ヤサシサハ雨 第5章 「ナオコとの日々 その2」
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「ナオちゃん。ねえさん。ナオコ。朝倉さん。

呼び名は色々とあったけど、今はナオコが一番しっくりするから、そう呼ばせてもらうね。

 

ボクの姉……ナオコとは双子だったんだけど、ナオコが姉で、ボクが妹になった。

双子なのに、ナオコは生まれながらにして容姿に優れ、周囲から特異な目で見られていたの。

ボクはぜんぜんかわいくないのにね。

神様はホントに理不尽だと思うよ。

 

長身で胸が大きくてスレンダーで色気がある姉。

美貌だけじゃなくて聞き分けもよくて、誰に対しても愛想良く笑っていて、しっかりものだねと大評判。

頭も良くて成績はいつもトップ。

90点より下の点数のテストを見たことがない。

両親にとって自慢の娘に違いないよね。

 

ああ、家族の話をするね。

ボクの父は、朝倉ナオキ。警察官。

真面目を絵に描いた物静かな人物。

母は、麻木クミ。専業主婦。

ナオコの面倒を見ることだけが生き甲斐。

母の勧めで、ナオコは塾に行った。

ボクなんか、行きたくても行けなかったのにね。

 

ナオコは、ボクの憧れで、嫉妬の対象。

そりゃそうだよね。

双子なのに天と地の違いだもんね。

ボクはひがんでばかりいた。

勉強でもスポーツでもナオコに勝るものなんてない。

友達だって、ナオコの方が多かった。

親にまでも、見放されるってどうだと思う?

同じ腹の中から生まれた双子だよ?

ボクはひとりぼっち。

でもナオコは、やさしかった。

 

『泣いてるの?』

 

ナオコは、すべて見抜いていた。

ボクの心情を察しては、そばにいてくれた。

察してたから、余計なことを言わない。

ただ、そばにいる。

あのほほえみをして。

 

『なんで、いつもわらってるの?』

『わらってちゃ、ダメ?』

『ずるいよ。ボクは、うまくわらえない』

『ふふふ、そうかしら?』

 

ナオコは、お絵かき帳に、ボクの絵を描いた。

ナオコは昔から絵を描くのが好きで、父から買ってもらったお絵かき帳を常に持ち歩いてたの。

絵の対象はボクがほとんどで、泣いてるときもお構いなし。

でもね、できあがる絵はどれもほほえましい、温かな絵なの。

やわらかい絵のタッチ。

独特で表情豊かな顔。

泣いてて悲しいはずのボクの絵なのに、奥ゆかしいというかなんというか。

やっぱり、ナオコはどこか違うの。

生まれながらにして、ボクとは大違いなの。

 

ナオちゃんは、どんな風にナオコを見てた?

ナオちゃんの知ってるナオコは、既に壊れてたけど、ホントに無垢な優等生でみんなから慕われてたんだから。

 

『ナオコは、オレが引き取るから』

 

小学6年生になったとき、両親は離婚した。

突然。前触れもなく。

父と母の間に問題は特にないように思えた。

問題があるとすれば……ボクが、冷遇されてたぐらいで。

離婚の話は父からしてきたらしい。

 

言い争いになったことと言えば、生活費だとか所帯とかそんなことではなく、えっとね、驚くことに当時住んでた……今、ボクらがいるこの家を明け渡すし、生活費も保証すると父は言ったってたんだよ。

問題になったのは、ナオコをどちらが育てるかということ。

父も母も、けして譲らなかった。

それで、ナオコ本人に決断を委ねたんだけど、ナオコは……父を選んだ。迷わずに。

 

ボクは、自動的に母が受け持つことになったけど、こうしてボクは朝倉から、母の旧名である麻木を名乗るようになった。

麻木アサカ。今と、同じ名前だね。

 

母は、ナオコを失ったショックですっかり意気消沈。

死んだようにひきこもるようになった。

ボクのために食事を与えてくれたけど、どこか遠い視線を向けていて、そんな母を見てると、ああ、ボクは視界に入れてくれないんだなって……。

 

ナオコが家に帰ってきたのは、中学2年生の6月の雨の日。

父が殉死したと、ナオコは言った。

 

今考えてみたら、おかしいの。

父の殉死は、ナオコしか言ってなかった。

警察の、同僚さんたちから、一切連絡がこなかったし、お通夜もお葬式も行われることもなかったの。

離婚したから……母は、父と関わろうとしなかったのかもしれない。

それとも、ボクなんかほっておいて、勝手に済まされてたかもしれない。

どちらにしろ、ボクは深く考えないようにしてた。

 

母は、ナオコが帰ってきたことで、少しずつ元気を取り戻していった。

駅前のスーパーで、働くようにもなった。

父から送られていた生活費が途絶えたもんね。

ナオコのためにも、働かないと生きていけないもんね。

遅くまで働いてたよ。

やがてね、掛け持ちで夜、コンビニでも働くようになったね。

そのときの母は、すごかったね。

やつれているのに、目をギラギラさせて生き生きしてたんだもん。

 

ナオコは転校して、同じ中学へ通うことになると思った。

けど、転校してこなかった。

父の死を引きずっているのか、しばらくはゆっくりしたいとナオコは言ってた。

二ヶ月後、母が入院した。

過労だと、ボクは思った。

働いたこともない母が急激な労働をしたんだもん。

ナオコは、お見舞いなんていいよ、私がやるよと言ったけど、ナオコばかりに任せるのも良くないと思って、行ったの。

 

『あらナオコ、またお見舞いにきてくれたんだ』

 

母は、ボクを認知しなかった。

 

『ナオコ、持ってきてくれたりんご、すごくおいしいわ』

『ナオコ、はやく身体を治して、ナオコのために働かないと』

『ナオコ、新学期は始まった? 友達はできそう?』

『ナオコ、もう私のもとから離れないで。父さんのとこへ行ったとき、行ったときね……』

 

……………………。

これが、実の娘にかける言葉なのかな。

こんなにも、愛されてないのだろうかと、そのときは思ったよ。

 

『ナオコ、コワイコワイ』

『ナオコ、まだいるの? いつまで、そこにいるの?』

『ナオコ、そこにいるナオコは本物なの? 答えてよ?』

『ナオコ、もうほっといて……』

 

母は、壊れてた。

そして、苦しんでた。

 

『お見舞いに、行っちゃったの?』

家に帰ると、ナオコはボクに問いかけた。

『母さん、なにがあったの?』

『なにがあったって?』

『ボクを、ねえさんと勘違いしてた。それどころか、ねえさんのまぼろしさえ見てたみたい』

『そうなんだ』

『……。知ってたんでだよね?』

『?』

『なんで、ボクに母さんのこと、教えてくれないの?』

ナオコは、ほほえんだ。

ボクはその笑みに恐怖を覚えた。

ボクは、怒ってたんだよ。

母さんがボクを無視していて、ナオコばかり愛してるとしても、そうだとしても……、母さんだよ。

ナオコは、ボクの心情を理解した上で、楽しんでいるようだったの。

 

『壊れたら、まぼろしを見ることだってあるよ』

 

ボクは、ねえさんを殴りたいと思った。

けど、できなかった。

 

『仕事はきつかったでしょうし、嫌なことだって、あるんだよ。疲れ果てて、死にたいって気持ち、考えたこと……ある?』

 

こう……すごくすごく近づいて、胸と胸が触れるくらい近づいて、肩をポンって叩いて、呟くの。

ナオコは、ボクの知るナオコじゃなかったの。

 

ナオコが家に戻ってきてから一ヶ月後、母は死去。

母が病院で息を引き取る一日前、ナオコに招かれるままにお見舞いに行ったの。

ナオコは、わかってたはず。

母が、長くないから、ボクを呼んだんだって。

 

母は驚くほどやせていて、驚くほどやつれていた。

喉に食事が通らないのか、朝ご飯のパンとスープが、机の上に置きっぱなしだった。

ナオコは、母の白いワンピースを着ていたことを覚えている。

ナオコの長い黒髪が、まっすぐに母の胸元の白いシーツに落ちていて、小声で語りかけるの。

ボクに聞かれてまずいことでもあったかはわかんない。

それでね、母はナオコの語りかけに応えることもできずにいてね。

そのやりとりが数分続いたかと思うと、ナオコはまっすぐ背筋を伸ばし、ボクにも聞こえるほどの声で、吐き捨てたの。

 

『母さん。スープくらいは飲まないと』

 

そして……、スープに、白い粉を入れたの。

理想のクスリを、母さんに、飲ませてたの。

 

理想のクスリ……。

強い幻覚作用で、飲んだ人の理想を叶える。

おそろしく遅効性で、持続性は永久。

新しく作られたドラッグなのか、服用しても法には触れないらしい。

ホントかウソか、存在の安否すら不明で、ネットで噂が飛び交うだけ。

認知はされてないのは確からしく、病院の看護師たちから、母はストレスでおかしくなったとかなんとか。

 

『どこで、手に入れたの』

『ん?』

『その、クスリ……』

『どこだと思う?』

『……。まさか……』

 

くすっ。

満面の笑み。

わけがわからない。

 

『アサカ。お父さんをどんな風にみてた?』

『ど……、どんな風にって……?』

『警察官だもんね。悪を許さない真面目一筋って、思えない?』

『……』

『人は、悪を抱いて生きているんだよ。お父さんだって、例外じゃなかった』

 

ボクの推測なんだけど、父は仕事で、クスリの入手経路を抑えたんじゃないかな。

だけど、摘発しなかった。

理由は……知りたくない。

 

ナオコと奇妙な二人暮らしが始まったけど、誰かに生活の援助を求めるわけでもなく、母の遺産で、ボクたちは生活した。

ナオコは、やっぱり中学校に行こうとしなかった。

夏休みが明けたら行くかもね。

適当なことを言ってる。

ナオコは基本的には家にいるようだけど、ボクが学校に行ってるときになにをしてるかなんて知らない。

髪を整え、毎日違う私服を着てるから、外には出かけているみたい。

家事全般は、ナオコが行ってくれた。

ナオコが作る夕食は、食べれなかった。

理想のクスリが盛られているおそれがあるからね。

 

『安心して。クスリなんて入れてないから』

『信用、できないよ』

『そう?』

『ねえさん、なんで母さんにクスリを……?』

くすっ。

ナオコに笑われると、言葉に詰まる。

喉元で、もどかしくひっかかるのは……ねえさんが殺したんでしょ?

母さんを殺したのはねえさんなんでしょ?

その疑問がガンガンガンガン頭の中をひっかき回しては、次に出る疑問は……父さんを殺したのも、ねえさんなの?

でもその疑問の答えをいくら考えてもわからないし、わかりたくないし。

ナオコは得たいが知れないなにかによって、変わってしまった。

どんなことを知ってしまったの?

なにを見てしまったの?

……………。

 

ごほん。

はい、それで……。

ボクは、ナオコの食事を、一切食べることができなかった。

お腹が減ったときは外に出てコンビニとかで済ませた。

それでも、いつナオコにクスリを飲まされるのではないかとの、不安は消えなくて、眠れない夜が続いたの。

 

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夏休みになり、ナオコと二人だけになることが多くなると、発狂したくてたまらなかった。

ボクは、朝早く家を出て、授業もないのに学校に行っては図書室で眠った。

家じゃあ、ナオコがいるから、眠れないってことは言ったよね。

図書室で睡眠をとる生活も3日経つと、周りの生徒から怪訝な目で見られて、別の睡眠場所を探すことになったの。

それでみつけたのが、旧美術室だった。

 

旧美術室は授業で使われることもなく、物置同然の扱いをされてたの。

美術部員が来るわけでもなく、自由に使えるボクだけの部屋。

すると、安堵の気持ちがどっと出て、瞼が重くなって、ほこりかぶった机の上でひさしぶりにぐっすり眠れたの。

 

目が覚めたときは夕方。

堅い机の上で姿勢悪く寝たせいか、身体の関節が痛く、頭がガンガン。

そしてほこりを吸ったのか喉も痛くてむせちゃってた。

当然ながら誰もいなくて、そのときボク、初めて孤独なんだって妙に切なくなったの。

それまでは、友達がいなくても、誰とも話せてなくても、親からも無視されてても、全然だいじょうぶだったのにね。

今、旧美術室に誰もいない。

そして、ようやく両親がいないんだって実感できたの。

泣けてきて、涙が止まらなくて、だけどボクが泣いているって知ってくれる人が誰もいないことでさらに泣けてきて……。

思い出されるのは、ナオコだけで、ナオコはみんなから視線・期待・愛情……それら全てをボクから奪って。

同じ双子の姉妹なのに、この違いはなに?

けど、今は同じ。

親を亡くし、同じ家に住んでいる。

でもそれは、ナオコが仕向けたこと。

ナオコが、こわい。

こわいにくいこわいにくいにくいにくい……。

なんであんなやつの妹になってしまったんだ。

返して。

返して返して返して―――――――――!

 

『泣いてるの?』

 

後ろから、声をかけられた。

振り返ると、ナオコがいた。

セーラー服を着ていて、あ、この服、父に引き取られたときに通ってた中学のかなぁとか思ったりして、そんなこと考えてたら、自分が泣いていることに気がついて、必死に制服の裾で目を擦ったの。

 

『泣きたいときは、泣いちゃえばいいんだよ』

 

ナオコは、澄んだ顔でそう言った。

さっきまで、ナオコのことを恨めしく思ってたのに、その顔ひとつでナオコの気を許してしまいそうな……。

 

『ねえさん……』

『ん?』

『……泣いてる姿、描かないでよ』

 

いつの間にかスケッチブックを持っていて、絵を描くナオコ。

その姿が、昔お絵かき帳に描いてくれた姿と被り、ああ、その姿は変わってないのかって、少しうれしくなった。

 

『ここ、良いところね』

『旧、美術室が?』

『私、秋からここの中学へ通うわ』

 

思わず、ボクは抱きついていた。

今までに感じたことのない、感情に包まれていた。

 

毎日のように旧美術室へ行っては、ナオコが来るのを待った。

ナオコは来たり、来なかったり。

来たときはうれしく、来なかったときは仕方ない。

どちらにしろ、家では理由を尋ねなくって、ナオコにはナオコの事情があると勝手に納得してた。

さらにね、旧美術室に来てくれても、ボクじゃない人物を描いていることにも、薄々気づいてきたの。

ナオコは、昔と違っていて、絵を見せてくれなくなっちゃったけど、気づいてしまったの。

ナオちゃんは気づいてた?

ナオちゃんはモデルとして旧美術室に招かれてたって思ってなかった?

 

話がズレたね。

何を描いてたかは、順を追って説明するからもう少し待ってね。

とにかくね……ナオコは来るか来ないかわからない。

来たとしても、ボクじゃない誰かを描いている。

けど、それで構わなかった。

旧美術室で、ナオコと一緒に居られるのが良かったの。

 

でもボクのそんな願いも長くは続かなくて……。

ボクとナオコの間に割り込んで、ナオコの秘密を探る人物……相田エイジと出会ってしまった。

 

 

『お前のねえさん、エログチとえっちなことをしているぜ』

 

 

旧美術室でひとりナオコを待っているときに、相田エイジと初めて出会うなり、ナオコの秘密を言ってきた。

正直、不快というか、関わりたくないというのが本音。

でも相田エイジはしつっこくて、秘密を知りたいだろ、他のやつらに言いふらされたくないだろとか迫ってきた。

相田エイジには親がいなくて、独りが耐えられない子でね、夏休みは学校がなくてずいぶん寂しい思いをしてたみたいだね。

だから彼は、学校中を当てもなく彷徨ってた。

それで、ボクとナオコが姉妹であること、ナオコが、江口先生と関係を持っていることを知ったのよ。

 

ただ彼には妙なところがあってね、ナオコが旧美術室に来てるときは絶対にボクのとこへ来なかった。

それでいて、ナオコと江口先生がやっていることについては、ボクに見せたがっていた。

ホントにすごいんだぜ……。

にやにやする相田エイジの笑みがものすごく下品で、嫌な予感がした。

ボクは頑なに拒んだ。

拒んだけど、彼はやってくる。

断り方を、知らない。

心が折れたセリフは、

 

『ねえさんの笑みの裏側、知りたくないか?』

 

人間不思議なもので、悪いものを見るって、興味がそそるんだね。

その行為は昼。

それが終わってから、旧美術室に、ボクのところへ来ていたの。

 

ナオちゃんも知っていることだと思うから詳しくは割愛するけど、ナオコは江口先生に殴られていた。

それを、相田エイジは狂喜の笑みで見ているの。

ボクはその光景が耐えきれなく吐き気を覚えた。

目を離しているのに、見ようとしているのは自分。

ナオコに対し罪悪感があるのに、見ていたのは悪い自分。

それで見てしまったのは、……。

クスリ入りの紅茶を江口先生に飲ます、ナオコの姿……。

 

紅茶を飲んでは叫び声をあげる江口先生。

頭を抱え、ごめんなさいごめんなさいって言って、何度も何度も殴って、ナオコの美しい上半身に赤く痕をつけながら、泣きながら、怒りながら。

ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。

自分が悪い自分が悪い。

許さない。

もう勘弁してくれ。

こんなにも生活費を払ってやってる。

親族と偽って生かしてやるから。

学校に入れてやるから。

悪いやつ。

だから、だから……!

なんで無表情でオレを笑ってやがるんだ……!

 

ナオコは笑ってたの。

殴られても殴られても笑みを絶やさず、けどその笑みは心から笑ってない笑み。

…………。

 

ナオコを知る行為は、世に巣くう悪そのものをみる行為のように思え、それを知ればボクの心は蝕まれる。

けれども、ナオコを知りたい欲求は日々強くなる一方。

それは、相田エイジの醜い笑いも理解できるような、邪悪な願望そのもので、ボクにはもう抑えることができなかった。

 

ボクは、ナオコの留守を狙って、スケッチブックを盗んだの。

そして、旧美術室へ持って行って、相田エイジと一緒に見ることにしたの。

相田エイジは、ナオコの描いたスケッチブックと聞くと、例の下品な笑顔になり、ボクも多分、同じ表情でいたと思う。

 

ボクらは、なにを期待してたのかわからない。

画家のような芸術的な絵を想像してたかもしれない。

あるいは、線が入り乱れた精神異常者が描いたような絵を想像してたかもしれない。

どちらにしろ、想像とは離れた絵だった。

 

ナオコの絵は、普通だなぁというのが第一印象。

クロッキーって言うのかな?

鉛筆で、短い時間で描いたもので、ヘタではないけど、うまいかどうかよくわかんない。

ただ、描かれた人物は、特徴をよくつかんでいて、違いがはっきりわかった。

 

『誰なんだろ、こいつら』

 

どこにでもいるようなありふれた人物たちの絵だった。

誰かは、わからない。

 

『この人たち……』

 

表情は、ない。

相田エイジは、にやりとする。

 

『みんな、死刑囚みたいな顔してるな』

『しけいしゅう?』

『死を宣告されたような、希望のない死んだ目をどいつもしてるじゃん』

『やだ……』

『お前のねえさん、やっぱ最高だよ』

今の変わってしまったナオコなら、こんな絵を描いてしまっても仕方ないのかもしれないけど、悲しかった。

ナオコは、泣いているボクの絵をやわらかくて、ほほえましくて、やさしい絵を描いてくれてたんだよ。

そんな絵の面影が、ないの。

 

『離婚して、父さんに引き取られちゃってねえさんと別れてた。帰ってきたときはねえさんはこんなになっちゃって……。今は両親どちらもいない』

『そして、変わったのか』

『……』

『……』

『どうして、ねえさんが……』

『……。大人さ』

『え?』

『みんな大人が悪いのさ。エログチが現に、暴力を振るってるじゃないか。オレだって、……。単身赴任の親父をほっといて、お袋は愛人のもとへ行った』

 

大人が悪い。

父さんが、江口先生が、ナオコを変えた。

変わったナオコに、壊されている。

 

スケッチブックをめくると、ボクの絵があった。

旧美術室で泣いているときに描かれた絵だったけど、泣いているのに、表情がなかった。

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夏休みが終わり、ナオコが転校してきた。

ナオちゃんのクラスに入り、ナオちゃんと、旧美術室で会うようになった。

ナオちゃんとナオコが親しくなる一方で、ボクとナオコは冷めた関係になった。

『麻木さん』

『朝倉さん』

学校で接触したときは、お互いの名字で挨拶。

登校は別々。

家ではしゃべらない。

ボクらは、実の、双子の姉妹なのに、他人同士みたいだった。

 

だけど……。

あのね……。

ボク、旧美術室の準備室にいたんだよ。

ナオちゃんが、ナオコと仲良くしているとこ、見てたんだよ。

 

相田エイジも、準備室にいた。

だけどね、ナオちゃんを嫉妬の目で見てたね。

美術の授業中、ナオコにキスされたこと、あったよね?

顔に飛んだ絵の具を舐めたようだけど、それが相田エイジの怒りに火をつけた。

それから、相田エイジは準備室に来なくなった。

その放課後、相田エイジは旧美術室でナオコに告白した。

そのことは、ナオちゃんも知っているはず。

窓の外から見ていて、江口先生にみつかったのを、ボクは見てたんだよ。

そして、ナオコは孤独になった。

 

孤独……。その意味を、ナオちゃんはわかる?

ナオコは、ホントの意味で、孤独になった。

でもそのときは、ボクは、ナオコが孤独なんだって気づかずに、気づいたときにはもう手遅れだった。

 

相田エイジも、江口先生も、そしてナオちゃんも……、旧美術室に来なくなったね。

ボクは相変わらず、旧美術室の準備室にいたの。

ナオコも変わらず、旧美術室で絵を描いていた。

けれども、ナオコはまた、変わっていた。

悲しんでいたの。

表情に出さないけど、わかるの。

オーラっていうか、なんというか。

近寄りがたい、絶世の美女というか、それがボクの知るナオコなのに、やせちゃってて、押したらそのまま倒れちゃうような、貧相なただの女になってた。

 

江口先生も変わってたけど、率直に言って、浮浪者みたいだったね。

ナオコナオコとボソボソ言ってた。

柔道部の顧問だけど、授業が終わったら部室に寄らずにさっさと帰ってた。

相田エイジは……、しばらくは、ナオコに話しかけたりと近寄ってた。

でも、ナオコは無視してたの。

いえ、存在すら認知してなかったの。

 

ナオコはボクに近づくようになった。

放課後、ナオコは準備室に、ボクのすぐ目の前まで来たの。

ボクはびびったけど、力ないナオコに対し殺されるまでは思えなかった。

刹那目が合い、無言のまま。

そして、いつの間に準備室持ってきてたティーカップふたつをテーブルに置き、紅茶を入れる。

『飲む?』

ボクは断った。

だって、クスリを盛られていると思ったから。

ナオコが、スープに白い粉を入れて、母さんに飲ませているところ見ちゃったから。

いつクスリを盛られるか怖くて、家で寝てないんだから。

ナオコは寂しそうな背中を向けて、準備室から出て行った。

そのときね、ナオコはスケッチブックを本棚に入れてったの。

スケッチブックは、確かに準備室の本棚に入れてあったし、そこにあるのを知ってて相田エイジと見ていたんだから、なにもおかしいことじゃないんだけど…… なんていうか、ボクにわかるように、置いたっていうか……。

違和感。

そう、違和感よ。

まるで、ボクに見てもらいたいかのように、スケッチブックを本棚に入れたの。

 

ボクは、おそるおそるスケッチブックをつかみ、唾を飲んだあとで、開いたの。

描かれた絵は……例の、知らない人たち。

そのあとは……ナオコのクラスメイトらしき人物たち。

そして…………彼らだったの。

…………。

江口先生と、相田エイジだったの。

 

夜、ボクは……ナオコの眠る、布団の元へ行ったの。

ボクには、また感じたことのない感情に包まれていた。

それは、同情だったのかもしれない。

哀れに思ったのかもしれない。

ナオコは、安らかに眠っていた。

サラサラの髪が白い枕とふとんを黒で染め上げていて、パジャマからチラりと見える浮き彫りになった鎖骨に大きな胸が、大人の女性って感じだった。

『ナオちゃん……』

昔の、ボクが幼いときのナオコの呼び名。

自然に、ボクはそう言ってたの。

『スケッチブックの絵の真意、わかっちゃったよ』

絵だけじゃない。

今日、ナオコが紅茶を入れてきたことも。

『ナオちゃんも、飲んでたんだね』

理想のクスリ……。

飲んだ人の理想を叶えるという麻薬。

『そして、ナオちゃんが望んだこともわかっちゃった』

 

理想のクスリで叶えた願望は……。

そう、そうなの。

ナオコはクラスメイトと絡もうとしなかった。

不気味に笑って、近寄りがたい存在に自らなった。

相田エイジを認知してないことだって、合点がゆく。

その相田エイジがスケッチブックに描かれてたということは……。

 

『ナオちゃん。人を、消しているんでしょ? そして、その人物を……描いてたんでしょ? スケッチブックに…………』

そう言うと、ナオコは目を開けてボクを見た。

やさしい瞳をしていた。

 

ナオコは静かに上半身を起こし、ボクの頬を軽く触れた。

もっとボクの顔を見たいのか、鼻と鼻が触れあうくらい近づけてくるの。

嫌な気は、しなかった。

『アサカ……。あなただけは、消したくない』

消したくない。

ナオちゃんなら、わかるかもしれない。

精神が蝕まれ、誰か消さなくては気が落ち着かない。

そう意識してなくても、勝手に消えてしまう。

ナオコもそうだったんじゃないかな。

一日に、最低ひとりは消える。

そうなら、スケッチブックに描かれてた人たちにも納得がいく。

ナオコは、ボクを消したくないから、夏休みに外に出かけ、見知らぬ人物を消してた。

中学校を転校してからは、クラスメイトを消した。

それで消された……とはいっても、実際には消えてないんだけど、そんな理由で消された人たちは可哀想。

だから、ナオコは彼らを、絵に描いたんじゃないかなぁ……。

 

ボクは、ナオコに愛されていた。

ナオコはボクに口づけをしてきて、ボクはそれに応えた。

同じ血をわけた双子の姉妹なのに、一方は美人で誰からも愛され、もう一方はそうでなくて。

なのに恵まれた一方は全てを失い、人が消えていく異次元の世界に墜ちて、そして今、ボクと同じ家にいる。

なんで今まで、離ればなれにならなくてはいけなかったんだろう。

世の中は残酷だし、神様は理不尽だと思う。

『仕方、ないじゃない……』

ナオコなら、そう言うでしょうけど、心から認めて、言うのかな?

ボクはナオコに、言葉にならない声で問いかけている。

ナオコは答えず、笑うだけ。

 

理想のクスリは、父から飲まされたとナオコは告白した。

クスリで父は壊れ、ナオコは暴力を振るわれるようになった。

父が求めたのは、ナオコ。

愛するあまりに常にナオコの幻覚を見て、暴走したんだって。

『でもね、私。父さんを愛していた。だけどね、父さんを消してしまったの。好きなのに拒んだ。弱い人間なのよ、私も』

 

 

ナオコが自殺する前日、ナオちゃんが旧美術室に来たのは驚いた。

やりとりを、準備室で見てたけど、……。

ナオコは、ナオちゃんと心中したがってた。

ナオちゃんを、スケッチブックに描く人物にしたくなかった。

どちらも……、…………叶わなかった……………………」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

雨漏りがするプレハブの真っ暗な部屋で、僕らは一枚の毛布を被り、寒さをしのいでた。

けど、アサカの震えも、うるさい雨音も、悲しみとして僕に重くのしかかる。

 

アサカの告白は驚くばかりで、僕はナオコの苦しみひとつも、わかってなかったんだって、そう思えば思うほど、心中しなかった自分が、独りで死んだナオコに対して申し訳ない気持ちでいっぱいになる。

 

アサカは、僕に理想のクスリを飲ませ、僕を孤独の淵に追いやった。

アサカは憎むべき存在。

アサカは憎むべき存在。

だけど……。

 

「ナオコにとって、僕ってなんだったんだろう?」

「心中の対象」

「……」

「言い方が悪かったね。でも、ナオちゃんが特別な存在だったには変わりない。ナオコは、やさしくなんてされてなかったんだよ」

「……」

「仲間なんて言ってもらえて、動揺してた」

「心中……か…………。心中するためなら、ナオコは、僕にクスリを使えばよかったのに」

「ナオコは、ボクにも使わなかった」

「けど、アサカは僕には使った」

「……」

「ナオコが屋上にいるとか、人を消すだとか、雨が降り続けるとか、みな、アサカのウソで、そのウソを僕に信じ込ませて、人が消える世界に堕とした」

「……」

「なんで? 復讐のため? ナオコと自殺しなかった、僕への報復? 報復のためなら、僕ひとりを自殺に追い込めばいい。だけど、一緒に心中しようと言った。なんで……?」

「……」

「答えろよ!」

「ナオちゃん、怒らないで。ボクまで消しかねないよ」

「……」

「落ち着いて、ボクの話を聞いて」

 

落ち着いてなんていられない。

人を消す世界を作り上げた張本人は、目の前にいるのに……。

今すぐにでも消したいのに、消せないでいる。

 

「ナオちゃん。ナオコとの日々のこと、作文に書いたよね。ボクがそれを読んだとき、どれだけうれしかったかわかる? 全校生徒の前に飛び降り自殺して、ナオコのことを良く言う人なんていなかった。みんな忘れようとしたのか、誰もナオコのことを話題にしなかった。でも、でも……。ナオちゃんは忘れてなかった」

「……」

「ボクは、ナオコのまぼろしをみている。それで、ボクにも言ってくるの。なんで、心中してくれなかったって。ナオコが死んだのは、ボクのせいなのかもって思うことがあって、もっとはやく理想のクスリのことを知ってたら、母さんを亡くすことも、ナオコが自殺することもなかったんじゃないかって、ずっと苦しんでた」

「僕と、同じように……?」

「ボクも自殺しようか悩んでた。けどそれもできずにいた。ナオコは、自殺するなとも言ってたの。私が消さなかった、唯一の人だからって」

「……」

「死ぬことも生きることもできず、死んだように死ななかったボクは、ナオちゃんと出会い、決意した」

 

不意に、アサカは一緒に被っていた毛布を取り去り、辺りが暗いのを強調してるようだった。

家に入るとき、電気がついておらず、水道も止まっていたことを思い出す。

嫌な予感が、頭によぎった。

 

「生活費は、とっくに底をついていたんだよ」

「それで、電気代を払ってなくて真っ暗なの?」

「母さん、ナオコの遺産は、知らない誰かに奪われた」

「……」

「誰かなんて興味ない。江口先生じゃないよ。叔父とか言って引き取りにきた人だけど、また知らない人がやってきてはもめ事を起こしてて、いなくなったと思えばお金だけが消えた。今では食費すらもない」

「……」

「理想のクスリも、残りわずかだったね。ナオちゃんにわずかに飲ませられたけど、もう尽きた」

「……」

「ナオちゃん。まだ回答を聞いてなかったね」

 

回答……。

アサカに心中しようと言われたけど、無言のままだった。

 

「もう二度は言わない。クラスメイトもみんな消し、残りはボクだけ。けどね、ボクを消すのも時間の問題だよ。ボクの精神も限界。でもせめて、死ぬときくらいは愛するナオちゃんと一緒にいたい」

「……」

「一緒に、心中しよう」

 

 

 

「……。いいよ…………」

説明
中学生暗黒小説
アサカが語る、ナオコとの日々と悲劇。そして、ナオは……?
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 中学生 百合 

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