慶応4年7月17日(新暦の明治元年7月17日=1868年9月3日)明治天皇の詔勅で「江戸」が、東亰(とうけい)になり 都と定められた。そして、東京が正式に日本の首都となったのは廃藩置県が行われた明治4年7月14日(1871年8月29日)と言われている。京都が日本の中心だから、東の京は東亰都となった。 しかし法律上では現在も東京を首都と定めていないそうだ。すべての人が 勝手に東京が日本の首都であると思い込んでいるだけなのだ。それは何故なのかと疑問に思う。なんだか学校教育を根底から否定された気がするし、日本の首都は東京だと洗脳されているようだ。 ためしに、AIに質問してみた。『問 : 世界一大きな首都は?』 AIの答 : 『世界で最も大きい首都は、一般的には東京とされています。人口規模で言えば、東京都市圏(国土交通省は、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県を東京圏と定義している)は世界最大級のメガシティであり、3700万人を超える人口を抱えています。より具体的に言うと、国連の定義では、都市集積地域(郊外を含めた都市圏)の人口で比較した場合、東京が世界最大となります。2014年の東京圏の人口は3783万人で、第2位のデリー(2495万人)や第3位の上海(2299万人)を大きく上回っています。』 ふーん、AIも騙されているのかなぁ。引き続き質問してみる。問 :『首都は京都か?』AIの答 :『いいえ、日本の首都は現在京都ではなく東京です。明治時代に東京(当時は江戸)に遷都されました。794年から1868年まで、京都は平安京として日本の首都でした。しかし1868年の明治維新後、新政府は京都から東京に遷都することを決定しました。京都は旧体制の象徴であり、新しい時代を象徴する都市が必要だったため、東京に遷都されました。法律で首都を定めたものはありませんが、東京に国の主要な行政機関、国会、最高裁判所などがあるため、事実上、首都と認識されています。』 成る程………〈ここからの情報はフェイクが混ざるから注意〉 実は、ふと 僕は東京が首都である理由に気付いた。それは、東京は首の都だからだ。千代田区大手町の大蔵省跡地に平将門の首塚がある。明治時代の大蔵省(現財務省)は千代田区大手町にあったが、そこには平安時代に承平・天慶の乱を起こした平将門の首塚があった。討死した平将門の首は平安京に運ばれ、七条河原でさらし首にされたが、数ヶ月経っても目を開閉し、体を探し、首を繋げてまだ戦うと叫んでいたという。そして怨念の力で故郷の東国に向かって飛んでゆき、落ちた場所が「将門の首塚」なのだ。江戸幕府が開かれるとき、天海大僧正が、徳川家康に進言して、北斗七星を信仰する将門の 朝廷への怨みを封じ、逆に守り神とすることにより江戸の繁栄を築いたと言われている。将門塚(将門の首塚)は、江戸幕府が表鬼門守護の目的で現在の場所に移し、他に7つの神社を北斗七星の形に配置したそうだ。その後 明治政府は怨念が目を覚さないように魔方陣と山手線でさらに結界を張ったという。だが大正12(1923)年、関東大震災後の大蔵省再建工事の際にその首塚が取り壊されると、大蔵大臣や工事部長が突然亡くなるなどの不幸が続けてあり、祟りの噂がひろまったそうだ。そして昭和に入り、大戦後GHQは、丸の内の区画整理に障害となるこの地を造成しようとしたが、不審な事故が相次いだため計画を取り止めている。工事の主体であるアメリカ軍のブルドーザーが作業中に横転し運転手が死亡した際に、事故で日本人労務者にも多数の怪我人が出ていたので 付近を調査したところ、転覆したブルドーザーの前に半分埋まっている墓のようなものが見つかったそうだ。慌てて首塚を再建したところ祟りの原因とされた平将門は、また東京の守護神として おさまったという。東京都は、平将門の『首の都』だったわけだ。 |