一人一癖
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一人一癖。

「なくて七癖あって四十八癖」

日本のことわざ

 

 

つまらなかったり、暇だったりする時、人間というものは癖が一番出やすい。

それは電車の中で話し相手もおらず、一人座っている時だったり、何かの集まりの冒頭によくあるお偉いさんの紋切形で長ったらしい講話だったりする。

そう言えば、どこかのテレビ番組では「校長先生の訓話マニュアル」なるものを紹介していた。私はそのマニュアルを読んだことはないが、それでもだいたい中身は予想がつく。

考えてみれば、毎日の授業という奴も、クラスメイトの癖の展覧会だともいえる。

 

今日の授業もそうだった。間延びした空気のなかで、各人はそれぞれの癖を磨くことに耽っていた。

私もその中にもれず、ペン回しをしていた。

数学の公式や、計算過程をしるしたノートの上を、円を描くようにくるくるとシャーペンが舞う。

「舞う」との言葉を使っても、そんなに上手く回転しているわけじゃない。あくまで、癖でただ回しているだけだ。そういえばたしかシャーペン回しのプロは無意識に回していることはないらしい。

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別のことを考えたせいか集中力がぷつんと切れ、回す手がもつれる。あえなくシャーペンは白い紙の上に落下した。軽い音がした。

その棒を拾って、また回そうとする。

だが、不思議な事にそれを握ったら、手の方に目がいった。その目の動きでペン回しが頭から飛んだ。もともと、それも気がつかないうちにやっていたので、忘れるのも簡単だったの

かもしれない。

よっぽど暇だったのだろう。自分の手などついで見たことはないのに、なぜかまじまじと見てしまった。

私は毛深いたちなので、手の甲のにも毛が生えている。甲の方はまだまだ薄いのであるが、足の方などは、自分で見るに堪えない状況となっている。

でもこう、自らのてをじっくりと眺めると、色々なことに気がつく。自分の体のことは知っているようで分からないことが沢山あるものだ。

指の付け根の関節に、もっさもっさと毛が密集している。一本一本の長さがながく、自分のものだというのに何か気味がわるい。だからか目を逸らすように

して、その一段上の関節を見た。

こちらはすぺすぺ。しかし薬指にゴマ塩のような小さい毛が生えている。まだ剛毛化しておらず。半人前といった風情だ。

手の裏側も、すぺすぺ。しかしどうして、毛の生える所はこうもはっきりとしているのだろうか。手相を見るときに、そこに毛が生えていたらまたこれはこれで、面白そうではないか

と、思ったがすぐによした。実際、手のひらなんかに毛が密集していたら、猛烈な不潔感を感じる。第一、ものを掴むときに絡まったりして不便そうだし、外国人でさえも握手

をしてくないだろうし、恋人と手をつなぐのはどうしたらいいのか。手汗でぐっしょりとなった毛で、相手の皮膚を覆うのか。想像しただけでもぞっとする。

こう思い直して、改めて手のひらを眺めた。

手のしわが巨大な峡谷にみえてくるのは、自身だけか。よくよく見ると細かい肌理が、小さな道路にみえる。なにか皮膚のうえで自分の知らない間に、小さな町が建設され

ているようにも感じられる。この感は、どことなく、手相に愛着を持たせた。人々は人生を生きる中で、手の上に自分だけの峡谷や道を作っている。手相をみるのももっともだ。

その思考で、再び表のほうを見ると、指や甲に生えた無数の毛が、森林地帯にみえてきた。さては、「不毛の地」という言葉のなかに「毛」が紛れ込んでいるのはこのせいかと妙に合点した。

手の甲の広大な地帯の毛は、まばらで群生せず疎林のような趣である。まるでサバンナだ。すると、さしずめ第三関節の植物群落は、ジャングルであろうか。だが、それにしては、群生の度合いが高く

ないようにも思われる。

その上に目を移すと、文字とうり「不毛の地」が始まっていた。となると、この砂漠に位置するゴマ塩みたいな植物の集まりは、オアシスであろう。そこは肌理という砂丘を泳ぐようにして、長い

旅を続けるキャバラン達の憩いの場だ。そして彼らは、次のオアシスを求め肌理で覆われた砂漠を渡る。

そんな妄想に耽っていたら、自分もそのキャバランの一員のような気がしてきて、この小さな二・三本の毛が、果てしなく愛おしくなってきた。何回も何回もその上を撫でて、毛の感触を楽しんだ。

そうして、楽しむだけ楽しんで、私はその毛をこの授業が終わるまでに一つ残らず抜いてしまおうと思ったのだ。

まず、右手の方から抜くことにして、右の手でこぶしを作った。

左の親指とひとさし指をちょうど、毛抜きのように合わせ、例のオアシスにもっていく。そして爪の先で、一ミリか二ミリぐらいのごくごく小さい毛をつまむ。上手く挟めば抜くときに予想外の痛さが

薬指を襲うのだ。

UFOキャッチャーのアームのように、爪の先をもっていく。コツはなるべく早いうちに抜くこと。何回もこの動作を繰り返すと、強い引っ張る力に毛が耐えられず、途中で切れてしまったり、毛の先端

がカールを起こしてしまったりして、処理しにくくなる。

あ、い、痛い。もしかして処理成功か?

そう期待に胸を躍らせ、オアシスのほうをみると、このキャバランの休息所はたしかに以前よりも貧相になっている。

こういうことを繰り返しつつ、結局私は全てのオアシスを時間内に破壊し尽くしたのである。

 

 

 

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こんなことを書くと、一体なにをしているんだとか、数学の授業を真面目に受けろ。などどいう人がいるかもしれない。多分そんな人がほとんどだと思う。たしかにそれにも一理ある。

しかし、今日また新たな別天地、別世界を自らの掌に見出した私の気持ちはそれらより勝っていると、勝手に信じていたい。

つまらない一時間でも小さな桃源郷をさまようのには十分すぎる時間なのだ。

 

 

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