ヴァイキングの活動が最初に記録に現われるのが793年6月8日だから、この6月8日をヴァイキング記念日と呼んでいるそうだ。剣や斧で武装した彼らがイギリスのリンディスファーン修道院を襲撃し、人々を驚かせたと記録されているらしい。 ヴァイキングは北方系ゲルマン人(北欧人)でスカンジナビア半島、バルト海沿岸に住む人々全体を指してヴァイキングと呼ばれたり、またはノルマン人と呼ばれたりしている。サーガ(叙事詩や長編物語)やエッダ(北欧神話や英雄伝説)などでは「探検」「航海」「略奪」などをヴァイキングに行くと表現しているようだ。多くの書物では、ヴァイキングは角のある兜を被った海賊や 略奪を働く野蛮な戦士の姿で描かれているが、このイメージは後世の想像した影響が強いらしい。実際は略奪を専業としていたわけではなく、彼らは交易民であり、農民であり、漁民であったそうだ。ヴァイキングが略奪者である印象を強めた理由は いくつか推測されているが、きっかけとなったのがキリスト教との対立らしい。キリスト教化される以前の北欧は、統一された一つの宗教を信じていたわけではなく、日本と同じように多神教であり、伝承の中の神々をそれぞれが信仰して王が祭事を執り行っていたようだ。795年にもヘブリディーズ諸島(イギリス北西部の大小150あまりの島々)のアイオナ修道院を略奪して、その後も北海沿岸を襲撃していくようになるが、修道院中心に襲撃するのは、僕にはキリスト教を敵視している証拠に思える。ヴァイキングによる攻撃は社会におけるキリスト教の広まりに対する反発ではないかと多くの人からも推測されているようだ。878年にヴァイキングの強いリーダーの一人が、イングランド王(アルフレッド大王)に敗れたことから、イングランドにおけるヴァイキングの居住地を定める協定が結ばれたそうだ。これをきっかけにその地のヴァイキングはキリスト教を受け入れざるを得なかったようだ。それと平行してヴァイキング(北欧人)とサクソン人(イギリス人)の言葉が混じり合っていったらしい。イギリス映画や小説のなかではバイキングは神を信じぬ蛮族と表現されていたりするが、キリストを信じないだけで侮蔑され差別されるのかも知れない。古英語も古ノルド語(北欧人語)も、元は同じゲルマン語だから、方言の違い程度らしい。数ヵ国語を話せると言っても、じつは沖縄弁と大阪弁と名古屋弁と鹿児島弁と山形弁を話せるという程度かも知れないのだ。混じり合って北海道弁になったように、混じり合って英語が出来たようだ。こうして改宗が進められていくなかで、一部のスカンジナビア人は18世紀まで改宗せずに、ノルウェーでは1世紀に渡り深刻な対立が生じていたという。特に通商や貿易の面で、スカンジナビア人はキリスト教徒による不平等な条件の押しつけで苦しんでいたことが判明している。 それにしても他の神を一切認めない宗教は世界中でトラブルばかり起こす長い歴史がある。一神教こそが悪魔であるとしか思えないのは僕だけであろうか。 |