戒律を守っている快感(予定調和論)
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 何か感覚的な理由がない限り、直情に基づいて事を行えない事を「予定調和」と言う。

 「予定調和」は人(形式によっては「神」と呼ばれる)から与えられた禁止や制限から起こる。

 戒律を守っている人間は「予定調和」にあるだけであって、感覚的な理由が起これば、直情に基づいて、その直情を曲げない限り、無条件で事を行う。

               ・・・・・・・・・

 「予定調和」から外れる事は、ごく普通の生理現象(キリスト教で言う罪などではなく、勃起や射精、空腹や睡眠などと同じ、不可避の現象)である。

 神の意志の中にあるのではなく、「予定調和」の無能力の状態に、律法を守っている場合、あるのである。

 

 なお、戒律(公も私も)は「予定調和」を知識(意識)すれば、『破壊』出来る。

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戒律の快感についての論
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滝口の予定調和 キリスト教徒の状態 

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