5代将軍綱吉が治めていた元禄時代は、中頃までは赤穂藩 浅野内匠頭の切腹事件があったけれど、穏やかな良い時代だったという。徳川綱吉の政策は武士の視点だけではなく、広い視野でいろいろなものを追及していたそうだが、生類あわれみの令で、試し切りが出来なくなった武士から非難される事が多かったようだ。現代の動物愛護管理法を武士の皆さんに教えてあげたくなる。だが元禄時代の後半は災害が相次いで起こり、莫大な修復費用が重なってしまい、1704年には幕府の景気は悪くなっている。そして綱吉は1709年に病で亡くなった。綱吉と同じ時代に、忍者の里伊賀に生まれ、忍者の血を受けついでいる松尾芭蕉は、幕府の密命で隠密の旅をしたという説がある。有名な服部半蔵は同じく伊賀者で、徳川家康の家臣だった。だから芭蕉ももしかすると、北日本の情勢や武家の不満を探る密命が下されていたのかもしれない …、と空想すると面白い。1689(元禄2)年5月16日に、45歳の(伊賀の忍である )松尾芭蕉と弟子の河合曾良は、(幕府の密命を受け)連れ立って奥の細道へ(北日本の様子を探るため)出発した。江戸を出発して、栃木の日光から東北一帯を巡り、日本海側を経由して岐阜から戻ったという。その旅程は約2,400kmもの距離だったといわれている。『奥の細道』は芭蕉が旅の途中に書いたスタイルをとっているが、実際は(幕府への報告書を提出した後に)何度も書き直して1694(元禄7)年の初夏に完成したらしい。手記は芭蕉没後の1702(元禄15)年に一番弟子によって発行されたそうだ。(綱吉は1709年に亡くなっているが、伊賀者の芭蕉を失ったせいで身辺警護が手薄になり毒殺されたのか?) 5月16日は松尾芭蕉に因んで旅の日になっている。「旅の心」を大切にし、旅のあり方を考え直そうと、日本旅のペンクラブが制定したそうだが、妄想旅をするほうが面白そうだ。旅のペンクラブは観光業界の将来など旅について考える活動をしているというが、近年は地図を片手に旅をすることも無くなった。皆 スマホ片手に安易な旅行をするし、外国人旅行者に場を荒らされている気がする。「古池や蛙飛びこむ水の音」も「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」の中にある静寂も外国人旅行者には解らないだろう。 これでは「たびの日」ではなく「ナビの日」だねぇ。さぁ スマホ片手に Mission: Impossibleにならないように気をつけて、隠密の旅に出よう! |