「ハコニワ」 第三話
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 その凄まじい破裂音が銃声であると気付いたのは、立て続けに起こった破裂音の後に雪輪の頬が突然何かで抉られたからだ。

 

「!」

 

 雪輪はそんな傷に構わず、まっすぐに銃を構えた。凛と立つ雪輪の姿は純粋に美しかった。

 狙いに寸分の狂いもなく、彼女は引き金を引いた。

 2発、3発……

 人の声がした気もしたが、壁の隙間に身を潜めている巴恵の目には映らなかった。

 ほんのしばらくそうしていると、不意に銃声が止んだ。

 

「終わったん?」

 

「ごめんなさい、残党なんかじゃなかった。敵の本隊だったわ。少しかかりそうだから、巴恵はここで待っていて」

 

 最初に会った時と同じように皮膚の下の黒々とした金属の中身を曝して、上に向かって軽々と跳んだ雪輪は、一足で壁を越えた。

 壊れた壁の隙間からそっと中をのぞくと、荒れ果てた庭では雪輪ともう一人の人物が対峙しているところだった。

 塀の中は巴恵がいたのと同じ日本庭園だったが、彼女の庭よりもずっと広かった。

 雪輪は一瞬も気を抜かず、銃口を突き付けているというのに、相手は武器を持っている様子もなく、困ったように頭をかいた。

 

「十六八重菊の戦闘人型樞(アンドロイド)雪輪とは。これは、えらい大物に出くわしちまったもんだ。さすがは旧都というわけだ」

 

「それはこちらの台詞よ。雑兵ならともかく、壬生狼の副長和泉(イズミ)……なぜ貴方がここに?」

 

 雪輪と相対しているのは長い黒コートを纏った青年だった。眉目整った顔立ちだが、どこか冷たさが感じられて、ひそかに覗いていた巴恵はぞっとした。前髪をあげているせいで、顔の右半分に細かく入っている巴龍の彫り物が額の部分まで露わになっていた。

 その青年はくっく、と喉の奥で笑った。

 

「俺がここにいちゃ駄目かね?」

 

「私はなぜここに、と聞いたけど?」

 

「なぜって、俺たちが近々ここへ越すからさ」

 

 その瞬間、雪輪の表情が強張った。

 

「壬生狼が新徳寺を占拠するという噂は本当だったのね」

 

「ん? 何だ、聞いてるじゃねえか。さすが十六八重菊の密偵は優秀だな」

 

 その瞬間、再び凄まじい銃声が響き渡った。

 和泉(イズミ)と呼ばれた青年のコートの端が弾けて、風に舞い散った。

 

「ふざけないで。貴方達はこれ以上、この街の何を破壊する気なの?」

 

「それはお前が一番分かってるだろう。ここは、十六八重菊の本拠地なんだからな」

 

 次の瞬間、青年は一瞬にして雪輪との間合いを詰めていた。

 どこに隠し持っていたのか、一瞬で抜刀すると、刃は日光を浴びて怪しく煌めいた。

 銃身を使い、辛うじて初太刀を受け止めた雪輪は、衝撃を吸収しきれずに後ろに吹き飛ばされた。

 無論、敵がその隙を逃すはずもない。

 

「俺たちはお前らを潰しに来たんだよ」

 

 言葉と共に振り下ろされた日本刀を、雪輪は再び銃身で逸(ソ)らす。

 そのまま懐に潜りこんで、渾身の当て身を食らわせた。

 今度は敵が吹き飛ぶ番だった。

 げほげほ、と咳き込みながら着地した青年は、鋭い視線を雪輪にくれた。彫り物をいれた眉間に皺が寄る。

 

「ちょこまかと人間なんか庇いやがって、お前らはそれでも樞(カラクリ)なのか?」

 

「当たり前でしょう。それが私の意思(・・)だから」

 

 眉を寄せて不機嫌そうな顔をした青年は、一つ、ため息をついた。

 

「じゃあもう仕方ねえな。お前は、敵。というわけで」

 

 そこからは何も見えなかった。

 それほどに彼の動きは速かった。

 

「破壊するぜ」

 

 巴恵が認識できたのは、雪輪の背から鋭い刃が飛び出している光景だけだった。

 一瞬理解できなかった。

 雪輪の手足が一瞬だけ痙攣した。

 刺青の青年は細身の雪輪を蹴り飛ばすようにして刃を引き抜いた。

 

「悪(ワリ)ぃな、見逃すと虎徹(コテツ)がうるせぇからよ」

 

 力の抜けた雪輪の体ががしゃん、と地面に崩れた。

 動けない雪輪に、さらに青年は刃を向ける。

 

「せめて楽に逝け」

 

 その様子をずっと見ていた巴恵の全身を、何かが駆け抜けた。

 大丈夫だからと言った雪輪の笑顔が脳裏をよぎる。私のこの身に替えても守ってみせると言った雪輪は本気だった。

 そして、目の前で雪輪は崩れ落ちている。

 動けない雪輪に、慈悲なき刃が迫っている。

 声が出なかった。

 喉は張り付いたように、足が石化したように動かない。

 そっと動いた手が、胸元の拳銃を探り当てた。

 

「雪輪」

 

 彼女が庭に落ちてきてから、もうずっと、何が何だか分からない。

 庭の外も、廃墟も、人間のいなくなった街も、目の前で行われている戦闘がいったい何なのかさえ分かっていない。

 でも、雪輪が死んでしまうのは嫌だった。

 ただそれだけ。

 頭で考えるより先に、震える手で拳銃を構えた。

 壁の隙間から狙うのは今にも刃を振り下ろさんとする青年。

 先ほど雪輪に教わった通り、安全装置を外してグリップをしっかりと握る。照準を合わせ、引き金に指をかけた。

 照準の合わせ方など分からない。ただ、刺青の青年の方に銃口を向けているだけ。

 それでも、巴恵は震える手で引き金を引いた。

 両手に伝わる衝撃(インパクト)の瞬間、なぜだろう、もう二度とあの箱庭には戻れないような、そんな予感がした。

 

 

 

 

 両手に痺れるほどの反動が伝わる。

 巴恵は思わず銃をその場にとり落としていた。

 

「……痛ぁ……」

 

 ところが青年は、全くダメージを受けないどころか、巴恵の隠れている方向をじろりと睨んだ。

 その視線に、心の底から竦み上がる。

 

「誰かいたのか。反応しねぇところからすれば、『人間』か?」

 

 心臓が鷲掴みにされた。

 鼓動が速い。全身は硬直して動かない。

 雪輪も仰向けに倒れたままだった。

 動けない。

 

「返事がねぇな。黙ってたらその辺(・・・)吹っ飛ばすぜ?」

 

 ぞわり。

 全身に寒気が走った。

 声が出ない。動けない。

 もう、駄目かもしれない。

 巴恵は両目を閉じた。

 

 

 ところが、目を閉じた巴恵の耳に、聞きなれた声が届いた。

 

「壬生狼士和泉(イズミ)。このような場所で会うとは珍しいですね」

 

 毎朝、巴恵を起こしに来る忠実な世話役の男性の声。

 

「……雪輪だけかと思ったら、さらに大物まで呼びつけちまったか?」

 

 青年の声から余裕が消えた。

 雪輪と青年の間にふっと現れた人影に、巴恵は声を失った。

 

「十六八重菊戦闘員、檜垣(ヒガキ)」

 

「退いてくださいますか? ここで争う利点はないはずです」

 

 いつもと同じスーツ姿の檜垣は、いつもと同じように淡々と告げた。

 その様子を見た青年は、しぶしぶといった様子で刃を収めた。

 

「お前が出てきたんじゃ仕方ねぇ。虎徹(コテツ)も赦してくれるだろう」

 

「それが賢明です」

 

 青年は鼻を鳴らすと、再び巴恵のいる方向に視線を向けた。

 

「俺たちが旧都に来たからには、十六八重菊も終わりだ。そこにいる人間も、じきに狩り出してやる」

 

 分かりやすく捨て台詞を残して、青年は姿を消した。

 

 

 

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「雪輪、自己回復までにはどれだけかかりますか?」

 

 檜垣が問うと、雪輪は答えた。

 

「左側頭部が残り62秒、腹部の損傷は20086秒かかるわ。自力で動けるようになるまで約5000秒は必要ね」

 

「雪輪の回復力でもそれだけかかるとは、さすが壬生狼の副長、油断なりませんね」

 

 檜垣はスーツの上着を脱いで雪輪に掛け、抱き上げるとそのまま一足で壁を飛び越えた。

 

「私よりも先に巴恵をお願い。私は修復が完了次第、自力で帰還するわ」

 

「……すまない」

 

 雪輪を下ろした檜垣は、崩れかけた壁の隙間で震えている巴恵の元へと向かった。

 

 

 

 巴恵の足元に拳銃が落ちているのを見て、檜垣は苦しそうな表情を見せた。

 しかしそれは一瞬で、檜垣はすぐに手を差し伸べた。

 

「巴恵お嬢様、帰りましょう」

 

 上着を脱いでベスト姿になった檜垣は、巴恵を軽々と抱き上げた。

 その顔には珍しく、心配した、という感情があらわれていて、巴恵は素直に謝った。

 

「ごめんなさい」

 

 それを聞いて檜垣は、小さく息を吐いた。

 

「お嬢様に何かあったらと思うと、僕は居ても立っても居られない」

 

「うちは大丈夫やよ。それより、雪輪は」

 

「大丈夫です。彼女はとても頑丈にできていますから、すぐに回復するでしょう」

 

「そうなの?」

 

 廃墟と化した街をゆっくりと学校に向かいながら、巴恵は少しだけ何かを思い出そうとしていた。

 自分の中の最初の記憶の事。

 

 

 

 辺りはまるで満月の夜に聞こえるお囃子のように、騒がしかった。

 その中には悲鳴のような甲高い声も混じっている。

 目の前をたくさんの人間が通って行く。

 その人間たちが、血に染まる。

 そんな中、自分に向かって差し出されたのは大きな手――

 

 

 

「どうされましたか、お嬢様」

 

「なんでもない。少しだけ昔の事を思い出しただけや」

 

 巴恵はいつも自分を守ってくれる檜垣の事を信頼していた。

 穏やかに、時に厳しく自分と向き合ってくれる檜垣がとても好きだった。

 巴恵の最初の記憶は、ちょうどこんな風に檜垣が自分を抱きかかえている時にはじまる。あれがいつだったのかは思い出せないが、ただ自分を支える腕に安堵していたことだけを覚えている。

 

「檜垣は変わらんね。うちも花菱もどんどん年をとるのに、檜垣だけは最初からずっと変わらん」

 

 そう言うと、いつも表情ない檜垣が少しだけ微笑んだ。

 

「大人は歳をとらないんですよ」

 

「嘘つき」

 

 表情に乏しい檜垣はいつも、嘘をつくときは誤魔化すように笑うからすぐに分かる。

 それでも、巴恵は自分の世界を支えている檜垣の事を信頼していた。この人は必ず自分の事を守ってくれると知っていた。

 

「なぁ、檜垣、花菱はどうしてる?」

 

「部屋で待たせてあります。お嬢様の事をとても心配していましたよ」

 

 穏やかな表情で、穏やかな声で。

 

「大丈夫。この生活が脅かされることはありません。お嬢様は何も心配しなくていい」

 

「……本当?」

 

「大丈夫ですよ」

 

 幼いころから聞いている、穏やかな声で。

 

「ねぇ檜垣、この世界はいったい何やの?」

 

「お嬢様はご覧になったでしょう? つまらない世界ですよ」

 

 庭の外には何があるのか――こう聞くと、いつも檜垣はあの嘘をつくときの笑顔で、さまざまな答えを口にしてきた。お菓子の国ですよ、とか、動物のたくさん暮らす森に囲まれています、とか。

 しかし、今日は違った。

 つまらない世界だと言った檜垣の言葉は本物だった。

 

「雪輪は、人間が住んでた街の跡やって言うてた。攻撃で死んでしもたって……ほんなら、花菱は? うちはどうしてここにおるん? なんで人間はおらんくなったん?」

 

 首を傾げて見上げると、檜垣は困ったように微笑んでいた。

 

「人間がおらんのなら、いつも聞こえるお祭りの音は、いったいどこから聞こえてるん……?」

 

 巴恵がたくさんの質問を一気にしたせいか、檜垣は少し困った顔をした。

 

「その話は、少しずつにしましょう。まずは夕食の支度をしますから、お召し上がりください」

 

「……分かった」

 

 太陽はまだ天頂付近からまばゆい光を注ぎ続けていた。

 外からは廃墟にしか見えない校舎の屋上にある箱庭へと向かって、檜垣は帰路に付いた。

 

 

 

 あくる日、巴恵が目を覚ましたのは、檜垣と花菱の言い争う声がしたからだ。そのまま目を開けずに、耳に入ってくる会話をぼんやりと追った。

 

「論外です。僕は絶対に巴恵お嬢様を外に出す気はない」

 

「だからそれはもう限界だろ! 壬生狼士たちが旧都に来てんだぞ?!」

 

「それでも、です」

 

「ここが見つかるのだって時間の問題だろうにっ……!」

 

「たとえ見つかったとしても、この場所とお嬢様は、僕がこの身をかけて守ります」

 

 きっぱりと言い切った檜垣に、花菱少年がしびれを切らしたようだ。

 大きな音を立てながら、部屋を出ていった。

 少し経ってからそっと目を開けると、気付いた檜垣が巴恵を覗き込んだ。

 

「大丈夫ですか、巴恵お嬢様。悪い夢にうなされていたようですが」

 

 いつもと同じ、表情少ない檜垣を見てほっとした。

 

「檜垣……いま、なんじ」

 

「まだ朝の5時です。これから朝食の支度をしますから、お嬢様はお休みになっていてください」

 

「わかった」

 

「いい子です。今はもう少しだけ、おやすみなさい」

 

 ひやりとした檜垣の大きな手が額を撫でていった。

 夕食を用意しに部屋を出ていった檜垣を見送って、巴恵は再び目を閉じた。

 

 

 

 何だろう。

 何か、大事なことを忘れている気がする。

 

 

 

 瞼の裏で、巴恵は少しずつ思い出していた。

 『雪輪』と名乗る少女が茶室に飛び込んできたこと。花菱少年の後ろめたい表情。

 十六八重菊。三つ葉葵。戦闘員。そして、外の景色と雪輪の怪我、自分に敵意を向けてきた刺青の青年……

 はっと目を開けた。

 あれは現実? それとも夢――?

 布団から起き上がり、両手が痺れているような感覚があった。拳銃を撃った時の感触がそこには残っていた。

 夢じゃない。

 檜垣が着換えさせたのか、いつの間にか着物は寝間着に変わっていたが、わざわざ着物に替える時間も惜しい。

 隣の書斎に寝間着のまま飛び込んだ。

 書斎は、夜明け前の薄明かりがさしこんでいた。荒らしたはずの文机はきちんと元の場所に収まり、土足で踏み荒らしたはずの畳は新品のように光っていた。文机の上には課題の紙束が揃えて重ねてあった。

 課題を手に取ると、確かに巴恵の字が書き込んである。これは、昨日の課題だ。

 

「茶室は!?」

 

 書斎の戸を開け、縁側から茶室へ向かおうとした時、後ろから檜垣の声がした。

 

「お嬢様」

 

 突然の声に、どきりとした。

 おそるおそる振り向くと、朝ぼらけの中に檜垣が立っていた。整った顔に淡い影が落ちて、ぞくりとするほど冷たい表情を醸している。

 珍しくスーツではなく着流しに羽織姿の檜垣は、縁側から庭に降りようとしていた巴恵を軽々と抱き上げた。

 

「茶室の様子を見に行くには、まだ暗すぎます。後で一緒に行きましょう」

 

「檜垣……」

 

 書斎を片付けたのはきっと檜垣だろう。もしかすると、茶室も檜垣が片づけてしまっているかもしれない。

 寝室の布団にそっと巴恵を下ろした檜垣だったが、巴恵は檜垣の襟を掴んだまま離さなかった。

 

「お嬢様」

 

「行かんといて、檜垣。教えて」

 

「……」

 

「怖いんや。昨日からうちの知らんことばっかりで、檜垣だけやない、花菱も何か隠しとる」

 

 巴恵の世界はこれまで驚くほど狭かった。

 檜垣と花菱、そして小さな庭。

 しかし、そこへ雪輪があらわれた。外の世界を目にした。命の危険にさらされた。そして、銃を手にした。

 きっともう日常は戻ってこない。

 

「教えて、檜垣。全部、教えて。うちはもう子供やないんやから、どんな世界だって受け止める」

 

 もしかすると、檜垣は、花菱も命の危険にさらされながら生きてきたのかもしれない。自分だけがそれを知らずにぼんやりと日々を暮らしていたのかもしれない。

 

「やからどこにも行かんといて」

 

 巴恵の必死の様子に、檜垣はため息をついた。

 

「放してください、お嬢様。僕はどこへも逃げませんから」

 

 ぽん、と大きな手で紅髪を撫でて巴恵を落ち着けるように微笑んだ。幼い子供にするように、背中をとんとんと軽く叩きながら。

 

「大丈夫ですよ、巴恵お嬢様」

 

 幼子のように肩を震わせた巴恵に言い聞かせるように。

 

「だから、泣かないでください」

 

 檜垣に腕の中から、小さな嗚咽が漏れた。

 

 

 

説明
 祭りの音がハコニワの外から響く。
 満月の日、庭にたたずむ和服の少女は呟いた。
「うちはお祭りの音をここで聞くしかできないんやね――」

◆これは麻葉紗綾さまのイラストを元に書いたイラスト小説です。
麻葉さまのサイトはhttp://mutuginu2iro.web.fc2.com/


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