真・恋姫無双〜君を忘れない〜 二十話
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一刀視点

 

 暗闇の中にいた。周囲には誰もいず、俺一人だけだ。ここはどこなんだ?闇の中では何も見えず、まるで五感が全て機能していないのではないかと思われた。

 

「誰かいないのかぁ!?」

 

 叫んでみたものの、俺自身の声がエコーとなり周囲に何度も響き渡る。それがまた自分を驚かせ、怯えさせた。その声が他人の声のように聞こえたんだ。

 

「くそっ」

 

 小さく悪態を吐く。しかし、それで事態が好転するはずもなかった。

 

 俺はとにかく前に進もうと、両手を前に突き出して周囲を探りながら、ゆっくりと歩を進めた。

 

 どれくらい進んだのだろうか。闇の中をひたすら進むというのは精神的にきつかった。普段、俺たちがどれだけ視覚から送られてくる情報に依存しているかが分かった。その情報が一切無くなると、途端に気が狂いそうになるのだから。

 

 時間の感覚も曖昧で、歩き続けてまだ数分という気もするが、もうずいぶん歩いたような気もする。時間の感覚の麻痺が俺の恐怖心に拍車をかけた。

 

 すると、前方にうっすらとだが光が見えた。それを頼りに歩みを速めた。火が灯された燭台が置いてあり、その下には汚い布が落ちていた。

 

 これをどかしてはならない、本能的にそれを察していたが、俺の手は何かに憑かれたように、俺の意志に反して、その布をどかそうと動いた。

 

「ヒッ……!」

 

 布の下にあったのは老人の死体だった。首と胴が離れた無残に殺された死体。布には切り口から大量に溢れたであろう、血液がびっしり付着していた。

 

 見間違えるはずもない、俺が殺した張譲だった。そして、燭台の光に照らされた俺の制服は真っ赤に染まっていた。いつの間にか手には刀が抜かれていて、刀の切っ先から血の滴がぽたぽたと落ちていた。

 

「ハァ……ハァ……」

 

 心臓が早鐘を打ち、額にはびっしりと脂汗を浮かべていた。

 

 ここはどこなんだ!?

 

 どうして、こいつがここに!?

 

 俺の疑問には誰も答えてくれるはずもなかった。張譲の首は切断面を地面側に置かれていた。その表情には、あの吐き気がするほどの醜い笑みではなく、苦悶に満ちた表情が浮かべられていた。まるで、自分を殺した者を強く憎むような視線を、俺に向けていた。

 

「人殺しめ……」

 

 どこからともなく声が聞こえた。その声が何度も何度も繰り返された。

 

「やめろ……俺は董卓さんを……救うために……。俺だって……殺したくは……」

 

 そして、苦悶の表情を浮かべている張譲の首、すでに死んでいるはずの張譲の目から涙が流れた。まるで血のような真っ赤な涙が。

 

「この人殺し」

 

 今度ははっきりと張譲の口から発せられた。恨みのこもったその視線は、今度はしっかり俺を見据えていた。

 

「やめろぉぉぉぉぉぉ!!!!」

 

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 はっと目を開くと、そこには見なれた天井が映った。俺の部屋の天井だった。どうやらまた悪夢を見ていたらしい。額には汗を浮かべ、髪の毛がべったりとくっついていた。

 

 董卓さんを救ってから数週間が経とうとしていた。あれから、頻繁に悪夢を見るようになっていた。

 

 洛陽から別の追手が来る可能性を考えて、俺たちは董卓さん達を連れて、一度漢中の方まで行くことにした。

 

 そこで改めて、さっきの策のことを打ち明けた。それは董卓という人物の死を意味している事。名を捨て、二度と董卓として表舞台に立てないという事。

 

「わかりました」

 

 董卓さんは穏やかな笑みを湛えながら答えてくれた。大事な名前を捨てることは、とても心苦しいはずに違いなかった。しかし、彼女は何の迷いも見せずに受け入れてくれた。

 

 賈駆さんは、最初こそ受け入れ難いようだったが、董卓さんが承諾するならば、と名前を捨てる事を受け入れてくれた。

 

 唯一董卓さんが心残りにしている点が、自分がいなくなった後の、本拠地である天水の統治についてであった。彼女は最後まで自分を慕ってくれた民の事を心配していたのだ。

 

 確かに俺の知る三国志の世界でも、反董卓連合の後、長安以西は治安が乱れ、小豪族が乱立し、長い間泥沼の戦いを続けていたと記憶していた。

 

「わかったわ。そこはボクが何とかするよ」

 

 それを解決してくれたのは賈駆さんだった。彼女は単身天水に戻り、天水の統治を馬騰さんに任す様に画策してくれるようだった。

 

 馬騰さんは、娘の馬超さんを連合軍に参加させたようだった。しかし、馬超さんも董卓さんが名君である事を知っていたことから、戦闘に参加することはなかったようだ。

 

 馬騰さんの思惑については何とも言えないが、彼女であれば天水の統治を快く引き受けてくれるだろう。彼女も民が苦しむのを何もせずに見てはいられないだろうから。

 

 そうして、一度賈駆さんは俺たちと別行動を取ることになった。董卓さんと二人の今後の身の置き方については、賈駆さんが天水から戻ったら、改めて紫苑さんや桔梗さんを交えて決めようということになった。

 

 俺と焔耶と董卓さんの三人は漢中を通って、益州に戻ることにした。その時は、まだ俺は自分がいかに深く傷ついていたのかに気が付いていなかった。いや、気付いていたのかもしれないが、それから目を逸らしていたようだ。

 

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 腕で汗を拭い、身体を起こそうとするが、腹部に重みを感じてなかなか起き上がることが出来なかった。首だけを起こして、腹の方を見ると、璃々ちゃんが猫のように丸まってそこで寝息を立てていた。

 

「全く……」

 

 ため息を吐きながら璃々ちゃんの頭を優しく撫でた。んー、と可愛らしい返事が返ってきた。この子はいつでもタイミング良く俺の事を癒してくれた。

 

 悪夢を見た不快感や、心が荒みそうになるのが、少しだけ和らいだような気がした。

 

「璃々ちゃん、そんなところで寝てると風邪ひくよ?」

 

「う……うー。むにゅ……あ、れ?おはよう……お兄ちゃん?」

 

 彼女はどうして自分がそんな所で寝ているのか、寝起きの頭で上手く整理が付けられないようで、きょとんとした顔をしていた。それでも俺と目が合うと、ぱぁ、といつも通りの輝くような笑顔を見せてくれた。

 

「おはよう」

 

 俺も悪夢の影響でぎこちなくなってしまったが、笑顔で挨拶を返した。

 

「さて、どうして、こんなこところで寝ているのかな?」

 

「あれぇ?ここお兄ちゃんの部屋?あ……朝ごはん出来たから、起こしに来たんだけど、気持ち良くて寝ちゃったんだぁ」

 

 璃々ちゃんは恥ずかしそうに顔を少し赤らめてそう言った。俺は無言で璃々ちゃんの頭を撫でていた。

 

「…………」

 

 璃々ちゃんは不思議そうな顔をしながら俺の顔を見つめていた。まるで俺のことを見透かしているような気がした。

 

「さぁ、朝ごはん食べに行こうか」

 

 璃々ちゃんから素早く視線を逸らしてしまった。寝台から立ち上がり、部屋を出ていった。何となくそれ以上璃々ちゃんと目を合わせたくなかった。

 

「紫苑さん、おはようございます」

 

 部屋を出て、朝食の準備をしてくれていた紫苑さんに挨拶をした。紫苑さんは俺を見ると、少し複雑そうな表情を浮かべたが、すぐにいつも通りの優しい笑顔に戻った。

 

「おはよう、一刀くん」

 

「お母さん、お兄ちゃん、起こして来たよ」

 

「璃々、それにしては随分時間がかかったわね?まさか、起こしに行ったのに、自分も一緒に寝ちゃった、なんてことはないわよね?」

 

「うぅ……璃々、ちゃんと起こしたもん」

 

 シュンとした表情で俺の後ろに隠れようとする璃々ちゃん。璃々ちゃんと紫苑さんのいつも通りの会話は、とても微笑ましいものだった。

 

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紫苑視点

 

「紫苑さん、おはようございます」

 

「おはよう、一刀くん」

 

 部屋に入って、一刀くんは笑顔で私に挨拶をした。しかし、その笑顔にはいつものような温かみが欠けていた。月様を救出した時の話は焔耶ちゃんから聞いた。

 

 一刀くんは人を斬った。人を傷つける事をあれだけ嫌っていたのに。

 

 苦しかっただろう。

 

 悲しかっただろう。

 

 怖かっただろう。

 

 一刀くんの世界では、人を殺す事はここと違って日常茶飯事ではないという。彼自体、剣術を習っていても、真剣は人に向けた事がないと言っていた。

 

 人を救うためとはいえ、彼は人を殺したのだ。彼の心の傷は、私たちではとうてい理解出来ないだろう。しかし、彼が頼ってくれれば、私は何でもするつもりでいた。

 

 泣いたっていい。震えたっていい。叫んだっていい。それで彼の心が少しでも癒されるのなら、私はいくらでも付き合おうと思った。

 

 しかし、彼は私に何も言ってこなかった。普段と変わらぬ態度で接してきた。その理由は分からない。彼は一人でそれを乗り越えようとしているのかもしれない。だから、私は待つことにした。彼自身が決着を付けるまで。

 

「紫苑さん、俺は本当に休んでいていいのですか?」

 

 朝食を食べながら、彼がそんなことを言った。月様を助けた後、私は彼に休暇を与えたのだ。名目は月様を助けてくれた褒美という事にしてあるが、彼に少しでも肉体的に休んで欲しかったのだ。だから、反乱の話も極力避けている。

 

「ええ。今はそんなに忙しくないから大丈夫よ」

 

「そうですか……。休みをいただけるのは嬉しいんですけど、どうも時間を持て余してしまって」

 

 苦笑しながら一刀くんは言った。

 

「お兄ちゃん、じゃあ璃々と遊ぼうよー」

 

 ご飯粒をほっぺたに付けた璃々が、口をもごもごさせながら言った。

 

「ほらぁ、璃々。ごはん食べながら話さないの。行儀が悪いでしょ?それに璃々の相手をしていたら、一刀くんの休暇にならないじゃなの?」

 

「俺なら大丈夫ですよ。じゃあ、璃々ちゃん、ごはん食べ終わったら河原にでも遊びに行こうか?」

 

「わーい、やったぁ!」

 

 やれやれとため息を吐いたが、その時、昨日寝る前に璃々が、お兄ちゃんが元気ないと言って落ち込んでいたのを思い出した。もしかしたら、璃々なりに一刀くんを元気づけようとしているのかもしれないわね。

 

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一刀視点

 

「ふぅ……」

 

 朝食を食べ終わってから、俺と璃々ちゃんは河原に遊びに来ていた。紫苑さんは俺の心に闇が巣食っているのに気が付いているのかもしれない。休暇をくれたのもそれが理由だと考えるのが妥当だろう。

 

 天の御遣いとして役目を果たす。紫苑さんと桔梗さんの前で誓ったことだ。俺は、形式上は反乱軍の頭目で、彼女たちは俺の部下になるのだ。もう前のように、頼りたくなかった。

 

 自分の足でしっかり立って、自らの足で歩まなくてはならないと思った。そんな事も出来ずに、紫苑さん達に頼って、何が天の御遣いであろうか。

 

 確かに今はつらい。目を瞑っただけで、あの時の、張譲の首を斬った時のことが鮮明に思い浮かんでしまっていた。だが、それももうしばらく辛抱すれば良いと思っていた。

 

「ねぇ!お兄ちゃんってば!!」

 

 耳元で璃々ちゃんの大きな声が急に聞こえた、驚きのあまり身体がビクンと脈打ってしまった。

 

「もう、どうしたの?さっきから何回も呼んでるのに!」

 

「え?あ、あぁ、ごめんね」

 

 璃々ちゃんはほっぺたをぷくーっと膨らませて、お怒りのご様子だった。ごめん、ごめんと謝りながら、彼女の頭を優しく撫でてあげると、少し機嫌が良くなったようだ。

 

 しかし、急にしゅんと表情を暗くしたかと思うと、俺の横にちょこんと座り、俯いて黙ってしまった。

 

「えっと……」

 

「お兄ちゃん、元気ない」

 

 どうしたら良いのか困ってしまっていると、璃々ちゃんはとても小さい声でそう呟いた。

 

「ご飯食べてる時も、璃々と一緒に遊んでる時も、笑顔なのに、笑顔じゃない」

 

「璃々ちゃん?それはどういう意味……」

 

「璃々、お兄ちゃんの笑顔が大好きなの!見てるだけで、胸のとこがぽかぽかしてきて、あったかいの!」

 

「……」

 

「なのに……なのに……、うぅ、ぐすっ、ふぇ」

 

 璃々ちゃんはついに泣き出してしまった。俺は何も言う事が出来なかった。無意識のうちの、自分の動作に不自然な点が生じていたのだろう。しかし、そんなことはどうでも良かった。璃々ちゃんを泣かせてしまった、という事実が何よりもショックだった。

 

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「うぅ……くすん……」

 

 少し時間が経って、璃々ちゃんも落ち着いたようだ。

 

「……ごめんね、璃々ちゃん。俺、璃々ちゃんを傷つけてしまって……」

 

「んーん、璃々の方こそごめんなさい。でもね、璃々、何でもするよ?お兄ちゃんがまた元気になってくれるなら。お母さんの言う事も聞くし、嫌いな食べ物も食べられるように頑張る。……だからね、お兄ちゃん、また笑って?」

 

 璃々ちゃんは、涙を目尻に溜めながら、泣きながら笑顔を作った。その笑顔は、太陽の眩しく、まるで俺の心に巣食う闇を打ち払ってくれるような気がした。

 

 璃々ちゃんは、何に苦しんでいるのか分からないのだろうが、確かに俺がおかしいのに気付いていた。そして、それを何とかしたいと思った。しかし、何も出来ない自分が悔しいのだろう。そして、同時に自分が泣いてしまっては、俺を笑わせる事が出来ない事も分かっている。

 

 幼い璃々ちゃんが、自分の感情をコントロールして、こうやって笑顔を作る事が、どれだけつらいことか。

 

 その瞬間、俺は自分がどれだけ愚かだったか悟った。皆に頼らない、そう決めていた事が、結果的に璃々ちゃんを泣かせてしまった。

 

 俺はただ逃げていただけなんだ。痛みと向き合おうともせず、ただそれから逃げようとしていただけ。怖いなら震えれば良い、苦しいなら泣き叫べば良い。そして、痛みを克服できた時、本当に強くなっていることにすら、気が付かなかったなんて。

 

「ハハハ……」

 

 思わず乾いた笑いが出ていた。たったそれだけのことなのに。いや、逆にそんなことに気付かないほど、俺は弱っていたのかもしれない。

 

「お兄ちゃん?」

 

 璃々ちゃんが心配そうな表情で俺の顔を覗き込んだ。俺は璃々ちゃんを抱きしめた。最初、璃々ちゃんはビックリしたようだったが、そっと俺の背中に手を回してくれた。

 

「よしよし」

 

 いつも俺が璃々ちゃんにやっているように、璃々ちゃんは俺の頭を優しく撫でてくれた。それだけで心が洗われたような気がした。

 

「璃々ちゃん、ありがとう」

 

 璃々ちゃんは何も聞かずに、ただ、うん、と静かに頷いてくれた。俺は未熟だ。こんな幼い子供泣かせてしまうくらい、今の俺は力がなかった。それを不甲斐ないとも思う。

 

 しかし、だから俺は皆の力を借りようと思う。自分ひとりで立ち向かえないなら、誰かの力を借りればいい。自分のプライドなど、一人の少女を泣かせないためなら、喜んで捨てようと思った。

 

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桔梗視点

 

 北郷の様子がおかしいと、月殿救出から帰ってきた、あやつの目を見てすぐに分かった。焔耶から話を聞いたところ、月殿を救うために人を斬ったらしい。

 

 紫苑は心配そうな表情で、最近の北郷の様子を語ってくれた。奴は紫苑にすら頼ってはいないようだ。紫苑も、奴が決めた事として、自らは何もしていないという。

 

 全く、そんな表情でそう言われても、何の説得力もないというのに。紫苑の顔には、すぐにでも北郷を抱きしめて、その傷を癒してあげたいと、はっきり告げている。

 

「今、北郷は璃々と一緒にいるのだろう?ならば、とりあえず様子だけでも見てみぬか?」

 

 儂の提案に、紫苑はゆっくりと頷いた。その表情は、帰って来ない娘を心配する母親のようで、また初めて、好意を抱いた男に会いに行く生娘のようでもあった。

 

 儂と紫苑が部屋から出ようと扉を開くと、そこには驚いた表情の焔耶が立っていた。儂らの話を隠れて聞いていたのだろう、儂と目が合うと、気まずそうに顔を赤らめて俯いてしまった。

 

「はぁ……。焔耶、お主も来い」

 

「は、はい!」

 

 儂が頭をぽんぽんと撫でると、焔耶の表情がぱぁっと輝いた。こやつも北郷の事が心配で堪らなかったのだろう。最近は、仕事中にも関わらず、ぼぉーっとしていることがあった。

 

 儂らが河原に着いた時、北郷と璃々は石の上に座って何か話しこんでいて、どうやら璃々は泣いているらしい。

 

 そして、璃々が北郷に近づいた瞬間に、北郷は璃々をぎゅっと抱きしめた。子供が母親にしがみ付くような感じだった。遠目では良く見えないが、姿こそ幼いが、璃々は紫苑のように見えた。

 

 まだ子供だと思っておったが、璃々も母親に似てきているのだな。横の紫苑の方に目を向ければ、ほっと安堵の表情を浮かべていた。儂と同様に、璃々が北郷の傷を不器用ながらに癒しているのに気付いているのだろう。

 

「あ……」

 

 反対側にいた焔耶から普段の焔耶らしからぬ声が聞こえた。そっちに視線を向けると、焔耶の目は驚愕に見開かれ、何か見てはいけないものを見てしまったような表情を浮かべている。さらに、焔耶は儂の服の裾をきゅっと掴んでいた。

 

 ……待て、焔耶。お主、何か重大な勘違いをしているのではないか?北郷が璃々に抱きついているのは、お前が思っておるような意味は……。

 

「一刀っ!!」

 

 儂が止める前に焔耶は立ち上がり、北郷の名前を叫んで、そっちに駆けて行ってしまった。はぁ、やれやれ。これは何やら面白い事になりそうだな。

 

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一刀視点

 

 璃々ちゃんを抱きしめてどれくらいの時間が経過しただろうか。すると、少し離れたところから自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 

 そっちに目を向けると、真っ赤な顔をしながら走って来る焔耶の姿が見えた。俺の方にそのまま無言で近づいてきた。

 

「え、焔耶?どうした?」

 

「……」

 

 焔耶は俺の問いかけには答えなかった。俺の目をじっと見つめる瞳は、何だか若干涙ぐんでいるように見えた。

 

「お、お前……そういう趣味が……」

 

 まるで独り言を呟くように小さく焔耶はそう言った。 そういう趣味?俺は焔耶が何を言っているのか分からなかった。

 

 そして、冷静に今の状況を考えてみた。

 

 俺は璃々ちゃんを抱きしめている。

 

 まるで愛しい人を抱くように。

 

 璃々ちゃんは、まだ年幼い子供である。

 

 幼女を抱く俺。

 

 そういう趣味。

 

 その瞬間、焔耶の言っている意味を理解した。

 

「ま、待て!!焔耶、お前は重大な勘違いをしているぞ!!?」

 

「言い訳なんて聞きたくない!まさか璃々みたいな幼い……」

 

 焔耶は頭を振り乱しながら、言葉を吐き出すが、自分が言おうとしている事に、自分が恥ずかしくなってしまったのか、さらに顔を真っ赤に染めて手で顔を覆ってしまった。

 

「一刀の馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 

 そして、俺の言い分を聞かずに、元の道に走って戻ってしまった。まるでミサイルのような勢いで去っていく焔耶を、俺は茫然と見送るしか出来なかった。

 

 璃々ちゃんは、俺が元気になったのが嬉しいのか、ずっと俺にしがみ付いていた。きょとんとした表情で俺を見つめていたが、俺が苦笑を浮かべると、ぱぁ、といつものような笑顔を俺に向けてくれた。

 

 あぁ、俺は今後焔耶とどんな顔をして会えば良いのだろうか。というか、俺は果たして焔耶に誤解を解く事が出来るのであろうか。

 

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 俺が途方に暮れていると、紫苑さんと桔梗さんが並んでこちらに向かってきた。おそらく、焔耶と三人で俺の様子でも見に来たのだろう。

 

 桔梗さんは普通に歩いてくるが、どう見ても笑いを堪えるのに必死そうだった。こういう展開になるのが分かっていたのなら、止めてくれれば良かったのに。

 

「北郷、もう大丈夫そうだな?」

 

 しかし、俺の目の前まで来ると、真剣なまなざしで俺に問いかけた。

 

「……はい。ご迷惑をおかけしました」

 

「全く、焔耶の件は任せておけ。あれは純情すぎなのだ。」

 

「うぅ……。そうしていただけるとありがたいです」

 

 うむ、と頷くなり俺の頭をがしっと掴んだ。そして、そのまま乱暴に俺の頭を撫でた。

 

「お主もお主だ。一人で背負いこみよって。苦しいのなら儂らに言え。どうせ、天の御遣いという名前の重みに潰されていたのだろう?」

 

「仰る通りで……」

 

 見事なまでに俺の心を読まれていた。桔梗さんに敵わないと、苦笑を浮かべていると、桔梗さんは乱暴に撫でる手を優しく俺の頬に持っていった。

 

「痛みや苦しみは、一人で感じるな。儂らに共有させよ。それくらいの信頼があってこそ、真の臣下というものですぞ、お館様」

 

 桔梗さんはふっと優しい笑みを浮かべながら、俺に優しく囁くように言った。その温かい笑顔に思わずドキッとしてしまった。

 

 やっぱり桔梗さんには敵わない。俺はこの人からどれだけの事を教わったか分からない。あんな風に一人で苦しんでいたのが、どれだけ愚かだったのかを改めて認識した。

 

 最初から桔梗さんや紫苑さんに助けを求めていれば、あんな風に璃々ちゃんを泣かせることもなかったのに。

 

「さて、儂は焔耶を追わねばならないからの。紫苑?後は任せるぞ」

 

 桔梗さんはぱっと俺から離れると、不敵な笑みを浮かべながら、後ろに立っている紫苑さんに声をかけた。

 

「あ……」

 

 俺は間の抜けた声を発してしまった。俺が最初にすがるべきだった相手、きっと俺がおかしかったことに最初に気付いてだろう人、紫苑さんが苦笑を浮かべながら立っていた。

 

 俺は璃々ちゃんの頭をぽんぽんと撫でて、離してもらうと、ゆっくりと立ち上がって、紫苑さんに歩み寄った。

 

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紫苑視点

 

「さて、儂は焔耶を追わねばならないからの。紫苑?後は任せるぞ」

 

 桔梗は不意に私に話しかけた。思わず苦笑を浮かべてしまった。全く、私が言いたかった事をほとんど言っているじゃないの。

 

 一刀くんがゆっくりと立ち上がって、こちらに歩いてきた。少しはにかんだ表情を浮かべているが、今朝とはまるで別人のようだった。璃々とどんな会話をしたかは分からないけど、璃々も成長したものね。

 

 一刀くんと正面から向き合ったが、どちらも目を合わせているだけで、何もしゃべろうとしなかった。ふと視線を外してみると、璃々と桔梗の姿がなかった。

 

 きっと変な気遣いをして、璃々も連れて行ったのね。いつも変な事にしか気を使わないのだから。もっと、別な所に回して欲しいものね。

 

「あの……紫苑さん?」

 

 そんなことを考えていると、一刀くんが話しかけてきた。

 

「あの……その……ごめんなさい」

 

 恥ずかしそうな表情を浮かべ、頭を下げて私に謝ってきた。

 

「全くもう。謝るのなら初めから私や桔梗に言っておけばよかったのに」

 

 私は思わず子供を叱るように、一刀くんの額をパチンと指で弾いた。一刀くんは、痛っ、と言い

ながら額をさすっていたが、その表情は少しだけ嬉しいそうだった。

 

「すいません……」

 

 でもさすがに心配かけた事を申し訳なく思っているのか、しゅんとした表情を浮かべている。フフフ……まるで璃々を叱っているみたいね。

 

 私は一刀くんの手を取ってこちらに引き寄せると、そっと抱きしめてあげた。そして、額と額を当てた。

 

「でも本当に良かった。一刀くんが元気になって」

 

「はい」

 

「もう一人で背負いこんではダメよ」

 

「はい」

 

「私や桔梗、璃々や焔耶ちゃんは、何があっても貴方の味方だからね」

 

「……はい」

 

 一刀くんの瞳から涙がつぅっと流れた。とてもつらかったのね。それをたった一人で耐えようとしていたなんて。

 

 一刀くん、あなたは馬鹿よ。一人で無理して、一人で苦しんで、皆に迷惑をかけたのだから。でも、一人で頑張ろうって思ったのは、素晴らしい事だと思う。それはきっと私たちのことを思っての事だから。

 

「一刀くん?」

 

「はい?」

 

「今日はずっと話を聞いてあげるからね」

 

「……はい」

 

 私は一刀くんの身体をぎゅっと抱きしめた。一刀くんの身体は少しだけ震えていた。

 

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一刀視点

 

 こんな風に紫苑さんに叱られたのは初めてかもしれない。少しだけ璃々ちゃんの気持ちが分かった。紫苑さんは本当に良いお母さんだな。

 

 その日の夜、俺は紫苑さんの部屋に招かれた。俺がどれだけ怖かったか、苦しかったか、痛かったか、全ての話を聞いてくれた。

 

 璃々ちゃんも眠い眼を擦りながらも、俺の膝の上でじっと話を聞いてくれていた。何の話をしているのか分からないだろうけど、素直に嬉しかった。

 

 あの時の事を思い出すだけで、身体が恐怖で震えてくる。そんな時、紫苑さんは優しく、大丈夫、と言ってくれた。璃々ちゃんも俺の手を握ってくれた。

 

 どれだけ話したのか分からなかったが、もうかなり深夜になっているだろう。璃々ちゃんも限界のようで、首がこっくりこっくりと揺れていた。

 

「すいません。こんな遅くまで付き合わせてしまって」

 

「いいのよ?璃々も自分から話を聞くって言っていたし」

 

「ありがとうございます。じゃあ、そろそろ寝ましょう。明日もありますし」

 

「そうね」

 

「おやすみなさい」

 

 そう言って、璃々ちゃんを寝台を横たえて自分の部屋に戻ろうとしたが、璃々ちゃんは俺の服の袖をぎゅっと握って離してくれなかった。

 

「んー、お兄ちゃんも一緒に寝よう?」

 

 目をゴシゴシ擦りながら、璃々ちゃんはそう言った。

 

「え!?で、でも……」

 

 俺は助けを求めようと、紫苑さんに目を向けた。

 

「あらぁ、それはいいわね」

 

 紫苑さんはニコリと笑いながら、璃々ちゃんに頷いていた。

 

「………………」

 

 俺は紫苑さんの部屋の寝台で、璃々ちゃんと紫苑さんに挟まれる形で横になっていた。璃々ちゃんを泣かせてしまった罪悪感で、璃々ちゃんの申し出を断る事は出来ず、仕方なく一緒に寝ることになったのだが。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 俺の右に寝ている璃々ちゃんは、俺の腕をがっしり掴んで、抱き枕のようにして寝ている。

 

「……うぅん……」

 

 俺の左に寝ている紫苑さんは、腕こそ抱いていないが、顔が俺の真横にあって、寝息が俺の耳をくすぐっていた。そして、少しでも身体を動かそうものなら、紫苑さんの胸部にある強力な兵器が俺の腕に当たりそうになった。

 

 こんな状態で眠れるはずはなかった。はぁ、とため息交じりに苦笑する。だけど、こんな風に笑える日が来た事を俺は嬉しく思った。明日からきちんと働こう。今まで迷惑かけた分頑張らなくては。

 

 俺は眠れそうになかったが、ゆっくりと瞳を閉じた。このまま眠っても、今日は悪夢を見ないだろうな、と思いながら。

 

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あとがき

 

あけましておめでとうございます。

 

本年もこの作品ともども、駄作製造機をよろしくお願い致します。

 

二十話の投稿となりました。

 

やや間が空いてしまっての投稿ですが、今回は一刀の心の傷を癒す場面を書きました。

 

今回、彼が癒えるきっかけとなったのは、何と璃々ちゃんでした。

 

彼女も母親の紫苑さんのように、きっと大人になったら素敵な女性になるのだろうと思います。

 

はい……。作者の単なる妄想ですね。

 

結果的に一刀は自分が間違っていた事を知り、周りに助けを求めるわけです。

 

天の御遣いという名前で、変に力んでしまったのでしょうね。

 

そんな彼を桔梗さんと紫苑さんは優しく諭してあげます。

 

途中の焔耶の場面は……。

 

あまり突っ込まない方向でいていただけると助かります。

 

最近、焔耶の事を書いていなかったので、ついつい……。

 

MALI様の神すぎる焔耶のイラストを見て、焔耶書きたい病が発症してしまいました。

 

そのうちまた焔耶拠点でも書きたいと思います。

 

そんなわけで遠回りしながらも、一刀はまた成長したわけです。

 

次回は益州にやってきた月と詠について書きたいと思います。

 

その後は番外編として、恋の事を書きたいと思います。完全に忘れられてますからね。

 

反董卓連合終了後、彼女はどうなったのかを書きます。

 

何度も言いますが、本作品は駄作です。お暇な時にだけ御覧ください。

 

誰か一人でもおもしろいと思ってくれれば嬉しいです。

 

P.S クリスマス拠点書きたかったのですが、時間が出来ず書けませんでした。

 

申し訳ないです。いつか投稿出来たらな、と思います。

説明
あけましておめでとうございます。新年初投稿となります。今年も、こんな駄作製造機を温かく見守って下さると嬉しいです。
皆さまのおかげで本作品も二十話になり、お気に入り登録数も200人を超えました。
これも全て皆さまのおかげです。本当にありがとうございます。

コメントしてくれた方、支援してくれた方、ありがとうございます!

一人でもおもしろいと思ってくれたら嬉しいです。
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コメント
璃々ちゃん最高(ほいほい)
zii様 貴重な御意見ありがとうございます。登場人物の心情を描くために視点変更を多くしているのですが、読みにくいのであれば、少しずつ改善できるように努力したいと思います。(マスター)
ここまで一気に読みました。とてもおもしろかったですですが、ちょっと視点変更が多く読みづらく感じることもありました。そこらへんを改善していけばよりよい作品になるとおもいます(zii)
320i様 あけましておめでとうございます。今年も駄作製造機をよろしくお願いします。誰よりも純粋なのが璃々の最大の武器なのでしょうね。勘違い焔耶に関しては、作者の病気ですので、少しでも楽しんでいただけたのなら幸いです。(マスター)
下ネタのお城様 焔耶の暴走は作者でもなかなか止められません。紫苑さんを食わない事を願うのみです。そして、黄親娘はさすがといったところですね。将来の璃々ちゃんが楽しみです。(マスター)
nameneko様 一刀はどの外史でも種馬スキルは健在ですからね。(マスター)
よーぜふ様 まだまだ彼は未熟ですので、これからも多くの人間から様々な事を学ぶでしょう。最後のうらやましい展開は、さすがは種馬とと申すところでしょうか。焔耶の場面は喜んでもらえたのなら嬉しいです。(マスター)
2828様 誤字報告ありがとうございます。早速修正致しました。一刀を思う気持ちが強くてつい勘違いをしてしまったのでしょうね。(マスター)
poyy様 ありがとうございます。そう言っていただけると嬉しいです。コメディを書くのが苦手なので、少しでも面白いと思っていただければ本望でございます。(マスター)
羨ましい展開で終わったなこのやろう。紫苑はオレの嫁だ(VVV計画の被験者)
耐え忍ぶことが強さというわけではない・・・頼ることも時には必要というのがわかった一刀くんでしたな。 というか結局うらやましい展開ですかw 焔耶はまぁ・・・かわいいからよし!(よーぜふ)
7p紫苑にすた頼っては→紫苑にすら頼ってはかな? 焔耶はもう少し落ち着けw(2828)
ホロリと涙が出ましたね。そして合間にある笑いがつぼにはまりましたwww(poyy)
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