フォッカー F7bサ
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説明
第一次世界大戦中は、英国の陸軍に勤めた後 空軍に勤め、大戦後はオーストラリアへ渡ったパイロットがいる。名をチャールズ・エドワード・キングスフォード・スミスといい、デトロイト新聞社から中古で買った飛行機のエンジンを積み換え、そして1928年5月31日にオークランド?ブリスベン間の南太平洋横断飛び石飛行に旅立ち、6月9日に成功させた。アメリカのカリフォルニア州オークランドを離陸してからハワイ、フィジーに寄りながら、オーストラリアのクイーンズランド州ブリスベンまで、初の太平洋横断飛行を成し遂げたのだ。1978年にサモアでは 太平洋横断飛行50周年記念の1ターラ銀貨を発行している。南太平洋横断飛行には、副機長チャールズ・ウルムに加え、無線士ジェームズ・ワーナーと航法士兼機関士ハリー・ライオンが加わっていたという。機体は新聞社が北極探検のために用意したフォッカーF-7b/3mを、計画が失敗に終わったのでスミス大尉が譲り受けたものだという。その後もオーストラリアからニュージーランドまで初めての無着陸飛行をしている。1934年には太平洋を東へ飛び、オーストラリアからアメリカへの飛行も成功している。 しかし1935年、タイのアンダマン海を飛行中に行方不明となった。 オーストラリアでは、スミス氏の功績にちなみ1936年にシドニー空港を「シドニー・キングスフォード・スミス国際空港」と名称を変更したが、市民はみな地名の「マスコット」 (Mascot) と呼んでいるらしい。 スミス氏の愛機はフォッカー F.VII「サザンクロス号」(南十字星)という。 フォッカー F.VIIは、1920年代にドイツからオランダに移転したフォッカー社とアメリカにあるフォッカーの子会社、アトランティック・エアクラフト社など多くのメーカーでライセンス生産された 乗員2名、乗客8名乗りの旅客機である。単発の原型機フォッカー F.VIIは1924年に初飛行し、翌年三発のF.VIIa/3mが開発されたそうだ。 この機体は数々の記録を持っている名機なのだ。
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