それは、偶然の出逢い?
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「いまだに貴子しか有力候補がいない……あいつにエルダーシスターまで兼任されたら、堅苦しすぎてやってらんないのに……」

 

 青空とまぶしいばかりの日差し。桜並木を吹き抜けるそよ風にはうっすらと若葉の匂い。でも、そんな風雅は解さぬとばかりに、どんよりと元気なさげにうつむくのは御門まりや。陸上部きってのスプリンターにして、学院内に数々の騒動を巻き起こす裏の《作戦参謀》。

 そして「貴子」とは厳島貴子のこと。生徒会長にして、愛校心では誰にも負けることがない、と噂される彼女とまりやとは、幼等部時代からずっと「犬猿の仲」である。

 

「ごきげんよう、まりやさん」

「お姉さま……」

 まりやはちょっと驚いた風に、声の主のほうに振り向く。

「まりやさん、私はもうエルダーではありませんし、同じ学年になってしまったのですから、紫苑さん、と名前で呼んでいただきたいですわ」

 

 そんなまりやに近づいて声をかけたのは、その圧倒的な貫禄で前年度のエルダーシスターとなった十条紫苑。しかし彼女は選出後に体調を崩し、長期にわたって病欠したため留年を余儀なくされた。そんな彼女にとって数少ない「話せる相手」のまりやが悩んでいる。ちょっと放っておけなかった――それが紫苑をこんな行動に導いた。

 

「でも、昨年度のエルダーシスターともあろうお方に、『紫苑さん』とお呼びするのにはやはり抵抗が……」

「なるほど、同じ学年でも私に話し掛ける人がほとんどいないのは、呼び方で困っているのが原因、とおっしゃりたいのですね?」

「ええ、そう思いますわ。……それでは、中をとって『紫苑さま』ではいかがです?」

「ああ、それでしたら、少しは気軽に声をかけていただけそうですわね。……本当にまりやさんは私にとって数少ない『頼りになる人』のひとりですわ、ありがとう」

「いや、それほどでも……」

 珍しく照れるまりやに、紫苑は本題を投げかける。

 

「ところでまりやさん、さきほどから何を考え込んでいらっしゃって? やはり、厳島さんがエルダーシスターになることがそれほどにもお嫌なのかしら?」

「うっ……紫苑さま、それ、図星です……」

 ずばりホンネを言い当てられたまりや、こうなるともう話は紫苑ペースで進む。

「やはりそうでいらしたのですね……でも、それでしたら、まりやさんご自身でエルダーシスターになってみてはいかがかしら?」

「いいえ、『お手本』として振る舞うのは私の性に合いませんので……」

「うふふ……そうですわね。確かにまりやさんが『お手本』というのは、想像しただけで面白いですわ」

 まりやはその言葉に、もう少しで失意体前屈してしまうところであった。

 

「あらあら……ごめんなさい、まりやさん。それで、まりやさんには、この人ならエルダーシスターになってもいいのでは、と思う方はいらっしゃらないの?」

 紫苑は自分以外の最上級生のことはあまりよく知らない。ある程度知っているのも、厳島貴子のほかには、同じA組の中の数人程度のみである。

「実は……A組以外にはこれといった候補者がいなくて……しかも本人にはまったく受ける気がないと……」

「どなたに声をおかけになったの?」

「演劇部部長の小鳥遊(たかなし)圭さんと、受付嬢の総元締めと評判の高い高根美智子さんなのですけれど……」

「ふふっ、確かにお二人とも、とてもすんなりとその役割を受けそうにはないですわね……」

 この二人のことはよく知っている紫苑、これ以上まりやに失意を味わわせまいと、失笑する心を隠しつつこう続けた。

「それでは、学院の外部から誰かを連れてくる、というのはいかがかしら?」

 

「えっ? 学院の外部から?」

 あまりに突飛な紫苑の発想に、まりやは一瞬度肝を抜かれそうになった。だが、彼女は心の奥で、その提案を密かに待っていたのかも知れない。

「……そういえばひとりだけ……いひひひひ……」

 不気味にひとり笑いするまりや。

「まさか……とは思いましたが、まりやさんにはあてがおありになって?」

「ええ、この学院の雰囲気にもすぐにとけ込めそうな逸材を『ひとりだけ』知っていますわ」

 ……こうして、思わぬところから、《外部からのエルダーシスターお迎え大作戦》はスタートしたのである。

 

 

 週末、まりやは寮の後輩のふたりに突然、

「きょう一日実家に戻るから」

と言い出した。件の《外部からのエルダーシスター候補》の写真をとりに行く、ただそれだけのためである。

 普段実家の話になると「また〜?」とイヤな顔をしてしまうまりやが、実家に行くことを嬉々として話している。そのことを不思議に思ったまりやのお世話係・上岡由佳里は、こう切り出した。

「まりやお姉さまが喜んで実家にお帰りになるのなら、きっとあしたは春の嵐になりますね」

 すかさずまりやも切り返す。

「一の子分の分際で何を抜かすか! どうせ大した用事でもなし、何なら夕食を作りに戻ってくることもできるけど?」

「いえ、それは遠慮します、まりやお姉さま。奏ちゃんとわたしで何とかしますから」

 まりやの作る食事が、自分の作るそれと比べてあまりおいしくないことを知っている由佳里は、臆することなくまりやからの申し出を辞退する。

「そうなのですよ。たまにはゆっくり親孝行したほうがいいと奏も思うのですよ〜」

「このありがたきまりや様自ら食事を作ると申し出ておるのに、断るとは何という無礼者! 百叩きの刑にしてくれるわ」

 

 まりやはどこからともなくハリセンを取り出して、いまにも由佳里めがけて振り下ろしそうな雰囲気である。

「まりやお姉さま、どこからそれを……」

 由佳里の言葉など聞き終わらないうちに、ピシャッ、とテーブルに向けて一振り。しかし由佳里も負けてはいない。

「……そ・れ・で・は、まりやお姉さまの分も心を込めて作っておきますので、安心して行っていらしてくださいね」

「ちっ……これ以上説得してもムダか……」

 誰が夕食を作るか、ということよりもはるかに重要な、あの貴子を貶めるための一大作戦を展開中である、ということを思い出したまりやは、ギリギリのところで由佳里へのハリセン炸裂を思いとどまった。

 

 

「えっと、これも、これも……あっ、これもダメだ、うーん、どうしようかな……」

「まりや、珍しくアルバムなんか見て……いったい何をしているの?」

 ――実家に戻ったまりやは、母親にからかわれながら、選りすぐりの「学院外からのエルダーシスター候補」の写真をアルバムから取り出しにかかった。しかし、写真選びは思った以上に難航した。なによりやっかいだったのは、女子校に転入してもらうその候補者が《男性》である、という代え難い事実。

「ダンスは男性のステップを踏んでいるから却下ね……」

 とか、

「あたしと写っている写真、思ったよりずっとパンツルックが多い……」

 とか、

「最近の写真って制服ばっかり……これじゃバレバレ……」

 とか、

「瑞穂ちゃんを女装させて撮った写真は、どれもこれも衣裳が普通じゃなさ過ぎて、学院生に《見本》として示せる代物じゃないし……」

 とか……。

 仕方なくまりやは、電話をしてその候補者を呼び出すことにした。

 

「もしもし? あたし。瑞穂ちゃんが写った写真をあるだけ持ってうちに来てくれない?」

「でも、そんなにたくさんはないよ?」

「とにかく、何でもいいから、全部持ってきて。一時間以内なら来られるでしょ?」

「……うん、わかった」

 まりやの願いとあってはかなわない、と思った彼は、仕方なくアルバムをかき集めて御門家に向かった。

 

「おじゃまします」

「いらっしゃい」

「あっ、待ってたわよ、瑞穂ちゃん。とにかくまずはアルバムを見せてちょうだい」

「まりや、瑞穂さんを少しはゆっくりさせてあげたらどうなの?」

「そんな暇はないの。あたしのこれからの一年が思いっきり楽しくなるか、つまらなくなるかの瀬戸際なんだから」

「……よくわからないけれど、失礼にならないようにしなさい」

「わかってるって……」

 ……本当にわかっているのだろうか、と思いつつも、たまにしか実家に戻ってこないまりやには、母も甘くならざるをえないようである。

 

 まりやは、手早く「候補者」を自分の部屋に招き入れた。鏑木瑞穂。鏑木財閥の御曹司にして、ある理由でまりやが事ある毎に女装させていじってきた相手である。

「……まりや、さっきの『これからの一年が思いっきり楽しくなるか、つまらなくなるか』って、一体どういうこと?」

 いくら朴念仁な瑞穂でも、このひとことだけはさすがにひっかかったらしい。しかし、まりやはあっさりと話を別なる次元へと向かわせる。

「そんなことはどうでもいい。今はとにかく、瑞穂ちゃんのアルバムを全部チェックして……と。ああ、あと、きょうは瑞穂ちゃんとあたしの晴れ姿を写真に撮るから、覚悟しておいてね」

「ちょ、ちょっと待って、まりや〜」

「まったな〜い!」

 そして瑞穂は、いつの間にか御門家に来ていた楓さんとともに、いつものように仮設「お着替えの間」へと案内されてしまった。

 

「きょうはここにある服を着てもらうからね」

 ……そこにあった衣裳は、淡いピンク地、胸のところに生地を少し足して作った花柄がワンポイントになっており、ロング丈の縁という縁にはレースがあしらわれた、ごく普通のワンピースであった。それで瑞穂は安堵した……してしまった。それこそがまさに《罠》である、ということも知らずに。

 

 服を着替えた瑞穂を見てまりやは、

「あっ、いい感じだわ、私の見立て通りね」

 とかいいながら、楓さんといつも通りの写真撮影に臨んだ。

「きょう撮る写真は、瑞穂ちゃんの一生を変えるかも知れない、重要な写真になるはずだから、いつも以上に女の子になりきってね。」

「写真を撮られるのはいいけど、その写真をいったいどうするつもりなの?」

「そんなの、どんな使い途だっていいでしょう? 瑞穂ちゃんは、いつも通りにしていればいいの。……それにしても、本当に瑞穂ちゃんは何を着ても似合うわね。あたしなんかこんな服を着ても全然似合わないのに……。きれいな長い髪はもうちょっとなびかせるようにして、せっかく笑顔が似合う顔つきなんだから、楽しいこととか面白いこととか考えて……そうそう、それでこそ女の子っぽく見える、というものだわ……」

「そうですよ、もっとご自分に自信をお持ちにならなくてはいけませんわ、瑞穂さま」

 ところどころでうまくノせながら、巧みに瑞穂を操縦して、思った通りの写真をモノにしていくまりやと楓。この瞬間だけを切り取ったら、一流の女流写真家とそのアシスタント、と言われても何の不思議も感じられなさそうなものである。ただ残念なのは、この二人がこのようなコンビネーションを見せるのは、瑞穂を撮影するときだけ、ということか。

 そして、結局そんな二人にノせられてしまう瑞穂。結局、この日の写真は、ここ数年の中ではとびっきり女の子っぽく見えるものになった。

 

 ……きょう撮った写真の出来栄えを確認し、結構な量のアルバムからのセレクションも終えたまりやは、

「これでよしっと。うーん、それにしても瑞穂ちゃん、きょうは普通のワンピースだったこともあって、すっごくノリノリだったなあ。あの《イヤと言えなくて、相手の期待にきっちり応えようとする》ところこそが、瑞穂ちゃんがエルダーに相応しい、と思った大きな理由なわけよ。うんうん。」

 まりやは大いに満足な顔で、選んだ写真を大事そうに抱えると、心も体もはずませて寮に戻っていった。

 

 一方その頃、瑞穂は……

『あたしのこれからの一年が思いっきり楽しくなるか、つまらなくなるかの瀬戸際なんだから』

『きょう撮る写真は、瑞穂ちゃんの一生を変えるかも知れない、重要な写真になるはず』

 というセリフを思い出しながら、

「一体まりやは、何をしようとしているのだろう……」

 改めてそこはかとない不安を覚えるのであった。

 

 

 翌週月曜日の放課後、かの聖應女学院の中とは思えない、裸電球だけが光る「秘密の部屋」に、四人の学院生が集められた。招集したのは無論、御門まりやその人である。

「えー、きょうここに皆さんにお集まりいただいたのはほかでもない。厳島貴子の生徒会長・エルダー兼任という、本学のこの一年を最高に息苦しいものとする最悪の事態を防ぐため、前エルダーの十条紫苑さまのご助言により、このたびこの御門まりや、《学院外から最有力候補を転入させる》という作戦を実行することにした。ここにお集まりの皆さんには、ぜひともこの作戦へのご支持とご協力をお願いしたい」

 

「なぜ私までがまりやさんの作戦に協力する必要がある、というのですか?」

 まりやのお願いに真っ先に楯を突いたのは、香原茅乃であった。

 

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 ――ひとつだけ説明しておかねばなるまい。なぜここに茅乃がいるのか。それは、前の年の七月――

 

 まりやは陸上部の副部長兼代表メンバーとして、記録会に出場することになった。ただ、各学校の部長・副部長クラスは、単に出場するだけではなく、いろいろな雑用、たとえば自分が出場する競技のない時間に記録係をするとか、用具の出し入れをするとか……を押しつけられることになっていた。まりやもご多分に漏れず……。

「あーあ、記録係かぁ……単に競技に出場するだけなら楽しめるのに……」

 

 そんなまりやに朗報がもたらされたのは、生徒会と各クラブとの連絡会議の席上であった。生徒会副会長を務めていた厳島貴子が、文化部系のクラブで困ることもあるかも知れない、という配慮から、お姉さま(※「前の年」なので紫苑さまです)の入院先を通知したのである。それは、記録会の会場からほど近い場所であった。

 華道部の副部長を務める香原茅乃は、以前から紫苑さまの

「お見舞いなら丁重に辞退させていただきますわ」

 という言葉に、日頃からお世話になってきたお礼をする機会を作れずに困っていた。そんな彼女のことを知ってか知らずか、まりやは茅乃に声をかけた。

 

「茅乃さん、そんなにお姉さまのことが心配なの?」

「はい、心配なのも当然ですが、なによりお世話になってきたお礼が言えないのがどうにも……」

「なーに、こちらから押し掛けてしまえば、お姉さまの側に断る理由は何もない、と思うけど? なにせお姉さまは『奥ゆかしい』お方でいらっしゃるし、それに……」

「それに……?」

「何より毎日のようにめまぐるしく聖應生がお見舞いに出入りしたら、お姉さまも迷惑なのではないかしら」

「……なるほど、それはそうですね」

「でしょう?」

「それで、まりやさんはいったいいつどのようにしてお姉さまのお見舞いに向かう予定なのですか?」

「ちょうどいいことに、もうすぐ聖應の生徒も出場する陸上競技の記録会があるの。そのとき、茅乃さんが記録係を手伝ってくれる、というなら、お姉さまが入院している病院に一緒に連れて行ってあげる」

「なぜ記録会のお手伝いを私が?」

「記録会の会場が、その病院から徒歩で行けるところにあるのがさっきわかったの。それに私もお姉さまの様子は気になるし」

「お姉さまのお見舞い自体がとってつけたおまけのようで、どうもひっかかりますけれど……ただ、一緒に行っていただける、というのは、心強いですね」

「でしょう? これで契約成立、ということでよろしいかしら?」

「……はい、そうさせていただきます」

「さすがは次期華道部部長、決断が早くて素晴らしいわ」

 (それに、お姉さまと仲良くなれる格好の機会だしね、うっしっし)とまりやが思っていることはまだナイショ。

 

 

 さて記録会当日、まりやがやることになっていたはずの記録係の名前は、すっかり「香原茅乃」に書きかわっていた。それを見て、茅乃は(やっぱり体よくだまされたのか……)と思ったが、その美しい字が主催者側から絶賛され、「やっぱり聖應代表はひと味違うね」とお褒めの言葉をかけられて、照れつつも嬉しい気持ちを隠しきれなくなってしまった。

 そのことを聞いたまりやは、

「うんうん、やっぱり私の作戦は間違っていなかった!」

と、自分のいま一つな記録のことなど棚上げして自画自賛。

「誰のおかげで褒められたと思っているのですか?」

 と病院への道で茅乃にツッコまれてはじめて、

「あっ、そうだったわね。茅乃さん、ありがとう!」

 ようやく感謝の言葉を口にしたのである。

 

 そして程なくお姉さまの入院する病院に到着した二人は、さっそく面会を申し込んだ。

「三〇一号室の十条紫苑さんと面会したいのですが」

「ああ、十条さんね……面会は面識のある人とだけ、とお願いされているので、お名前をお伺いしてお取り次ぎしますね」

「はぁ、ここでも看護師さんに受付嬢役をさせているとは……さすがはお姉さまね」

 とあきれるまりや。

 

「十条さん、はいってもよろしいかしら?」

「はい、どうぞ」

「お見舞いの方がお見えですが、いかがいたします?」

「いらしているのはどなたなのでしょう?」

「御門まりやさんと香原茅乃さんとおっしゃる方です」

「御門まりや……という人は存じませんが、香原茅乃さんにはお会いしたいですわね」

「なにやら御門さんが香原さんを連れてきた、ということらしいのですが……」

「それなら、どうぞお二人ともここにお連れください」

 ……どうにか許可が出て、受付嬢役の看護師は、まりやと茅乃を病室に案内した。

 

「お姉さま、ごきげんよう。」

「ごきげんよう、茅乃さん……で、おとなりは、まりやさんとおっしゃって? はじめまして」

「はじめまして、お姉さま。陸上部副部長の御門まりやと申します、よろしくお願いいたします」

「まりやさん、きょうは茅乃さんをここまで連れてきてくださったの? どうもありがとう」

「いや、こちらこそ、茅乃さんには記録会で大活躍していただきましたので」

「まあ……なかなかのやり手ですわね、まりやさんは」

「お姉さまから『やり手』というお言葉が出るとは、思いもしませんでした」

 驚く茅乃に紫苑は、

「私がエルダーだからといって、そんなにかしこまられていては、私の方こそどう対応したらいいかわからなくなってしまいます。どうか普段通りになさって?」

 とふたりの緊張を解きにかかる。

「……それでは、さっそくおみやげを……」

 茅乃が取り出したのは、羊羹とお茶のペットボトル。

「ほんとうは水ようかんとお抹茶にしたかったのですが、記録会が屋外の行事だったので、こうなってしまいました」

 申し訳なさそうな茅乃に、紫苑は

「いいえ、すごく嬉しいわ、だって、私が入院してから、これがはじめての学院からのお客様なんですもの」

「そうでしたか……お姉さま、寂しくありませんでした?」

「さすがに入れ替わり立ち替わりお見舞いに来られては、と思ってあのようなコメントをしたのですが、本当に誰も来ないなんて……よよよ……」

「『よよよ』って……まるで時代劇のお姫様みたいですわ」

「ふふっ……ちょっとふざけてみました。でも、そんなセリフをすぐに返せるとは……まりやさんと私、いいお友達になれそうですわ」

 (しめしめ……これは予想以上にいい感じね……)

 心の奥でほくそ笑むまりや。

 そして、

「せっかくですから、ここにいる三人でいただきましょう」

 という紫苑の提案で、羊羹をおのおの口に運んだ。

「これ、おいしい! 和菓子って最近あんまり食べてないけど、この羊羹は上品でいいわね」

「ほんとうに……いいお味ですわ」

「これなら一本まるごと食べられそうね」

 お姉さまとまりやに羊羹を気に入られて、茅乃もご満悦である。

 

「それでは茅乃さん、華道部の皆さんによろしくお伝えくださいね。まりやさん、これからもどうぞよろしく」

 無事お姉さまのお見舞いを終えた茅乃は、病院をあとにするとまりやに、

「まりやさん、きょうは本当にありがとうございました。これでこれからも気軽にお見舞いできますし、重い荷がおりた気分です」

 と改めて礼を述べた。それに対してまりやは、

「お礼には及びませんわ。それより、またおいしい和菓子を食べさせてもらえないかしら? そうしてもらえるとすっごく嬉しいんだけど」

 と、途中からすっかり本来の口調に戻って茅乃にせがむ。その勢いに気圧された茅乃は、

「それでしたら、今度は修身室で和菓子をご馳走して差し上げます」

 そうまりやに約束した。

 

 

 ……食べ物の話をこの人が忘れるわけもなく、夏休みが終わるとまりやは、

「そういえば茅乃さん、『修身室でご馳走』の件、どうなっているの?」

 と繰り返しせっついた。自分の言葉には責任を感じている茅乃ではあったが、まりやが顔を合わせるたびに執拗に迫るので、さすがにこれではたまらない、ととうとう折れて、まりやを修身室にご招待することにした。しかし、茅乃もただでご馳走するのは面白くない。そこで、わざと華道部の活動のある放課後にまりやを招待したのである。

 

 そしてご招待の時間となった。普段は登録された生徒しかはいることを許されず、通常の学院生なら「修身」の授業以外ではまず立ち入ることのない部屋に招かれて、まりやは少し落ち着きをなくしていた。

「まりやさん、どうぞおあがりになってくださいませ」

 修身室の外でまりやを待ちかまえていた茅乃の言葉に、ちょっと緊張しつつ修身室へ上がり込むまりや。履き物を揃えるところとか、入室のときの礼の仕方とか、どことなく、というより、ものすごく硬い動きに、茅乃は失笑したくなるのをこらえるのが精一杯だった。

「まりやさん、いまは修身の授業時間ではないのですから、普通にはいっていらっしゃってよかったのですよ」

「でも、やっぱりこの部屋にはかしこまってはいらないといけない、というイメージが強くて……」

 そういいながら頭をかくまりや。

「うふふ……」

「あはは……」

 緊張の糸が笑い声とともに吹き飛ぶ。そのとき、修身室の中からは控えめながら笑い声が。修身室の中を見て驚くまりや。

「こ、これはいったいどういうこと?」

「どういうこと、とおっしゃられましても困ります。ぜひまりやさんにも華道の楽しみを味わっていただこう、と思いましたもので。ああ、まりやさん用のお道具とお花はこちらにございますので。」

 やられた……と思ったまりやであるが、ここまで完璧に手配されては、やらないわけにはいかない。渋々活動につきあうことにした。しかしそこは御門まりや。ああ見えても、実はやんごとなき家柄に生まれてきた「お嬢さま」。茶道はいまひとつ苦手でハーブティーのブレンドの方に逃げているが、華道の方は「まじめに続けさえすれば、教えられるようになるのに……」と言われる腕前。そこを茅乃は完全に読み違えていた。

 自分と同じ花を生けるまりやの横で、茅乃の表情が、十分、十五分と時間が経つ毎に見る見る変わっていく。まりやの作品が、未経験からはいった新入部員たちのそれよりも、明らかにセンスのよいものだったからだ。それどころか、できあがった作品は、色彩感覚に優れた者だからこその、めりはりのあるものだったのである。

「まりやさん、なかなかスジがよくていらっしゃるようですが……」

「茅乃さん、私をお花で陥れようとしたの? 甘かったわね。私のファッションセンスはこの学院でもちょっと知れたものだけど、お花の世界で必要なセンスもファッションセンスと似ているの。複数の種類や色の花をどう配置して、それぞれの個性を殺さず、うまくコントラストをとっていくか。ファッションの世界にもそのまま置き換えできるわ。そう思わない?」

「わたし……まけましたわ」

「なに回文なんか使ってるのよ? 茅乃さんの作品は、あたしにはできない生け方をしているし、腕の良さはさすがに副部長、という感じだわ。」

「ありがとうございます……」

 尻すぼみに小さくなる茅乃の声。

「あなたが自信を持たなくて、後輩がどうやってついてくる? もっとしっかりしなさい」

「はい……」

 

 その日は他者の作品の講評も早々に切り上げて解散とし、そして修身室にはまりやと茅乃だけが残った。

「それでは、お約束の和菓子を取ってまいりますので、そのままでしばらくお待ちください」

 茅乃はいったん修身室の外に出ていった。しかしその時、茅乃が修身室の引き戸を少し開けたままにしていたのを、まりやは見逃さなかった。

 

「どれどれ……ちょいと拝見……」

 まりやが目撃したものは、修身室の入り口のところにある小型ロッカーから和菓子を取り出す茅乃の姿だった。

 (へえーっ、あんなところに和菓子を隠しているのか……ふふーん、あれならいつでも和菓子をせびれそうな気がするわ……)

 よもやまりやが覗き見などすまい、と思っていた茅乃は、小型ロッカーから和菓子を取り出すと、落ち着きはらった動きで修身室に戻ってくる。まりやはそれを見て体勢を修身室用のそれに戻した。

 

 

 修身室で和菓子をご馳走する、という約束を果たした茅乃は、もうまりやから迫られることはない、と高をくくっていたが、まりやが和菓子の《隠し場所》を知ってしまったことはまったくもって不覚だった。その後、まりやは茅乃に会うたびに、こう言うようになったのである。

「茅乃さん、また和菓子をご馳走していただける?」

「そう何度もご馳走なんてしませんよ」

「えーっ? だって、いつも修身室の小型ロッカーに和菓子を隠し持っているんでしょう? たまにはいいじゃない」

「よくありませんね。和菓子はいつも持ってきているわけではありませんし、まりやさんのためだけに用意しているわけでもありません……というか、まりやさんはどうして修身室の小型ロッカーに私が和菓子を入れることがあるのをご存じなのですか? ひょっとして……さてはあの時、私の様子を盗み見ていましたね?」

「バレちゃ仕方ないわね、でもあなたが引き戸を少し開けたままにしておいたのが運の尽きだったようね」

 

 ……こんなことがあってからというもの、茅乃はまりやを「しつこいけどちょっぴり尊敬できる人」、まりやは茅乃を「便利なお使い係」と思うようになった。

 

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 ――寄り道が長くなりすぎてしまった。話を元に戻そう。

 

「待て待て、あたしが茅乃さんをここに呼んだ理由はやがて明らかになろう。それでは、この作戦に使う《武器》と作戦の詳細を述べる」

「人間兵器ね……まりやさんらしいわ」

 圭が目を光らせながら話に聞き入る。美智子はその《人間兵器》に横にいる人を取られるのではないか、と戦々恐々だ。

「まずは《武器》の紹介から。名前を瑞穂という。ここに選び抜いた写真を数枚披露するので、とくと眺めるがいい」

 

 ――まりやが持ってきた写真は、五歳の頃の海水浴でのツーショット(なぜかふたりとも女の子の水着を着ている)、小学校一年の時の運動会(一等賞は当然まりやである)、そして先日写したばかりの、パステルブルーのTシャツの上にニットのオフホワイトのカーディガン、そしてややグレーがかったホワイトのパンツルックのまりやに、かの清楚なワンピース姿の瑞穂。そして、お嬢さま学校に転校することこそがふさわしい、とばかりに「日舞」「茶道」「華道」に取り組んでいるときの写真……どれをとっても瑞穂がとても「男性」とは思えないものばかり。

 

「まあ、日舞に茶道に華道……素晴らしい趣味をお持ちの方ですわね。さぞかし立ち居振る舞いもきちんとしていらっしゃるのでしょうね」

 最初に歓声を上げたのは紫苑であった。その「華道」という一節が気になり、あわてて華道に打ち込む瑞穂の写真を眺める茅乃。完全にまりやと紫苑のペースに巻き込まれている。

「まりやさんにとってとても『いじりがいがある』タイプのようね」

 小さい頃の写真を眺めて早くも瑞穂の性格を読み切る圭。さすがは演劇部部長、といったところである。

「清楚なワンピース姿が似合う方なら、きっといいお友達になれそうですわ」

 美智子もまんざらではないと言いたげな表情である。

「いかがです? 私が選びに選び抜いた外部からの候補者、お気に召していただけました?」

「ええ、写真を見る限り、見た目の上では問題ないと思いますわ。で、学業成績の方はいかがですの?」

「言わずと知れた超有名進学校でトップクラスの成績、といえば、ご納得いただけます?」

「では、運動の方はどうなのでしょう? 小さな頃はまりやさんの方が勝っていたとして、今はいかがなのかしら?」

「武道全般に優れている上に、スポーツ一般何をやらせても平均以上の出来……といったところね」

 

「あとはまわりの人たちとどれだけ上手にコミュニケーションできるか、という一点だけですわね」

 さすがに受付嬢の総元締め、美智子は痛いところを突いてくる。

「そこは瑞穂さんのこと、きっとうまく立ち回ってくれると信じている……としか言えないわね……」

「困りましたわね……そここそが数多くの学院生に好かれるか否かの重要なポイントですのに……」

「こればっかりは、はいってみないとわかりませんわ……」

 そこに助け船を出したのは紫苑であった。

「でも、それ以外はほぼ申し分のないスペックですわね。さすがはまりやさん、いままで誰もやったことのないことをこれだけ立派に実行に移せるのですから、素晴らしいですわ」

「そこにしびれる、あこがれるぅ、といったところかしら」

 圭のその呟きに、「秘密の部屋」の誰もが思わず笑みを浮かべた。そしてまもなく討議は終了。美智子があげた「コミュニケーション能力」については、ここにいる全員が納得できるエピソードが生まれることを条件として、瑞穂を転入させ、エルダーシスターへの選出を目指す、ということで全員の意見が一致をみて、秘密の部屋での第一回会議は終わった。

 しかし、この会議のあと、一人だけ「何かおかしい」と感づいた参加者がいた。

「それにしても、まりやさんの持ってきた写真には、普段の様子を写したものが一枚もありませんでしたわね……これはひょっとして……」

 【紫苑の「転入生=男」疑惑度・二〇パーセント】

 

 

 《作戦参謀》としては、あとは「男性を女学院に転入させる」という「大仕事」が残っていた。ただし、これにはむしろ都合のいい条件ばかりが揃っている。まりやはこんな作戦を立案し、着々と実行に移していった。

 

「まず転校のきっかけだけど、これはもう瑞穂ちゃんのおじいさまの遺言、という形にしていまえばいいわね。こんなこと言っちゃ悪いけど、いい時期にお亡くなりになられたわ。なにせ瑞穂ちゃんの女装姿は、慶行おじさまは当然のこと、光久おじいさまでさえ、『これを見ると若返るなあ』と感心していたものね。これは、慶行おじさんにグルになってもらって、弁護士の久石さんをいっしょに説得してもらえればどうにかなりそうだわ、文面なんかどうにでもでっちあげられるし」

 

「次に転入先の聖應女学院だけど、これも実は鏑木グループが資金援助をしている学校だし、しかも、瑞穂ちゃんのお母さん・幸穂おばさまは、聖應でエルダーシスターを務めた、学院の歴史に名を残すひと。そんな逸材が転入するとなれば、理事長や学院長を説得するのは苦でもないわね、うんうん、これは私ひとりで十分ね」

 

「そして《男性》を転入させる、ということだけど、あの容姿と立ち居振る舞いからは、まずもって男性とバレて大騒ぎに可能性などない、と自信を持って言えるわね、どうってことないわ。イケメン好きのA組担任・梶浦緋紗子先生をきょうの写真でこっちの仲間に引き込めば、シスターだし、理事長と学院長の説得にも使えて一石二鳥ね。ついでに転入先をA組に、席は紫苑さまのとなりにでもしてもらって、紫苑さまと仲良しになってもらえば、まさに《鬼に金棒》だわ、うっしっし……」

 

 実におめでたい単純思考ぶりである。体育の時間に《あん♪な問題》が起きることを、当のまりやでさえ予測し忘れていたのは、この思考ぶりではやむを得ないところであった。まりや自身にとって、あの「秘密の部屋」に持っていった写真のうちの一枚がその遠因となっていた、ということに気づかされるのは、二ヶ月以上も先のことになる。

 

 

 次の日曜日、まりやは瑞穂の父で鏑木財閥の首領でもある慶行を尋ねて、鏑木邸を訪れていた。楓はしっかり目的がわかっているのか、瑞穂を「きょうは気分を変えて、別邸でゆっくり読書などされてはいかがです?」といいくるめて屋敷から追い出しているので、作戦がバレる心配もない。すでに話も通じているのか、慶行は玄関にまりやの姿を確認すると、すぐに

「それでは、私の部屋にきてもらおう」

とまりやを手招きした。

 

「さっそくだが、瑞穂を聖應女学院に編入させたい、ということのようだが、理由を詳しく聞かせてもらおうじゃないか」

 慶行は単刀直入にまりやに迫った。まりやは

「それでこそ慶行おじさま」

と応じる。

「ええ、理由はいくつかあります。

 第一に、光久おじいさまの遺言に、瑞穂のお嫁さんを見たかった、と書いてあったらしいこと。共学の学校にいながらにして、いまの瑞穂ちゃんの交友関係では、この目的の達成がとてもあやしい、と思うのです。

 第二に、瑞穂ちゃんが街中で男性から声をかけられることが多い、と聞き及んでいること。この二点から、いっそのことまわりが女性だけの環境に飛びませるのが、余計な心配もしなくて済みますし、交友関係を変えて朴念仁から脱出させるのにかなり効果的、だと思います。

 第三に、慶行おじさまが瑞穂ちゃんにもっと幸穂さんとの思い出に触れさせたい、と日頃からおっしゃっていること。それなら、幸穂さんの思い出がたっぷりつまっている聖應女学院ほど都合のいいところはありません。入寮してもらえれば、幸穂さんの思い出に触れる機会もますます増えます。しかもいざというときは私が後ろ盾になることもできますから」

「なるほど……よく考えたな。だが、それだけではないんだろう?」

 慶行はまりやに「ほんとうの」理由を問いただす。

「慶行おじさま……さすがに鋭いです。実は……厳島貴子が生徒会長だけでなくエルダーも兼任されるのが堪えられなくて……」

「ああ、あの厳島グループの孫娘か。で、まりやさんはエルダーシスターになる気はない、と?」

「私が『お手本』だなんて、ちゃんちゃらおかしいじゃないですか」

「……まあ、な」

「……で、瑞穂ちゃんなんかどうかな……と思いまして……」

 ホンネを言わされ、どう返されるか戦々恐々のまりや。

「……よく言ってくれた。面白い。なにせ瑞穂の女装は幸穂と見間違えてしまうぐらいだし、女性との付き合い方もきちんと覚えてもらわなければ、社会に出てからヤツが困るしね。それに、事実上鏑木傘下の学院で、競争相手の厳島グループからエルダーシスターが出る、というのも気に入らない。その話、のろうじゃないか」

「……ありがとうございます!」

 まりやは一瞬「信じられない……」と思ったが、自分のきょうの目的が達せられようとしていることに気づき、深々と一礼した。しかも、慶行の言葉はさらに続く。

「……ああ、そうだ、瑞穂には久石弁護士から説得させることにするが、久石氏への説得は僕自身が当たるので、心配は無用だ。これは鏑木グループの威信を懸けた一件だ、ということにしておく。もちろん、開正学園と聖應女学院のほうへの話も、これは親の責任として私の方から話をしておく。これでいいかな?」

 「はい、完璧です!」

 

 ……各方面への、慶行とまりやの二人三脚での説得は順調に進んだ。そして五月のはじめには、久石さんとまりやとの二人三脚で瑞穂自身に転校するよう説得……というか、無理矢理そうさせることに成功した。

 

 

 そして五月も下旬になると、木々の緑はいよいよ濃くなり、放課後の学院屋上からは、それらと夕焼けの茜色に染まる空との絶妙な対照が目の前に展開されるようになる。そんな景色を、いつものようにぼんやりと眺めながら物思いに耽る紫苑。しかし突然、階段から屋上へ出る扉が無造作に開かれた。紫苑が振り向くと、そこにまりやの姿を認めた。

 

「あっ、紫苑さま、やっぱりこちらにいらしたんですね」

「まりやさん、ごきげんよう」

「紫苑さま、さっそくなのですが、今週末にお時間をいただくことはできますか?」

「今週末……ですか? 週末ならだいたい空いていますけれど……」

「ああ、それならよかった。日曜日に、いよいよあの人が寮に来ます。ぜひ紫苑さまには、一足先にお目にかけたい、と思っているのですが……」

「それで、私が寮へ行けばよろしいのですか?」

「紫苑さまが寮にはいられますと、ほかの寮生に知られてちょっとした騒ぎになってしまいますので……」

「そう、寮の後輩のお二人には知らせていないのですね?」

「転校生が来る、とだけは言ってあるのですが、すべて秘密裡に進めてきた作戦なので、うかつに喋って変な噂を広められては困りますし……」

「なるほど、まりやさんらしからぬ慎重さですわね、ふふっ……で、私にはどうしろと?」

「たぶん引っ越しのゴタゴタがおさまるのは夕方になるでしょうから、その頃にふらりと学院に来ていただいて……あとは私の方から紫苑さまにお声をおかけする、ということでいかがでしょう?」

「……それではちょっと怪しまれませんこと? 瑞穂さんに先にお会いできるのはとても嬉しいことですが、いかにも自然に、たまたまそこで出会った、という風にしませんと」

「……そうでした。さすがは紫苑さまですわ……で、何かいい案はお持ちです?」

「そうですわね……」

 紫苑はしばらく考え込んだあと、

「ああ……ではこうしましょう。私は学院の図書館で午後から勉強することにいたしますわ。当然学院に来るのですから制服着用で。そこで、まりやさんにはちょっと大変かも知れませんけれど、瑞穂さんには制服を着せていただいて、ひとりで寮から出てきていただく、ということにいたしませんこと?」

「なるほど……さすがは紫苑さまですわ。ただ、それだと土曜日のうちにあらかた荷物は整理しておかないと……」

「それはどういうことですの?」

「あっ、ごめんなさい、あくまでこちら側の話なので……」

 

 まりやは心の中で、

 (うっかり「日曜日は『(女の子になるための)特訓』をしなくては……」などと言いそうになってしまった。危ない危ない)

 と思ったが、時すでに遅し。そのひとことに紫苑は……

「どうして制服を着るだけなのに荷物の片づけを前日のうちにあらかたすませてしまわなければならない、などということになるのでしょう? これはいよいよおかしいですわね」

 【紫苑の「転入生=男」疑惑度・五〇パーセント】

 

-4ページ-

 

 そして、五月最後の週末がやってきた。

「それじゃ心おきなく遊んできますね」

「楽しんでくるのですよ」

 土曜日、由佳里と奏には終日お出かけしてもらい、いよいよ寮の一番北側の部屋の大改装と荷物の運び込みである。そこでまりやが目にしたものは……

 まず、二トントラック一台は楽にあると思っていた荷物が、軽トラック一台でなお余裕がある。

「これって……どういうことなの?」

「部屋を見ればわかりますわ」

 楓は、余裕の表情で寮の二階に上がり、件の部屋の鍵を開ける。そこに展開されているものは……!

「何これ……家具一式、全部揃っているなんて……」

「そうですわ、なにしろここは、幸穂さんの置きみやげがたくさんあるお部屋なのですから」

 楓はまりやに、さも当然のこと、といわんばかりに告げる。

「……それにしても、こんなところに、幸穂おばさまの家具が二十年以上もそのまま置かれているとは知らなかったなあ……あっ、これは絶対内緒にしなくちゃいけないんですよね……由佳里と奏ちゃんには、この件だけはすっかりだまされてもらいましょう……あっ、瑞穂ちゃんにも?」

「……そう、お願いしますわ。そのうち……きっと何かあるはずですから」

「何か……って……」

「家具を動かせばわかりますけれど……きょうはそうしないでおきますね。瑞穂さまには、その時に驚いていただく、ということで」

 (……そんな秘密があるなんて……これはいよいよ楽しみだわね)

 このときはまりやにもまだ余裕があったようである。

 

 そしていよいよ瑞穂入寮の日。少なかった荷物の整理はすぐに終わったものの、まりやは紫苑との打ち合わせ通り、《女の子になるための『特訓』》をできるだけ引き延ばした。そして、午後五時過ぎになってようやく、

「瑞穂ちゃん、きょうは一日お疲れさま。そのままの恰好でいいから、ちょっと外へ出て気分を変えてきたら?」

 と言って瑞穂を夕方の桜並木へと解放した。そこへタイミング良く、ある学院生が現れるなどとは知らせずに。だから、

「……こんにちは。いえ、こんばんは、かしら……もう夕方ですものね」

 と妖精のような女性に挨拶されて、不意打ちを喰らった瑞穂がどきまぎしてしまったのは、ある意味当然とも言えた。

 そんな瑞穂の表情と受け答えとから、紫苑はほぼ確信に至ってしまった。しかし、紫苑には同時にもうひとつの感情が生まれだしていた。

(この人なら、私のすべてを包み込んでくれるかも知れない……)

 ……そんな淡い期待が。

 【紫苑の「転入生=男」疑惑度・八〇パーセント】

 

 

 そして六月最初の登校日。瑞穂を連れて登校したまりやは、朝のホームルームが終わると、礼拝堂へはいかずに、B組の教室の前扉のところに身構えた。そして、A組の教室から出てきた瑞穂と緋紗子への追跡を開始した。

「ええ、この調子だとエルダーにもなってしまいそうな勢いですもの」

 緋紗子の瑞穂への発言に、まりやはよしよし、と瑞穂には見えないように頷く。

「エルダーって、なんですか…『おじいさん』?」

「ふふっ、いやだわ瑞穂さんってば……」

 というやりとりには思わず笑いそうになってしまったが、いまは追跡中、必死にこらえる。そして緋紗子が職員室へ消えるとともに、

「ふふーん、良いこと聞いちゃったぁ」

 と言いながら、瑞穂の前に回り込んだ。

「エルダーまでとは考えてなかったけどね」

 と余裕の嘘を吐くまりや。

「それにしても、瑞穂ちゃんがエルダー…そうよね、そうなったらきっといろいろ有利になるわね」

「有利って……何に?」

「何にって、そんなの決まってるじゃない! うん、決めたわ……そうと決まったら、善は急げね!」

 (……うまくごまかしきったわ、にひひ……)

 そう思いつつ、まりやは瑞穂の視界から素早く消え去る。なにせこういうときの逃げ足の早さは、実によく訓練されているから、瑞穂を煙に巻くことぐらい朝飯前である。

 ……こうして、瑞穂にとって楽しくも大変な学院生活がはじまったのである。

 

 まりやの予定通り、A組で、十条紫苑の隣の席に座った宮小路瑞穂(鏑木であることを隠すため、母方の旧姓を名乗っている)。いよいよ十条紫苑にとって、最終確認のときがやってきた。そして、紫苑が堂々と構えれば構えるほど、相手はミスを連発していく。

「正直なところ、こう云うのは初めてなので…面食ら…いえ、戸惑ってしまって」

(……うふふ、付け焼き刃のメッキが剥がれてきましたわね)

「………ぐあ」

「ぐあ………?」

(ああ、もうこれは完全に間違いありませんわね)

 【紫苑の「転入生=男」疑惑度・一〇〇パーセント】

 会話を重ねる毎に、密かに、でも確実に愉快な気分になっていく紫苑。

「……夕べとは、随分と雰囲気が違いますね?」

「えっ……」

「やはり………夕べ、学院前の並木道でお逢いした方ですわね?」

「覚えて…らっしゃったんですか……」

「雰囲気が違ったから……どうかしら、と思っていたのですけれど……」

「そ、そうですか? 昨日と同じ恰好ですけれど……」

「でも……まさかね……」

(あっ、これ以上口にしたら私の考えていることが……いけませんわね)

 そして三時間目が終わり……

「あら……瑞穂さん、なんだか……お顔の色が優れないような……?」

「あ、いえ………」

「ちょっと…失礼します………」

(おトイレを我慢していたようですが……なぜそれだけであんなに不自然な言動をされるのかしら……これはどうやら、核心に迫っておく必要がありますわね)

 【紫苑の「転入生=男」疑惑度・一二〇パーセント】

 そしていよいよ、紫苑は疑惑を確かめる行動に出た。用を済ませたのか、さっぱりした顔をして女子お手洗いから出ようとしている瑞穂に声をかける。

「あら、瑞穂さん……どちらまで行かれていたんですか?」

「えっ…あ、その……ま、迷ってしまって……」

「そうですか……ズボンのチャックが開いていましてよ?」

「あっ? えっ?! すいませんっ………!」

「…………瑞穂さんて、やっぱり……」

「…………………」

「……少々、付き合って頂けますか?」

(確定しましたわね。やっぱり転入生は男性でした。でも、もうひとつ確認したことがあります。やっぱり、この人は捕まえておくべき人ですわね。)

 そんな思いを胸に秘めたまま、紫苑は瑞穂を、たぶんほかに誰もいない屋上へと連れ出した。

 

 

 ……翌日、すなわち瑞穂の登校二日目の放課後、あの《秘密の部屋》に、三人の学院生が集められた。この前参加していた中で小鳥遊圭だけは「言葉の端々に危険を感じる」という理由で、ここには呼ばれていない。御門まりやは、三人に対して、

「えー、きょうここに皆さんにお集まりいただいたのはほかでもない。前回の秘密作戦会議で、外部からのエルダーシスター候補生の転入を決定した。そして昨日、いよいよその人、宮小路瑞穂が当学院への登校を開始した。きょうはその《最終秘密兵器》をエルダーシスター候補として推挙することについて、皆さんに最終承認をいただきたい」

 

「異議ありませんわ」

「異議なし」

 ところが一人だけ、

「ところで、『ここにいる全員が納得できるエピソード』というのはどうなりましたの?」

 と疑問を呈する人が。

「美智子さん、いいことを聞いてくださった。きょうはそんなエピソードを、体験した本人から聞き出してきたので、耳を傾けてもらいたい」

 用意されたのは一台のカセットデッキ。さすがに裸電球の部屋だけに、ちょっとばかり時代錯誤なそれがよく似合う。

 まりやが「再生」のスイッチを入れると、証言者は、やや高い声で、ゆっくりと話し始めた。

「私は、寮で瑞穂さまのお世話係をしています、周防院奏と申します。昨晩は瑞穂さまに、エルダーシスター制度についてとか、入寮者が少ない件とか、いろいろとお話ししていました。そこに瑞穂さまが『奏ちゃんはどうして寮に?』と訊いてこられたのです。奏は……奏は、そのことにだけは触れられたくなくて、とても悲しくなってしまいました。そんな奏に、瑞穂さまは、『……ごめんなさい、聞いてはいけないことを聞いてしまったかしら? いいのよ、云いたくなければ云う必要はないの』『いいえ……わたしの方こそ不躾だったわね、ごめんなさい』と慰めてくださったのですが、奏は堪えられなくなって、泣き出してしまったのです。そんな奏を、瑞穂さまはやさしく抱き留めてくださいました。そして、奏の頭を撫でてさらに慰めてくださったのです……」

 その場面を思い出したのか、最後の方はいまにも泣き出しそうな声で証言する奏。

「かわいいわね、奏ちゃんとおっしゃるの? 今度ぜひお会いしたいものですわ」

「紫苑さま、本題はそちらではなくて、瑞穂さんをエルダーシスターに推挙するかどうか、ということなのですが……」

 すかさずまりやが暴走しそうになる紫苑を止めにかかる。

「美智子さん、これでいかがです?」

 美智子は紫苑と茅乃の顔色を十分にうかがってから、

「私も納得しました。これで条件は満足した、ということでいいと思いますわ」

「はい、私もそう思います」

「素晴らしいですわ」

「異議なし、と認めます」

 まりやは、してやったり、といった表情で言い切ると、てきぱきと出席者に指示を出していく。

 

「それでは、紫苑さまには引き続き、瑞穂さんとの友誼をより深めていただき、瑞穂さんは前エルダーお墨付きの人物である、ということを示していただきます。」

「もちろん、そうさせていただきますわ」

 

「美智子さんには、受付嬢ネットワークを活用し、各クラスの中に着実に瑞穂さんのいい話を伝言していっていただきます」

「おまかせください」

 

「茅乃さんには華道部ならびに茶道部を中心に文化部系の部活動を担当して、瑞穂さんの噂を広めていただきます。『日舞』『華道』『茶道』のできる貴重な人材として、特に伝統文化系クラブのメンバーから絶大な支持を取り付けていただきたい」

「でも、なぜ私でなければならないのですか? 紫苑さまに活動いていただければ十分ではないでしょうか」

「前年度のエルダーシスター本人が今年度のエルダーシスターはこの人に、というのが宣伝活動として強力なのは認めるけど、それでは目立ちすぎてしまって、親友が少ないであろう厳島貴子にも早いうちにかぎつけられ、効果が薄れてしまいかねないの。宣伝効果を最大限にするためには、茅乃さん、あなたの力が必要なのよ」

「はい、わかりました」

 

「そして私は陸上部をはじめとする体育会系とブラスバンド部などの音楽系の部活動への宣伝を担当するとともに、寮の後輩に一年生への宣伝活動を指示します」

 

「二年生への浸透がちょっと弱いようですが……」

 紫苑がこの作戦唯一の弱点を口にするが、まりやはひたすら強気に出た。

「確かに七十五パーセントの得票には少し足りないかも知れない。でも、そこはここにいる最上級生メンバー――まあはっきり言って《超強力布陣》だわね――と、受付嬢ネットワークの力でどうにかなるはず。あとは行動あるのみ!」

 

 

 ――《外部からのエルダーシスターお迎え大作戦》は、これで事実上終結した。その後の状況については、まりやの最上級生としての一年間が、最高に楽しいものになった、とだけ書いておけば十分であろう。

説明
紫苑と瑞穂との出逢いは紫苑にとってほんとうに「偶然」だったのか? 作品をプレイしてみて私なりに考えた結論としての「ビフォー」中心ストーリー。 某サークルさんの同人誌(コピー本)に初参加したときに執筆した『処女はお姉さまに恋してる』の二次創作SS。もういいかげん時効になっていると思うので、こちらでも公開してみます。
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コメント
「のん」さん、ありがとうございます! 楽しんでいただけたようで私も嬉しいです。(Nの館)
裏話ぽくて良かったです。(のん)
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