1900年頃というのは面白い。日本にはドロシーもピーターパンもいないが、初めての自動車事故があったという。 1900(明治33)年5月10日金曜日、後の大正天皇となられる嘉仁親王(よしひとしんのう)と後の貞明皇后(ていめいこうごう)となられる九条節子様の結婚式を祝して、サンフランシスコ駐在日本人会から送られた 米国ウッズ社製の『Victoria』という電気式自動車が献上されたそうだ。しかし、初めて見る電気自動車なので 宮内庁が献上前に試運転をした。ところが、交番に突っ込みそうになったので ハンドルを切ったがブレーキが効かず、皇居のお堀の中へ転落してしまったそうだ。この事故は警視庁の歴史上で自動車事故第1号になったという。車は公用車としては使えなくなったが、修理して御前での運転披露は無事行われたらしい。しかし事故を起こしたせいなのか ひどく慎重に運転したようで、自動車の走行をご覧になった嘉仁親王の感想は「自動車とは ことの外 速度の遅きものである」と語ったことが記録されているそうだ。 アメリカの1900年は、電気自動車がどの車よりも多く売れていたようだ。アメリカの国勢調査によると生産された自動車4192台のうち28%が電気自動車だったという。 ビクトリア号は1899年にイリノイ州シカゴで設立されたWoods Motor Vehicle companyで作られた車だ。初代社長はフレデリック・ニコルズで、創設者は「電気自動車に関する最初の本」を書いたクリントン・エドガー・ウッズである。Victoria号の出力はたった1.9kWのモーターを二基使った3.8kWで最高速度は29km/hであった。まともに走れば原付並みの速度で走れたのだ。2人乗りで当時の価格は$1900(現代の価値にすると1ドル140円位らしいから今と変わらない)だったという。バッテリーは40セル、車重は1225kgで、4速の変速機を備えていた。おそらくモーターのトルク不足を変速機を使って補ったと考えられている。2基のモーターはシートの下のフレーム下部に取り付けられていて、馬車のカタチに似ている。ハンドルはバー式で、後席の左側の『外』にあり乗客の一人が運転するようになっている。Victoria号は「馬なし馬車」であったのだ。 |