夏夜の夢
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「カイダン? 何なの、それは」

 俺の提案に、華琳が小首を傾げる。

「『怪談』と書く。平たく言うと怖い話、怪しい話の総称だな。夏の風物詩で、こんな暑い日の夜にやるんだよ」

 魏の首都、洛陽は今日も暑かった。

 この世界にお天気お姉さんが居れば「本日も司州付近は高気圧に覆われており、特に洛陽では、最高気温が平年を大きく上回る見込みです。こまめに水分を取り、熱中症には十分に気をつけましょう」とでも言いそうな勢いだ。

 なので暑気払いとして夜に怪談でもやらないかと提案してみたのだが……。

「あんたこの暑さで頭イカレたんじゃないのっ!? 朝政を止めてまで何言ってんのよっ」

 俺の提案に怒鳴り込んでくる桂花だったが、汗をだらっだらに掻いており、朝殿に詰めた百官の誰より暑がっているのは明白だった。

「何よ、その私の体をなめ回すような視線は。また変態っぽいことを考えていたんじゃないでしょうね」

「誰が変態だよ……。いや、そういえばお前皮下脂肪多そうだもんなあ、と思って」

「……ヒカシボウって何よ」

 俺を殴ろうという姿勢でいったん固まる桂花。基本的に知識欲旺盛だから知らない言葉は気になるんだろう。

「いわゆる蜀の劉備が嘆いた髀肉のことだよ。ほらお前のお腹にもけっこう付いてるだろ」

 桂花の腹を突いてやると、ぽよんっ、という感触が返ってくる

「ははっ、ははははっ、……ブチ殺すっ」

 乾いた笑いから怒りの形相に転じた桂花から、脱兎の如き勢いで逃げ出す。

「待ちなさいよ、逃げるんじゃないわよ、今こそ殺してやるんだからっ」

「殺されると判ってて、誰が待つかっ、ってうわっ」

 進行方向に立っていた何者かに腕を取られた。

「北郷も桂花も、いい加減にしないか」

 俺と桂花を華麗に捕らえてみせたのは、秋蘭だった。この暑気にかかわらず相変わらずの冷静沈着っぷり。彼女には夏の暑さも関係ないらしい。

「そうだぞ、お前ら」

 秋蘭の横で尤もらしく頷く春蘭。

「騒げば騒ぐほど暑くなるんだ。もっと落ち着け」

 彼女の科白らしくないと思ったが、気合いで暑さをねじ伏せているようで、ほとんど汗を掻いていなかった。

 さすがは戦場を駆ける武官といったところだろう。

 しかし、同じ武辺者と言っても我が北郷隊は……。

「沙和、耐えるんやで、もう少しや、このさうな部屋を脱出したら冷たい麦酒できゅーっと一杯やっ」

 麦酒て。まだ真っ昼間だからな。

「真桜ちゃんもうダメなの。夏のぼうなすが少ししか出なくて沙和、もう麦酒も買えないの。こうなったら隊長に奢ってもらうしかないの」

 こらこら、勝手なこと言ってんな。くりあらんすがどうのとか言って買い漁っていた沙和が悪いんだろう。

 余りの光景に、声に出してツッコミを入れる気にもならない。うちの隊でまともなのは凪だけか。

 と、これだけ騒がしくしてるとさすがに華琳から怒声が飛んでくるなと思って玉座の方に視線をやったが、王はひどくぼんやりとした表情で俺を眺めていた。

「……華琳?」

 暑さで熱中症にでもなったのかと不安になっていると、

「だ、ダメよっ」

 華琳は卒然と玉座から立ち上がり、どこか虚ろな瞳で大声を上げた。

「ダメって、何が?」

「え……?」

「いや、いま大声でダメって……」

 居並ぶ百官の視線が自分に集中していることに気付き、口をもごもごさせたかと思うと、

「か、一刀、あなたのことよっ」

 俺を非難し始めた。

「一刀が暑いから何かしようと言い出すとロクなことがないわっ。この間だって、『暑いな、海に行こう』『あら、いいわね』『そこに小川があるんだ』小川じゃないっ」

 いや、だって海は日帰りで行ける距離に無いだろう。ていうかコレには元ネタがあってだな……。

「小川に着いたらついたで自分は真っ先に素っ裸になって、『あれ、華琳は脱がないのか』ですって? いきなり女の子を脱がそうだなんて、どんな変態よ」

 脱がないと小川に入れないだろ。

「仕方なく襦袢(和服の下着)だけで浸かっていると、肌が透けてこれはこれでエロいなとか、もうこの種馬っ」

「確かに言ったけどさ、それはふたりだけの秘密だ、って」

「ほう、確かに言ったのか、北郷……」

 そのひんやりとした声に、背筋をそろっと撫でられた気がした。怖々と振り返ってみると、そこには魏を代表するふたりの鬼武者が……。

「私のお腹は引き締まっているから、先の妄言は流すとしても……。華琳さまへの辱めは赦せないわね」

 前方には、相変わらずの汗だらだらっぷりを見せながらも冷酷な表情を浮かべる桂花が幽鬼のようにゆらりと立ちはだかる。

 前門の虎、後門の狼。

 こういう時は、

「三十六計逃げるに如かずっ」

「待て、北郷っ」

「逃がさないんだからねっ、観念なさいっ」

 っていうか、また走るのかよっ、だから暑いんだってば。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

「なんだかんだ言って結局やるんだな……」

 夜。

 改めて朝殿に詰めた百官を前に俺は嘆息した。

「いいから、始めなさいよ」

 提案したときは華琳以下非難囂々だったのに、夜になってみると、『一刀、まだなの』なんて急かしてくるんだからタチが悪い。

 まあ、ちょっとしたイベントになるし、これはこれでいいんだけどさ。

「じゃあ静かにしてくれ、えー、こほん」

 言いながら何のネタを披露しようか、頭を捻る。

 オーソドックスに幽霊、といきたいところだが、この時代じゃけっこう身近な存在らしく、驚いてくれない可能性があるので、とある有名な都市伝説を披露することにしよう。俺も始めて聞いたときはびっくりした一品だ。

「ある女性が道を歩いていた。年齢は二十歳ぐらい。妙齢だな」

「隊長の話にはすぐ女の人が出てくるのー」

「よっ、魏の種馬」

「いいから黙って聞け」

 茶々を入れてくる真桜と沙和を一喝して話を進める。

「で、時刻は夕方で、あたりは徐々に暗くなってきているんだ。いつもなら人通りがあるのに、今日は誰も歩いていない。女性は不安になって、家路を急いだ」

 一区切りして、みんなの顔を見回す。

「女性は知らず知らずのうちに早足になっていた。少しでも早く家に帰り着きたいという気持ちが表れたんだろうな。その時、女性はふと近道ができる裏路地の存在を思い出したんだ。汚くて薄暗い裏道だ。普段なら絶対に通りたくない。でも、女性は家路を急ぐ一心で、その道を通ることにした。すると、そこには……」

 ごくりと息を呑む一同。よしよしちゃんと聞き入ってくれているようだ。

「ひとりの男がうずくまっていた。いや、男かどうか判らない。ずきんを深めに巻いているから顔は見えないし、外套で全身を覆っているから老若男女のいずれか判然としなかったんだ。女性は怖くなって、もと来た道をとって返した」

「何故だ、押し通れば良いではないか。もし襲いかかられても撃退すれば良い」

 春蘭が不思議そうに異を唱える。

「全員が全員お前のように強いわけじゃないんだよ……」

「隊長はか弱い乙女にハアハアする変態なのー」

「よっ、魏の種馬」

「同じネタかよっ」

「隊長判ってへんなぁ、ネタは繰り返してこそ光るんやで?」

 したり顔で漫才の心得を語る真桜だった。

「それはともかく……。女性は、普段の道を走って帰ったことで何とか家にたどり着いたんだ。途中、不安になって後ろを振り返ったりしたが、幸い追ってくる人影はなかった」

 今度は誰からもツッコミがなかった。

「二、三日は何もなく、女性も単なる思いこみだったんだろうと忘れかけていた時、トントンと家の扉が叩かれた。女性はひょっとしてあの人影がやってきたのかと怯えたが、『警邏隊のものです』と声が掛かった。女性はほっと息をつき、扉を開けようと思ったが、驚きすぎて腰を抜かしてしまった。『申し訳ございません、病に伏せっており扉の中から失礼いたします』と返したところ、『近くで殺人がありまして。少しお話をお伺いしたかったのですが』。女性は、あの件だと震え上がった。警邏隊に見たことを話そうと思ったが、病と言った手前、却って疑われるのでは、と考え直し、そのままやり過ごすことにしたんだ。そうこうしている内に警邏隊は去って行った」

 一拍の間を設ける。

「さらに数日後、殺人犯が捕まったという掲示傍が立ったんだ。気になっていた女性は、それを覗き込んで、あっと息を漏らした」

「警邏隊の人間がそこに載っていたんでしょう」

 桂花が詰まらなさそうに呟く。

「桂花!? お前なんつーネタバレを……。というか、この話知ってたのか?」

「知らないわよ、だけど気付くでしょう、普通。というか、どこが怪談なのよ、怖くない上に詰まらないなんて最低よ」

 人の話のオチを奪っておいて、この言いぐさ。まったくもってヒドイ奴である。

「そんなに言うなら何か持ちネタあるんだろうな」

「もちろんよ、空箱の話よ、アレは本当に怖いのよ」

 文官勢は『それは怖い』と全員が仰け反っていた。いや、確かに文官には怖い話なのかも知れないけどさ。

「戦場を駆け働き、死体を山と積み上げた。そうしたらな、その死体の山から暗殺者が湧いて出てきたのだ」と春蘭。

 武官は武官で何やらいくさばでの怖い話をしていた。

「やれやれ、呼ぶだけ呼んでおいて早々にお役ご免か……」

 そうひとりごちて辺りを見回すと、ひとりだけ話に参加していない姿を見つけた。

「華琳……」

 華琳は、やはり何か別のことが気になる様子で、みんなを見守るようなことすらしていなかった。

 一体どうしたんだろう。気になる一方で、どこか近寄りがたい雰囲気を、俺は感じていた……。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 パーティイズオーバー。

 祭りが終わり、何となく手持ちぶさたになったので、夜の散歩としゃれ込んでみた。

 夏草が足下に生い茂り、その合間から虫の音が静かに聞こえてくる。

 空を見上げると、そこには満天の星。

「こんなの、元の世界じゃ見たことないや」

 夢のような光景に、少しドキドキしていた。

 そんな風に感度が高まっていたからだろうか。

「あれは……」

 独りで玲瓏殿(豪華な四阿みたいなもの)に入っていく華琳が目に入った。

「そう言えば、今日はずっとぼうっとしていたけど、大丈夫かな」

 少し心配になったので、後を追って、俺も玲瓏殿の中に入った。

 玲瓏殿は周りを池に囲まれていて、本殿と奥殿に分かれる。奥殿は非常にこぢんまりしており、机と椅子がふたつあるだけ。華琳はそこに居た。

 華琳は椅子に腰掛け、空を見上げていた。その生気の抜け落ちた表情にドキリとする。

 その様子はまるで怪談に出てくる幽霊のような――

「一刀……」

 名前を呼ばれたかと思ったが、華琳の瞳はまだ空を捉えていた。

「おい、華琳大丈夫か?」

「一刀? うふふ、嫌だ、一刀のことを考えていたら、一刀が出てきたわ。ねえ、あなたは本物の一刀?」

 俺の声に反応はしたけれど、明らかに様子がおかしい。

「どうしたんだよ、今日ずっとおかしかったけど、今のは決定的だぞ」

 駆け寄って、顔を覗き込むと、華琳は俺に視線を返してきた。

「私の心配をする、ってことは本物の一刀なのかしら」

「俺は、華琳こそ偽物なんじゃないのかって不安になるけどな」

「あははっ、その物言いはやはり一刀なのね」

「俺じゃなかったら、一体誰なんだよ」

 憑きものの落ちたような表情を、華琳は見せた。そのいつもの様子に、俺はほっとする。

「あんま心配させるな。怖くなるだろ」

「怖い、ね。ねえ一刀、今日あなた怪談だって言って怖い話してくれたじゃない」

「うん?」

「私はあの話、怖くなかったわ」

「悪かったな、元の話はけっこう怖いんだけど、うまく話せなかったんだよ」

「そうじゃないわ」

 華琳は苦笑した。

「そうじゃなくて、私の怖いモノはそれじゃないってこと」

「中原に覇を唱える魏の王にも怖いモノがあるんだ?」

 俺は少し茶化すようにして言った。

「当たり前じゃない。……少し前までは志半ばで倒れることが怖かった。いえ、それは今も同じね。ただ、もうひとつ増えたのよ」

 月の光を浴びた華琳は、ぞっとするほど美しかった。

 その様子に呑まれ、俺は身動きすら取れなかったが、華琳は華琳で何も言おうとしない。

「……華琳?」

 それどころか、小刻みに震えてすらいるようだ。

「どうしたんだよ」

 近づくと、すっと背中に腕が回された。

「……夢を、夢を見たわ。それもすごく怖い夢」

「どんな、夢だよ」

 俺は促さずには居られなかった。

「一刀がいなくなる夢。胡蝶のように夜に消えていくの。私は最初強がっているんだけど、もうどうしようもなくあなたが消えると判ったとき、消えないでってお願いするの。それでもあなたは消えていくのをやめてくれなかったわ」

 俺の手は、自然に華琳の背中へと回っていた。

 覇王の背。女の子の背。とても小さい、小さい背中。

「ねえ、一刀? あなたはいつか消えてしまうの? 私をひとり残してしまうの?」

 いや、と俺は否定を即答できなかった。

 華琳のその非現実的な話に、俺自身どこか覚えがあったからだ。

 それでも。

「華琳。今、俺はここに居る。こうやって華琳と抱き合って、華琳を感じている」

「そうね、ちょっと私たちの熱でちょっと暑いくらい」

「じゃあそろそろ……」

 離れようかと言おうとすると、華琳の余計に抱きついてきた。

「ダメよ。もう少しだけ、ぎゅっと、抱きしめて」

 俺は華琳の言葉通り、腕に力を込めた。

 華琳の夢が何なのか俺には判らないけれど、この甘い光景こそが、溶けて消えそうな、夏夜の夢だと、そう思った。

説明
怪談から始まる、夏の夜の物語。華琳メイン。
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コメント
きゅう・・・・うにゅう・・・・(七夜)
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