左将軍ディアヴォロス
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右将軍アルフォロイスの申し出

 

 

 近衛に上がって、一年が経とうとしていた。

新兵の歓迎式が、直だった。

そんな折りだった。右将軍アルフォロイスが私邸を、訪れたのは…。

 

金の髪。そして淡いブルーの瞳。

その整った容姿と淡い瞳は彼を、高貴に見せていたが本人は気さくで、屈託の無い笑顔を見せる男だった。

 

私より三つ年上。

彼と近衛で再会を果たす以前、教練に入学した時、学年無差別の剣の練習試合で四年の彼と剣を交えた。

 

一年の私が彼の剣を叩き落とした時、それ迄真剣そのものの表情をしていた彼は途端苦笑し、そして手を、差し出した。

「…たいした腕だ」

その言葉に皮肉は微塵も無く、屈託無い笑顔を向けられ、結局負けたのは自分だと気づく。

その器の大きさと笑顔に、一瞬で彼に、魅入られて。

 

彼は二十歳の若さで右将軍に就任した。

代々右将軍を継ぐ家柄で、その血統に見合う度量の男だったから異論を唱える者等、どこにも居なかった。

 

アルフォロイスは私が姿を見せると暖炉の前に背を向けて立っていたがこちらに振り向き、やっぱり笑った。

 

屈託の無い笑顔で。

太陽…それよりは光の輝き。

それも強烈な。

…を思わせる笑顔。

 

「以前話してた事を遂に実行した。

逃げるなよ!」

私に、就いて来る気があるんなら。

いや…。

私の事が、好きなら。

この明け透けな男なら、後者だろう…。

 

私は多分…眉間を寄せた筈だ。

「ムストレスが、黙って無い」

だがアルフォロイスは即答した。

「解ってるだろう?」

 

ムキに成ると、やんちゃな子供のように見える。

だが…それさえも魅力的に見える。この男だと。

 

私が無言なので彼はまるで…恋人にプロポーズをするように、居ずまいを正す。

俯いた顔に金の髪を落とし、殊勝な表情で、だが淡いブルーの瞳をきらりと光らせ、顔を上げて真っ直ぐ見つめ、口を開く。

 

「俺の“左”腕に、どうしてもお前が必要だ」

 

その、真剣な表情。真っ直ぐ問い正すように向けられる淡いブルーの瞳。

私なら…こんな無茶を大事な相手に、決して頼んだりしない。

 

近衛入隊一年目の男に左将軍に成れ…等とは決して。

 

アルフォロイスは計算度外視だ。

本人もそれを、知ってる。

冷静さや理論で無く、直感で動く。

そしてその殆どが、いつも正しい。

 

更にその大らかな魅力。

戦闘の時真っ先にその金の髪を振って誰よりも早く、敵に斬り込む勇気。

 

彼が先陣切ってなだれ込み、周囲を埋め尽くす敵を矢継ぎ早に斬り殺す姿に…その恐れの微塵も無い圧倒的な強さに皆が身震いして奮い立ち、彼に続け!と熱狂にも似た興奮に包まれ、一斉に敵へと襲いかかる。

 

彼の一隊がいつも最強と呼ばれるのは…彼が自身の戦いで、兵を無言で戦闘へと、駆り立てるからだ…。

 

そして…彼の戦いぶりを見た男達は皆、彼に惚れる。

崇拝し、慕い…彼の戦場での姿を、熱狂的に語る。

 

彼に就いて行く事を誇り…彼の部下である幸福を誇るのだ………。

 

 ディアヴォロスはまだ真摯に見つめるアルフォロイスに、返答を躊躇った。

彼を支える大切な地位、左将軍に乞われるのは光栄以外、何者でも無い。だが…………。

 

アルフォロイスは若い、ディアヴォロスの、表情の読めぬ神秘的な整いきった面を見つめ、少し、落胆したように髪を揺らしつぶやく。

 

「…嫌か?」

 

ディアヴォロスはまだ、その表情を崩さず年上の駄々っ子のような男が無茶を突きつける、その内容が、どれ程重大で多くの者に影響を及ぼすかを、無言で問い返す。

だがアルフォロイスは、直感でそれを感じ俯く。

 

そして年の割に冷静そのものの、誰よりも存在感のある自分より三つも年下の男の、静かな瞳を見つめ、それでも、言った。

「…だが、どうしても俺はお前がいい」

 

ディアヴォロスは理屈等無いような、子供のような彼のその言い草に、つい、短い吐息を吐く。

 

「それに…もう、言っちまった。

お前で無ければ俺は、右将軍を降りる。と」

 

ディアヴォロスは瞬間、目を見開き真正面の彼を、喰い入るように見た。

 

アルフォロイスは悪さを見咎められた子供のように、ようやく表情を晒すディアヴォロスの顔を見、髪を揺らして俯く。

 

「…何を…!

何を言ったのか、解っておいでか?

貴方は…………!」

ディアヴォロスは言葉に、詰まった。

 

理屈等無い…感情の赴くままのこの男に、何をどう…言って説得すればいいのか、全く思い浮かばす。

が、自分を抑えきれず、年上の男を、叱咤(しった)するように叫ぶ。

 

「貴方は、自分の立場をお考えなのか?!

右将軍という地位にありながら、そんな事を軽々しく……!

軽々しく、おっしゃるものじゃない!」

 

アルフォロイスは、『解っている』と言わんばかりに暖炉の上に腕を乗せ、俯き、溜息を付く。

 

だが本当に、解っている筈なんか無い。

解っていたら…相談の内容は違っていた筈だ。

 

『馬鹿を言った。どうやって取り消せばいいのか、知恵を貸してくれ』

 

間違っても…

 

『左将軍の地位を、受けてくれ』

 

なんかじゃ、無い筈だ!断じて!!!

 

ディアヴォロスはその男が、自分の言葉を撤回する気が毛頭無く…言った事をそのまま実行する男だと、知り尽くしていたがそれでも感情が収まらず、つい、口を突いて出た。

 

「お言葉を直ちに…撤回なさい!

感情的に成り…一時の気の迷いで口の滑った事で、本心で無い。と!」

 

だがアルフォロイスは子供のような瞳を、向けた。

真っ直ぐで微塵の邪気の無い。

 

「俺に嘘を付け。と?」

 

ディアヴォロスはぐっ。と詰まって目を固く閉じて顔を震わせる。そしてとうとう…遠慮を取っ払った。

 

「嘘だとしても!

必要な言葉だ!他の…あんたより年上の、軍の重要な役職に就くお歴々には!

 

あんたは年上のプライドばかり高いあの連中を、この先束ねてかなきゃならない!

軍中の男が惚れてるあんただからこそ!

暴言も甘く見られてる!

 

折角…そんな我が儘が許される程、近衛全ての男に惚れられてるんだ!

無理を通し私を器用し、連中を敵に回す必要がどこにある?!」

 

だがアルフォロイスは一点の曇りの無い瞳で、年下の激昂する、まだ若いが老獪を解する知的な男を見つめる。

 

「ディアス。人生はたったの、一回なんだぞ?」

 

ディアヴォロスは彼が本気でそれを口にしているのを、知っていた。そしてその、無垢。とも言える瞳が注がれ続け、結局自分が敗北する様も、思い描けた。

 

アルフォロイスはだがまだ折れぬ瞳で真っ直ぐ見つめる年下の男にささやく。

「俺は自分の言った言葉を、後悔なんかしない。

お前が俺の“左”に座るんじゃなけりゃ、右将軍なんてただの羽根飾りだ。

何の意味も無い」

 

実質の意味をこの男は…知り尽くしていた。

真実を。

 

だから…この男が右将軍に座ってなきゃ、軍中の男達は皆絶対、納得出来やしない。

それは…統率の乱れを意味する。

 

実際戦闘に置いてはそれが何より重要で…軍中の男達を奮い立たせる器だからこそ、この男を始め、この男の血統は近衛に必要不可欠だと代々右将軍の地位を授けられて来、そして…そんな男が右将軍の地位に居なければ、最強と詠われるアースルーリンドの近衛軍は、存在しない。とさえ言われ実際…その通りなのも…………。

 

その男が!

選りに選ってたった去年入隊したばかりの、新兵とも呼べる男を“左”将軍に地位に座らせる為、意見が通らなければ辞める。等と………。

 

ディアヴォロスはだがまだ、抗った。

つい、凄みある低い声で、今度は脅しにかかったのだ。

 

「…自分がどれ程の我が儘を言ってるのか!

あんた本当に、解ってないのか!

 

あんたが連中に突きつけた言葉は!

脅しで強迫だ!

 

近衛の兵達はあんたしか、右将軍で居る事を認めない!

あんたを右将軍に据えとく為には、連中はどんな事も聞かざるを得ない!

 

絶対断れない意見を!あんたは連中に突きつけてるんだぞ!」

 

「俺にそんな計算が出来るか!」

 

アルフォロイスがふてたようにそう怒鳴っても、ディアヴォロスはまだ、アルフォロイスを睨んだ。

 

「ムストレスは黙って無い。彼は実力者だ。

軍中にツテがあり…あんたが計算度外視で戦闘で暴れてる最中も、自分が“左”将軍に成る根回しを、軍の重要人物を抱き込んで着々と進めて来た!

 

唯一抱き込めなかったのはあんただ!

だからと言って…そのあんたがそんな無茶を言っていい。と言う事には、ならないんだぞ!」

 

アルフォロイスはこれにとうとう、キレた。

「なら俺がムストレスに言ってやる!

近衛は勝たねばならない!

もし負ければ国を、無くすからだ!

戦闘以外でどれ程幅を利かそうが、無意味だとな!

 

勝つ為の““左””にどうしてもお前が必要だし!

俺だけで無く皆が納得する!

お前なら。と!

その、お前の若さを除いて!」

 

二人はまるで、喧嘩をしてるように睨み合った。

暫く………実際の拳を振る事無く、自らの主張を拳のように相手に無言で放ちながら、二人は互いを。

 

ディアヴォロスがその瞳に冷静さを消して感情を表した時、アルフォロイスは途端、太陽のように笑った。

 

「ほら!

やっぱり、俺の事が好きだろう?」

 

ディアヴォロスは素っ気なく顔を背け、つぶやく。

「お偉方にその理屈が、通用すればね…」

 

アルフォロイスは肩をすくめる。

「命はあそこ(戦場)では、一瞬のやり取りで決まる。

嫌いな奴が“左”で…その一瞬に意志が通じるか?

 

意志が通じず打つ手が遅れれば…結局無くさなくて済む命を無くす。

俺はそれだけは、絶対に嫌だ。

 

お前はその事を知ってる。

命がどれ程…大切かを。そしてどれ程脆いのかも。

 

だがムストレスは、『構わない』と言うだろう…。

『それを無くしたからと言って、どうだと言うのです?』と…。

 

俺は…連中に責任がある。

俺を慕って危険の中に一緒に飛び込んで来てくれる、どの顔にも。

 

そんな立場に居るのに、ムストレスのように簡単に斬り捨てる事なんか、出来るか?

 

一兵卒の、命も惜しみたい。

それが出来なきゃ俺は無能な右将軍でしかない。

 

お前が“左”でなきゃ俺は無能に成り下がり…地位を降りるのは当然の事だ」

 

ディアヴォロスは俯き、彼の言葉を聞いていた。

 

ただの我が儘で無く、決意だ。

 

アルフォロイスはそれだからこそ…近衛中の兵が彼を慕い…信頼し…そして彼に付いて行く。

 

『光竜』ワーキュラス

 

 日が暮れてもずっと椅子に掛けたまま、彫像のように動かず考え続けるディアヴォロスに、『光の国』の『光竜』ワーキュラスが彼の中から、心配するようにささやきかける。

 

“どうするつもりだ…?”

 

ディアヴォロスは一つ、吐息を吐き顔を、上げる。

「ムストレスと、戦う事に成るだろう…。

彼の執念を“凄まじい”と、君は言った…。

それに…………」

 

“この先奴と、お前は戦う事に成り…出来れば…出来うるのならそんな事態を全力で避けろ。

私は君に、そう言った”

 

「…………………」

ディアスは無言で、頷いた。

 

“アルフォロイスが、そんなに好きか?

自分の保身も捨てる程”

 

「解ってる筈だ。ワーキュラス。

彼が近衛に居て…自分も居る以上、彼の後に付いて行きたい。と切望しない男が、居るとは思えない」

 

“君も含めて?”

 

ディアスは無言で頷いた。

「左将軍に就任すれば部下の任命が待っている。

だが…私の下に就きたいという男は、おそらくムストレスを恐れ、誰も名乗り出ないに違いない。

 

ムストレスが、笑うだろうな。

左将軍と言う輝かしい飾りを纏った…ただのでく人形だと」

 

ワーキュラスは就任後、彼が自分の配下を作り上げる作業に心を痛める様子に気を配り、優しく言った。

 

“笑わせて置けばいい………”

 

「…忠告を、聞こう…………」

 

自分の前でだけ、ディアスは子供のように素直だ。

『光の国』の偉大なる『光竜』は、自分の前に佇む…彼らにとっての“蟻”のように小さい…そしてそれだからこそ愛おしい、小さなディアスに言葉をささやきかけた。

 

“アルフォロイスが正解だ。

君も自分の右腕に、君が“好き”だと、思える人物を選べ。

 

それが彼に取って…アルフォロイスに乞われた自分同様、大変な苦労を相手に背負わせる事と成っても………。

 

君もアルフォロイス同様、左将軍を受けて後悔はしないだろう?”

 

何でもお見通しのワーキュラスに、ディアスは一つ、吐息を吐く。

「君からも…アルフォロイスはやはり、大きく見えるのか?」

 

“アースルーリンドの民は昔から…王族に金髪の一族を、選んできた…。

どれ程の侵略にも耐え、国が滅びずここ迄来たのは…その血統をアルフォロイスも、受け継いでいるからだ…。

 

彼らはその血に、負ける事無く民と国を守り通す強烈な使命。を、受け継いで来ている。

 

そして君…黒髪の一族は、昔からそんな金髪の一族に焦がれ…彼らを手助けしようとする、熱烈な希望を受け継いでいる…。

 

昔…私を『光の国』から呼び出した君の祖先は、そんな金髪の一族が命賭けても国を護り抜こうとする意志に引きずられ、だがあまりの敵の巨大さにその愛すべき金髪の一族の命が失われる絶望に胸引き裂かれ、私達に強烈に語りかけた。

 

次元を越えて尚、その痛切な想いに胸、打たれる程響き渡る凄まじい、哀れな声音で。

 

だから………私は君の祖先の、想いに応えて彼の身に自分を降ろし、『光の国』との回路を作った。

それは…彼…君の祖先に取っては、大変な苦労だったが、金髪の一族への愛故に耐えきった……。

 

以来私は、この回路を切らずにずっと…保ってる。

 

金髪の一族は、理屈等無い熱烈な国を護ろうとするその気持ちで、人を後ろに従えそして…君…黒髪の一族は、冷静だが断固とした強い意志と激しい激情で、人の畏怖と尊敬を集めて来た………。

 

私は知っている。計算の出来る君の祖先がどれ程…保身に走ろうと試みても結局…金髪の一族に魅了され…本来の自分を捨てて迄も金髪の一族に仕え、その命を捧げようとして来たのかを。

 

私がここに居る事は黒髪の一族が金髪の一族に対する忠誠の証だ………。

例え、その忠誠が君の代で途切れたとしても…。

 

多分私は回路を切らず…いつか…再び君のような男が一族に現れるのを待ち、その男に語りかけるだろう………”

 

ワーキュラスの、胸の痛みが解った。

ディアスは思った。

私が彼のその語りかけに応えた時、彼は秘かに予感でその言葉を、震わせていた。

 

もう…かなり長い事ワーキュラスの声に応え、彼をその身に降ろす者は、血統の中に居なかった………。

例え言葉を交わせたとしても…その身が彼を降ろす程に丈夫で無く…鍛錬にも耐えきれないと解った時、ワーキュラスはその語りかける言葉を止(と)めた。

 

耐えきれる体力と体格の男が居ても…その精神が小さく…ワーキュラスが降りれば気が狂う。そう知って引き下がり…そんな風に、幾代の男達を見送り、待ち続けていたろう………。

 

ワーキュラスは途方も無く大きい。と感じる。だが彼が時に…まるで大切な友人のように寄り添い、自分の温もりを感じ途端、安堵したように嬉しげに…そして、幸福そうにその身に纏う金の光を、震えるように輝かせる。

 

子供のディアスはそんなワーキュラスの見えない光の波動があんまり…美しく、柔らかく、優しくて神々しく……そして、切なかったから、ワーキュラスの側を離れまい。と誓った。

 

ワーキュラスがどれだけ…もう、止めていい。

…と、厳しい鍛錬を止めても、ディアスは歯を喰い縛った。

 

自分がワーキュラスを失うのが悲しかったしそれに…この大きな竜の姿をした“神”が、幾世紀も待ち続けた、人間の“友達”を失う落胆を、感じたく無かったからだ………。

 

“神”は偉大で、誰よりも卓越して大きい。

と、多くの人は思っている。

けど、ディアスだけは、知って居た。

“神”も、“泣く”のだと……………。

 

ワーキュラスが泣いた。と感じた時、雨が降った。

“神”のその大きな“気"は、大気をも促す…。

 

優しい、雨だった。しっとりと…肩を髪を濡らす…柔らかな。

だが、やり切れないような吐息が大気を見たし、空を覆い…とても…切ない……………。

 

ワーキュラスはそう思い出すディアスに気づき、優しくつぶやく。

“君は心の内を滅多に人には見せないが、とても、優しい”

 

ディアスは途端、笑った。

「一族の男には、珍しいか?」

 

“オーデアナの血が混じってから黒髪の一族には、残忍な男が増えた”

オーデアナ………。

 

一族で伝説と成っている姫君だ。

金の、髪をしていた。

だが一説には黒髪の一族の男を手に入れる為、赤毛を金に染めた。とある………。

 

王族の一族の男の妻と成りそして………。

あまりに残忍に多くの人を殺しついにその、夫の手にかかりこの世を去り………。

 

だが、呪って死んだ。

一族をきっと、滅ぼしてやる。と。

 

ディアスはまた、吐息を吐いた。

ワーキュラスは気づき、ささやく。

 

“弟のレッツァディンはまだいい。

彼は、ただ自意識が強いに過ぎない。

だが、ムストレスは狡知に長け、とても残忍な男だ”

 

ディアヴォロスは黒髪の一族が良く集う館の裏の林で、ムストレスがその、真っ直ぐな黒髪を揺らし細い子供用の剣を持ち、その剣先から真新しい血糊が滴り、その地に…生き物が、その姿も止めぬ程滅多斬りにされて伏すのを、見た。

 

ムストレスは無表情で、咎めるように見つめる自分に呆けたようにつぶやく。

「剣の、試し切りをした迄だ」

咎めを受ける筋合いは無い。とばかりの口ぶりで。

すっ。と横を通る彼からは…血の臭いが漂い、ディアスは吐き気を我慢した。

 

そっ…と、殺された生き物に寄る。

膝を付いて覗うと、その生き物の魂が白く透けて浮かび、それが犬だと、解る。

 

ディアスが無言で、無残ないわれ無き痛みに晒された犬に心痛ませる様子に、ワーキュラスはそっと彼から抜け出すと、死をももたらす程の痛みを全身に受け、怒りと復讐に憤り狂う、犬の魂をなだめた。

 

その犬からたった今受けた、残忍な痛みを取りのけ、癒す。

痛みが、消えて行く毎に犬の様子は落ち着き、そして最後ワーキュラスに、すっかり生前に戻った姿で尾を振り、指し示された天空の光差す天の国へ顔を向け、感謝の一吠えと共に駆け上ぼった。

 

「あの犬は………」

小さなディアスがつぶやくと、ワーキュラスは優しく言った。

 

“もう、痛みも恨みも無い”

 

幼いディアスに感嘆の混じる尊敬を受け、ワーキュラスは嬉しそうにつぶやいた。

 

“君の心も救われた。

とても…良かった”

 

ディアスはワーキュラスが…自分の悲しみを取りのけようと、その犬を救ったのだと知り…嬉しかった。

 

そして…だが眉を潜めた。

六つ年上のそのいとこの周囲に、無残に殺された無数の生き物の怨念と血生臭い臭いが常に漂い従い行くのが見えて。

 

ワーキュラスの感覚を良く…共有していた。

ワーキュラスがディアスの心を感じ、その対象に目を向ける。

時にワーキュラスが見ているものが見える。

もしくは…感じる。

いつも。では無かったが。

強烈な物は時には、映像で。

 

そしてその時、ディアスは受けたのだ。ワーキュラスから、忠告を。

ワーキュラスはそして、こうも言った。

 

“保身に長けたムストレスは、普通では滅多に君と剣を交える事はしないだろう………。

 

彼を倒す機会があったとすればそれは…ムストレスに十分な、勝算のある時だ。

だから………”

 

だから………。

 

ムストレスを、倒す事は容易では無い………。

 

そんな男を、敵に回すな。と、ワーキュラスは言いたかったのだ。

だがディアスは肩をすくめた。

大嫌いな男だった。

彼を怒らせるのは、望む所だった。

 

が、舞台が近衛では場が悪すぎる。

 

多分、多くの無関係な男達を、巻き込む事だろう………。

 

ディアスは一つ、吐息を吐くとそれでも…自分の配下に出来る隊長候補の、名を思い浮かべた。

 

 

 就任式で、熱狂的な歓声を上げたのは、新兵だけだった。

 

教練の下級生に当たるこの新入り達は、教練でのディアヴォロスのカリスマ性を知り尽くしていて、誰もが熱狂的な彼のファンだった。

 

だが年上の男達は皆、年若い左将軍に眉を顰めては、ムストレスの顔色を窺った。

相変わらず、整い冷たいその顔に表情は無かったが、彼が怒っているのは明白だった。

 

気まずい雰囲気はだが、アルフォロイスがディアスの手を取り、自分の“左”を空けて彼を迎え、左将軍の印『銀の竜』の紋章をその胸に付け、肩を抱き皆に向き、そして微笑んだ時消え去った。

 

「歴代左将軍の中にして、最も素晴らしい私の“左”に皆、敬意を払ってくれ!」

 

アルフォロイスの一声で、近衛の男達は熱狂的な歓声を上げてディアスの就任を祝った。

 

ムストレスや重職の男達は、アルフォロイスの人気を思い知った…………………。

 

若い世代が台頭し………年配の男達は、自分達の時代が過ぎ去った事を知り……そしてムストレスは、自分がその時代の遺物だと感じたが、それを認めようとはしなかった…………。

 

 

とうとう…ディアヴォロスは『誓いの言葉』を口にした。

彼にに取っては、やっぱり『敗北』の言葉だったが。

 

「あんたの“左”腕に成れるのは光栄だし…どれだけの精力を傾けても全力であんたを支える気が、俺にはある」

 

アルフォロイスはやっぱり、にっこり。と屈託無く微笑んだ。

若い、ディアヴォロスが、それを見てフテたように顔を背けても。

 

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乞うべき相手

 

 

 オーガスタスは、ディアヴォロスの視線がもう三度、自分に注がれ、振り向く度に外されるのを見た。

 

噂では、ディアヴォロスの側近に成る栄誉を、申し入れられたどの男も断った。と。

ムストレスが怖くて矢表と成る側近の地位に、誰も就きたがらないのだと。

 

まさか…。

一度目は、そう思った。

だが二度。

そして、三度目は、直感した。

 

ディアヴォロスに呼び出され、左将軍室に呼ばれた時、とうとう確信した。

机の前で、室内に入って来るオーガスタスに向かい、ディアヴォロスは言った。

「君に私の仕事を、手伝って欲しい。と思ってる」

オーガスタスは、頷いた。

 

 その燃えるような赤毛。自分よりも高い背。大柄な体格に見合った、威風さえ漂わせる一つ年下の男。

 

ディアヴォロスはじっ。とオーガスタスを見つめ、それでも躊躇った。

ワーキュラスが心の中で優しくつぶやく。

“君の気持ちをそのまま言え”

だが………。

 

 

 

「役職は後に考える。

まず…君にその気が、あるかどうかを知りたかった」

 

「あんたに仕えるのは光栄だ。

ご存知のように俺は、誰かに従うのは大嫌いな下賎の産まれの男だ。

だがそれでもそのままの俺でいい。とあんたが望んでくれるなら………」

 

オーガスタスは、大らかに笑った。

アルフォロイス同様、その微笑みで相手の心を掴む術を、この体格同様器の大きな男は、持っていた。

 

「俺はあんたの、役にたとう」

 

 ディアスは初めて…この男を見た時の事をふ…。と思い出す。

 

一年の入学式で、その誰よりも高い背と体格。そして風格で目立っていた。

新入生離れしていて、どの男達も彼を意識した。

 

いずれ近衛に進むのに、その男程体格に恵まれた男は居ない。

皆がそう、思った事だろう。

 

そしてオーガスタスは、喧嘩も剣の腕も…争い事の対処法も…彼を“大物”と意識する男達の思惑を裏切らなかった。

 

一度…食事のテーブルで、空いた彼の横に付こうと身を屈めた時、オーガスタスはすっ。と席を立つ。

 

横に並び爽やかに笑って、彼は言った。

「下品な男は退散するから、ゆっくり食べてくれ」

ディアヴォロスはそう気遣う彼にささやく。

「私は構わない」

 

だがオーガスタスはやっぱり笑った。

「俺は、構う。

あんたみたいに上品な作法を知らないし…第一、そんな雲の上の高貴な男の横じゃ、食事の味が解らない」

 

周囲の男達はどっ!と笑った。

「君と同様、人間だ。

“雲の上”は取り消してくれ」

 

だが…オーガスタスは首を横に振った。

「俺も色々人間を見て来た。

 

どれだけ高貴に見せようが、たかが人間じゃないか。と、雲の上に居たがる男達を俺は全部、引きずり下ろして来た。

 

だがあんたは無理だ。

 

正真正銘、雲の上の高貴な男だ」

 

周囲の皆は、それは知っていたが、オーガスタス迄が真正面から認めるとは。

そう…ディアヴォロスへの尊敬の、念を増した…。

 

つまり、オーガスタスの発言には人の感情を、動かす程の影響力が、あった……………。

 

 

 ディアヴォロスが俯くのを見て、オーガスタスはまた鮮やかに笑う。

「意外に、歯切れが悪いな?」

 

やはりアルフォロイス同様理屈よりも感情に、真っ直ぐ斬り込んで来る。

『話はそれだけだ』そう…紛らわそうと思った。

が…心の中で、ワーキュラスは異論を唱える。

 

“この男は誤魔化しで済ませられる男じゃない”

 

ディアスも同感だった。心の中で一つ、ワーキュラスに頷くと口を開く。

 

「…言いにくい事だからな。

役職についてだが…実はもうとっくに、君に就いて欲しい地位は決まってる。だが…………。

 

断ってくれていい。君にそれが負担なら、遠慮無く」

 

オーガスタスはだが、二人を隔てる机の上に両手を付き、椅子に座る真正面のディアスを、その鳶色の親しげな瞳で覗き込んで言った。

 

「…そのまま、俺に言えばいい。

どこに、就いて欲しいのかを」

 

ディアスはそれでも…躊躇った。

いつもその長身の背を真っ直ぐ伸ばし、自分に一点も偽りは無い。と、堂と胸を張るこの男の事が…時々、大切な大切な存在で何があっても彼を失う事は避けたい。

 

そう…思わせる気持ちがどこからともなく自分の中から沸き上がって来て…それがとても、不思議だった。

 

ワーキュラスがその時、理解を助けてくれた。

 

“それだけ大勢に頼られ、必要とされている男だから、無理も無い”

 

そう……………。

 

この男の、周囲へ及ぼす影響力は大きい。

そう考えると、アルフォロイスのような我が儘を言う気には、到底成れなかった。

 

 まだ躊躇うディアスに、オーガスタスは机に乗り出した姿勢のままじっ。とディアヴォロスの、端正で高貴な面を見つめ、優しい表情(かお)をすると、つぶやく。

 

「…思ったよりずっと…あんた、優しい男だったんだな?」

 

その表情は『雲の上の高貴な男』をもう、見ては居ず、自分の大切な友達か…家族を見るような瞳だった。

 

ディアヴォロスは胸が、詰まった。

そんな…優しげな瞳をする男をこれから…あの、残忍なにいとこと(ムストレス)との抗争に、巻き込みたくは無かった。

が、オーガスタスはやっぱり、笑った。

 

「俺に言え。どうして欲しいか、そのままを。

俺は絶対、断ったりしないから」

 

だから…言えない。

余計に、言えないだろう?

 

オーガスタスは机の上に付いた手を、すっ。と上げると腿の横で拳に握り、一気に言った。

「俺はあんたの側近の地位が欲しい」

 

ディアヴォロスは吐息混じりにとうとう認めた。

「君に望む私の要望も、同じだ」

 

オーガスタスはやっぱり、朗らかに笑った。

「じゃ、両思いだな?」

 

ディアスはしぶしぶ、認めた。

「とても、危険だ」

 

オーガスタスは、太陽のような笑顔で頷いた。

ディアヴォロスはそれを見はしたが、言葉を続ける。

「…それに…大変だ。

伝令に出向く相手は軍の、大物ばかりだし…それに、年上の兵達の伝達や統率もある」

 

オーガスタスは頷く。

「そっちも覚悟が要るぜ。

俺はそれなりには礼節も覚えたが、十分じゃないからな。

 

最年少左将軍の側近は礼儀知らず。と世間に叩かれるぜ?

年上の兵の方は、何とか成る。

 

言葉じゃ年上と一応立てといて、異論があるなら拳で話を付けるか?と脅せば」

 

ディアスは、やっぱり屈託の無い笑顔でそう言う、一つ年下の赤毛の、ライオンのように何にも縛られたりしない男の言葉に俯く。

 

「やり方に文句は一切付けない。

“礼儀知らず”と呼ばれようと、構った事じゃない」

 

オーガスタスは途端、肩を竦めた。

「…ちゃんと、俺がマズイ時は叱っといた方がいい。

俺だって若輩なんだからな?」

 

だがディアヴォロスはようやく微笑った。

「忘れているな?

その君の主も若輩だ。

もうとっくの昔、年上のお偉方に

『若輩の癖して年上の男を差し置き、左将軍に成った礼儀知らず』と睨まれてる。

 

今更礼節を欠いて文句が出ようが、それが何だ?」

 

オーガスタスは、少し首を傾けて俯く。

そして唸った。

 

「…マズイな…。

俺が思ってるよりずっと俺は…あんたの事が好きになりそうだ」

 

がディアヴォロスはつぶやく。

「私はとっくに…君の事がとても好きだ。

壁を作っていたのは君の方だ。

 

君は『雲の上の高貴な男』に私を、して置きたいようだったが」

 

オーガスタスは首を竦めた。

「そりゃ…“男が男に惚れる”のは、半端無い事態だし、覚悟が要る。

 

俺は野生のライオンで居る事が気に入ってるし…その俺に首輪付けるんだ。

 

それなりの男で無いとな!」

 

ディアヴォロスはオーガスタスの笑顔に釣られてつい、笑った。

「では私は合格か?」

 

オーガスタスはその時初めて、顔を下げた。

そして、言葉を詰まらせながらつぶやく。

 

「俺には、家族が居ない」

 

ディアヴォロスは胸が、痛んだ。

彼の、奔放な程の強さは彼が、たった一人だからだと知っていたので。

 

「だが変な話、あんたは家族のように、今は感じてる」

 

ディアスは俯くオーガスタスに、ささやくようにつぶやいた。

「ちっとも変じゃないさ。私の方は、とっくだからな」

 

オーガスタスが、驚いたように顔を、上げる。

「ロクに口も、きいた事が無いのに?」

 

ディアヴォロスは吐息混じりに両手を机の、上で組む。

「…言ってやろう。

私は数人に側近の申し出をした。

 

私の内に済む『光の国』の『光竜』の事は知ってるな?

彼は私がわざと…断りを入れる相手を選んで、申し出をしていると言った。

腹の中ではとっくに…君を選び、君しか居ないと確信してると。

 

なぜなら…私は既に君を護ろうとそう…決めているそうだ。

自覚が無くても。

 

自分の側近を君が引き受けてくれたなら、どれ程の敵が君を葬り去ろうとし

ても、断固として戦う決意が、既に私の中で確固として、あるんだと」

 

オーガスタスは苦笑した。

「側近が主を、護るんじゃないのか?」

 

「だがその為に君が命を失うのは、私が許さない」

ディアヴォロスの即答に、オーガスタスは顔を一瞬、泣きそうにくしゃっ。と歪めた。

 

そして顔を背け、俯くとささやく。

「俺にそんな事を真顔で言った男は、あんたが初めてだ。

 

“俺の為に命を投げ出せ”

…そう言った男は大勢居たが」

 

そして、顔を上げて言う。

 

「手綱を、あんたが握ってる。

頼むから…あんまり引き絞らないでくれ。

 

俺はあんたの…多分言う事は全部、飲むだろうから」

 

ディアヴォロスは…小声でささやいた。

「君は人間で…家族同然だ。そんな君だからこそ…側近を頼んでる」

だがオーガスタスは赤毛を振って顔を上げ、笑った。

 

「俺は自分が、野生のライオンだと知っている。

そうなる事を目標に生きてきたし…ライオンの戦い様をいつも思い浮かべ、戦い抜いて来た。

 

俺は戦士としてしか、生きる道を選べなかったから…ずっと…ライオンでいようと決めている。

 

覚えて置いてくれ。

あんたが飼っているのは…人間の成りをした、実は獰猛なライオンだ。

 

だが…そうだな。

そのライオンは確かに獣だが、人間と親友にだって成れるし…あんたの、家族にも成れる」

 

ディアヴォロスはじっ。とオーガスタスを見つめ…その男の歩んできた道のりが全て見えてるかのような…情の籠もった、透ける神秘的な、ブルーともグレーとも取れる瞳で見つめた。

 

南領地ノンアクタルの、奴隷上がり…。

 

オーガスタスの境遇について、そう…聞いた。

 

両親とも亡くし、奴隷商人に幼い頃、売られた。と。

 

そして…ディアヴォロスはその男らしくどこ迄も通る声音に、柔らかい羽毛にくるまれたような響きを含ませ、ささやく。

 

「野生のライオンと家族に成れるのは…この上の無い、光栄だ」

 

その言葉には真実の響きがあり…心を打つ“想い”が込められていた。

 

オーガスタスはその言葉に…今迄決して居場所を見つけられなかった男が初めて安らげる場所を見つけた…そんな、こ込み上げてくる感激を抑えるような、少し歪んだ表情を、浮かべた。

 

懐の広い、雲の上の高貴な男。

両腕を広げたその腕(かいな)の中は、どこよりも広い。

 

 

 

説明
ディアヴォロスが左将軍に就任する時の逸話です。
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