白雪姫。
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高校に入って初めての夏。

蝉が鳴き始める前のジメジメした季節。

朝馬鹿みたいに早くに、目覚ましもかけていないのに目を覚ました僕はまだ朝練のある部活動の部員すら来ていないような時間に二度寝なんてぜずに潔く登校した。

 

下駄箱にさっさと靴をぶち込んで、上靴に履き変え玄関の目と鼻の先にある図書室へ入る。

鍵は閉まっていなくて、しかし電気は点いていない。

まだ薄暗い部屋で、本に囲まれているこの空間がたまらなく好きだ。

 

「よし、誰も来てな……」

 

「おはよう、青年。またこんな早くから読書?」

 

誰も、来てない筈は無いか。

鍵も開いていたんだから。

 

と、今気付いたものの、さっきまで僕一人だと思っていたこの空間で、雨の音と僕の音以外に鳴った音は、この図書室の入口付近からは見え難い奥の棚の間に居た白衣の女性のものだった。

 

眠そうな目を細めてこちらに微笑み、彼女は言った。

 

「おはようございます、先生こそ早いですよね、保健医ってそんな早く出勤?登校?しなきゃいけないもんでしたっけ?」

 

僕はいつもの、図書室の入口を背に向け、窓に向かった席へ荷物を置き、座る。

先生も竹取物語とか、源氏物語だとか置いてある棚に視線を戻した。

 

「いいえー?別に。でも朝一の図書室の雰囲気に呑まれながら、キミと……というか生徒とこうやって話すのも悪くはないじゃない?」

 

先生は視線を依然棚の本の題名に走らせたまま、そう言って口角を上げる。

保健医である彼女は、普段なかなか関わりのない存在で、その上いつもけだるそうで眠そうで、掴み所が無いことから、僕らの学年、というか僕のクラスで時々「裏がありそうな人」とか「不思議な人」とかで話題に挙がる人物だったりする。

実態は……僕もよく分かっていないが、本好きであることにまず間違いは無いはずだ。

 

「ああ、源氏物語借りられちゃってるじゃん、しょっくー」

 

「源氏物語、読みたかったんですか?」

 

「ええ、学生の時に読んだなあ、なんて今朝突然思い出してね、また読みたくなったの」

 

先生は少し気落ちした顔でこちらに来て、僕の前を通り過ぎ雑誌観覧のコーナーで止まった。

 

「もういいわよこれで」

 

半ばやけくその様な言い草で手に取ったのは、最近の普通の雑誌だった。

 

「はは、結局なんでもよかったんですか」

 

「妥協よ、最大の妥協。本当はね、竹取物語の他にも檸檬とか、地獄変とか、ハムレットとか読みたかったんだけど生憎全部無かったの。ほんと運悪い。あ、そうだ。私の悪運ちょっと貰ってくれない?」

 

雑誌は貸し出し禁止なので、適当にとったそれを立ったまま開き、顔だけこちらに向け微笑んだ。

 

「いいですよ、少しならですけど」

 

「あら、いい子ね。どうしたの、何か良いことでも?」

 

おどろいた様に目を少しだけ見開くと、持っていた雑誌を閉じ、僕の正面の席に置いてその席に先生も座った。

 

「いや、ちょっと」

 

先生は、良い玩具でも見つけた子供のような目になって(眠そうなのは変わらないけど)上半身を乗り出して机に預け、好奇心に任せて笑った。ほんのついさっきまでふて腐れていたのに、都合の良い人だ。

 

「ああ……、あー、いや、あの、いや、えっと。……先生にだから言うんですよ?他の人には言わないでくださいね?」

 

「分かってる」

 

「え、あの、えっと、」

 

「えっと?」

 

「あの、あれです。あの、ディズニーの……」

 

「ああ……なあんだ」

 

なんだか言うのが恥ずかしくてどもっていたのだが、どうやら先生は話の途中で話が見えたらしく、もじもじとする僕の前でつまらなそうに今度は背もたれに体を預けた。

 

「あれでしょ?ディズニーの"白雪姫"の本買ったんだ?前から言ってたものね、欲しいって」

 

「ちょっ!こ、声おっきいです」

 

「はは、誰もきいちゃいないわよ。」

 

先生は普通の大きさで言ったのだけれど、この静かな部屋ではとても大きく聞こえた。

 

「にしても、本当に白雪姫好きなのね。」

 

「……いい年した男子高生が、変……ですよね」

 

微かに微笑をたたえながら、雑誌の一ページ目を興味なさげに頬杖を付きながら捲る先生。

僕は、「にしても、本当に〜」と言われるまでに先生に白雪姫の事を語った。

そもそものグリム兄弟についてとか、白雪姫の初版についてだとか、それはもういろいろと。

だから、先ほどの「なあんだ」は僕の口から吐き出される「白雪姫」という言葉に飽きを感じての歎きなのだろう。

 

そんな僕が今更な事を尋ねれば、先生はちらりと一瞬だけこちらに視線を投げて、「いいえ」と言った。

 

「グリム童話は私も好きよ。白雪姫に関しては、王子様が実は死体愛好家だったところとか、好きだわ。生き返った白雪姫を見て王子様はどう思ったのかしらね?とか、想像が膨らむじゃない?」

 

「そうなんです!それに、白雪姫はたいていのお姫様のセオリーを無視して実は計算高い娘だったとか、七人の小人は犯罪者だったとか、作品が描かれた時代背景も見ながら読むことに意義があるんです白雪姫……は……。……すいません」

 

力を込めて握った両拳を机の上に置いて力説している自分にまたしても気づき、またしても恥ずかしくなった。

しかし先生はもう慣れている様子で雑誌を読み進めていた。

 

「いや、謝らなくても全然構わないんだけどね、ほんとキミは変わってる。面白いね」

 

2、3ページ読んだところで、飽きてしまったのだろう、雑誌の残りのページをパラパラ漫画のように流しながら僕にやっぱり眠そうな笑顔をくれた。

 

自嘲と羞恥と謝罪の念がごちゃまぜになったとびきり妙なエガオを返せば、先生は「じゃあ」と言って立ち上がった。

 

「今日はもう良いんですか?」

 

「うーん……、読みたい本、無かったしねー」

 

「ああ……」

 

ぐうっと背伸びした後、雑誌を元の棚へ返して大きな欠伸をしながら白衣の先生は出入口へと向かう。

その途中、「あっ」と思い出したように立ち止まり、先生は僕の背中に手の平を宛てた。

 

「置き土産だ青年。受け取るが良い。」

 

「え?」

 

「私の不運だよ、君。」

 

「え、あ、ああ」

 

僕の背に手の平を乗せた先生は満足げに笑い、「じゃ、」と欠伸と一緒に言って今度こそこの図書室を出て行った。

 

「スリーピー……」

 

稀に保健室へ行くと、先生は毎回と言ってもいいくらい机の上突伏して寝ている。

だから、僕の中であの先生はディズニーの白雪姫に出てくる小人の一人、「スリーピー」なのだ。

鞄から買ったばかりの、でももう何回も読み返した、可愛らしいディズニーの絵で描かれた白雪姫を取り出し、スリーピーを親指の腹で撫でた。

 

ドク、グランピー、ハッピー、スリーピー、バッシュフル、ドーピー、スニージー。

七人の小人の名前として割と有名なそれらはディズニーが発祥で、本来小人達に名前は無い。

 

今度こそ一人きりの図書室。

図書室独特の匂いが、僕は嫌いじゃない。寧ろ好き。それより大好きだ。

真新しい本の匂いも、今日はする。

白雪姫の割とかたいページを一枚一枚、爛々と目を輝かせてめくる男子校生は端から見ればさぞおかしい事だろうけど、見られちゃいない。

 

その時、開いていない窓から風が吹き抜けた気がして、カーテンはバアって、なった気がして、なんとなく、窓辺に誰か居る気がした。

 

「まだ、眠っているのかね。白雪姫。」

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前言、いや、前々言。とにかく少し前からの言葉を全て撤回しよう。

見られて居るし、確かに窓は開いて、風邪は少しの雨と一緒に吹き込み窓辺には白雪姫を読む男子校生なんかよりもっとずっとおかしな格好の少女が立って居た。

その、竹箒を持った、セーラー服を着た、ふざけた仮面をつけた、おかしな少女はきっと俺に言った。

いや、この部屋の中には今確かに僕と彼女しか居ないわけだから、恐らく絶対彼女は僕に言ったのだ。

「白雪姫」って。

 

「えっと……君は……誰?誰かの妹とか…かな?」

 

いや、妹だったって、何で中学生が平日の高校に居るんだ。なんにしたって説明はつかない。

それに彼女が着ているセーラー服に見覚えが無い。

結構この辺りで住んでいる歴は長いのだけれど……。

 

「私は……、私はキミの王子様。白雪姫に、トドメを刺しに来た、王子様。だから、キミの王子様」

 

「は、あ……?」

 

「私はね、夢の終わりを告げに来たんだよ。もうすぐ夢は消えていくから、キミは帰らなきゃいけない。私が消えちゃう前に、キミは帰らなきゃいけない。私は、キミにトドメを刺しに来た。」

 

僕の事は見事と言いたくなるほどに無視をして、話をずんずん進めていく少女。

 

「や、ちょ、ちょっと待ってよ!え、いや、意味が……わからないんですが……」

 

また口を開きかけた彼女の話を遮るように、笑顔を引き攣らせながらも声を搾り出す。

皮肉にも、僕が開いていたページは彼女が自称する王子様の登場シーン。

引き攣った笑顔は苦笑いに変わった。

 

「ネタばらしは後々しようじゃないか。それより、それよりキミ。」

 

やたら濃い顔をした絵本の中の王子様を見て眉を寄せていると、すこしそわそわした様子で少女が僕に話し掛けてきた。

ついさっきとは、なんだか違う様子で。

 

「きょ、教室?に行かないか?」

 

 

時計はもうすぐ7:45を指そうとしていた。

 

 

 

 

 

 

「あれ?黒板はどれ?」

 

「これだよ、」

 

「これは緑じゃないか、黒板と書くからには黒いんじゃないの?」

 

「そこら辺は僕も知らないけど……」

 

「これは?これは何?」

 

「それは黒板消しクリーナー」

 

ふざけたお面のせいで表情こそ知れないが、多分彼女の目は輝いてる。

それこそ小学生みたいに。

話し方は依然少しクールな印象が抜けないけれど、初めよりは人間らしくて良い。

 

「あー、それよりキミ、もうすぐ皆登校してくるんですが」

 

「キミは私が不審者と思われると考えているみたいだけれど、その心配はないよ。キミと、七人の小人以外は私に違和感を覚えない。そういうことになっている。これは夢だからね」

 

さっきよりも少し、本の少しだけ打ち解けたんだけれど、やはり意味がわからない。

七人の小人?

この少女は白雪姫に結び付けたいのだろうか?

買ったばかりの宝物が入ったかばんをギュッと握った。

でも確かに、さっきすれ違った同級生は、彼女に首を傾げることなく、さも当然のように僕らに挨拶をしてきた。

彼女が言っているのはきっとこういう事だ。

 

「これは、夢なのだよ。白雪姫、キミが見る死の寸前の夢。嘘まみれの走馬灯。キミは私を知らないだろうが、実は私はキミを知ってる」

 

黒板消しクリーナーのスイッチを入れたり切ったりして遊びながら、また理解させようともしていないであろう話を切り出した。

 

「勿論、僕はキミが言う通りキミの事を知らないよ?」

 

「別に構わないよ。そのかわり、」

 

彼女はクリーナーで遊ぶのを止めて、こちらを向いた。

 

「そのかわり、私に此処を教えてほしい。なんでも良い。私が疑問に思った事に答えて欲しい。勿論キミに拒否権はある。なんたって私はキミにトドメを刺しに来たんだから」

 

僕は少し考えて、それから頷いた。

 

「よく解らないけど、まあ良いけど、ほんとよく解らないんだけど、キミも、その……教えてよ?解りやすく。全部。」

 

「私は教えてるつもり」

 

「それで理解出来ないの!だから、キミはいつまで此処に居るのかとか……」

 

「ずっと」

 

「え?」

 

「おはよー」

 

なんというタイミングの悪さ。

時計はもう8時を指そうとしていた。

 

これは、皆登校してくるわけだ。

 

「お前らいっつもはえーなー!」

 

「え、あ、ああ、まあ」

 

「キミも……割と早いと思うけれどね。」

 

「いやー、体育の補習でさー」

 

いやいやちょっと待てよ。

何で普通に話してんの?

 

「あー、そ。じゃいってらー」

 

いつもと同じ調子で、割とテンション高めでトイレへ向かう彼の背に、思い切り眉をしかめながら手を振る。

隣を見れば、少女も彼に向かって手を振っていた。

 

「言ったでしょう、私に違和感を覚えるのは君の中の主要人物だけだって」

 

「主要人物って……」

 

ということは、彼は主要人物では、ないのか……。

なんだか申し訳ない。

 

「あくまで、君の現実での主要人物だから、きっと彼は、現実で擦れ違ったに過ぎない人間なんだよ」

 

「……それでもあいつは今友達だよ」

 

「……?…とりあえず、目が覚めればきっと忘れてる。彼の事も、私の事も。」

 

そう言った彼女の表情はふざけた仮面のせいでわからないけれど、なんだか少し寂しそうな気もした。

 

「それよりキミ、」

 

「はい、なんでしょう」

 

なぜだか、敬語になった。

きっと彼女の憂いを見て、大人びて見えたせいだと思う。

 

「キミにとって大切な人は?」

 

「え?」

 

「キミの中での主要人物」

 

「主要人物……」

 

「要は小人さ」

 

「主要人物は小人だけなの?継母とか、そうだな……鏡とかは?」

 

「鏡はキミだし、継母も実母もキミだよ。キミははじめから毒林檎を孕んだ白雪姫。キミはキミを指名し、キミ自身を陥れたのさ」

 

「……聞いた僕も悪かった」

 

もう良いか。

半ば呆れ、半ば諦め。彼女が言語化した言葉はきっと僕には理解し得ない。

そんなことしてる間に、人が続々と登校し始めて、段々教室が騒がしくなってきていた。

相変わらず誰もこのおかしな少女について大きなリアクションをするでもなく、当たり前に「おはよう」と一言二言挨拶してから席へ着いて行く。

 

「あ、あいつとか」

 

彼女の教室への興味は尽きないらしく、教室の後にある掃除箱とか、ロッカーとか、上靴とか筆箱なんかまで、物珍しそうに眺めて僕に説明を求めてきた。

それはちょうどシャープペンシルを説明している時で、明るい挨拶が聞こえてきたからすぐに分かった。

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「おはよー!あっれー!?何々誰々!?うわー、セーラー服とか懐かしい!あ、うちセーラーじゃなかったけど、ってか、えっ!?なんでなんでー?え、妹さんとか?」

 

「成る程、キミか」

 

「え?何が何がー?」

 

どいうやら予想は当たったらしくて、小人の一人は彼女だったらしい。

あえて名前を挙げるなら、ハッピーだろうか?

 

ニコニコして、机にキーホルダーがいっぱい着いたかばんを置きながら彼女はこのおかしな少女に疑問符を浮かべた。

 

「まあ、後で説明するよ、うん」

 

適当に笑って流せば……いや、僕自身もよく分かってないし、この少女に説明させてもきっとダメだろうから逃げたと言う方が確かなんだけれど、すると『ハッピー』さんは女子の友達に囲まれ、僕達に続けて質問することを阻まれた。

なんというか、助かった。

僕の中で彼女は、幼なじみのご近所さん。

割と仲良くしてる女友達。

 

そして、なんだか今日は時間が過ぎるのがとても早くて、いつの間にか教室には皆が登校し、先生が来て着席。

お面の少女はちゃっかり僕の後の席に座っている。

 

勿論、というか多分、先生は僕の中の主要人物じゃないからこの少女がまぎれてることには気付かない。

ただ、このクラスで『ドク』『バッシュフル』『ドーピー』らしき友達は居た。

『ドク』くんは誰?面白いね、みたいな、それだけで、『バッシュフル』さんはなんだかおどおどしてるだけ。『ドーピー』くん、この子が先生に余計な事を言うんじゃないかとヒヤヒヤしたけど、運よくコイツは前の席だったから朝のHR中ずっと言いたくてか、うずうずしているドーピーの為に、後で拳を構えていたら彼は何もせず彼の隣の席の男子が寝てるのをからかう以外は大人しく行儀良く先生の話を聞いていた。

 

 

 

残るは『グランピー』『スリーピー』『スニージー』の三人だ。

 

「スリーピーの見当はだいたいついてるんだよ」

 

勿論、きっと、絶対。あの人だろうさ。

 

HRが終わる頃に少女に言って、1限目が終わってからその人が居る場所へ向かった。

説明を後回しにさせてもらった4人には少し申し訳ないけど。

 

 

「おやあ?こんなところに中学生?まだ少し早いんじゃなあい?それともキミのクラスメイトのコスプレ?」

 

「とりあえず、10分フルに使って説明します。いや、僕もよくわかんないんで、説明してもらいます。僕も一緒に」

 

それからでいいか、クラスの小人に説明するのは。

 

案の定『スリーピー』は保健医で、保健室の棚を大きなあくびをしながら理していたのを中断してもらい、机に座った。

ほら、3者面談みたいに。

先生の位置にセーラー服の少女が居るのは……いや、それ以外におかしい点はいっぱいあるけど。

 

そこで、僕も初めて理解できた事がいくつかあった。

理解できたと言ったけど、それは正しくは無い。初めてきいたけど、理解はできてないや。

 

まず、この世界は、この一日、今日という日は僕の夢だってこと。

それから、少女はこの夢を覚ましにきたってこと。

じゃあ現実の世界で僕はどうなってんの、って聞いたら、死にかけてるって。

「そんな話聞いてないですよ」

 

「キミが理解しなかっただけ。私は言ったつもり」

 

「はは、面白いねこの子。それはキミが悪いよ青年」

 

「せんせ……っ」

 

「そうか、面白い面白い。そうかあ、この世界は今日だけなんだ。昨日もあった気がするし、明日もある気がするんだけどなー」

 

「えっ、先生信じてるんですか?」

 

「キミは信じないの?信じた方が好きなことできて良いじゃない、面白いし、私は眠る事好きだから、夢の世界で眠いなんてそれこそ夢みたいで楽しいわよ?」

 

「……」

 

大人の余裕とでもいうのだろうか、この人は。

 

「小人に私はお願いしなきゃいけない。この白雪姫に、トドメを刺してもかまわないだろうか?」

 

「トドメを刺したら、どうなるの?」

 

「……」

 

先生の問いに、彼女は口を閉ざした。

この『王子様』は、大切なことは言ってくれないらしい。

大切なことは分かりにくく言語化し、今みたいに言ってくれさえしない時だって。

 

「ほら、もうすぐ2限目始まるわよ」

 

「えっ、あっ!はいっ!」

 

「あの部屋に帰れば分かるよキミも。キミは私を信じるしかなくなるんだ」

 

時計を見ればあと3分程度で2限目が始まるぎりぎりの時間だった。

僕は急いで立ち上がったのに『王子様』さんは悠長に座りながら僕の方を向いていた。

 

「あああっ、よくわかんないけど、キミは行かないの?次世界史だけど」

 

「世界史?私にはそれこそ分からないけれど行く」

 

「じゃあ早く!」

 

あと2分程度。彼女の手を握って立ち上がらせ、そのまま「失礼しました」と叫んでから教室へ全力で疾走した。

先生はやっぱり眠そうな目を細めて手を振っていた。

 

教室へ向かって走ってる時、少女の存在を疑った。

確かに掌に感覚はあるのに、温もりもあるのに……?うん?温もり?

体温、あるんだ。

なんで、当たり前のことなのにこんなに違和感を覚えたんだろう?

 

「矛盾してる」

 

「なにがだい?キミ」

 

「僕は帰るんじゃないの?」

 

「……」

 

必殺、だんまり。

 

「おお、ギリギリだったね」

 

「間に合ったー!」

 

時計を見てみるとなぜかあと2分から進んではいなかった。

でもそんな些細なこと、時計でもズレてるんだろうってスルー。

僕は少し息が上がったけど少女は余裕らしく、涼しいいで立ちで僕の後に立っていた。

廊下側一番後ろの『ハッピー』さんが、ニコニコ笑いながら拍手をする。

 

「ねえねえ!その子のことお昼にでも教えてねっ!それかこの次の行間!」

 

「あ、はいはい。」

 

「この子の事さっき友達に聞いたら笑われちゃったんだからねっ!意味わかんないー!」

 

「ああ、まあ、そうだろうね。うん」

 

この『王子様』の事は僕ら以外は疑えないらしいから。

なんというか、ちょっと笑顔がぎこちなくなった。

 

そうこうしてる間に先生が来て、慌ててロッカーから世界史の準備を取り出し自分の席へ座る。

後の席の『王子様』はなぜだか程よく使った形跡のある教科書とプリント、資料集を机の上にだしている。

用意周到な事で。

 

どうやら、前に座る『ドーピー』の隣の席の"女子"は用意を全て忘れてしまったらしく、申し訳なさそうに机を引っ付けて授業を聞いていた。

 

……女子?

 

確か、さっきの時間誰か男子が座ってたような……?

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首を傾げてみて出てくる筈もなく、座席表を見てみても彼女は『ドーピー』の隣。

僕が、おかしいんだろうか?

 

「せんせー!私も教科書忘れちゃったんですけど……見せてもらってもいいですかね?」

 

「ああ、いいわよいいわよー。でもあんまり喋ってたら戻ってもらうからねー?」

 

「はいっ!!」

 

『ドク』くんの隣の席の男子に嬉しそうに「やった」小さくガッツポーズして机を合わせる女子。

二人はクラスというか、学年でも割と有名なカップルで、なんというか、もう結婚しろよ。みたいな。

 

「あー、リア充爆発希望ー。もげろー」

 

僕の前の、『ドーピー』の前の席の男子がひやかすように言えば、二人は赤くなった。

そんな感じ。

 

「キミ、リア充とは?」

 

「ああいう奴らの事だよ」

 

きっと聞いてくると思ったよ。

『王子様』は僕のシャツをクイックイと引っ張って小さな声で聞いてきた。

 

「ああいう奴らとは?」

 

「幸せそうな人達。リアルが充実してる人達の事」

 

「成る程。いやしかしあの二人は……キミの両親かもしれないぞ」

 

「えっ!?」

 

思わぬ言葉に思わず声をあげてしまい、慌てて口を手で覆うもそれはもう遅く、

 

「あら、ネルソンが戦死したことにそんな驚いたのかしら?」

 

「え……あ、は、い……あの、とても、その、劇的……的な?」

 

「そ?じゃあその劇的な死についてちゃんと聞いててちょうだい」

 

一笑い頂き、僕はあのカップル並に真っ赤になった。

 

「続き、聞く?」

 

「……いや、とてもネルソンについて気になってきたから、後で良いよ……」

 

「……そう。」

 

 

 

 

「あ、チャイム鳴っちゃったー。じゃあ今日はここまでね。引っ付いてる子は元に戻っといてねー」

 

「ありがとう」

 

「あーっ、いえいえ!なんなら次の時間もっづ!!いっってえ!」

 

先生に注意されて、赤っ恥をかいてからいつの間にか僕は眠っていた。

チャイムが鳴る少し前に起きてみれば『ドーピー』がいつものようにふざけていたので僕の隣の女子が持っていた缶ペンケースをこっそり貸してもらい『ドーピー』の頭を殴ってみた。

 

「デレデレしてんな変態」

 

「キミ、変態とはなんだね」

 

「こいつみたいな事だよ」

 

「しっつれいな!俺はただの変態じゃねえの!変態という名の紳士なの!」

 

「あー、はいはい」

 

そういえば、例のカップルはさぞ名残惜しそうに……

ん?……カップル?

確か『ドク』の隣の……

 

「あれ?彼女さんはどこ行ったんだろ?」

 

「えー?あいつ彼女いねーじゃん」

 

「え……?そうだっけ?いや、ん?でも授業始まる時真っ赤に……」

 

「真っ赤になってたのはキミじゃーん」

 

『ハッピー』が、ニコニコというか、ケラケラ笑いながらこちらへ来た。

 

「そうそう!おまえあのあと寝てたし、寝ぼけてんだろー、起きろー!」

 

「うぜー……」

 

『王子様』は何か知ってるのだろうか?

それとも本当に僕の夢……?

「なあ、」と後を向けば、『王子様』は何故か寂しそうに見えて言葉が詰まった。

 

「あっ!!そうそう!私この子の事聞きにきたのっ!!」

 

「あーっ!俺も聞きたかった!なんかすっかりなじんでたけど」

 

僕が言葉に詰まり、固まって居る間に『ハッピー』が『王子様』の後にまわって肩に手を置き、キャッキャと騒ぎながら言った。それで僕は我に返って、少女から少し視線を反らして『ハッピー』に苦し紛れというか、なんというかとりあえずごまかすように笑いかけた。

 

「あ、ああ……。ほら、キミが自己紹介して。僕には荷が重い」

 

『この子は僕にトドメを刺しに来た王子様』だなんて、言えるわけない。

 

「私は王子様。しがない王子様。ただ白雪姫の夢の終わりを教えにきた。だけ。白雪姫にトドメを刺しにきた。だから、」

 

 

淡々と紡がれる彼女の言葉に案の定唖然とする二人の小人。

二人が唖然としているのが分からないとでも言うように首を傾げる『王子様』。

 

「王子……様?えっと、じゃあこいつ殺しにきちゃったの?」

 

そう『ハッピー』に聞かれると、さっきの先生の時と同じように口を閉じた。

出た。必殺だんまり。

 

「ああー、えっと、俺もよくわかんないんだけどさ、なんというか、この子が言うにはこれおは僕の夢なんだってさ。嘘塗れの走馬灯」

 

「走馬灯って、ははっ、もう死にかけじゃん。ふうん、成る程。じゃあさ、とりあえず保健室行かない?ああ、トイレでもいいよ。ただ、その、聞きたいだけだから。」

 

いつの間にか話を聞いていたらしい『ドク』。

『スリーピー』のリアクションとどこか似ている。

ヘラヘラと余裕が感じられる笑みを浮かべながら、保健室へのお誘い。

未だに思考回路がぐちゃぐちゃになっているらしい二人の小人に質問攻めに合う前に逃げてしまいたい僕からすれば彼は神様にも見えた。

二人同時の質問攻めより、落ち着いた『ドク』の質問に答えた方が楽な気がするからぼくは彼の誘いに乗った。

『王子様』の意思は無視しているけれど、きっと彼女は文句言わないだろう。

 

「じゃ、保健室行ってきますわ」

 

「えっ、ちょ!」

 

後で何度か名前を呼ばれた気がするけれど、気にしちゃ負けだ。

僕はまた動こうとしない『王子様』の手をとって、『ドク』の後をついて保健室へ向かった。

 

「王子さん、これはさあ、夢なんだよね。」

 

「そう、夢。白雪姫の夢の中。もうすぐ覚める夢の中」

 

へらへら笑いながら、確認するように『王子様』に訊ねる。

それは信じた上でなのか、信じてないからなのかは分からないけど。

職員室の前を通って保健室の前へ行く途中、前を歩く『ドク』が前を向いたまま『王子様』と話している所をみて、やっぱり保健室の『スリーピー』を思い出した。

 

「あっそー。なら、良いんだけどさ。……へー、白雪姫はお前かー、ははっ、色も白いしピッタリじゃん。ふーん、姫か、ぷぷっ、姫とか」

 

「何が良いんだよ。ってか笑うな!僕も不本意だよ」

 

これだから頭の良い奴は……。

なんて。

『ドク』とはそんな長い付き合いではないけれど、なんだか気が合うというか、いや、気は合わないかもしれないけどなにかしら合ってるようでそれなりに仲良くしてる。

まあ、僕の記憶によればの話し。

 

「……キミは気づいたのか」

 

「できれば知りたくなかった。いや、うん、知らないよ。そういうことにしておこう。」

 

なんだろう、自分がひどく子供に思える。

 

「劣等感……」

 

小さく呟いてみた。多分、二人には聞こえて無かったと思う。

『ドク』の言葉を借りて、『そういうことにしておこう』

 

 

保健室に入れば、先生はさっき話していた机に突伏して寝ていた。

 

「仕事しろよー」

 

『ドク』はそう言いながらも先生は起こさずに、入って直ぐにある茶色のなんだか椅子にしてもベッドにしても位置が高すぎる台に座った。

 

「え、で、何でここに?」

 

「いや、暇つぶし」

 

「えー……」

 

「なーんちゃって」

 

「いや、そんなに笑えない。ボケてないじゃん」

 

「あー、まあね。うん、まあ、いやー、俺はちょっとそっちの『王子ちゃん』に聞きたい事があってさ。もう確認できたから良いんだけど。ノリでここまで来ちゃったってゆーか」

 

ヘラヘラと笑いながら右膝の上に左足を乗せ、少女を指差した。

 

「あー、そうそう。俺が思うにさー、『王子ちゃん』は死神だよ。うん、いろんな意味で。此れが夢だったとしても、俺にとっちゃ。」

 

「……」

 

笑って言うけど、『ドク』のその言葉からはなんだか敵意みたいなのが感じられて、彼女の事を決して良くは思ってないんだろうな、と思った。

 

「死神じゃない。神様じゃない。ただの『王子様』。それに、決定的に違うことだってある」

 

「頑なだねー」

 

僕は『決定的に違うこと』が気になったのだけど、『ドク』は少し眉を寄せて、でも口元の笑いは崩さずにそれだけ言った。

その、行間残り5分程度の所で、先生が少し唸りながら起きた。

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「あれ?今何時間目?」

 

「多分、次が3時間目……?で良いの?」

 

「そう、3時間目です」

 

「あら……1時間弱寝てたのね……ふぁー……。あー、あの子も起こさなきゃ……」

 

どうやらベッドで誰か寝ていたらしく、先生は『ドク』に軽く会釈してから寝ているだれかを起こしに行った。

 

「あっ、そういや、さっきの世界史の時間、そのー……あの僕が先生に注意される前に言おうとしてたのって?結局なんだっけ?」

 

っていうか……あれ?

そもそもなんで僕は驚いて声をあげたんだっけ?

 

「ああ……」

 

『王子様』は、また寂しそうな顔をした───気がする。

 

「この夢の中で、"リア充"とかいう奴らが居たらそれはキミのご両親の可能性が高い。キミの夢の中で若返ってるかもしれないけど……」

 

「両……親?」

 

「キミが普通の家庭に育っていればの話しだけど、きっとキミの記憶の仲でご両親は仲が良かったんだろうと思う。彼等が小人にはなれなかったのは関係が親しすぎるから。尤も……いや、そう、そういうことだよ」

 

なにかをはぐらかしたように最後締めくくれば、『ドク』は「はははっ」と笑いはじめた。

 

「そうなの?おっもしろー!それじゃあ俺の友達に友達の両親が居るかもしんないんだ!!」

 

「ともだち……。ともだち……って?」

 

ん……?両親……両親?

あれ?おかしいな。父さんの顔も、母さんの顔も出てこない。

あれ?じゃあ僕どうやって……?え?じゃあ、じゃあ僕は誰。

 

「キミ、後。」

 

「……へっ?」

 

「よっ」

 

「いった!!」

 

両親が記憶から消えている事を知った時、無知を知った時、存在がふわふわした感じに襲われて、吐き気がした。

『王子様』に何か聞かれた気がしたのだけれど、それも聞こえないくらいに存在が不確かになっていたとき、後頭部に鈍い痛みと共に気持ちいい音が鳴った。

 

「あれ?何で中学生居んの?」

 

「えー、あー……まあ、僕にトドメを刺しにき……た、らしい」

 

後に立っていたのは、隣のクラスの──成る程、『グランピー』か。

こいつは小学校のときからの付き合いで、見た目はいかついけど割と頭はいい。

「怒りんぼう」というか、荒っぽい。

 

「なんだそれ?まあいいけどよ。なんも言われてねえみてえだし」

 

「ははっ」

 

説明が少し面倒なので、きっと上手くはない笑顔でごまかした。

 

「で、もう大丈夫なの?」

 

両手を上に上げ、くうっと伸びをしながら先生が聞いた。

 

「あ、大丈夫っす。あざっした」

 

『グランピー』は敬語なんだかなんなんだか、スポーツマンっぽい口調で言って先生に礼をすれば、『ドク』の前を通り過ぎて保健室を後にしようとした。

 

「おまえら帰んなくていいわけ?次も授業だろ?」

 

「え、ああ。そうだよね」

 

なんだか呆けている。

時計を見てたまま、思考は鈍って視線は動かせず、時間もさっきと同じままな気がした。

 

「あら、君達はただ来てみただけっだったのかしら?怪我とかは……まあしないわよね。じゃあ勉学に勤しみたまえ白雪姫と愉快な仲間達」

 

『グランピー』は首を傾げていたけれど、僕は少し困って、こちらに手を振る先生に首で礼だけして、また『王子様』の手をとって『グランピー』を抜き教室へ向かった。

 

「また、わかるよ。きっと次はもっと簡単な間違い探し。」

 

「さっきも言ってたけど、僕にはわかんなかったよ。さっぱりね」

 

うしろで、『ドク』が『グランピー』に簡単に説明してくれてるのが少し聞こえた。

 

「あとは、『スニージー』か」

 

「『スニージー』なら見付けたよ。」

 

「え?……いつの間に」

 

「もうそこは、夢が解けてたから。よく分かったのさ。……キミにはわからないかもしれないけど……」

 

やっぱり、彼女は全体的になんだか悲しそうだと思った。

初めて会ったときのあの意味のわからない変質者のイメージよりはずっとずっと良くなったけれど、良くも、ない。

 

Gの教室の前を通り過ぎるとき、親同士仲の良い幼なじみと目が合った。

教室の中にあまり人は居なくて、20人……?いや、10人?……違う。5人……あれ?……一人?

 

え?なんで一人……。いや、ん?もとから彼1人だった気もする。

 

「彼が『スニージー』だよ」

 

「え?」

 

僕は彼女の手を握っている事も忘れて首を傾げ、Gの教室を通り過ぎたときにその彼女は真っすぐ前を向いたまま言った。

 

「おーい、おまえら付き合ってんのかよー。手なんか繋いで校舎うろうろすんなー!」

 

「え……?……えっ!?あっ!わっ!!ごめんっ!!」

 

廊下には"割と大勢"人が居るってのに『グランピー』にうしろから冷やかされ、慌てて彼女の手を離した。

"そんなに多くはない"人の目だったが、見られて、聞かれた事に顔に熱が集まるのを感じる。

でも当の『王子様』は離された手を何も言わずに秒見つめてから、『グランピー』と『ドク』の方を見据えた。

 

「どうかした……?」

 

「……いや。なんでもないよ」

 

『ドク』はGの教室と、廊下を目を細めて、なんだか少し悲しそうに見回していた。

 

「じゃあ俺Fだから」

 

「あっ、うん。じゃあね」

 

「しっかりしろよー、お姫様ー」

 

「なっ!にっ、をっ……叫んで!」

 

廊下には"誰も居ない"からまだ良かったけど、なんだかとっても恥ずかしい。

 

3限目が始まるまで、あと5分。

 

「さーさー、もうなんでここまで来て早く教室入んなーいの!旋風機あたろーぜ」

 

「え、あ、うん」

 

「……」

 

 

「あれ?先生は?」

 

「忘れてんじゃねー?」

 

「誰か呼びに行けよー」

 

「えー、次なんだっけ?」

 

「数えー」

 

「何か出すもんあるー?」

 

「クリアのノートだけじゃない?」

 

「ってか呼びに行けよー」

 

「え?先生誰だっけ?」

 

チャイムが鳴って数分経ったが、教卓に先生の姿は無い。

"一番前"の席に座る『ドーピー』は、「ラッキー!」とでも叫びそうなくらいの良い笑顔を浮かべている。

 

「どうしたんだろうなー先生」

 

「なんか、嬉しそうっすね、先輩」

 

「だって授業時間減るんだぜ!?至福!」

 

そんな力説されてもて……。

-6ページ-

「ってか、ほんと数Aの先生って誰だっけ?」

 

「はあ?おまえそんな事も覚えてないの?」

 

「覚えてませんー!すいませんねー」

 

「はあ……、あれだよー、うちの担任!」

 

「担任……?担任は現社じゃん」

 

「え?うそー」

 

「そうだって!おまえこそボケてんじゃねえの?大丈夫ー?」

 

「うわっ!うっぜー!!あっ、キミ知ってる?数A誰だったか」

 

「……知ってる。キミも知ってる。でも、もうキミは彼女を知らないから、言わない」

 

「え?」

 

彼女?……ということは女の先生だった……のか?

あれ?…あれ?

思い出せない。本当に、なんだよコレ……。

気持ち悪い。さっきもあった気がする。あれ?なんでさっきは気持ち悪くなったんだっけ?あれ?何で今こんな気持ち悪いんだっけ?

教室はこんなにも広かったっけ?

僕は前から2番目の席だったっけ?

『ドク』の隣の席は女子だったっけ?

あれ?

 

……あれ?

 

 

「ちょ……、僕、なんか気持ち悪いから保健室行ってくるわ。」

 

「え?ああ、おう。いってらー」

 

いってきー。

なんて言う気力も無かった。

視界が揺れる。不安定にふらふらと。

この浮遊感が酷く気持ち悪い。

 

視界の端には、ちらちらと竹箒の先が映る。

 

「大丈夫?」

 

「微妙」

 

廊下を出て、Eの前を通るときくらいに、『王子様』は淡泊にながらも心配の言葉をかけてくれた。

 

「……そろそろ気づきたまえよ。白雪姫。いや……もう、気付いてるんだろう?ただキミは認めたくないだけなのだよ。意識と事実が合致しないから、キミは妙な吐き気を催す。キミは私の問いに全て答えてくれる。だから私はキミに教えよう。」

 

ピロティーの前くらいで、僕の後をあるいていた少女はいつの間にか僕の前に立って、箒の先をこちらにつきつけていた。

彼女が後から前へ移動する瞬間の記憶がぽっかり抜け落ちいて、ただ呆然とした。

 

「変わってるよ。キミの世界は。私のせいで、この世界は。……キミは気付いてない、気付かないふりしてる綻びはとても、とっても大きくなってきている」

 

「綻び……?」

 

目の前に突き付けられた箒に遮られ彼女の顔は、あのふざけたお面さえ見えな……あれ?

箒で遮られた視界の端の端に、逆の手に持たれているのであろうふざけたお面が見えた。

 

「気付けなくて苦しむよりも、気付いて苦しむだろうから、私は言わない。それを、キミに教えるよ」

 

「……ややこしいよ」

 

僕は顔の位置は動かさないまま、視線だけを視界の端に映る彼女のお面に焼き付けながら困ったように肩を少し上げた。

箒が降りたことに気付いた頃には、彼女はまた僕の後を歩き僕は歩き出していた。

 

「ねえ、そういえば、なんで皆にトドメを刺していいか、なんて確認をとるの?」

 

「白雪姫は小人達と仲良く暮らしていたんだ。『王子様』は横から割って入ったいわば部外者。無理やりキミにトドメを刺してしまうと全部がボロボロになってしまうから」

 

「成る程…さっぱりわからないよ」

 

皮肉っぽく言ってやっても、勿論彼女の表情は変わらない。

それ以前に見えもしないんだけど。

 

「…忘れない為だよ。君が」

 

僕が本日何回目かももうわからない、頓狂な声を挙げるのとほぼ同時にチャイムが鳴った。

丁度保健室と図書室の前のところだった。

 

「えっ?いや、そんな筈…」

 

「あるよ、これは、キミの夢だから。キミ次第で、全てが変わる」

 

「……」

 

きっと僕は今真っ青な顔で彼女を見てる。

急に恐ろしくなった。

全ては僕にかかっていて、全て、僕しだいだって。

いきなり『王子様』の言葉が現実味を帯びた。

 

「あら、どうしたの?顔真っ青じゃない」

 

「え…あ、いや…」

 

「ほら、入りなさい。キミもどうぞ」

 

丁度保健室から出てきた先生に背中を押され保健室へ入る。

眠気が覚めたわ、だなんて言いながら少女も保健室に招き入れた。

 

「キミはベッドで寝てなさい。4限目の先生には私が…」

 

「いや、…大丈夫です。はい。大丈夫です。4時間目は行きます。…ただ、少しだけ、少しだけ休ませて下さい…」

 

さっきは『ドク』が座っていた茶色の台に座って、壁に体を預けて俯き目を閉じた。

 

そういえば、さっき?の時間はどうなったんだろう?

数Aの先生は来たんだろうか?

結局数Aの先生って……ダメだ、また浮遊感。

 

「先生、絆創膏くださ……あ、」

 

「え?……あ、」

 

絆創膏を求めて来たのは、『バッシュフル』さんだった。

 

「あっ、えっと、あの、」

 

少女を見て、キョロキョロと目線を泳がせてから、先生に助けを求めるように視線を投げた。

 

「ああ……、絆創膏ね。そういえば切らしてるんだった。ああ、予備どこだったかしら?探すから少し待ってて」

 

なんだか作為的なものを感じるのだが、きっときのせいだ。

 

「えっと……、怪我でも?」

 

「え、あ、いや、その、爪のささくれが酷くなって、血が出ちゃったから……」

 

もじもじ、おどおどとする彼女。

その理由であろう『王子様』は構わず彼女を凝視している。

 

「あの、えっと……その子は……?」

 

「え?あー、えっと、うーん、僕の王子様。僕は彼女にトドメを刺されるんだってさ」

 

「トドメ?」

 

彼女には、僕が説明しなきゃならない気がした。

 

「そう。僕に。トドメ。……いいかな?トドメ、刺されちゃって。僕はいいんだけど、キミはどう?」

 

「……?」

 

トドメを刺された後のぼくは……どうなるんだろう?

案の定理解し得なかった『バッシュフル』は小首を傾げた。

 

「あったよ、はい、絆創膏」

 

棚の中から予備の絆創膏を捜し当てたらしい保健医から絆創膏を受け取り、保健室の扉に手をかけた。

そして数秒立ち止まって、こちらを振り返って、眉を潜めながら唇を開く。

 

「えっと、よくわからないけど……殺す筈はないよ。だから、いいと思う。殺さないトドメは、良いトドメだと思う……よ?なんというか、私も、わからないけど……あっ、ごめんなさい!」

 

いや、いいよ。って、言う前に彼女は保健室を出て行った。

 

「……どういう事?」

 

「……」

 

「はいはい、必殺だんまりね。」

 

そう言ってやれば、『王子様』はふざけた仮面の上から両手で口を覆った。

 

「少し顔色は戻ったようだね。どうする?戻るの?」

 

「はい。あ、もうあと5分ですね。」

 

「じゃあ、午後頑張ってね。」

 

「あっ、先生は?」

 

「?」

 

「僕がトドメ、刺されてもいいですよね?」

 

「あら、不可疑問?……そうね、キミがいいなら私は反対しないよ。なんたって、ここは"夢の中"だから。キミがもしここでトドメを刺されてもキミは生きてるはずだよ」

 

 

 

 

 

 

教室に戻ると、さっきよりも更に教室が広くなっていた。

いつになっても教卓に先生は立たない。

そのかわり、『スニージー』も『グランピー』もこの教室に居た。

授業が終わる頃には、『王子様』と僕を含めて9人しか居ない教室になってた。

 

『白雪姫』と、『王子様』と、『七人の小人』。

 

それだけ。

 

恐ろしい事に、僕はそれが当たり前な気だってしてる。

初から9人で、先生だって居なかった気がしてる。

-7ページ-

「夢のほつれは、しばらくおさまる。……もう、遅いかもしれないけれど」

 

お昼休み、ジュースを買いに行く途中『王子様』は言った。

 

「ねえ、僕、トドメ刺されちゃっていい?」

 

お昼休み、Bの教室に集結した『小人』達に何気なく聞いた。

何時もとはなんだか違う教室の雰囲気の中で、何時もとちがうメンバーで、いつも通りの、騒がしい会話の中で、ふざけたみたいに。

そう。「いつも。」

……昨日も、あると思ってた。

 

 

「図書室、行こうか」

 

 

弁当を食べ終えて、ピロティーでジュースを買った。

誰も居ないそこで、自販のボタンを押す音と、ジュースが落ちて来る音、500円で払ったからお釣りが落ちてくる音がやけに響いて、どことなく寂しくなった。

 

ベンチに座って、ジュースを飲んで、味が無い事に気付いて、『グランピー』に殴られた時だってほんとは痛くなかったことに気付いて。

 

廊下の天井に付けられた時計はとても進んでいて、もう6時間目も終る時間。

僕はただお昼休みにジュースを買いに行っただけだった。

それだけで、もう何時間過ぎたんだろう?

 

教室に戻っても、誰も居なかった。

 

違和感はあった。

おかしいとは、思わなかった。

 

一人きりの教室で、誰かが書いたんであろう黒板の落書きを眺めていると、どうしようもなく、本に囲まれたくなった。

 

「僕は、キミにトドメを刺された後、神様んとこに行くわけ?ただ、起きるの?」

 

「……」

 

図書室に来る途中、なんとなく保健室に寄ってみたんだけれど、誰も居なかった。

ただ、机の上には竹取物語が開かれていて、扇風機の風でパラパラとめくれていた。

 

「また、必殺だんまり?」

 

部屋の後の方で、棚を一つ挟んで向かい合わせ。

適当に本をとって、適当にページをめくる。

 

「……私は、キミが選んだんだ。私を、キミが。」

 

「……」

 

彼女が話し出したのを、黙って本のページをただめくりながら聞く。

 

「現実で、私はキミを知ってる。キミもきっと私を知ってた。私はずっと病院に居て、学校に来たことは無かったけど、本当はキミと同級生。キミも病弱で、同じ病室。キミは入退院を繰り返していて……私が起きてる時にキミが居たことは無かったし、キミが起きた時多分私は眠ってた。だから一度も話したことはないけれど……。私はたまたま神様に選ばれて、キミを連れ戻しに来た。現実に。キミは、まだ生きられる。生きるべき」

 

「……」

 

「私は、……私も、きっともうすぐ消えてしまうから、その前にキミに、"夢であるキミ"にトドメを刺しにきた。"キミ自身"の目を覚ます為に」

 

必殺だんまり、破れたり?

 

「なんだ……、キミは死神じゃ無かったんだ」

 

誰かが、どこかで彼女にそう言ってた気がする。

 

「私は、神様じゃない。死神じゃない。私は、キミを殺しに来たわけじゃ、無いから。でも、私が来たせいでキミの夢は綻び始めた。」

 

「仕方ないんでしょ?それは。僕の欲が少なくなったから夢が寂しくなったんだ」

 

「そ……う。だけど……」

 

「……ねえ、逃げようよ」

 

「逃げたら、死ぬよ」

 

本を閉じて、彼女の方を見れば小首を傾げて、きっと眉をしかめていた。

 

「神様にも、"僕"にも見つからないくらい、深ーい夢の中に。どうせなら二人で。キミが消えちゃったら僕は一人だし、僕が目を覚ましたとしてもキミを忘れてるんでしょう?それなら、夢の中に、逃げちゃおうよ」

 

「だから……」

 

「だって嫌だよ。目が覚めて、今友達と思ってる人達が居ないなんて。僕だって、学校なんてわからない。本当は。この夢だって、きっとどこかの小説で読んだ浅知恵なんだ。キミは聞いたよね、友達って何かって。僕にもよくわからないけど、きっとキミも友達なんだ」

 

手に持っていた本は、いつの間にか白雪姫。

 

「……じゃあ、私も嫌だ」

 

「え?」

 

「私にとって、友達はキミしか居ないから、キミが居ないと私は一人だ。だから『白雪姫』、はやく、はやく起きて。」

 

本と本の間で、お面の取れた彼女の目が見えた。

とても生き生きとした、すごく綺麗な目だった。

 

 

「じゃあ、キミが僕にトドメを刺して、キミが起こして。夢が覚めたら、キミが、起こして。」

 

 

 

 

「ねえ、僕、トドメ刺されちゃっていい?」

 

「刺されろ刺されろー!」

 

「なんなら俺がさしてやらあ」

 

「そう!あたし考えたんだけど大丈夫だと思うんだよねっ!なんか今元気だし!」

 

「ああ、それもそうだなあー」

 

「くしゅっ!あー、いいともー」

 

「な、なんか適当だね」

 

 

 

――「はははっ、そっか。皆ひでえ」

 

僕は、目覚めたかったのかもしれない。

だって彼等は皆、白雪姫に対する僕の憧れの塊なんだから。

僕は、僕を目覚めさせたかったんだ。

 

 

 

 

「あっ!あっ……!目が覚めた!」

 

「良かった、ほんとに……ほんとに良かった!」

 

目を開くと、僕は真っ白い部屋の中でベッドに横たわり、両親と、7人の友達に囲まれていた。

 

「あ、れ……?」

 

僕に縋るように崩れ落ちる母。

ホッと胸を撫で下ろして、パイプ椅子に座り、7人の友達と笑い合う父。

 

「ごめんなさい、先生呼んできて」

 

「あっ!はいっ!!」

 

母に言われ、嬉しそうに笑って友達の一人の女の子がカーテンの仕切から出て行った。

隣のベッドにはどうやら誰も居ないらしい。

その空のベッドを見据えながら、僕は声を紡ぐ。

 

「……夢を、見たんだ」

 

「夢?」

 

「うん。……僕は白雪姫だった」

 

母は、小首を傾げてキョトンとした。

内容はよく覚えていないけれど、なんだか凄く満ち足りた気分で。

でも、何か、すごくささいな事なんだけれど足りない気がする。

少しして、額に寝ていた跡を残した女性のお医者さんが来た。

 

「目が覚めたんですって!?」

 

「あっ!先生!!この度は本当に───

 

僕は目まぐるしく回復し、数日後僕は生まれて何回目かの登校をすることになった。

 

「明日学校行くんだって!?すっげー久しぶりだな!」

 

お調子者。

 

「えっ!あの子覚えてるー?ほら!あのー!あの子!よく教科書忘れてこいつに見せて貰ってたあのー!」

 

幸せ。

 

「名前くらい覚えてやれよ!」

 

kyさやみっぽい。

 

「えっ?えっとー……」

 

「俺の名前もかーい!」

 

「お前と同じで、明日から来る奴も居るらしいし、とにかくすっげー楽しみだあ!」

 

怒りんぼう。

 

「あっ!ノート貸したげるねっ!」

 

照れ屋。

 

「あっ!僕も僕も!結構ノート取りわすれてんだよなー」

 

先生。

 

「お前には俺のきったねーノート貸してやらあ」

 

「いらねー!」

 

何故だか頭に残った彼等の名前。名前なんかじゃないけれど、本当に何故だか、脳裏にはそれがやきついている。

 

―白雪姫。

 

先生は、お調子者を一刀両断!

・・・僕は生憎この7人以外誰も覚えてなかったし、彼等の性格にだって何故か違和感を覚えてる。

下校の時、7人と母が迎えに来てくれてるところまでだけれど一緒に喋った。

すごく新鮮で、すごく楽しくて。

僕は登校するなんて夢にも見てなかった……いや、夢にまでみた登校で、制服を持ってなかったから私服で、とても浮いてたけど、クラスの皆はすごく快く受け入れてくれた。

 

「あっ!明日も一緒に登校しようよ!」

 

「賛成!遅刻予防にもなるし!」

 

「あっ、ごめん。僕、明日したいことあって……」

 

「したいこと……?」

 

「うん。……早起き。約束があるんだ。多分」

 

照れ屋さんが提案してくれて、怒りんぼうが賛成した案。

7人には凄く申し訳なかったけれど、僕は朝、なにか、大切な言葉を聞かなきゃならないきがしてた。

 

だから次の日、朝早くに登校して、惹かれる様に図書室へ行って、大好きな白雪姫を読んでいると、誰も居ないと思ってた図書室で、部屋の後にある書棚の影で物音がして振り向いた。

そこには、ふざけた仮面を手にもち、それで顔を隠した少女が立っていた。

 

 

「おはよう、『白雪姫。』」

 

 

「……おはよう。『王子様』」

 

 

ああ、

これでやっと、起きられる。

 

――fin.

説明
いつもの時間。いつもの場所。
いつもと違う、おかしな少女。彼女は僕に言う。
「私は白雪姫(キミ)にトドメを刺しに来た王子様。」
いつもどおり。
今日だけの、いつもどおり。
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白雪姫

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