真・恋姫無双『日天の御遣い』 第十章
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【第十章 月詠】

 

 

「董卓様ッ! どこにおられるのですか、董卓様!」

 

 煌びやかな洛陽の城内を、華雄は主君を探して駆けずり回っていた。

 虎牢関を出発して、洛陽に着いてから結構な時間が経つ。張遼と呂布のことだ、多勢なる連合軍相手にも引けをとらず、きっと自分が主君を保護するまでの時間を稼いでくれているはずだが……あまり猶予はないだろう。

 一刻も早く、我が主君を保護しなければならない。

 ならない――のに。

 

「ひっ、ひひひひ……無駄じゃ、無駄じゃとも。貴様のやっていることは無駄な足掻きじゃ」

「黙れッ!」

「っげばぁ……!」

 

 息も絶え絶えに呪詛のごとき言葉を紡いだ宦官――趙忠の頭蓋を戦斧『金剛爆斧』で粉砕する。

 これで憎き十常侍のうち十一人を討ちとったのだが……あと一人、足りない。

 十常侍の中核であり董卓を傀儡にした諸悪の根源――張讓。

 あの男をまだ、華雄は見つけられずにいた。

 

「………………外道が!」

 

 未だ主君を保護できていないこと。

 張讓がどこにも見当たらないこと。

 いくら張遼や陳宮らに猪扱いされている華雄であろうと、流石にわかる。

 

「(利用する気なのか……まだ、あの少女を!)」

 

 操り人形にするだけでは飽き足らず、最後の最後まで――彼女を利用し尽くすのか。

 元々、董卓は涼州でのんびりと暮らしていた少女だ。けれど、帝位継承争いの際に彼女の家が持つ軍事力を利用しようとした張讓に騙され、諸侯のくだらない恨みや妬みの飛び交う矢面に立たされ、十常侍の私欲の為に利用されることとなった。董卓の腹心、賈駆がそんな醜い事態を改善しようと尽力したものの……嫉妬を爆発させた袁紹が反董卓連合を結成したのが、全てに対するとどめだ。

 董卓は洛陽を占領した悪人に祭り上げられ、十常侍は保身の為と更に彼女を利用しようと目論んで。

 その結果が――現在だ。

 もしも張遼が自分を先に洛陽へ向かわせなかったかと思うと、背筋が凍る。

 華雄が洛陽へ辿り着いた時、十常侍はまさに董卓を己たちの身代わりに処断しようと計画していたのだから。

 

「(残るは張讓ただ一人。仲間を失った奴にとって董卓様は最後の保身。おいそれと殺しはせんだろうが、しかし……)」

「将軍! 華雄将軍!」

「どうした!」

「ご報告であります、華雄将軍! 連合が、連合軍が虎牢関を攻略、洛陽へ進行を開始したとのことです!」

「……なんだと?」

 

 神速の張遼と飛将軍呂布が守る虎牢関が――陥落した?

 やはり、いかなあの二人でも、数の暴力には勝てなかったか。

 

「しぶとい奴らのことだ、無事ではあるだろうが……くそッ!」

「連合軍は今にでも洛陽へとやってきます! 華雄将軍、我らは早くここより撤退を!」

「ふざけるなッ! 主君を守れぬまま退けるものか!」

「だからこそです!」

 

 数多の戦場を共にくぐり抜けた部下が、苦渋に満ちた声を上げる。

 

「我らがここに居続ければ、連合軍に矛を持って攻め入る理由を与えてしまいます! そうなれば董卓様の御身に新たな火の粉がかかるでしょう!」

「ぐっ…………」

「華雄将軍、何卒! 何卒撤退のご決断を!」

「…………………………わかっ、た。総員………………撤退、する」

「っ御意!」

 

 反転して駆けて行く部下から視線を外し、華雄は思い切り壁を殴りつけた。

 水関では醜態を晒し。

 仲間が骨身を削って生んだ機も活かせず――主君も守れず。

 自分のなんと愚かで弱いことか。

 

「ぐ、お、おおおおおおぉぉぉぉおおおおおおおおおお――――――――――ッ!」

 

 あらん限りの力で吠える。

 高く、遠く、どこまでも果てしなく。

 まるで天へと――届かせるように。

 

 

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 華雄が塗炭の苦しみを絶叫にしてから――数時間後。

 

「これは……どういうこと?」

 

 広く豪奢な洛陽の宮城内に、季衣の唖然とした声が響く。

 虎牢関を抜け、連合軍が洛陽に辿り着いたのがつい先刻のこと。

 洛陽に向かう道中でも、洛陽の目の前に軍を進めても、なんの反応も返さない董卓を不審に思った華琳は、季衣、流琉、旭日の三人を宮城へと将校斥候に出した。虎牢関で仲間に加わった張遼――霞から大まかな内部事情は聞かされているが、念には念を入れてだそうだ。

 

「……息を確認するまでもねえ。全員、綺麗に逝ってやがる」

「華雄……さんの仕業、でしょうか?」

「おそらくは、な」

 

 結果だけを述べれば、洛陽の宮城内には誰もいなかった。

 玉座の近くで無惨な姿を晒している、十一の冷たい者たちを除いて――誰も。

 

「……みんな、お揃いの服を着てるよね。格好は派手だけど、武将っぽくないし、文官の人達なのかな?」

「季衣、そいつらは俺が見る。お前たちは離れてろ」

「え、あ、うん」

 

 なんとはなしに近づこうとしたところを旭日に引き留められ、季衣は流琉と一緒に玉座の手前で静止した。多分きっと、自分たちを気遣ってのことだろうけど……その気遣いを嬉しく思う反面、子ども扱いされてるようで、少し悔しいとも思う。

 

「うぅー……」

「邪魔しちゃ駄目だよ、季衣」

「わかってるっ、わかってるけどさ」

「兄様は優しいから……せめて私達は誰か来ないか警戒しとこう、ね?」

「………………うん」

 

 子ども扱いされるのはやはり悔しいが、悔しさに任せて彼に迷惑をかければそれこそ駄々っ子だ。自分は自分のやれることをやろうと、大鉄球『岩打武反魔』を持つ手に力を込め、季衣は出入り口の扉へ神経を集中させる。

 そうしている間にも旭日は事切れた人たちをじっくり調べていき――やがて「……成程」と呟きを漏らした。

 

「無駄に豪華で揃いの意匠。一人足りねえが、こいつらが董卓を操ってた黒幕の十常侍で間違いなさそうだ」

「んにゃ? でもさ兄ちゃん、十常侍なら一人足りないじゃなくて、一人多いんじゃない?」

「あーっと……俺も華琳に聞くまで知らなかったんだけどな。概数を以て十常侍と呼んでるだけで、実際は十二人いるらしいぜ」

「……なんだか紛らわしいですね」

「まあ、確かにな。数字を含んだ名には大抵、その数に関連する意味を持ってるものだし、季衣が間違えても無理はねえよ」

 

 玉座の傍で頭を失った者の傍に足を進め、苦笑するように言う旭日。

 

「十常侍が殺されてるってことは、霞の言ってた通り華雄の仕業なんだろうが……いくらなんでも文官相手に武官が討ち損ねるヘマはやらかさねえよな。さてさて、残る一人はどんな魔法を使って逃げたんだ?」

「董卓さんを保護して、華雄さんたちがすぐに撤退したんじゃないでしょうか?」

「ここに十常侍全員が転がってたら、それが正解でもおかしくはねえよ。だが、董卓は十常侍にとって最悪の事態の最後の保険だ。抜け駆けされねえように全員で大事に見張っとくはずさ」

「………………」

 

 十常侍に騙され、嫉妬を爆発させた袁紹に悪者だと祭り上げられただけで、董卓に非はない。

 霞が話してくれた内部事情によって、その推測は確信に変わった。

 ひどい、と季衣は思う。

 私欲の為に操り人形にして、危うくなったら簡単に切り捨てようとして――あんまりだ。自分たちの村だって、そんな身勝手な人の勝手すぎる振る舞いのせいでひどい境遇に陥った。華琳のおかげで自分たちの村は救われたが、あの時の怒りは今も胸の中にある。

 理不尽は――絶対に許せない。

 例えその理不尽が、自分たちに向けられたものでなかったとしても。

 

「ねえ兄ちゃん、兄ちゃんは董卓さんを見つけたら………………兄ちゃん?」

「季衣、どうしかしたの……って、兄様……?」

 

 ほんの一瞬――季衣が物思いに耽り、流琉が季衣の分まで周囲の警戒に神経を割いた、刹那の出来事。

 目の前にいたはずの、旭日の姿が消えていた。

 玉座の間から――忽然と。

 

 

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 とうとう連合軍が洛陽に辿り着き。

 同士は皆、殺されて。

 自分たちの筋書きも何もかも、破綻し尽くして。

 これでは終わる――終わる?

 自分が、終わってしまう?

 

「否、否だ! まだ終わらぬ、終わらせぬ、終わらせてなるものか! 我も、我の野望も、何も……そうっ、何も! 何も終わってなどおらぬのだ!」

 

 玉座の間にある隠し通路を抜けることで華雄から逃げ切った張讓は、通路の出口――宮城の庭園の隅にひそりと建てられた、阿舎の陰に身を潜めていた。一切の余裕もない現状に目は澱み、髪には白が混ざり、かちかちと全身を恐怖に震わせる。その弱く小さな姿はもう、高き地位を築いた十常侍とは思えないほどみじめだった。

 

「忌々しいっ。忌々しい小娘め、袁紹め! 諸侯連合だと? 小娘がふざけたことを、ふざけた真似を! 張遼も呂布も役立たず、ばかりか華雄に至っては我らに刃を向け、十常侍たる我に、この張讓に!」

 

 吐露するは怨嗟。

 吐き出すは怨望。

 追い込まれた張讓の胸中は今や、狂気で溢れ返っていた。

 

「終わらぬ、我は終わらぬ……!」

 

 何度も何度も繰り返す言葉はもはや、ただの祈りでしかない。連合軍が到着する前に董卓を諸侯の矛先に据え置き、難の及ばない遠い場所へ避難するはずが、華雄の邪魔によって水泡となった。同士は死に絶え、自分はこそこそと虫のように隠れなければならない始末。

 全てが手遅れで――全てが終わる。

 終わる?

 終わるだと?

 

「否! まだだ、まだ終わらぬ! 我がこんな場所で終わるわけがないのだ! まだ、そうっ、まだだ! 我にはこれらがある。これらを使えば、我は終わら――」

「――いいえ、もう終わりです」

 

 狂気に満ちた狂言を遮り、響く声。

 張讓が他の十常侍から奪い取った最後の保険の少女――董卓が後ろ手に縛られている状態にも関わらず、毅然とした態度で強く言い放つ。

 

「終わりなんです、張讓さん。貴方も……私も」

「……黙れ」

「袁紹さんは貴方と対立していました。例え私を上手く利用できても、貴方が助かる道はありませんよ」

「黙れ!」

「きゃっ……!」

 

 尚も終わりを唱える董卓を突きとばして、張讓は。

 

「小娘が、たかが道具でしかない小娘が知った風な口を利くな!」

「ちょっと! 月に乱暴なことしないでよ!」

「ええいっ、黙れ黙れ黙れ!」

 

 今度はもう一人の少女――賈駆が喚く。

 うるさい。うるさいうるさい。うるさいうるさいうるさい。後ろ手だけでなく、口も縛りつければよかったか。うるさい、黙れ、静かにしろ。どうすれば黙る? どうすれば静かになる? ……簡単だ。黙らせればいい。静かにさせればいい。口を縛るなど生温い。そう、そうだ、死人に――口なし。

 恐怖が狂気を生み、狂気が更なる狂気を呼び起こす。

 

「月っ!」

「我は終わらぬ……終わったりせぬ! こんな場所で、終わってなるものかぁぁああああ――――――っ!」

 

 懐から取り出した短剣を董卓へと振り上げた――瞬間、ぴたりと、身体が固まった。

 虎に睨まれたような、巨大すぎる圧力による本能的な静止だ。

 今、下手なことをしてしまえば最後、自分は間違いなく――事切れる。

 

「何が……何故、身体が――」

「――動くな」

 

 突如として湧いた何者かの声に、力を振り絞って目だけを向けると、そこには――

 

「……………………………………………………え?」

 

 何が、起こったのだろう。

 ひどく頭が熱い。

 なのに冷たい感触。

 それが、自分の頭を何かが貫通したからだと気付いた時には――全てが遅く。

 張讓は――同士の並ぶ黄泉路の列へ、加わっていた。

 

 

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 誰でもいい、あの子を助けて欲しい。

 そんな詠の想いが天に届いたのか、凶刃を月に向けた張讓の動きが不意に止まった。

 いや――止められた。

 張讓の左目から、日色に輝く剣が生えた為に。

 

「が、あ、う……何が起き、て?」

 

 慌てて剣が飛んできたほう――隠し通路の出入り口を詠が見れば、そこには日を思わせる一人の男の姿。

 

「撃剣――近ければ懐に飛び込み敵を撃ち、遠ければ刃を飛来させ敵を撃つ。俺のは琴里の猿真似だが、醜い私欲で太った老害に避けられるほど、手抜きの手ほどきは受けちゃいねえよ」

「なっ、ん……きさ、ま…………何故…………隠し、通路を……」

「請負人の仕事は戦闘だけじゃねえんだ。隠し通路の一つや二つ、賢者の石を見つけることに比べりゃよっぽど楽だったぜ」

 

 カツンカツンと足音を響かせて男はこちらへ近寄り、張讓に突き刺さった剣を引き抜く。ぎりぎりの安定を保っていた張讓の身体はもはや自重を支えることもできず、血を吹き出す間もなく阿舎の階段を転がっていき……地面に辿り着いたところで、命も行動も何もかも、全てを止めた。

 

「………………ふん」

「あっあの、その……えっと、助けてくれてありがとうございます」

「別に礼はいらねえよ。俺はただ、関西弁の綺麗なねーちゃんの願いを請け負った、だ……け………………」

 

 突然の乱入者に困惑しながらも律儀に頭を下げる月に男が振り返って、振り返った途端、どうしてか表情を驚きに一変させる。

 

「………………満月〈みづき〉?」

「へぅ?」

「ちょ、ちょっとあんた! いきなり月に何わけわかんないこと言ってるのよ!?」

「え……あ、悪い。そう、だよな……そんなこと、あるはずねえよな。俺らしくもねえ…………」

 

 わけがわからない。

 いきなり現れたかと思えばいきなり張讓を討ってくれ、いきなり意味不明なことを口走る。

 本当に何者なのだろうか、この男は。

 

「……勘違いしてすまなかったな、嬢ちゃん。怪我とかは」

「っ近寄らないで!」

 

 庇うように月と日色の男の間へ割り込む詠。

 男が何者なのかはわからない。

 けれど一つ、確実にわかっていることがある。

 

「それ以上……近寄らないで」

「えっ詠ちゃん。助けてもらったのに、失礼だよ」

「助けた? 違うわ、月。こいつはきっと――連合軍よ」

「…………え?」

 

 自分たちの味方は恋とねね、霞と華雄の四人だけで、他の者は十常侍に従っていた。この男が張讓を討ったことを考えると、十常侍側の人間というのもありえない。ならば残る勢力は、反董卓連合のみ。

 だから、この男は――自分たちの敵だ。

 

「……確かに俺は連合軍の中の一人だがな、まるで俺がそうだと嬢ちゃんたちに不都合があるみたいじゃねえか」

「白々しい! 言っとくけどね、月には指一本触れさせないわ!」

「嬢ちゃんが守るから……か? 縛られてる状態で、何ができるってんだよ」

「そんなの関係ない! どんな状態だろうと月はボクが守る! だってボクは――むぐっ!?」

「ストップだ、嬢ちゃん」

 

 口をびしりと人差し指で塞いで、男は言う。 

 

「聞いてもねえことをべらべら喋ろうとすんなよ。下手なことを聞いちまったら、俺は連合軍としての仕事をしなきゃいけなくなる」

「ぷはっ……! ど、どういうことよ!?」

「また請け負う可能性があるってことさ。……とりあえず、嬢ちゃんたちはしばらく黙っとけ。先に俺と、お喋りしたい奴がいるみたいなんでな」

 

 指を離し、身体を真っ直ぐ起こして――日色の男は。

 ひどく楽しそうに。

 何かを期待するように。

 どこか日を思わせる眩しい笑顔を、庭園のほうへと向けた。

 

「だろ? なあ――北郷」

「………………旭日さん」

 

 いつの間にそこにいたのか、きらきら輝く白い服を纏った――青年に。

 

 

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「お兄ちゃん! 鈴々が言ってた女の子がいたの、こっちなのだ!」

「ああ!」

 

 宮城の中を一刀は愛紗、鈴々と連れて駆けていく。

 首都洛陽の城だけあって至るところが絢爛豪華に造られているが、今は目を奪われている暇なんてない。

 自分を守りながら進む二人に遅れないよう、必死になって駆け走る。

 庭園の隅の阿舎に、縛られている女の子と偉そうな格好の男がいる――将校斥候から戻ってきた鈴々の情報を受けた一刀は、朱里の提案通り洛陽へ粛々と入城した後、とある可能性を求めて宮城を駆け抜けていた。

 

「抽象的すぎて要領を得ませんでしたが……ご主人様、鈴々の話をどう思いますか?」

「直に見てみなきゃわからないけど、多分その女の子が董卓で間違いないと思うよ。馬騰さんの言ってたことにも合ってるしね」

「……馬騰、ですか。本当に信じてよろしいので? この同盟軍、どうにもうさんくさいことが多すぎます」

「でも、信じる価値はある。そもそも、あんな嘘を吐いたって馬騰さんに得はないからね」

 

 ほんの少し減速して隣りに並んだ愛紗へ、ありのままの気持ちを口にする。

 虫も殺せないような優しいお嬢さん。

 虎牢関攻略の前に陣を訪れてきた馬騰はそう、董卓のことを評していた。

 それと鈴々が見た女の子の容姿が合致したのはおそらく、偶然じゃ――ない。

 洛陽が董卓に占拠され、住人たちは暴政に怨嗟の声を上げているという連合の宣伝が偽りであることは、諸侯の権力争いの成れの果てであることは既に一刀たちも理解していた。まだ朱里の推測でしかないが……董卓らしき女の子と一緒にいた男が、彼女をこんな目に遭うようにした張本人かもしれない。

 そして推測が事実ならば――放っておけない。

 だって、彼女は。

 状況こそ違うけれど、事態に流された董卓はまるで。

 

「(まるで俺と同じじゃないか。《天の御遣い》なんていう、自分の関与できないものに流された俺と)」

 

 本来ならもう一人の天の御遣い――旭日と共有して然るべき感情。

 しかし彼は、共有できないと言った。

 自分も不可能だと、そう思った。

 彼は同じ天の御遣いなのにも関わらず、事態にただ流されてなんかいない。己の足でこの世界に立ち、己の目でこの世界を見据え、己の意志でこの世界にいる。流れているのではなく――進んでいる。

 違うのだ。

 弱い自分と、強い彼は。

 これまで歩いてきた道も、これから歩いていく道も、そこにある覚悟も、何もかも。

 彼には敵わないと、憧れてしまうくらいに――だけど。

 

「(決めたんだ! 背負うって、背負って前に進むって……背負い切れるかわからないけど、でもっ!)」

 

 自分は彼と違って強くもないし、なんの取り柄もないし、董卓に会ってどうすべきなのかさえわからないけれど――そんな弱さに甘えて、立ち止まることだけはしたくない。割り切れないことは割り切らず、納得できないことは納得せず、不条理だと思っていることは不条理だと思い続け、どうにもならないことはどうにかする。

 こんな自分にも守れるものがあるのなら、守りたい。

 諦めたりは――しない。

 

「っお兄ちゃん、あれ!」

「なっ…………なんで、どうして……」

 

 庭園へ辿り着いたところで、鈴々が離れた場所にある阿舎のほうを指差す。

 そこには血の海に沈んだ一人の男が転がっていて、二人の綺麗な女の子が手を縛られた状態でいて、刀を抜いている日色の彼が――九曜旭日が、いた。

 

「嬢ちゃんたちは――――黙っ――。先に俺と――りしたい奴が――――――ん――」

 

 女の子たちに何かを呟いた後、旭日はくるりとこちらへ顔を向ける。

 自分が来るのを予想していたかのように、待ってましたと言わんばかりのシニカルな笑顔を。

 

「だろ? なあ――北郷」

「………………旭日さん」

 

 

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 彼の刀が放つ日色の眩しさに、一刀は薄く目を細める。

 阿舎の階段の下で事切れている――おそらく鈴々が言っていた、董卓らしき女の子たちと一緒にいた男の命を断ったのは、間違いなく旭日だろう。ここにいるのがさっき着いたばかりの自分たち、後ろ手に縛られている二人の女の子、彼だけのことからもそれはすぐに理解できた。

 どんな経緯があって旭日が男を殺したのかはわからない。

 わからないが――今の状況がまずいことだけは流石にわかる。

 

「(やっぱり……気付いてるよな)」

 

 女の子たちの正体がこの戦いの突端であり終端である董卓だということに――気付いてる。

 気付いてるからこそ旭日は未だ日色の刀を鞘に納めようとないし、女の子たちを解放しようともしない。

 そういう人なんだ、彼は。

 例えその道がどんなに残酷なものであったとしても、進むと決めたら迷わず進める。

 甘い自分とは正反対な――手段を選ばないを、選べる人だ。

 それができる彼の強さに憧れる、けれど。

 けれど自分は、そういう風にあることは選べない。

 選びたく――ない。

 

「……ごめん、愛紗」

「ご主人様?」

「きっと俺の選択はみんなに迷惑をかけると思う。でも、ごめん。どうしても俺は、これしか選べそうにない」

「いいえ、謝らないでください。そんなご主人様だからこそ、我らは貴方を主と仰ぐことを誓ったのです」

「うん……ありがとう」

 

 ポツリと愛紗に礼を述べて、一刀は旭日に視線を定める。

 彼は変わらず、笑顔を浮かべたままだ。

 

「言いたいことがあるなら早く言えよ、北郷。俺もお前も時間に余裕はねえだろ?」

「……旭日さん、お願いだ。ここは全部、俺に預けてくれ」

「全部、ね……この嬢ちゃんたちもか?」

「………………ああ」

 

 頷く。

 自分たちと旭日の十メートル以上も離れた遠い立ち位置では、いくら愛紗や鈴々でも間に合わない。

 ならば小細工は抜きだ。

 真正面から真っ直ぐに彼へ覚悟を伝える。

 

「その子たちの《これから》を――預けてほしい」

「……ふうん。どうやらもう、嬢ちゃんたちが誰なのかわかってはいるみたいだな。わかった上で、預けろとお前は言うのかよ。甘いにもほどがあるぜ」

「好きなように言ってくれればいいよ。そういう風に厳しくあるくらいなら、俺はこういう風に甘くていい」

「っ…………成程。生半可な覚悟じゃねえらしいな」

「ああ、だから――」

「――だからなんだってんだよ、北郷」

 

 ぴしゃり、と彼は言った。

 笑顔を消して、刀を肩に担いで、冷たい声音で。

 

「覚悟は認めてやるが、お前がやろうとしてるのはただの自己満足の偽善だ。喧嘩ふっかけたくせに仲直りを強く望む、自分勝手で身勝手なガキとまるで同じだ。加害者が、一丁前のこと吐いてんじゃねえよ」

「………………っ!」

「き、貴様!」

「お兄ちゃんを悪く言うやつは鈴々が許さないのだ!」

「俺は北郷と話してんだ、外野は黙ってろよ。それと、あんま不用意に武器を構えたりすんな。今の状況を下手に見られたら裏切り扱いされるぞ」

「ぐぅっ…………」

「…………うにゃ」

 

 武器を構えようとした二人が不服げにゆっくりと腕を下げる。

 

「旭日、さん……」

「袁紹に利用されまくってたお前たちは巻き込まれたと思ってるんだろうがな……そいつは大きな勘違いだよ、北郷。巻き込まれたのは嬢ちゃんたちで、巻き込んだのは俺たちだ。嬢ちゃんたちがこんな目に遭ってるのも、全て俺たちのせいだ。お前が何を叫んでも、何を訴えても、それは絶対に覆らねえ。消えたりは、してくれない」

「………………」

「加害者なんだよ、俺もお前も、連合に参加した奴は全員な。今更、人助けなんて偽善に目覚めたつもりか?」

 

 彼の言葉は正しい。

 正しすぎるくらいに――正しい。

 だけど。

 

 

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「偽善か。……確かに偽善かもしれないけど。でもさ……それだけじゃないんだ」

 

 一刀は言う。

 

「諸侯の権力争いに巻き込まれて、事態に流された二人の姿……俺は他人には思えない」

 

 何故、この世界にきたのか――そこに何かしらの理由があるとしても、自分はこの世界に来て、桃香たちと出逢い……巻き込まれたなんて言えないけれど、今、この場に立っている。

 自分ではどうしようもない、現実という流れに身を任せているうちに、取り返しのつかない場所に立ちすくむ自分。

 そんな自分から見れば、董卓たちの立場というものが他人事とは思えない。

 

「結果としてこうなってしまった以上、時間を巻き戻すことは出来ないんだから、その結果は認めるしかない。だけど、現在や過去がどうあったとしても、未来にはどんな可能性だって存在するんだ。……その一つの可能性として、俺は彼女たちに手を差し伸べたい」

 

 あの時、桃香たちに手を差し伸べてもらったように。

 今度は――自分が。

 

「……そう思うのって、偽善なのかな……?」

「……重ね合わせてるんだな、お前自身の境遇と」

「自分の選択を後悔したことはないよ。それに自分の役割ってものを認め、それに全力を尽くすつもりでもいる」

 

 決めたから。

 全部を背負って前に進むと。

 大切な人たちも、天の御遣いとしての自分も、助けたいと願うこの気持ちも、何もかも。

 

「ただ、心のどこかにしこりみたいにあるんだ。……なんだろうこれはって。自分自身と現実の間にある解けない問い掛けのようなものがね。だからこそ……俺は彼女たちを助けたい。だって俺は彼女たちに、可能性を提示できる立場にいるんだから」

「………………」

「旭日さんの言う通りだよ。連合に参加した時点で、俺たちは加害者だ。俺が何を叫んだって、何を訴えたって、絶対に覆ったりはしない。消えてもくれない。けど、だけど何もしないのは嫌なんだ。助けられる命があるなら――助けたいんだ」

「……助けてお前に、どんな得があるってんだ?」

「得……得はない、かな? でも、二人を処罰したって何か得があるわけじゃない。……だったら、人を殺すなんてことしたくないっていうの、当然だろ? 旭日さんだって、躊躇しないって言ってたけど、別に喜んでやってはいないはずだ。本当は誰も傷つかずに済むのが一番だと、そう思ってるんじゃないの?」

 

 それはなんの根拠もありはしない、一刀の勝手な思い込みだ。

 しかし――それでも、確信めいたものが胸にある。

 日のように温かく笑う人が、自分以外の願いを請け負ってきた人が、優しくないわけがない――と。

 そして、長い沈黙の時が過ぎて。

 彼は――

 

「…………まあ、及第点だな」

 

 ――刀を、鞘に納めた。

 

「請け負うには報酬がねえが……お前が期待通りに期待以上だったってことで、おまけにしといてやるよ」

「え?」

「お前とのお喋りは楽しいんだが、青臭すぎるのが困りもんだな。身体が痒くなって仕方がねえ。……ああ、そういえば北郷、お前は董卓を見つけられたか?」

「っ……いや」

 

 旭日の暗にやろうとしていることを察して、一刀は白々しくも首を横に振った。

 

「俺たちもまだ――見つけてない」

「そっか。んじゃ北郷、悪いがこの嬢ちゃんたちを保護してやってくれよ。どっかの高貴な娘さんみたいだから、丁重にな」

「……わかった。俺が責任もって保護するよ」

「おう、頼んだぜ」

 

 そう言ってカツンカツンと階段を下ってきた旭日は、悪戯が成功したような子どもの笑顔を浮かべながら、自分たちの横を通り過ぎて行く。

 

「うー……同じ《天の御遣い》なのに、お兄ちゃんと違って嫌なやつなのだ」

「……そんなこと、ないよ」

 

 呻る鈴々の頭を軽く撫でつつ、一刀は苦笑する。

 

「(性格悪いなぁ……)」

 

 まんまとはめられた。

 彼は最初から彼女たちを助けるつもりでいたんだ。

 助けるつもりでいたくせに――自分で遊んでいただけなんだ。

 本当、性格が悪い。

 

「だけど……ありがとう、旭日さん」

 

 自分の甘さを請け負ってくれた感謝を込めて。

 小さくなっていく後ろ姿に、一刀は頭を下げて呟いた。

 

 

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「……さてさて。いい加減、隠れて見張るのはやめにしてほしいんだが」

 

 庭園からしばらく歩いたところに位置する、長い渡り廊下で発された言葉に――

 

「なんだ、気付いてたのかい」

 

 ――知らぬふりは無理だと観念した馬騰は、身を潜めていた柱からひょこりと姿を日天の御遣いに晒した。

 

「完璧に隠れ切ったつもりだったんだがね……いつから気付いてたんだい?」

「関羽ちゃんたちが吠えたあたりだよ。気配は確かに消せてたが、俺に向けた殺気を消し忘れてたぜ」

「……いやはや、恐れ入ったよ、日天殿」

 

 ぱちぱちと手を叩いて馬騰は素直に感嘆する。関羽たちが吠えたあたりというのは、丁度自分が庭園に着いた時だ。つまり、目の前の男は最初から自分の存在に気付いていたことになる。

 百戦錬磨を自負する馬騰にとって、気配をこうも容易く見破られたことは驚きの一言だ。

 

「不穏な動きを見逃さまいと注意しすぎたのが失敗だったね。あたしとあろう者が、耄碌しちまったもんだよ」

「……そこまで歳とってるようには全然思えねえし、殺気を向けられたこっちはいい迷惑だったがな。けどまあ、お前の目的がわかっただけでも十分な報酬だ」

「………………」

「馬騰、お前はやっぱり――」

「――勘違いすんじゃないよ。あのふざけた檄文の内容が真実だったなら、情け無用の問答無用で斬り捨てていたさね。ま、あの子たちの性格を考えると、そんなことはありえないって信じちゃいたがね」

 

 馬騰がこの反董卓連合に参加したのは、天子の御身を守る為ともう一つ――もしも檄文が嘘であれば、董卓たちを助ける為だ。下手をすれば自分が権力争いの贄になるかもしれなかったが……同じ涼州の者を、なんの罪もない少女たちを見捨てることなどできるはずもない。

 義を見てせざるは勇なきなり。

 己の武は正しきを守る為にある――それこそが、馬寿成の誇りだ。

 

「(……結局、あたしが誇りを掲げる暇もなかったけどね)」

 

 自分がやろうとしていたことは全部、天の御遣いの二人ががやってくれた。おかげで自分がここまで忍び込んだのは骨折り損のくたびれ儲けになってしまったが……それに嫌味を唱える気はない。どころか、彼らには言葉では尽くせないほど、感謝している。

 

「礼を言わせてくれよ、日天殿。あの子たちを助けてくれて、この馬寿成、心からの感謝をお前さんに贈りたい」 

「……礼だったら俺じゃなく、あっちの《天の御遣い》に言えよ」

「勿論、光天殿にも頭を下げるさ。だがね、やっぱりお前さんへ先に礼をするのが、筋ってもんだろう」

 

 あの庭園で、目の前の男はいつでも(無論、そうさせる気は毛頭なかったが)董卓を討つことができた。関羽たちとは距離があり、自分の存在にも気付いていたのなら、討って早々に逃げおおせることができたかもしれない。あんな、不格好な憎まれ役をやる必要はどこにもなかった。

 なかったのに――この男は助けることを選んだ。

 選んで、くれた。

 

「光天殿は得はないと言ってたが……少なくとも、この戦一番の名声は手に入る。お前さんはそれを捨ててくれたんだ、感謝するのは当然さ」

「……どいつもこいつも、俺を勝手にいい人にすんじゃねえよ。俺はただ、誰かの書いた筋書きに踊らされるのが嫌だっただけだ。それに……」

「それに?」

「……似てたからな。俺の――弟に。別人だとは理解しちゃいるが、ああも似られたら殺すことはできねえさ」

 

 返ってきた予想外の答えに、馬騰はらしくもなくぱちくりと目を瞬かせた。

 

「…………弟? 弟がいるのかい?」

「俺が長兄、妹が五人に弟が三人の九人家族で――あの嬢ちゃんと似てたのは三男だ。将来が心配になるくらい女顔の弟でな、声変わりした時は赤飯炊いて家族みんなで祝ったもんだぜ」

「………………」

 

 呆気にとられた反面、妙に人間味がある男の言葉に――娘を持つ身としてほんの少し、親近感が湧いた。

 そして、どこか誇らしく話した男の顔に悪戯心が芽生えた馬騰は、にんまりと子どものように笑みを深めて。

 

「想像できないね。お前さんの弟だから、きっと性格の悪そうな――」

 

 口にしてはいけないことを――口にしてしまった。

 

 

-9ページ-

 

 

 それは馬騰にとってはなんでもない、本当になんでもない軽口で、からかいのものでしかなくて。

 だから、なのだろうか。

 男の感情の機微に気付くのに遅れ。

 男の突然の行動に気付くのが遅れ。

 

「………………っ!?」

 

 気付いた時には九つの閃光が煌めいて――気付いた時には、日色の刃が首に添えられていた。

 

「な、ん…………」

 

 いくら油断していたとはいえ、いくら愛用の武器が手元になかったとはいえ、いくら自分の体調が万全ではないとはいえ、ここまで殺意の接近を察せなかったことに驚愕して。

 こちらを睨んだ男の瞳にぎらぎらと灯った、焼き尽くされそうなほど燃える怒りの感情に、気持ちの悪い汗が背中を伝う。

 

「……何も知らねえ奴が、俺の家族を気安く語るな」

 

 温度の感じられない、底冷えする凍てついた声音。

 これがさっきまで温かさを滲ませていた者の発せるものなのか。

 自分の耳を疑うくらい冷たく、凍っている。

 

「日天……殿」

「…………………………ふん」

 

 そっと、刃が首筋から離れていく。

 とりあえず危機は去ったというのに、それでも背筋の寒さがまるで消えてくれない。

 

「次は、ねえぜ」

「……これ以上、失態を重ねる気はないよ。礼を欠いた言、すまなかったね」

 

 悪寒を悟られないよう、丁寧に頭を下げる馬騰。

 愚かなことを口走ってしまったものだ。

 緩んだ空気につい流され、踏み込んではいけない領域に足を伸ばした自分がひどく恥ずかしい。

 

「(ただまあ……どうしてあの曹操がこれを大事にしているか、なんとなくだがわかったよ)」

 

 天の御遣いという名ではなく、この男自身が持つ価値。

 何かを守る為にのみその力を振るう――誰かが傷つくより己が傷つけられることを選び、誰かが傷つくより己が傷つけることを選ぶ、揺るぎない覚悟を秘めた守護と破壊の者。

 自分が最初に出会いたかったと、ガラにもなくそう思う。

 

「のう、日天殿。名を、訊かせてもらえるかい? 《日天の御遣い》という肩書きじゃない、お前さんの名を」

「……九曜、旭日。九曜が姓で旭日が名だ」

「九人家族の九曜殿……ね。まるで姓に誂えたようじゃないか。それとも、九曜のほうが誂えてるのかね?」

「………………」

 

 男――旭日は何も答えない。

 ふん、と鼻を鳴らして止めていた足を動かし始める。

 

「日天……いやさ九曜殿。あたしはお前さんが気に入ったよ」

「そうかよ。俺は別に、なんとも思わねえがな」

「はははっ! つれないこと言ってくれるね。どうせしばらくは洛陽に留まるんだろう? 此度の詫びを兼ねて、酒でも奢らせておくれよ。これは曹操殿にとっても、悪いものじゃないと思うがね?」

「……考えといてやるよ」

 

 そして――とうとう旭日は渡り廊下を後にした。

 目には強い覚悟を宿し、名誉を捨ててまで董卓たちを助け、家族について語っては怒ったりと、本当に飽きない男だ。天の御遣いなどという、うさんくさい場所に置いておくには勿体ないほど、いい男だ。

 

「いやはや……あたしがもう少し若けりゃ惚れていたところだよ」

 

 もしかしたら――既に。

 そんなことが頭に浮かんだ馬騰は自分で自分に呆れつつも、酒を呑む日が楽しみだと、宮城中に響くような大声で高らかと笑った。

 

 

-10ページ-

 

 

 馬騰と別れた後、がむしゃらに宮城内を歩いていた旭日は、不意に溜め息を吐いてぴたりと立ち止まり、近くの壁に背を預けた。

 

「流石に……疲れたな…………」

 

 肉体よりも――心が。

 一刻にすら満たない少しの間に色々なことが起きたせいで、ひどく疲れてしまった。

 いや、本当はこの世界に落ちてきてからずっと、疲れていたのかもしれない。

 ただそれが、今になって吹き出しただけで。

 辛く――感じただけで。

 

「……久々だったな、家族のことで怒ったのは」

 

 この世界に落ちてすぐの、程立と名乗った女の子が自分を「おにーさん」と呼んだ時にはまだ、ちゃんと怒ることができていた。だが季衣に初めて「兄ちゃん」と呼ばれた時の怒りは小さく、あっという間に消えていき――今となってはもう、知り合ったばかりの流琉にさえ許している。

 春蘭の目についてだってそうだ。

 どうして自分はああも痛みを覚えたのだろう?

 勿論、春蘭が左目を失ったのは自分の責ではあるけれど……請負人としての九曜旭日は、そんなことでは痛みを覚えたりはしなかった。家族でもない他人に、弱さを見せたりは絶対にしなかったはずだ。

 

「らしくもねえ…………いや」

 

 らしいのだ、本当はこれで。

 請負人としての九曜旭日じゃない、個人としての九曜旭日は。

 甘くて、青臭くて、人の痛みを自分の痛みにしてしまう――さながら、北郷一刀のように。

 

「北郷、か。ったく……あの野郎、どこまで似てりゃ気が済むんだよ」

 

 思い出すのは北郷の言葉。

 

『そういう風に厳しくあるくらいなら、俺はこういう風に甘くていい』

 

 全く同じ言葉をかつて、旭日は言ったことがある。

 忘れもしない、忘れることなどできやしない、ひたすらに強さを求めた過去の記憶。

 ああ――そうだ。

 北郷との邂逅もまた、一つのきっかけだったのだろう。甘く、弱く、そのくせ何かを守ろうとする気持ちは誰にも負けない、昔の自分を想起させるあの青年と相対していると――霞んで、いく。息を、吹き返していく。

 請負人としての距離を置いた線引きが。

 八つに分けて棺桶の中へと入れたはずの――個人としての九曜旭日が。

 

「……馬鹿馬鹿しい」

 

 頭を振って旭日は否定する。

 そんなこと、許されるわけがない。

 大切な過去が現在や未来に塗り潰されないよう、しっかりと溝に近い線を引き、徹底的に殺し尽くしたのだ。

 そんなこと、家族以外の誰かの為に生きるなんてこと――許せるわけがない。

 

「………………寂しいな、ここは」

 

 日が当らない城の中は冷たく。

 一人であることが更に冷たさを深めて。

 すうっと、旭日は頭上へ手を伸ばし、空を掴んだ。

 まるで――誰かを求めるように。

 

 

【第十章 尽世】………………了

-11ページ-

 

 

あとがき、っぽいもの

 

 

どうも、リバーと名乗る者です。

かなりご都合主義な展開になってしまいましたが…………とにかく、これで長かった反董卓連合編も終わりです。

再び旭日と我らが一刀君が対峙したり、そこで互いの違いに悶々としたり、またもや馬騰が計ったように登場したり、旭日の過去がちらほらあったりと忙しい章でしたが……すいません。自分の文章力ではこれが限界でした。

あっちもこっちも将校斥候出し過ぎじゃねえの?と思われるかもしれませんが、そこは目を瞑ってください。おっお願いします!なんというかこう、魏ルートと蜀ルートをミックスしたらああなってしまったんです……

 

ええと、馬騰の性格は翠よりも蒲公英寄りです。お茶目な妙齢の女性がいいなぁ……と思いまして。真名や細かい設定については後々ということでご容赦ください。

旭日の過去は、これから徐々にちょっとずつちびちびと明かしていきます。不思議なもので、旭日を生みだしたのは自分にも関わらず、話を考える時には勝手に旭日が動いていくんですよね。作成している時も「ここはこうだろ」と彼が言っているような気がしたりもするんです。……小説って奥が深いですよね。

 

とりあえず今回で話も一段落したので、次回は拠点になります。

 

では、誤字脱字その他諸々がありましたら、どうか指摘をお願いします。

感想も心よりお待ちしています。

 

 

追記 第十章・おまけ

 

 

「……そういや、ここはどこだ?」

 

 前には長い廊下が続き、後ろにも長い廊下が続き。

 がむしゃらにやみくもに歩き回ったせいか、旭日は自分がどこにいるのかさっぱりわからなかった。

 

「あーっと……確かこっちから来たんだよな?」

 

 なんとなくどう思いはするが、どうにも自信が持てない。それにそもそも、道を引き返せば馬騰とまた顔を合わせてしまう可能性がある。刃を向けた手前、それだけは避けたかった。

 

「せめて庭園に辿り着けば……いや、それも駄目だな」

 

 流石にいないだろうが、もし北郷たちがまだいた場合は最悪だ。あんなに格好良く決めたのに、戻れば格好が悪すぎる。

 

「……素直に隠し通路で帰ってりゃよかった」

 

 狭苦しい道を通るのは御免だと、子どもじみた考えで却下した自分が恨めしい。

 

「季衣も流琉も置き去りにしてきちまったし……まず間違いなく華琳にどやされるな」

 

 確実に落とされるであろう雷に溜め息を一つ吐いて、重い足取りでとりあえず歩を進める。

 そして一刻後。

 ようやく玉座の間に戻ることができた旭日は季衣と流琉に怒られ、陣に戻ったら今度は華琳に説教され、春蘭と桂花に馬鹿にされ、秋蘭と凪たちに呆れられるという、散々な目にあった。

 

 

-12ページ-

 

 

 前回のコメントへの返信

 

 

自由人さま>

 

旭日が天才ではなく努力の人とわかってもらえて嬉しい限りです!力の差はかなりありますが、旭日ならやってくれると思います。

春蘭と旭日のあのくだりは悩んだのですが……あの二人は戦友というか、互いが互いの背中を預けられるような関係を築いてほしいので、背中合わせに思いを伝えるようにしました。

 

MATSUさま>

 

ありがとうございます!

自分も旭日は格好いいだろうな、と思いながら書いてます(苦笑

 

天魔さま>

 

はい、春蘭のスキルでは最初から「魏武の大剣」がありますが、ここではまだじゃないかな?と思って語呂のよい曹武にしました。

 

サラダさま>

 

ありがとうございます!そんなに喜んで頂けると書き手冥利に尽きます!

旭日の過去は……これから徐々に明かしていきます。出し渋って本当に申し訳ありません……そしてきっと、旭日は強くなってくれると信じてます。

はいっ、頑張って書かせていただきます!

 

 

スターダストさま>

 

いつもご感想、ありがとうございます!

恋の真名は正直どきどきしていたので、そう言ってもらえて安心しました。えっと…旭日、キャラ変わってきてますか?

す、すいません……なるべくズレが起きないよう気をつけてはいるのですが…………一刀君と会ったことで彼の中に変化が生じたと思って頂けると、その、すいません……

 

 

説明
真・恋姫無双の魏ルートです。 ちなみに我らが一刀君は登場しますが、主人公ではありません。オリキャラが主人公になっています。

今回は第十章。
これでようやく反董卓連合編もお終いです。
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コメント
結局種馬が保護するのかーまあ曹操陣営に引き込んでも戦力過剰になっちゃうし仕方ないのかね〜・・・(抹茶アイス)
旭日はやっぱり、ダークヒーロー的な位置(憎まれ役)が合ってるな〜そして一刀と同じような思考だがそれを他人には見せようとしない人物だよな。そして今回ちょっとだけ明かされた旭日の過去、ますます楽しみです。一刀もその覚悟に天晴れ!一刀の魅力はやっぱこれだよね。あと旭日って意外と方向音痴?というよりドジ?(スターダスト)
遂にきた!旭日の過去!「家族」へのちょっとした軽口でさえ見逃せないほど旭日は「家族」を大切にしていたんでしょうね。これからの展開が楽しみです。これからも頑張ってください。(R.sarada)
更新乙です!旭日ええ奴やなぁ。やっと家族の話がでてきましたね。旭日の過去についても紐解かれていくんでしょうね。楽しみです。(MATSU)
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真・恋姫無双 季衣 流琉 一刀 日天の御遣い 

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