真・恋姫無双 〜美麗縦横、新説演義〜 第三章 蒼天崩落   第四話 何処に捧ぐ誇りか
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司馬懿は、こみ上げてくる笑みを隠そうともせず哂った。

 

どれ程過去に遡ろうと只の一度もなかった程の失笑が溢れ出て、それを抑える事もなくただただ腹の底から嘲笑った。

 

 

失敗と云えば失敗である自身の策への嘲笑。

成功と云えば成功である自身の策への愉悦。

 

 

いずれでもない感情を形容する言葉が見つからず、しかし司馬懿にとっては最早どうでもいい事だった。

 

 

 

自ら下さずに遂行されたその策は一枚の絵画であり、そこに加えられた一筆でその絵は姿をガラリと変えた。

 

 

それが自らが望んだ以上の名画となり。

そして己が想定した以上の駄作となった。

 

 

そうなる事を望んだのか、望んではいなかったのか。

そうしたのは自分なのか、この者なのか。

 

答えは分からない。

解を見出す事を、考える前から放棄したのは彼にとって初めての経験だった。

 

 

確実に答えを知る筈の存在は――――――

 

 

 

「雪蓮ーーーーーーッッッ!!!」

 

 

 

目の前に崩れ落ちたこの女は、既に物言わぬ骸と化していたからだ。

 

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荊州との連合軍へと蓮華達を向かわせた後、雪蓮は『ある場所』へと赴いていた。

 

 

「母様……」

 

 

『そこ』は、如何な重臣宿老であろうと立ち入る事を許されざる場所。

孫呉にとって―――孫家にとって聖地とも呼べる場所。

 

先代当主・孫文台が眠る墓所だった。

 

 

「……どうしちゃったんだろうね?私」

 

 

力なく呟きながら、雪蓮は一歩一歩足を進め、その中央部――周囲を木々に囲まれ、やや開けた場所に一つの石碑が整然と佇む――へと、まるで縋る様に歩み寄った。

 

 

「孫呉の天下……蓮華や小蓮や、みんなが笑っていられる場所を望んでいたのは誰でもない母様で、それは私の願いでもあって…………」

 

 

やがて崩れ落ちる様に膝を付き、目の前にただ立つ石碑に語りかける様にして、

 

 

「―――なのに、今の『私』は……それを叶えられそうにないなんて、諦めちゃいそうなんだよ?」

 

 

粛々と、瞳から大粒の涙を零した。

 

 

 

 

 

あの日――蓮華と朝議で凄まじい論議を交わした日――から、雪蓮は不思議な夢を見る様になっていた。

 

 

夢の中の自分は、一人の女の子。

母が健在で、蓮華も小蓮もただお姫様で。

 

そこでは、祭も程普も冥琳も太史慈も、みんなが笑顔で。

幸せそうな笑顔で、楽しそうな笑顔で笑って、語らっている。

 

 

そんな『ありもしない』光景を、『ありえない』光景を夢に垣間見て、いつも気づけば頬を冷たい筋が通っていた。

 

 

今の自分は一国の王。

常に気高く、誇り高く在らねばならぬ存在。

 

そうして自分を長年律し続けてきた事を、実は自分自身が一番疎ましいと思っていたとでも言うのだろうか?

 

 

そんな事を考え、しかし雪蓮はその思考を否定する。

 

 

自分の選択に疑問を抱く事も、後悔する様な事もただの一度さえなかった。

そう、自分に誇れる様に生きてきた。

 

 

そしてそれは、これからも変わらない。

 

それが如何な茨の藪で、どれ程険しき道なのだとしても。

それを知らぬから―――否、知ったとしても。

 

 

自分はこの足を止めはしない。

それが己で決めた道であり、進むべき先なのだと定めたから。

 

 

だから、この涙はただの『甘え』なのだと、『温さ』なのだと切り捨てた。

 

 

それが一国の王として。

孫家の当主として。

 

 

―――誰よりも愛しき妹達と、家族を守る存在としての義務だから。

 

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「成程家族か…………私には到底、理解も出来ない事だな」

 

 

手を叩き、拍手を送る音が背に響く。

やけに皮肉めいた嘲笑混じりの声音が耳を打ち、雪蓮はスッと立ちあがった。

 

 

「……大陸一の権力者が、こんな所まで何の用?」

「そう邪険にするな。泣こうが喚こうが、誰も気にはしないさ」

 

 

木にもたれかかり、雪蓮の予測通りに薄ら笑いを浮かべながら男―――司馬懿は、その双眸を雪蓮と、その背にある石碑に向けていた。

 

 

「天下はただ過程……真の大願は、ただ己の箱庭を広げる事だけだったという訳か」

 

 

クックッと、司馬懿は喉の奥を鳴らして嗤う。

その仕草に、雪蓮の眉がピクリと動いた。

 

 

「……何か棘のある言い草ね?」

「―――死ぬほどの吐き気がするわ、小娘」

 

 

瞬間、大気に鋭い戦慄が奔った。

 

 

「たかだがその程度のつまらぬ野心で『小覇王』を僭称し、あまつさえこの私を利用したとでも言うつもりか?下らな過ぎて反吐が出る」

「……随分な物言いね」

 

 

僅かに殺意を滲ませる雪蓮に、しかし司馬懿はさも失望したと言わんばかりに首を振った。

 

 

「嗚呼実に残念だよ、小覇王。貴様には小指の爪先程度には期待してやっていたというのに……所詮は辺境の泥棒猫止まりか、孫伯符」

 

 

真正面から対峙すれば如何な手練れでも寒気を覚えるとまで謳われる雪蓮の眼光を受けながら、司馬懿はまるで臆した様子もなく続けた。

 

 

「やはり貴様では駄目だ……あまりにも役不足だ」

「…………?」

 

 

つと、雪蓮は疑問符を浮かべた。

 

丸腰の筈の司馬懿は、しかし何処か凶を纏って。

 

 

「―――貴様にも、ご退場願おうか」

 

 

刹那。

赤灼の炎熱が、肩を貫いた。

 

 

 

 

 

『―――ねぇ、ちょっといい?』

『……何か?』

 

 

時を遡る事、連合軍の陣中にて。

そこが、二人が初めて出会った場所だった。

 

 

『張勲に何を吹きこんだのかは知らないけど、下手な行動は自分の首を絞めるわよ』

『――――――へぇ?気づいていたんですか』

 

 

雪がさらさらと降り落ちる灰色の空の下で、彼の銀色の髪はゆらゆらと動く。

深い蒼の双眸に、実に愉悦に富んだ色を映しながら、

 

 

『……小覇王、孫伯符』

『…………何?』

『―――私と、手を組みませんか?』

 

 

男―――司馬懿は、その華奢な細腕を差し出しながら『哂った』。

 

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「嗚呼失望だよ孫伯符。この絶望に似た感情を表すなら、それはやはり失望以外の何者でもないのだろうな」

 

 

肩口に奔る激痛に顔を顰めながらも、雪蓮は射殺さんばかりに司馬懿を睨む。

しかし司馬懿は狂った様に嘲笑を零しながら、酷く無邪気にも似た声音でただただ独白の様に話し続けた。

 

 

「契約に反し、我が爪先程度の期待すら裏切り、この私に失望を覚えさせたのは他ならぬ貴様。…………小覇王が聞いて呆れる」

「ッ……随分な、物言いじゃない……ッ?」

 

 

肩から腕へと滴る血を肌に感じながら、しかし雪蓮は腰に提げた南海覇王の柄を握り、腰を落として構えた。

 

 

「家族の為に戦う、のが……そんなに、下らないのかし、ら?」

 

 

少なくとも自分はそうは思わない。

 

言外にそう含めて返すと、司馬懿の表情は一変した。

 

 

「―――ああ、実に残念だよ」

 

 

全てに失望した様な、魂魄からの呆れの声音。

何もかも嫌になった様な、存在そのものを嫌悪する様な声音。

 

 

「貴様にもう価値はない。失せろ」

 

 

言って、司馬懿は今一度手に持った『それ』の引き金を――――――

 

 

 

「貴様ァァァッ!!!」

 

 

轟音。

 

爆音。

 

刹那響いたそれに樹木は根こそぎ吹き飛び、大地に巨大な嵐が生まれた。

 

 

 

 

 

太史慈は元々、江南に住む土豪の士ではない。

幼くして父を亡くした彼は、母一人に育てられた。

 

 

その頃の大陸は各所で盗賊の類が出没して不穏にあった為、太史慈の母は旧知の孔融を訪ねその庇護を受けた。

その後、江東を瞬く間に制圧した孫堅が台頭すると其方へと移り住み、間もなくその母も亡くなって太史慈は天涯孤独の身となった。

 

母の喪を弔ってから、太史慈は一人青州へと移り、恩人である孔融の幕下に入ってその恩義を返そうと忠に励んだ。

 

 

やがて孫堅が荊州の戦で命を落とすと各地で土豪が我こそはと立ちあがり、江東は荒れに荒れる。

太史慈が母と共に移り住み、長年暮らしてきた村落もその戦禍に晒される危機に直面した。

 

 

此処に至って、太史慈は孔融の許しを得て三千の青州兵と共に賊徒討滅に出陣。

倍近い賊兵を殲滅し村落を守ったものの、土豪の中で特に勢力を強めていた劉?が兵を差し向け太史慈に降伏を強要。

 

大恩ある孔融の兵を死なせる訳にはいかないと、青州兵を見逃す事を条件に太史慈はその軍門に降る事を受け入れたのだった。

 

 

それから、太史慈は半ば奴隷の様な扱いを受けながらも劉?の尖兵として戦う事を余儀なくされ各地を転戦。

丁度その頃、孫堅の遺児・孫策を抱え込んだ袁術が南への進出を目論んで劉?と激突。

 

 

「アアアァァァッ!!!」

「ハアァッ!!」

 

 

後にその軍門に降る事となる宿命の主との邂逅は、その死闘の中にあった。

 

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江南の土豪・劉?の幕下には、天下に比類なき暴勇の士が居る。

孫策は速やかに兵を率いてこれを討ち、江南に平穏を齎すべし―――

 

 

袁術の配下として従属を余儀なくされ暴れる事もままならず、母の旧領を徒に荒らす輩を好きに殺す事も叶わなかった彼女にとって、例え袁術の命であるとはいってもこれは充分に魅力的な話だった。

 

 

だからこそ、早くその豪勇と巡り合いたいと思った彼女は幼馴染の軍師が止めるのも聞かずに自ら斥候の任をかって出て、そうして伏兵を置くに手頃な林で彼と出会った。

 

 

「……………………」

 

 

全身を漆黒の鎧兜で覆い、背には得物と思しき巨大な十字の物体がある。

大柄な栗毛の馬は荒々しげに眼をぎらつかせ、今にも飛びかからんばかりに息巻いている。

見るからに気性が荒そうなそれを、しかし彼は手綱の動き一つで制した。

 

 

「……袁術の配下だな?」

 

 

質問と云うよりは確認。

重低音の剣呑とした声音は重々しく、しかし武人としての本能を刺激したのか、雪蓮にはそれがとても澄んで聞こえた。

 

 

「……ええ」

 

 

ギチギチと、まるで大気が音を立てて軋むかの様に張り詰めたその空気は、緩やかに吹いた東風によって一瞬で弾けた。

 

 

「―――シッ!!」

「ハッ!!」

 

 

甲高い音が響いたかと思うと、次の瞬間には両者は地を跳ね刃を交えていた。

 

 

雪蓮の後ろにいた冥琳や祭も。

太史慈の背後に構えていた兵達も。

 

 

何が起こったのかさえ理解出来ぬ間に、しかし両者はその間に二十合近く打ち合った。

 

 

「アァッ!!」

 

 

太史慈の豪声に感化されたか、栗毛の大馬が荒々しく嘶く。

鍔迫り合う様にして得物を交えた二人の激突と共に、周囲の空気は一気に弾け飛んだ。

 

 

「ッ!!」

 

 

咄嗟に冥琳は眼鏡を抑える。

風に持って行かれそうになる身体は、しかし二人の闘気に当てられて暴れ出しそうな自身の駆る馬を抑え込むのに手一杯で構う暇がない。

 

 

風が舞い、火花が散り、空気が爆ぜる。

 

 

「―――ッ!!」

 

 

一際甲高い檄音と共に、両者は飛び退いて距離を取った。

 

 

玉の様な大粒の汗を垂らしながらも、雪蓮の表情は実に晴々としていた。

その姿に、思わず冥琳は目を見開いた。

 

そこには、久しく見る事が叶わなかった雪蓮の武人としての狂気の笑みと、あまりにも眩い輝く様な表情があった。

 

 

心の底から、この死闘を楽しんでいる様な。

まるで、ずっとこの戦いを待ち望んでいたかの様に。

 

 

そんな笑みを浮かべながら、しかし雪蓮はスッと剣を収めた。

そして、まるで図ったかの様に太史慈もまた十字戟を収める。

 

 

「―――この続きは、また今度にしましょう」

「―――ああ」

 

 

言って、まるで長年の朋友であるかの様に両者は背を向けてそれぞれの陣へと歩を進めた。

振り向く事も、背を襲おうとする様子も欠片もなく。

 

 

 

端的に。

しかしこの時、両者は得物を通じて確かに心を通わせていた。

 

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やがて戦況は無能な劉?から雪蓮へと傾き、各所の砦を奪われた劉?は丹陽から会稽へと南下し、そこに築いた城に立て篭もった。

 

 

主将・劉?や太史慈の他に、その城には許貢や虞翻、華?といった諸将が集まっていたが、元々数にも質にも劣る劉?の弱兵では雪蓮らの相手ではない。

 

その事を悟ったのか、劉?は主だった将を捨て置いて自らは側近や愛妾と城に蓄えていた財宝を持てるだけ持って逃走。

主君の不在を知った虞翻はこれ以上血を流す必要はないと降伏を提案するが、雪蓮の気性を伝え聞いていた許貢がこれを突っぱね、更に「先んずれば戦を制する」とばかりに雪蓮達に攻撃を仕掛けた。

 

 

これを受け会稽城攻略戦はその火ぶたを切って落とすが、事前に潜入していた思春や明命らの伏兵の攻撃を受けて開戦間もない間に許貢はその首を刎ねられる。

続けざまに本陣も落とされ、指揮を執っていた虞翻は降伏。華?は戦禍に紛れて遁走し北に逃れた。

 

 

唯一出城していた太史慈とその部隊は、功を焦り暴走を始めた敵から逃げまどう民草を守る為に奮戦。

突出した韓当の部隊を駆逐し、祭や程普らの主力さえも退けてその武威を存分に示した。

 

 

だが、所詮は多勢に無勢。

 

 

間もなく城の陥落を知った太史慈は戦場のど真ん中で馬から降りたかと思うと、装束を解いて自らその場に座した。

それに倣い、彼の周囲で戦っていた将兵も次々と馬を降りて武器を収めると、その意を悟った冥琳が攻撃の中止を指示。

 

それから程無く、劉?に付き従っていた筈の兵士数名が、劉?とその妾の首、並びに城から持ち出された――劉?が苛烈な絞り取りによって蓄えた――財宝を持って投降し、その事が伝えられると太史慈は嘆願して二人の首を埋葬して丁重に弔った。

 

 

一時的とは云え、仕えた主には相応の礼を払うのが彼の流儀だったのだろう。

 

 

会稽を制した雪蓮達は、その武勇と威徳を江東全土に轟かせ、後に袁術の元から独立するに足る貴重な地盤を手に入れた。

また、元劉?配下の兵士達の懇願によって太史慈は彼らの指揮を執る事となり、同時に雪蓮の幕下に降る事を快諾。

 

同等の豪勇を有する知遇を得た事に、取り分け雪蓮は歓喜に沸いたという。

 

 

それから黄巾の乱、江南の土豪の駆逐等、幾多の戦場を潜り抜けて孫呉は飛翔。

遂には江東に覇を唱え、亡き母が打ち立てんとした『呉』を、その勇名を大陸中に轟かせた。

 

 

だが合肥は先んじて曹魏が制し、仇敵荊州は劉備が得て大陸南部に押し留められる格好となった。

 

 

そんな折の事――――――

 

 

 

「司馬懿?誰よそれ」

「魏の曹操に仕えている軍師の一人で、今は洛陽と長安の軍権を握っている男よ。前に連合軍を組んだ時に、張勲に入れ知恵していた奴がいたでしょう?」

「……ああ、あの」

 

 

思いだした様に雪蓮が呟く。

 

 

「それで?その司馬懿がどうしたの?」

「―――近く、曹操が自ら合肥に赴くそうよ」

 

 

送られてきた書簡を眺めながら、冥琳が眼鏡の蔓を抑えた。

 

 

「もしかして、内側から手引きするとでも言ってきたの?」

「天下を背負い、万民を導く覚悟があるのなら……とあるわね」

「へぇ…………」

 

 

愉快そうに。

しかし何処か苛立たしげに眉を顰めて、雪蓮は小さく洩らした。

 

 

「それで、どうする?」

「―――前と返事は変わらない。そう突っ返してくれる?」

 

 

鷹揚に手を振って、雪蓮は瞼を閉じた。

 

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『―――私と、手を組みませんか?』

『――――――断るわ』

 

 

差し出された手を見ながら、不敵な笑みを浮かべてあの女は答えた。

 

 

『……理由をお聞きしても?』

 

 

問うと、女は口元に緩やかな弧を浮かべて口を開く。

 

そう。

華琳様に似た、あの独特の試す様な笑みだ。

 

 

『―――貴方とは仲良くなれそうにないから、かな?』

 

 

言って、女はくるりと背を向けて去って行く。

その背を見ながら、不思議と私の口元にも同じ様な笑みが浮かんでいる事に気づいた。

 

 

『……………………』

 

 

仲良くなれそうにない、か。

 

 

『…………』

 

 

今思えば、アレは『嘲笑』だったのだろう。

 

その選択を、果たして後々後悔しないで済むのか?と問う様な。

侮蔑にも似て、嘲笑ったのだろう。

 

 

 

 

 

―――その選択は、貴様を殺すぞ?

 

蘇らぬ記憶と意識で、しかし私は『知っていた』。

彼女のその判断は、結果として今、私に引き金を引かせるのだと。

 

 

「――――――ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッッ!!!!」

 

 

そして投げられた賽は、眼前の男の『獣』を呼び起こすのだと。

 

 

 

 

 

血に濡れた服が煩わしい。

赤に染まる視界が鬱陶しい。

焼け付く脇腹がもどかしい。

 

眼前で獣の様に怒り狂う男と、力なく脚立する女はいずれも当代きっての武人。

 

平時に歯向かえば、例え熟達の武人であろうと肉塊に変じるのは容易に想像がつく。

 

 

「殺す……コロスッ!!」

 

 

だが今、一方は焦熱の鉄に撃ち抜かれ、他方は理知を失って猛るのみ。

周囲に伏せた青藍の銃撃部隊を使えば、並大抵の人間相手なら二秒とかからず仕留められる。

 

そう。

『並大抵の人間相手なら』。

 

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「―――ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッッ!!!!」

「ッ!?」

 

 

一瞬だった。

気がついた時にはその漆黒の巨岩が迫り、反応した時には私の体躯は二十歩は後方の樹木に叩きつけられていた。

 

 

「ガッ!?……ァ、ッ!」

 

 

だが、獲物が苦しむ暇を獣が与える筈もない。

即座に飛んできた十字戟は袖一枚程左を掠め、見るからに硬質な岩石を深々と抉った。

 

 

「―――オ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッ!!!!」

 

 

最早人間が発するとは思えない様な――既にこの世のものとも思えない様な――背筋が凍りついたまま砕け散りそうな程におぞましい咆哮が樹海に響く。

 

空気が軋み、木々が暴乱する闘気に根こそぎ吹き飛びそうになるのをどうにか視界の端に捉えながら、恐らくは初撃で砕かれたのだろう肋の痛みを無視して立ちあがった。

 

 

(……枷を外したか)

 

 

恐らくは、自らの主が傷ついたから。

彼の者の生涯がどのような半生であったか等気に留める価値は欠片もないが、しかしあの男にとって『孫伯符』という存在は掛け替えのないモノだったのだろう。

 

 

嘗ての私にとっての朱里の様に。

 

 

 

 

 

(…………下らない)

 

 

どうでもよかった。

 

あの男が何に誇りを捧ごうと、誰にその武を奉げようと、私の関知する所ではない。

 

 

壊れた、と誰かは言うかもしれない。

 

 

上等だ。

ならその壊れた存在が如何ばかりのものか、見せつけてやろう。

 

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッッ!!!!!」

「――――――青藍!!やれ!!!」

「放てぇっ!!!」

 

 

獣の咆哮。

私の怒声。

青藍の叫び。

 

全てが同時に轟き、数瞬を置いて静寂が訪れた。

 

 

 

 

 

―――筈だった。

 

 

「……ッ!?」

 

 

土を踏みしめる音。

揺らめきながらも進む体躯。

 

青藍達の銃撃は、確実に男の全身を貫いていた。

未だ滴る夥しい血流が、その何よりの証である。

 

 

鼻を突く様な血生臭い鉄の匂いと、大地を赤黒く染め上げる鮮血を垂らしながら、しかし止まる事無く男は一歩、また一歩と迫り来る。

 

 

驚き以外の何者でもない。

いっそ驚きすら通り越して、感嘆と恐怖すら覚えたかもしれない。

 

 

何を思ったか、何を感じたか。

 

 

それを考える事すら儘ならない思考を咎める暇さえなく、男は私に向かって手を伸ばし―――

 

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「…………しぇ、れ……ん…………」

 

         

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うわ言の様に呟いて。

 

頬を掠めた指先や、射抜く様な眼光諸共、漆黒の巨岩はゆっくりと崩れ落ちた。

 

 

 

 

 

「ハァ……ッ、ハァ……ッ!?」

 

 

其処に至って、漸く私は自分が『震えていた』事に気づいた。

 

身体に力が入らず、手足は血が通っていないかの様に冷たく感じられる。

もたれかかる様にしていた樹木に背中をすり合わせる様な格好のままに、私は腰を落としてそのまま座りこんだ。

 

 

「仲達様!?」

 

 

酷く焦燥した様な声音で青藍が何事かを叫んでいる。

 

だが脳がそれを理解するより早く、腹の底からの恐怖の逆流が全身を襲った。

 

 

「ガッ!?オ゛……ゥ゛ェッ!!!」

 

 

呼吸する暇さえなく全てを吐き出す。

四股を軋ませる力も、脳を掠める『獣』の眼光も拭いさる様に。

 

 

「ッ――――――!!!」

 

 

瞬間、血臭が『外気』ではなく『内側』から薫る。

 

 

「仲達様!!!」

 

 

青藍の切羽詰まった様な叫びが遠くに感じられる。

周囲が霞み、徐々に意識が朦朧と薄らいでいく。

 

 

 

「――――――ァ?」

 

 

霞み往く視界の中に、刹那。

 

濁った嘔吐物と液体の中に、赤黒い『何か』が混じっているのを捉えた。

 

説明
お久しぶりです。
覚えていらっしゃらない方の方が圧倒的に多いでしょうが、それでも覚えて下さっていた方々、お久しぶりです。

まだ本調子とは言えませんが、大分回復してきたのでそろそろ更新を再開したいと思います。
……まぁ週一ペースでの更新がいつまで続くかは未定ですが。

では、どうぞ。
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