十五年前のクリスマスプレゼント(中編)
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 翌朝、千雪はクラスメート全員から眉をひそめられたり、無視されたりのいじめを受けることを覚悟し、登校した。

 また、母親からは猛反対されたが、オルガニストに教えられた『自分を認め、受け入れる』という一言が少しでも理解出来れば、と左腕の前腕義手を着けぬまま、断端部が丸出しになる五分袖のブラウスを着た。

 千雪が教室に一歩、足を踏み入れるや、案の定、クラスのあちらこちらで三人、四人と集まってはひそひそと、

「篁が……」

「千雪ってさ……」

 話し込んでいる。千雪は目を伏せ、唇を噛みしめたが、昨日、オルガニストが自分だけに聞かせてくれた『小フーガ ト短調』の美しい旋律を思い返し、勇気を振り絞る思いで、ボールを投げた男の子の傍らに立つと、

「ケンタ君、昨日は驚かせてごめんね。本当はね、わたし……」

 言いかけると、その潔さに、生徒達は千雪の新しい一面に触れ、教室の中の空気が明らかに変わった。ケンタと呼ばれた男子児童は、千雪の跡切れたかのような左肘を引っ掴み、

「すっげぇ! 篁って、レールガン、発射出来るんだろ! 換装すれば、ビームサーベルも使えるんだろ? すっげぇな!」

 まるで、自分のことのように大喜びして叫んだ。男子生徒の誰もが目をきらめかせて千雪を見つめている。千雪は、男子達が何をどう勘違いしているのか解らず、言葉を失っていると、普段、仲のいい女子児童達が集まってきて、

「こらっ、ケンタ。気安く女の子の体に触るな。セクハラだぞ」

「あー、ケンタ、千雪ちゃんのこと好きになったんだ!」

 どうやら、男子児童達は千雪を天下無敵の戦闘少女と勘違いしているらしい。ケンタは渋々と自分の席に戻りながら、

「篁、また昼休みに勝負だからな! 逃げるなよ!」

 ドッジボールで千雪に勝負を挑んだ。昨日までと全く同じ日常であった。千雪は思いもかけなかったクラスメート達の反応に、狐につままれた思いになり、

「それじゃ、わたし、三学期から、養護学校に転校しなくていいの?」

 港区立の普通小学校に入学する際、社会福祉士から進路の選択肢の一つとして勧められた障害児専門の教育機関があったことを思い出し、誰にともなく尋ねると、今度は女子児童達が驚き、

「千雪ちゃん、どこかに転校するの?」

「どうして? おとうさんが転勤になったの? 遠くに引っ越すの?」

 社会を知らない子供なりの想像で確かめると、千雪は慌てて首を左右に振り、

「ううん、転校なんてしないよ。中学校はまだ解らないけど、小学校はここを卒業するよ」

 何事か、思い定めた瞳で応えた。

 

 

 年が明け、三学期が始まると間もなく、千雪は放課後、一人で赤坂に近い東京メトロ銀座線の溜池山王駅から日本橋駅へ出、都営浅草線に乗り換えると、浅草橋駅で下車した。

 伝統のある日本人形の老舗が軒を連ねる独特な街並みから一歩、住宅街へ入ると、日本では珍しいパイプオルガンの演奏を教える音楽教室を探した。

 霊南坂教会で髪の長いオルガニストと出会い、自分も将来はオルガニストになることに決め、今のうちから出来る勉強をしておこうと、考えたのだった。

 しかし、何か習い事をするにもまず、通う先がどんなところか解らないのでは、両親に話をすることも出来ず、せめて、説明だけでも受けられれば、と思った。

 浅草橋にある音楽教室の院長は、日本では著名なオルガニストで、東京都町田市にある玉泉大学の準教授に就いている人だった。

 音楽教室は住宅街にあり、一般の民家を二棟改築して、開講したこぢんまりとした教育機関だったが、パイプオルガンやグランドピアノが揃い、頻繁にワンコインコンサートが開催されている。

 千雪が意を決して、ドアホンを鳴らすと、院長の娘らしい二十歳前後の女性が対応に出てくれたが、左腕がない千雪に困惑しながら、

「鍵盤楽器に子供サイズはないので、身長が最低でも百四十センチ以上にならなければ、練習出来ません。生徒さん達はそれまで両手足の練習として、ピアノや電子オルガンで慣れています。でも、エレクトーンは左足を使わないので、かえって害になります」

 誰もが成長の終わる高校生までは他の鍵盤楽器で学び、大学生になってからオルガンに転科するのが、一般的な進路であることを教えてくれたが、次は、保護者同伴で来てほしい、と言葉を添えた。

 それは、事前の電話連絡もなしに、小学生で、障害児の千雪が、医師はおろか両親に何ら相談もなく、地下鉄を乗り継いでの外出など危険極まりなく、見聞きしている方がはらはらする行動は絶対にやめるようにと、叱っているのだった。

 月謝はともかく、身長や左腕のことは自分自身ではいかんともしがたく、千雪は自らが志した道程のあまりの遠さに、茫然とした。

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 西新橋にある東京恩恵会医大病院のリハビリ外来の診察室では、小児科、整形外科、リハビリ科の医師に加え、義肢装具士、リハビリ外来看護師、理学療法士が千雪と母親を囲み、定期検診に当たっていた。

 一見、物々しい光景だったが、こうした医療スタッフがチームを組み、一人の患者に緊密な連携を図り、適正な医療を確保する背景には、医学の進歩に伴い、関連諸分野の専門性が高くなり、もはや医師だけでは最善の医療を提供することが、困難になったためである。

 理学療法士が千雪の左腕から前腕義手を丁寧に外すと、義肢装具士は断端部とソケット内に貼り付けた厚さ五ミリのスポンジ三枚を入念にチェックし、

「千雪ちゃん、義手を使っていて、きつくて痛い、と感じたり、ゆるくして落ちそうだな、と思ったことはない?」

 千雪の成長に伴う断端部の形状変化を確かめると、千雪は素直に、

「ううん、大丈夫だよ」

 応えた。次いで、小児科医が、

「学校ではどう? お友達とは仲良くできているかな?」

 二学期の終わりに学校で何かあったらしく、養護学校に転校するかも、と言い出した千雪を母親がひどく心配し、小児科医に事前に相談していたのだった。千雪はにこりと笑い、

「ううん、男の子達ね、千雪のこと、格好いいって言って、前よりずっと仲良くしてくれているよ」

 クラスでの様子を思い返しながら、朗らかに応えた。母親は拍子抜けしたが、小児科医は、大丈夫そうですよ、と母親に目で語りかけた。次いで、整形外科医が、

「千雪ちゃん、おかあさん。能動義手の練習もしておきませんか?」

 千雪も間もなく高学年となれば、低学年の児童の面倒もみる機会も増え、中空の装飾義手では対応しきれない場面も増えるだろう、と判断し、提案した。

 千雪は、二本の指鉤で細かなものを把持出来ることに加え、それぞれが独立して可動する手先具があることを思い出し、

「あんな海賊の親分みたいな手は嫌! それより、わたしはオルガニストになりたいの! 先生、わたしに右手みたいに自由に動かせる左手を下さい!」

 昨年の暮れに霊南坂教会で出会ったオルガニストの左腕を思い出して言うと、母親は、

「そんなの、ないのよ、まだ言っているの、この子は?」

 医療スタッフに夢の続きを話し始める娘を責めるように言った。整形外科医と小児科医は唖然として顔を見合わせたが、リハビリ医と義肢装具士は心当たりがあるかのように表情を引き締めた。

 千雪は食い下がる思いで、

「あのね、教会でお姉ちゃんが見せてくれたの! ちょっと機械の音がするけど、すごかったよ! 本物の指みたいに自由に動かせて、手首もぐるぐる回せるの! それをつけてもらって、千雪もオルガンを弾けるようになるの!」

「オルガンって、どこの小学校にもあるリードオルガンのこと?」

 リハビリ外来看護師が聞くと、千雪は、

「違うよ、壁一面に太い管が一杯並んでいて、それを一人で鳴らすんだよ。すごくきれいな音が出るの!」

 顔を輝かせ、精一杯にパイプオルガンの説明をすると、クラシックに詳しい整形外科医は言葉を選びながら、ゆっくりと、

「あのね、千雪ちゃん。今の医療レベルでは、筋電義手は鍵盤楽器を弾けるだけの性能はないんだ。それにね、日本の医療制度でも筋電義手は支給対象になっていないんだよ」

 宣告するように言った。千雪はきょとんとして首をかしげた。

 日本の筋電義手の支給制度は、両側上肢切断者の片側の義手のみ、価格の上限六十三万円以下で支給され、全国数カ所の病院のみが承認施設となっている。

 リハビリ外来看護師がすっと整形外科医と千雪の間に立ち、千雪に、

「ごめんね、千雪ちゃん。千雪ちゃんの今のお話、何か勘違いしているんじゃないかな。人間の手を機械でつくることは、まだまだ出来ないの」

 咀嚼して説明した。

 千雪はむっとして、足許に置いていた赤いランドセルから算数のノートを引き出すと、『J・S・バッハ 小フーガ ト短調BWV578』と大きく記されたページを医療スタッフに突きつけ、

「これを書いてくれたオルガンのお姉ちゃんが言ってたもん! ちゃんと機械の手があるんだもん! お姉ちゃんが見せてくれたもん!」

 叫んだとき、母親が算数のノートを覗き込み、

「それ、千雪の字じゃない」

 不気味なことを言った。

 千雪は母親までもが自分を疑っているような思いに駆られ、激昂した。健側の右手で整形外科医の白衣の襟首を引っ掴むと、

「嘘つき! 何で本当のことを言わないの! どうして千雪がオルガンを弾いちゃ、駄目なの!」

 左前腕の断端部を振り上げた。千雪の凄まじい剣幕に母親が思わずたじろぐと、慌てて小児科医と義肢装具士が、千雪を整形外科医から引き離した。千雪はそれでも怒りが収まらず、

「藪医者! みんなで何を隠しているんだ!」

 怒鳴り散らした。外来の事務員までもが処置室を覗き込んできた。

 オルガニストになるには身長が足りず、左腕がなく、筋電義手も手に入らない絶望のどん底に叩き込まれ、千雪は我を失った。

説明
生まれつき左腕がない篁(たかむら)千雪(ちゆき)は、霊南坂教会での出会いから、オルガニストになることを決意しますが、その道程はあまりに遠いものでした……
劇中で、人間の手を再現した筋電義手があまりに高嶺の花、としていますが、日常生活でこれほどのものを必要としないことが理由の一つとして挙げられます。農工業の人は、能動義手の方が役に立ちますし、接客業の方は、装飾義手が有効です。それはともかく、義肢でがんばっている人って、格好いいと思います。中編の始まり始まり。
次回の予告……千雪が出会ったオルガンお姉さんは誰だったのか、千雪が本当に受け取ったクリスマスプレゼントとは。感動の最終回になります。
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コメント
お二人も支援をいただき、ありがとうございます。義肢の取材に大変だったので、本当に嬉しいです!(小市民)
タグ
霊南坂教会 装飾義手 能動義手 筋電義手 パイプオルガン 先天性左前腕欠損 小フーガト短調BWV578 音楽教室 

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