に遭ってたかわかんねえんだぞ!?」
「俺がどんな目に遭おうがお前に何か関係あんのか? ていうかコンビ解消したんじゃなかったっけ? あと口聞かないんじゃねえの?」
早歩きで進む青年の後を追いかける形で小走りになりながら、若者は文句を垂れるが、間髪を入れず青年に反論されて一瞬言葉に詰まった。
確かに自分から一方的にコンビ解消と言ったのは事実だ。事実だが。
言動も態度もいちいち頭に来るし、話していると腹が立つのはしょっちゅうだが。
それでも。若者はぽつりと呟く。
「ーーコンビ解消なんて実際そんな簡単にできる訳ねえだろ」
それに、何かあったら十分困るんだっつうの。
続く言葉は心の中に留めるだけにして、ようやく青年の横に並んだ若者は、早く帰るぞ、と青年を促す。
それに応えて青年が「ご苦労なこった」と呟くが、若者はもう聞こえない振りをした。
暫く、互いに何かを喋るでもなく連れだって大通りを歩いていたが、ややあって青髪の若者がぽつりと呟いた。
「・・・霧が濃くなってきたな。月、急ごうぜ」
銀髪の美青年に呼びかける。
月と呼ばれた青年はちらりと若者に一瞥をくれたが、特に反論はせず若者に歩調を合わせることで同意を示した。
若者の言う通り、周囲が微かに白く煙っている。ガルドの街は山岳に囲まれた山間の街で、確かに気候条件によっては霧が発生しやすい地形ではあるかもしれない。
だが、この「霧」は違う。
この「霧」は危険だと、ガルドの住人なら誰でも知っている。
「おっ! 蒼ちゃんここにいたか!」
帰路を急ぐ二人の進行方向から、一人の屈強な体格の中年男が駆けて来たかと思うと、青髪の若者の姿を見つけて大声で呼び止めて来た。
蒼と呼ばれた若者が中年男を認めてやや驚いたように声を上げる。
「ギルド員のおっちゃんじゃねえか。どうしたんだ?」
蒼の言う通り、中年男は街のギルドに所属する構成員で、同じくギルドに出入りする蒼とは顔馴染みであった。
慌てふためいた様子のギルド員の剣幕にやや押され気味になって、蒼が思わず尋ねる。
「どうもこうもねえ、〈霧の化け物〉だ! 街中に出やがった!」
ギルド員の言葉は蒼と月を一気に緊張させるには十分な力を持っていた。
互いに顔を見合わせると頷き合い、二人はギルド員に導かれるままに走り出した。
街に立ちこめる「霧」が危険な訳。
それは、濃さを増すと決まって現れる〈霧の化け物〉の驚異に尽きる。
何故「霧」が濃くなると出現するのか、どういった素性のモノなのか、未だに解明されていない。だからこそ驚異だった。何しろ予防策が取れない。現れずに済むような措置が何もできない。「霧」がどんな仕組みで現れるかすら分かっていないのに、〈霧の化け物〉を根絶させる方法など人間たちには知る由もなかった。
ガルドの東西に隣接する科学都市ブリガンディア、宗教都市ティフェレト両都市ではそれでも「霧」と化け物の被害を最小限に抑える方法が確立されているものの、資材も人材も不足したガルドではそうもいかなかった。何より「霧」や化け物よりも人間たちの荒んだ犯罪行為をどうにかする方がよほど重要だという街なのだ。
だから、立ちこめる「霧」に注意し、濃くなれば外をみだりに出歩くのをやめて家の中で息を潜め、〈霧の化け物〉が現れれば総力を挙げて退治するーーといった対応策をとるのが精一杯だった。
その対応策を担うのがギルドである。
ギルドは街の整備や治安維持を引き受ける一方で〈霧の化け物〉を討伐する者たちを抱え、必要に応じて派遣する。討伐を成功した暁には関係者に報酬が与えられる為、ガルドの街で多少なりと腕に覚えがある者は大抵ギルドに登録していた。 蒼や月もその一員である。数少ない実入りのいい仕事だ、当然命の危険もつきまとうが、そこは二人でバディを組むことでフォローし合い、協力して討伐に貢献するーーそれが二人のスタイルだった。
だから蒼が月に一方的にバディ解消を訴えたところで、蒼自身得にはならない。むしろリスクの方が増えるのだ。蒼が「コンビ解消などそう簡単にできる訳がない」と言ったのはそういう理由だった。
ーーなのだが、この二人どうにも馬が合わないらしい。互いにバディとして致命的である。
蒼は良く言えば明るく前向きで元気いっぱい。悪く言えばうるさくて阿呆。
月は良く言えば知的で思慮深く、冷静沈着。悪く言えば冷徹で容赦がない。
何故この二人がバディを組むことになったのか、そして組んだところで上手くやっていけているのか、事情を知らない者たちからすれば首を傾げたくなる。実際組んで一ヶ月程になるが、二人の間には諍いが絶えない。
蒼は月のどこか冷めたような振る舞いと自分自身に対する態度が気に食わず、月は蒼の落ち着きのなさと場所を弁えない騒がしさにうんざりする。その互いの不平不満が爆発すると、冒頭のような言い合いが始まる。言い合いといっても蒼が一方的に月に食ってかかるだけで、月の方は何も言い返す気にならない訳だが。
そして蒼が啖呵をきって立ち去るものの、大抵は頭が冷えれば戻って来る。「コンビなどそう簡単に解消できない」と理由をつけてはいるが、先ほど絡まれたように、月は放っておくとあの手の輩に目をつけられることが多い為、結局蒼自身月を一人にしておけないのだ。
とはいえ、蒼には月とは簡単に離れられない別の理由もあるのだがーー。
〈霧の化け物〉が現れるのを目撃したか、現れたという騒ぎを聞きつけて混乱したか、戦う術を持たない一般人たちが悲鳴を上げながら逃げ散っていく。
蒼と月はその流れに逆らうようにして走る。
ギルド員に誘導されてはいるが、場所は恐らく街の外れであろうと見当はついていた。街外れに広がる小さい森の近くで〈霧の化け物〉が出現することが多いからだ。
果たして、街外れに近づくにつれ異様な雰囲気が周囲を取り囲み始めたーーかと思うと同時に、行く手を遮るような形で「それ」らが現れる。
初めは濃く漂っていただけの「霧」が、次第に一カ所に集まっていく。それは決して自然に起こり得る現象ではない。
「月、止まれ!」
咄嗟に蒼の口から制止の言葉が飛び出した。
その現象こそが〈霧の化け物〉の現れる前兆であることを知っているからだ。
勿論月もそれを知らない訳ではない。何なら蒼が叫ぶよりも前に「それ」を見た時点で減速している。蒼とて素人ではないからそれを気配で感じない訳でもなかろうが、にも関わらず咄嗟に声が出てしまうのは、そして立ち止まった月を庇うように前に出てしまうのは蒼の役割上仕方がない。
一点に集中した「霧」が四足獣の形を取り始める。
一匹、二匹、三匹目が現れるところで、蒼は己の腰に差す武器を抜き放った。右手でショートソード、更に左手でダガーを持ち、しかも逆手に構える。蒼独自の二刀流スタイルだが、その姿を横目で見ている月などは、
ーーあれ絶対自分カッコいいと思ってやってるな。
と思っているのだが口には出さない。代わりに自分も武器を抜いて戦闘に備えた。
現れた四足獣たちは黒い毛並みの狼のように見える。しかしその容貌は異様だ。両眼は燃えるような赤色に爛々と輝き、耳近くまで裂けた口からは剣山のように尖った牙の列と奇妙な程に長い舌が覗いている。
一見してまともな動物でないことが分かるが、これこそが〈霧の化け物〉の特徴だ。
剣を抜き放った人間たちを敵と認めたか、狼に似たうなり声を上げ、一斉に襲いかかってくる。
蒼は右手のショートソードを水平に突き出し、一匹目の牙を受け止めた。すかさず左手に構えたダガーを獣の首に突き立てる。ギャウン、とやはり狼のような悲鳴を上げ、獣はだらりと舌を垂らして地に倒れた。
獣の絶命を確かめるよりも先に、蒼は咄嗟に目の前をショートソードで薙ぎ払う。蒼の身に届きそうだった二匹目の牙が砕け、ただでも裂けた口が更にぱっくりと切り裂かれた。空中でもんどり打った獣はそれでも辛うじて着地するが、そのまま態勢を崩し横倒れになる。
ふぅと息をついた蒼のすぐ真横で、またも獣の悲鳴がした。慌ててそちらに目を遣る。と、最後の一匹が蒼に食らいつこうとしたところを、狙い澄ました月のショートソードに串刺しにされたところだった。
「気抜くな馬鹿」
「誰が馬鹿だ誰が!」
「お前に決まってるだろうが」
ショートソードを抜き納めた月の吐き捨てるような台詞に応酬したい気持ちはあったが、多分まだ終わりではない。一匹目の首からダガーを回収し、蒼も同じく武器を納める。
それに、月にフォローされ助かったのも事実だ。そこは認めざるを得ない。
蒼は気まずそうにもごもごと口の中で何かを言ったが、月の耳には届かなかった。とはいえ、蒼が何を言わんとしていたのかは何となく分かる。
どうせ「悪い」とか「助かった」とかいう類の言葉をかけたかったのだろうが、気恥ずかしかったのだろう。
時間に余裕があれば「聞こえない。もっと大きな声ではっきり言え」とでも返してやるところだが、そんな場合でもないことは月も理解していた。恐らくこの獣たちは雑魚の類で、こいつらよりももっと大きな〈霧の化け物〉が別にいるはずだ。
「おっちゃん、そいつの処理頼むぜ! あとそれ俺らが倒したってことで計上よろしく!」
蒼は巻き込まれないよう後方で待機していたギルド員にそう言い残すと、月と共に街外れの森を目指した。
〈霧の化け物〉は血を流さない。「霧」が寄り集まって生まれるそれらは血肉を持ってはおらず、刃物は通るものの噴き出すものといえば黒い霧のみである。霧でできた体から分裂したように噴き出る黒い霧は空中で文字通り霧散し、後には残らない。
先ほど蒼と月が倒した狼似の〈化け物〉もまた、赤い血の代わりに黒い霧をまき散らした。
だから、今漂っている濃い血の臭いは人間のものに違いない。
その現場にたどり着いた蒼と月が見たのは、まず地に倒れ伏した数人の人間たち。いずれも大小様々な傷を負っている。小さな呻き声を漏らしている者もいるが、ぴくりとも動かない連中は死んでいるのだろうか。
そして今もなお〈霧の化け物〉に立ち向かわんとしている者たちが数名。こちらも決して無傷ではない。だが街を蹂躙されまいと、あるいは富や名声の為、自らを鼓舞して踏みとどまっている。
その更に奥に見える〈霧の化け物〉は蒼の想像を遙かに超える大きさだった。
先ほどの四足獣とは違う、明らかに人型の姿。しかしその胴体は奇妙に肥大化しており、蒼の三倍はあろうかという背丈。その体に対して不釣り合いな程細い脚が胴体を支えて直立している。四足獣と同じなのは全体が黒い霧でできていることと、口から覗く鋭い牙だけだ。
「何だぁ、あれ・・・!? あんなん見たことねえぞ」
あまりに規格外な姿に蒼は武器を構えるのも忘れ、呆気に取られて見入っていた。
蒼の〈霧の化け物〉討伐経験は決して豊富とはいえないが、それでもそれなりの期間続けて来たつもりだった。身の丈以上の化け物と遭遇したことだって数える程度だがなくもない。
だがこいつはその中のどんな化け物をも凌駕する大きさだ。
あの牙で食いつかれたらひとたまりもないだろう。加えて両腕の先端、指先に伸びる爪もまた驚異だった。地に倒れた人間たちはあの爪でやられたのだろう、爪の先が真っ赤に染まっているのが見える。
「・・・ちょっとアレやばすぎねえか?」
「・・・そうだな」
珍しく意見が合ったのを喜び茶化す余裕もありはしない。
あんなモノ、どうしたらこの頭数で倒せるというのだろう。とはいえここで逃げ出すという選択肢はない。戦線が崩壊すればこいつは自由だ。あっという間に街の中に入り込み、後には大量虐殺が待つのみなのだ。
そうこうしている間にまた一人、化け物に薙ぎ払われて吹っ飛んで行く。残るは蒼と月、そして満身創痍の同業者が二人。
「・・・月、オマエは一旦逃げろ。そんで、ギルド行って少しでも多く救援を頼め」
思わぬ蒼の言葉に、月は一瞬耳を疑い、まじまじと蒼を見てしまった。
「は? お前はどうするんだ」
「この場をほっとく訳にいかねえだろ。俺が何とか時間稼いどくから、オマエは行け!」
月の腕を掴んで自分の後方に押しやり、蒼は化け物から月の姿を隠すようにして前に立った。ようやく抜き放った二つの武器を構える両腕が震えそうになるが、気合いで抑え込む。
自分にどこまで足止めができるか分からない。下手をすればここで死んだっておかしくない。だが月に情けない姿を見せたくない、という意地と、月を守らなければ、という使命感が蒼を奮い立たせている。
ーー約束、したもんなあ。
心の中で呟き、悲壮な覚悟を決める。
そして生き残りに加勢せんと、地を蹴り駆け出ーーそうとして、蒼は予想もしない衝撃を足に受けて勢いよくその場にすっ転んだ。
「ぶべっ!・・・いっで・・・何!? 何が・・・」
起きた、と続けようとした蒼の視界に入り込んだのは、すらりと伸びやかな足。
その足がすたすたと蒼の体の横を通り過ぎて行く。
「全く、大して強くもないくせに格好つけんな」
「・・・月? え? 月!? オマエか今転ばせたの!?」
「そうだが」
「何で!?」
蒼に足払いをかけて盛大に転ばせた張本人ーー月は、そのまま蒼を追い越し、〈霧の化け物〉の方へと歩いて行く。
一体何故そんなことになったのか分からずただ混乱していた蒼は、歩き去って行く月の背中を見てようやく我に返った。慌てて立ち上がり月に手を伸ばして止めようとする。が月は意に介さない。
その時、残った二人の同業者の一人が自身を庇った右腕に食いつかれた。凄まじい悲鳴がほとばしり、食いつかれた者は逃れようともがく。もう一人が化け物の横面を剣で切り裂いて同業者から引き離すことには成功したが、代わりに鋭い爪で胸を掻き切られ、揃って倒れ伏す。死んではいないようだが、もはや戦線を維持することはできそうにもない。
これで〈霧の化け物〉と月の間を阻むものはなくなった。が、月は構わず歩を進める。
「バカ、行くな!」
「誰がバカだ誰が」
「オマエだろうが!」
立場は逆の、先ほどと全く同じやりとりをする間にも、月はずんずんと〈霧の化け物〉に近づいて行った。危ない、戻れと叫ぶが聞く耳を持たない。
蒼は月を追いかけて後ろからその細腕を掴もうとする。が、手が掴んだのは何もない虚空に過ぎなかった。蒼が掴もうとしていた月の腕が、まっすぐに〈霧の化け物〉に伸ばされていたからだ。
新たな獲物が自ら向かって来るのを理解したのだろう、血に濡れた化け物の爪が月の体を捕らえようと振り上げられーーそこで止まった。
〈霧の化け物〉に困惑という感情が働くとするならば、まさに今がその状態だった。振り上げた腕を振り下ろすことを躊躇っているーーいや、振り下ろしたくてもできずにいるらしいことが、表情こそ変わらないものの首を傾げるかのような仕草で何となく分かる。
月は〈霧の化け物〉に向かって腕を伸ばしたまま、微動だにしない。その手から何かを発しているようには見えないが、手のひらを大きく開いて
明らかに化け物の動きを牽制するかのような様を見せている。
対する〈霧の化け物〉の様子に変化が現れた。
振り上げたまま振り下ろされることのできない腕が次第に震え始める。気配が困惑から動揺に変わったのが分かる。
〈霧の化け物〉も焦ったりするんだ、と場違いにもぼんやりと思っていた蒼の目の前で、今度はその巨体がぐにゃりと歪んだ。「霧」が形を成して化け物へと転じる様を逆再生したかのように、その巨体が崩れ、形を失っていく。
そして、あまりにも静かにーーあっけなくと言ってもいい程静かに、黒い「霧」に戻ったそれが月の手のひらに吸い込まれるかのように消えていった。
あれほど充満していた緊張感と死の臭いが、嘘のように引けている。後に残るのは静寂のみだ。
何が何だか良く分からない。蒼は頭の中に疑問符を大量に浮かべたまま、その様を見ているしかなかった。
月が手をかざしたら〈霧の化け物〉が消えたーーそうとしか見えなかった。何か道具を使ったようにも見えない。ましてや武器の類を使った訳でもない。本当に、手をかざしただけだ。それなのに〈霧の化け物〉が消えた。撃退したとは違う、何か不思議な力が働いて消滅したのだ。
しかし、蒼にはそれが何なのか、どういうことなのかは分からない。蒼の中にある常識で解決することができない。ブリガンディアで開発された兵器のようなものか? ティフェレトで流行っている魔術のようなものか?
いずれにしろ、月が身一つで〈霧の化け物〉を退治できる力を持っているなんて、蒼は聞いていない。
「ゆ・・・月? 何だ、今の・・・オマエ、何したんだ?」
恐る恐る、といった表現がぴったりの口調で蒼が月に問いかける。と、月は少しだけはっとしたような表情で蒼を振り返りーーそして納得したような表情に変わると、そっと溜息をついた。
そこにどんな思考が浮かんでいるかは分からない。が、月の顔に浮かんだ表情は、強いていえば「諦め」に近かったかもしれない。
その表情を見た瞬間、蒼は反射的に言い募っていた。
「いや! 違うんだ、ちょっとビックリしただけなんだ。あんなすげえ力持ってるなんて思わなかったから・・・ていうか! そんな力持ってんならもっと早く言えよ! 〈霧の化け物〉倒すのなんて余裕じゃねえかよ! すげえよオマエ!」
口をついて出た言葉を、月がどれだけ真に受けてくれたかは分からない。月は聡いから、蒼が言葉の裏側に押し込めた様々な感情などお見通しかもしれない。
その証拠か、段々と渋面になっていく月を見ながらも蒼は言葉を止めることはできなかった。何故か今ここで月を疑うようなことをーー否定するようなことを言ってはいけないと思った。それに手段はどうあれ月の力がこの状況を打開し、街を救ったのは事実だ。
言葉を尽くした蒼が黙りこくると、降りてくる沈黙。それを破ったのは意外にも月の方だった。
「・・・下手くそなお世辞言ったって何も出ないぞ」
そう言うと、その場に倒れ伏している同業者たちを介抱しようとしているのか、すたすたとそちらへ歩いていく。内心はどうあれ、表情はもういつもの月に戻っているようだった。
安堵の溜息をつきながら、蒼も月に倣おうと手近の同業者に駆け寄った。
今はとにかく負傷者たちの保護が先だ。月の力のことは気にはなるが、今はあの〈霧の化け物〉を殲滅してくれた月のことをとやかく言うのはやめておこう。
その時、蒼の頭に全く別の、しかし重要な不安が浮かんだ。
「なあ、あいつ消えちまったけど・・・死骸とかねえんだけど、報酬は・・・?」
「ないかもな」
「嘘だろぉ!?」
結局その日の稼ぎは最初に遭遇した狼似の〈霧の化け物〉三体を討伐した分だけであった。
しめてガルド銅貨六十枚。それを二人で分けて三十枚。一日に必要な生活費は平均五枚。つまり六日分の生活費にしかならないという世知辛さ。
あの巨大な化け物については、月が不思議な力で消滅させたことを言いふらす訳にいかないだろうと、蒼は詳しい事情をギルドに説明しなかった。一応実際に交戦し負傷した者たちもいたから存在を疑われはしないだろうし、生き残った彼らには見舞い金が支払われてもいたので、それらしい巨大な個体を見た、とは話したが。
結果死骸もない状態では討伐したとは見做されず、多数の人間の抵抗にあった為に逃走したのだろう、という結論になっただけだった。
あの巨大な化け物の死骸さえ残っていれば、もっと報酬が手に入っていただろうに――と今更考えても詮無いことを思い、しょんぼり項垂れる蒼であった。
説明 | ||
始まりは、何ということのない『霧』だった。 しかしその『霧』はやがて世界を蝕んだ。 『霧』から異形の生物が生まれ溢れ、人々の命を脅かし 人々はそれに対抗する術を模索した。 科学の力で『霧』を払わんと日夜研究に明け暮れる「ブリガンディア」 神の子の奇跡が世界を救うと信じ暮らす「ティフェレト」 そして、ただその日その日を精一杯、力強く生き抜く「ガルド」 これは、ガルドの街で冒険者として生きる若者たちの物語。 |
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