日本人のエン・デ・ソア(自己嫌悪) 〜平和主義者は自己中である〜
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エン・デ・ソア(自己嫌悪・フランス語)

 

日本の平和主義者とは?

 

 それは、「戦争による平和」である。

 

 〇その戦争を利用しているエン・デ・ソアが戦争へのエン・デ・ソアとして現れる。

 

 自分は「平和の勇者」だと信じているからこそ、戦争を利用している自分よりも、戦争している方を自分だと思いたがるし、思い込んでいる。

 戦争は平和よりも安易だと思っているから、平和である事は戦争している事すら含んでいると思っている。

 

 平和が一番、と言うより、「自分の平和」が一番だと思っているから、自分の「臆病な平和」を「勇敢な平和」だと思い、他人の「勇敢な戦争」を「臆病な平和」だと思う。

 

 

 

 〇彼らは本当の意味で自己中心的なのである。

 

 

 

 自分が世界の中心で「精神強者」、自分から遠い者は「精神弱者」だと思っているが、実際はその逆、エン・デ・ソアの者は「精神弱者」(「性指向弱者」)であり、非エン・デ・ソアの者は「精神強者」(「性指向強者」)である。

 彼らは魂が特別弱いのである。だから、戦争に誇りを持たない。現実的手段としても認めない。

 

 

 

平和主義者の例:

 

 〇平和主義者、彼らの中の彼女が自己中なのは、彼女とは私の母であるが、現実ならぬ愛実(あいじつ)から見れば分かる。

 

 〇「社会」の為に、「社会」の中にいる

   ”自分の為に”、

息子の服を買う。

 

 〇「社会」の中の自分はそういうものだから、その

   ”自分の為に”。

 

 〇母は結局、「社会人」であって、「母」ではなく、

   ”自分の為だけに”、”自分の為に”

お金を払ったのである。

 

 〇自分の事を愛しているから、

   ”自分の為だけに”、

息子に買い物を「してあげる」のである。これが息子の愛実世界である。

 

 

 

 〇”偽善者”にして”自己中”こそが、平和主義者の本質である。

 

 

 

 〇ニーチェも母親について似たような事は言ってはいるが、そこまで自分しか見ない「母」は「母」ではないと暗に言っている。

 

 〇結局、彼らは自分だけが大事で、息子の事など見ていない。眼前にいるのに、盲目、平和主義者には、自分達だけが人だからである。

説明
日本の平和主義者への批判。
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