ナンバーズ No.10 -ディエチ- 「一撃の慈悲」
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 10番ディエチは、稼働歴は比較的長かったが、その姿や外見上の趣はどことなく子供じみていた上、感情をあまり表に出すように作られてはいなかった。

 彼女はいつも、姉妹達に言われるままで、ほとんど自分から言葉を発するような事も無かったし、何よりも感情表現があまり豊かではない。生真面目そうな顔をしており、言葉使いも態度も、淡々とした姿をしている。

 そんな彼女は今日、人ではとても抱える事が出来ないほど巨大な砲台を持って、単独である場所へと現れていた。

 都市部からはかなり離れた山奥で、彼女はそこまでたった一人でやって来ていた。これも博士が与えてきた指令の一つだ。この任務を遂行する事によって、より博士の計画が一歩達成へと近づく。

 ディエチはその計画の完成以外の事については何も考えるつもりは無かったし、反発するつもりもなかった。

 ただ博士の計画が、明らかに人を傷つけてしまうきっかけになっている事を、ディエチは感じざるを得なかった。誕生したばかりの時は、ただ博士が与えてくる指令に対して盲目的に従っているだけだったディエチだったが、今ではどことなく感じられる不思議な感情が彼女の中にはあった。

 それを博士は、人間的感情の中でも良心と呼ばれるものだと言っていた。山の中に分け入りながら、彼女は博士の言った事を思い出していた。

 

 

 

 何回か前の指令の時の話になる。

「何?私のしている計画が、間違っている?」

 ディエチの言って来た言葉に対し、博士はそのように言った。

「いえ、そういうわけではなく、ただ、博士の行っている事が、何の罪もない人を傷つけているかもしれないという事を言っただけです」

 ディエチは研究室で、また新たな姉妹を生み出そうとしている博士に向かってそう答えていた。

 新たな姉妹は、カプセル状のカバーが覆っている寝台の上に寝かされており、まだ意識も持つ事が出来ないような状態下にあった。これから博士がプログラムを施す事によって、彼女は目覚める事ができるようになる。

 そんなデリケートな作業をしていながらも、博士はディエチに向かって話してきた。

「では、ディエチ。人の犯す罪とは何だね?君は、何の罪もない人という言葉を使ったが、果たしてその罪とは一体どのようなものだと思う?」

 ディエチは博士の言って来たその言葉に答える事は難しかった。それは非常に難しい博士からの質問であるかのように思えたが、彼女はやがて口を開いた。

「それは、人を殺傷したりする事であると私は思います。または物を盗んだりしたりという事です」

 それがディエチにとっては答える事ができる答えだった。

「なるほど、そうなると、私達はその基準で言えば、相当に重い罪を犯している事になるな」

 そのように言いつつも、博士は手を動かし、光学画面を操作していた。

「いえ、そう言う事を申したわけではありません」

 ディエチは慌てて訂正しようとした。何も博士や姉妹達の行っている計画を罪だと言ったわけではないのだから。

 だが博士は訂正する。

「いやいや、良いのだ。私も、自分で行っている事が、どこかしら罪であるだろうと言う事は認識している。だがそれは全ての人間に対して言える事ではないかね?ディエチ。皆、特にこの国の人間について言える事だが、全ての人間が罪を犯している。

 他国から利益を搾取し、それを自国の、そして自分の利益へと変換する事で、この国は裕福さを保つ事が出来ている。そのためには戦争をもし、君の言うように人を殺傷してまでも利益を得ようとしている。たとえ、小さな子供であろうと同じだ。結局はそうしたものの恩恵を受けることで生きている」

 博士はそのようにディエチに言った。ディエチはまだこの世界に生を受けてから小さな子どもほどの歳程度の歳月しか活動していない。十分な一般的、常識的、そして戦う為の知識は持っていたが、博士の投げかけてきた質問には答えるだけの知識が無い。

「私には分かりません。だから博士にお尋ねしたのです」

 ディエチがそう言うと、博士はいとも簡単に答えてきた。

「この世界に本当の意味での正義など無いよディエチ。だが、君達に与えている任務は、そんな正義を見失った人類を更に上の段階へと押し上げる事ができるものだ。君にもそれが分かる時が来る」

 

 

 

 博士の言った事は本当なのだろうか。そう思いつつ、ディエチは自分の中に内蔵されている、光学画面のマップが目的地を示すポイントまでやって来ていた。

 そこは山の高台だった。ずっと山々が連なる山地の中にディエチはいる。人気は全くなく、ここは街から数十キロ以上離れた場所にある山だった。

 だがディエチの視覚は特別なものとして出来ていた為、山の更に向こう、非常に離れた場所までを見る事ができる。その視力は天体望遠鏡並みであり、しかも様々なオプションを装備していた。

 ディエチはずっと持ってきていた巨大な砲台にかけていたカバーを取り外す。するとそこには重厚な鉄の塊の大筒が姿を見せた。彼女は小柄で華奢な体をしているにも関わらず、そのように巨大な砲台を持ち歩く事ができる。山道を何キロも歩く事さえもできるのだった。

 ディエチは砲台を構えた。その狙いをずっと遠くに定める。標的は軍事基地にある。そこにある目標物を破壊する事がディエチの任務だった。

 それはとても単純な作業であり、ただこの砲台を遠距離の、誰も知らない場所から発射して目標を破壊する事でしかない。衛星兵器を使っても、ミサイルを使っても攻撃は発覚してしまうが、ディエチに渡されたこの砲台を遠距離から発射する分には、誰にも知られずに目標を破壊する事ができる。

 照準を定める。とてつもない視力に強化されているレンズを越しに標的を探しながら、ディエチは自分の心を落ち着けた。少しでも手元が狂ってしまえば、目標をから外れてしまう。それだけ離れた距離から、自分の手で狙っているのだ。

 微細な筋肉や骨格の照準は、彼女の中に内蔵されたコンピュータが自動的に調節してくれ、それはどんなスナイパーよりも優れたものとなる。

 

 

 

「ディエチちゃん。物を壊したり、人を壊したりするのには、何のためらいもいらないのよ。わたしよりも感情の少ないあなたが、そんなに思いつめているなんて、驚いちゃう」

 ディエチが博士の与えてくる任務について、疑問を持っている事を、上から4番目の姉妹であるクアットロに打ち明けた時、彼女は随分人を小馬鹿にしたような態度でそのように言って来た。

「わたしは何もそう言いたいわけでは無くて」

 ディエチはそのように訂正しようとしたが、クアットロは彼女の言葉を遮り、眼前に人差し指を突きつけて言って来た。

「でも、ためらってるんでしょ?あなたが砲台を、子供達が楽しそうに遊んでいる遊園地に向けた時、あなたはためらうんでしょ?わたしは違う。容赦なく、発射できるのよ。まあ私は、あなたが持っている馬鹿でかい砲台は使えないけれどもね」

 ディエチはまじまじとクアットロの顔を見た。彼女は眼鏡の奥深くから眼光を光らせており、それは目線を合わせていれば、とても耐えられないものであるように見えた。

 ディエチは思わずクアットロのその眼光に怖気づいていた。

 非常に攻撃的な視線であり、彼女がとてもよからぬ事を考えているのは明白だ。

 ディエチが怖気づいたのを見計らってか、クアットロは向き直り、ディエチに向けていた指や顔を離した。

「まあ、あなたが博士の事を本気で思っているんなら、その砲台を撃つ事にためらいは見せないはずよ。ディエチちゃんはもしかしたら、まだ博士に対しての忠誠心が大した事がないんじゃないかしら?」

 今度はクアットロは挑発的な口調でディエチにそのように言った。

「まさか。そんな事は!わたしは博士にこの身を全て捧げる事ができる覚悟があります」

 ディエチはすぐにクアットロの言葉を訂正しようと言い放つ。

「じゃあ、今回の任務でも立派に果たせる所を見せて欲しいものだわ。たとえ、子供がいる場所であっても、あなたはその砲台の照準を向けなければならない。何しろ、あなたの言葉通りならば、ディエチちゃんはその為だけに生まれてきただけのようなものだからね」

 クアットロはそう言うなり、さっさとその場を後にしてしまった。

 

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 クアットロの攻撃的な口調、そして、挑発的な口調を聞いて不快に感じている姉達がいるという事は、ディエチも分かっていたが、彼女はクアットロの口調を聞いても、特に不快な思いは感じない。

 むしろ、クアットロの言っている事は正しいとディエチは思うのだった。あの姉が言った、博士に対する忠誠心と言うものは、確かに彼女達の中に無くてはならないものだった。それが無ければ、わたし達は一体、何の為に生まれてきたというのだろう。

 だからその存在証明の為に、ディエチは今回の任務も必ずや成功させるつもりでいた。

 山の大地に自分の陣を敷き、巨大な砲台を構えながら、照準スコープを覗きこみ、自分の視覚とリンクさせる。

 するとどのようなスナイパーでも見る事はできないほど遠い彼方に、目標物が見えてくる。そこには軍事基地が展開され、ディエチが博士より与えられた使命では、破壊するものは幾つもあった。

 標的となる戦闘機や、施設、そして、ミサイル発射台といったものには、すでにマーキングがされている。

 軍事基地にいる者達は、自分達が高威力の砲台によって狙われているという事に気が付いているだろうか。彼らはいつ何時でも、攻撃される事に備えている。しかし、十キロメートル以上も離れている所から、特大の砲台で狙われているという事まで、果たして予知できているだろうか。

 彼らは博士がこれから行おうとしている宴に対して、大きな障害となる存在の一つだ。事前に破壊しておいてしまう事によって、本攻撃の際の障害にはならないし、より敵側は混乱するだろう。

 この攻撃には意味がある。照準の先にいる連中が大規模な破壊によって死ぬ事についても、それには確かな意味がある。

 ディエチがトリガーを引けば、照準の先の施設は木っ端みじんに吹き飛ぶだろう。中には大勢の人間がいる。

 しかし彼らには消えてもらわなければならない。

 そう自分に言い聞かせても、ディエチは自分の指先がどうしても震えてしまうのを感じていた。

 わたしは、果たしてこんな事をしてしまって良いのだろうか。

 いくら博士の任務のためとはいえ、自分が引き金を引く事で数百の人間が死ぬ事に、わたしは耐えられるのだろうか。

 わたしが存在している意味とは、こんな事のためなのか。

 

 

 

 ある時、姉妹達の長である、ウーノが言っていた。

「私達の存在意義は、博士に忠実に仕える事。それ以外には存在しないわ」

 ウーノは随分と簡単にその言葉を述べてしまっていた。その声には何の感情も篭っていないかのようだった。

 ディエチには何も答えられない。ウーノの言って来た言葉は、彼女が誕生してから何度も聞かされてきた言葉であったし、実際にディエチ達にとってはそれ以上の何かが与えられた事は無かったからだ。

 食事をし、睡眠を取ると言ったような事も、結局のところは、博士の任務に応える為に必要な事でしか無かった。

 しかしながら、自分達が存在していると言う意味は、本当にそうした意味しかもたなおような事なのだろうか。ディエチは疑問に思う。

「でも、ディエチ。確かに私達が生まれてきた目的は、博士の為だけではないし、破壊活動をする為だけに生まれてきたものではないわ」

 ウーノはそのように付け加えてきた。その彼女の言葉は、幾分か感情が篭められているようなものだった。

「それは、一体、どのような事なのでしょうか?」

 是非ともそれを聞きたい。ディエチは、今までそんな事を知らずに生きてきた。自分が生まれた目的は、博士の研究に報いる為、それ以外には存在しないと思っていた。

 ウーノは座っていた椅子から立ち上がり、ディエチに向かって顔を近づけてきた。

「それはね、ディエチ。崇高な目的の為よ。その崇高な目的と言うものは、博士の求めているもの。それは、彼自身をも遥かに凌駕した世界にあるの。私達はその先駆け。私達を基本として、優秀な人類が次々に誕生する事になる。それが博士の研究の目的であると言う事は知っているわね?」

 ウーノの説明を、ディエチはすでに誕生する以前から知っていた。自分達が今、この場に存在していると言う事自体が、博士の目指している非常に大きく、崇高な目的の一環であるという事をディエチは既に知っている。

 だが、ディエチが抱いていた疑問はそれだけではない。ウーノの言って来たくらいは知っている。それ以上の重要な疑問があるのだ。

「その崇高な目的の為であるならば、人を殺めてしまっても良いのですか?」

 ディエチの心の中にある良心のようなものが、彼女にそう言わせていた。すでに彼女は幾多の破壊工作を繰り返してきてはいた。

 しかしながらそこで、ディエチの中に大きな疑問が生まれ出していた。人を殺めるという事がどういう事であるか、自分の立場に置き換えて、ディエチは考えてしまっていた。

 人にとって死ぬという感覚が、例え作られた存在であるという自分であっても理解できるようになっていたのだ。ちょうど、子供が大人になるにつれて、死というものを、ただの恐怖の対象としてではなく、明白な概念として理解していくかのように、ディエチは理解できてきていた。

 それは自分の存在が無くなると言う事。死んだとして、例え他人が自分の事を記憶に残そうとしても、自分自身の記憶と言うものは確かに消失する。それは幾ら記憶がデータ化されてサーバーなどにアップロードされていたとしても同じ事だ。わたし自身の記憶は全て消失する。

 わたしや姉妹達、博士はいらなくなった情報を、跡形も無くコンピュータ上から消す事ができるが、それよりも更に多くのものが一気に失われてしまう。

 人間の脳でも、ディエチのように一部が電子メモリーとなっている存在であっても同じ事で、確かに記憶は死ねば失われてしまう。死ねば肉体も滅びる。有機物であったらその腐敗は一気に進み、例えロボットであっても、無機物もいずれは崩壊していく。

 博士が与える任務では、それを一気に、しかも多くの存在を失わせてしまうという事になる。

 現に姉妹達や博士の行動は、多くの命を奪い、直接的ではないにしても、人の命を失わせてしまう事にもなっていた。今になって、ディエチはそれが罪なのではないかと感じつつあった。

「その件については、あなたも博士とよく話したわね」

 ウーノは、仕事中の博士の秘書としての仕事を中断し、ディエチの方を向いてきた。

「博士は、人間は誰でも罪深く、更に上の段階を目指す為には、多少の犠牲もやむを得ないとおっしゃっていました」

 博士と話した以前の出来事を思い出して、ディエチはそう答えた。あの後、結局のところ、ディエチは任務を遂行し、その結果として多くの死傷者が出る事件が発生した。

 その時の出来事が、ディエチの記憶に焼き付いている。それはただの電子的な情報でしか無いのに。

「私も、稼動してごく初期のころは、あなたと同じように、現場での任務にあたる事もあったわ。そして、あなたと同じように、人の命を奪う事もした。今も、後方支援という形で、あなた達のバックアップをして、間接的な方法で人を殺めているかもしれない。

 同じような立場として、わたしはあなたと話ができるわ」

 ウーノは親身になって、ディエチと話してこようとしている。彼女の中にも、少なくともディエチと同じような感情があるようだ。

 博士に対して盲目的に従い、時に無機質な機械であるかのような姿を見せるようなウーノであっても、しっかりとディエチと同じような感情を持っている。しかも、ディエチよりずっと以前から誕生しているせいか、その感情はずっと洗練されているかのようだった。

「だけれどもね、ディエチ。私達のしようとしている事は、素晴らしいほどに崇高なものなのよ?その崇高さは、人の命にも変える事ができるほどのものであり、この世界を変える事さえできてしまうものなの。あなたにそれが分かるかしら?」

 ウーノははっきりとした確信を持ってそのように言ってくる。彼女の眼は真剣なものであって、言葉には全く迷いというものが無かった。

 ディエチは彼女の言葉に応えるだけの応えを用意する必要があった。

「わたしも、博士がなさっている事は、非常に崇高なものであるという事は理解しています」

 彼女はそう答える事しかできなかったが、それはディエチが今まで生きてきた中で、知る事が出来た全てから成り立った答えだった。

「なら、分かっているはずだわ。博士は、無闇に人を殺す事をしていないと言う事が。任務の為に行う行為は、最低限の犠牲しか払わないようになさっている。それこそ、博士の立派な事よ。私達は革命家を気取ってテロリストまがいの事をしている連中とは違うわ」

 ウーノはしかとそう答えてきた。確かに彼女の言う通り、博士は無闇に人を殺めるような事はしていない。それはディエチも理解していた。

 ディエチが次にどう答えようかと迷っている時、ウーノとディエチのいる博士の研究室に、突然誰かがやって来た。

 ウーノはその者の方をちらりと見ると、まるで感情を篭めない声で言った。

「ドゥーエ。思ったより遅かったわね」

 ウーノのその言葉にディエチは思わず反応した。やがてディエチの背後からウーノの方に歩いてきたのは、金髪で背の高い女だった。ディエチよりも背は高く、ウーノほどではないが大人びている。

 どこぞやの企業に勤めている、キャリアウーマンのようなスーツに身を包んでいるから、ぱっと見ただけではその正体は分からない。だが彼女は博士の創り出した人造生命体特有の、金色の瞳をしていた。

「予想以上に時間がかかったのよ。ここの会社の情報部長、落とすのが結構難しくてね」

 ドゥーエと呼ばれたのは、ディエチのずっと以前から活動している彼女の姉だった。ウーノよりも1年ほど稼働歴は短い程度で、潜入目的で活動を始めた彼女は、ほとんど妹達に会う事が無かった。

 ディエチもドゥーエの姿を直接見たのは初めてだった。ただ姉妹達のデータは全て自分のデータベースにあるからドゥーエの存在も姿も知っている。

 ドゥーエはウーノの手前にある机に、指ほどの情報記録端末を載せると、今度はディエチの顔を見て来て、その妖しい笑みを浮かべて見せた。

「この子も妹?照合によれば、わたし達の10番目の姉妹の、ディエチちゃんね。うふふ。実際に見る方が、データよりもずっと可愛いわ」

 そう言いながら、ドゥーエはディエチの首元にある姉妹の番号が彫り込まれた認識票に手を触れてきた。

「ドゥーエお姉様、お初にお目にかかります」

 初めて見る自分の上から2番目の姉が、あまりに自分たちの姿とかけ離れていた為、ディエチは少し狼狽しながらそう答えた。

「あらあら、そんなにかしこまらなくても良いのよ。わたしがドゥーエ。あなたよりはずっとお姉さんになるけれども」

 そのように何とも面妖な表情をしてみせてドゥーエは言ってくる。

「ドゥーエ。せっかく来てくれた所は悪いのだけれども、その子に任務の大切さというものを教えてあげて欲しいわ。どうも、最近誕生したモデルの子は感受性が豊かな子が多くてね。博士に仕え、任務をこなすという事に対して疑問を抱いているようなの」

 ウーノがそんなドゥーエの背後から静かに言った。

 ドゥーエがどのような反応を見せるのか、ディエチは少し恐る恐る彼女の顔を見上げた。そうしてもドゥーエはまだ表情を変えない。ウーノともトーレとも違う、それは人間的な笑みであり、彼女の特技とも言えるものである事はディエチもデータから知っていた。

「なるほどね。でもそうした所が妹として可愛いと言うものよ。今日は私もせっかく研究室に戻ってきた事だし、あなたに大切な事を教えてあげるわディエチちゃん」

 

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 砲台を構えたディエチは心を落ち着かせ、発射の時を待った。

 このまま砲台を発射することでも、目線の先にある軍事施設には甚大なる被害を出す事ができる。施設はあたかも空爆に遭ったかのような様相と化す事だろう。

 だがディエチは時を待った。博士が命令した全ての目標物を破壊するまでにはまだ早い。

 あるものが到着した時こそ、砲台を発射する時だ。その一撃を発射する時こそ、ディエチが博士から与えられた能力が発揮される時であり、彼女だけが姉妹達の中で特化した能力を生み出す事ができる。

 彼女の視界には標的になる目標物の他にタイマーが設置されている。これが目標物が到来する時刻までのカウントダウンを示しており、タイマーが0になった瞬間に、彼女は無心のままに砲台を発射すれば良いだけだ。

 ディエチの構える砲台は冷たく光り、自然物が辺りを覆う山の森の中では異様な姿を放っていた。

 興味深そうに小動物が、ディエチの姿を見て来ている事を彼女は知っていた。

 だがそんな小動物に構っている暇などディエチには無かった。大丈夫。傷つけるのは人間だけ。小さな動物達に手を出しているような暇などない。

 目標物が接近して来るまで残り1分を切った。それは大型のヘリでやってくる。そのヘリの姿もディエチは確認した。中に何が乗っているのかと言う事も知っている。

 何故なのかは分からないが、彼女の中に奇妙な感情が生まれてくるのをディエチは感じていた。

 このまま砲台を発射してはいけない。もし発射するならば、軍事基地にいる大勢の人間が巻き添えになってしまう。博士の命令によればヘリの中にあるものを破壊し、同時に軍事基地を活動不能にすれば良いだけだ。

 人の命を奪う必要は無い。だがそんな事はほぼ不可能だ。軍事基地を活動不能にする事はそのまま基地を火の海へと変え、多くの人間を巻き添えにする。巻き添えになった人々はどうなってしまう?火に焼かれ、灰に化すのか?そしてその家族はどんな思いだろう。

 タイムカウントが0に近づくにつれ、ディエチはこんな事をしてはならないという意思が芽生え始めた。それは、彼女自身の罪悪感だった。

 抑えようと思っても駄目だった。砲台を構える照準が狂いだしてくる。

 我慢できなくなってきた感情。ディエチはある決断をした。ヘリが到着する。タイムカウントが0になる。

 だがそれでもディエチは砲台を発射しなかった。

 タイムカウントが0になった事を告げる警告アラームが、彼女の脳内の機器から鳴りだしても、ディエチは砲台を発射しない。

 代わりに彼女はある事をした。

 

 

 

 コーヒーを淹れてくれたのはウーノであり、彼女はドゥーエの好みを理解しているらしい。コーヒーには、角砂糖が二つ入れられ、ミルクは無い。それがテーブルの上に置かれていた。

 ディエチはソファーに緊張した様子で座っていたが、ドゥーエはだだっ広い地下の広間を歩き回りながら、色々な所を探っていた。

「大分作りなおしたのね?私が生まれた時、まだこの広間は岩が剥き出しだったわ。それが今ではきちんと壁があって、ソファーもあって、テーブルもある」

 ドゥーエはそのように言いながら、広間を一回りしてくると、ディエチの向かいのソファーに座った。

「研究所に戻ってくるのは、どれくらいぶりですか?ドゥーエお姉様」

 ディエチはそう尋ねた。ドゥーエと二人きりにされても、彼女にとっては話す事など何も無い。いくら姉であると言われても、生まれてから一度も会った事もないような姉だ。

 その親しげな表情と佇まいから、話しやすい姉である事は分かったが、特に話すべき話題もない。

「5年ぶりよ。長期の潜入にはそれだけの時間をかける必要があるの。連絡を取り合っていたのは、ウーノ姉様だけ。あなたたちとも一切連絡を取らず、今日は久しぶりに成果を伝えに来ただけよ」

 ドゥーエはそのように答えた。そして手に持ったコーヒーカップに口をつける。

「うーん。いい香りとコクのある味わいだわ。今、私が潜入しているところでは、ロクなコーヒーが無くてね。私がどんなに上手な淹れ方をしても駄目なのよ。でも、博士は分かっているわ」

 ドゥーエはディエチに優しく言った。

「はあ、そうですか。わたしはこの研究室以外でのコーヒーの味というものを知りません」

 ディエチは自分もコーヒーを飲みながらそのように答えた。ディエチが口をつけるコーヒーの味と言うものは変わらない味であり、彼女はそこに何も感じない。

「そう。それは残念ね。ウーノお姉様もそうだけれども、わたし達は陰に生きなければならない宿命。外の世界のコーヒーの味も感じる事ができないのは残念だわ。わたしも外の世界に生きてはいるけれどもね。自分の本性を人に明かしたくなる時があるわ。

 この皮膚の下には強化繊維と骨格が隠れていて、脳には電子回路が埋め込まれているという事を、人に明かしたくなって、どうしようもなくなってしまう事がある」

 ドゥーエは意外な事を言ってくるものだと、ディエチは思うのだった。

「あなたも知っているでしょう。わたし達、博士に生み出された人造生命体は、決して破壊工作をする為だけに生まれてきたのではないという事を。もっと崇高な目的の為に生まれてきた」

 ドゥーエは言葉を続ける。それはウーノからもトーレからも何度も聞かされてきた言葉だった。その言葉をディエチ達はかみしめるかのようにして生きてきている。ドゥーエからも同じ言葉を聞かされるとは、ディエチにとっては意外だった。

「それは後の世に、人造生命体という新しい生命を広めるため、でしょうか?」

「正解ね。でもはずれ」

 ドゥーエはまるで悪戯でもしているかのような口調でそう言った。

 ディエチは戸惑ってしまう。だとしたら一体どのように答えれば良いと言うのだろう。

「秘密は、あなたのお腹の中にある」

 そう言うなり、ドゥーエは身を乗り出してきたかと思うと、突然、ディエチの腹に手を載せてくるではないか。戦闘スーツに覆われたディエチの腹、それも臍よりも下の下腹部の部分にドゥーエは手を載せてくる。

「知っているかしら、ディエチちゃん。いいえ、知らないはずが無いわ。わたし達が、この世に生を受けた目的は、人造生命体を後の世に広めると言うためでもある。そして、それを確かに後世に広めなければならない使命があるの。あなたのお腹の中にそれがあるのよ。生まれた時から、わたし達はそれを秘めている。これからもずっとね」

 ドゥーエの妖しげな表情が、優しく触れてくる手と相まって、ディエチはその奇妙さをただ感じる事しかできない。

「わたしの、いえ、わたし達のお腹の中に、博士の命が宿っているという事でしょうか?」

 それが、ディエチにとって答えられる言葉の一つだった。ディエチは知っているし、他の妹達も知っている。自分達の身体の中には、博士の命が宿っている。それは後世へと博士の行いを繋げるために、生まれる前から施された措置だ。

 博士とて永遠の命を持っているわけではない。博士に何かがあった時は、姉妹達は博士の子どもを産み落とす事ができるようになっている。それはその昔の人間達も行って来た、子孫を残すために無くてはならないシステムだった。

 今の時代の人間からしてみれば、ぞっとするようなシステムであるかもしれないが、生まれた時から、ディエチ達は、当然な事であるかのようにそれを受け継いでいた。

「わたし達は、かけがえのない存在。もしわたし達がいなくなったら、誰が博士の行いを世の中に広めるというの?わたし達の行いもそれに同じ。命を粗末にしちゃあいけないわ」

 ドゥーエはそう言うなり、自分の前に置かれていたコーヒーを飲み干してしまった。

 そして、ディエチに向かってにっこりとほほ笑むと、すぐにその場から立ち上がって、どこぞやへか行こうとしてしまう。

「どちらへ?」

 ディエチは慌ててドゥーエに向かって言ったが、

「任務に戻らないとね。あなたと会う事ができたのも何かの縁かもしれないわ。もしかしたら、もう会う事も無いかもしれない。それじゃあね、ディエチちゃん。自分の命を大切にする事よ」

 ドゥーエはその言葉だけを言い残し、すぐにホールから出て行ってしまうのだった。あまりに唐突にやって来て、そして彼女は唐突に出て行ってしまった。ほんの1時間程度の時間もない。あっという間の出来事だった。

「行ってらっしゃいませ」

 ディエチのその言葉がドゥーエに届いただろうか。彼女は行ってしまった。

 以来、ディエチはドゥーエに会っていない。

 

 

 

 ディエチが照準を定める軍の基地では、警報装置が鳴り響いていた。一斉に職員の待避が始まり、外部からの攻撃に対して備えが設けられようとしていた。

 その巨大な射程を持つ眼と砲台を構えたディエチは、人の姿がいなくなった施設に向かって、まず一発の砲を発射した。

 巨大な光弾の塊となった砲台からの発射物が、一気に空軍基地に向かって距離を詰め、目標となる物体を破壊した。

 着陸態勢に入っていたヘリが、再び飛び去ろうとしている。ディエチはそのヘリに向かっても、更に砲弾を発射して撃破した。ヘリの後部は木っ端みじんに吹き飛んだが、前方部が地面へと落下する。

 更にディエチは手薄になっている空軍基地の目標となっている施設に向かって、次々と砲台を発射した。弾をリロードする必要は無い。博士がディエチに与えたこの砲台は、エネルギーをチャージしておけば、チャージできている分だけ砲を発射する事ができるのだ。

 10発分の砲を発射したディエチは、自分の視界の中に入ってきた、目標物完全破壊の表示に一息つく。

 幾ら博士によって生み出された人造生命体であったとしても、持たされている人間的感情のせいか、目標物を攻撃する時などは、若干、緊張してしまうのだ。

 だがぐずぐずもしていられない。目標を全て破壊し終わった後は、すぐにこの場を異動しなければならなかった。軍は、すぐさま攻撃の発射地点を突きとめて部隊を送り込んでくるだろう。ディエチは即座に行動した。

 砲の発射が数秒遅れた以外は、全て計算通りに事は進んだ。博士はまた、彼が持つ計画に一歩近づいた事になる。

 だが、突然、ディエチの視界内に画面が現れた。誰かと思ったらそれはクアットロだった。彼女は眼鏡の中の眼光を光らせ、鋭くディエチに向かって言ってくる。

「ディエチちゃん。余計な事をしてくれたわね」

 いつもの、人を小馬鹿にしたような口調ではない、どことなく恐ろしげな表情を見せ、ディエチを見てくる。

「何?クアットロ姉様。目標は全て破壊できた。任務は完了のはず」

 ディエチは何の迷いも無くそのようの答えた。

「どうかしら?確かに目標は全て破壊できたけれども、死者数が0とは随分やるじゃあない?そのせいか、攻撃時間が少しばかりずれているわよ」

 クアットロは、したたかに目を光らせながらディエチを追求してくる。

「攻撃目標は破壊できたのだから問題はない。わたしはただすべき事をしただけ。それに、死者を出すようには命令されていない」

 ディエチはクアットロに対してしかと反論した。自分は何も悪い事はしていない。任務に間違った事もしていないのだ。

「ふん。目標を破壊できたから良いけれども、軍の基地に対して、直前に警告をこっそりしていたっていう事は見逃してあげるわ」

 ディエチは少し焦った。クアットロには何もかもお見通しのようだ。ディエチはなるべく砲撃による死者を出したくなかった為に、攻撃の直前に軍へと警告を入れたのだ。

 それは、ディエチの中に内蔵された通信システムによって行う事ができる。

「ドゥーエ姉様から言われました」

「はあ?何よ、突然」

 クアットロが、唖然としたような声を出して言った。

 ディエチは砲台を担ぎ、急ぎ山道を降りて行きながら答えた。

「命は大切にするようにと。わたしは人の命を大切にしたまで」

 彼女ははっきりとそのように答えたが、軽くあしらうようにクアットロは言って来た。

「ディエチちゃんは、お馬鹿なディエチちゃんよ」

説明
ディエチちゃん視点で動く物語です。
久しぶりにドゥーエお姉様が登場してきました。

彼女達が、自分のしている行いについて、それぞれの本心を語り合うお話でもあります。
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