ヤサシサハ雨 第6章 「心中の日」
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心中する場所は、屋上だとアサカは言った。

 

早朝。

昨日のとは見違えるほどの穏やかな雨。

冬がそろそろ始まるかのような寒い日で、吐く息は白く、身震いが止まない。

 

誰とも会わなかった。

朝早いせいか、僕がみんな消してしまったか、定かじゃないけど。

 

手を引っ張るアサカの手は冷たく、力なく前に進む彼女は機械のよう。

 

学校に着いても誰とも会わない。

しかし文化祭は確かに行われるようで、華やかに装飾された正門のアーチをくぐると、校舎からは垂れ幕がぶら下がっている。

一瞬立ち止まるも、アサカは無言で手を引っ張る。

そして誰もいない校舎を突き進み、階段を登り、屋上への扉まで着き、ゆっくりドアノブを回す。

 

ギィィィィィィィン…………。

 

誰もいない屋上。

雨音のない小雨。

北西より風やや強し。

 

まぼろしの雨が降るようになり、屋上でエイジたちを消したあとで猛雨を浴びるようになった。

結局その土砂降りもまぼろしで、張本人は手を引くアサカ。

そのアサカと迎える最後の日は……落ち着いてる。

頭が真っ白になるほどに。

 

少しだけアサカに目をやる。

曇った目がまっすぐと向けられたままで、僕のほうに振り向こうとしない。

風がセミロングのアサカの髪をなびかせ、雨で濡らしていても気にもしていない。

 

空を見上げてみる。

重々しい鉛色の雲からかすかに零れる光。

知らぬ間に僕とアサカは横に並んでいて、手を繋いだまま。

お互い目を合わせようとせず、なんとなく雨が降り注ぐのを見る。

「あの日も、こんな狐の嫁入りだった」

「あの日……」

「覚えてる?」

「ああ……」

ナオコが自殺した日。

あの日は、お天気雨。

 

 

「ボク、今すごくしあわせなの……」

しあわせ……。

ずいぶんひさしく聞いてなかった言葉。

「僕と心中できるから?」

「うん」

「わからない……。死ぬのが、しあわせなんて……」

「……。そうだよね」

アサカは、僕と心中するために理想のクスリを盛り、人が消え続ける世界に陥れた。

「人は消え続ける。そして蘇らない。そのことが続き、その終点がどこまでかはボクには判断できないけど、そのまま日数が進んだら、どうなるか……?」

アサカが質問してきたことを思い出す。

ナオコとの日々を、作文に書いたときは、僕ひとりだけになる。

けど、アサカと出会ってしまった。

アサカはかつて、唯一信じられる仲間。

でも僕を騙していたやつ。

 

アサカと二人きりになった世界で、僕はどうするだろのだろうか……。

 

「アサカを消し、僕ひとりだけになる」

 

その解答は、アサカが憎いからではなくて、アサカが出会ってから変わってない。

結局、自分自身がかわいいんだ。

消えるのが、怖いんだ。

そして、ひとりっきりになった世界で、僕は自殺する。

 

アサカは、僕の呟きを理解したようだった。

「アダムとイヴ。ロミオとジュリエット。ボクとナオちゃんを彼らと一緒に例えるのは不快に思えるかもしれないけど、愛する人と自分のどちらかが消えなければならないとしたら……。きっと、相手を消す。普通の人間なら。それは、ナオちゃんが頭に思い浮かべたことと一緒の理由」

「自分が、かわいいから?」

「そう。自分の命のためなら、相手を犠牲にする。それが人間の本能だと思うの。だけどね……」

「だけど……?」

「ナオコは、ひとりで自殺した」

「……。僕が、心中しなかったからね」

「違うの。まだ、ナオちゃんに話していないことがあるの」

まだ隠すようなことがあったのか……。

すべて真実を話したんじゃなかったのかよ……。

「ごめん。だからナオちゃん、あともう少しだけでいいから怒りを抑えて。……。あのね、ボク……。ナオコが死んだ日、この屋上で一緒にいたの。ナオコが飛び降りるのを、目撃してたの!」

「……」

「ボクが起きたときには既に登校してたから何事かと思って、悪い予感ばかりよぎって、学校中探してもナオコはいなくて、ついにみつけたときは屋上で飛び降りようとするところだったの。ボクはナオコの方へ走った。ダメ、飛び降りちゃダメって。そして振り向き様にこう言うの」

「……」

「迷惑かけて、ごめんなさいって……」

「……」

「ナオコは、……。ボクを消すよりも、自殺を選んだ。ナオちゃんへは、あんなに心中しようとか言ってたのに。どうしてボクに対しては……」

「……」

「世界で二人だけ。ナオコは自殺。ボクは心中。普通じゃ、ないと思う。でもどちらも、相手を思っての行為。相手を、愛しての行為。ナオちゃん、……。愛してる」

「……」

「心中して、あげるよ」

「してあげるって……」

「お願い。ボクを、消さないでね……」

 

その言葉、前にアサカから聞いたことがあったような……。

 

まぼろしの雨として降ってた悲しさの雨じゃなくて、いやされるような雨……。

思えば、今もそんな雨で、心温まるような……。

 

思い出した。

今浴びている雨は、路上ライブのときの雨だ……。

 

ウララが失敗して、彼女を慰めてたとき。

アサカは、ウララを責めた。

アサカは倒れ、ウララが去り、サエねえさんがキーボードを弾きながら叫んでた。

僕らに必要なのは寛大さ……。

みんな罪人だけど、許しを求めた、あのとき……。

 

太陽が昇って、辺りは明るくなる。

なのに雨は降り続けていて、それは、ナオコが自殺したときと同じ、ホントに良く晴れた日の、お天気雨……。

 

サエねえさんの雨の曲が耳に流れる…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

サエねえさんは、実の弟のようにやさしく僕の面倒をみてくれた。

母さんがあまり家にいなくて、いたとしても僕は構ってもらえないものだから、サエねえさんを姉のようであり、母親のような存在と僕はとらえた。

 

とりわけ、サエねえさんの歌が好きだった。

 

かわいくてやさしい気持ちになるやわらかい歌声。

音大出で歌手志望だったねえさん。

十代の女の子が抱く淡いような恋心を歌ったものがほとんどで、幼い僕は歌詞の意味などわかるはずもなかった。

けれども、全身全霊、歌に力を入れ、身震いさせながら歌う様子はサエねえさんの気持ち、みな伝わった。

 

サエねえさんの歌は人々を感動させる。

僕はサエねえさんの歌の虜になったし、ウララもそう。

 

ウララは近所で同じ幼稚園で、僕の家に遊びに来ることもしばしばだったけど、それはサエねえさんに会うのが目的だったと思う。

「うた、まいにちきけるなんて、うらやましい」

そう言っては嫉妬して、僕を非難してはサエねえさんにくっついてばかり。

サエねえさんは笑顔でウララを受け入れる。

ウララにねだられるままにピアノを教えるサエねえさん。

そうした日々が続き、ウララはピアノを習う。

やがてウララは、コンクールで入賞するほどまで上達する。

 

「ホントは、ピアノだけじゃなくてうたをうたいたい。サエおねえちゃんみたいに」

 

そうウララが言ったのは、小学生に入学してまもなくで、サエねえさんの初の路上ライブのあと。

サエねえさん大学生。

初めてのライブとは思えないくらい完璧だったし、緊張せず、終始ほがらかで笑顔でかわいく歌ってた。

 

中学校に入学してすぐ、ウララは合唱部に入る。

合唱部の顧問はサエねえさんで、歌の練習には最適。

かつ、練習のため誰かしらピアノを弾かなければならなかったけど、ウララはそれを引き受けることでピアノの練習をもこなすことができた。

ウララは、サエねえさんを目指してたのは間違いない。

それ故に、ウララは思い悩む。

どんなに練習しても、サエねえさんのような魅力的な歌声に敵わないと自覚したから……。

 

努力だけではどうしようもない。

自分の歌声じゃあ人々は感動させられない。

でも、ピアノはずいぶんうまくなったよ。

いや、あれは楽譜どおり押しているだけだから。

練習すれば不器用なあたしでも入賞するだけならできる。

だから入賞止まりで、一番になれないんだよ。

 

そう言っては、ピアノに向かい、泣きながらピアノの鍵盤を指で叩きつけるように演奏するウララ。

荒々しくて耳障りなメロディ。

なのに……胸に刺さるようなウララの鬱積が伝わったようでどきりとした。

 

アサカにも、ナオコにも出会う前のときのこと。

ウララは、僕よりも先に聴いていた。

そのときウララが演奏してたのはサエねえさんの曲だったけど、ずいぶん違う印象だったので、気づかなかった。

 

完成されてるけど未完成で、どこか抜け落ちているような変な感覚。

サエねえさんのやさしい感じじゃななくて。

「ウララが作った曲なの?」

演奏を終え、はぁはぁ息を切らすウララは応えようとしない。けど――。

 

 

「曲の名前は、なんていうの?」

「……。優しさは、雨」

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サエねえさんのピアノの旋律に、雑音が入る。

ギター音。

雑な音できれいなメロディが崩れていくのに、それが魅力的に思え、それが彼女の魅力なんだと気づく。

ギターの音が激しくなり、偏頭痛が止まらなくなり、アサカの手を離し、しゃがみこんだ。

耳を塞いでも塞いでもギター音が止まず、罪悪感からか、僕は悶えている……!

「ナオちゃん、後ろを見る」

「う……うう…………」

「ギターの音、聞いているんだね?」

「う……うん。うんうんうん…………」

「幻聴じゃないようだね。残念ながら」

苦しみに耐えながら、後ろを見る。

 

顔のない女生徒。

ギターを持ち、雨の中、演奏してる。

 

「ナオちゃん、見えてるの? あの女が」

「う……うん……。顔はぼやけてるけど…………」

「クスリの量が少なかったか」

アサカの舌打ち。

クスリの効果は永久じゃなかったのか!?

 

顔のない女生徒はゆっくり僕たちに近づいてくる。

ものすごい、威圧感。

「これは、呪いよ」

顔のない女生徒が言う。

「麻木さんも、ナオも、ゆるさないから」

 

女生徒は、ひどく落ち着いていた。

ギターの音は力強く、雑なんだけど、抑えながら演奏していて、怒りが、かすかに見え隠れしてるように感じられた。

 

「ムカムカするんだよね、あいつの演奏」

アサカは言った。

「心中への支障はもう起きないと思ったのに、なんであいつが……」

アサカの顔つきが強張る。

アサカはいつもそうだった。

僕以外、特に、目の前の女生徒に対してはいつも、厳しい態度をみせてた。

「麻木さん。卑怯だよ。クスリなんて飲ませて心中だって」

「うるさいなぁ」

「必死に生きて、がんばれば、良いことだってあるのに」

「うるさいなぁ!」

アサカが手に持ってるのは……カッターナイフ!

セーラー服の袖の辺りを切り刻んだやつだ!

ポケットからいつの間に取り出してたなんて!

 

アサカが女生徒に向かって走る。

あれ…………?

 

ガッチャアアアアアアアアアアアアン!!!!!

 

 

……!!

ひどい騒音。

その正体は……、ギターが叩きつけられる音……!!

 

女生徒は、ギターでアサカをぶん殴っていた。

力の限り叩かれたギターはネック部分とボディが切り離され、木の破片が飛び散った。

あのギターは、もらいもの。

女生徒にとって、大切なものに違いないのに……。

 

アサカは、血が流れる右肩を押さえながら倒れていた。

けど闘争心は止まないのか、這いつくばりながら右手でカッターナイフを探している。

カッターナイフを手に取ると、また切りかかりに走る。

でも、そこには女生徒がいない。

 

違和感は、アサカが切りかかったときから。

アサカは、まっすぐ、女生徒の方へ走って行かなかった。

その理由が、わかってしまったけど、それはホントに悲しいことだった。

 

アサカは、女生徒が見えてないんだ。

アサカが、消したから。

 

たぶんだけど、僕にクスリを盛ったときから、アサカも使った。

一緒に紅茶を飲んだそのときだ。

僕が消した人物を、アサカはメモをとっていたけど、自分も僕が消した人物を消しているとしたら……。

 

女生徒が容赦なくアサカに蹴りを入れる。

アサカは何度倒れても、見えない女生徒に向かって空を切るだけ。

なんで、そんなことが起こってる!?

なにが、悪かったんだ!?

 

 

…………。

そっか。

みんな僕が、悪いんだ……………………。

 

 

ナオコが、僕のすぐ後ろに現れる。

そこにいるナオコは、亡霊だと思ってた。

ホントの亡霊で、ナオコは、恨みから、人を消しているんだって、思ってた。

けど、それはまぼろし……。

 

「ナオコ……」

「なぁに?」

「君を救えなくって……ごめん」

「……。救って、あげて」

「……」

「アサカを、私みたいにしては、ダメだよ」

 

ナオコとは、もう会うことはないだろう……。

僕は、思いっきり深く頷き、そしてナオコは消えた。

わらって、た。

 

 

耳元には、ずっと『優しさは雨』が流れていた。

初めて聴いた、胸に刺さるような鬱積に満ちた、ピアノでの、ウララの『優しさは雨』。

僕がクラスメイトを消している事実をも忘れさせた、魂のままに弾かれた、サエねえさんの『優しさは雨』。

路上ライブでの、叫びながら演奏してた、サエねえさんの『優しさは雨』。

そして先ほどのギターでの『優しさは雨』。

どれも、悲しみに満ちた、どれも違った強い感情の曲。

サエねえさんはこの曲を、プロデューサーと失恋し、裏切られ、歌手という夢を打ち砕かれたときに作曲したらしい。

けど――――。

 

「ウララ!!」

 

女生徒の名前を、叫んだ。

顔は、相変わらずぼやけてて見えない。

表情はわからないけど、アサカへの暴力を止め、僕の方を見ている。

たぶんだけど。

 

僕はゆっくりウララに近づき、言った。

「ごめん」

うんと長い深々としたおじぎ。

どれだけひどいことをウララにしてきたかわからない。

どれだけ心配かけたかわからない。

許されないかもしれないけど、けど――。

「優しさは雨を、悲しいだけの曲にしてはいけない」

「……」

「タイトル、サエねえさんがつけたんだよね。きっとサエねえさんは、プロデューサーの彼を許したんだよ。そうじゃなきゃ、あんな優しい旋律が生まれるわけがない」

ウララはどんな表情をしているのかわからない。けど、間違いなく、効いているはず……。

 

そして僕は、アサカに言う。

「僕は、アサカを許す」

アサカは、僕を凝視した。

「ナオコみたいな人間を、出してはいけない……」

 

アサカは、僕に飛びかかり、カッターナイフで切りかかってきた。

寸前で避けるも、バランスを崩し倒れたところを、アサカは馬乗りし、喉元に向かってカッターナイフを伸ばす。

「ボクと、心中しないの」

「アサカ……。死んだらダメだ……」

「なら、ボクがナオちゃんを殺して、ここから飛び降りてやる」

 

アサカが、カッターナイフを突き刺そうとしたときだった。

ウララがカッターナイフをつかみ、僕の喉元寸前で止まった。

ウララの血が僕の顔に降り注ぐ。

熱くて、べっとりしてるような……。

だけど、雨で血が洗い流されていく……。

 

ウララが、アサカを押し出した。

アサカは倒れ、ガコンと後頭部を打つも、すぐに立ち上がる。

アサカは狂ったように頭をかき乱すと、うめきながらフェンスに向かって走り、よじ登った。

ひとりで、飛び降り死する気なんだ……!

 

「ナオちゃんも、裏切るんだ……」

「アサカ……」

「みんな、ボクを裏切る。ナオちゃんだけはわかってくれてたのに! ……。もういいよ」

「や……やめて……」

「復讐だよ」

「!」

「こんなボクでも死んだら、ナオちゃんは苦しんでくれるかな…………」

なにを……言ってる……。

「ボクには、価値がないから。もう心中しか、生きてた意味を見出せないから。まぁいいか。ナオコみたいに、ボクも苦しみのひとつに加わるのなら。……。ありがと、ナオちゃん。……。生きてて、ごめんなさい」

 

アサカが飛び降りようとする、そのときだった……。

 

「待って、アサカちゃん!」

 

その声は……サエねえさん!?

顔は見えないけど、間違いなくサエねえさんだ……!

 

サエねえさんはアサカを取り押さえ、フェンスから離すと、じっとじっと、抱きしめたままだった。

そして、ぐずぐず、泣いていた。

苦しんでいるのに、助けてあげられてなくて、ごめん。

未熟な先生で、ごめん……そんなことをひたすら、言ってた。

 

ゆっくりアサカに近づくと、僕に向かって叫びだした。

「わからないよね! わかるはずないよね! なんで心中しようと言ったか、わかんないよね!」

「アサカ……」

「ナオコはボクの憧れで、ボクの持ってないものみなボクから奪い、勝てることなんてなかった。けど、けど! ナオちゃんは、心中してくれるって言ってくれた……!」

悲しすぎる。

アサカは……。

たったそれだけのために、理想のクスリを使ったんだ…………。

「アサカちゃん」

サエねえさんは、優しく、アサカに言った。

「ナオコさんが死んだとき、アサカちゃんやナオくんがそうだったように、わたしも死にたいくらい悲しかったの。そしてね、二人ともトラウマを抱えてる様子を見ててね……。教師にとって、自分の受け持つクラスメイトって、どんないじめっこでも、どんなに手のかかる子でも……すっごいかわいいし、みんな楽しく学校生活を送ってほしいのよ。わたしが、どんな気持ちで見てたか、わかるかな? アサカちゃんが死んだら、わたし……もう耐えられないのよ」

ウソじゃない。

サエねえさんは、ナオコについても、まぼろしの雨を見るようになった僕に対しても、悲しみ、ずっと気にかけていたんだ。

「アサカちゃん。あなたは、わたしの希望です。だから、死ぬなんて、悲しいことはしないで…………」

アサカは、小さく頷いた。

そして、優しい雨を受けながら、大空に向かって、さけんだ……。

 

説明
中学生暗黒小説
ナオとアサカは、ナオコが自殺した、学校の屋上へ向かう
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 中学生 心中 優しい雨 

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