アメリカにジャクリーン・コクランという戦闘機乗りがいた。 1951年(昭和26年)のサンフランシスコ平和条約と日米安全保障条約が調印された年に、ジャクリーン・コクランは女性の世界速度記録を更新しようと、アメリカ空軍からF-86セイバーを借りようとして断られたそうだ。それで、カナダ空軍からセイバー3の機体を借りて、航空機メーカーから16人のサポートチームを派遣してもらった。1953年5月18日にカリフォルニア州ロジャース・ドライ・レイクでコクランの操縦するF86セイバーは1,050.15 km/h の新記録を達成した。この飛行中に超音速を突破したコクランは、音速の壁を破った最初の女性となったのだ。この時は、史上初めて超音速飛行を成功したチャック・イェーガーが コクラン機の右側を飛行していたそうだ。 ジャクリーン・コクランは1937年のレースに出場した時に女性の世界速度新記録を樹立して、1938年にはアメリカで最高の女性パイロットとみなされるようになっていたという。このときまでに、ベンディックスレース(北米大陸横断レース)に勝利し、大陸横断速度の新記録や高度記録も樹立していた。彼女は女性として初めての、爆撃機で大西洋の横断をしている。ハーモントロフィー(年度の最優秀パイロットに贈られる賞)は5回も獲得していて、 Speed Queen と呼ばれている。1980年に74歳で亡くなるまで速度、距離、高度の記録を保持していたそうだ。 F86セイバーは自衛隊は長く使っていた。最後までF-86Fを運用していた入間基地の総隊司令部飛行隊では、コクランの亡くなった2年後の 1982年(昭和57年)3月15日に引退セレモニーを実施している。 |