アメリアのオール
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説明
♪まっかに燃えた 太陽だから真夏の海は 恋の季節なの〜 明日は美空ひばりさんの命日である。そんなわけで、1932年に大西洋単独横断をめざして飛び立った、アメリア・イアハートの愛機”オールド・ベッシー”は まっ赤なロッキード 『ベガ』だった。ロッキード ベガは1927年に初飛行した民間用飛行機で 34の世界記録を打ち立てた木製の高性能機である。高速長距離機で有名になったベガは 主に次の実績があるようだ。 1929年に「弾丸ホークス」と呼ばれたプランク・ホークス大尉とO・Eグラブは、ベガ ”エアエキスプレス”に乗り、米大陸横断無着陸飛行を18時間21分という新記録で樹立した。その帰路も19時間弱で飛び、それまでの往復コース・レコードを破った。同年6月にホークス大尉は”エアエキスプレス”で大陸横断記録を更新した。 ロッキード社の、主任パイロットであるハーバート・J・ファーイは 1929年5月に「ベガ」で36時間56分の無給油滞空新記録をつくった。 1931年、に”フライング・ファーネス”で高度8761m速度339km/h飛行距離3182kmの世界記録を同時に達成した唯一の女性ルース・ニコルスは、「ベガ」で9,550mの女性による高度記録をつくった。 1931年オクラホマの石油業者F・C・ハルは、自分の石油を宣伝しようと世界一周スピードレースへの参加を決めて、パイロットに片目のウィリー・ポストを起用し、「ベガ」にハルの娘の名である“ウィニー・メイ”と命名した。こうして6月23日に航空士ハロルド・ガティとともにウィリーは”ウィニー・メイ”に乗りニューヨークを出発した。 コースは、大西洋を横断してヨーロッパ〜シペリア〜カムチャツカ〜アラスカを経てニューヨークまでの約26,000kmの行程である。 ”ウィニー・メイ”は7月1日に ニューヨークに帰ってきた。25,890kmをわずか8日と15時間51分(207時間51分)で飛び、それまでの記録である2,251時間11分の実飛行時間を大幅に短縮する結果で成し遂げたのだ。 翌1932年は前述の、”オールド・ベッシー”でアメリア・イアハートが初の女性による大西洋横断を成し遂げている。 1933年になると、ウィリー・ポストは こんどはたった一人でオートパイロット付きの“ウィニー・メイ”に乗り、自分の世界一周記録更新に挑戦した。前回と同じルートを飛び7日18時間49分と、自己記録を約21時間も短縮した。1934年にはウィリーは自分の設計した与圧服で高度55,000 ft(約17,000 m)の飛行を行った。 世界一周の高速記録は、5年後の1938年にハワード・ヒューズがウィリーの記録の約半分の3日と19時間14分(91時間14分)で世界一周飛行を行い、最速記録を更新している。ヒューズの使用機はベガではなかったが、やはりロッキード社の機体であったという。
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