未完成の作品
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説明
1926年(昭和元年)の6月7日に建築家アントニ・ガウディが路面電車に轢かれ 10日に亡くなったそうだ。晩年身なりに気をつかわなかったため、浮浪者と間違われ 手当てが遅れて、事故の3日後に入院先の病院で死去(満73歳没)したそうだ。 ガウディは亡くなった6月7日の月曜日も、サグラダ・ファミリア教会の地下聖堂でランプのデザインをしていたそうだ。午後5時頃、教会のミサに出かけたという。事故にあったのは午後6時から7時の間のことで、ガウディはサグラダ・ファミリア教会からパセオ・デ・サン・ホワン通りを横切ってテトワン広場の西側歩道を通り、バイレン通りを横切ろうとして、グラン・ビアを走る30番の市電にはねられたという。74歳とはいえ健康状態は良好だったそうで、何かに気を取られて電車が来るのに気が付かなかったのではないかと言われているそうだ。しかし、ガウディが轢かれた場所は、ガウディが以前住んでいた家の至近距離で、市電が通っている場所も良く分かっているはずだから、事故に遇うのは腑に落ちないという人が多くいるらしい。事故の3日後にガウディは意識が戻らないまま死んでしまい“貧者のカテドラル”(カトリックの教会で司教座がある大聖堂)の建築家ということで盛大な葬儀が行われたらしい。 不慮の事故や不治の病で作品を完成させずに亡くなった芸術家は多い。小説家ではカフカ、ヘミングウェイ、川端康成、夏目漱石とか、映画はブルースリー、音楽家ならシューベルトの完成していない「未完成」<a[ツァルトのレクイエム、ベートーベンの交響曲第10番、 そして、失われたのか、作らなかったのか知らないが、ミロのビーナスには左手がないから、未完成だともいえる。腕が無ければ、その先を人は自分で自由に想像できる。完璧なものを見た時よりも記憶に残り、それが作品の魅力に変わるという人もいる。僕は時々考える。ガウディのサグラダ・ファミリアも、大勢の赤の他人が勝手に作るよりも、未完成のまま終了したほうが良かったのではないだろうか。 清少納言も“月は満月よりも、幾分欠けているほうが風情ある≠ニ言っている。
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