二人にブーケを、そして千早にはワンピースを
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「ふっふっふっー、ただいま千早ぁ」

「ごめんなさいね千早、私は止めたのだけれど」

 

 目の前には不自然な薫子さんの笑顔、そして自然に嘘をついていそうな香織理さんの笑顔。

 暮れなずむ冬空に心揺れる日曜夕刻、香織理さんと買い物に行っていた薫子さんが、嵐を手に持ち僕の部屋へと押しかけてきた。

 「な、なんですか薫子さん?香織理さん?」

 薫子さんの手に持つ如何にもといったセレクトショップ風の紙袋、それにそこから想像出来るその内容物とその用途、

 そして何より薫子さんの浮かべるその喜色満面の様子は、僕の頬を引きつらせるには十分だった。

  

 「あ、香織理さんひどい、香織理さんだって乗り気だったじゃない。というか一番楽しんでたのは香織理さんじゃないのさ」

 「あら、そうだったかしら?寡聞にしてそのような話は聞いたことがないわね」

 「む、またそうやって難しい言葉で煙に巻こうとする」

 「難しいって薫子、あなた本当に語彙が乏しいわね。そんなだとお母さん悲しくなっちゃうわ」

 「むー」

 

 あ、あの?僕の話は聞いてくれていますかお二人とも?

 僕の事など目に入らないといった風で会話を続けるその様に、何故だか袋小路に追い詰められる逃亡者になったかのような錯覚を覚えさせられる。

 「えーっと、お二人の邪魔をしては悪いので私はこれで失礼しますね」

 結局の所、追い詰められた逃亡者なんてものは僕の記憶による限り碌な目に遭う事はないのだからと、

 そう身の危険を告げる感覚に従い早々に退散しようした。

 した所までは良かったんだけど、会話を続ける二人を余所に首尾よろしくドアまで行き、ノブへと手をかけようとして、

 「千早さま」

 と背後からかけられる突然の声に僕は心底驚かされた。

 「ふ、史っ?あなた一体いつの間に?」

 「侍女ですから」

 史?理由になってない、それ理由になってないから! 

 何て思ったその刹那、

 

 「申し訳ありません千早さま。少々失礼致します」

 

 「えっ?」

 そんな言葉が聞こえてきて、とても一朝一夕で身に付くとは思えない程手馴れた動きを史がしたかと思えば、

 次の瞬間に僕の親指は結束バンドによってそれはもう鮮やかに自由を奪われていた。

 「史っ、これは一体?」

 後ろ手に拘束される親指を外そうと無駄なあがきとと知りつつ擦り、恐る恐る史へと問いかける。

 

 「申し訳ありません千早さま。多少失礼致します」

 

 「えっ?きゃっ」

 聞くも応えず、史が僕の肩に手を添え脚をかけたその瞬間にふわりと僕の身体は浮いて、気付いた時には床へと押し倒されていた。

 うぅ、押し倒したというより地べたを這いつくばらされたと言った方が客観的描写としては良いのかもしれない。

 史のその行動と自分の置かれた状況に僕は表向き冷静に動揺しつつ、とにかく拘束された指をどうにか外そうと地べたで身じろぐ。

 「ん、く、くぅ外れない」

 見上げるようにして薫子さん達に目をやれば、新たに史を加えた3人が身動き取れない僕をまたも蚊帳の外にして、会話の華を咲かせていた。

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 「薫子お姉さま、香織理さま。千早さまの身体の自由は奪いましたので、後は手はず通りに事を進められるはずです」

 「う、何か自分で考えといてあれなんだけど、この後ろ手に縛られた千早を見るとちょっとやり過ぎたような気が」

 「あら薫子、あなた一人だけ良い子ちゃんぶるつもり?そんな意志薄弱だと、妹の結婚式に出るために千早は3日間も身代わりになってはくれないわよ?」

 「へ?3日?妹?千歳さんって千早のお姉さんだよね?」

 「薫子あなた……」

 「太宰のメロスです」

 「むー」

 

 史が楚々として注釈を入れていた。

 そしてその光景から先ほどのやり取りに史が加わっただけのデジャビュを覚えて眩暈がする。

 「何となく想像は付きますけど一体僕をどうするつもりなんですかぁ。」

 気持ちはさながら身代わりとなってメロスを待つセリヌンティウスのようだった。

 話の中の彼とは違って、僕の為に拘束を解いてくれるような人がこの場に居そうにない事だけが結末を予想させてとても悲しい。

 きっと、思いつきで何かを話した薫子さんを上手く盛り上げ誘導したのは香織理さんなのだろうとは思うけど、

 それにしたって僕達をメロスに例えなくても良いじゃないですか香織理さん。

 僕を捕らえる端緒となっていそうな薫子さんその人が僕を助ける配役扱いだなんて、

 それだと僕は始めから助からないこと前提じゃないですか。

 

 はぁ、まぁ訳は知らずとも何故か拘束された僕がさながらセリヌンティウスであるのなら、メロスである薫子さんはきっと僕を助けてくれますよね?

 なんて心の中に浮かんだ淡い願望は

 「薫子?」

 という香織理さんの脅迫めいた笑顔と、

 「う、何だか良く分からないけど気分を取り直して、これより千早黒ワンピ作戦を開始したいと思いまぁす」

 それはもう楽しそうな薫子さんの声、 

 「史はそれが賢明な判断かと存じ上げます」

 そして謀反を起こした侍女のまったく有難くもない宣誓によって、無残にも散らされたのだった。

 「誰か私を助けてください……」

 

 「ふっふっふっー。という訳で千早ぁ、大人しくこの黒ワンピをば」

 何て言って薫子さんが得意げに広げて見せるそれを見て、僕は思わずこう叫ばずにはいられなかった。

 「ってそれワンピースはワンピースですけど、ワンピースドレスの方じゃないですかぁ」

 「んっふふー、すごく綺麗でしょこれ?何とワンオフなんだよ?もぅひと目お店で見て千早に着せてみたいって思ってさー」

 いや、それは叫びではなく諦観にも似た白旗を挙げる嘆きの声だったのかもしれない。

 「ワンオフとは手作りの一点物という意味です」

 「史ちゃん誰に説明してるの?」

 「薫子は知らなくても良いことよ」

 「むー。またそういう事言う、いいさ別に。という訳でお待たせ千早ぁ」

 先ほどとセリフが殆ど変わってませんよ薫子さん。

 なんて事を考えながら、僕は自分の身体に手をかけ迫ってくる薫子さんにいよいよ諦めの念を強くしていったのだった。

 

 「ご安心下さい千早さま。薫子お姉さま以外には着替えを見られない様カーテンスタンドは用意しております」

 「私達も二人の仲を邪魔する程無粋では無いという事よ千早。だから今日は大人しくおもちゃになる事ね」

 

 史?良く分からない気遣いをありがとうございます。

 香織理さん?前半部分は嬉しいのですけれど後半で心が駄々漏れています、というかあからさまに忍び笑いで楽しんでるじゃないですかぁ。

 そして香織理さん言う所の件の二人の内一人である筈の薫子さんは、

 「おぉ、ぉぉお。千早ってばやっぱり肌綺麗〜。む、でも何か女として凄いむかつく、それにはだけた服で抵抗出来ない千早の姿がすっごく背徳的」

 何て能天気に僕の身体を好きにしていた。

 「もぉ好きにして下さい」

 

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 そんなこんなで10分程が経過して

 

 「ちょっと薫子?千早一人着替えさせるのにいつまでかけるつもりなの?」

 「ちょっと待ってよ。露出させないよう元の服を脱がせながらドレス着せるのは後ろ手に千早が縛られてるから結構難しいんだってば」

 「史はその時が来るのを今か今かと一日千秋の思いで待ち続け、この身は既に灰となる一歩手前なのです」

 

 薫子さんにされるがままの今の僕が言っても説得力は無いのかもしれないけど、

 史、一体君は今日どうしちゃったのさ……

 「あまりにも遅いとお預けを甘んじて受けている可愛い侍女がカーテンをめくってしまうわよ?」

 「ふ、史は、史はそのような事は決して」

 「あらそうなの?でもエプロンドレスを両手で握り締めていては説得力もなにもあったものじゃないわよ?」

 「っ。史は、史は!」

 会話からカーテンスタンド越しだというのにその史の様子がありありと想像出来てしまった。

 そしてそうこう言っている内に薫子さんに背中をなぞられワンピースドレスへと袖を通される。

 「ぅっ、ん」

 

 「もう千早。いつも女物の服着てるんだから、そんなに抵抗することないじゃない」

 周りの声など何処吹く風でドレスの肩紐をかけようとする薫子さんが、着替えが始まってからずっとささやかな声をあげ続けている僕にそう言う。

 正直に話してしまうと背中や肌を触られると弱くて反応してしまうだけなのだけれど。

 「最低限必要な服を着ることと、んくっ積極的に女性物の服を着ることは違います。それだと僕が女性として楽しんでるってことになるじゃないですかぁ」

 何度も薫子さんの手で身体を触られて、僕は熱い吐息混じりに涙を浮かべ薫子さんにそう主張し、もう何だか散々な呈を晒していた。

 そして帰ってくるのは意外な言葉。

 「え?千早、楽しんでなかったの?」

 心底疑っていますと言いたげな声だった。

 そして心なしか空気が一瞬固まったかのような気配を覚えた。

 

 「それもしかして、普段は僕が女性として楽しんでると思われてるって事ですか?」

 何だかもう僕の声と心は虫の息だった。

 そんな僕の気持ちなんて露知らずと薫子さんは僕の身体へと手をかける。

 「だって優雨ちゃんの世話を焼いてあげてる時とか、お菓子作ってあげてる時の千早ってどう見ても母性本能としか思えないんだもん」

 うぅ、僕は学校でだけでなく寮の中でもそんな風に見られていたのか。

 「自分で気付いてなかったの?」

 そういいながら薫子さんは背中にラインに沿ってぴったりうまい具合に僕へとワンピースドレスを着せていく。

 服がよれないようにと背中をくすぐる薫子さんの細い指に僕は声を我慢しきれなかった。

 「……そういう事に何も、ん、違和感を、んっ、覚えていませんでしたよんくっ僕は」

 「千早、それって……」

 意識しない位自然に女性してるんじゃない、と薫子さんは言いたげだった。

 いやでも良いんだ、優雨にそうしてあげたいという自分の考えに僕は従っただけなんだから!

 「はは、は。は、は」

 涙目まじりに今度は声さえ涙しそうになっていた。

 「えーっと、何なら今度ビデオでも撮って見てみる?あれはちょっと凄いよ?西洋のカントリーな絵がそのまま飛び出してきたみたいな感じがするもん」

 そんなことを言いつつ薫子さんはちゃっかり僕の私服を脚から抜き取るところまでやって来ていた。

 「うっ、千早これヤバイ。はだけたドレスから覗く千早のふとももヤバイ」

 普段着の服を抜き取る際に薫子さんの指がふとももの外側をついとなぞって声にしてしまう。

 「ちょっ、きゃっ。か、薫子さんなんでそこがはだけてるんですか!?」

 ワンピースドレスがめくれ上がると共にふとももにひんやりとした空気が触れて、

 露出するふとももを見られる恥ずかしさからか僕は内股に脚を閉じてしまった。

 「おぉおっ、千早そのふともものラインヤバイやばいって」

 薫子さん、一体何を見てるんですかあなたは……

 

 そしてそんな誰かに見られたくない姿の時に限って、

 「薫子?史ちゃんがちょっともう限界そうだから開けるわよ?」

 という香織理さんの声が外から聞こえたかと思えば、

 「えぇっ香織理さん!?ちょ、ちょっとまだ!駄目、まだ今はっ」

 目の前の薫子さんはひどく慌てて立ち上がろうとした勢いそのままにカーテンスタンドの支柱に脚を引っ掛けてしまっていた。

 「ちょ、ちょっと薫子さん!」

 そして引っ掛けたそれと一緒に倒れてくる身体と為すがままの僕の身体。

 「あぁあっ、駄目!それは絶対に駄目っ!」

 ささやかな音と共に床へと倒れ暗幕の意味を成さなくなったカーテン。

 そして衆目に晒される筈だった着替え途中のはだける僕の身体、

 そんな痴態となってもおかしくない身体を薫子さんが必死に僕へとしがみつき隠してくれていた。

 

 「あらあら薫子ったら」

 「だ、だだ駄目だよ駄目だよ駄目だもん、皆は見たら駄目だったら!だって、だって千早はあたしのなんだから」

 「なっ」

 その薫子さんの言葉に僕は頬が紅潮する。

 傍目には小さな独占欲に必死になっている薫子さんとそれを真に受けうろたえる周りの見えない滑稽な僕、という風にきっと見えるんだろう。

 そんな感じで二人重なる僕らの様子に史達は、

 

 「やっぱり薫子は千早にとってのメロスだったのね」

 「どうやら史達は少し調子に乗りすぎてしまったようです。これは……」

 「退散した方が良さそうね」

 とようやく遅い気遣いをしてくれたのだった。

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 「服は着替える前のに戻さないんだね千早」

 「取り合えずは着せられてしまいましたからね」

 二人だけになった部屋のベッドの淵へと並んで腰かけ、そんな事を話していた。

 「自分からそれの着ずまいを直す千早にちょっとぐっと」

 「薫子さん?」

 その先を喋ろうとする言葉を遮り、僕は表向きとてもいい笑顔を薫子さんへと向けて反省を促した。

 「うっ。ごめんなさい、千早」

 しゅんとしてすぐに反省する薫子さんの様子が楽しい。

 少し悪乗りが過ぎてしまっただけなのは僕にも分かっていますよ薫子さん、貴方はこんな事を考えなしにやってしまう人ではありませんから。

 ただ、香織理さんに簡単に乗せられない聡さも少しは欲しい所なんだけどね。

 「まぁいいですよもう。その代わり薫子さんには今度僕が見繕った服を着てもらいますから」

 だからそう、そのお返しに少しだけ僕も悪ふざけをさせて貰う事にしますよ薫子さん。

 

 「ち、千早ぁっ!」

 僕のそんなセリフとこんな笑顔がくるなんてきっと想像もしていなかったのだろう。

 一体何を着せられるのかと真に受けうろたえている薫子さんに中てられて、ふいに僕の悪戯心がその顔を覗かせた。

 そう、僕らにとってのとびきりの悪戯を。

 「そうですね。では僕の為にウエディングドレスを着て下さい薫子さん」

 そう言って何時ぞやの劇の一幕の様に声色を効かせ、薫子さんのその可愛らしい頬に手を添えそう言った。

 「えぇっ、それって。え?ええぇっ」

 そんなすぐにうろたえた表情をしたりして、やっぱり貴方は可愛いですよ、薫子さん。

 何て事を心に思ったままに、薫子さんを見てからかい楽しむ僕に気付いたのだろうか?

 窓から差し込む夕陽にも照らされて、僕の手も振り払わずにいる薫子さんは朱に染まった顔のまま。

 けれどもその膨れた顔は僕にはとても微笑ましくて、

 「むー、何か千早の顔むかつく。いいさもう、それに千早には将来ウェディングドレスは着させて貰うつもりなんだし」

 「うくっ」

 そんなあなたに痛恨の一撃を放たれた。

 「え?どしたの千早?うぁっ、あかっ千早顔あかっ!へぇっ、え?あたしそんなに変な事言った?」

 僕は先ほどのお返しにとそんないけ好かない性根でからおうとしただけなのに、そんな相手に貴方はまっすぐ疑いもせずに触れてくるなんて、

 そんな貴方が僕にはとても眩しくて。

 薫子さん、貴方はやっぱり本当に、本当に可愛いですよ。

 そうして少し悪戯してやろうとかそんな気持ちはもうどうでも良くなって、

 「薫子さん、可愛いですよ」

 「ぇっ?ち、千早?」

 何だか薫子さんに懺悔がしたくて、

 頬に添えた手はそのままに薫子さんの顔と唇へと目を向けて、逸る鼓動を必死に抑えながらに僕はそう思ったのだった。

 

 

 

 同時刻、史の自室にて

 …

 ……

 ………

 …………

 ……………

 「どうやら千早さまは薫子お姉さまに陥落した模様です」

 「それは良いのだけれど、これ盗聴と言っても差し支えないわよね?」

 「侍女ですから」

 「そういう問題なのかしら?」

 「侍女ですから」 

 「そう?またこれは千早も」

 大変な侍女を持ったものね、と僅かながら千早に対する愉快さと、そこはかとなく湧いてくる憐憫の情を覚えたのだった。

 「もちろん今回だけの冗談でございます、香織理お姉さま」

 あ、それでも今回はいいのね?

 やっぱり私は千早に憐憫の情を覚えるのだった。

 今も二人の会話を盗み聞きしてその恩恵を預かっている以上私も同罪なのだけれど、

 ブーケとしてお膳立てしてあげたのだからそれ位は許してくれるわよね、千早?

 

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