ザ・ショート |
ザ・ショート
スチームのむくみで窓が曇っている。
大石市に向かう列車は途中の高町峠でストップしていた。
予想外の大雪に見舞われて、線路が雪に埋もれ身動きができない状態になっていた。応援の除雪列車が到着するめども立っていない。
乗客の多くは不安といら立ちを抱えそれを紛らわすようにして談笑やトランプなどの暇つぶしをしていた。
山崎駅で乗り合わせた二人もその中にいた。
通路から見て右側のスーツを着たサラリーマン風の男、彼は大学教授で科学者。左側のジーンズに革ジャンを着た方は収入不安定なフリーライターだ。お互い同じ大学の旧友だが、境遇はすっかり違っていた。
「こんな雪じゃもうどうしようもないな。明日の大石での講演は無理だ」科学者はケータイをいじりながら、少し歪んだ笑いを宙になげた。
「君は別に差し迫った用事はないだろう。大石に何をしにいくの」科学者は墨を流したような窓の外を黙って見ているライターに言った。
「旅だよ、旅」ライターは彼の台詞に嫌味を感じたのか手早くいう。
「へえ、あんなところに。でも大石は今雪だらけで何も出来ないだろう?」
「雪を見に行く。」
「へえ?雪?」科学者は笑いを含んだ目を相手に遣り、ちょっと分からんという風に頭をかいた。
わずかな会話が途切れたあとは、車内の乗客の妙に高いテンションの話声とスチームの耳につく低音が二人の間を包んだ。
車内は雪降りしきる外とは対照的に、多くの音がしていたが、そのため却って静かだった。騒音の中の静けさとも言うべきか。
よれよれ、良く言えばシックな革ジャンを着たライターはこの長い間の中でリラックスしている様だったが、科学者は白けたような空気に慣れないらしく、どこか落ち着きがなかった。
足をクロスさせたり、指を色々な形に組み替えたりする。席を立ったと思ったら、再び戻ってくる。まるで檻のなかに閉じ込められ狭い中をグルグル徘徊する動物のようだった。ライターは少し茶色がかった瞳で雪がちらつく黒い窓を見ている。
なかなか列車は動かない。
一瞬騒音が破られた。車内アナウンスが始まったのだ。
「ひまだ。少なくても後三時間は動けない。ゲームをしよう。ゲームを」
「勝手にストレス発散につきあわすなよ。めんどくさい」ライターは乗気ではない。
「俺が君に一つ問題を出す。もし君が間違ったらこっちに二百円渡す。次にそっちが俺に質問をして答えられなければ、二百円やろう」科学者は取引をするような言い方だ。
「どうせそっちが得をするんだろ」
「ふん。じゃあ、もう一つルールを付けよう。おまえが得するように」
「どんなルール?」
「もし、君が質問をして、こっちが答えられない場合は、千円やろう。これでいいだろ?」
勢いで行くべきか、きっぱりと断るべきか。ライターは結局話に乗った。
「よし」科学者は笑って「地球と月の間の正確な距離は?」いきなり無茶苦茶な問題だった。
「そんなの分かる訳ないだろ。ほら、二百円やる」ライターは考えもしなかった。ごくあっさりと、当然のように金を科学者にやった。さばさばとした動作だった。
科学者は意外そうに「ふうん、次はそっちの番だぜ」
ライターは悠々と言う「簡単ななぞなぞ。ぼたん雪の時大きくなって、粉雪の時小さくなるものは何でしょう」
科学者はいっきに難しい顔になった。
「分かった、今は難しいがすぐ分かるから、もう少し待て」
右手の上に四角い顎をのっけて、文豪のようなポーズで考え込む。牛乳瓶の底のように厚い強度のメガネが車内の照明を受けてキラっと光った。
ライターは口元に微笑を浮かべて座席に深く座りなおした。黒の窓を見ると列車の光に照らされたぼたん雪が舞っていた。引き込まれそうな車窓の風景だった。
車内アナウンスの声でライターは目を覚ました。
口の中が少し乾いている。そう感じてバックの中のペットボトルを取ろうと目を開けると、
「ああ、今起きたのか。お前の問題は難しいよ」科学者はライターが寝た時と同じかっこうのままだった。
「あの問題をずっと考えていたのか?」ライターは笑った。
「分からん、全く理解不能」科学者は思いっきり頭をかいた。彼の肩の周りにふけが落ちた。
「降参だ。千円やるよ」
「サンキュー」
外から除雪列車の轟音が聞こえている。アナウンスがいったようにあとわずかで列車は動きだすだろう。外で雪かきをしている鉄道保安職員達の黄色いヘルメットも安心の象徴のように感じられる。スムーズに客車を動かすためか、下の車輪に溜まった雪を重点的に除去しているようだ。車窓から見て時折暗闇に浮かぶ彼らの存在は心強い。
「長い足止めを食ったが、まあ動きそうで良かった」晴々とライターが言った。
「ああ、何とかなりそうだな」
ゆっくりと列車は動きだした。列車の先導は除雪列車だ。山中の真っ暗闇の中除雪で噴き出される雪が良く見える。
「なあ」
「うん?どうかしたか」
「あの問題の答えは一体何だったんだ?」
ライターはゆっくりと科学者を見据えた。彼は科学者が訝るのを尻目に緩慢な動作で自分の財布を取り出す。そして何のためらいもなく二百円を相手にゆだねた。
ライターのニヤッとした顔が暗闇の鏡となった車窓に映えた。
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列車と雪 | ||
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