鉛筆と消ゴム
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説明
???1872(明治5)年に学制がしかれ 寺子屋に代わる欧米式の学校が各地に新設された事により鉛筆の需要が高まったそうだ。1873(明治6)年、鉛筆の製造技術を学んだ小池卯八郎さんが、国内で最初に鉛筆をつくったとされている。小池さんの他に藤山種廣さん、井口直樹さんがウィーンの鉛筆製法を学んでおり、藤山さんはボヘミア州ハルトムートの製造所で製法を学び帰国した。井口さんはドイツ・ヒツトワイス鉛筆製作所の製造機械の図解を模写、さらに黒鉛を携えて帰国した。両者は欧州工業で学んだ事を小池卯八郎さんに伝えて、小池氏は1877(明治10)年に東京・上野の「第1回内国勧業博覧会」で、「教育ノ器具」として国産の鉛筆を出品している。 1878(明治13)年頃、河原徳右衛門さんも苦心して黒芯鉛筆を製造している。また同年に、眞崎仁六さんはフランスのパリで開かれた博覧会で出品されていた鉛筆を見てその製造方法を研究し、水車を動力とする鉛筆工場(現三菱鉛筆)を東京に建てたそうだ。こうして国産の鉛筆は明治維新の頃に作られていったが、日本に鉛筆が伝わったのは それよりずいぶん古く、静岡県の久能山東照宮博物館には徳川家康の遺品として1本の鉛筆が展示されていて ヨーロッパでつくられた鉛筆が幕府へ献上されたと考えられている。また伊達政宗も鉛筆を使っていたと考えられており、1974(昭和49)年の墓所・瑞鳳殿発掘が行われた時に約7cmの鉛筆が発見されているそうだ。 鉛筆の芯は、黒鉛と粘土を焼き固めて作られているから、一般的に毒性は無いそうだ。 JIS規格や欧州規格、米国画材・工芸材料協会認証でも有害物質の規制があり、重金属などの有害物質は基準値内であることを確認しているという。だから安心して舐めても大丈夫みたいだ。 そんなわけで5月2日は「鉛筆記念日」である。しかし、なぜ5月2日になったのか、何のために記念日を作ったのかは謎であるようだ。
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