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説明
カビテ州にあるフィリピン初代大統領エミリオ・アギナルドの家は博物館となっている。アギナルド氏は、1898年6月12日に、自宅でフィリピンの独立を宣言したのだ。『6月12日は、フィリピンの独立記念日で祝日となっている』 フィリピン諸島は16世紀以来スペインに植民地化されており、フィリピン人はスペイン植民地政府による重税と重労働で虐げられていた。そこでフィリピン人は1892年に秘密結社KKK「カティプナン」を結成した。アギナルドは1895年にホセ・リサールを筆頭とする、マニラの秘密結社KKKに入会した。1896年にカティプナンの陰謀(フィリピン革命)がばれてスペイン植民地政府に検挙されそうになり、武装蜂起してマニラ北方のスペイン軍基地を襲撃したが、原始的な武器しかなく、スペイン軍に敗北を重ねた。翌年アギナルドは独自の軍を編成しスペイン軍に勝利してカビテ州を解放した。しかしマニラでは植民地政府にリサールが逮捕されており、1896年12月30日にスペインからの独立を扇動した罪で、リサールはマニラで処刑された。(12月30日はリサール記念日という祝日になっている) 1897年になるとスペイン軍の猛攻で撤退する。カティプナンでは内部抗争が発生しアギナルドが指導権を握りカビテ州から撤退して、マニラ北部のピアクナバトに到達した。そして、ブラカン州に総司令部を置き、「ビアクナバト共和国」を樹立し、アギナルドが大統領と名乗り、フィリピン各地のゲリラ戦を指導してスペイン軍と戦い続けた。1897年12月14日にスペイン植民地政府と和平協定を調印、スペイン側から補償金を得て亡命することとし、1897年12月31日に香港に到着した。 翌1898年にスペイン領キューバでアメリカ海軍のメイン号が沈められた事件で、アメリカ合衆国はスペインに宣戦布告した。アギナルドは香港亡命中にシンガポール合衆国領事と接触しており、アメリカ海軍がフィリピン独立を支持する旨の返答を受け取っていた。香港に駐留していたアメリカ海軍アジア艦隊がマニラ湾海戦でカビテ港のスペイン海軍艦隊を全滅させた。アギナルドはこのスペイン海軍撃滅の報を知った後、シンガポールから香港に戻り、アメリカ海軍の船でフィリピンに帰還し、デューイ提督と会談して、銃をはじめとする兵器の提供を受けた。アギナルドは5月24日にフィリピン独立戦争の再開を宣言し、再編成したフィリピン革命軍を率いて5月28日にスペイン海軍陸戦隊を打倒した。6月初頭にスペイン軍を打倒したフィリピン革命軍は、1898年6月12日に自宅に各国代表やジャーナリストを招き、フィリピンの独立を宣言した。英雄リサールが処刑されてから1年半が経つ。
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