キリスト教のサボり癖(すなわち腐敗の七元)
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・教義

・予定調和性(詰まる所、律法(神の命令)を守っているかどうか)

・謙虚

・宗教一致性

・反鑚教(反キリストの種を見つけて排除する)

・神教会(キリスト教、神っぽい事、何もしてない…)

・教依存(これは…と思える教えを見つける熱心さ)

 

 以上の七つにおいて、キリスト教は腐敗していて、サボり癖がついている。

 

 …先人が『キリスト聖書』を書き換えようと、何の反応も見せない。

 現代においては、キリスト教など、「生ける神」と言う発想すらない。

 カトリックはまだましな方で、プロテスタントなど、これら必要事項に何も手を付けていない。

 

 たとえば、教依存は「「はい」は「はい」、「いいえ」は「いいえ」としなさい」と「誰でも情欲を抱いて女を見る者は既に姦淫を犯したのです」の二つは良く考えられた教えだと言う事を発見するなど、そう言う熱心さは宗教には必要な事である。

 

 これらが信仰心の現れである事は少しでも見る目がある人は分かるはずである。

 ましてや、予定調和から外れる本能を度外視してまで、自己調和に入る程の信仰心など、そんなものは、今のキリスト教徒にはない。

 

 まず、「一主」に還れ。そこからでないと話にならないから。少なくとも「二主」ではなく。

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七元の腐敗なるキリスト教
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タグ
キリスト教 腐敗 予定調和性 自己調和 信仰心 

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