汚物は消毒せねばならん
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 改めて思う。

 ――私の性癖は少々特殊なのだろう。

 本来、生き物というのは危険を回避しようとする本能がある。それは人間のみならず、全ての生物において共通するものだ。……しかし、たまに。たまにではあるが、その危険を予測できるにもかかわらず、その危険に身を投じてしまう者がいる。その原因は大きく分けて二種類あり、一つは危険を予知してもその危険性を正しく認識できない場合、そしてもう一つは危険性を正しく認識しているが故にその危険を冒してしまう場合。どちらが厄介かというと、やはり後者であろう。前者は壊れかけてはいるが、危険に対するブレーキを持っている。しかし後者はそのブレーキが完全に壊れている。お手上げだ、馬鹿は死ななきゃ治らない。

 そういう意味で、私は馬鹿なのだろうな。一応、家族の名誉のために断っておくが、このような特殊な性癖を持つのは私だけだ。家族並びにご近所の皆様は一切関係ない。これは私が好んでやっている事だというのをお忘れなく。

 では……そういう事で、今日も私の日課を行なう事にする。今夜は月の綺麗な夜だ。私の日課を行なうには何ともロマンチックではないか。

 

 今夜のターゲットは豊川つぐみ(十七)。勉強に友人関係にと忙しい年頃なのだろう、ここ最近は帰りも遅く疲れきった様子で帰宅している。今日も、完全に日が沈んでからの帰宅ときた。その緩みきった精神の隙を付き、彼女の顔を驚愕に塗り潰すのが私の生きがいなのだ。――ああ、想像しただけでゾクゾクするではないか。

 まず、私は気付かれないように彼女の背後に立つ。気配を消すのは私の得意技だ。つぐみ嬢の背後を取る事など造作もない。案の上、彼女は私の存在に気が付いていないようだ。さて、次に周囲を確認し、私達の他に周りに誰もいない事を確かめる。さて、面白いのはここからだ。

 ――私は、意図的に彼女の背後で物音を立てた。

 不審に思い、振り返ったつぐみ嬢は……

「ひっ……!」

 全裸の私を見て、凍り付く。この瞬間が、たまらない。至福の一時、達成感に包まれる。

どうだね、つぐみ嬢。この見事なボディライン。それとも、黒々と揺れる髭に目を奪われたかね。いやいや、そう穴が開くほど見つめられても困るよ。何、私だって生物学的に見ればオスであって、その、つまり……照れるではないか。いい加減、飛びかかりたくなってきたぞ。

さて、一方のつぐみ嬢だが。硬直し、真っ青になった彼女が次に取る行動と言えば、もう一つしかないだろう。

「きゃあああああああっ!」

 どたどたと足音を上げて逃げていくつぐみ嬢。この絹を裂くような悲鳴が何ともたまらなく心地良い。やはり、悲鳴はうら若い乙女のものに限る。こういうのは何度聞いても良いものだ。

 私は満足感に浸ったまま、長居は無用とばかり隠れ家へと逃げ帰るのであった。

 

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 日課を果たした後の夕食は格別で、食事の進む事といったらない。大根を頬張りつつ私が食欲を満たしていると、背後から声がかかった。

「兄さん……ちょっと話があるんだけど、いいかい?」

 誰かと思えば、可愛い私の末弟である。私の家族は子沢山で、私は長男として生まれたのだが、この末弟が何かと私に良く懐き、今では兄弟の中で一番仲の良い弟なのである。

「おお、待ちたまえ愛すべき我が弟よ。今は食事中なのだ。今夜の大根はまた格別でな」

「大根は後でもいいだろう? 今は、僕の話を聞いてくれよ」

 いつになく弟は真剣である。仕方なく私は食事を中断し、弟の方に向き直る事にした。

「一体、私の食事を中断させてまで話したい事とは何だね」

「それは……他でもない、兄さんの事だよ」

 弟は浮かない顔付きで思いもよらぬ事を言う。はて、私の事とは?

「兄さん……さっきの悲鳴、ここまで聞こえたよ。また、やったんだね……」

 何かと思ったら、その話か。今まで、何度この手の会話を繰り返した事か。

「その答えなら、もう出したはずだぞ弟よ。私は生き方を曲げん。何があろうと、あの日課を続けるつもりだ」

「でも、もう限界だよ兄さん。僕は兄さんが好きだから言うんだ。このままじゃ、兄さんに待ってるのは破滅しかないんだよ。兄さんが標的とする彼女達だって馬鹿じゃないんだ。日に日に兄さんに対する警戒は強くなっているし、兄さんが返り討ちに遭うのは時間の問題だよ」

 弟は、泣きそうになりながら私に懇願した。

「お願いだから、考え直してよ兄さん……。今ならまだ間に合うよ。僕は、兄さんを失いたくないんだ……!」

 弟は本気で心配してくれている。快楽という欲望に負け、ブレーキの壊れたこの私を必死で止めようとしてくれているのだ。……これは、困った。そんな風に言われたら、強く言い返す事ができないではないか。

 私は吐息を一つこぼし、弟の頭を優しく撫でながら言い聞かせた。

「――仕方ない。これまで私が誰にも言わなかった事実を語ろう。なぜ、私が危険を承知であの日課を行なうのか。これを聞けば、お前の考えも変わるだろう」

 弟はきょとんとし、不思議そうに私の顔を覗きこみながら尋ねた。

「あれ? 兄さんがあんな危険な事をするのは、快感を求めるからじゃないの?」

「それもある。それもあるが、本当の理由はまた別にあるのだ」

 私は遠くを見るような目つきで、弟に話を続けた。

「覚えているか、弟よ。私の家族は……それはもう貧しかった。家庭が大家族だったというのもあるが、私達兄弟は親の顔も覚えていない。それもそうだ。幼くして、我々全員は両親に捨てられたのだからな。幼い私達は、死に物狂いで毎日と戦ったなぁ……。その日一日の食事を得るので精一杯、幼いながらあちこちから食べ物を盗んでは食べていたものだ。しかし飢餓には勝てず、次々と兄弟たちは死んでいった……」

「うん……今ではもう、残ったのは僕達とあと二人の兄さんだけだよね」

 弟も昔を懐かしむように頷いている。現在の暮らしも裕福とは言えないが、昔は本当に酷かったのだ。

「一人一人と倒れていく兄弟たちを見て、私の心に一つの強い感情が宿ったよ。それは――怒りだ」

 私の瞳は今、当時を思い出しギラギラと凶暴な光を放っている事だろう。普段は温厚と呼ばれている私だが、今の私を見ればその評価は変わるに違いない。

「私の家族は貧困に喘いでいるのに、他の人間達の暮らしと来たらどうだ? やれ学校だ、おやつだと日々を優雅に過ごし、挙句の果てには嫌いな食べ物を残し、残飯として捨てるのだぞ? 私達が、その残飯を得るのにどんなに苦労してるのかも知らずに! どうして私達はこんなに貧乏なんだ! どうして奴らはあんなに裕福なんだ! 奴らの飼い犬ですら毎日決まった量の餌を貰えるのに、それに比べると我々は一体何なのだ! ……そう、思ったのだ」

 弟は、黙って私の話を聞いている。彼も、当時の辛い記憶を思い出しているのだろう。

「だから私は、復讐する事にしたのだよ。裕福であるのをいい事に、私達弱者を排除した憎き奴らに対してね。一糸纏わぬ私の肉体を奴らに見せ付ける事により、思い知らせてやるのだ。お前達の驕りに満ちた生活が、こんな私を生み出したのだ……とね。だから私は、いきなり相手に襲いかかるような野蛮な真似はしない。まず、見せ付ける。見せ付けて恐怖させるのだ。奴らが私を見て恐怖する事は、自分のやってきた行動に対して恐怖している……そういう事だと、私は信じている。だから私は、この日課――復讐をやめぬのだ。いや、やめるわけにはいかん。死んでいった弟達のためにもな」

 もっとも、この復讐を続けるうちに見られる快感に目覚めてしまったというのも事実ではあるのだが。

 弟はそんな私に対し、ポツリと言った。

「そんな事をやったって、死んだ兄さん達は喜ばないよ。そんなの……ただの、自己満足じゃないか」

「ああ、自己満足だとも。復讐とは、自己満足以外の何物でもないのだよ。しかしそれ故に止められぬのだ。この黒い衝動が、身を突き動かす限りな。……だからな、弟よ。止めてくれるな。この哀れな兄を、どうか放っておいて欲しい。お前が危惧するように、私はいずれこの復讐に失敗し、二度とお前に会えなくなるだろう。その時はどうか、馬鹿な兄だったと笑ってくれたまえ。私は自ら望んで破滅への道を歩んでいるのだから。お前の忠告を理解した上で、私は奴らに一矢報わんとするのだ……」

 私は、静かに弟と抱擁を交わした。

「――許せ、弟よ」

「……兄さん」

 それ以上の言葉は不要だった。そして同時に、この時確かに別れの予感が胸をよぎったのだった。

 

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 今夜のターゲットは、またしてもつぐみ嬢だ。連続で襲うのは少し気が引ける思いもしたが、私の復讐の前には微々たる事だ。さあ、今夜も君の素敵な悲鳴を聞かせてくれたまえ……。

 例によって音も無く彼女の背後に立ち、物音を立てる。すると彼女が振り返り、その目を一杯に開き甲高い悲鳴を――

「お母さーん、また出た! 早く、早くっ!」

 悲鳴ではなく、助けを呼ぶときたか! これは誤算だ。たった一度の襲撃でこの私の裸体に慣れるとは、この娘の神経は思ったよりも太かったらしい。

 どたどたと足音を立ててやって来るつぐみの母親。たちまち、袋小路に追い詰められる私。

「つぐみ、どこだい?」

「そこよ、そこっ! 逃がさないで!」

しかし私は知っている。彼女達は、私の肉体に直接触れる事を嫌うはずだ。思うに、潔癖症過ぎるのだろう。だから私が逃げるチャンスは十分に残されている。彼女達を嘲笑うように側を駆け抜ければ、その包囲網は簡単に崩壊する……!

「きゃあああっ、こっち来た!」

 悪いねお嬢さん、また会う日まで。後はこのまま全力突破……!

「――させるわきゃあ、ないでしょっ!」

 どすん、と全身を貫く衝撃。視界が暗転し、私の体躯は満足に動かなくなってしまった。何だ、どうなった……?

「まったく、つぐみは騒ぎすぎよ。ゴキブリくらい、こうやってすぐ始末すればいいじゃない」

「お母さんみたいに足で踏み潰すなんて人、そういないよ……」

 そうか……つぐみの母親は、私に直接触れる事をためらわない人間だったのか……。見れば、今の攻撃で私の手足の半分はもげ、内臓も少しはみ出ている。致命傷だ、余命幾許もないであろう。

 ……私は、負けたのだ。この長い復讐もこれで終わり。弟には悪いが、ここで一生を終えるだろう。しかし一方で、私の中で希望にも似た明るい感情が広がっているのを感じていた。

 つぐみの母親は、私に対し躊躇無く触れてきた。それはつまり、彼女は私に恐怖していないという事で、私の復讐の対象にはならないという事だ。

 ……そうか、ようやく分かった。私は、彼女のような人間と出会うために復讐を続けていたのだな。私を見て、恐怖しないような人間と出会うために……。

 今、私の体がガムテープでくるめ取られようとしている。このまま私は、身動きできないままゴミ箱の中で息を引き取るだろう。だが、それでいい。つぐみの母親のような人間がいる事を知れたのだ。私は……満足だ。

 さらば、弟よ。

 さらば、つぐみ嬢とその偉大なる母親よ。

 さらば、我が人生よ!

 

 

 

 おしまい

 

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露出癖のある男は、とある思いを抱いていた。
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