太平洋の覇者 5 「太平洋の覇者−後編−」
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 「天照」艦長・有賀幸作少将は,手元の艦内状況表示盤を見ている。

 そこには,「天照」の略図が3面図の様に描かれており,それは数十の区画に区切られている。

 その幾つかが赤色に着色されていた。その部分は,損傷または浸水をしている箇所である。

「手ひどくやられたな……」

 有賀は呟きつつ,画面を凝視する。

 右舷側の高角砲,機銃座は軒並み破壊され,赤色に染まっている。砲戦が開始されてから10分足らずの間に,だ。

 「天照」は開戦劈頭に,米新鋭戦艦の集中攻撃を受けた。およそ40秒毎に30発以上の敵弾が「天照」に降り注いだのだ。その度に2,3発の命中弾がでた。

 その度に「天照」は金属的な叫喚をあげ,上部構造物が破壊された。艦橋,機関部といった艦の中枢に致命的な打撃は受けなかったが,

「主砲が2門,やられたか」

 この間に,「天照」は11度の斉射を行っている。3門までに減少した主砲の発射であったが,敵艦を撃破できるだけの命中精度は出せたのだ。

「敵1番艦,取り舵。戦線を離脱します」

 情報管制官の言葉に,有賀は大きく頷いた。

「苦しい戦いだったが・・・皆,よくやってくれた」

 有賀は艦橋要員に聞こえるように言った。その時,

「敵の砲撃,来ます!数は6!発射したのは,敵4番艦です」

 情報管制官が声を張り上げた。

「敵2番,3番艦は砲撃をしていません。『月読』と『須佐之男』がやってくれたようですな」

「敵の攻撃は,この『天照』が吸収した。他艦は,落ち着いて戦闘ができたのではないかな」

 有賀の言葉に,高須四郎中将は頷いてみせた。

 やがて,空を轟する敵弾の飛翔音が聞こえてきた。

「総員,耐衝撃準備!」

 有賀が声を張り上げた。

 

 その光景は,「月読」の戦闘情報室に設置してある,40インチ情報表示盤で見る事が出来た。

 「天照」の艦体が,数本の水柱に包まれたと見えた瞬間,周囲の闇が吹き払われた。

 光増幅素子が,その明るさの変化に追従出来ず,状況表示盤の画像が真っ白になった。

「何が起こった?」

 「月読」艦長・森下信衛少将が身を乗り出しながら叫んだ。

「分かりません。『天照』に命中弾がでたものと思われますが……」

 情報管制官が手元のダイヤルを操作しつつ応える。

「画像,でます」

 情報管制官の言葉と共に,状況表示盤に「天照」の姿が映し出される。

「なんということだ……!」

 森下は,「天照」の姿を見て呻いた。

 「天照」は後部から多量の煙を吐いていた。勢いは弱いものの,炎も上がっているようだ。第5番砲塔から後部が,抉られたようになっており,艦尾にかけて亀裂が走り,そこからさかんに黒煙が出ている。こころなしか速度も落ちているようだ。正面やや左寄りに見えていた「天照」がじょじょに右舷側へと回頭してゆく。

「舵をやられたのか?」

 森下がそう独語した時,

「『天照』より通信,『我,舵ヲ損傷ス。機関モ損傷シ,戦闘・航行ニ支障アリ。以後ノ指揮ハ『月読』艦長ヘ委譲スル』,以上です」

 との報告があがった。

「『天照』が……」

 森下はつかの間,言葉を失った。

 天照型戦艦は,帝国海軍の象徴であり,帝国のもてる技術をつぎ込んだ最新鋭艦である。その天照型戦艦が撃破されるなど,本来はあってはならないのだ。

 森下は口を横一文字に引き,その光景を見ていた。

「敵4番艦,発砲」

 艦橋見張員からの報告に,森下は素早く反応した。

「本艦および『須佐之男』目標,敵4番艦,撃ち方始め!」

「撃ち方始め」

 その命令を待っていたと言わんばかりに,砲術長は主砲発射用電鍵を押し込んだ。

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 第二艦隊が砲戦を開始して,およそ5分が経過した。

 この間,重巡「高雄」は,各砲塔の1門づつを使用しての斉発を繰り返し,弾着修正を行っていた。

 敵艦との距離は8000メートルを維持しており,敵艦と同航する形での砲撃戦だ。しかし,敵艦も自艦も小刻みに転舵を繰り返している為に,未だに命中弾は出ていなかった。

「砲術,まだか?」

 「高雄」艦長・石坂竹雄大佐が,苛立ちを含んだ声音で砲術長へと問い掛ける。

「もう少し……あと1,2射で有効弾を出してみせます!」

 送話器から,砲術長の声が響く。こころなしか,彼の言葉にも焦りがみえる。

 次の瞬間,「高雄」はこの日10射目の砲撃を行う。連装5基10門の内,右砲が火を噴く。耳をつんざく轟音と,内臓を揺さぶる振動が艦橋要員に襲いかかる。

 入れ替わりに敵の射弾が落下する。今度は「高雄」の進路上,約10メートル付近に3本の水柱がたつ。「高雄」はその水柱へ突っ込む形になる。

 滝のような海水が艦首甲板を叩き,砲身に降りかかった海水は夜目にも白い水蒸気を発生させる。敵弾も精度が向上しつつあるようだ。いつ夾狭・命中弾がでてもおかしくない状況だった。

「弾着,今」

 時計員が声を張る。

 敵1番艦が水柱に隠れる。命中に伴う発光は認められなかった。

「全弾,近弾」

 電測員が報告をあげる。それを聞いた砲術長が,

「上げ1,急げ」

 と砲塔要員へと指示をだす。それから数秒後,「高雄」は第11射目を放った。

 5発の110キログラム,20センチ砲弾が秒速850メートルの速度でたたき出され,敵艦へ向けて一飛びする。

 入れ違いに敵弾が落下してきた。空気を裂く,甲高い音が聞こえてきたと思った瞬間,「高雄」は水柱に包まれた。

 右舷側に1本,左舷側に2本だ。

「夾狭されたか!」

 石坂は呻いた。敵艦の艦型は分からないが,主砲の門数は3連装3基9門と予想される。これで,およそ30秒おきに9発の20センチ砲弾が「高雄」に降り注ぐことになる。

「弾着,今」

 時計員が報告をあげると同時に,石坂は敵艦へと身を乗り出す。

「全弾,遠弾」

 と電測員が報告する。今度の射弾は,全て敵艦の頭上を通り越した事になる。

「『鳥海』,被弾!」

 見張員が悲鳴のような声を上げる。

「おのれ……」

 石坂が歯ぎしりをする。

 十数秒が経過した頃,左舷側海面が一際明るくなった。各砲塔1門づつの砲撃ではありえない光量であり,敵艦が斉射を行った証である。

 時を同じくして「高雄」が第12射目を放つ。各砲塔の右砲が火を噴き,空を焦がす。

 およそ10秒後,「高雄」を多数の水柱が包んだ。左右両舷に幾本もの水柱が林立し,衝撃に「高雄」の艦体が微かに震える。水中爆発の衝撃が不気味に足下から響いてくる。

 この砲撃で「高雄」には命中弾は無かった。幸運,だったと言えるだろう。だが,およそ20秒おきに9発の砲弾が降り注いでくる現実は変わらない。いつまでもこのような幸運は続くとは思われない。一刻も早く,敵艦へ砲撃を命中させなければならない。

「弾着,今」「近3,遠2」

 時計員と電測員の報告が同時にあがる。

「よし!」

 石坂は手を打った。「高雄」は12射目にして夾狭を成し遂げたのだった。

「次より斉射」

 砲術長の言葉が終わると同時に,「高雄」はこの日最初の斉射を行った。

 連装5基10門の20センチ砲が轟然と吠え,砲口から天をも焦がせとばかりに炎が吹き出し,夜目にもはっきりと分かる程の煙が吐き出される。

 基準排水量9850トンの艦体が震え,まるで串刺しにされたかのように感じられた。

 僅かに遅れて敵弾が飛翔する。空気を切り裂く金切り音が一際大きくなった時,

「来る……!」

 石坂は両の拳を握りしめ,衝撃に耐えるよう足に力を入れる。

 衝撃は2度,感じられた。何れも後部から前部へと伝わる衝撃だった。艦橋や煙突といった死角が在るため,直接命中箇所を見る事はかなわなかったが,艦が致命的な打撃を受けたようでは無かった。艦は依然として力強く前進を続けている。

「やられたか……」

 何処に被害を受けたのかは判然としない。応急総指揮官を務める副長からも報告はない。

 その報告を待つ間にも,「高雄」は第2斉射を行う。

 およそ十秒が経過した時,「弾着,今」と時計員が言う。

「やったか?」

 石坂が双眼望遠鏡を敵1番艦へ向ける。夜の闇に沈んでよく分からないが,敵に打撃を与えた様子はない。艦上構造物に変化も,砲弾命中に伴う火災も認められない。その敵艦が閃光に包まれる。前部から後部までが明るく光る。敵の主砲は全門が健在のようだ。

 負けじとばかりに「高雄」も第3斉射を放つ。

 両者の中間付近で砲弾が交錯し,狙った相手の頭上へと砲弾が落下する。

 今度は1発が艦首へ命中した。錨鎖が切断され,甲板の板材が引きちぎられ,大きく宙を舞う。大人が楽に入れる程の穴が穿たれる。

 この頃には,先の被弾の報告があがってくる。艦尾甲板と,艦載機揚収クレーンが倒壊したのだ。まだ致命傷を受けた訳ではない。連装5基10門の20センチ主砲は健在だし,機関は全開を保っている。

 再び敵弾が飛翔する音が聞こえてくる。その音をかき消すかのように,「高雄」は第4斉射を放つ。

 今度は2発が命中した。1発は艦首甲板を吹き飛ばし,兵員居住区で炸裂した。大量の木材が破片となって飛び,兵員の私物等が海面にばらまけられる。

 次の1発は,艦橋付近へと命中した。浅い角度で掠るように命中したようだ。金属同士のぶつかる甲高い音と火花が散り,砲弾は円弧を描いて海へ落下する。

 敵艦はどうなっているのか―――

 石坂は敵1番艦を見ると,艦様が変わっているように見える。煙突を損傷したのだろう,艦の中央付近から黒煙を噴出している。後甲板からは炎が立ち上り,艦自身を闇の中から浮かび上がらせていた。

「よし」

 石坂が満足げに呟くのと,第5斉射の轟音が重なった。

 10発の20センチ砲弾が,敵1番艦へと向かって飛翔する。

 弾着はおよそ10秒後だった。敵1番艦の前甲板と艦橋付近に,砲弾命中の閃光がはしる。

 次の瞬間に,巨大な火柱がそそり立った。細長い棒のような物が宙を舞うのも見て取れた。火柱は間欠的に,まるで花火のように吹き上がりその勢いは止まらない。

「砲塔に命中したな」

 石坂は笑いに口を歪めた。あの連続している火柱は,主砲弾薬庫に火がまわったものだろう。百発以上もの砲弾が次々に炸裂し,艦体を痛めつけているに違いない。

 これでとどめだ―――と言わんばかりに「高雄」は第6斉射を行う。

 敵艦も砲撃を行ったようだ。しかし,砲弾の飛翔音はこれまでに比べると小さい。弾着による水柱は確認できただけで3発であり,命中弾は無かった。

 「高雄」の第6斉射弾は,3発が命中した。1発は第1砲塔があった辺りに命中し,鋼鉄の塊と化していた砲塔の残骸を吹き飛ばした。2発目は背負い式に設置されている第2砲塔の基部に命中した。重量110キログラムの砲弾は,バーベット部を貫通し,揚弾器に激突した瞬間に炸裂した。第2砲塔は根本から引きはがされるようにして,艦体から転がり落ちた。3発目は艦橋上部へと命中し,レーダーアンテナや光学測距儀を含む上部構造物を破砕した。敵1番艦は,艦の目を失ったのだ。しかし,最早それは意味のないものだった。何故ならば,敵1番艦は全ての砲塔を破壊され,戦闘能力を失っていたのだから。

 

「敵艦,退避します。本艦よりの針路270度」

 電測員の報告に,石坂は大きく頷いた。

「他の敵艦はどうだ?」

 それまで黙って戦闘の成り行きを見ていた南雲が口を開いた。

「敵2番艦以降も,取り舵に転舵中。退避するもようです」

「勝ちましたな」

 石坂が肩を落とす。やや緊張を解いた表情ながら,彼は各部に指示を出す。

「『愛宕』から発光信号。『我,機関ニ損傷在リ。出セル速力20ノット』」

「『鳥海』より通信。『我,第1・第4砲塔損傷。機関ハ正常ニツキ,航行ニ支障ナシ』」

「『摩耶』より通信。『我,被害僅少。戦闘航行ニ支障ナシ』」

 第1戦隊各艦の状況が分かってくる。

「辛勝だな。駆逐隊の状況はどうだろう?」

 南雲が苦笑混じりに言った時,通信員が声を張り上げた。

「第一艦隊の通信を傍受。『陸奥』航行不能,『日向』轟沈!」

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 アメリカ海軍太平洋艦隊第2艦隊(TF2)の殿に位置する戦艦「ウィスコンシン」艦長・レオナルド=マックレンシー大佐は勝利を確信していた。

 

 TF2と聯合艦隊第一艦隊第二,三戦隊が砲戦を開始したのは,距離25000メートルにて同航になってからだ。

 日米両艦隊ともレーダー射撃を実用化しており,夜間であっても精確な砲撃が可能であった。

 第二戦隊の「長門」はTF2の1番艦「アイオワ」を,「陸奥」は2番艦「ニュージャージー」を,「伊勢」と「日向」は敵3番艦「ミズーリ」を相手取った。

 最初の命中弾は日本艦隊側が得た。

 天照型戦艦に搭載されている電探よりも精度の点で劣るものの,長門型や伊勢型戦艦は近代化改装の結果,新式の電探を搭載していた。これは同時期のアメリカ軍が採用していたレーダーよりも分解能で優り,これと連動した射撃盤は,「天照」「月読」に採用された零式方位射撃盤である。これは,同時期にアメリカ戦艦が搭載した初期型の電子計算機に速度で1000倍もの性能差があった。日本側が優位に立てるのは,ある意味当然だといえる。

 日本側は各砲塔1門づつを使用した交互撃ち方により,弾着の精度を高めていった。対するアメリカもやはり各砲塔1門づつの交互撃ち方で応戦した。

 「長門」は3射めで夾狭を得た。夜間で,25000メートルでの砲戦である。快挙といえた。

 「陸奥」は5射めで夾狭を得,「伊勢」「日向」はそれぞれ4射め,5射めで夾狭を得た。

 長門型戦艦は連装4基8門の41センチ砲弾を,伊勢型戦艦は連装6基12門の35.6センチ砲弾をおよそ40秒おきに敵艦へ向けて撃ち放った。

 特に米艦隊3番艦に位置する「ミズーリ」には24発もの砲弾が降り注いだ。1発毎の威力は「ミズーリ」の搭載する16インチ砲の方が優るが,弾薬投射量で日本側が上回った。威力の不足を量で埋め合わす作戦だった。

 日米ともに激しい砲撃戦を繰り広げた。

 戦闘は膠着状態に陥ったかに見えたが,アメリカ側が粘り強さを発揮した。

 TF2に属するアイオワ級戦艦は,ワシントン海軍軍縮条約あけに計画・建造された新鋭艦であり,艦隊戦の要(モンタナ級は対天照型戦艦用として建造された)となる,新世代の艦だった。新開発された主砲,徹底した集中防御方式とダメージコントロール,速力等攻・防・走のバランスのとれた戦艦なのだ。

 互いに斉射を繰り返し,被弾したが,炎と黒煙をあげ始めたのは日本艦隊側だった。

 特に第3戦隊を構成している「伊勢」と「日向」が酷かった。伊勢型戦艦は35.6センチ砲対応戦艦だ。米新鋭戦艦の16インチ砲に対して,装甲防御は十分とは言えなかった。砲弾が命中する度に,艦が衝撃に震え,巨大な穴が穿たれる。近代化改装を施しているからといって,伊勢型戦艦は艦齢30年近い老齢だ。新鋭戦艦と正面切って戦うのは,無謀といえただろう。

 

「敵4番艦,大火災」

 見張員の言葉を待たずとも,その光景は戦闘艦橋から見る事が出来た。

 イセ・タイプの2隻は前をゆく「ミズーリ」に砲撃を集中している為,マックレンシーが指揮を執る「ウィスコンシン」は被害を受けていない。

 マックレンシーは典型的な大艦巨砲主義者だった。戦艦こそが海の覇者,そして最強の戦艦を擁するアメリカ太平洋艦隊こそが,太平洋の覇者だと信じて疑っていなかった。

 そんな彼にとって,新設された中央戦闘指揮所(CIC)は窮屈な場所だった。マックレンシーは副長にCICを任せると,戦闘艦橋へと駆け上がり双眼鏡を敵艦隊へ向けたのだった。

「やったな」

 マックレンシーは口端をつり上げた。思った通りの光景がそこにあったからだ。

 イセ・タイプと思わしき敵4番艦が,闇夜に自身が放つ炎の光で浮かび上げっている。煙突より後ろから大量の黒煙が沸き立ち,その姿を隠しているが,時折火の粉が舞い上がり,炎が艦体を蝕んでいるのが分かる。

 しかしそれでも尚敵4番艦は屈しなかった。艦の前部から後部にかけて閃光が走る。未だ健在な主砲が火を噴いたのだ。連装6基12門の35.6センチ砲弾が夜気を裂きながら,「ミズーリ」へと向かう。そこには,例え砲が1門となっても戦闘を続けるという執念を感じさせた。

 マックレンシーは双眼鏡を前をゆく「ミズーリ」へと向ける。

 「ミズーリ」は各所から黒煙をあげながらも健在だった。やはり格下の14インチ砲では,16インチ砲搭載戦艦を沈める事など不可能なのだ。我の砲弾は装甲を貫通し,彼の砲弾は装甲を貫く事は出来ない。両用砲や機銃といった上部構造物を破壊は出来ても,主砲塔や艦橋といった重要区画にはダメージを受けた様子はない。

「次が止めだ,ジャップ」

 マックレンシーの言葉とともに,「ウィスコンシン」はこの日8回目の斉射を行った。

 50口径16インチ3連装9門の主砲が轟然と炎と爆煙を吹き出す。発生した衝撃波が海面を穿ち,基準排水量45155トンの艦体が衝撃に震える。

 艦橋においてさえ,その衝撃は全身を濡れ雑巾で叩かれたように感じる。頭の芯まで痺れる感覚に,しかしマックレンシーは満足感を得ていた。

 およそ30秒後,時計員が「時間」と告げた時,敵4番艦の周囲に水柱が林立した。その瞬間,艦の中央付近に発砲のそれとは異なる閃光がはしった。

 やったか―――と身を乗り出した瞬間,敵4番艦の中央付近から閃光が迸った。夜の闇に慣れた目が眩み,マックレンシーは目を細める。白くけぶる視界の中,彼は確かに見た。敵4番艦が巨大な火柱を上げたのを。

 敵4番艦は,艦体のほぼ中央付近から大量の黒煙と共に,構造物と思われる物を周囲にまき散らした。まるで巨大な生物が,己が体内の血しぶきを上げるがごとき凄惨な状況だった。

 「ウィスコンシン」の射弾は,2発が命中した。1発は中央に配置された第3,4主砲の中間に命中し,一瞬にして2つの主砲の能力を奪った。間髪入れず命中した2発目は,第3砲塔の正面防循に命中,厚さ280ミリの装甲を紙のように断ち割り,砲塔内で炸裂した。

 既に装填されていた主砲装薬や,揚弾筒内の主砲が連鎖反応のように炸裂した。砲弾命中から1秒と経たずして,第3砲塔はその内側から炎を吹き上げ,爆発四散した。

 

 やがて強烈な炸裂音に続いて,おどろおどろしい爆発音が,「ウィスコンシン」へと届いた。

 その頃には,敵4番艦は中央部から折れ曲がり,艦首と艦尾が空中に浮かび上がり,多量の黒煙と水蒸気を吹き上げていた。

 腹の底に響くような音を聞きつつ,さすがのマックレンシーも言葉が出なかった。これが,自分たちの為した事だとは,にわかには信じがたい光景だった。おそらくあの艦は,あと1分も浮かんではいられないだろう。艦内のほとんどの人間が,逃げ出す暇もないはずだ。一瞬にして千人以上もの人間の命を奪う―――どこか非現実的でありながら,それは間違いなく現実なのだ。

 マックレンシーは,しばしその光景を見つめていた。頭の中が真っ白になり,思考が途絶していたのだ。敵艦を沈めたという喜びは無かった。それは軍人としては失格だったかもしれない。だが,彼は人間であり,人間であるが故に,「後悔」という感情がわいていたとしても,誰もそれを非難する事は出来ないだろう。

 そんな状態のマックレンシーを現実に引き戻したのは,CICからの,

「敵4番艦の反応消失。敵2番艦,戦列から落伍しつつあり。目標の指示を請う」

 という,副長の冷静な声だった。

 マックレンシーは小さく舌打ちすると,腹の底から声を上げた。

「勝機は我にあり。目標,敵3番艦!」

 

「無念だな……」

 戦艦「陸奥」艦長・三好輝彦大佐は,前をゆく「長門」を見つめながらそう呟いた。正面にあった「長門」が左舷側へと流れてゆく。「陸奥」が面舵をきっている為だ。「長門」の姿が見る間に小さくなってゆく。機関に損傷を受けた「陸奥」は,現在10ノット程度の速度しか出せないのだ。

 「陸奥」の被害は主に後部に集中した。第3,第4砲塔を破砕され,主要防御区画を撃ち抜いた敵弾が機関室で炸裂し,ボイラーが停止してしまった。

 当初,第二戦隊は有利に戦いを進めていると思われた。最初の命中弾を出したのも,日本側だったからだ。だが,米艦隊も命中弾を得た頃から,優位が逆転した。

 主砲の発射速度の差,そして米戦艦の撃たれ強さには驚嘆の念を隠しきれない。これが米新鋭戦艦の実力なのかと,歯がみした程だ。

 「陸奥」は1921年に就役した,艦齢20年以上の老齢戦艦だ。いかに近代化改装を施したといっても,根本的な解決にはならない。一撃を受ける毎に艦体は苦鳴のような音を発し,各部から損傷の報告が上がった。

 「陸奥」は次第に身を削られ,そして敵艦に屈した。

 先ほどまで飛来していた敵弾も,もはや無い。敵艦隊は「陸奥」を脅威とは見なさず,その攻撃の的を他の戦艦へと変えたのだろう。

 「長門」からは,『極力艦ノ保全ニ努メヨ』との信号があった。

 その「長門」も無事だとは思えない。艦中央部付近から大量の黒煙を吹き上げている。炎がその身を苛んでいる。しかし機関は全力を発揮できているのだろう。「長門」は敵艦隊と砲撃を交わしながら,その姿を消してゆく。

 先ほど後部見張り員より「『日向』轟沈」の報告もあった。停止しつつある「陸奥」を追い抜いていったのは,これも黒煙を引きながら進軍する「伊勢」のみだった。

「負けだな,この戦は」

 少なくとも,第二,第三戦隊の状況は絶望的だ。4対4で敵わなかったのだ。半数に減った日本艦隊が勝てる見込みなど,無いに等しい。

 三好は歯を噛みしめた。悔しさのあまり,叫び出しそうだった。

「艦長,後方より小型艦多数接近!」

 電測員の叫びに,三好は体を強ばらせた。その小型艦が敵であったなら―――魚雷によって「陸奥」は止めをさされるかもしれない,と思ったからだ。

「敵味方識別信号に反応。小型艦は友軍です!第二艦隊のようです」

「来てくれたか!」

 三好は左舷側へと双眼鏡を向けた。

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「待たせたな」

 悽愴な笑みを浮かべたのは,第二艦隊旗艦重巡洋艦「高雄」の石坂艦長だった。

 戦闘を終えた第二艦隊が集合を果たした時,戦闘に耐えられると判断されたのは旗艦「高雄」の他重巡2隻,駆逐艦10隻であった。

 直後に味方通信を傍受した結果,第二戦隊,第三戦隊の不利を察した司令部は,彼らの援軍へと駆けつけることとしたのだ。

 重巡・駆逐艦ともに魚雷を残しており,これをもって敵戦艦を屠ると決めた。既に敵の軽快艦隊を撃退した事もあり,丸裸同然の敵戦艦へと,飢狼のごとく追いすがった。

「速度最大船速,敵艦隊へ追いつけ!」

 石坂艦長は大音声で下令する。

「電測より艦長へ。敵距離350」

 電測員の報告を聞いた,第二艦隊司令長官南雲忠一中将は,

「艦長,肉薄雷撃だ。距離50で雷撃せよ」

「了解しました!距離50で雷撃します」

 石坂は応じると,艦内電話機の送受話器を取り上げた。

「掌雷長,距離50で雷撃だ。やれるな」

「願ってもないことです」

 掌雷長の言葉に満足げに頷くと,石坂は前を睨んだ。

 この暗闇で,35000メートル先の敵艦を視認する事は出来ない。が,石坂はそこに怨敵の姿をかいま見た気がした。

「各駆逐隊に指令。雷撃距離50。我ニ続ケ」

 

 それを聞いた第18駆逐隊司令木村昌福大佐は,「肉薄雷撃とは,南雲長官は分かっておられる」と,豊かにたくわえた口ひげに手をやった。

「大丈夫でしょうか」

 副長の言葉に,木村は

「敵艦隊には護衛艦艇はおらん。その点は心配せんでもいい。だが,敵艦にも自衛の為の兵器はある。奴らは死にものぐるいで反撃してくるだろうな。だが心配はいらん。こちらは数で優っている。我が軍を全滅させる事はできん。例え一艦となってでも,雷撃が成功すれば我が軍の勝ちだ」

 と気負い無しに言ってのけた。

 

 第二艦隊の残余は,旗艦「高雄」を先頭に重巡「鳥海」「摩耶」,8駆の駆逐艦「満潮」,15駆の「早潮」「親潮」「黒潮」,16駆の「雪風」「天津風」「時津風」,18駆の「陽炎」「不知火」「霞」の順で,35ノットの速度で疾駆していた。

 途中黒煙を吹き上げ,その場に停止している「陸奥」とすれ違った。

「仇はとってやる」

 「高雄」艦長石坂は,そう呟くと艦内電話の送話器を取り上げた。

「機関,もっと回せ。『長門』と『伊勢』の救援に間に合わんぞ!……そうだ,機関が焼き付いてもかまわん!この一戦に全てを賭けるつもりでいけ!」

 と叫びこんだ。

「敵距離300」

 電測員からの言葉に,石坂は頷くと,司令官席に座る南雲を見た。

「本艦の砲の最大射程距離はいくらだ」

 南雲の問いに,砲術長が答える。

「29000メートルであります」

 南雲は頷くと,石坂に視線を向ける。

「艦長,距離290で射撃開始だ。なに,中たらずともよい。敵の注意をこちらに向けるのだ。そのまま友軍と敵艦の間に割り込め。帝国海軍の誇る酸素魚雷の威力を味わわせてやれ」

「了解しました。左砲雷撃戦用意!」

「左砲戦,了解」

「左雷撃戦,了解」

 砲術長と掌雷長の復唱がかえってくる。

「敵距離290」

 電測員の報告があがるや,石坂は大音声で命じた。

「目標敵4番艦。主砲,撃ち方始め!」

「撃ち方始め」

 砲術長の復唱と共に,前方へ指向可能な前部2基の主砲塔が轟然と吼えた。砲術長は最初から斉射を予定していたのだろう。4門の20センチ砲が火を噴いた。

「敵距離280」

 の報告と同時に,「高雄」は第2斉射を行った。前部2基4門の主砲が火を噴き,その発砲煙をかき分けるようにして「高雄」が姿を現す。

 敵4番艦に打撃を与えているようには見えない。

「敵距離270」

 この間に,「高雄」は第4斉射を行っている。敵4番艦の周囲に水柱が立ち,数発が命中していると思われた。後方からも砲声が聞こえてくる。後続の「鳥海」「摩耶」も砲撃を行っているのだ。

「敵距離260」

 の報告と,第5射目が重なる。連装2基4門の20センチ砲が轟然と火を噴き,重量110キログラムの徹甲弾をたたき出す。秒速850メートルで疾走する砲弾は,おおそ30秒で敵艦へと到達する。弾着を待つ間もなく次弾が装填され,発射される。

「敵艦は,こちらの接近に気づいていないのでしょうか」

 石坂の呟きに,南雲が首を横に振った。

「それはないだろう。米戦艦にも電探はある。我々の接近は探知しておるはずだ。奴らはまず『長門』と『伊勢』を始末してから,我々を相手取るつもりだろう」

 南雲の言葉が終わるやいなや,米戦艦の4番艦が発砲した。それは明らかに日本戦艦隊に向けられていた。

 

 南雲長官の言葉は正解に近いものだった。

 米戦艦隊TF2は距離3万メートルで,第二艦隊の接近を察知していた。軽快艦隊であるTF3の敗北を知ったTF2は,難しい選択を迫られた。

 錯綜した情報ではあるが,TF1が敗れたという情報も入ってきていた。

 ここでTF2司令官フランク=J=フレッチャー将軍は決断を下す。現状,TF2は日本艦隊に優っている。TF1が敗北したとあれば,その負けを払拭する必要もあろう。何より,相手は手負いだ。もう少しで撃滅できる。TF2のアイオワ級戦艦は,33ノットが出せる快速艦だ。敵の軽快艦艇を振り切るのは,勝負を決してからでも遅くはないと。

 フレッチャー中将は戦闘の続行を指示した。「残存敵戦艦を撃滅せよ」と。

 

 一方,日本側は意気が上がっていた。援軍が駆けつけてくれたおかげで,絶望的な戦況に一縷の望みがみえたからだ。

 戦艦「長門」艦長・兄部勇次大佐は戦艦部隊を,第二艦隊の囮として使う事を決意した。戦艦部隊を盾とする事で,第二艦隊の突入を成功させようとしたのだ。

 「長門」「伊勢」は増速と減速を繰り返し,舵をゆるやかに面舵にきった。これは敵から離れる位置であり,米戦艦が日本戦艦隊を追従しようとすれば,面舵をとることとなった。結果的にこれは直進する第二艦隊と交差する軌道となり,到達距離を縮めることとなった。

 日本戦艦隊のこの機動は功を奏した。命中弾が出なくなったのだ。それは当然といえた。射撃の諸原は,敵艦が現状の速度・方位を維持することを前提として入力されており,日本艦隊の断続的な速度の増減は,照準を狂わすこととなったのだ。およそ40秒おきに1〜2発の命中弾を受けていた日本戦艦隊だが,命中弾を受ける事がなくなったのだ。

「よし,いいぞ」

 「長門」艦長・兄部大佐は煤で汚れた顔をほころばせた。現状は,こちらの思惑通りに進んでいる。

「もう少し頑張ってくれ,『長門』」

 兄部は誰に言うともなしに呟いた。

 ここにきて「長門」は意地をみせた。3基6門に減った主砲が放った徹甲弾が,敵1番艦の第1砲塔に直撃したのだ。この被害により,敵1番艦の第1主砲塔は旋回不能に陥った。

 そして,米艦隊が気づいた時には,第二艦隊は距離15000メートルまで接近していたのである。

 

「敵距離140」

 電測員の言葉に,石坂は大きく頷いた。

「『長門』と『伊勢』がうまくやってくれたようだな」

「はい。敵艦隊をうまくこちらへおびきよせてくれましたから。ここまで来れば作戦は成功したも同然です」

「『長門』と『伊勢』の努力を無駄にしないようにせんとな」

 石坂の言葉に南雲が応えた時,

「敵艦発砲!」

 と艦橋見張員からの報告があがった。石坂が敵艦へと視線を向けると,敵艦の艦上に夥しい閃光が走るのが見えた。

「高角砲ですな。そのような小口径砲で,この『高雄』を止める事はできん」

「だが,万が一という事もある。むき出しの魚雷に1発でも食らえば,この『高雄』とて無事ではすまん。装甲など無きに等しい駆逐艦ではなおさらだろう」

 南雲の言葉に石坂は,口を真一文字に結び頷いた。

 やがて,「高雄」の周囲に弾着に伴う水柱が林立した。さほど大きなものではない。12センチクラスの砲のようだ。弾着位置は近いものでも2百メートルは離れている。

「敵も慌てておる。取りあえずは近づけるな,ということかな?」

 石坂は不敵に笑った。

「敵距離120」

 電測員の報告に,南雲は大音声で告げた。

「一水戦目標敵4番艦,8,15駆目標敵2番艦,16,18駆目標敵3番艦。全軍突撃!」

 

「いよいよ出番か。この時を目指して日々鍛錬をしてきたのだ。各員,日頃の訓練を十全に活かせ!」

 18駆の司令駆逐艦「陽炎」艦長・木村昌福大佐は,機関の音に負けじと声を張り上げた。

 基準排水量2000トンの艦体が,波頭を切り裂きながら疾駆する。機関の限界を超えた36ノットのスピードで前をゆく「高雄」型重巡洋艦を抜いてゆく。

「敵3番艦との距離,110」

 見張員が報告をする。

「あと60か。いけるかな?」

 木村は自慢の髭を右手で扱きながら呟いた。敵艦との相対速度はおよそ8ノットだ。6000メートルを縮めるにはおよそ7分必要だ。

 おぼろに見えていた敵3番艦の姿が次第に明確になってゆく。敵3番艦からの反撃はない。

「しめた!奴は我が戦艦との戦いで,高角砲や機銃をやられているぞ。これならば恐れるに足らん。寮艦は付いてきてるか?」

 木村は手を打った。程なくして見張員から報告がある。

「『不知火』,『霞』ついて来ています」

 木村は「よし」と返答するや,水雷所へと繋がる艦内電話の送受話器を取り上げた。

「掌雷長,聞こえるか。儂だ。魚雷の準備は出来とるか」

 木村の問いに対する返事はすぐだった。

「準備は万端です。魚雷も調整済みです」

「よし,距離5000で魚雷を発射する」

「了解しました!」

 木村は満足げに頷くと,送受話器を置いた。

 その時であった。敵3番艦の艦尾付近に閃光が奔ったのだ。

「敵艦発砲」

 見張員の言葉に,副長が顔を強ばらせる。

「敵は主砲を向けてきました」

 「陽炎」の周囲に,巨大な水柱が3本突き立った。水柱は艦橋を超え,その頂点を見る事はかなわない。

「心配するな。奴は苦し紛れに主砲を撃ったにすぎん。小型の駆逐艦に命中などするものか。それに,懐に飛び込んでしまえば,もう主砲は撃てん。それまで我慢だ」

「敵距離90」

 の報告と敵弾の弾着が重なった。その精度はよくない。最も近いものでも「陽炎」から百メートルは離れている。

 木村は顔色一つ変えず,組んだ両腕の右手人差し指を上下に動かした。それはリズムをとっているかのようだった。

 その様子を見た幕僚の一人は,「何と剛胆な人であろうか」と後に回想している。

「敵距離70」

 その間に,更に2回敵は主砲を撃った。その内の1発が「陽炎」の至近に落下した。

 戦艦の装甲を貫通する為の巨砲の弾である。巨大な水柱に乗り上げるように「陽炎」は突っ込んだ。大量の水が集中豪雨のように降り注ぎ,艦体を叩く。その時の水圧は想像以上で,むき出しの機銃座にいた何人かが波にさらわれた。

 「陽炎」は大きく傾斜し,艦橋要員の中には,よろけて海図台にぶつかる者もいた程だ。ただ木村だけは,よろける事もなく,「米軍もやりおるな」と呟いただけであった。

「距離60」

 の報告が上がった時,木村は歯を見せた。

「来たぞ,米軍」

 木村は呟くや艦内電話の送受話器を取り上げた。

「掌雷長,出番だ。我が軍の誇る魚雷の威力を身に持って知らしめてやれ」

「了解しました。」

 掌雷長は,はっきりとした声音で返答した。今頃は魚雷発射管周辺では将兵がその時を今か今かと手ぐすね引いているに違いない。

「距離50」

「面舵!」

 見張員の言葉と航海長の言葉が重なった。艦橋からは見えないが,4連装魚雷発射管から4本の新式魚雷が海中へと踊り出た気配を感じた。

「掌雷長より艦長。魚雷発射完了」

「『不知火』より信号。『我,魚雷発射完了』」

「『霞』より信号。『我,魚雷発射完了』」

 木村は満足げに頷いた。3艦合計12本の魚雷が,敵艦の艦腹を食い破るべく疾走を開始したのだ。

「敵艦,取舵!」

 見張員の報告に,木村は凄みのある笑みを浮かべた。

「今更遅いぞ,米軍」

 米戦艦は艦尾をこちらに向けようとしている。魚雷の進行方向へ艦を向ける事で相対面積を最小にし,魚雷をかわすつもりなのだろう。

 だが,その努力は徒労に終わることになる。

 木村「陽炎」艦長が口にしていた「新魚雷」は93式改または2式魚雷と呼ばれるものだった。

 これは日本海軍のみが唯一開発に成功した酸素魚雷に音響追尾機能と磁気近接信管を追加したものだった。音響追尾機能は,的艦のスクリュー音を自動追尾する機能であり,磁気近接信管は魚雷発射後数十秒後に有効になる機能で,的艦の帯びる磁気を感知して魚雷を爆発させる装置だ。この磁気近接魚雷の優れている点は,最大の磁気を感知してから,徐々に磁気が弱くなった時に作動する事で,目標艦から遠ざかった直後に爆発する事だった。

 直接命中した時に比べて破壊力は劣るが,酸素魚雷の搭載する480kgの高性能火薬の爆発に伴う水圧で,的艦の艦体を痛めつける事が可能だった。

 その必殺とも呼べる魚雷が,時速55ノットのスピードで敵艦へと海面下を疾走している。5000メートルの距離ならば,およそ50秒で到達する。

 時計員がストップウォッチで時間を計る間,木村は次の命令を下していた。

「取り舵一杯!急速回頭。右魚雷戦用意!」

 新型魚雷の命中率は従来の魚雷とは比較にならない。しかし,万が一外した時の為に右舷側の魚雷を発射するつもりだった。

「取り舵一杯」

「右魚雷戦」

 航海長と砲術長の復唱が続く。

 「陽炎」は左に船体を傾けながら,見事に最小半径で回頭してみせた。

「時間」

 時計員が声を張り上げた時,木村は右舷側に見える敵艦へと目をやった。

 敵3番艦の艦尾の海面が盛り上がり,次の瞬間爆発的に水柱が立ち上がった。続いて3本の水柱が林立し,つかの間敵3番艦の姿を隠した。

「命中です!艦長」

 副長は歓声をあげた。「陽炎」の各所でも,快哉を叫ぶ者,「万歳!」と腕を天に突き上げる者が続出した。

 最初の魚雷命中から数秒後,敵3番艦の中央付近にも水柱があがった。くぐもった爆発音と,水中爆発に伴う衝撃波が「陽炎」でも感じられた。酸素魚雷の威力を改めて知らしめる現象だった。

「命中は3本,至近弾炸裂は1本か。命中率は30パーセント強か」

 木村がそう呟いた時,敵3番艦は艦尾を大きく沈めていた。列強の魚雷よりも一回り大きい61センチ酸素魚雷の命中だ。敵艦の艦尾は無惨にも裂け割れ,そこから大量の黒煙と,真っ白な水蒸気が噴出している。

「あの艦は,もう保たんな」

 木村は呟いた。

 巨大な破口から大量の海水を飲み込んだのか,敵3番艦は艦尾の最上甲板まで波間に沈みこんでいる。ここからでは見る事は叶わないが,艦首が海面下から姿を現している事だろう。

 「総員退艦」の命令でも出たのだろうか,敵艦上に無数の人影が蠢き,次々に海面へと飛び降りている。

 金属的な叫喚が聞こえてきた。負荷に耐えきれずに,艦の竜骨がきしみをあげているのだ。

「旗艦に打電。『我,敵3番艦ヲ撃沈ス』 副長,あの艦が沈んだら船を沈没海面へ寄せろ。一人でも多くの将兵を助けてやろう」

「了解しました。敵艦沈没後,海面が落ち着いたら救助作業にかかります」

 副長が敬礼をして,各部署へと命令を伝えていくのを見ながら,木村は艦長席へと腰を下ろすや小さくため息を吐く。

「『長門』と『伊勢』を救う事が出来たな。さて……『陸奥』はどうなったかな」

 木村は,暗闇に支配された海上に視線を向けながら,誰に言うともなしに呟いた。

 

 

「何ということだ……!」

 TF2旗艦「アイオワ」にて,司令官フランク=J=フレッチャー中将は言葉を失った。

 TF2を構成する4隻のアイオワ級戦艦の内,「ニュージャージー」と「ミズーリ」が沈没し,「ウィスコンシン」が航行不能になったと報されたからだ。

 信じられなかった。ほんの十数分前までTF2は有利に戦闘を進めていたのだ。イセ・クラスの1隻を沈没させ,ナガト・クラスの1隻を撃破した。残るは2隻の戦艦のみ。数で倍,性能でも優っていたのだ。勝利は間違いないはずだった。

 しかし,日本海軍は強敵だった。

 戦艦の数の不利を,軽快艦艇の魚雷攻撃によって埋め合わせた。そればかりか形勢を逆転してしまったのだ。

「司令,どうします」

 「アイオワ」艦長・エドワード=ワイズマン大佐が青ざめた表情で問い掛けてきた。

 フレッチャー中将はすぐには返答出来なかった。事態の急展開に思考がついていけなかった。「敗北」の文字が頭の中を真っ白にしてしまっていた。

 およそ10秒が経過した時,フレッチャーは「撤退する」とだけ口にした。その声は震えていた。

「『ウィスコンシン』はどうしますか?」

「『ウィスコンシン』は救えん。遠からず敵駆逐艦の魚雷によって沈められる。それに救助に向かえば,この『アイオワ』も雷撃されるかもしれん」

 フレッチャーの言葉に,ワイズマン大佐は小さく頷いた。心情では「ウィスコンシン」を救いたい。しかし,それは無理だと,彼も理解しているのだろう。

「針路140度。当初の打合せ通り,集合地点へと向かう」

 フレッチャーの命令をワイズマンが復唱しようとした時――

「レーダー室より艦長へ。敵艦らしきもの接近中。距離30000メートル!」

 レーダーマンの絶叫が聞こえてきた。

「なんだ―――」

 フレッチャーが,口を開いた時,彼は今までに経験した事のない衝撃にはじき飛ばされた。

 艦内構造物に体がぶつかったのか,激痛がフレッチャーを襲う。

「砲撃,か……」

 それが,彼が口にした最期の言葉だった。

-5ページ-

 そこは巨大な環礁だった。

 抜けるような青空の下,大小さまざまな島が横たわっている。

 大日本帝国海軍の太平洋における牙城,トラック環礁である。

「未知の新鋭戦艦3隻撃沈,1隻撃破。アイオワ級戦艦4隻撃沈。その他に重巡3隻撃沈,1隻撃破。駆逐艦6隻撃沈,2隻撃破です」

 参謀長草鹿龍之介少将の報告に,聯合艦隊司令長官小沢治三郎大将は頷いたあと,

「我が軍の損害は?」

 と問い掛けた。

「『天照』,『長門』,『陸奥』,『伊勢』が大破。『日向』が沈没しました。重巡『愛宕』が大破,『鳥海』が中破との判定を受けています。駆逐艦の被害ですが,4隻が沈没,5隻が小破ないしは中破との報告を受けています」

「結果を見れば,我が方が圧勝した事になるな」

 小沢の言葉に,情報参謀・兼高宗継大佐が返答する。

「はい。フィリピン沖海戦で,米軍は4隻の新鋭戦艦を失い,先日のマーシャル諸島沖海戦で3隻の新鋭戦艦,4隻の新鋭アイオワ級戦艦を失いました。これで,米国の稼働戦艦は一気に激減。残るは条約前の旧式戦艦のみとなっています。米太平洋艦隊は,建軍以来,最大の敗北を喫したといえるでしょう」

「我が方の損害も決して楽観できません」

 草鹿が言葉を続ける。

「『天照』は機関と舵を損傷しており,出し得る速力は10ノットです。『長門』と『伊勢』は自力航行が可能ですが,砲撃によってかなり損傷を受けており,内地へ回航してドック入りしても,戦列に復帰するのに1年はかかるとの見込みです。『陸奥』は機関を損傷しており,自力航行が不能となっており,こちらも1年から1年半が必要だと思われます。現在,我々が動かせる兵力は天照型戦艦3隻,扶桑型2隻,金剛型4隻です。この内扶桑型は速力も遅く,主砲も14インチと条約明けの16インチ砲戦艦と渡り合うのは困難です。使い勝手を考えると,実際に運用出来る戦艦は7隻ということになります」

 小沢は数秒目を閉じたあと,最大の懸念を口にした。

「米国はどう動くだろうか。講和か,継戦か」

 その場にいた幕僚達は,それぞれの顔を見やる。誰もが答えに窮しているのだ。

 口を開いたのは,兼高だった。

「今回の一連の戦いで,米艦隊は11隻もの戦艦を失いました。戦艦1隻の乗組員が2000名弱として,2万人以上の将兵の命が失われた計算になります。緒戦で完敗を喫したうえに,これだけの戦死者を出したとなると,米国世論も黙ってはいないでしょう。最悪,大統領の罷免もありえます。米国民に厭戦気運が増せば,講和もありえるかと」

「戦争をするのは我々軍人だが,戦争を始めるのも終わらせるのも政治の問題だ。あとは,この戦果を十分に活用して,政治家達がうまくやってくれる事を願うしかないな」

 小沢はそう言うと,司令長官席から立ち上がった。

「何れにしても,皆,よく戦ってくれた。この度の勝利は,全将兵の努力の賜だ。この戦が終わるにしろ続くにしろ,これからも力を貸してもらいたい」

 と言うと,局舎の窓外へ視線を向けた。

 その場に居る者達が直立敬礼する中,小沢は岸壁に繋がる巨艦を見ていた。

(これからも,日本の象徴として,働いてくれ。貴艦達に武運長久あれ)

 太平洋に君臨する覇者に向け,小沢は心の中で,そう語りかけていた。

 

【了】

説明
 「太平洋の覇者」も、今回が最終回です。
 日本艦隊と米艦隊の決戦の決着がつきます。
 今まで拙作を読んで頂いてありがとうございました。機会があれば次の作品でも、またよろしくお願いします。
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オリジナル 架空戦記 戦艦 太平洋の覇者 

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